22-723「アンダー・グラス・ラブソング」-2

4「桜、サクラ、小春日和」


 それから数日たったある日。桜が満開の季節。気温はほどほどに暖かく、油断をすれば睡魔にすぐに襲われてしまいそうな、気持ちのいい小春日和。その日はちょうど新入生への文化系クラブ紹介の日だった。
 例によって、ハルヒがそんなイベントをみすみすスルーするはずもなく、なぜか文芸部の紹介として俺たちも中庭にブースを構えていた。
 肝心の首謀者ハルヒはどこをうろついているのか、俺たちをほっといて、朝比奈さんも連れ出してどっかに行ってしまった。
 桜の花びらが春一番に吹かれていた。こんな日は部活紹介じゃなくて、花見でもしたほうがいいね。俺は椅子に浅く腰掛けて、真上の桜の樹を眺めていた。
「最近涼宮さんの様子はどうですか?」
 同じく、俺の隣の椅子に座った古泉が唐突に話を振ってきた。
「様子もへったくれも、見てのとおり元気いっぱいだ。こっちがうんざりするくらいにな」
「そうですか……」
 そして、古泉はため息をつくように黙り込んだ。
「なんか、お疲れのご様子だな。春眠暁を覚えずで、寝たりないのか?」
「寝たりない、のは事実ですね。ただ、それは春のせいでもなんでもなく、そう、深夜のアルバイトのせいですね」
 アルバイト?ちょうど1年前に古泉に連れて行かれたあの場所を思い出す。
「また、あのイカレ空間が発生しているっていうのか?」
「ええ、そのとおりです。」
 古泉は落ちてきた桜の花びらをつまんで、それを顔の前で眺めていた。
「ちょうど、彼女が中学生のころと同じくらいの発生頻度ですね。ここ最近閉鎖空間の発生が収まっていたせいでなまっていた身体には少々堪えますよ」
 そりゃ、またご苦労さん。まぁ、体を壊さない程度にがんばってくれ。
「それを踏まえたうえでもう一度お聞きします。涼宮さんの様子はどうですか?」
 古泉は手に持った桜の花びらをそっと地面に向かって離した。
「どうもこうも変わりなくだ」
 別に俺はハルヒの専門家というわけじゃない。あいつの微妙な様子の変化なんか気付けるか。それに俺の知る限りであいつの様子に変化なんてものは認められなかった。
「閉鎖空間発生の激増はちょうど今週の月曜日からです。なにかお心当たりは?」
「ない」
 月曜日っていったってなぁ……
 見つかるはずのない失くし物を探しに行かされたような気分で記憶をたどった俺は、すこし引っかかるものに気がついた。
「あっ」
「思い出されましたか?」
「お前、知っていて訊いていただろう」
「あなたに思い出していただかないと、話が進まないのでね」
 そして古泉は近くの桜の樹を見上げた。そこには見事に満開の桜があった。
「で、何が言いたい?」
「彼女のストレスの原因ですよ。実は今回の閉鎖空間は今までと違って、神人はいるにはいるのですが、それがまたおとなしい。こう、出てきても手持ち無沙汰で何をしていいかわからないように立ち尽くして、たまに思い出したように建物を小突くだけですね。自分がどうしていいかわからないように」
「どういう意味だよ」
「今までの単純なフラストレーションとは違う、別の精神的なストレスということです」
「そうかい。けど、なんで俺が中学時代の同級生と会っていただけであいつがストレスを感じなきゃならんのだ?」
 古泉はあきれ返るようにため息をつくと、やっとこちらのほうを向いた。
 なんか露骨にバカにされているようで、腹が立つ。
「本当におわかりでない?」
「わからん」
 珍獣を見るような目で人を見るな。
「わかりました。ならば、そうですね。簡単な例として、もしもあなたが僕や誰かから朝比奈さんが誰かあなたの知らない男の人と親しげに話をしていたと聞いたら、どう思います?」
 どう思うもくそも、
「よくわからんが、まぁ、あんましいい気分はしないな」
 朝比奈さんに親しげに話しかける顔のない男を想像する。なんとなく腹立たしい。
「ですよね。そして、その相手がまたハンサムな美男子で、しかもお互いの携帯電話を開いて番号交換をしていたとなれば」
 確かに不快感に追い討ちを掛ける事実だ。でも、朝比奈さんにだって俺の知らない男友達くらいはいるだろうよ。そんなんでいちいち不快感を露わにしていたらきりがない。
「でも、それはただの友達だ」
「ええ。朝比奈さんからそう言われたら納得するでしょうね。表面上は」
 何が言いたいんだ、お前は。
「頭で納得しても、漠然とした不安みたいなのは消えないんじゃないですか。話を聞いただけだから、相手がどんな顔をしてるのかもわからない。想像の中でその美男子はどんどん美化されていき、友達だと思っているのは朝比奈さんだけで、相手は実は……」
「もういい。そんなに想像力豊かじゃないんでね、俺は」
「じゃあ、あなたではなく想像力の豊かな方だったらそうなることもある、ということでいいですね」
「ハルヒが例の話で悶々としてる、ってか。馬鹿馬鹿しい」
「そうでもないですよ」
 古泉は俺のほうへ身を乗り出してきた。
 ええい、もう暑苦しい。
「ちょうどあなたが旧友と再会なされたまさにその翌日の、しかも朝一番に阪中さんは涼宮さんにその事をお話されています」
「それがどうしたっていうんだ」
 今更ながらに阪中を恨む気持ちが湧き上がってきた。
「阪中さんの目には、それは涼宮さんに一刻も早く伝えるべき緊急事態のように映ったのでしょう。そう考えると、必然的に彼女がどんな語り口で涼宮さんに話をしたのかも簡単に想像できます」
 だから、俺は想像力豊かなほうではないと言っているだろう。
「俺はあいつに友達と会っただけだと言った。それ以上どうしろっていうんだ」
「そうですね。いい方法がないわけではないのですが……」
 そうして古泉が何かをしゃべろうとした矢先
「キョンー、古泉くん!」
 ハルヒの奴が朝比奈さんを引き連れて戻ってきた。

