武装紳士の日常 - (2012/04/06 (金) 23:59:03) の1つ前との変更点
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如何に海千山千の猛者(変態)揃いの武装紳士淑女であっても武装神姫から離れた日常と言うものはある。
黒野白太も例外ではなく彼から武装神姫を切り離せば関東地方の○県×市にある中学校に通う一中学年生だ。不登校でもなく授業は真面目に取り組んでおり成績は同学年で上の下、身体も障害や持病は無い良好な状態を維持している。苛めに合っているわけでもなく、かと言って過剰に頼られているわけでもない、月並みに綺麗な学生生活。
そんな黒野白太に唯一の悩みは中学三年生にもなるのだからそろそろガールフレンドが欲しい、そのくらいだ。武装凄腕の神姫マスターともなれば女性の神姫マスターの交流もあるが、所詮それは神姫バトルがパイプになって繋がっている関係であり、どんな武器が強いだとか、この神姫にはどの武装が相性がいいだとか、強くなる秘訣だとか、そんな話ばかりで色恋沙汰とは程遠い。付き合うのであれば武装神姫に対しての理解があり出来れば年上の女性である事が黒野白太の願望である。
閑話休題、兎にも角にも到って健全な中学生生活を送っている黒野白太は普段通り真面目にその日の授業内容を全て消化して、放課後最前のホームルームを終えると直ぐに筆箱とノートと教科書を取り出してその日の予習と復習を始めた。放課後に予習と復習を終わらせるのが黒野白太の癖である。それから三十分程すると教室に居る生徒は黒野白太だけになり、一時間程すると日が落ち始め、二時間程すると黒野白太は予習と復習を終わらせて教室を出た。
神姫バトルの大会がある日などには学校にも神姫を連れていきそのままゲームセンターや神姫センターに行くのだが、此の日は何も無く、そも学校に武装神姫を持ちこむ事は禁止されており教師に見つかってしまえば取り上げられてしまうので連れて来なかった。そういうわけで黒野白太は単身で帰路に着き、学校から出て自転車を漕いでマンションに辿り着く。正面入り口から見て右側、駐車場とは建物を挟んで反対側に在る駐輪場に自転車を止めて階段を上り鍵を使って玄関の扉を開けた。
「ただいまー。」
住人の迎えの言葉は帰って来ない、当然だ、ラノベによくある理由で黒野白太は一人暮らしをしているのだから。とは言っても神姫は一人と呼べるのか微妙なので一人暮らしと表現したがそこには彼の神姫であるストラーフ型神姫イシュタルもいる。廊下の奥から漂ってくる満腹神経を刺激する香ばしい匂いがイシュタルの居場所を教えてくれた。その通りイシュタルは台所に居てリアパーツと自身のもの計四本の腕で御玉杓子を持ち汁物が入った鍋を混ぜていた。
元々ストラーフ型が重装甲で神姫バトルに出るように造られている所為か自分よりも大きな御玉杓子を苦も見せず操っている。予定の無い平日の夕食はイシュタルが作る、これは数年前からで黒野白太にとっては別に珍しい風景でも無かった。機械である神姫の記憶はデジタルだ、神姫であるイシュタルは冷蔵庫の中身と食事から採れる栄養バランスを記憶して調理する事が出来る。尤も神姫は栄養を第一にする上に味覚が無いのでのでそのまま調理すれば不味い料理が出てくるのだが、その辺りは黒野白太の干渉で解消していた。
「ただいま。」
「おかえり。夕食はもう少しで出来るから待っていてくれ。」
「分かった。」
黒野白太は台所を出て近くの自室で分厚い手掛け鞄を下ろし明日の授業の時間割を思い出しながら教科書やノートや参考書を入れ替える。明日の授業と鞄の中身を一致させるとパソコンを起動させ神姫ネットや知り合いの神姫マスターからの連絡の有無を確かめる。それが無いと知るとパソコンの電源を落とし外出用のお洒落な肩掛け鞄に財布や神姫の武装を入れて外出の準備をする。準備も終えて「さて次は何をしよう。」と少し悩み神姫の情報雑誌に手を出した所で台所からイシュタルが自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
台所に戻ると調理は済んでいてイシュタルは食器を運んでいたので黒野白太は食器を受け取って盛り付けてテーブルにまで運ぶ。最後に紙パックの牛乳をコップに注ぐと何かを思い出したかのように黒野白太はテレビのリモコンに手を伸ばしてテレビの電源を点けた。普段通りニュース番組がやっていてそこから流れてくる情報を頭に留めておく程度に聞き流しにしつつ最近になって食卓を元にする事になった相棒である真っ黒な箸に手を付けた。
「いただきます。」
両手を合わせて目を瞑る、神姫以外に誰も居ないのにそんな事をするのは長年に渡って染み付いた癖のようなものだ。黒野白太が夕食を食べている間、イシュタルはする事が無いので今日の新聞を足場にして新聞を読んでいる。それも何時もの事であるが黒野白太は何気ない拍子でイシュタルを見てしまい、イシュタルも同様の理由で黒野白太を見た。目が合ってから少しの時間が経っても黒野白太は見つめたままなのでイシュタルもまた動けないので時間が止まってしまったかのような錯覚がする。
「…。」
「何だ?」
「これ、美味しいね。」
「どういたしまして。」
そして時は動きだし黒野白太は夕食に向き直ってイシュタルは読み掛けていた新聞の政治経済の記述を読み直す。神姫バトルだけではなく日常生活においても黒野白太は思いつきで行動するが無視すると拗ねるので適当にあしらうのが正解であるとイシュタルは分かっているからだ。それ以降は黒野白太は無意味な言動もせず数十分ほどして夕食を食べ切り最後に牛乳を飲み干すと箸を置いて両手を合わせて目を瞑る。
「御馳走様でした。」
「御粗末様。」
