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ドキドキハウリン その24 - (2007/03/31 (土) 02:37:34) のソース
ぱしゃりと水の音がして、部屋に湯気がふわり浮く。 静香の机の上でお湯を湛えたそれは、洗面器だ。 「えーっと」 机の上に頬杖を突いたまま、静香は私の話にため息をひとつ。 「要するに、あなたの意志を受けた獣王が、姫のスイッチを入れちゃった……と?」 体の汚れをたっぷりのお湯で洗い流しながら、私は首を縦に振った。 「たぶん……」 静香がお風呂の支度で一階へ降りた時だろう。 マスィーンズのAIは、私達神姫のシステムと繋がっている。本来は戦闘時の意思疎通や処理系のフォローに使われるそれが、どうやら違うほうに気を利かせてしまったらしい。 「なるほどねぇ……獣王の、ねぇ」 頬杖を突いたままの静香は、ニヤニヤ笑いながら私の入浴風景を眺めているだけ。 「何ですか……」 体を流す所を見られるのは、気にならないけど。 その意味深な笑いは、気になって仕方がない。 「べっつにぃ。ただ、獣王起動させて、何してたのかなーって思ってねー」 「う……」 そ、そんなこと、どうだっていいじゃないですか! 思わず叫び返しそうになったところに、彼女が飛び付いてきた。 「お姉ちゃん! 何のお話?」 洗面器の湯船の中。彼女は私の胸元に抱き付いたまま、無邪気にこちらを見上げている。 満面の笑顔は、その名の通り満開の花を思わせるほどに可憐で、どこかの姫君でも通るほどに愛らしい。 「な、何でもないですよ、花姫」 あまりに無防備な表情に少しどぎまぎしながら、花姫には何とか離れてもらって。 「ほら、肩までつかって」 「はぁい……」 私の言葉に素直に従って、洗面器の湯船に肩まで身を沈ませてくれる。もともと花姫は汚れてなかったから、お風呂に入る意味はあまり無いのだけれど。 「十まで数えたら、出ましょうね」 なんとなく。口元までお湯に沈めてぶくぶくやりながらの花姫と一緒に、数なんか数えてみたりして。 「ま、いいわ。とりあえず、こういう時は……」 その様子に私達用のタオルを広げながら、静香は軽く肩をすくめた。 「頼れる人に頼りましょう」 ---- **魔女っ子神姫ドキドキハウリン **その24 ---- それから一時間ほどが過ぎて。 私達は、エルゴにいた。 「静香ちゃんの予想通りだね。認証システムの一部が壊れてるみたいだ」 店の奥の作業部屋。ディスプレイに映る記号の羅列をスクロールさせながら、店長さんは静かに呟く。 「やっぱり……」 「……どういう事です?」 静香の家では検査の設備が足りないと、エルゴまで来たのはいいけれど……。静香と店長さんは専門用語の会話を続けるばかりで、見ている私には流れがさっぱり分からない。 肝心の花姫も、チェック機器に一度通した後は、お店の方で兎羽子さんや凛奈さんに遊んでもらっている有り様だ。 「説明すると、だね」 パソコンに繋がったシリンダー状のユニットを、指でこつこつと叩きながら。 「花姫のシステムをスキャンして、ざっとチェックしてみたんだけど……」 店長さんは今までの流れを、噛み砕いて話し始めた。 「イニシャライズプログラムの一部が、破損したまま起動しちゃったらしい」 イニシャライズプログラムというのは、私達が初めて起動した直後にだけ動く、初期設定システムの通称だ。主に自身の名前の設定や、マスター認証を行う……。 ……そうか。 「その壊れていた所が、マスター認証システムだった、って事ですか?」 「その通り」 マスター認証システムは、イニシャライズプログラムの一部。