22-723「アンダー・グラス・ラブソング」-1

1「小さな背中」


 無機質な灯りが目の前を流れていく。雨に洗われたコンクリートの塊は、より暗く沈んで見えた。遠くに見える山々の暗闇にいつでも押しつぶされそうなこの町。そんな町の中を、命に無関心な静脈のように夜の電車は流れていく。俺はひたすらに意識をドアの窓ガラスの奥底に映る暗闇に向けようとしていた。
 それでも、車内の無機質な蛍光灯の灯りは窓ガラスに反射する。反射した光の鏡像は、その窓から見える景色にユーレイみたいに重なった。俺はユーレイたちから逃れるように、必死に窓の外の景色に集中しようとする。それでも、時折、ふと油断した瞬間に窓に映った自分の影と目が合ってしまう。そこではくたびれた目が、救いを求めるように鈍く光っていた。
 自分の影から俺は目を逸らす。そして逃げるように視線を車内に向ける。夕方の地方私鉄の普通列車は通勤ラッシュとは無縁で、ところどころに抹茶色の座席が見える。その隙間に俺はあいつの影が見えた気がした。揺れる車内の規則的な音。その中で俺は思い出す。あの小さな背中を見つけ出した、あの時を。

 4月のあたま。春休み最後の日、そして俺の高校1年生最後の日。SOS団、ひいては涼宮ハルヒなどという奇天烈極まりないモノと関わってしまったために、俺の高校1年はとんでもないものとなってしまっていた。偉大なる涼宮団長による無軌道無秩序な事件の数々。そして、気がつけばそんなものに慣れてしまっていた俺。おそらく、一生のうちで一番印象的な1年を挙げろと言われたら、迷わずこの1年を挙げるだろう。
 その日、市内不思議探索の名の下ありがたい団活を終えて俺は帰路に着いていた。遅刻の罰金と称して、失われた俺の財布の重みを嘆きつつ、その日あった出来事を思い出しながら駅のホームで電車を待っていた。いかにも地方私鉄といわんばかりにほどほどの人手で賑わう夕方のプラットホーム。他の連中は先に来た特急電車に乗って帰った。目的の駅に普通列車しか停まらない俺は、彼らを見送った後、こうして次に電車を待っているわけである。そうしているうちに普通列車が滑り込むように到着した。あいつらと同じく、大半の人は特急に乗るので、俺の乗る普通列車は割合空いている。目の前のドアが開くと同時に中へ乗り込んだ俺は、車内を見渡して座れそうな座席を探していた。そして、その片隅に見覚えのある小さな影を見つけた。
 その人物は座席の端に静かに腰掛け、膝にショルダーバッグを載せ小さな文庫本を開いていた。本を読むために丸まった背中は、ただでさえあまり大きくないあいつの身体を寄りいっそう小さく見せた。白いブラウスにタータンチェックのスカート。身体の中央で真っ直ぐに閉じられた脚、そしてその膝の真ん中で開かれている文庫本があいつの几帳面さをよく表していた。文庫本に目を落としているため、表情は確認出来なかったが、俺がこいつの顔を見間違えるはずもなかった。たとえそれがおよそ1年ぶりの再会だとしても。
「よお」
 あいつの座席の前のつり革につかまって、短く声を掛けた。あいつ自身は声を掛けられたのが自分だと一瞬わからなかったようで、少し間を置いてから不思議そうに視線を上に向けた。
「あっ」
 小さく口を開いて、短く声を上げた。ただでさえよく目立つ大きな目を見開いて、自分の目の前にいる人物の姿に驚いているようだった。
「久しぶりだな、佐々木」
 俺はそう言って笑いかけた。目の前の中学時代の知り合いが、その表情を驚愕から微笑みに変えるのにそう時間はかからなかった。

