夏休みも後半に入り、残された日数と詰まれたままの宿題の量を比較検討する意欲すら無くなる8月中旬の早朝、
俺は着替え
その他が入ったバッグを肩に掛けて家を出た。
幸いにもバッグの中身がいつの間にか妹に化けていることもなく、電車に乗り込んだ俺は何度も目を通した便箋を
もう一度ポケットから取り出した。
旅支度と言えば長期休暇恒例のSOS団の合宿が定番となっているが、それならば『思い立ったが吉日』を座右の
銘とし、『急がば回れ』『急いてはことを仕損じる』などと言った思考を持たない我が団長様の号令の下、夏休み
初日スタートで盛大に開催されたところだ。
「さすがにミステリツアーもマンネリね。いいわ、今回はあたしがなにか考えるから。あ、冒険ツアーはどう?」
と言う一言で準備に頭を悩ませないで済むと喜んだ古泉も、これなら自分で準備した方がマシだったと言い出すほど
すばらしい企画付きで、な。
そのメインイベントは『道なき道を進み最果ての岬に立って海に向かいバカヤローと叫ぶ』と言うもので、もしも
長門がいなかったら俺達は仲良く熊の胃袋に納まっていたであろうすばらしくスリリングなものだった。
まあそれ以外は鶴屋家提供の豪華別荘に北海道の海の幸と言う高校生の合宿にはあるまじき素晴らしさだったが。
それなら今度はなんなのかと言うと・・・俺にもさっぱりわからなかった。
先週、ハルヒが家族で帰省すると言う理由でSOS団の活動も2週間ほど休みにすると宣告した定例会議と言う名の
お喋り会が終わり、帰宅した俺が郵便受けを覗くと一通の茶封筒が入っていた。
その事務用の封筒には我が家の住所と俺の名以外、差出人の名前すら書かれていなかった。
部屋に戻った俺はその封筒をしげしげと眺めた。差出人不明の手紙には碌な思い出がない。夏休み中だから放課後の
教室にクラスメイトが俺を刺殺すべく呼び出したりするような内容ではないだろうが。
とりあえず封を切ると一枚の便箋とともに旅行会社の名前が印刷された袋が入っていた。その中にはJRの乗車券と
新幹線の特急券。
はて、こんなものを注文した覚えはないのだが。そう思いつつ便箋に目をやると、封筒に書かれていたのと同じ字で
集合場所と集合時間、そして「楽しみに待っているよ」と言う一言だけが書かれていた。
手の込んだハルヒのいたずら、にしてはやり方が下手な気もするし、かと言って他にこんなものを送ってくるような
心当たりも無い。
しかし、その封筒と便箋の字はなにか懐かしさを感じさせた。そしてそれは俺の心の奥深くになぜか安心感を与える
ような気がした。
で、今回も俺は好奇心に負けて早朝の電車で新幹線の駅に向かっているわけだ。そのうちこの好奇心は俺の身を滅ぼす
だろうね。そう思っているうち、電車は途中の接続待ちで5分ばかり遅れて駅に着いた。
集合場所の目印となっている看板のある柱の近くでそっと様子を窺う。
柱に寄りかかるように、一人の少女が立っていた。淡いエメラルドグリーンのワンピースを着た少女、それは俺の親友、
佐々木に間違いなかった。
その姿を見たとき、俺の頭の片隅に冷凍保存されていた記憶が一気に解凍された。そうだ、あれは佐々木の字だ。中学
時代、さんざん写させてもらった佐々木のノートの、丁寧で几帳面な字に間違いない。
「おはようキョン、遅かったじゃないか。寝坊したのかと思って心配していたよ」
俺の姿を見つけた佐々木が軽く右手を上げて近寄ってきた。挨拶をした後、早速疑問に思っていたことを聞いてみる。
「なんだってこんな、差出人も書かない手紙で呼び出したんだ?」
俺が便箋を見せると佐々木はそれを手にしてしばらく眺めていたが、
「いや、これは失礼した。僕は何をやってるんだろうね。肝心なことを書き忘れるなんて」
と苦笑いした後、俺に聞いてきた。
「しかし、こんな正体不明の手紙でよく来てくれたね。おかしいとは思わなかったのかい?」
そりゃ思ったさ。ただ、その便箋の字を見てたらなんだか信用してもいいような気がしてきたんだ。特にその「楽しみに
待っているよ」って部分を見ると、行かないといけない気がしてきたのさ。そう告げると佐々木は
「そうかい」
とだけ言ってやけに嬉しそうな表情をした。
その時、背後から聞き覚えのある声がした。
「あーっ!キョンさん遅刻なのです!」
振り返ると、駅構内のコンビニの袋を手に提げた橘京子が立っていた。Tシャツにショートパンツ、リュックサックを
背負ったその姿はどう見ても妹の同級生としか思えない。ん、待てよ。こいつがいるってことは・・・。
「今度は何を企んでるのか知らんが、もう二人はどうした」
そう問いかけると橘は一瞬きょとんとした顔をした後で
「あ、今日は私達だけです」
と言った。よく聞けば、佐々木たちのグループの融和を図ろうと小旅行を企画したのだが藤原は例によって現地民との
馴れ合いを拒否し、九曜は九曜で融和だの親睦だのと言う概念が無いのか話に乗ってこなかったそうだ。
「それで、せっかく企画したんだしキョンさんを誘ってみようってことになったのです。あ、費用はあたしたちの組織
持ちなのでご心配なく」
ふむ、こいつの組織とやらに世話になるのは癪に障るが、誘拐騒ぎの時に車を捨てたくらいだから金はあるんだろうし、
乗りかかった船ってやつか。佐々木が、今にも俺が帰るんじゃないかって顔で見てるのも気になるしな。
「まあそれはいいけど、なんで俺なんだ?」
それくらいは聞いておいた方がいいだろうと思い、橘に質問する。
「あたしは二人でもいいかなって思ったんですけど、佐々木さんがどうしてもキョンさんを」
「あっ、ほら、橘さん!そろそろ列車が来るしホームに行かないと!」
橘の話を遮るように佐々木が口を挟むと、橘の手を引いて改札の方へ引っ張るように歩いて行った。なんだかずいぶん
慌てた感じだったな。なんでなのか知らんが佐々木が慌てるとは珍しいこともあるもんだ。
「ちょっと待ってくれ。俺もなにか弁当でも買ってくる。朝メシも食べてないんだ」
前を行く二人にそう声を掛けると、橘が答えた。
「あれ?佐々木さんがキョンさんの分のお弁当作ってくるって言ってたんですよー?昨日、旅行の支度するのに一緒に
買い物に行ったときにそう言って色々買って」
「ほら!ええと、き、君のことだから発車時間ギリギリに来て買い物する余裕もないんじゃないかと思ってね。それに
こちらから招待しておいて空腹のまま付き合わせるのも悪いし」
佐々木はそう言うと、左手に提げていた紙袋を俺に渡した。礼を言ってそれを受け取る。
それにしても、今日の佐々木はなんか様子がおかしいよな。まあ、慌てまくる佐々木ってのもなんか新鮮で悪くはない
がね。そう思いながら俺は二人の後をホームへと向かった。
最終更新:2007年08月17日 22:45