8-240「ハッピー・ウェディング」

 あれはたしか、金曜の夕方の事だった。
「なぁ、佐々木。今日、放課後空いてるか」
 キョンがそう言ってやって来た。特に差し迫った用事はない、キミの誘いなら喜んで応じるよ。
内心のノイズを押さえつけて、そう微笑した。
 キキキキキョンが、デデデデデデート、これってデートの誘いだよね、どうしよう。家に戻る
時間あるのかなぁ。やだなぁ、今日、髪のセットいまいちだし、でも断わるわけにはいかない
よぉ。もう、今世紀中はないかもしれないチャンスだし。
「そうか、実はな、俺の従兄弟がこっちに来ててな。うん、この間、結婚したんだわ」
 それはおめでたいね、ん、ということは親戚の集まりなのかい? 僕のような部外者が顔を
出していいものなのかな?
 まさか、ご親戚に私を紹介してくれる? ご両親を飛び越えて? 当然、私を連れて行けば、
親戚のおじさん、おばさんが黙ってはいないはずだ。キョン、わかってるのかな? 分かって
るんだよね? や~~ん、照れちゃうなぁ。

「ほぉ、こんな可愛らしい彼女を連れてくるなんて、キョンもやるもんだ」とか
「こんなお若いのに、もうご結婚決めているの?」とか
「こりゃ、良くできたお嬢さんだ、キョン、ちゃんとツバつけとけよ」
 とか言われちゃったりして~~。なぁ~~~んて、うふ、うふふふふふふふふ。

 ふは、やばい、ノイズに飲み込まれてしまった。む、キョンはまだ不審がってない、大丈夫。
ばれてない、ばれてない。
「それは問題ない。式と披露宴自体は、田舎でもう済ましているんだ。今日のは、こっちの
友人連中を集めた披露宴二次会part2みたいなパーティらしい」
 二次会part2なら、三次会ではないのか?
「まぁ実際に披露宴というわけじゃないからな。一次会がないわけだし、二次会自体も田舎で、
もうやってるわけだ。洒落っ気なんだろ、よくわからんが。とりあえずな、そのパーティに俺と
妹が呼ばれてたんだ。ところが妹のヤツが今日になって熱出しちゃってな」
 おや、それは可哀想に。で、僕は妹さんの代役という訳か。
「ま、そういうわけだ」
 なるほど、わかったよ、お兄ちゃん。いや、妹さんはキョンくんだったか。
「お兄ちゃんって、なんだよ」
 照れるなよ、妹役をやるのだろう、お兄ちゃん。
 うぅ、なんか特殊なプレイみたいだよお。お兄ちゃんっていうと、キョンが照れて、可愛い。
妹さん、キョンくんって呼んでたし、呼ばれ慣れてなくて、変な感じなんだね。
 う~~ん、キョンの可愛いポイント、一個発見だよお。
「違うわっ!! パーティ自体は立食式で、従兄弟の会社の人とか、お嫁さんの会社の人とかが
来る、オープンなものなんだよ。チケット制で、ご祝儀も基本的には取らないしな、まぁそんで
妹の分のチケットがあまったんだ、払い戻しなんかできねぇしさ、それでタダ飯を喰いにいか
ねぇかと、そういうことだ」
 パーティに行くとなると服を着替えないとな。
「ああ、学生は、制服で大丈夫って話だったから、学校帰りに、そのまんま行くつもりだった
んだ。こっから会場までの距離を考えても着替えるのはあんまり現実的じゃない」
