安倍ちゃんが総理で良かったね
2016年5月27日に行われたバラク・オバマ米大統領の広島被爆地訪問について、2016年5月29日にTBS「サンデーモーニング」で張本勲氏が発言した言葉である。
発言
以下、作成者が動画を見て文字起こししたもの
○関口宏「ハリさん、あの、広島の出身でいらっしゃるから、あの…」
○張本勲「良かったねぇ~ホッとしましたよ。許しはしませんよ。朽ち果てるまで許すことはできないけどもね。やった方のトップが来てくれた。ホッとして。個人的にはね、安倍ちゃんが総理で良かったね。」
○関口宏「あぁ、そうですか。」
○張本勲「あぁ、この国を守ってくれるから……まぁ悪いけどね、私の個人の問題だから。並んで見ていてもね遜色ないもんね。」
○関口宏「そうですか。」
○張本勲「良かったと思いますよ。」
○張本勲「良かったねぇ~ホッとしましたよ。許しはしませんよ。朽ち果てるまで許すことはできないけどもね。やった方のトップが来てくれた。ホッとして。個人的にはね、安倍ちゃんが総理で良かったね。」
○関口宏「あぁ、そうですか。」
○張本勲「あぁ、この国を守ってくれるから……まぁ悪いけどね、私の個人の問題だから。並んで見ていてもね遜色ないもんね。」
○関口宏「そうですか。」
○張本勲「良かったと思いますよ。」
安倍友
画像

張本勲氏の被爆体験
以下wikipedia
1945年8月6日、5歳の夏、爆心地から約2kmの広島市段原新町(現在の南区段原)で被爆。比治山の影となっていた段原は直接の熱線が届かなかったが、爆風に見舞われ家は倒壊した。張本は赤い閃光を見た直後に意識を失い、意識が戻った後に記憶しているのは、張本をかばって覆いかぶさり、ガラスの破片で出血していた母の血の赤い色だった。その直後に避難場所で経験した人肉の焼ける強烈な臭い、叫声を上げながら猿猴川に飛び込み亡くなっていく人々、夜通し続く呻き声を、今でも忘れることはないという。学徒勤労動員で比治山の西側にいた、当時12歳だった長女の点子は、大火傷を負い数日後に死亡した。点子の最後を看取った張本によれば、担架で運ばれた点子は全身にやけどをしていた。「『熱いよう、熱いよう。』母の懐でうめく点子にブドウを一房もぎ、口元で搾ってあげた。『ありがとう。』消えそうな声が最期だった」と語っている。