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ドキドキハウリン その24 - (2007/03/31 (土) 02:37:34) の1つ前との変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
ぱしゃりと水の音がして、部屋に湯気がふわり浮く。
静香の机の上でお湯を湛えたそれは、洗面器だ。
「えーっと」
机の上に頬杖を突いたまま、静香は私の話にため息をひとつ。
「要するに、あなたの意志を受けた獣王が、姫のスイッチを入れちゃった……と?」
体の汚れをたっぷりのお湯で洗い流しながら、私は首を縦に振った。
「たぶん……」
静香がお風呂の支度で一階へ降りた時だろう。
マスィーンズのAIは、私達神姫のシステムと繋がっている。本来は戦闘時の意思疎通や処理系のフォローに使われるそれが、どうやら違うほうに気を利かせてしまったらしい。
「なるほどねぇ……獣王の、ねぇ」
頬杖を突いたままの静香は、ニヤニヤ笑いながら私の入浴風景を眺めているだけ。
「何ですか……」
体を流す所を見られるのは、気にならないけど。
その意味深な笑いは、気になって仕方がない。
「べっつにぃ。ただ、獣王起動させて、何してたのかなーって思ってねー」
「う……」
そ、そんなこと、どうだっていいじゃないですか!
思わず叫び返しそうになったところに、彼女が飛び付いてきた。
「お姉ちゃん! 何のお話?」
洗面器の湯船の中。彼女は私の胸元に抱き付いたまま、無邪気にこちらを見上げている。
満面の笑顔は、その名の通り満開の花を思わせるほどに可憐で、どこかの姫君でも通るほどに愛らしい。
「な、何でもないですよ、花姫」
あまりに無防備な表情に少しどぎまぎしながら、花姫には何とか離れてもらって。
「ほら、肩までつかって」
「はぁい……」
私の言葉に素直に従って、洗面器の湯船に肩まで身を沈ませてくれる。もともと花姫は汚れてなかったから、お風呂に入る意味はあまり無いのだけれど。
「十まで数えたら、出ましょうね」
なんとなく。口元までお湯に沈めてぶくぶくやりながらの花姫と一緒に、数なんか数えてみたりして。
「ま、いいわ。とりあえず、こういう時は……」
その様子に私達用のタオルを広げながら、静香は軽く肩をすくめた。
「頼れる人に頼りましょう」
----
**魔女っ子神姫ドキドキハウリン
**その24
----
それから一時間ほどが過ぎて。
私達は、エルゴにいた。
「静香ちゃんの予想通りだね。認証システムの一部が壊れてるみたいだ」
店の奥の作業部屋。ディスプレイに映る記号の羅列をスクロールさせながら、店長さんは静かに呟く。
「やっぱり……」
「……どういう事です?」
静香の家では検査の設備が足りないと、エルゴまで来たのはいいけれど……。静香と店長さんは専門用語の会話を続けるばかりで、見ている私には流れがさっぱり分からない。
肝心の花姫も、チェック機器に一度通した後は、お店の方で兎羽子さんや凛奈さんに遊んでもらっている有り様だ。
「説明すると、だね」
パソコンに繋がったシリンダー状のユニットを、指でこつこつと叩きながら。
「花姫のシステムをスキャンして、ざっとチェックしてみたんだけど……」
店長さんは今までの流れを、噛み砕いて話し始めた。
「イニシャライズプログラムの一部が、破損したまま起動しちゃったらしい」
イニシャライズプログラムというのは、私達が初めて起動した直後にだけ動く、初期設定システムの通称だ。主に自身の名前の設定や、マスター認証を行う……。
……そうか。
「その壊れていた所が、マスター認証システムだった、って事ですか?」
「その通り」
マスター認証システムは、イニシャライズプログラムの一部。その名の通り自分のマスターを設定・登録するシステムで、これが正常に動いていたからこそ、私は静香をマスターとして認識し、今も主と呼ぶことが出来ているわけで。
「じゃ、私がマスターと認識されたのは……」
「認証システムが壊れてて、神姫と人の区別が付かなかったんでしょうね」
そのうえ、私が上の空で返事と名前を口にしてしまったものだから……。