「久しぶりだね」
 笑いながらそう俺に挨拶すると、佐々木は文庫本を閉じてそっとそれを鞄の中にしまった。
「あぁ、えーっとそうだな……」
「1年と2ヶ月ぶりだよ、キョン」
「相変わらず細かいな」
 俺が小さく簡単の声を上げると、佐々木は喉の奥でくっくっと笑い声を上げた。
「それは褒め言葉なのかい?」
「けなしているつもりはないんだけどな」
 なら構わないが、と佐々木は悪戯っぽく唇を歪めた。
「休日の夕方に地方私鉄の普通電車とは、変わったところで会ってしまったね。キミはなんの用向きでこの電車に乗っているんだい?」
「あぁ、ちょっとツレと遊びに行って、ってところかな。そういうお前は?」
 電車が揺れた。俺は体勢を少し佐々木のほうへ前のめりにし、ちょうど佐々木を見下ろすような体勢になった。佐々木はよく輝く瞳を真上に向けて、俺の顔を見ていた。
「僕かい? 僕は見てのとおりだよ」
 そう言うと、佐々木は自分の鞄をあさり、そこからA4サイズの本を取り出して、俺に見せた。
「予備校、か」
「そう。まったく、うんざりするね。学校の勉強についていくために、休日も電車に乗って遠くの予備校へ通わなくてはならない。勉強のために勉強している気分だ」
「そういえば、おまえは有名な私立の進学校へ進学したんだったな」
「キミが僕のプロフィールを忘却していなくて嬉しいよ。それと、僕の顔を見てちゃんと声を掛けてきてくれたこともね」
 俺たちの乗っている電車は最初の駅に止まった。俺と佐々木の降りる駅まではあと3駅ほどだ。車内に少しずつ人が増えていく。
「やっぱ、休日のこの時間は普通電車とはいえ結構混むな。お前はいつもこの時間の電車に乗って予備校に通っているのか?」
「そうだね。大体は」
「大変だな」
 佐々木は苦笑いを浮かべながら、ろくなもんじゃないよと両手を軽く挙げた。
「そういうキミ自身は愉快な高校生活をつつがなく満喫できているのかい?」
 その佐々木の問いかけに一瞬俺は考え込んだ。楽しい高校生活?
「楽しいかどうかはわからんが、退屈はしていないな」
「それはなにより」
 佐々木は満足げにやわらかく唇を結んだ。一年ぶりに会った中学時代の同級生が少し大人びて見えた。化粧っ気のなさが逆に佐々木の整った顔立ちを際立たせていた。
「そういうお前はどうなんだ?」
 照れ隠しをするように俺は佐々木に質問を返した。
「え? あぁ、そうだね。まぁ、つつがない毎日を送っているよ。」
 一瞬の沈黙の後、佐々木は目を逸らすように答えた。
 思えばそのときのこいつの微妙な表情の変化に、その目の奥の感情に気付くことができていたら、また違う結果と俺は出会っていたのかもしれない。もっとも、そのときの俺にはそんなことは知るはずもなかった。