黒野白太は食器を流し台にまで運んでからタワシを手に取り洗剤を塗り込んでわしゃわしゃと食器を洗い始める。洗い終えるとよく振って水気を切りタオルで完全に水気を取ってから積み重ねていき、洗う食器が無くなると食器を食器棚に戻す。その後で調理に使った鍋なんかも洗って拭いて、それが終わった頃にはイシュタルは新聞を読み終えて黒野白田の部屋に向かっていた。
一方の黒野白太はタオルで手を拭いハンカチで口元を拭い壁に掛けた鏡で髪を梳いている。それが終えると、殆ど同時にイシュタルは黒野白太の部屋から外出用の肩掛け鞄を台所にまで持って着ていた。黒野白太がそれを受け取ると肩掛け鞄を渡したイシュタルは鞄の中に飛び込んで僅かな隙間からひょっこりと顔を出した。
「さて。じゃあ行くか。」
テレビを消し部屋の電灯を全て消しマンションの玄関に出ると扉に鍵を閉めて階段を下り自転車小屋へと向かう。自転車に乗ってから寄り道をする事も無く電車駅へ、電車からそのままそのまま神姫センターにまで着いて自転車置き場に自転車を置いて自動ドアを潜る。自動ドアを潜った頃にはイシュタルは勝手に肩掛け鞄から出て黒野白太の左肩に飛び乗り腰を下ろしている。
センターに入り神姫バトルの受付云々を済ませた黒野白太が対戦相手を探し始めるとセンターに充満していた熱気が僅かに白んだ。その原因は黒野白太である事は黒野白太自身が誰よりも理解しておりモブキャラの誰か「『刃毀れ』だ…。」と漏らしてしまった。実力が知られる有名人が神姫センターに姿を現せればセンターが騒ぐのは無理も無いが黒野白太の場合はちょっと訳が違う。
プロレスや芸能人には所謂『ヒール』が存在する、反則行為を行ったり悪口を言ったりする事で自分のキャラクターを確立させる役者である。それは神姫バトルにおいても存在し黒野白太は『武器を失った神姫を一方的に嬲る事が大好きな』ヒールとして知らされていた。そんな人物が神姫センターに来られれば他の利用者がどう思うか太陽が沈むより真っ暗な気分になるのは明確である。
利用者の中には中2病真っ盛りな輩も居て口には出さずとも出ていくとメルヘンな事を考えているのか視線で黒野白太の退場を訴えている。これについては本人も反省している、四年前に若気の至りで『刃毀れ』のキャラクターを提案してきた記者にOKを出した自分を殴りたいとすら思っている。何故なら自分が使っている神姫が悪魔型神姫ストラーフMk2型だったものだから余計にストラーフMk2型=悪役のイメージが強調されたからだ。
褐色萌えである黒野白太にとって愛するストラーフMk2型に勝手なイメージを付けてしまったのは心苦しいものがあった。渾名の害はそれだけでなく名が知れてインターネットや情報雑誌と言った玉石混淆な魔界に名が広がって言った為に所為で黒野白太=『刃毀れ』という阿呆な図式を組み立てる輩が出始めたからである。
「黒野白太、いえ、『刃毀れ』ですね。君に神姫バトルを申し込みます。」
「いいえよ。」
「いいえよ?」
「『正直嫌だけど断る理由も無いし別にいいよ。』の略。」
「いつまでその余裕が持ちますかね。今日は君に勝つ為にとっておきの武装を用意したのです!」
例えばたった今黒野白太に神姫バトルを申し込んでおきながらも何故か少年漫画だと失敗するフラグを立てたモブキャラのような。
…。
…。
…。
『やっぱりとは思ってたけどあいつ馬鹿だ。』
神姫バトル開始から数分後 銃撃戦になりハンドガンで牽制を入れつつバトルフィールドに設置されている障害物を盾に黒野白太は呟いた。相手は大剣や爆弾と言った壊れ難いか壊されない武器で固めている、神姫が万能型のアーンヴァルMk2である事が救いか。差し詰め武器を壊す『刃毀れ』に勝つには壊れない武器を持っていけばいいとモブキャラは判断したのだと黒野白太は推測する。
別に彼は武器の破壊に執念を燃やしているのではなく相手の心を折る手段として武器の破壊を選んだだけだ。武器が壊せないのであれば装甲を一枚一枚剥ぎ取るだけである。そんな相手に言い訳のしようがない敗北を与えてやる為に情け容赦無い凌辱をしてやろうとバスーカに手を掛けたがイシュタルに止められる。
『バズーカを放つのはちょっと待ってくれないか。』
『うん、何で?』
『確かに相手のマスターはどうしようもない阿呆かもしれないがそれに巻き込まれた神姫が哀れだ。』
『そりゃそうだけどさ。でも神姫バトルに参加した以上は一蓮托生でしょ。』
『だが無駄な犠牲者が出るのも好ましくないだろう。』
『神姫を傷付けずあのモブキャラの心だけを折る方法があるの?』
『あると言ったら?』
『いいね、やってみてよ。』
その言葉を合図に黒野白太は機体の支配権を全てイシュタルに譲るとイシュタルは身に纏っていた装甲を全て脱ぎ捨てる。装甲だけでなく武器も捨ててストラーフMk2型のリアパーツに収納されている太刀のみを手に取った。段々とイシュタルが何を思い付いたのかを理解し始めた黒野白太はイシュタルのマスターとして彼女の為にフラグぐらい立てて置く。
『そんな装備で大丈夫か?』
『造作も無い。』
マスターの気遣い(死亡フラグ)を叩き折ったイシュタルはモブキャラからの銃撃が止んだ瞬間を見計らって物陰から出た。
「なっ、何で武装を捨ててるんですか!?」
「分からないのか? お前如きを倒すのにこれで充分と云う事だ。」
太刀の切っ先を向けながらも凛と響いたイシュタルの挑発にモブキャラはまんまと乗せられて手榴弾を乱暴に投げた。弧を描いた手榴弾がイシュタルを目前に落ちて爆発する瞬間に駈け出して爆風を背後に走り出す。相手の武器が太刀のみならば近付かせまいとモブキャラは手榴弾で粉砕しようと目論むが唯単に単調過ぎた。
モブキャラが手榴弾を握った瞬間にはイシュタルは爆弾が何処に来るかを確定させ投げられた瞬間にその場から離れて回避する。全神姫中でも鈍足な部類で位するストラーフMk2型でも何処で爆発しどの程度巻き込むかが分かっているのであれば避ける事は難しくない。戦場のパイナップルを三つ避けて二人の距離が当初の半分を切ったところでモブキャラはハンドガンを取り出した。