絶頂を迎えた直後でまともに返事できなかったなんて、起動直後の神姫が判断できるわけがない。花姫が、私をマスターと認めてしまうわけだ。
「全く、なんでそんな事に……」
ため息をつく私に、店長さんの表情は硬い。
「……何度もシステムを書き換えられた後があったからね。多分、そのあたりでエラーが出たんだろう」
「……え?」
その言葉に、私は言葉を返せなかった。
システムを何度も書き換えさせたのは、どう考えても鶴畑大紀だろう。けど、彼の元に花姫を送る原因を作ったのは……。
クウガ。私の前身だ。
「ココ。自分を責めない」
……人の考え読まないでくださいよ、静香。
「それだけ顔に出てたら、読むまでもないわよ」
そういう所を言ってるんです。もぅ。
「あんたがAI焼き切れるまで悩んでも、今の姫には関係ないんだから。どうせ考えるなら、もっと役に立つこと考えなさい」
「……はい」
……ありがとうございます。静香。
そうだ。静香の言うとおり。昔の私の失態を悩むより、今考えるべきはこの先の問題だ。
反省は後にして、思考を切り替える。
「それで、花姫はこのバグで、どうなるんです……?」
まずは、そこだ。
「どうもしないわよ。イニシャライズ系のプログラムは起動後には動かないし、他の所にはバグはないみたいだしね。ココをマスターと認識してる以外は、普通の神姫と変わらないわ」
あの、静香……?
普通って、そこが問題なんでは?
「認証系が欠落したまま起動するケースや、神姫をマスターと認識する神姫がいないワケじゃない。今までの例じゃ、少なくとも……壊れたり、暴走したりする問題はないよ」
欠落した、の辺りでちらりと外を見たけれど。
店長さんも神姫と長く関わってきた人の一人。そんな経験も色々とあるんだろう。
けど、私が気になるのはそこじゃなくて。
「いえ、私が言いたいのは……そのバグは、治せるんですか?」
神姫が神姫をマスターと呼ぶなんて、どうかしてる。一応花姫には、私のことを『お姉ちゃん』と呼ぶように修正してはもらったけど……それはあくまでも、呼び方を変えただけ。彼女の中で私がマスターであることは、変わりない。
「治したいの?」
そりゃ、懐かれて悪い気はしない。
あの無防備な笑顔にマスターと呼ばれて、ドキッとした事も否定はしない。
「治したいというか……神姫をマスターとして認識するって、変じゃないですか」
でも、花姫は神姫の私ではなく、人間の静香をマスターと呼ぶべきだ。
出来ることなら、今の無邪気な花姫のまま、マスター登録だけを変えられれば……。
「認証システムは起動時にしか使われないからなぁ。もちろん、全システムを出荷状態に戻して再起動させれば、再認証も可能だろうけど……」
出荷状態って、まさか。
「初期化する、って事ですか?」
その時だった。
店に続く部屋の入口で、がたんという音がしたのは。
「……あ」
入口にいたのは、凛奈さんと……。
「花……姫……」
その手のひらに乗った、花姫だった。
「凛奈ぁ……」
「え、いや、花姫がココちゃんに会いたい言うから……間、悪かった?」
苦笑する凛奈さんに、店長さんは頭を抱える。最悪、という言葉も出てこないらしい。
でも、私もそれどころじゃない。
「あ、あの……」
違う。
否定の言葉が、出てこない。
何が違うのかが、分からなかったから。
「あ…えっと………えへへ」
言葉を失った私に、花姫は力なく笑うだけだ。
「わたし、おかしかったん……だね」
「花姫……!」
悲しげな笑みに、違うと叫びたかった。
でも、違わなかったから。
花姫は、神姫をマスターと呼ぶ、変な神姫だから。
私は『おかしくない』と、叫べない。
「そうだよね。へへ、なんか変だって思ったんだぁ。お姉ちゃんはわたしとおんなじ大きさだし……神姫って、静香ちゃんや店長さんみたいな人間をマスターに選ぶのが、ホントなんだよ……ね?」
瞳に浮かぶ涙の粒が、蛍光灯をきらりと弾く。
「あっ!」
次の瞬間、花姫は凛奈さんの手のひらから飛び出していた。
お店の方で兎羽子さんの悲鳴と、お客さんの声が連なって聞こえてくる。自動ドアの開く音も聞こえていたから、外に出てしまったらしい!