 それから俺は佐々木と他愛もない世間話をしていた。俺の高校での体験、他の学校へ移ったクラスメイトのこと。目を輝かせて会話に集中する佐々木の姿に中学時代を思い出していた。あの頃もよくこうやって他愛もない話ばかりをしていた。
 突然にブレーキで身体が揺られる感覚。話に夢中になっているうちに降りるべき駅に着いていた。ドアがゆっくりと開いた。
「佐々木、お前もこの駅だよな?」
「あぁ、もちろんだよ」
 佐々木は立ち上がってショルダーバックをその肩にかけた。
 さぁ行こうか、と佐々木は俺に目で語りかけてドアのほうへ先に歩き出した。
 立ち上がったあいつは少し背が伸びたように見えた。
「お前とこの駅前に来るのも久しぶりだな」
 改札口に切符を通して、俺たちは駅前に出た。目の前にはバスのロータリー。そして、その奥にはいかにも地方都市らしい商店街が見える。陽はもう随分と傾いていた。
「そうだね。共にあの予備校に通った中学3年生以来か」
 佐々木は遠くを眺めるようにあたりを見渡した。この辺りはあの頃と何も変わっていない。商店街のはずれにある寂れたケーキ屋も、予備校帰りに俺がよく漫画を買った本屋も、そして、佐々木を見送ったバス停のベンチも。
「全く、中学3年にタイムスリップしたみたいな気分だ。何も変わっちゃいない。こんな片田舎じゃ、駅前開発なんてのは縁のない話だな」
「そうかい?」
 佐々木は不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。さらさらと流れる前髪の間を縫って、夕日がその表情に差し込む。
「僕は何も変わっていなくて心底安心しているんだ。この街も、そしてキミもね」
 なんだよそりゃ、と言い返そうとしたが、佐々木はそのまま後で手を組んで身を翻した。タイミングを逃した俺は仕方なしに口を尖らすだけだった。
「僕はここからバスに乗って帰るよ」
 そして、佐々木はゆっくりとした足取りでバス停の方へ歩き出した。
「せっかくだから、バスが来るまで一緒に付き合ってやるよ」
 そう言うと、俺もその後について行った。せっかく久々に中学時代の知り合いと会えたんだ。もう少しくらい思い出話に花を咲かせてもいいだろう。
 と、思った矢先に間がいいのか悪いのか、佐々木の乗るバスがバス停へと入ってきた。
「あっ」
 俺は間抜けな声を上げた。
 そんな俺を佐々木は愉快そうに振り返った。そして、
「ねぇ、キョン。僕は毎週この日はあの電車に乗って予備校から帰ってくるんだ。だから、もしも今日みたいにあの電車に乗る機会があったらぜひ声を掛けてくれたまえ。僕はいつもあの電車の同じ場所に座っているから」
 そうそうあの電車に乗る機会があるとは思えないが、せっかくなので機会があったらそうすることにしよう。
「わかった。そんときゃまた話をしようぜ」
 うん、と佐々木は頷いた。その満面の笑みに、俺はこいつってこんな表情もするのかっと今更ながら感心していた。そして、なぜそこまで嬉しそうに笑うのかと不思議に思っていた。
「また会おう。じゃあね」
 佐々木は俺に軽く手を振ると、小走りでバスの乗車口に飛び乗った。俺も軽く手を振り返して、バスのドアが閉まるのを見届けた。
 携帯の番号でも教えてくれればいいのに、毎週乗る電車の時刻と座席を教えてくる辺りが実に佐々木らしい。そんなことを考えながら、俺は夕日に染まった帰り道を一人歩いていった。
 それが俺と佐々木の再会だった。


2「不器用な携帯電話」


 俺が佐々木と再び顔を会わすまでに今度は1年と2ヶ月もかからなかった。あの日からちょうど一週間後、例によって俺は市内不思議探索に駆りだされ、またあの日と同じくらいの時間に解放されることと相成っていた。
 さっさと帰っていく長門の背中を見送り、じゃあまたねと言ってこちらに微笑みながら去っていく朝比奈さんに軽く手を振った。
「では、僕もそろそろこのへんで失礼します」
「おう、じゃあな」
「たまにはあたしたちよりも先に来なさいよね」
 人を指差し、そう言い放って大股でのしのしと歩いていくハルヒの後姿が特急電車のドアに吸い込まれていくのを見届けて、俺は普通電車を待つ人々の列の最後尾に向かった。プラットホームの電光掲示板に表示された列車の運転案内を眺めているうちに、俺は先週の出来事を思い出した。
 俺は改札の時計で時間を確認した。この次の普通電車まで、あと20分か。
――僕はいつもあの電車の同じ場所に座っているから
 せっかくだ。電車の中一人で話し相手がいないのも寂しいしな。俺は普通列車を待つ列から離れると、なんともなしに空を見上げた。その日は見事な快晴で、風が涼しかった。