黒野白太はちょっとモブキャラに感心しつつもイシュタルには何も言わず傍観に徹している。銃口が向けられるのと同時にイシュタルは走りながら左に跳び数コンマ遅れて弾丸がイシュタルが元居た場所を通り抜けた。焦り始めたモブキャラが持つハンドガンの銃口がふらつき始めジグザグに動いているだけのイシュタルに正確な狙いが付けられない。
一発二発三発四発五発と全て気泡に終わり太刀を持ったイシュタルが目前にまで迫ったところでモブキャラはハンドガンを投げ捨てた。近接武器なら外さないと大剣を持つが振り下ろされた刃が届くよりも早くイシュタルはモブキャラの装甲の隙間を縫って心臓(コア)を突き貫いた。信じられないとありありと伝わる表情で崩れ落ちるモブキャラの神姫を抱き止める事も無くイシュタルは太刀を抜く。
「勝者(ウィナー)・イシュタル。」
静かにも美しく神姫バトルに黒幕を降ろした一人の神姫に、唯一の観客である黒野白太が惜しみの無い拍手を送った。
…。
…。
…。
「何で…何で僕が負けたんだ…あんな相手に…。」
悔しがっているモブキャラに色々と傷口に塗りつけたい黒野白太であったが今この場はイシュタルに任せようと決めつけていた。そんな身勝手な思惑に気付いているのかイシュタルは指示されたわけでもなく筐体の上で仁王立ちをしてモブキャラを睨みつけている。この後に怒り狂ったモブキャラがイシュタルに掴み掛かっても直ぐに殴り飛ばせるように黒野白太も前に出ていた。
「君が負けた理由? 簡単だ、君が馬鹿だからだ。」
人を傷付ける言葉の代表格の言葉にモブキャラは遠目で見て分かり易いほど簡単に悔しがるのを止めてイシュタルを睨み返す。その手の中でアーンヴァルMk2が自分のマスターに冷静になるように努めているがその効果が出る様子は無さそうだ。イシュタルは自分よりもはるかに巨大な存在の憤怒の形相に、元々神姫には恐怖は無いのだが、恐れる様子も無く凛として続ける。
「途中で使ったハンドガン、恐らくそこのアーンヴァル型に勧められて入れたのだろう?」
「…そうですけど、それがどうしたって言うんですか。」
「まだ分からないのか。 そこのアーンヴァル型の方が君を勝たせる為に何をしていたのかを。」
「ど、どういう事だ!?」
最後の言葉はアーンヴァルMk2に向けられたもので手の中の神姫は申し訳無さそうに表情を曇らせる。
「そこのアーンヴァル型は何も言わなくていい。あたしが全て言う。おかしいと思ったんだ、総じて学習意欲が高い機体が多いアーンヴァル型が何故あんな馬鹿げた装備をしているのかとな。答えは『オーナーである君が神姫の話を全く聞かなかった』から。勝つ為の努力を怠らなかった神姫の言葉を君は全て無視したからだ。『刃毀れ』は所詮は私達の戦法の一つに過ぎない。通じないと分かれば捨てる。そこのアーンヴァル型はそれを知っていたからハンドガンを持たせたんだ。」
少し神姫ネットで調べれば分かる事で確かに黒野白太が武器を壊した回数はズバ抜けている数字であるものの神姫バトルをした総合に比べ武器を壊した回数は約三分の一程であり黒野白太にとって武器を壊す戦法とは対戦相手の心を折る戦法の一つに過ぎない。それをアーンヴァルMk2は知っていたのだろう、だがそのオーナーであるモブキャラは自分の神姫を無視して自分勝手(エゴ)を突き進んだ。
オーナーの自分勝手(エゴ)に所詮は神姫であるアーンヴァルMk2型が強く出られる筈がない、神姫は奴隷の域を超える事は無く神姫にとってオーナーの命令はC・S・Cに等しく反対も反抗も反逆も出来ないようになっているのだから。勝とうと願ったアンヴァルMk2の精一杯の忠告を無視し努力を無駄にした、それこそがモブキャラが敗北した原因である。
「理解出来たか。それが神姫バトルだ。」
最後にイシュタルは冷たく言い放って筺体を降り黒野白太の左肩に飛び乗って腰を下ろす。意気消沈としているモブキャラを励ますアーンヴァルMk2型にイシュタルに全てを任せると決め付けたはずの黒野白太は声を懸けた。
「僕について調べてくれた君に僕太刀の秘密を教えてあげる。僕が『刃毀れ』と呼ばれるようになったのは四年前の事だ。」
何を言っているのか理解できずキョトンと首を傾げたアーンヴァルMk2であったが直ぐにその意味を理解してその青い瞳に驚愕の色が映えた。
「四年前は神姫ライドシステムなんて無かった。僕は外野から武器を壊せって指示を出しただけ。実際にそれをやってた奴は…。」
「おい、マスター。敗者に何を言っているんだ。勝者は次の戦いに備えるべきだろう。」
「はいはい。んじゃあ、またね~。」
覇気を込めて軽口を抑えつけるようなイシュタルの言葉に背中を押されて黒野白太はその場を後にした。
「そう言えばあのモブキャラの名前、何だったっけ?」
「さぁな。覚えるだけメモリの無駄だ。」
「酷いな。多分向こうの方が年上だと思うよ?」
「神姫バトルに年齢は関係無いだろう。居るのは勝者と敗者のみ。…そうだな、次に戦った時に私達に全力を出させるようなら覚えておこう。」
「それがいいね。」
筺体を後続の神姫プレイヤーに譲ってそんな雑談をしながらも対戦相手を探している二人に男が近付いてきた。身長が百七十センチ程の男は傍らにアーク型神姫とイーダ型神姫を待機させてイーダ型の方は敵意を剥き出しにしている。
「よう、今の見てたぜ『刃毀れ』。」
「やめろ。有象無象なら兎も角、友達にその渾名で呼ばれるのは恥ずかしい。」
「御久し振り。相変わらず神姫を舐めたような戦い方をしていますわね、イシュタル。」
「久し振りに会ったってのに直ぐに喧嘩売るのは止めなよ、バアル。」
「バッカスは気にしなくていい。バアルの言う通り私は相手を侮って戦っていた。」