「……あの子!」
私も慌てて駆け出そうとして。
「ココ、追い掛けるの?」
静香の声に、呼び止められた。
「当たり前じゃないですかっ!」
神姫にとって外は危険で一杯だ。人間の子供でも危ないのに、その十分の一の大きさもない神姫が周りも見ずに飛び出して……無事に済むはずがない。
花姫みたいな危なっかしい子なら、なおさらだ。
「それは、花姫とマスターの問題よ?」
そのひと言に、私は思わず動きを止めた。
「…………」
そうだ。静香の言うとおり。
これは、神姫とマスターの問題だ。
でも。
静香の言葉を聞いてなおに、私はそれ以上足を留める気にはなれなかった。
「…………」
胸一杯に息を吸い込んで。ほぅと息をひとつ吐けば、熱くなりすぎていたAIからすうっと何かが引いていくのが分かった。
……ああ、そうか。
そういう、ことか。
思わず笑みがこぼれそうになるけど、今はそんな場面じゃない。
「静香」
私は唇を引き結ぶと、一度だけ主の名を呼んだ。
「なぁに?」
「私も、不良品だったみたいです」
「そう」
迷うことのない私の言葉に、静香の返事はそっけない。
けどきっと、それでいいんだ。
私達は。
「私もダメマスターだから、おあいこね」
「そういうことにしときます……獣王!」
私の声に、トートバッグの中から飛び出してくるのは頼れる相棒。
「私の神姫を連れ戻してきます。マイマスター!」
たった一人の応援を連れて、私は外へと走り出す。
「ええ。行ってらっしゃい!」
背中に、最高のマスターの声を受けながら。
兎羽子さんから花姫の消えた方向を聞いて、全速力。聴覚センサーを最大にして、入ってくる音声情報を花姫の泣き声でフィルタリングする。
私の世界から、一切の音が消えた。
でも、私の足が緩むことはない。
周囲の警戒は獣王に一任。盲導犬のように寄り添い、私の足の動きを軽快に避けながら、獣王は私のもう一つの耳になってくれている。
音のない世界。
「……っく」
そこに、小さな音一つ。
いた。
方向を変えようとすると、獣王が私の進路を塞ぐ。
「……ありがと、獣王」
背後から来た自転車を見送って、私は再び疾走開始。
「……ひっく」
少しずつ、求める声が大きくなる。
屋根に上り、塀を駆け抜け、広い公園へ出た先に……。
「ひっく……ひっく」
彼女は、いた。
「花姫!」
「あ……っ!」
逃げようとする花姫に、獣王が突撃する。
彼女が獣王に進路を塞がれているところに、私が後ろから回り込んで。
「捕まえたっ!」
「やだっ! やだぁっ!」
抱きしめた私の腕の中。花姫は振り解こうとバタバタ暴れるけど、もう逃がしたりなんかしない。
「花姫……」
暴れ、泣き叫ぶ耳元に、優しくその名を囁いてやる。
「ひぅ……っ!」
「ほら、落ち着いて、花姫」
「ひ……」
「花姫」
「…………うん」
何度も何度もその名を呼んで。私の腕が軋み始めた頃、ようやく花姫は暴れる手足を緩めてくれた。
「ん、良い子」
でも、その腕は離さない。後ろから抱きしめたまま、そっと頬を重ね合わせる。
「……お姉ちゃん」
それで安心してくれたのか、やっと花姫は私の名前を呼んでくれた。
「わたし、変なの?」
「どこから聞いてたんですか?」
花姫の瞳に浮かぶのは、大粒の涙。抱いたままの指先で拭ってやりながら、私は静かに問い掛ける。
「凛奈ちゃんに連れてってもらったら、お姉ちゃんが、わたしのこと変って……」
あー。
一番、間が悪いところだ。
まあ、誤魔化しても仕方ないか。
「ホントは神姫って、人間をマスターにするものですしね……。花姫は、そこが変なんですよ」
両手は優しく抱きしめたまま。落ち着いてくれているのか、その言葉で花姫が暴れ出す様子はない。
「じゃあわたし、おかしいの? データ、消されちゃうの?」
ああ。起動したてで幼く見えるけど、彼女もちゃんと神姫なんだ。その理屈だけは、ちゃんと理解しているらしい。
「花姫は、どうしたいんです?」
「消されたくなんかないよ! わたし、お姉ちゃん……マスターと、ずっと一緒にいたい! お風呂に入ったり、遊んだり、もっともっと仲良くしたい!」
マスター。
呼ばれたその名に、胸がどきりとする。
自分で呼ぶときは何とも思わないのに……呼ばれて生まれた昏い想いに、私も欠陥品なんだと、実感する。
「なら……」
でも、欠陥品でも何でもいい。
私は。
私は……。
「いいですよ。そのままで」
「……ふぇ?」
この子と、一緒にいたい。