その名の通り自分のマスターを設定・登録するシステムで、これが正常に動いていたからこそ、私は静香をマスターとして認識し、今も主と呼ぶことが出来ているわけで。 「じゃ、私がマスターと認識されたのは……」 「認証システムが壊れてて、神姫と人の区別が付かなかったんでしょうね」 そのうえ、私が上の空で返事と名前を口にしてしまったものだから……。 絶頂を迎えた直後でまともに返事できなかったなんて、起動直後の神姫が判断できるわけがない。花姫が、私をマスターと認めてしまうわけだ。 「全く、なんでそんな事に……」 ため息をつく私に、店長さんの表情は硬い。 「……何度もシステムを書き換えられた後があったからね。多分、そのあたりでエラーが出たんだろう」 「……え?」 その言葉に、私は言葉を返せなかった。 システムを何度も書き換えさせたのは、どう考えても鶴畑大紀だろう。けど、彼の元に花姫を送る原因を作ったのは……。 クウガ。私の前身だ。 「ココ。自分を責めない」 ……人の考え読まないでくださいよ、静香。 「それだけ顔に出てたら、読むまでもないわよ」 そういう所を言ってるんです。もぅ。 「あんたがAI焼き切れるまで悩んでも、今の姫には関係ないんだから。どうせ考えるなら、もっと役に立つこと考えなさい」 「……はい」 ……ありがとうございます。静香。 そうだ。静香の言うとおり。昔の私の失態を悩むより、今考えるべきはこの先の問題だ。 反省は後にして、思考を切り替える。 「それで、花姫はこのバグで、どうなるんです……?」 まずは、そこだ。 「どうもしないわよ。イニシャライズ系のプログラムは起動後には動かないし、他の所にはバグはないみたいだしね。ココをマスターと認識してる以外は、普通の神姫と変わらないわ」 あの、静香……? 普通って、そこが問題なんでは? 「認証系が欠落したまま起動するケースや、神姫をマスターと認識する神姫がいないワケじゃない。今までの例じゃ、少なくとも……壊れたり、暴走したりする問題はないよ」 欠落した、の辺りでちらりと外を見たけれど。 店長さんも神姫と長く関わってきた人の一人。そんな経験も色々とあるんだろう。 けど、私が気になるのはそこじゃなくて。 「いえ、私が言いたいのは……そのバグは、治せるんですか?」 神姫が神姫をマスターと呼ぶなんて、どうかしてる。一応花姫には、私のことを『お姉ちゃん』と呼ぶように修正してはもらったけど……それはあくまでも、呼び方を変えただけ。彼女の中で私がマスターであることは、変わりない。 「治したいの?」 そりゃ、懐かれて悪い気はしない。 あの無防備な笑顔にマスターと呼ばれて、ドキッとした事も否定はしない。 「治したいというか……神姫をマスターとして認識するって、変じゃないですか」 でも、花姫は神姫の私ではなく、人間の静香をマスターと呼ぶべきだ。 出来ることなら、今の無邪気な花姫のまま、マスター登録だけを変えられれば……。 「認証システムは起動時にしか使われないからなぁ。もちろん、全システムを出荷状態に戻して再起動させれば、再認証も可能だろうけど……」 出荷状態って、まさか。 「初期化する、って事ですか?」 その時だった。 店に続く部屋の入口で、がたんという音がしたのは。 「……あ」 入口にいたのは、凛奈さんと……。 「花……姫……」 その手のひらに乗った、花姫だった。 「凛奈ぁ……」 「え、いや、花姫がココちゃんに会いたい言うから……間、悪かった?」 苦笑する凛奈さんに、店長さんは頭を抱える。最悪、という言葉も出てこないらしい。 でも、私もそれどころじゃない。 「あ、あの……」 違う。 否定の言葉が、出てこない。 何が違うのかが、分からなかったから。 「あ…えっと………えへへ」 言葉を失った私に、花姫は力なく笑うだけだ。 