敵意を留めようとしないバアルに気苦労するバッカスを気にする事も無く赤見青貴は僅かな笑みを黒野白太に見せた。
「いや、珍しいものを見たもんだ。お前が相手を立てるような真似をするとはな。」
「やったのは僕じゃない、イシュタルだよ。初めは僕も普段通り(心折ろうと)にしようと思ってたから。」
「マジか。やっぱスゲェなイシュタルは。」
「他ならぬマスターが他人の神姫を褒めてどうすると言うのです!」
「マスター、頼むからバアルを刺激するような事を言わないでくれ。私の胃がストレスでマッハだ。」
「あ、悪い。」
ようやく赤見青貴は敵意三割増しのバアルを宥めているバッカスに気を留めて軽い謝罪の言葉を口にした。
「珍しいものを見た、僕もその言葉を使うよ。赤見、柔道はどうしたんだ?」
「もう高校受験が迫ってるから辞めさせられたよ。で、今日はようやく母さんの許可を貰って息抜きに来たわけ。」
「そう言えば赤見は他県に行くんだったね。成程、分かったよ。」
「お前は? まぁ、お前がやることと言ったら神姫バトルしかないか。で、今日はまだバトルするんだろ?」
「まぁね。どう? 久し振りにやらない?」
「やだよ。お前に負けたらしばらく立ち直れなくなるだろ。」
「何を弱気になっているのですかマスター! ここで会ったが百年目、ケチョンケチョンにして差し上げますわ!」
「バアル、それ負けフラグだから」
「お前最後に戦った時、武器どころか装甲も壊されて思いっきり泣いてたじゃねえか。」
それでも降参だけは断固として拒否したあの時のバアルの勝利への執念だけは黒野白太とイシュタルは評価していた。
「そうか。折角、旧交を温めようかと思ったのに、残念だ。」
「『刃毀れ』が言うとその台詞も嗜虐心が食み出して見えるよな。」
「だから渾名で呼ぶのは止めろ。」
「あ、そうそう。紫原と緑間…後、金子さんは、ここに来ているのか?」
黒野白太との共通の友人で神姫マスターだったが、金子と聞いた瞬間に三体の神姫は一斉に顔を顰める。唯一、のっぺら坊のように無表情だった黒野白太は普段通りの笑顔を取り戻していた。
「来てないよ。まぁ、イロイロあったからね。」
「そうか。やっぱり神姫辞めちゃってるのかもな…。」
「家族から神姫を捨てろって言われていても可笑しくは無いしね。それは僕達が何とかしていい問題じゃないよ。」
「…そうだよな、残念だけど「残念だけど僕はもう行くから。じゃーねー。」あ、あぁ、じゃあな。」
あっけらかんと赤見青貴から離れた黒野白太はふらふらとしていたがふと立ち止まってイシュタルだけに聞こえるように言った。
「紫原と緑間と…金子さん、元気かなぁ。」
それは神姫である自分が関わっていい問題ではないと、イシュタルは無言の内に込めて返答していた。
…。
…。
…。
それから数時間後、神姫センターが終業時間を迎えたので黒野白太は電車に乗り自転車を漕いで帰宅していた。帰宅して直ぐに黒野白太は学校から出された宿題を片付けてイシュタルと一緒に今日行った神姫バトルの反省会をする。
宿題に懸けた時間よりも長い反省会を終わらせてから入浴し寝間着に着換え髪を乾かすとベッドに潜り込んだ。風呂から出た時点で神姫であるイシュタルはクレイドルの上で休眠(スリープモード)になっている。
某のび太張りに素早く眠る事の出来る神姫に少しばかり羨ましいと思いながらも掛け布団に身を包ませた。
「おやすみ、イシュタル。」
最後に今この部屋に居る唯一の家族の名前を呼んで黒野白太は全身の力を抜き、やがてゆっくりと夢の世界へと落ちて行った。
そうして朝になり黒野白太は腕を目一杯伸ばして予めセットしておいた目覚まし時計を叩いて耳障りな息の根を止める。のそのそと芋虫のようにベッドから降りてから立ち上がり欠伸をしてから軽く柔軟体操をして固まった身体を解す。
イシュタルはまだ休眠(スリープモード)になっていたので起こすがしばらくの間はふらふらとしていて見ていて危なっかしい限りである。「わはひは、朝に弱いんだよ…。」とは本人の弁ではあるが果たして神姫が朝に弱いとはどういう事だろうか。
兎にも角にもそんなイシュタルに注意しつつも着替えた黒野白太はイシュタルとさっさと朝食をつくりさっさと食べ切る。食器を洗い食器棚に戻した後、黒野白太は風呂掃除をしたが危く石鹸で足を滑らせ顔面から転ぶ悲劇を引き起こしそうになった。最後の最後で踏み止まった自分を褒め称えつつも風呂場から出ると残り時間ギリギリまで新聞を読む。
最近神姫による爆発事件が起こっているらしい、その情報に黒野白太は武装紳士の一人として一抹の不安を覚えた。神姫の爆発事件を知りイシュタルを見ると、彼女ははうつらうつらなまま昨日バトルに使った武装の手入れをしている。黒野白太は人差し指でイシュタルの頭を撫でて、彼女はその事に気付かなかったが、時計を見て新聞を畳んだ。
そろそろ学校に行く時間だ、今日も特に予定は無いからイシュタルは置いて行く事にする。学校用の分厚い手掛け鞄を持ち新聞の天気予報に依れば午後から雨らしいのでビニール傘を持っていく。
「行ってきます。」
「いひってらっしゃい。」
マンションの玄関に出て一回に降り自転車小屋へと向かう途中、黒野白太はふと足を止めて空を見上げた。曇りの空は灰色で僅かな日差しが漏れるだけで確かに午後に雨が降ると言われれば誰でも納得出来るだろう天気である。ただ黒野白太が見ているのは曇りの空ではなくちょっと思ってしまった事を呟いてしまった。
「八年前―――両親に神姫を勝ってもらっていなかったがどうなっていただろう。」
過去の「if」考えても過去が変わるわけでもない、それなら未来の「if」を考えた方が建設的だ。黒野白太自身それはよく分かっていたがそれでも感傷的に考えざる得ない。
「人生の半分が神姫と関わっていても、それ以外は何も無くても、両親とも友達とも今は殆ど関わっていなくても、残念ながら僕は幸せだと思ってしまう。」
それが本心だった。