この子と静香とみんなと、ずっと一緒にいたい。
「わたしが変でも、データ、消さない?」
「消すもんですか」
頬を寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
「花姫が変なままでいいなら、私も変なままってことですしね」
「……え?」
不思議そうな花姫に、私は笑みを一つ。
「神姫の私が花姫のマスターになりたいなんて、変でしょう?」
でも、花姫が可愛くて仕方ないんだから、しょうがない。
もう一度……いや、一度と言わず何度でも、マスターと、お姉ちゃんと呼んで欲しい。
それが、欠陥品の、私の想い。
「……変、だねぇ」
そんな私の腕の中。花姫は、やっとくすりと笑ってくれた。
「でも、お姉ちゃんも変なら、おそろいだね」
変のひと言で片付けたいなら、いくらでもそう呼べばいい。それでこの幸せが得られるんだったら、安いものだ。
「ええ。ついでに、それをいいって言う私のマスターも変だから、三人でおそろいです」
そして、静香も。
私の大切なマスターも、巻き込んでやる。
「おそろいなら、変でもいいや」
「ん、良い子ですね。姫は」
微笑む花姫の顔が見たくて、私はその腕を解き放つ。
「えへへー」
腕を緩めても、もう彼女は逃げやしない。くるりと私に振り返り、みんなが大好きになったその笑みを、私にも惜しげもなく向けてくれる。
それが、あんまり可愛くて。
たまらなく愛おしくて。
「だから、ごほうび」
その名目で、私は彼女の額にそっと唇を触れさせた。
ちゅ、というだけの軽いキス。
「んっ、くすぐったい、よぅ」
くすくすと笑う花姫の声を聞きながら、静香が私を可愛がりたい理由が、少しだけ分かった気がした。
----
静姉が起動した花姫を連れてきたのは、その日の晩の事だった。
「じゃ、登録は静姉の名前で?」
「ええ。マスターのマスターって事で、姫も納得してくれたみたい……」
なんか、ココをマスターと認識したり、検査の途中で逃げ出したり、色々騒ぎがあったらしい。でもそれも全部解決したみたいで、今はココも花姫も、ジルと楽しそうに遊んでる。
「ふえ……? ジルちゃんは、お姉ちゃんのお姉ちゃんなの?」
「そうだよ。だから、花姫もジル姉って呼びな!」
ああ。ジルったら、また変なこと花姫に吹き込んで……。
「ジルねー!」
「おー。花姫は賢いなぁ」
やれやれ。相変わらず、花姫には甘いんだね、ジル。
「えへへー」
全ての記憶を失っても、コアユニットとCSCの構成は同じ。基本の性格は、前の花姫とそんなに変わらないように思う。
CSCのゆらぎのせいか、少し子供っぽくなったかな……? そう思う程度だ。
「そうだ、静姉。花姫に、昔の話は……?」
「なるべく早く、ココがちゃんと話すって」
「そっか」
ココはそれで前にヒドイ目にあってるしね。まあ、ココならしっかりしてるし、いい神姫のマスターになれると思う。
神姫だけど。
「なー、ココー。やっぱ花姫、あたしにくれよー」
「バカ言わないでください。花姫は、私の妹なんですから。ね、花姫?」
「うん!」
テーブルの上では、ジルが抱いてた花姫をココが取り返してぎゅっと抱きしめてる。花姫も楽しそうだし、まあ、いいっちゃあいいんだけど……さ。
あんまり人んちの子に手ぇ出しちゃダメだよ? ジル。
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ぱしゃりと水の音がして、部屋に湯気がふわり浮く。
静香の机の上でお湯を湛えたそれは、洗面器だ。
「えーっと」
机の上に頬杖を突いたまま、静香は私の話にため息をひとつ。
「要するに、あなたの意志を受けた獣王が、姫のスイッチを入れちゃった……と?」
体の汚れをたっぷりのお湯で洗い流しながら、私は首を縦に振った。
「たぶん……」
静香がお風呂の支度で一階へ降りた時だろう。
マスィーンズのAIは、私達神姫のシステムと繋がっている。本来は戦闘時の意思疎通や処理系のフォローに使われるそれが、どうやら違うほうに気を利かせてしまったらしい。
「なるほどねぇ……獣王の、ねぇ」
頬杖を突いたままの静香は、ニヤニヤ笑いながら私の入浴風景を眺めているだけ。
「何ですか……」
体を流す所を見られるのは、気にならないけど。
その意味深な笑いは、気になって仕方がない。
「べっつにぃ。ただ、獣王起動させて、何してたのかなーって思ってねー」
「う……」
そ、そんなこと、どうだっていいじゃないですか!
