佐々木さんの、願いは夢の中で、の巻 その2
僕の夢見る閉鎖空間の街中を、キョンと手をつないで歩く。
正確には、僕が夢見ているキョンなのだろうけど、それでも胸が弾む。
「だから初詣とかじゃなくて、この世界から脱出する方法をだな……」
まったく、本人みたいにつれないことばかり言うのだから困ったものだ。
そういえば、せっかく初詣に行くのだから、今着てるような普段着ではなく、
晴れ着にでも着替えてみたいものだね。
夢の中なんだから、そのあたり自由にならないものだろうか。
そう思った途端、僕の周りを茜色に色づいた霧のようなものが包み込んだ。
何だろう。どこか懐かしいような、安心するような、不思議な気持ちがする。
キョンに抱きしめられてたら、こんな気持ちになるものかな。
「うわ、佐々木、急にどうした!」
キョンが大声を出して飛びのく。大丈夫だよ。夢というのは、何でもありなのだから。
霧が夕映えを映したような強い輝きを一瞬放ち、次の瞬間には消えうせる。
見下ろせば、僕の服装は、先ほどの輝きを映したような鮮やかな茜色の振袖姿に変わっていた。
「もう本気で何でもありだな佐々木」
夢の中だもの、これくらいいいじゃないか。ついでにポニーテールにした方がよかったかい?
よせやい、と横を向いたキョンの頬に、16%から58%ぐらいの割合で「本気とかいてマジ」な
成分が漂っていたのは、彼には黙っておいてあげよう。しかし我ながら芸が細かいものだね。
再びキョンの手をとって、セピア色の街を歩き出す。僕ら以外は誰もいない、
静けさに満ちた街並みを。
もし君が現れてくれなかったら、とても寂しい気持ちになるのではないかな、ここは。
「ここがお前の閉鎖空間だとして、一体何を映し出してるんだろうな」
さあ、何なのだろうね。
ただ今は、この風景すら、どこかしら明るく、暖かい色合いに見えるのは、主観の問題だろうかね。
「るる♪ らら♪」
晴れ着姿で口ずさむ。昔どこかで聞いた。歌詞も何もない、素朴な、でも美しい旋律。
僕は、誰かのように空を切り裂くように高く響く声ではないから、普段あまり歌など口ずさまない。
議論するには聞きやすくていい声と言われたことはあるけれど、歌むきとは僕自身思わない。それでも。
「珍しいな、お前がそんな風にはしゃぐのって」
いいじゃないか、ここは夢の世界で、見ているのは君だけなんだから。
人ひとりいない神社で初詣というのも違和感があるけれど、しきたり通りに
二人でお手水を用いてから参拝する。
実際に懐が痛むわけでもないので、キョンの分と会わせて漱石先生を
一枚お賽銭箱にいれて手を合わせた。
「佐々木、頼むから正直に言ってくれ。何をお願いしたんだ?」
キョンが、何故かどこかおびえたように、或いは覚悟を決めたようにたずねる。
そんな重大なことかね?
まあ、家内安全、無病息災、それと君の平穏な一年をお祈りしておいたよ。
「堅実な願いで助かるよ。エキサイティングな世界とか願われたらどうしようかと思った。
しかし、俺の平穏な一年ってのは何なんだ?」
うん、まあ、これは利己的な願いかな。
君が非日常な事態に忙殺されず、平穏に日々を過ごして、それが結果的に
僕と一緒に平穏に居られる時間が増えることであれば、幸せだなあ、なんて……。
あんまり赤面しないでくれたまえ、キョン。こっちまで言っていて恥ずかしくなるじゃないか。
「なあ、佐々木。お前は自分の望む通りに世界を改変したい、なんて思ったことはないのか」
玉砂利をざくざくと踏みながら、キョンがさりげなく、いやそれを装って尋ねてくる。
本当に芸が細かいね。いやいや、こっちの話。
僕の思うままの世界か。確かにままならない事態に直面すれば、誰しもそう思うんじゃないかな。
「おう……ってうわ!」
無造作に手を離すものだから、勢いよくしなった枝が、キョンの目の近くを掠めた。大丈夫かい?
「ちょっとびっくりしたぜ、はは」
笑っている場合かね。眼球を傷つけたらことだよ。ほら、掠めた頬のところが切れてしまっている。
「や、別にこれくらい大したもんじゃないって」
そうもいかないよ。雑菌が入るとよくないし、新年早々縁起が悪いだろうに。
……。
夢の中で絆創膏を願えば、もしかして叶ったのかもしれないけれど、僕のために怪我をしたのだから、
これくらいは、ね。
「うわちょっと佐々木、顔近い」
思い切ってキョンの頬に顔を寄せ、傷口を舌でそっと舐める。
ちょっとざらっとした感触。そして鉄錆の臭いが口腔に充ちる。
キョンの血の味。
「……さ、佐々木」
「……キョン」
何故だろう。中学3年の頃は決して超えることなどあるまいなと思っていた距離の壁が、
あの人たちとともに居る君を見たときからは、決して超えられまいとどこかで諦めていた距離の壁が、
夢のなかではいとも容易く打ち破れた。
キョンの深い、全てをゆがみなく静かに反射する瞳に、僕が映っている。
僕の瞳にも、君の姿が映っているのかな、それは、どんな風に映っているのだろうね。
そんなことを思いながら、僕達の距離は零に
「うわ!」
最近とみに調子がおかしくなっていた目覚ましが、よりによって1月の2日だというのに、朝の6時に僕を叩き起こした。
あ、あと5分、あと5分寝かせておいてくれれば!
しかも、しかもだよ。通常どおり7時まで寝かせてくれれば、あの盛り上がった状態のまま、急いで家まで帰って15分。
あと45分あれば、夢の中とは言え保健体育の実践的なステップを
どこまで駆け上がれたのかと考えるとああああああ。
母が、早く雑煮を食べに降りてきなさいと部屋をノックするまで、僕は枕を抱えてのた打ち回っていた。
まあ、いい初夢だったと思おう。
来年もぜひ写真を枕元に入れてみるとしよう。それと目覚まし時計は3が日が終わったら即買い換えようと心に誓った。
数日後、目覚ましを買いに行って、何故か財布の中身が千円ちょっと少ない気味であることに気がついた。
年末年始でバタバタしたときに余計に何か買った記憶はないんだが。はて。
などと首をかしげながら歩いていると、キョンと遭遇した。
やあキョン。
今年に入って初の顔合わせだね。お年賀状ありがとう。今年もよろしく頼むよ。
?
ねえキョン、なんでそっぽを向いて視線を合わせてくれないのかね?
それと、やけに顔が赤いようだけど、風邪でもひいたかい。
……。
……あの、キョン。僕に見せないようにしてる側の方の頬に、絆創膏張っているのが見えたのだけれど。
……ねえ。
……あれは夢、なんだよ、ね?
おしまい