如何に海千山千の猛者(変態)揃いの武装紳士淑女であっても武装神姫から離れた日常と言うものはある。
黒野白太も例外ではなく彼から武装神姫を切り離せば関東地方の○県×市にある中学校に通う一中学年生だ。不登校でもなく授業は真面目に取り組んでおり成績は同学年で上の下、身体も障害や持病は無い良好な状態を維持している。苛めに合っているわけでもなく、かと言って過剰に頼られているわけでもない、月並みに綺麗な学生生活。
そんな黒野白太に唯一の悩みは中学三年生にもなるのだからそろそろガールフレンドが欲しい、そのくらいだ。武装凄腕の神姫マスターともなれば女性の神姫マスターの交流もあるが、所詮それは神姫バトルがパイプになって繋がっている関係であり、どんな武器が強いだとか、この神姫にはどの武装が相性がいいだとか、強くなる秘訣だとか、そんな話ばかりで色恋沙汰とは程遠い。付き合うのであれば武装神姫に対しての理解があり出来れば年上の女性である事が黒野白太の願望である。
閑話休題、兎にも角にも到って健全な中学生生活を送っている黒野白太は普段通り真面目にその日の授業内容を全て消化して、放課後最前のホームルームを終えると直ぐに筆箱とノートと教科書を取り出してその日の予習と復習を始めた。放課後に予習と復習を終わらせるのが黒野白太の癖である。それから三十分程すると教室に居る生徒は黒野白太だけになり、一時間程すると日が落ち始め、二時間程すると黒野白太は予習と復習を終わらせて教室を出た。
神姫バトルの大会がある日などには学校にも神姫を連れていきそのままゲームセンターや神姫センターに行くのだが、此の日は何も無く、そも学校に武装神姫を持ちこむ事は禁止されており教師に見つかってしまえば取り上げられてしまうので連れて来なかった。そういうわけで黒野白太は単身で帰路に着き、学校から出て自転車を漕いでマンションに辿り着く。正面入り口から見て右側、駐車場とは建物を挟んで反対側に在る駐輪場に自転車を止めて階段を上り鍵を使って玄関の扉を開けた。
「ただいまー。」
住人の迎えの言葉は帰って来ない、当然だ、ラノベによくある理由で黒野白太は一人暮らしをしているのだから。とは言っても神姫は一人と呼べるのか微妙なので一人暮らしと表現したがそこには彼の神姫であるストラーフ型神姫イシュタルもいる。廊下の奥から漂ってくる満腹神経を刺激する香ばしい匂いがイシュタルの居場所を教えてくれた。その通りイシュタルは台所に居てリアパーツと自身のもの計四本の腕で御玉杓子を持ち汁物が入った鍋を混ぜていた。
元々ストラーフ型が重装甲で神姫バトルに出るように造られている所為か自分よりも大きな御玉杓子を苦も見せず操っている。予定の無い平日の夕食はイシュタルが作る、これは数年前からで黒野白太にとっては別に珍しい風景でも無かった。機械である神姫の記憶はデジタルだ、神姫であるイシュタルは冷蔵庫の中身と食事から採れる栄養バランスを記憶して調理する事が出来る。尤も神姫は栄養を第一にする上に味覚が無いのでのでそのまま調理すれば不味い料理が出てくるのだが、その辺りは黒野白太の干渉で解消していた。
「ただいま。」
「おかえり。夕食はもう少しで出来るから待っていてくれ。」
「分かった。」
黒野白太は台所を出て近くの自室で分厚い手掛け鞄を下ろし明日の授業の時間割を思い出しながら教科書やノートや参考書を入れ替える。明日の授業と鞄の中身を一致させるとパソコンを起動させ神姫ネットや知り合いの神姫マスターからの連絡の有無を確かめる。それが無いと知るとパソコンの電源を落とし外出用のお洒落な肩掛け鞄に財布や神姫の武装を入れて外出の準備をする。準備も終えて「さて次は何をしよう。」と少し悩み神姫の情報雑誌に手を出した所で台所からイシュタルが自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
台所に戻ると調理は済んでいてイシュタルは食器を運んでいたので黒野白太は食器を受け取って盛り付けてテーブルにまで運ぶ。最後に紙パックの牛乳をコップに注ぐと何かを思い出したかのように黒野白太はテレビのリモコンに手を伸ばしてテレビの電源を点けた。普段通りニュース番組がやっていてそこから流れてくる情報を頭に留めておく程度に聞き流しにしつつ最近になって食卓を元にする事になった相棒である真っ黒な箸に手を付けた。
「いただきます。」
両手を合わせて目を瞑る、神姫以外に誰も居ないのにそんな事をするのは長年に渡って染み付いた癖のようなものだ。黒野白太が夕食を食べている間、イシュタルはする事が無いので今日の新聞を足場にして新聞を読んでいる。それも何時もの事であるが黒野白太は何気ない拍子でイシュタルを見てしまい、イシュタルも同様の理由で黒野白太を見た。目が合ってから少しの時間が経っても黒野白太は見つめたままなのでイシュタルもまた動けないので時間が止まってしまったかのような錯覚がする。
「…。」
「何だ?」
「これ、美味しいね。」
「どういたしまして。」
そして時は動きだし黒野白太は夕食に向き直ってイシュタルは読み掛けていた新聞の政治経済の記述を読み直す。神姫バトルだけではなく日常生活においても黒野白太は思いつきで行動するが無視すると拗ねるので適当にあしらうのが正解であるとイシュタルは分かっているからだ。それ以降は黒野白太は無意味な言動もせず数十分ほどして夕食を食べ切り最後に牛乳を飲み干すと箸を置いて両手を合わせて目を瞑る。
「御馳走様でした。」
「御粗末様。」
黒野白太は食器を流し台にまで運んでからタワシを手に取り洗剤を塗り込んでわしゃわしゃと食器を洗い始める。洗い終えるとよく振って水気を切りタオルで完全に水気を取ってから積み重ねていき、洗う食器が無くなると食器を食器棚に戻す。その後で調理に使った鍋なんかも洗って拭いて、それが終わった頃にはイシュタルは新聞を読み終えて黒野白田の部屋に向かっていた。