思わず叫び返しそうになったところに、彼女が飛び付いてきた。
「お姉ちゃん! 何のお話?」
洗面器の湯船の中。彼女は私の胸元に抱き付いたまま、無邪気にこちらを見上げている。
満面の笑顔は、その名の通り満開の花を思わせるほどに可憐で、どこかの姫君でも通るほどに愛らしい。
「な、何でもないですよ、花姫」
あまりに無防備な表情に少しどぎまぎしながら、花姫には何とか離れてもらって。
「ほら、肩までつかって」
「はぁい……」
私の言葉に素直に従って、洗面器の湯船に肩まで身を沈ませてくれる。もともと花姫は汚れてなかったから、お風呂に入る意味はあまり無いのだけれど。
「十まで数えたら、出ましょうね」
なんとなく。口元までお湯に沈めてぶくぶくやりながらの花姫と一緒に、数なんか数えてみたりして。
「ま、いいわ。とりあえず、こういう時は……」
その様子に私達用のタオルを広げながら、静香は軽く肩をすくめた。
「頼れる人に頼りましょう」
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**魔女っ子神姫ドキドキハウリン
**その24
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それから一時間ほどが過ぎて。
私達は、エルゴにいた。
「静香ちゃんの予想通りだね。認証システムの一部が壊れてるみたいだ」
店の奥の作業部屋。ディスプレイに映る記号の羅列をスクロールさせながら、店長さんは静かに呟く。
「やっぱり……」
「……どういう事です?」
静香の家では検査の設備が足りないと、エルゴまで来たのはいいけれど……。静香と店長さんは専門用語の会話を続けるばかりで、見ている私には流れがさっぱり分からない。
肝心の花姫も、チェック機器に一度通した後は、お店の方で兎羽子さんや凛奈さんに遊んでもらっている有り様だ。
「説明すると、だね」
パソコンに繋がったシリンダー状のユニットを、指でこつこつと叩きながら。
「花姫のシステムをスキャンして、ざっとチェックしてみたんだけど……」
店長さんは今までの流れを、噛み砕いて話し始めた。
「イニシャライズプログラムの一部が、破損したまま起動しちゃったらしい」
イニシャライズプログラムというのは、私達が初めて起動した直後にだけ動く、初期設定システムの通称だ。主に自身の名前の設定や、マスター認証を行う……。
……そうか。
「その壊れていた所が、マスター認証システムだった、って事ですか?」
「その通り」
マスター認証システムは、イニシャライズプログラムの一部。その名の通り自分のマスターを設定・登録するシステムで、これが正常に動いていたからこそ、私は静香をマスターとして認識し、今も主と呼ぶことが出来ているわけで。
「じゃ、私がマスターと認識されたのは……」
「認証システムが壊れてて、神姫と人の区別が付かなかったんでしょうね」
そのうえ、私が上の空で返事と名前を口にしてしまったものだから……。
絶頂を迎えた直後でまともに返事できなかったなんて、起動直後の神姫が判断できるわけがない。花姫が、私をマスターと認めてしまうわけだ。
「全く、なんでそんな事に……」
ため息をつく私に、店長さんの表情は硬い。
「……何度もシステムを書き換えられた後があったからね。多分、そのあたりでエラーが出たんだろう」
「……え?」
その言葉に、私は言葉を返せなかった。
システムを何度も書き換えさせたのは、どう考えても鶴畑大紀だろう。けど、彼の元に花姫を送る原因を作ったのは……。