 せめて昨日の夜にでも連絡をくれれば、できる範囲でちゃんと準備をしたものを。
まぁ、それは仕方がないか今朝までは妹さんと行くつもりだったんだものね。
「そういうことだ。で、どうする」
 ひとつだけ、確認しておきたい。キミはどうして僕を誘おうと思ったんだ。後学のためにも
教えていただきたい。
 いくよお、行くに決まってるじゃない。断るなんてそんなもったいないことっできないよお。
だけど、キョンは私をどう思っているの? それって重要だよお。
「いつも何かと世話になっているからな。お礼も兼ねてってとこだ。お袋がさ、誘えって、な」
 なんだい、キミのアイデアじゃないのかい。落胆してしまうね。でも、キミのお母さまから
の直じきのお誘いとあらば否やはない。喜んで、同道させてもらおう。
 キョンのお母さまからのご指名、ここれって、アレだよね、私とキョンのお付き合いを認め
てくれてるってことだよね。や~~ん、もうご両親公認、公認。
 さて、そんなわけで、僕らは街へと繰り出した。急行で20分ほど、一時間ほど開場まで余裕
があったので、ふたりで、街をぶらついた。
 駅ビルの百貨店で、新色のリップと簡単な花束を買い、最低限の身だしなみを整える。さて、
目当てのホテルは、このあたりでもなかなかの格式を誇るところで、距離的な関係で、僕や
キョンの家族が利用するような場所ではない。つまり、初めて入る場所である。入り口には、
ご結婚されたふたりの名前が大書された看板が掲げられていた。
 私とキョンもいつかは、こんな風にみんなに祝福されてふたりだけの門出を飾るんだあ。
 そんなノイズを流しっぱなしにしていたのでは、自然と頬も緩もうというものだ。
「ナニ、にやついてんだ、気色悪い」
 キョンに突っ込まれた。まさか、キミとのバラ色の未来を夢見ていた、などとは言えない。
 僕だって女性だからね。大勢の人間に祝福される幸せな結婚にまったく興味がないわけでは
ないのだよ。
「意外だな、そういうのは全否定だと思ってた」
 何を言っているんだ、キョン。僕は生殖本能を否定したりはしないさ、本能を否定するなんて
不可能だし、意味のないことだ。本能に恋だの愛だのといった虚飾を必要以上に付けたり、
それを必要以上に礼賛する風潮や風俗を僕が評価しないだけの話だ。もちろん、ご結婚された
キミの従兄弟殿を祝福するのは当然のことだし、祝福したいと思っているよ。
「はぁ、まぁそういうもんかね」
 そういうもんさ。
 私の前では、あなたはもっと本能に忠実でいいと思うのよ、キョン。でも、そんな朴念仁な
あなたも大好き、私の本能はあなたに刺激されっぱなし。だけど、私にだって、少しは理想
って物がある。本能とか、口では言っているけど、動物みたいに奪われたいわけじゃあない。
やっぱり、告白は男の子の方からじゃなきゃ、ダメ。こう見えても、自分が女として、そこそこ
魅力的であることには自信がある。私を手にいれようって言うんなら、私の意地悪くらい乗り
越えてくれなきゃ、ヤダ。ふぅ、キョンってば、本当に気がついてくれないんだもんなぁ。意地
悪なのはあなたのほうよ。ホントにイケナイ人ね。そんなわけで最近は、ポリシーをねじ曲げ
ようかと悩んでしまう私なのです。