「わたし、おかしかったん……だね」 「花姫……!」 悲しげな笑みに、違うと叫びたかった。 でも、違わなかったから。 花姫は、神姫をマスターと呼ぶ、変な神姫だから。 私は『おかしくない』と、叫べない。 「そうだよね。へへ、なんか変だって思ったんだぁ。お姉ちゃんはわたしとおんなじ大きさだし……神姫って、静香ちゃんや店長さんみたいな人間をマスターに選ぶのが、ホントなんだよ……ね?」 瞳に浮かぶ涙の粒が、蛍光灯をきらりと弾く。 「あっ!」 次の瞬間、花姫は凛奈さんの手のひらから飛び出していた。 お店の方で兎羽子さんの悲鳴と、お客さんの声が連なって聞こえてくる。自動ドアの開く音も聞こえていたから、外に出てしまったらしい! 「……あの子!」 私も慌てて駆け出そうとして。 「ココ、追い掛けるの?」 静香の声に、呼び止められた。 「当たり前じゃないですかっ!」 神姫にとって外は危険で一杯だ。人間の子供でも危ないのに、その十分の一の大きさもない神姫が周りも見ずに飛び出して……無事に済むはずがない。 花姫みたいな危なっかしい子なら、なおさらだ。 「それは、花姫とマスターの問題よ?」 そのひと言に、私は思わず動きを止めた。 「…………」 そうだ。静香の言うとおり。 これは、神姫とマスターの問題だ。 でも。 静香の言葉を聞いてなおに、私はそれ以上足を留める気にはなれなかった。 「…………」 胸一杯に息を吸い込んで。ほぅと息をひとつ吐けば、熱くなりすぎていたAIからすうっと何かが引いていくのが分かった。 ……ああ、そうか。 そういう、ことか。 思わず笑みがこぼれそうになるけど、今はそんな場面じゃない。 「静香」 私は唇を引き結ぶと、一度だけ主の名を呼んだ。 「なぁに?」 「私も、不良品だったみたいです」 「そう」 迷うことのない私の言葉に、静香の返事はそっけない。 けどきっと、それでいいんだ。 私達は。 「私もダメマスターだから、おあいこね」 「そういうことにしときます……獣王!」 私の声に、トートバッグの中から飛び出してくるのは頼れる相棒。 「私の神姫を連れ戻してきます。マイマスター!」 たった一人の応援を連れて、私は外へと走り出す。 「ええ。行ってらっしゃい!」 背中に、最高のマスターの声を受けながら。 兎羽子さんから花姫の消えた方向を聞いて、全速力。聴覚センサーを最大にして、入ってくる音声情報を花姫の泣き声でフィルタリングする。 私の世界から、一切の音が消えた。 でも、私の足が緩むことはない。 周囲の警戒は獣王に一任。盲導犬のように寄り添い、私の足の動きを軽快に避けながら、獣王は私のもう一つの耳になってくれている。 音のない世界。 「……っく」 そこに、小さな音一つ。 いた。 方向を変えようとすると、獣王が私の進路を塞ぐ。 「……ありがと、獣王」 背後から来た自転車を見送って、私は再び疾走開始。 「……ひっく」 少しずつ、求める声が大きくなる。 屋根に上り、塀を駆け抜け、広い公園へ出た先に……。 「ひっく……ひっく」 彼女は、いた。 「花姫!」 「あ……っ!」 逃げようとする花姫に、獣王が突撃する。 彼女が獣王に進路を塞がれているところに、私が後ろから回り込んで。 「捕まえたっ!」 「やだっ! やだぁっ!」 抱きしめた私の腕の中。花姫は振り解こうとバタバタ暴れるけど、もう逃がしたりなんかしない。 「花姫……」 暴れ、泣き叫ぶ耳元に、優しくその名を囁いてやる。 「ひぅ……っ!」 「ほら、落ち着いて、花姫」 「ひ……」 「花姫」 「…………うん」 何度も何度もその名を呼んで。私の腕が軋み始めた頃、ようやく花姫は暴れる手足を緩めてくれた。 