「ちょっとあんたたちまじめに勧誘してるの?ちゃんとめぼしい逸材はゲットしないと!」
 あぁ、もううるさいな。こんな昼寝に最適の小春日和に、なんで古泉と暑苦しい話をしてお前の説教を聞かねばならんのだ。
 そう思いながら、俺はかったるさ全開でハルヒの方を向いた。
「って、お前。なんて格好してるんだ?」
 そして開口一番、出た言葉はそれだった。
 桜の花びら舞う中、春の日差しを浴びたハルヒのいでたちは、腰までスリットの入ったチャイナドレス。しかも、身体に密着するように、その均整の取れたボディラインを強調していた。
「なによ、目立っていいじゃないの」
 目立つ目立たないの問題じゃない。そんな扇情的な格好で校内を歩き回ることが問題なんだ。
 そう説教しようと立ち上がりかけて、そう言えばこいつって1年の最初にバニーガール姿でビラを配った前科があったよなと思い出し、俺の説得が無意味に終わるであろう徒労感にやるまえから襲われていた。
 でも仕方ない。俺以外にこいつを注意する人間はいないからな。
「そんな露出度の高い格好で歩き回るな。一応新入生の前なんだぞ」
 また、光の速さで新入生に俺もこいつのお仲間と認識されてしまうのだろうな。
「あたしなりにちゃんと気を使っているわよ。だからバニーじゃなくてチャイナにしたんじゃない」
 五十歩百歩ってことわざ知っているかい?
「とにもかくにも、それもそれで扇情的過ぎる。変な気を起こす奴がいたらどうするんだ?」
 それから、ハルヒはむくれて腰に手を当ててアヒルみたいに口を尖らせていたが、
「仕方ないわね。あんたが、そこまでお願いだからどーっしてもやめて欲しいって泣いて頼むなら、聞き入れてあげないこともないわよ」
 と、落ち着きなく右足のつま先で地面をほじくりながらのたもうた。
「いや別にそこまでは……」
 と言い終らないかのうちにハルヒの表情は一気に不機嫌マックスまで昇りつめ
「じゃあ、いちいち干渉してくんな!」
 と眉間にしわを寄せ、口を尖らせ、大声で叫ぶと、大股でどこへともなく歩き去った。
 後で古泉のため息が聞こえた。
「なんだよ、俺が悪いってのか?」
 古泉のほうを振り返って、俺はふてくされて問いかけた。
「今のはあなたが悪い」
 そこで、なぜか今の今まで置物のように椅子に座って本を読んでいた長門が、そうばっさりと断言した。
「そう、なのか?」
「そう」
 あっさりと肯定すると、また長門は物言わぬ人形と化し、本に目を落とした。