クウガ。私の前身だ。
「ココ。自分を責めない」
……人の考え読まないでくださいよ、静香。
「それだけ顔に出てたら、読むまでもないわよ」
そういう所を言ってるんです。もぅ。
「あんたがAI焼き切れるまで悩んでも、今の姫には関係ないんだから。どうせ考えるなら、もっと役に立つこと考えなさい」
「……はい」
……ありがとうございます。静香。
そうだ。静香の言うとおり。昔の私の失態を悩むより、今考えるべきはこの先の問題だ。
反省は後にして、思考を切り替える。
「それで、花姫はこのバグで、どうなるんです……?」
まずは、そこだ。
「どうもしないわよ。イニシャライズ系のプログラムは起動後には動かないし、他の所にはバグはないみたいだしね。ココをマスターと認識してる以外は、普通の神姫と変わらないわ」
あの、静香……?
普通って、そこが問題なんでは?
「認証系が欠落したまま起動するケースや、神姫をマスターと認識する神姫がいないワケじゃない。今までの例じゃ、少なくとも……壊れたり、暴走したりする問題はないよ」
欠落した、の辺りでちらりと外を見たけれど。
店長さんも神姫と長く関わってきた人の一人。そんな経験も色々とあるんだろう。
けど、私が気になるのはそこじゃなくて。
「いえ、私が言いたいのは……そのバグは、治せるんですか?」
神姫が神姫をマスターと呼ぶなんて、どうかしてる。一応花姫には、私のことを『お姉ちゃん』と呼ぶように修正してはもらったけど……それはあくまでも、呼び方を変えただけ。彼女の中で私がマスターであることは、変わりない。
「治したいの?」
そりゃ、懐かれて悪い気はしない。
あの無防備な笑顔にマスターと呼ばれて、ドキッとした事も否定はしない。
「治したいというか……神姫をマスターとして認識するって、変じゃないですか」
でも、花姫は神姫の私ではなく、人間の静香をマスターと呼ぶべきだ。
出来ることなら、今の無邪気な花姫のまま、マスター登録だけを変えられれば……。
「認証システムは起動時にしか使われないからなぁ。もちろん、全システムを出荷状態に戻して再起動させれば、再認証も可能だろうけど……」
出荷状態って、まさか。
「初期化する、って事ですか?」
その時だった。
店に続く部屋の入口で、がたんという音がしたのは。
「……あ」
入口にいたのは、凛奈さんと……。
「花……姫……」
その手のひらに乗った、花姫だった。
「凛奈ぁ……」
「え、いや、花姫がココちゃんに会いたい言うから……間、悪かった?」
苦笑する凛奈さんに、店長さんは頭を抱える。最悪、という言葉も出てこないらしい。
でも、私もそれどころじゃない。
「あ、あの……」
違う。
否定の言葉が、出てこない。
何が違うのかが、分からなかったから。
「あ…えっと………えへへ」
言葉を失った私に、花姫は力なく笑うだけだ。
「わたし、おかしかったん……だね」
「花姫……!」
悲しげな笑みに、違うと叫びたかった。
でも、違わなかったから。
花姫は、神姫をマスターと呼ぶ、変な神姫だから。
私は『おかしくない』と、叫べない。
「そうだよね。へへ、なんか変だって思ったんだぁ。お姉ちゃんはわたしとおんなじ大きさだし……神姫って、静香ちゃんや店長さんみたいな人間をマスターに選ぶのが、ホントなんだよ……ね?」
瞳に浮かぶ涙の粒が、蛍光灯をきらりと弾く。
「あっ!」
次の瞬間、花姫は凛奈さんの手のひらから飛び出していた。
お店の方で兎羽子さんの悲鳴と、お客さんの声が連なって聞こえてくる。自動ドアの開く音も聞こえていたから、外に出てしまったらしい!
