『もうすぐここに
狭霧アヤメが来るわ』
「おいおい。今四班が追っているっていう化物がわざわざこっちに来るのかよ?」
『ええ、そうよ。これは確かな情報よ。速やかに逃げるか相対するために準備した方がいいわ』
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シルスクは一人、ビルのホールで壁に寄りかかりながら携帯電話の向こうへと話している。
対する相手の声は幼い少女特有の高い声音。しかしその声の持つ響きはむしろ大人びている。
そのちぐはぐな声の相手にシルスクは不審を憶える。
「……その話を信用するかどうかは置いとくが、あんた、何者だ?」
シルスクは不審を隠さず聞き返す。そう、電話越しの相手がだれか全くの不明。
そもそもこの携帯の番号を知っている自体がシルスクにとってイレギュラーなこと。
だが、シルスクの疑念に少女の声は笑って返す。
『ただのファンよ。それともこちらが受けている仕事の都合、ってほうがまだ信憑性あるかしら?』
「そうかい」
軽く肩を竦ませるシルスク。どうやら電話の相手はとぼけるのが旨いようだと判断する。
その様子が見えないはずの少女。だがその様子を察したのか声色が苦笑へと変わる。
『信じてなさそうね。ま、いいわ。私としてはどっちでも。
……そうね生きていたら今度会いましょうか? それじゃ、頑張りなさいな』
一方的に、その言葉を告げたのを最後に携帯が途切れる。
「どういうことだ。一体」
言葉ではそう愚痴りながら、シルスクは携帯をしまい素早く装備を確認。
いつでも抜けるように、念には念を入れておく。
もし本当に危険があるなら用意しないのはアホがすることだ。
現在、逃げるにしても準備が足りない。
今、このビルにはシルスク以外には一般の職員が何人かいるだけだ。
多くの戦闘員はそれぞれ現場に出動中であり、ほとんどいない状態だった。
戦闘員ではない以上流石において逃げるわけにも行かない。
そこまで思考し、シルスクは何人かに連絡を取ると、ホールの中心で待つことにした。
そして……
数分後――現れる。金髪の、人の皮を被った化物が。
ビルの入り口から堂々と、なんの遠慮の欠片もなく入ってくる女性。
その姿を眺めながら、シルスクは自然と重心を前へ、いつでもナイフを取り出せる位置に両腕を持っていく。
謎の少女からの電話内容が本当だったことに、心の中でため息を吐きながらも行動はすでに決まっている。
完全なる戦闘態勢。
対する女性――狭霧アヤメは笑みを浮かべて近づいてくる。
そこに殺意も敵意も感じられない。ただ、友人に会うかのような雰囲気で、話しかける。
「あら? わざわざお出迎え? せっかく忍びこんで脅かしてあげようと思ったのにねぇ 残念」
明るく話す女性に対し、シルスクは一切警戒を解かず、ただ時間稼ぎのために口を開く。
「とある筋から情報が入ったからな。こっちが追ってるのにわざわざやってくるなんてバカだな」
その言葉にアヤメは意外そうな顔をして口を手で抑え、笑う。
「あらあら、そうだったんですか。それだったらわざわざこちらから来なくても良かったですわね。
一度痛い目会わせちゃったから、もっと慎重になってしばらくは追ってこないと思ってましたのに」
その言葉にシルスクは若干の苛立ちを感じる。
明らかに
バフ課を脅威と見ていない言動。余りにも不遜な態度。
だが、それすらおくびにも出さず、シルスクは言葉を続ける。
「そーですか。それで、その追われてる化物が何しに来たのですかね」
「あなたと殺し合いしてみたくて」
滑らかに発せられた言葉。
予測外の理由、バフ課ではなくシルスク個人が対象という理解不能な状況にシルスクは首を捻る。
その意味を考えようとするが、それより前にアヤメが理由を話す。
「ほら、先日デパートで戦ってたの見てたのよ。それであなたに興味憶えてねぇ。
能力使わずに、あの改造された子供を殺せるんだから凄いなーっと思って。
いや、本当に感動したわ。空中浮いてる子供に飛べない体で空中戦してるんですもの。
見てるだけで楽しかったわねぇ」
「……子供?」
シルスクは疑問を浮かべる。確かにデパートでは戦闘をしている。それは確かだった。