 相変わらずの週末のプラットホームの姿を眺めながら、電車を待っていた。確か、階段を降りてこの辺りの位置から乗り込んだんだよな。そんなことを思い返しているうちに電車が目の前に止まった。
 目の前のドアが開くのとほぼ同時に乗り込んだ。佐々木の姿を探すため辺りを見回そうとした矢先、
「やぁ、キョン」
 今度は佐々木の方から声を掛けられた。先週会ったときと同じように、ショルダーバックを膝に置いて、文庫本をその手に携えていた。ただし、あの時と違って文庫本は閉じられていた。
「よお」
 俺も短く挨拶を返した。佐々木は隣が空いているよ、とでも言うように自分の隣の空席を右手で軽く叩いた。
 俺はそのお言葉に甘えて、佐々木の隣に座った。俺の肩と佐々木の肩が少しだけ触れた。
「前回は1年と2ヶ月もブランクがあったのに、まさかこんなに早く再会することになるとは思わなかったよ」
 やわらかい皮肉の色を浮かべて、佐々木は隣に座る俺の顔を覗き込んできた。
「お前がこの電車で待っている、みたいなことを言うからだろ」
「そういえば、そうだったね。それは失敬」
 佐々木は身体を揺らしてくっくっと愉快そうな笑い声を上げた。
「じゃあ、キミはわざわざ僕に会うためにこの電車に乗ってくれたのかい?」
「20分ほど駅で時間を潰すはめになったけどな」
「それは嬉しいね」
 佐々木はその唇の端を弦月状に吊り上げた。佐々木の唇を見ていた自分に気付き、俺はなぜか目を逸らした。久々に出会ったせいかどうかはわからないが、佐々木には中学時代にはなかった年相応の高校生らしい色気を帯びているように感じた。
 その日も前と同じく世間話をして、電車内での時間を過ごした。俺たちはお互いの高校2年生になった感想、新しいクラス、そんなことを話していたように思う。
 一人で電車に乗っていると退屈な15分の時間も、人と話をしているとすぐに過ぎてしまう。あっという間に俺たちは降りるべき駅に着いていた。
 駅のプラットホームへ降り立ち、俺たちも人の流れに乗って改札口から駅の出口へと向かった。目の前にはバスターミナル。今日もこの間と同じように、ここから俺が佐々木を見送ってさよならだな、そう思っていた矢先のことだった。
「ねえ、キョン。携帯電話って持っているかい?」
 唐突に佐々木は丸い瞳を俺に向けて、そう問いかけた。
 俺だって一応ありふれた普通の高校2年生だ。自分の携帯電話ぐらい持っている。
「あぁ。なんだ? どっかに電話でもかけたいのか?」
 佐々木はあきれるようにため息をついた。
「違うよ。せっかくだからお互いの連絡先を交換しておこうかと思ったんだ」
「なんだ。そういうことか。なら、この間会ったときにでもそう言えばよかったのに。てっきり俺はお前のことだから、携帯を持っていないもんだと思っていたよ」
「お前のことだから、ってキミの中で僕はいったいどういう人間として認識されているのか大いに興味があるね」
 そう、聞きなれた悪態をつきながら、佐々木はショルダーバッグから携帯電話を取り出した。佐々木の奴は最新機種だな、と思いながら、俺も自分の携帯を取り出した。
「ほんじゃ、登録するから番号教えてくれ」
 そう声を掛けても佐々木から返事はなかなか帰ってこなかった。代わりに、難しい顔をして携帯電話を必死にいじくりまわしていた。
「どうしたんだ?」
「いや、その……ちょっと待って」
 などと空返事を返しながら、なおも必死に携帯をいじっていた。その真剣な表情が面白くて、俺は吹き出してしまった。
「なっ、ちょっと。ひどいな」
 佐々木は心持ち唇を尖らせて、俺を軽く非難するような視線を向けてきた。
「いや、なんかお前がそうやって必死になっている姿って見たことなかったから。お前、いったい何にそんなに苦戦してるんだ?」
「……自分の携帯番号ってどうやって表示するんだったかな?」
 小さな声で佐々木はぼそっとそう呟くように言った。
 普段の人一倍なんでもてきぱきこなしている姿しか見ていなかった俺は、そのギャップに思わず腹を抱えて笑い出しそうになるが、佐々木の視線を感じてそれはやめにしておいた。
「知らなかったな。お前が機械音痴だったなんて。貸してみろ。こういうのはたいてい……」
 そう言って佐々木から携帯を受け取ると、
「このボタンを押して、0って押すと、ほら」
 ディスプレイに表示された佐々木の電話番号を見せてやる。
「ありがとう」
 佐々木は恥ずかしげに携帯電話を受け取った。よっぽど恥ずかしかったのか、頬が少し赤くなっていた。
「じゃあ、これが僕の連絡先だ。登録しておいてくれたまえ」
 自分の携帯番号も表示できなかったのに、そうかしこまった言葉遣いをされてもな。俺は口元を押さえて笑いながら、ディスプレイに表示されている番号を打ち込んだ。
「よし、これでオーケー。佐々木、なんだったらお前の携帯への登録も俺がやってやろうか?」
 しかし、さすがの佐々木もそこまでやってもらうのはプライドが許さなかったらしく
「いや、いいよ。大丈夫。自分で出来る」
 そう言って、俺から自分の携帯を取り上げた。
 まぁ、人のプライバシーだから、俺が佐々木の携帯をいじくるのはよくないだろう。
「そうか。じゃあ、俺の携帯から着信入れるから、それを登録しといてくれ」
 佐々木の出来立てほやほやのアドレスを呼び出し、俺は電話をかけた。佐々木の携帯が短く振動した。