「……あの子!」
私も慌てて駆け出そうとして。
「ココ、追い掛けるの?」
静香の声に、呼び止められた。
「当たり前じゃないですかっ!」
神姫にとって外は危険で一杯だ。人間の子供でも危ないのに、その十分の一の大きさもない神姫が周りも見ずに飛び出して……無事に済むはずがない。
花姫みたいな危なっかしい子なら、なおさらだ。
「それは、花姫とマスターの問題よ?」
そのひと言に、私は思わず動きを止めた。
「…………」
そうだ。静香の言うとおり。
これは、神姫とマスターの問題だ。
でも。
静香の言葉を聞いてなおに、私はそれ以上足を留める気にはなれなかった。
「…………」
胸一杯に息を吸い込んで。ほぅと息をひとつ吐けば、熱くなりすぎていたAIからすうっと何かが引いていくのが分かった。
……ああ、そうか。
そういう、ことか。
思わず笑みがこぼれそうになるけど、今はそんな場面じゃない。
「静香」
私は唇を引き結ぶと、一度だけ主の名を呼んだ。
「なぁに?」
「私も、不良品だったみたいです」
「そう」
迷うことのない私の言葉に、静香の返事はそっけない。
けどきっと、それでいいんだ。
私達は。
「私もダメマスターだから、おあいこね」
「そういうことにしときます……獣王!」
私の声に、トートバッグの中から飛び出してくるのは頼れる相棒。
「私の神姫を連れ戻してきます。マイマスター!」
たった一人の応援を連れて、私は外へと走り出す。
「ええ。行ってらっしゃい!」
背中に、最高のマスターの声を受けながら。
兎羽子さんから花姫の消えた方向を聞いて、全速力。聴覚センサーを最大にして、入ってくる音声情報を花姫の泣き声でフィルタリングする。
私の世界から、一切の音が消えた。
でも、私の足が緩むことはない。
周囲の警戒は獣王に一任。盲導犬のように寄り添い、私の足の動きを軽快に避けながら、獣王は私のもう一つの耳になってくれている。
音のない世界。
「……っく」
そこに、小さな音一つ。
いた。
方向を変えようとすると、獣王が私の進路を塞ぐ。
「……ありがと、獣王」
背後から来た自転車を見送って、私は再び疾走開始。
「……ひっく」
少しずつ、求める声が大きくなる。
屋根に上り、塀を駆け抜け、広い公園へ出た先に……。
「ひっく……ひっく」
彼女は、いた。
「花姫!」
「あ……っ!」
逃げようとする花姫に、獣王が突撃する。
彼女が獣王に進路を塞がれているところに、私が後ろから回り込んで。
「捕まえたっ!」
「やだっ! やだぁっ!」
抱きしめた私の腕の中。花姫は振り解こうとバタバタ暴れるけど、もう逃がしたりなんかしない。
「花姫……」
暴れ、泣き叫ぶ耳元に、優しくその名を囁いてやる。
「ひぅ……っ!」
「ほら、落ち着いて、花姫」
「ひ……」
「花姫」
「…………うん」
何度も何度もその名を呼んで。私の腕が軋み始めた頃、ようやく花姫は暴れる手足を緩めてくれた。
「ん、良い子」
でも、その腕は離さない。後ろから抱きしめたまま、そっと頬を重ね合わせる。
「……お姉ちゃん」
それで安心してくれたのか、やっと花姫は私の名前を呼んでくれた。
「わたし、変なの?」
「どこから聞いてたんですか?」
花姫の瞳に浮かぶのは、大粒の涙。抱いたままの指先で拭ってやりながら、私は静かに問い掛ける。
「凛奈ちゃんに連れてってもらったら、お姉ちゃんが、わたしのこと変って……」
あー。
一番、間が悪いところだ。
まあ、誤魔化しても仕方ないか。
「ホントは神姫って、人間をマスターにするものですしね……。花姫は、そこが変なんですよ」
両手は優しく抱きしめたまま。落ち着いてくれているのか、その言葉で花姫が暴れ出す様子はない。
「じゃあわたし、おかしいの? データ、消されちゃうの?」
ああ。起動したてで幼く見えるけど、彼女もちゃんと神姫なんだ。その理屈だけは、ちゃんと理解しているらしい。
「花姫は、どうしたいんです?」