5「親友」


 例の古泉との会話の一件以来、俺はそれなりにハルヒを注意深く観察していたつもりだった。しかし、それでも俺にはあいつは普段どおりに振舞っているようにしか見えず、古泉が危惧しているような事態の片鱗を感じ取ることは出来なかった。
 あれからハルヒは佐々木のことを尋ねてくることはなかったし、俺も意識的にその話題は避けていた。ときおり阪中の視線を感じることがあったが、取り立てて気にせず、何事もなかったかのように振舞っていた。それが一番いい方法だと思っていた。そのまま、この一件が風化してしまえばいいと。しかし、その期待はまた意外な形で裏切られてしまった。

 土曜日、朝8時。妹にたたき起こされた俺は、軽くトーストを胃に押し込み出かける準備をしていた。用事はもちろんSOS団恒例行事の不思議探索。最近は、あちこちに電車に乗って遠出をする機会が多かったが、ハルヒの「原点に返って、もう一度あの駅前で!」発言によりその日は北口の駅に集合する段取りになっていた。
 玄関を開けると外は快晴。サイクリングにはいい天気だった。
 俺は自転車を引っ張り出し、それにまたがろうとした。ただ、なぜかその日だけは、視線が自転車の荷台で一瞬止まってしまった。そして、中学時代の光景が頭の中でフラッシュバックしていた。

 自転車を漕いで駅前の駐輪場に入ったのは集合時間ぎりぎりだった。駅前の駐輪場は休日の朝だっていうのに、自転車であふれかえっていた。当然、出口近くのグッドポジションは全て占有されており、俺はこの自転車のジャングルの奥地へと進まなければならなかった。
 少し寝坊ぎみだったかな、と反省しながら、駐輪場所を探して自転車を押して、空いているスペースを探していた。その時だった
「やぁ、キョン」
 人気のない駐輪場でいきなり後から声を掛けられた俺は慌てて振り向いた。
「……なんだ、佐々木か」
「なんだ、とは随分なご挨拶だね」
 皮肉っぽい笑みを浮かべながら、後ろで佐々木がショルダーバックを肩にかけて、自転車の脇に立っていた。
「また、変なところで会うな」
「そうだね。僕もキミとの邂逅は予想の範囲外だ」
 くっくっ、と佐々木は形容しがたい笑い声を上げた。
「今日もまた、お前は予備校か?」
「あぁ、そうだよ」
「でも、お前普段はこの駅は使っていないじゃないか?」
 4月の頭の佐々木との再会を思い出す。
「確かに、家からはこっちの駅のほうが少し遠いけれども、この駅には特急電車に停車するから学校がある期間はここで月極めの契約をして、駅まで自転車で通う方が便がいいのさ」
「なるほど、つまり自転車漕いでここまで来るほうが、バス代が浮くってことだな」
「その通りさ」
「でも、お前学校が始まってからも、向こうの駅を使って予備校に通っていなかったか?」
 俺はあの佐々木と携帯番号を交換した日を思い出していた。思えばあのときに阪中に目撃さえされなければ事態はややこしくならなかったのに。
「え、あぁ、えーと、それは、うん、その日は自転車がパンクしていたんだ」
 佐々木はなぜか少ししどろもどろになりながら、その理由を俺に告げた。
「そんなことより、キミはこの駅にいったい何の用向きだい?」
 佐々木のその問いかけに俺は当初の目的を思い出した。そして、今が時間ギリギリであることも。
「やべ。いや、ちょっと高校のツレと駅前で待ち合わせているんだが、そいつが時間にうるさい奴でな。こんなとこで立ち話をしていたら、時間ギリギリだ」

