「>>1乙」
「へ?」
今何つった? もっぺん頼む。
「いち、おつ」
ぁんだ? って佐々木、もうレス60以上行ってんぞ。それに俺は>>1ではない。
「いや失敬。10スレ目のお披露目のご挨拶も無事済んだし、丁度良いタイミングだと思ってね。それに、
ちょっと声に出して言ってみたかったものだからね」
SOS団御用達の喫茶店で、大きな声で、しかも俺の目を見て言わんでくれないか。俺は周りを見渡す。今日
は喜緑さんはいない。
「それにしてもだ、実に潔い言葉ではないか。新たにスレを立ててくれた>>1に対する感謝とねぎらい、そ
れにホスト規制など諸般の事情でスレを立てられなかったものたちの無念と憧憬の思いなどが渾然一体と
なり、しかして悪意のかけらもない、簡にして要を得た表現と言うべきだろうね。この表現を発明した人
に対しては敬服の至りだ。」
異論はないのでとりあえず同意しておく。俺は何も言わず、眼で続きを促した。中学の時もそうだったが、
こいつとの間ではアイコンタクトで相当の意思疎通ができる。考えてみれば俺が長門の気持ちを読めるの
もこのときの訓練の成果かもな。
「『乙』という当て字がまた絶妙だ。『おつ』は『おつかれさま』の略だと言われているようだが、『乙
枯山』という当て字が高橋留美子の『うる星やつら』にも見られる。まあそれ以前にもあったのかも知れ
ないが。『乙』は『きのと』とも読む。『木の弟』なのだそうだ。中国の十干の一つなのだが、甲乙丙丁
戊とあってだな…」
そのまま話は戦前の五段階評価やら契約書やら焼酎やら赤いちゃんちゃんこすなわち本卦返りの語源やら
に至り、俺の脳内メモリは完全にオーバーフローしてハングアップ。ふと別のことが頭をよぎる。そうい
えば「うる星やつら」をSOS団の三人に読ませてみたのだった。ハルヒが自分の能力を自覚して宇宙人、未
来人、超能力者が日常世界に普通に現れるようになった世界といえば、やっぱコレじゃね? と思ったの
で、連中の反応を見たかったのだ。案の定というか、古泉は泡を吹いて卒倒し、長門は青ざめた。不思議
なことに、朝比奈さんはけらけら笑うばかりだった。たぶん状況の深刻さに思いが至らないのだろうが、
もしかすると、未来世界って意外とそういうところなのかも知れない。何にせよ、ハルヒには決して「う
る星やつら」を読ませないことにしようということで、我々の意見は一致した。買い占めるわけにも行か
ないので、ハルヒが行きそうな本屋に対して長門に情報操作して貰うしかないかな。いっぽう朝比奈さん
に「めぞん一刻」を読ませたら泣かれてしまった。原始社会の未発達な通信に起因して生じる意思疎通の
齟齬と誤解による不幸の悲惨さを思い知った、とのことなのだが。
「キョン、聞いてるか?」
[Ctrl]+[Alt]+[Del]。はっと正気に返る。曖昧に頷くと、佐々木は続けた。
「ところで、『おつ』という言葉には違う意味もあるのは知ってるね。ひとつは、いつもと違ってとか
妙にとか言う意味だ。ツンツンしてる女子に対して『おつに澄ましやがって』とか言うね。」
お前のことだろ。
「キョン、嫌なことを言うな。つまらん冗談を言う奴とは絶交だ」
拗ねたらしく、プイと横を向いてしまった。まあ一番気にしてるところなんだろうな。しかし席を立つわ
けでもなく、俺の向かいに座ったまま横を向いている。どうしてほしいんだか。まあこうしてみると、結
構可愛いところがある。『うい奴』という言葉が浮かんだが、言わないでおこう。
「冗談だよ」
その言葉を待っていたように佐々木はそむけていた顔を戻し、ちょっと照れたように微笑む。
「わかってるさ。しかし涼宮さんにつまらない冗談を言うと死刑にされるぞ。それとも今は罰ゲームかな
? いずれにせよ物騒極まりないから、気をつけた方がいい」
「ああ」
俺は緩む口元を根性で抑えて眼で続きを促す。
「この用法でも『乙』という字を当てる。なかなか面白い」
まあな。
「もう一つの意味は、粋だとか気が利いたとか言う意味だ。落語でよく幇間、いわゆるたいこもちが旦那
に『よっ、旦那、おつでげすね』とかいうだろう。あれだよ」
SOS団にもそういうのがいるからよく分かる。
「そういえば谷崎潤一郎に「幇間」という佳作がある。また「細雪」にはこの近くのことも出てくるね」
「お前の古風な口調は谷崎由来か」
「別にそういうつもりはないが、谷崎の作品は好きだね。彼は我らの郷土を愛してくれた大作家というべ
きだ」
もうひとりは谷川某だとは言わないでくれよ。
「その件については意見の表明を留保し、後世の評価を待つとしよう。特に当事者たる我々には谷川を論
じる資格はないように思う」
くっくっくっ、と押し殺した笑い。意味がわからんが、まあいい。
「ときに、この表現でも当て字は『乙』だ。他にも、若いとか年少の異性という意味もあるらしい。乙女
とか乙姫とかいうのはここから来ているようだ。この意味でも漢字は『乙』なのだな」
感に堪えた風情であごに手をやる。
「そもそも、『乙』という字は古語でのみ用いられていて、現代の日本語では格別の意味を与えられてい
ないみたいなんだな。これも実に面白い。いや。僕が知らないだけかも知れないのだが。今度調べてみる
としよう」
分かったら教えてくれ。
「当て字としても使われているのは戦前の小説までではないかな。最近ではかたかなで表記されることも
多いようだし。もしかして、絶滅に瀕した字なのかも知れないね」
一人で悦に入っている佐々木を見ていると、ふっと妙な考えが浮かんだ。つまらんジョーク。
「佐々木」
「なにかな?」
「可愛いぞ」
「は?」
「好きだ」
「………絶交だ」
(完)
最終更新:2007年10月27日 10:31