「消されたくなんかないよ! わたし、お姉ちゃん……マスターと、ずっと一緒にいたい! お風呂に入ったり、遊んだり、もっともっと仲良くしたい!」
マスター。
呼ばれたその名に、胸がどきりとする。
自分で呼ぶときは何とも思わないのに……呼ばれて生まれた昏い想いに、私も欠陥品なんだと、実感する。
「なら……」
でも、欠陥品でも何でもいい。
私は。
私は……。
「いいですよ。そのままで」
「……ふぇ?」
この子と、一緒にいたい。
この子と静香とみんなと、ずっと一緒にいたい。
「わたしが変でも、データ、消さない?」
「消すもんですか」
頬を寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
「花姫が変なままでいいなら、私も変なままってことですしね」
「……え?」
不思議そうな花姫に、私は笑みを一つ。
「神姫の私が花姫のマスターになりたいなんて、変でしょう?」
でも、花姫が可愛くて仕方ないんだから、しょうがない。
もう一度……いや、一度と言わず何度でも、マスターと、お姉ちゃんと呼んで欲しい。
それが、欠陥品の、私の想い。
「……変、だねぇ」
そんな私の腕の中。花姫は、やっとくすりと笑ってくれた。
「でも、お姉ちゃんも変なら、おそろいだね」
変のひと言で片付けたいなら、いくらでもそう呼べばいい。それでこの幸せが得られるんだったら、安いものだ。
「ええ。ついでに、それをいいって言う私のマスターも変だから、三人でおそろいです」
そして、静香も。
私の大切なマスターも、巻き込んでやる。
「おそろいなら、変でもいいや」
「ん、良い子ですね。姫は」
微笑む花姫の顔が見たくて、私はその腕を解き放つ。
「えへへー」
腕を緩めても、もう彼女は逃げやしない。くるりと私に振り返り、みんなが大好きになったその笑みを、私にも惜しげもなく向けてくれる。
それが、あんまり可愛くて。
たまらなく愛おしくて。
「だから、ごほうび」
その名目で、私は彼女の額にそっと唇を触れさせた。
ちゅ、というだけの軽いキス。
「んっ、くすぐったい、よぅ」
くすくすと笑う花姫の声を聞きながら、静香が私を可愛がりたい理由が、少しだけ分かった気がした。
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静姉が起動した花姫を連れてきたのは、その日の晩の事だった。
「じゃ、登録は静姉の名前で?」
「ええ。マスターのマスターって事で、姫も納得してくれたみたい……」
なんか、ココをマスターと認識したり、検査の途中で逃げ出したり、色々騒ぎがあったらしい。でもそれも全部解決したみたいで、今はココも花姫も、ジルと楽しそうに遊んでる。
「ふえ……? ジルちゃんは、お姉ちゃんのお姉ちゃんなの?」
「そうだよ。だから、花姫もジル姉って呼びな!」
ああ。ジルったら、また変なこと花姫に吹き込んで……。
「ジルねー!」
「おー。花姫は賢いなぁ」
やれやれ。相変わらず、花姫には甘いんだね、ジル。
「えへへー」
全ての記憶を失っても、コアユニットとCSCの構成は同じ。基本の性格は、前の花姫とそんなに変わらないように思う。
CSCのゆらぎのせいか、少し子供っぽくなったかな……? そう思う程度だ。
「そうだ、静姉。花姫に、昔の話は……?」
「なるべく早く、ココがちゃんと話すって」
「そっか」
ココはそれで前にヒドイ目にあってるしね。まあ、ココならしっかりしてるし、いい神姫のマスターになれると思う。
神姫だけど。
「なー、ココー。やっぱ花姫、あたしにくれよー」
「バカ言わないでください。花姫は、私の妹なんですから。ね、花姫?」
「うん!」
テーブルの上では、ジルが抱いてた花姫をココが取り返してぎゅっと抱きしめてる。花姫も楽しそうだし、まあ、いいっちゃあいいんだけど……さ。
あんまり人んちの子に手ぇ出しちゃダメだよ? ジル。
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