一方の黒野白太はタオルで手を拭いハンカチで口元を拭い壁に掛けた鏡で髪を梳いている。それが終えると、殆ど同時にイシュタルは黒野白太の部屋から外出用の肩掛け鞄を台所にまで持って着ていた。黒野白太がそれを受け取ると肩掛け鞄を渡したイシュタルは鞄の中に飛び込んで僅かな隙間からひょっこりと顔を出した。
「さて。じゃあ行くか。」
テレビを消し部屋の電灯を全て消しマンションの玄関に出ると扉に鍵を閉めて階段を下り自転車小屋へと向かう。自転車に乗ってから寄り道をする事も無く電車駅へ、電車からそのままそのまま神姫センターにまで着いて自転車置き場に自転車を置いて自動ドアを潜る。自動ドアを潜った頃にはイシュタルは勝手に肩掛け鞄から出て黒野白太の左肩に飛び乗り腰を下ろしている。
センターに入り神姫バトルの受付云々を済ませた黒野白太が対戦相手を探し始めるとセンターに充満していた熱気が僅かに白んだ。その原因は黒野白太である事は黒野白太自身が誰よりも理解しておりモブキャラの誰か「『刃毀れ』だ…。」と漏らしてしまった。実力が知られる有名人が神姫センターに姿を現せればセンターが騒ぐのは無理も無いが黒野白太の場合はちょっと訳が違う。
プロレスや芸能人には所謂『ヒール』が存在する、反則行為を行ったり悪口を言ったりする事で自分のキャラクターを確立させる役者である。それは神姫バトルにおいても存在し黒野白太は『武器を失った神姫を一方的に嬲る事が大好きな』ヒールとして知らされていた。そんな人物が神姫センターに来られれば他の利用者がどう思うか太陽が沈むより真っ暗な気分になるのは明確である。
利用者の中には中2病真っ盛りな輩も居て口には出さずとも出ていくとメルヘンな事を考えているのか視線で黒野白太の退場を訴えている。これについては本人も反省している、四年前に若気の至りで『刃毀れ』のキャラクターを提案してきた記者にOKを出した自分を殴りたいとすら思っている。何故なら自分が使っている神姫が悪魔型神姫ストラーフMk2型だったものだから余計にストラーフMk2型=悪役のイメージが強調されたからだ。
褐色萌えである黒野白太にとって愛するストラーフMk2型に勝手なイメージを付けてしまったのは心苦しいものがあった。渾名の害はそれだけでなく名が知れてインターネットや情報雑誌と言った玉石混淆な魔界に名が広がって言った為に所為で黒野白太=『刃毀れ』という阿呆な図式を組み立てる輩が出始めたからである。
「黒野白太、いえ、『刃毀れ』ですね。君に神姫バトルを申し込みます。」
「いいえよ。」
「いいえよ?」
「『正直嫌だけど断る理由も無いし別にいいよ。』の略。」
「いつまでその余裕が持ちますかね。今日は君に勝つ為にとっておきの武装を用意したのです!」
例えばたった今黒野白太に神姫バトルを申し込んでおきながらも何故か少年漫画だと失敗するフラグを立てたモブキャラのような。
…。
…。
…。
『やっぱりとは思ってたけどあいつ馬鹿だ。』
神姫バトル開始から数分後 銃撃戦になりハンドガンで牽制を入れつつバトルフィールドに設置されている障害物を盾に黒野白太は呟いた。相手は大剣や爆弾と言った壊れ難いか壊されない武器で固めている、神姫が万能型のアーンヴァルMk2である事が救いか。差し詰め武器を壊す『刃毀れ』に勝つには壊れない武器を持っていけばいいとモブキャラは判断したのだと黒野白太は推測する。
別に彼は武器の破壊に執念を燃やしているのではなく相手の心を折る手段として武器の破壊を選んだだけだ。武器が壊せないのであれば装甲を一枚一枚剥ぎ取るだけである。そんな相手に言い訳のしようがない敗北を与えてやる為に情け容赦無い凌辱をしてやろうとバスーカに手を掛けたがイシュタルに止められる。
『バズーカを放つのはちょっと待ってくれないか。』
『うん、何で?』
『確かに相手のマスターはどうしようもない阿呆かもしれないがそれに巻き込まれた神姫が哀れだ。』
『そりゃそうだけどさ。でも神姫バトルに参加した以上は一蓮托生でしょ。』
『だが無駄な犠牲者が出るのも好ましくないだろう。』
『神姫を傷付けずあのモブキャラの心だけを折る方法があるの?』
『あると言ったら?』
『いいね、やってみてよ。』
その言葉を合図に黒野白太は機体の支配権を全てイシュタルに譲るとイシュタルは身に纏っていた装甲を全て脱ぎ捨てる。装甲だけでなく武器も捨ててストラーフMk2型のリアパーツに収納されている太刀のみを手に取った。段々とイシュタルが何を思い付いたのかを理解し始めた黒野白太はイシュタルのマスターとして彼女の為にフラグぐらい立てて置く。
『そんな装備で大丈夫か?』
『造作も無い。』
マスターの気遣い(死亡フラグ)を叩き折ったイシュタルはモブキャラからの銃撃が止んだ瞬間を見計らって物陰から出た。
「なっ、何で武装を捨ててるんですか!?」
「分からないのか? お前如きを倒すのにこれで充分と云う事だ。」
太刀の切っ先を向けながらも凛と響いたイシュタルの挑発にモブキャラはまんまと乗せられて手榴弾を乱暴に投げた。弧を描いた手榴弾がイシュタルを目前に落ちて爆発する瞬間に駈け出して爆風を背後に走り出す。相手の武器が太刀のみならば近付かせまいとモブキャラは手榴弾で粉砕しようと目論むが唯単に単調過ぎた。
モブキャラが手榴弾を握った瞬間にはイシュタルは爆弾が何処に来るかを確定させ投げられた瞬間にその場から離れて回避する。全神姫中でも鈍足な部類で位するストラーフMk2型でも何処で爆発しどの程度巻き込むかが分かっているのであれば避ける事は難しくない。戦場のパイナップルを三つ避けて二人の距離が当初の半分を切ったところでモブキャラはハンドガンを取り出した。