しかし、先日戦ったのは空飛ぶタイプのキメラ。
その表現に子供と言う表現を使う理由がわからない。
「……いや、そういうことか」
「あら、今まで気付いてなかったの? でも、普通は気付かないわねぇ。あそこまで姿形が変わっちゃうとね。
あなたが殺した子、魂の形が人間の、多分中学生くらいの女の子だったわよ。
きっと改造ベースがその子供だったのよねぇ」
シルスクの納得の頷きに、アヤメは肯定の意思を示す。
最近、牧島の重要度が上がっていた。その理由がようやくはっきりした。
人間すら研究対象になり、被害が拡大している。
そしてその情報が伏せられていた理由も同時に理解する。
相手がただのキメラならば手を下しやすいが、元人間の、それも被害者としたら躊躇する奴がいるかもしれない。
そんな理由だろう。
……隊長格にまで伏せる必要などないだろうに。
シルスクはつらつら思いながら、次第にアヤメの手がナイフに近づいている事を確認する。
「それで、その準備はなにかな?」
シルスクはわかってる事をあえて言葉に乗せる。
その言葉はアヤメの表情を劇的に変えた。
アヤメは子供のような満面の笑みを浮かべる。
そして――
「それは始めに言ったわよ?」
アヤメの疾走が開始された。
――疾い
単純にシルスクは思い、手に持ったナイフを投擲する。
数は5本。
その意味は相手の実力を見るための小手調べ。
ナイフに対しアヤメは一切速度を落とさない。
速度を落とさないまま、両の腕の黒光りするナイフを二度振るう。
それだけで5本のナイフは全て弾き返され、また、叩き落とされる。
一気にシルスクへと肉薄。すでにナイフを振るえばどこにでも当たる距離。
――振るった
斬撃な二度。お互いが喉と、心臓を狙い、それゆえお互いの刃で弾きあう。
甲高い音が響き、火花が飛び散る。
アヤメは反動を利用し身を落とす。狙うはシルスク右膝。
しかし、すでにシルスクは次の動作を行っている。
――蹴撃
ナイフにある程度の意識を持っていたアヤメは予想外の一撃に対応しきれない。
身をよじるように体を捻るが、避けきれず右肩に直撃する。
音を出して後方に飛びのき、アヤメは一旦距離を取る。
表情は笑顔のまま声を出す。
「やっぱり、思った通り。楽しいわねぇ」
しかし、シルスクはその言葉に応じない。
あの空飛ぶキメラに相対するような余裕はない。
たった一合のやり取り。そのやり取りで狭霧アヤメを全力で潰す相手として設定した。
そうすれば、7:3で勝てる相手。そして始めの1勝を逃す相手でもない。
そう推定した。
今度はシルスクが肉薄する
アヤメの2度の斬撃に対し、シルスクは3度の斬撃を振るう。
当然アヤメは受けに回らざる得なくなる。
受けるアヤメは次第に防戦一方になる。
わずかな実力差ではあるが、確実に腕はシルスクの方が上だった。
さらに数合の斬り合い。ついにアヤメはわずかにのけぞり右腕に隙ができる。
その隙を見逃すほどシルスクは甘くない。
瞬間アヤメの右腕を斬り飛ばす。
アヤメは笑みの表情で一瞬、完全に硬直した。
――返しの一閃
その軌跡は正確にアヤメの喉を貫き、さらに胴に蹴りを加え距離を開ける。
「どうやら終わりのようだな」
シルスクはやっと言葉を発すると、投げナイフで正確に額を貫いた。
電撃が走ったかのようにアヤメの体は震えると、次の瞬間崩れ落ちる。
即死の一撃は完全にアヤメの命を狩っていた。
シルスクは無感動のままアヤメの躯を見下ろしている。
だが、心の中ではある疑念が渦巻いている。
違和感を感じる。アヤメは能力を使っていたのか? 使っていてこの程度なのか。
それとも使わず自殺のようにやってきたのか。
アヤメがこの程度だとすると、四班の元隊長が殺された理由が分からなくなる。
あの四班隊長は確かに甘い所があったが、それでもこの程度の相手に後れを取るとも思えない。
だが、それでも目の前のアヤメはすでに死んでおり、その手ごたえは確かだった。
理由不明の違和感を感じながら、アヤメの死体から視線を外さず連絡を取るため携帯電話を手に取った。
+ + +
もし、仮にこの場に幽霊を見ることができる能力者がいたならば、異様な光景がその目に移っていただろう。
そこには15人の魂がいた。