 佐々木は「じゃあ、急いだほうがいいね」と、自転車を自分の駐輪スペースにさっと押し込んだ。俺も慌てて空いているスペースを探し、そこに自転車を突っ込んだ。それから小走りに事務所で駐輪代150円を支払った。その間、佐々木はショルダーバックを抱えて、俺の後に付いていた。
「よし、じゃあ行くか」
「うん」
 佐々木は短く頷くと、先を歩く俺のちょうど半歩後ろで付いて来た。
「キミの言うツレというのは、この間話してくれた人たちかい?」
 あれ、俺は佐々木にハルヒたちの話をしたっけな?
「俺あいつらの話をお前にしたか?」
「うん、それは確かだ。僕の記憶にはキミが話してくれた破天荒な高校生活の話がしっかりと刻まれているよ」
「そうだったけか」
「うん、そうだよ」
 佐々木は俺の隣まで、足を速めて、柔らかい微笑みを浮かべながら俺を見つめた。
「確かに、今日会うのはそいつらだ。駅前で待っている、はず」
 そう思いながら喫茶店がまた俺のおごりになることを覚悟していた。
「キミの友達となれば、僕の友達も同然だ。ぜひそのご尊顔を拝ませていただきたいね」
 別に、ご尊顔なんていうほどの連中でもないと思うが、まぁ、顔を合わせたいならそれでかまわないだろう。というよりも、むしろ佐々木をハルヒにちゃんと紹介してやるほうが余計な誤解が解けていいかもしれないな。
「あぁ、かまわないぜ。一人お前と話が合いそうな奴もいるしな」
 古泉と佐々木は俺の人生でであった理屈っぽい奴のツートップだ。
「話が合いそう? それは涼宮さんのことかい?」
「いや、違う。古泉って奴だ」
 そう答えた後、俺は心に引っかかるものを感じていた。
 佐々木に涼宮って名前を言ったっけ?