黒野白太はちょっとモブキャラに感心しつつもイシュタルには何も言わず傍観に徹している。銃口が向けられるのと同時にイシュタルは走りながら左に跳び数コンマ遅れて弾丸がイシュタルが元居た場所を通り抜けた。焦り始めたモブキャラが持つハンドガンの銃口がふらつき始めジグザグに動いているだけのイシュタルに正確な狙いが付けられない。
一発二発三発四発五発と全て気泡に終わり太刀を持ったイシュタルが目前にまで迫ったところでモブキャラはハンドガンを投げ捨てた。近接武器なら外さないと大剣を持つが振り下ろされた刃が届くよりも早くイシュタルはモブキャラの装甲の隙間を縫って心臓(コア)を突き貫いた。信じられないとありありと伝わる表情で崩れ落ちるモブキャラの神姫を抱き止める事も無くイシュタルは太刀を抜く。
「勝者(ウィナー)・イシュタル。」
静かにも美しく神姫バトルに黒幕を降ろした一人の神姫に、唯一の観客である黒野白太が惜しみの無い拍手を送った。
…。
…。
…。
「何で…何で僕が負けたんだ…あんな相手に…。」
悔しがっているモブキャラに色々と傷口に塗りつけたい黒野白太であったが今この場はイシュタルに任せようと決めつけていた。そんな身勝手な思惑に気付いているのかイシュタルは指示されたわけでもなく筐体の上で仁王立ちをしてモブキャラを睨みつけている。この後に怒り狂ったモブキャラがイシュタルに掴み掛かっても直ぐに殴り飛ばせるように黒野白太も前に出ていた。
「君が負けた理由? 簡単だ、君が馬鹿だからだ。」
人を傷付ける言葉の代表格の言葉にモブキャラは遠目で見て分かり易いほど簡単に悔しがるのを止めてイシュタルを睨み返す。その手の中でアーンヴァルMk2が自分のマスターに冷静になるように努めているがその効果が出る様子は無さそうだ。イシュタルは自分よりもはるかに巨大な存在の憤怒の形相に、元々神姫には恐怖は無いのだが、恐れる様子も無く凛として続ける。
「途中で使ったハンドガン、恐らくそこのアーンヴァル型に勧められて入れたのだろう?」
「…そうですけど、それがどうしたって言うんですか。」
「まだ分からないのか。 そこのアーンヴァル型の方が君を勝たせる為に何をしていたのかを。」
「ど、どういう事だ!?」
最後の言葉はアーンヴァルMk2に向けられたもので手の中の神姫は申し訳無さそうに表情を曇らせる。
「そこのアーンヴァル型は何も言わなくていい。あたしが全て言う。おかしいと思ったんだ、総じて学習意欲が高い機体が多いアーンヴァル型が何故あんな馬鹿げた装備をしているのかとな。答えは『オーナーである君が神姫の話を全く聞かなかった』から。勝つ為の努力を怠らなかった神姫の言葉を君は全て無視したからだ。『刃毀れ』は所詮は私達の戦法の一つに過ぎない。通じないと分かれば捨てる。そこのアーンヴァル型はそれを知っていたからハンドガンを持たせたんだ。」
少し神姫ネットで調べれば分かる事で確かに黒野白太が武器を壊した回数はズバ抜けている数字であるものの神姫バトルをした総合に比べ武器を壊した回数は約三分の一程であり黒野白太にとって武器を壊す戦法とは対戦相手の心を折る戦法の一つに過ぎない。それをアーンヴァルMk2は知っていたのだろう、だがそのオーナーであるモブキャラは自分の神姫を無視して自分勝手(エゴ)を突き進んだ。
オーナーの自分勝手(エゴ)に所詮は神姫であるアーンヴァルMk2型が強く出られる筈がない、神姫は奴隷の域を超える事は無く神姫にとってオーナーの命令はC・S・Cに等しく反対も反抗も反逆も出来ないようになっているのだから。勝とうと願ったアンヴァルMk2の精一杯の忠告を無視し努力を無駄にした、それこそがモブキャラが敗北した原因である。
「理解出来たか。それが神姫バトルだ。」
最後にイシュタルは冷たく言い放って筺体を降り黒野白太の左肩に飛び乗って腰を下ろす。意気消沈としているモブキャラを励ますアーンヴァルMk2型にイシュタルに全てを任せると決め付けたはずの黒野白太は声を懸けた。
「僕について調べてくれた君に僕太刀の秘密を教えてあげる。僕が『刃毀れ』と呼ばれるようになったのは四年前の事だ。」
何を言っているのか理解できずキョトンと首を傾げたアーンヴァルMk2であったが直ぐにその意味を理解してその青い瞳に驚愕の色が映えた。
「四年前は神姫ライドシステムなんて無かった。僕は外野から武器を壊せって指示を出しただけ。実際にそれをやってた奴は…。」
「おい、マスター。敗者に何を言っているんだ。勝者は次の戦いに備えるべきだろう。」
「はいはい。んじゃあ、またね~。」
覇気を込めて軽口を抑えつけるようなイシュタルの言葉に背中を押されて黒野白太はその場を後にした。
「そう言えばあのモブキャラの名前、何だったっけ?」
「さぁな。覚えるだけメモリの無駄だ。」
「酷いな。多分向こうの方が年上だと思うよ?」
「神姫バトルに年齢は関係無いだろう。居るのは勝者と敗者のみ。…そうだな、次に戦った時に私達に全力を出させるようなら覚えておこう。」
「それがいいね。」
筺体を後続の神姫プレイヤーに譲ってそんな雑談をしながらも対戦相手を探している二人に男が近付いてきた。身長が百七十センチ程の男は傍らにアーク型神姫とイーダ型神姫を待機させてイーダ型の方は敵意を剥き出しにしている。
「よう、今の見てたぜ『刃毀れ』。」
「やめろ。有象無象なら兎も角、友達にその渾名で呼ばれるのは恥ずかしい。」
「御久し振り。相変わらず神姫を舐めたような戦い方をしていますわね、イシュタル。」
「久し振りに会ったってのに直ぐに喧嘩売るのは止めなよ、バアル。」
「バッカスは気にしなくていい。バアルの言う通り私は相手を侮って戦っていた。」
敵意を留めようとしないバアルに気苦労するバッカスを気にする事も無く赤見青貴は僅かな笑みを黒野白太に見せた。
「いや、珍しいものを見たもんだ。お前が相手を立てるような真似をするとはな。」
「やったのは僕じゃない、イシュタルだよ。初めは僕も普段通り(心折ろうと)にしようと思ってたから。」