 会場の入り口には本日の主役であるお二人が、僕らを迎えてくれた。新郎である、キョンの
従兄弟殿は、ミッドナイトブルーのタキシード。面立ちがちょっとキョンに似ている。血のつ
ながりを感じてしまう。新婦はパールホワイトのイブニングドレス、ベールを付ければ簡易の
ウェディングドレスといっても通りそうだ。手にはブーケを持っていた。たしか挙式は神前だと
キョンから聞いていたから、何か憧れか、余興にブーケトスでもするのだろう。

「なんだよ、キョン。こんなに可愛い彼女連れとはお前も隅におけないね」
 従兄弟さんは、そんな風にキョンをからかった。よし、計画通り。
「そんなんじゃないっすよ、妹が急に来れなくなっちゃったから、無理言って来て貰ったんです」
 ただ、誘われて女がこんなところについてくるなんて思うなよ、キョン。
「何を言ってるんだか、タダのお友達がこんな風に来るわけないっての、ねぇ」
 最後のは僕に対する言葉だったので、曖昧に微笑んで会釈した。むふふ、意味ありげに表情
を作るのは得意なのだ。持ってきた花束を新婦に渡す。
「ありがとうございます」
 新婦の人はそういって、ブーケと一緒に私の送った花も抱えてくれた。優しそうな人だ。
きっと、いい奥さんになるのだろう。
 新しいお客さんが来たので、新郎と新婦はそっちと話し始めている。
「まいったなぁ、ここでもお前とのことをからかわれるとはな」
 キョン、満更でもないって顔をしているね。
 期待しても、いいのかな? いいよね。期待しちゃうよ、私。
「いや、そのな、こんな時にどんな顔をすればいいのか、よくわからん」
 ネタかい? キョン。そうだね、笑うといいと思うよ。
「は?」
 いや、いいんだ、気にしないでくれたまえ。
 パーティは、お定まりの退屈な挨拶に幕を開け、滞りなく進行した。キョンはアレが旨かった、
コレは旨そうだと、ハチ鳥のように、テーブルを飛び回り、僕の所に料理を届けてくれたので、
退屈はしなかった。
 僕のいるテーブルから、キョンが旅立って、獲物を捕って戻ってくる。その一連の流れは
否応なく、原始的な狩猟社会を想起させた。そんな風に彼の動きを目で追っていたから、僕は
気がついてしまった。彼が、誰かを捜しているということに。
 最初は誰か親戚の人でも探しているのか、そう思った。だけど、彼が目を留めているのは、
新婦の友人と思しき20台前半の女性ばかりだ。
 もしかして、キョンは年上趣味なんだろうか、同級生以下は彼の恋愛対象になりえないのだ
ろうか? そんな風にも思った。かすかだけれど、僕は彼の瞳に恋愛感情を見たからだ。私が
彼の瞳の中に探している気持ち、それが現われていた。なんだろう、気分、悪いな……。
 ノイズを打ち消す。
 それが僕の気持ちに何の関係がある。僕は僕であり、僕でしかない、彼にとっての友人
佐々木、その役割を演じきらなければならない。僕はノイズに騙されてはいけないんだ。彼を
失いたくない、彼の友達でいたいんだ。それとも、不確実な、回答権が相手にしかない、そん
な問いかけを仕掛けて、この僕にだけ許されたポジションすらも破壊するつもりなのか。そん
な愚かな自分でいたいのか?
 さっきまで、美味しいと思っていた料理はどれも、砂の味しかしなかった。


 パーティは無事に終わり、僕らは帰途についた。帰りがけ、出口には、酔いで顔を真っ赤に
した新郎とそれを微笑みながら、支える新婦が会場を後にする招待客と挨拶を交わしていた。
彼はふたたび従兄弟殿に祝福を告げ、代わりに「あの子、美人だな、お前にはもったいないぜ、
離さないようにしな」と私が喜ぶようなことを言ってくれていた。だけど、もうノイズはいらない。
 騒ぐ私を僕は無視する。
 新婦が「ごめんなさいね、あの人酔っぱらっちゃって」と幸せそうな笑顔で告げてくれた。
ブーケを分解したのだろう、小さな花束が手渡される。
「お幸せに」
 心を込めて、そう告げた。すべての人の祝福があるように。こんな祈りに意味はない、けれ
ど願った、無私に。

「ねえ、誰を……捜していたの」
 帰り道、キョンにそう問いかけた。
「なんの……は、バレてたか?」
 苦笑して、彼は頭を掻いた。
「わりと。あの会場で、僕がキミ以外の誰に目を留めるというんだい」
 好きな人のことを見つめない女なんていない。私はあなたのことは誰よりも見ている。ねぇ、
あなたは誰を見つけたかったの? その人はあなたにとってどんな存在なの? ノイズと僕は
シンクロしていた。理性は彼のプライベートに踏み込むな、そうアラートを鳴らす。けれど、
そのささやきを僕は無視する。
「うん、このあいだな、行方不明になった親戚がいるんだよ、その人を、な。今日結婚した人
と仲が良かったからな、顔を出すかもしれない、そう思って」
 行方不明、なかなか衝撃的な告白だった。失敗した、こんな言葉が返ってくるなんて、理性
の警告を無視した罰か。だけど、私の唇は、別の言葉を紡ぐ。
「その人のこと、好きだったんだ……」
 私は何を言っている、ヤメロ、ヤメロ、それ以上、踏み込んではイケナイ。
「いや……ん~、どうだったんだろう、な。そうだったのかもしれないな」
 彼女のことを語る、彼は少し、嬉しそうだった。私のことを知らない人に説明する時も、
そんな顔をしてくれるのだろうか。
「すまない。配慮の足りない発言だった。謝罪するよ、キョン。気を悪くしないでくれ」
 理性がやっとアドバンテージを取り戻した、僕は僕のペルソナを取り戻す。
「無事だと、いいね、その人」
 キョンは、それ以上を告げる気がなかったのだろう。曖昧に頷いた。


 家まで、送ってもらった。
 ブーケは、ドライフラワーにしよう、これも彼との大事な記念品になるはずだ。
 その夜、僕は彼の夢を見た。
 今、振り返ってみれば、あれが私が私の力を認識した最初の夜だった。

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最終更新:2008年01月26日 20:11
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