「遅い!」
 案の定俺より先に到着していたハルヒの怒声に出迎えられた。
 ハルヒは腕を組んで仁王立ちで俺を見下ろしていた。
「あんたねえ、春だからってちょっと気が緩んでるんじゃない? あんたが遅れる分だけ、わたしたちの貴重な時間が浪費されてしまうのよ。もっと1分1秒を大切にしなさい。もっとも……」
 と、そこまで立て板に水で述べたところでハルヒの表情が得たいの知れない何かを発見してしまった南極観測隊みたいになった。
「それ、誰?」
 ハルヒの視線の先には俺にくっついてきた佐々木がいた。
「あぁ、こいつはこないだ偶然電車で会った俺の中学時代の……」
「親友」
 俺が紹介を待たずして佐々木自身が勝手に答えを出した。
「はっ?」
 ハルヒの奴がうまいのかまずいのか判別できない異国の料理を食べたみたいな表情をしていた。佐々木はにこやかにハルヒに会釈をすると
「といっても、中学時代の、それも3年のときだけだけれどもね。そのせいか、薄情なことに1年間も音沙汰なしだった。これはお互い様だけどね。でもね、1年ぶりの再会だったとしても、ほとんど挨拶抜きに会話を始められる知り合いというのは、充分親友に値すると思うんだよ。僕にとってはキョン、キミがそうなのさ」
 そうなのさ、って俺に言われてもだな。確かに、お前とつるむ回数や時間は中学3年のときは誰よりも多かったと思うが……
 なんとなく居心地が悪いのはなぜだ? 確かに、俺はハルヒの前で佐々木が俺との関係を友達と言ってくれることを期待して、連れてきたのは事実だ。そして、佐々木の解答もその条件を満たしているはずだ。何も問題はない。何も問題はないのだが、何も解決していない気がするのはなぜだ。
 と俺が目を白黒させているといつの間にか、佐々木は半歩前へ進み、ハルヒに向かって右手を差し出していた。握手を求めるように。
「佐々木です。あなたが涼宮さんですね。お名前はかねがね」
 ハルヒの瞳がちらりと俺のほうを向いた。俺はこぼれたジュースを慌てて拭き取るように、
「いや、普通に俺の高校生活の話をしただけだ。それだけだ」
 しかし、ここにおいてもなお、俺は自分が佐々木にハルヒの名前を言った記憶が思い出せないことが引っかかっていた。
 佐々木にハルヒの名前を言った覚えはないはずなんだが――
「この子があんたの中学時代の知り合いって人?」
 ハルヒが横目で俺に視線を送ってきた。同じように、佐々木も俺の顔へ視線を向けた。
 なぜだろうか。二人の視線を同時に受けて俺はなんとも言えない居心地の悪さを感じ、大して暑くもないのに額に汗を浮かべていた。
「あぁ、そうだ」
「ふぅん」
 素っ気無く、そう返すとハルヒは佐々木の右手を握り
「よろしく」
 と短く言った。
「自己紹介の必要はなさそうね」
 ハルヒは佐々木の瞳を見つめたまま、意図的な無表情でそう言った。
「そうですね」
 ハルヒと対照的に佐々木は顔中に微笑みを浮かべて、そう答えた。
「そちらの方々は?」
 佐々木はゆっくりと手を離すと、視線をハルヒの後に控えるお三方に向けた。
「あぁ、そっちのかわいいのがみくるちゃんで、あっちのセーラー服が有希。で、こっちが古泉くん」
 団員紹介は団長の仕事だと思ったのか、矢継ぎ早にハルヒは紹介を行った。
 こんな適当な紹介でいいのか、と思い、俺がもう一度ちゃんと全員を紹介しようかと思ったが、ハルヒの手前それは遠慮しておいた。
 朝比奈さんと長門と古泉は三者三様の様子でハルヒの紹介に応えていた。朝比奈さんはすこしおどおどしながら「は、はじめまして」、古泉は慇懃に佐々木に向かって礼をしてみせた。長門は相変わらずの無表情のまま、ただ立っていた。
「はじめまして」
 佐々木は三人の顔をそれぞれ面白そうに眺めながらそう挨拶した。
「涼宮さん、キョンのことをよろしく頼みます。どうせ彼は高校でもせっつかないと勉強や課外活動に力を入れたりしていないんでしょ? 彼のご母堂の堪忍袋の緒が切れる前になんとかしないと、中学時代同様、放課後に予備校通いを強いられることになるでしょうね。たぶん、この1学期、夏休みまでが限度ね」
「え、あ、うん」
 ハルヒは返答ともうめき声ともつかない反応をしていた。
 というか、佐々木よ、お前は俺の母親か姉か世話好きのヨメか? 言わなくてもいいような、余計なおせっかいを。
「なぁ、お前こんなところで時間潰していていいのか? 予備校へ行くんだろ?」
 どこかいたたまれなくなった俺は佐々木にそう声をかけた。
 佐々木はくるっと俺のほうへ振り向くと、しばし俺の表情を見つめ
「そうだね。もうそろそろ電車に乗らないと遅刻してしまうかもしれない」
 じゃあ、と俺がいいかけたとき
「あぁ、そうそう。キョン、この間のクラス会の件なのだが」
「ん、あぁ」
 また唐突に佐々木がクラス会の話を振ってきた。
「また、須藤から連絡があってね。彼はどうやらキミを北高担当の窓口にしたいみたいだったよ。なので、今度一度彼に連絡してあげてくれたまえ」
「今度須藤に連絡しろって言われてもな」
 俺を北高担当にしたいんだったら、なんで直接俺じゃなくてわざわざ佐々木に言うんだ?
「ひょっとしたら須藤が好きなのは岡本じゃなくて、お前なんじゃないのか?」
 俺は少し冗談めかして佐々木にそう言ってやった。
「それはないね」
 佐々木は笑うこともなく、無下にあっさりと否定した。
「僕は誰かに好かれるようなことを何もしてない。誰かに好意を振舞うこともだ。それは、キョン、キミが一番よくわかるだろう?」
「いや、わからんが」
「そうかい? なら、そういうことでいいよ」
 佐々木はどこか皮肉めいた笑みを浮かべながらこの話の流れをあっさりと切った。
「じゃあね」
 そして、ハルヒや朝比奈さんたちにに軽く会釈すると、俺たちの横を通り抜けて駅の改札口へと吸い込まれていった。
「あれがあんたの友達?」
 佐々木の後姿を目線で追ったままハルヒは、どうでもよさげにそう言い放った。
「あぁ。そうだが」
「ちょっと風変わりね」
 お前が人のことを言うかね?
「まぁ、いいわ。さっさと行きましょ。キョン、今日はあんたの奢りなんだからね」
 そしてハルヒは他の3人にも、声を掛けいつもの喫茶店へ向かうこととなった。
 心の奥底で引っかかるものを感じつつも、それを取り立てて俺は気に留めはしなかった。暖かい水とつめたい水がちょうどぶつかる狭間のような妙な違和感はあったけれども、別に気に留めるほどのことでもない、そう思っていた。