「マジか。やっぱスゲェなイシュタルは。」
「他ならぬマスターが他人の神姫を褒めてどうすると言うのです!」
「マスター、頼むからバアルを刺激するような事を言わないでくれ。私の胃がストレスでマッハだ。」
「あ、悪い。」
ようやく赤見青貴は敵意三割増しのバアルを宥めているバッカスに気を留めて軽い謝罪の言葉を口にした。
「珍しいものを見た、僕もその言葉を使うよ。赤見、柔道はどうしたんだ?」
「もう高校受験が迫ってるから辞めさせられたよ。で、今日はようやく母さんの許可を貰って息抜きに来たわけ。」
「そう言えば赤見は他県に行くんだったね。成程、分かったよ。」
「お前は? まぁ、お前がやることと言ったら神姫バトルしかないか。で、今日はまだバトルするんだろ?」
「まぁね。どう? 久し振りにやらない?」
「やだよ。お前に負けたらしばらく立ち直れなくなるだろ。」
「何を弱気になっているのですかマスター! ここで会ったが百年目、ケチョンケチョンにして差し上げますわ!」
「バアル、それ負けフラグだから」
「お前最後に戦った時、武器どころか装甲も壊されて思いっきり泣いてたじゃねえか。」
それでも降参だけは断固として拒否したあの時のバアルの勝利への執念だけは黒野白太とイシュタルは評価していた。
「そうか。折角、旧交を温めようかと思ったのに、残念だ。」
「『刃毀れ』が言うとその台詞も嗜虐心が食み出して見えるよな。」
「だから渾名で呼ぶのは止めろ。」
「あ、そうそう。紫原と緑間…後、金子さんは、ここに来ているのか?」
黒野白太との共通の友人で神姫マスターだったが、金子と聞いた瞬間に三体の神姫は一斉に顔を顰める。唯一、のっぺら坊のように無表情だった黒野白太は普段通りの笑顔を取り戻していた。
「来てないよ。まぁ、イロイロあったからね。」
「そうか。やっぱり神姫辞めちゃってるのかもな…。」
「家族から神姫を捨てろって言われていても可笑しくは無いしね。それは僕達が何とかしていい問題じゃないよ。」
「…そうだよな、残念だけど「残念だけど僕はもう行くから。じゃーねー。」あ、あぁ、じゃあな。」
あっけらかんと赤見青貴から離れた黒野白太はふらふらとしていたがふと立ち止まってイシュタルだけに聞こえるように言った。
「紫原と緑間と…金子さん、元気かなぁ。」
それは神姫である自分が関わっていい問題ではないと、イシュタルは無言の内に込めて返答していた。
…。
…。
…。
それから数時間後、神姫センターが終業時間を迎えたので黒野白太は電車に乗り自転車を漕いで帰宅していた。帰宅して直ぐに黒野白太は学校から出された宿題を片付けてイシュタルと一緒に今日行った神姫バトルの反省会をする。
宿題に懸けた時間よりも長い反省会を終わらせてから入浴し寝間着に着換え髪を乾かすとベッドに潜り込んだ。風呂から出た時点で神姫であるイシュタルはクレイドルの上で休眠(スリープモード)になっている。
某のび太張りに素早く眠る事の出来る神姫に少しばかり羨ましいと思いながらも掛け布団に身を包ませた。
「おやすみ、イシュタル。」
最後に今この部屋に居る唯一の家族の名前を呼んで黒野白太は全身の力を抜き、やがてゆっくりと夢の世界へと落ちて行った。
そうして朝になり黒野白太は腕を目一杯伸ばして予めセットしておいた目覚まし時計を叩いて耳障りな息の根を止める。のそのそと芋虫のようにベッドから降りてから立ち上がり欠伸をしてから軽く柔軟体操をして固まった身体を解す。
イシュタルはまだ休眠(スリープモード)になっていたので起こすがしばらくの間はふらふらとしていて見ていて危なっかしい限りである。「わはひは、朝に弱いんだよ…。」とは本人の弁ではあるが果たして神姫が朝に弱いとはどういう事だろうか。
兎にも角にもそんなイシュタルに注意しつつも着替えた黒野白太はイシュタルとさっさと朝食をつくりさっさと食べ切る。食器を洗い食器棚に戻した後、黒野白太は風呂掃除をしたが危く石鹸で足を滑らせ顔面から転ぶ悲劇を引き起こしそうになった。最後の最後で踏み止まった自分を褒め称えつつも風呂場から出ると残り時間ギリギリまで新聞を読む。
最近神姫による爆発事件が起こっているらしい、その情報に黒野白太は武装紳士の一人として一抹の不安を覚えた。神姫の爆発事件を知りイシュタルを見ると、彼女ははうつらうつらなまま昨日バトルに使った武装の手入れをしている。黒野白太は人差し指でイシュタルの頭を撫でて、彼女はその事に気付かなかったが、時計を見て新聞を畳んだ。
そろそろ学校に行く時間だ、今日も特に予定は無いからイシュタルは置いて行く事にする。学校用の分厚い手掛け鞄を持ち新聞の天気予報に依れば午後から雨らしいのでビニール傘を持っていく。
「行ってきます。」
「いひってらっしゃい。」
マンションの玄関に出て一回に降り自転車小屋へと向かう途中、黒野白太はふと足を止めて空を見上げた。曇りの空は灰色で僅かな日差しが漏れるだけで確かに午後に雨が降ると言われれば誰でも納得出来るだろう天気である。ただ黒野白太が見ているのは曇りの空ではなくちょっと思ってしまった事を呟いてしまった。
「八年前―――両親に神姫を勝ってもらっていなかったがどうなっていただろう。」
過去の「if」考えても過去が変わるわけでもない、それなら未来の「if」を考えた方が建設的だ。黒野白太自身それはよく分かっていたがそれでも感傷的に考えざる得ない。これまでの文字数9722。その内で神姫が関わっていないのは僅か948文字だ。
「一日の約十分の一が神姫と関わっていても、それ以外は何も無くても、両親とも友達とも今は殆ど関わっていなくても、残念ながら僕は幸せだと思ってしまう。」
それが本心だった。
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