 佐々木と携帯番号を交換した日の夜、早速に俺の携帯に電話がかかってきた。
「もしもし」
 ディスプレイに表示された佐々木の名前を確認して通話ボタンを押した。
「やぁ、こんばんは。キョン」
「ちゃんと電話帳から電話は掛けられるみたいだな」
「……失礼だな。ちょっと携帯の使い方がわからなかったくらいで、そこまでからかわないでくれ」
「悪い、悪い。んで、どうした? なんか用事か?」
「うん、そうだね。キミに伝えておかなくてはならない用事ができてしまってね」
「ほう、それはなんだ?」
「中学校の同窓会さ」
 佐々木にそういわれて、俺は頭の中で中学時代のクラスの様子を思い浮かべていた。結構仲良くしていたのに、卒業以来音沙汰なしって奴がいるな。
「んで?」
「この間須藤から電話があってね。中学校3年時のクラス一同でクラス会をしたがっていた。彼は直接的には言わなかったが、どうやら当時のクラスの女子に未練たらたらの恋心を抱いているようだったね。僕が推察するに、それは岡本さんではないかな。っと、話が逸れてしまったね。それで、クラス会をこの夏にでもどうか、と須藤に質問されてね。僕はいいんじゃないか、と答えておいた。正直、僕にとってはどうでもいいのだけれど、キミはどうだろうと思ってね」
「今年の夏か? いいんじゃないか。参加メンバーの中にはぜひ俺の名前も入れておいてくれ」
「そうは言われても、僕が幹事というわけではないのだがね」
「じゃあ、なんで俺に電話を掛けてきたんだ?」
「須藤に知り合いに軽く声を掛けてみてくれないかと頼まれたのでね。その裏に彼の私的な目的がありそうな気配がするとはいえ、無下に断る理由もなかったしね」
 須藤、岡本……いまいち顔がはっきり思い出せない。
「なぁ、岡本ってどんなやつだったっけ?」
「忘れてしまったのかい?ほら、癖っ毛の可愛らしい体操部の」
「悪い、思い出せん。たぶん顔を見れば思い出せると思うのだが」
「全く、キミは冷たい人間だね。一年間同じ教室で過ごしたんだ。クラスメイトの顔を覚えるくらいの記憶の容量は取っておいてくれたまえ」
「冷たい、じゃなくて忘れっぽい、と言ってくれ」
「ならばそういうことにしておこう。そう思うと、そんな忘れっぽいキミがよく僕の顔を覚えていてくれたものだと感心するよ」
「何を言っていやがる。俺にとってお前は忘れようとしてもなかなか忘れられるもんじゃないさ」
 何だかんだ言って、中学3年の頃はこいつと一番よくつるんでいたしな。
 そして、ほんの少しの沈黙があった後、
「そう言ってもらえると嬉しいね。とりあえず、また何か進展があったら連絡させてもらうよ。じゃあ、おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
 そうして、その日の俺と佐々木の会話は終わった。