6「ネガティブ・ガール」


 俺はあれからも、たまに佐々木と顔を会わしていた。日曜日、なぜかあいつは言ったとおりに、いつも同じ普通電車の同じ場所に座り続けていた。しかし、そこでお互いに短く世間話をする以外には俺たちには接点らしい接点はなかった。結局、あの日以降佐々木から携帯に電話が掛かってくることはなかったし、俺自身も掛けることはなかった。ただ、たまに顔を会わすだけの旧友。俺たちはそれ以上でも、それ以下でもなかった。
 しかし、5月半ば、ちょうどゴールデンウィークの休みボケが直りかけた頃に、俺の頭を一発で目覚めさせる転機は突然に訪れた。

「ねぇ、キョン。こんなこと聞いてもいいかな?」
 昼休み、共に弁当を囲んでいた国木田が唐突にそう切り出した。
 俺は箸を休めて国木田の表情を伺った。相変わらずのなんとも考えの読みにくい柔和な笑みを浮かべていた。
「なんだ?」
「最近、佐々木さんと会った?」
 唐突に繰り出された予想外の質問に、右の頬の筋肉が硬直したのがわかった。そして、反射的にハルヒの方を振り返った。幸いなことに、あいつの姿は教室にはなかった。
 改めて国木田のほうを向きなおし、逆に聞き返した。
「なんで、また佐々木の話が出てくるんだ?」
「うん。この間、予備校の模試を受けに行ってね。そこで彼女の姿を見かけたんだ。離れていたから声は掛けなかったけど、あれは間違いなく彼女だったな」
「なんだ、なんだ。その佐々木ってのはキョンが中学時代よろしくやっていた女か?」
 もう一人弁当を囲んできた谷口が口を挟んできた。身を乗り出して、噂話に食いつく近所のおばちゃんみたいな目で国木田に詰め寄った。
「そんなんじゃない」
 俺は国木田が何か言う前に否定した。
「なんだよ、面白くねーな」
 谷口はいかにもつまらなさそうに天を仰ぐと、すぐに気を取り直し、
「で、そいつはかわいいのか? なぁ?」
 厄介なやつにしょうもない話を聞かれた、そう思って俺は谷口に聞こえるようにわざとらしく大きなため息をついてやった。しかし、谷口はそんなことは全く意に介さず、なおも国木田に詰め寄った。
「可愛らしい娘だよ。ただ、ちょっと変わっていたな。うん、かなり変わっていた」
 その変わっていた、という一言が出た瞬間に谷口から露骨に興味の色が引いていくのが見えた。
「なんだよ。もう、俺は変な女はこりごりだっての」
 お前の意見なんて知らん。というか、そこまで露骨に態度を変えるんじゃない。
「涼宮といい、そいつといい、つくづくお前って変わった女と縁があるんだな」
 谷口は椅子の上で大きく背を逸らすと、あきれ返るように俺にそう言った。
 まぁ、事実である以上否定はしないがな。
「それはそうと、佐々木がどうかしたのか?」
「いや、最近彼女と連絡を取ったりしてるのかと思ってさ。キミは彼女と仲がよかったからね」
 ここ最近、俺の身の回りで佐々木の話題が非常に多い。春の佐々木祭りでも開催されているのか。
「たまに電車で顔を会わす、それくらいだ」
「彼女何か言っていなかった? 学校のこととか」
 国木田の物言いが少し引っかかったが、俺は特に気には留めなかった。
「勉強が大変でついていくのがやっとだ、みたいなことは言っていたな」
 谷口が「うへぇ、そりゃきついな」と舌を出してみせた。
「それだけかい?」
「それだけだが。他になんかあるのか?」
 国木田は箸で弁当箱の淵を2,3度叩いた後、しばし沈黙し
「こんなこと言っていいのかわからないんだけれども」
 そして、また一呼吸置いた。俺と谷口が怪訝そうな顔で国木田の顔を覗き込んでいた。
「彼女、いじめに遭っているらしいんだ」
「なっ」
 アホみたいに口を開けてそう言ったきり、俺はしばらく次の言葉が出てこなかった。
 国木田の言葉を何度も頭の中で咀嚼したが、なかなか飲み込めなかった。