その魂は無数の細い糸を体から出ている。その糸はある女性の魂へとつながっている。
その女性は今、ここで死んでいる女性の魂だった。
目を閉じ、眠るように立っている姿。まるで操り人形のように不自然に立たされているようにも見える。
見ようによっては彼女が、周りの魂に操られているように見えるかもしれない姿。
そして、彼女の持つ魂の最大の異変、狭霧アヤメの魂の中心、すなわち心臓に位置する部分にぽっかりと穴が空いている。
なにもない空洞。それがよけいに彼女の魂を壊れた人形のように見せている。
その寒気がする光景に変化が起きる。
糸に繋がれた魂のうち、一人の糸が千切れていき、やがてその魂は解放された。
その魂はしばらく留まっていたが、やがてうっすらと薄くなり、やがて消えた。
眠った人形の目が開く。
――壊れた人形が壊れたまま、しかし再び動き出す。
+ + +
ぞっとする寒気。目の前の消えた死体という光景を理解するより早く、シルスクは自分の勘を信じて前へと飛び出した。
次の瞬間、背中に鋭い痛みを感じると共に、回避したとの思いが重なる。
そのまま2回転し、勢いを殺さず立ち上がる。
さっきまで自分の背にあった空間。
そこに死んだはずの狭霧アヤメが薄い笑みを浮かべ佇んでいた。
彼女は言葉を発さない。ただ、行動を開始する。
シルスクもまた言葉を出さない。アヤメの一撃を受け止める。
受け流すこともできない鋭い一撃。力比べのように押し合い、お互い息がかかる位まで肉薄する。
お互い、一瞬力を緩めた。
反対の手に持ったナイフを振るい、お互い弾く。
勢いのまま旋回、さらに速度と威力を増した白と黒の剣閃が合わさり、弾き合う。
「っふ」
短く息を吐き、シルスクは流れのまま今度は裏拳を放つ。
だがその拳を握るようにアヤメは受け止め、その反動すら利用し、
足を天の方向に伸ばしながらシルスクの頭上へと飛びあがる。
天井を蹴り、速度増したアヤメはさらに半回転し垂直に落下する。
喰らえばシルスクの脳天を砕くほどの一撃がくる。
重い衝撃の音が周囲に響く。
シルスクのナイフは両方とも根元から折れ、肩からは薄く血の線が描かれている。
一方のアヤメは、両肩に折れたナイフによる裂傷が描かれている。
だが、アヤメは心底楽しそうに無言の笑みを浮かべた。
――1:1
それがシルスクの出した今の勝率だった。
アヤメの本気だと悟る。
非常に危険な相手だと理解した。
どのような能力かはっきりとはしないが、少なくとも今、生きているだけの力があることは確かだった。
だが、シルスクはそれでも死ぬ気などない。
逃がしてくれるほどの甘い相手ではない以上、殺すしかない。
再び走りだし、一撃を加えあう。
――連撃
全ては流れが支配し、再び斬撃の舞踏が開始されようとしたとき。
しかし、それを止める音があった。
――銃声
その弾丸は正確にアヤメの肩を抉る。
衝撃で棒立ちになったアヤメに対し、攻撃を止めるほどシルスクにも余裕はない。
流れ止めず、正確に心臓へと突き刺した――
「……ちぇ、邪魔が入っちゃったか」
死にかけた体で、しかしアヤメは自然体のまま呟いた。
そのアヤメに対し、シルスクは無言で、最大限警戒を続ける。
「ま、いいか。楽しかったし。ありがとうね。今日は相手してくれて」
アヤメはシルスクの警戒をなんとも思ってないかのように無邪気に笑う。
「それじゃ、ね」
その言葉を最後にアヤメは死に、しばらく経った後、その死体は消えていた――
「
ラツィーム隊長。助かった。礼を言う」
「ふむ、吾輩に連絡したのは功に焦るお主にしてはよい判断であるの」
ラツィームの言葉に苛立ちを一瞬覚えるが、その感情は抑え込む。
実際、ここでラツィームが来なければ危険だったのは間違いないし、連絡をしたのもまた自分だった。
「しかし、あの狭霧アヤメとやら、まだ死んではいないよの」
「……ああ」
シルスクはしばらく考え込んだ後、肯定する。
「確かに、あれは化物と呼ぶしかないな……。あれを四班だけで追って大丈夫なものなのか?」
シルスクの疑問の呟きは、隣のラツィームにも聞こえぬほどの小さな言葉で――
――だれにも伝わることなく消えていった。
登場キャラクター
最終更新:2010年08月09日 19:22