3「月曜日のうわさ話」


 物事のきっかけっていうのはいつだってある日突然だ。その日も、それは突然に訪れた。
 月曜日。ちょうど佐々木の奴と携帯番号を交換した翌日。俺はいつも通りに坂道ハイキングコースを登り学校へと登校した。
「うぃーす」
 クラスメイトたちと軽く挨拶を交わして、ざわつく教室の中、自分の席に向かった。クラス替えがあったとはいえ、1年生のときからほとんどクラスのメンバーは変わっておらず、新しいクラスに慣れるとかそんな心配とは無縁だった。
 教室の中の俺の机に鞄を置いて、席に着いた。1年のころからの俺の指定席、ハルヒの前の席だ。なんでかはよくわからないが、俺はこうやってことあるごとに後からハルヒにシャーペンの先で突かれる運命にあるらしい。その日の朝も同じように俺は背中を突かれた。
「なんだよ」
 朝の挨拶にシャーペンで背中を突く文化は世界のどこの地域を探したってないぜ。
「ねえ、ちょっと、キョン」
 ハルヒの奴は口を尖らせて機嫌悪そうに俺に声を掛けてきた。ブルーマンデー。お前も月曜日は憂鬱なのかい。
「なんだ?」
「ちょっと聞きたいんだけど、あんた昨日あたしたちと別れた後で誰かと会ってた?」
 いきなり朝から叩きつけられた予想外の質問に、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「なに変な声だしてるのよ」
「いや、っていうか、なんでそんなことを訊くんだ?」
「ちょっと小耳に挟んだのよ」
「いったい誰から?」
「阪中さんから、昨日あんたがバス停の前で誰かと一緒にいるのを見たって」
 阪中に見られていたのか、ってそんなことはどうでもいい。しかしまた、なんでわざわざ阪中はそれをよりによってハルヒに報告するかね。
 俺はいつぞやかに朝比奈さんの逢瀬をハルヒに詰問された状況を思い出し、軽くため息をついた。
「帰りの電車で中学時代のツレと出会ったんだ。んで、少し昔話に花を咲かせていただけだ」
 ふぅーん、とハルヒはわざとらしく鼻を鳴らせてみせた。
 お前、明らかになんか納得していないな。
「でも、その同級生って女の子だったらしいじゃない」
「あぁ、そうだけれども」
 佐々木のあの言葉遣いを知っていればアレだが、端から見れば普通の女子高生だからな。
「しかも、かなりかわいい娘だったって」
「まぁ、客観的に見れば顔立ちは整っているからな」
 確かに佐々木が美少女に入らないというのなら、この日本全国から美少女というものは絶滅危惧種に指定されるべきだね。
「仲良かったの?」
「中学3年の最後の1年間だけの付き合いだが、まぁ話は合う奴だったな」
「なんか楽しそうにお互いの携帯をいじっていたらしいじゃない」
 そこまで見ていたのか、阪中。というか、そこまで細かくハルヒに報告しなくてもいいだろう。
 窓の方へ顔を向けながら、なにやらしつこくハルヒは食い下がって来た。
「せっかくだからお互いの連絡先を交換したんだよ。なんでも、近いうちにクラス会があるとかでな」
「ふぅーん。まっ、あたしには関係ないけど」
 相変わらず不機嫌そうにハルヒは息を吐いた。
 関係ないって言うなら、そんなに突っ込んでくるな。しかもよく考えてみれば、なんで俺が中学時代の同級生とあっていたことに後ろめたさを感じなければならないのだ。俺が旧友と親交を暖めていようと、それをお前にとやかく言われる筋合いはない。
 そう言い返してやろうと口を開きかけたとき、ちょうど担任の岡部が教室に入ってきた。俺は反論する機会を逸してしまった。

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最終更新:2008年01月29日 09:16
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