 予想外の話の展開に谷口まで箸を止めて国木田をぽかーんと眺めていた。
「いったい、どういうことだ?」
 俺はやっとこさ声を絞り出した。自分でもはっきりとわかるくらいに心臓の鼓動が速くなっていた。
「僕の通っている予備校に彼女と同じ高校の人がいてね。この間、彼と出身中学の話をしたときに佐々木さんのことを聞いてみたんだ。僕の同級生がキミの高校に通っているよってね」
「そいつからの情報か?」
「うん。あそこはほとんど男子だろう? 彼女みたいに、意識的に変な部分を演じて自分を型に閉じ込めてたんじゃ息苦しいだろうな、って心配してたんだけどね」
 俺の記憶の中の佐々木の姿を再生していた。
 あいつは確かに積極的に人と親しくなろうとはしないタイプの人間だった。どっちかっていうとクラスでも目立たないポジションを好むタイプだ。でも、あの言葉遣いを除いては、あいつ自身は俺なんかよりもずっとまともな人間だ。誰かに嫌われるとも思えないし、誰かと対立するとも思えない。
「いじめっていってもそんなにきついものじゃないらしい。どっちかというと、孤立と軽い嫌がらせっていうところかな。彼から話を聞く限りでは」
「なんで、そんなことになったんだ? 俺には信じられないんだが」
 国木田は少し話しづらそうに唇を歪めた。しかし、すぐに気を取り直し
「くだらない理由だよ。彼女は可愛らしい容姿をしているだろう? だから、1年生のときからそれはそれは告白を受けたらしい。でも、彼女自身はそれを全てことごとく断ってきたんだってさ」
「涼宮の逆バージョンだな」
 谷口が短く相槌を入れた。
「で?」
 俺はそれを無視して、話の続きを求めた。
「それでね、えーっと、彼女のいる学年の女の子のボスみたいな子が好きな男子からも告白されちゃったんだってさ。で、それをまたあっさり断ったと。で、どうやらそれがその子の逆鱗に触れてしまったらしくて、学年の女の子から無視されるようになったんだって」
「逆恨みもいいとこじゃねえか」
「女の色恋沙汰なんてそんなもんだって。醜いねえ」
 わかっているのか、わかっていないのか谷口が箸を開いたり閉じたりしながら、知ったかぶりの相槌を打った。
「で、結局男子からも敬遠され、女子からは無視され、彼女は学校で孤立してしまったらしいよ。あと、女子からはたまに物を隠されたりとかの嫌がらせを受けているらしい。進学校だから、こう激しいいじめっていのはないけど、陰湿だね」
 佐々木がいじめ? 孤立? 嫌がらせ?
 俺の頭の中でキーワードが回っていた。
 なぜ、なんで?
 最近、会ったときの佐々木の顔を必死に思い出そうとしていた。何かおかしなところはなかったか?
「それも涼宮と一緒だな。もっともあいつは孤立はしていたけど、嫌がらせはされちゃいなかったけどな。おっかねえから」
 谷口の奴がどうでもよさげに弁当をつついていた。その投げっぱなしの無責任っぷりに俺は谷口を睨んだ。
「なんだよ」
 谷口が不機嫌そうに俺を睨み返した。
「まぁまぁ」
 国木田がなんとも形容しがたい笑みを浮かべて間に入った。国木田は俺と谷口を両手で制しつつ
「僕が昼飯時にそんな話をしたのが悪かったんだ。ごめん」
と謝った。
「世の中、お前みたいにほいほい変わった人間を受け入れられるほどキャパシティの広い人間なんてのはそうそういないんだよ」
 少し大げさに谷口は両手を挙げた。そして、俺のむっとした顔に一瞥をくれると
「そんなに気になるなら、いっぺんデートでもして遊んでやれ。こんなところで俺を睨みつけているよりよっぽどマシだぜ?」
 谷口の奴は両手を頭の後で組んで校庭のほうを眺めながら、変な提案をした。
「――」
 何か言い返してやろうとした瞬間、後の席に人の座る気配がした。
 涼宮ハルヒが戻ってきていた。
 ハルヒの前でこの話は出来ない、なぜかそう思った俺はそれ以上その話題には触れず、ただひたすらに弁当の咀嚼に励むことにした。

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最終更新:2008年01月29日 09:17
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