「ん、良い子」 でも、その腕は離さない。後ろから抱きしめたまま、そっと頬を重ね合わせる。 「……お姉ちゃん」 それで安心してくれたのか、やっと花姫は私の名前を呼んでくれた。 「わたし、変なの?」 「どこから聞いてたんですか?」 花姫の瞳に浮かぶのは、大粒の涙。抱いたままの指先で拭ってやりながら、私は静かに問い掛ける。 「凛奈ちゃんに連れてってもらったら、お姉ちゃんが、わたしのこと変って……」 あー。 一番、間が悪いところだ。 まあ、誤魔化しても仕方ないか。 「ホントは神姫って、人間をマスターにするものですしね……。花姫は、そこが変なんですよ」 両手は優しく抱きしめたまま。落ち着いてくれているのか、その言葉で花姫が暴れ出す様子はない。 「じゃあわたし、おかしいの? データ、消されちゃうの?」 ああ。起動したてで幼く見えるけど、彼女もちゃんと神姫なんだ。その理屈だけは、ちゃんと理解しているらしい。 「花姫は、どうしたいんです?」 「消されたくなんかないよ! わたし、お姉ちゃん……マスターと、ずっと一緒にいたい! お風呂に入ったり、遊んだり、もっともっと仲良くしたい!」 マスター。 呼ばれたその名に、胸がどきりとする。 自分で呼ぶときは何とも思わないのに……呼ばれて生まれた昏い想いに、私も欠陥品なんだと、実感する。 「なら……」 でも、欠陥品でも何でもいい。 私は。 私は……。 「いいですよ。そのままで」 「……ふぇ?」 この子と、一緒にいたい。 この子と静香とみんなと、ずっと一緒にいたい。 「わたしが変でも、データ、消さない?」 「消すもんですか」 頬を寄せ、ぎゅっと抱きしめる。 「花姫が変なままでいいなら、私も変なままってことですしね」 「……え?」 不思議そうな花姫に、私は笑みを一つ。 「神姫の私が花姫のマスターになりたいなんて、変でしょう?」 でも、花姫が可愛くて仕方ないんだから、しょうがない。 もう一度……いや、一度と言わず何度でも、マスターと、お姉ちゃんと呼んで欲しい。 それが、欠陥品の、私の想い。 「……変、だねぇ」 そんな私の腕の中。花姫は、やっとくすりと笑ってくれた。 「でも、お姉ちゃんも変なら、おそろいだね」 変のひと言で片付けたいなら、いくらでもそう呼べばいい。それでこの幸せが得られるんだったら、安いものだ。 「ええ。ついでに、それをいいって言う私のマスターも変だから、三人でおそろいです」 そして、静香も。 私の大切なマスターも、巻き込んでやる。 「おそろいなら、変でもいいや」 「ん、良い子ですね。姫は」 微笑む花姫の顔が見たくて、私はその腕を解き放つ。 「えへへー」 腕を緩めても、もう彼女は逃げやしない。くるりと私に振り返り、みんなが大好きになったその笑みを、私にも惜しげもなく向けてくれる。 それが、あんまり可愛くて。 たまらなく愛おしくて。 「だから、ごほうび」 その名目で、私は彼女の額にそっと唇を触れさせた。 ちゅ、というだけの軽いキス。 「んっ、くすぐったい、よぅ」 くすくすと笑う花姫の声を聞きながら、静香が私を可愛がりたい理由が、少しだけ分かった気がした。 ---- 静姉が起動した花姫を連れてきたのは、その日の晩の事だった。 「じゃ、登録は静姉の名前で?」 「ええ。マスターのマスターって事で、姫も納得してくれたみたい……」 なんか、ココをマスターと認識したり、検査の途中で逃げ出したり、色々騒ぎがあったらしい。でもそれも全部解決したみたいで、今はココも花姫も、ジルと楽しそうに遊んでる。 「ふえ……? ジルちゃんは、お姉ちゃんのお姉ちゃんなの?」 「そうだよ。だから、花姫もジル姉って呼びな!」 ああ。ジルったら、また変なこと花姫に吹き込んで……。 「ジルねー!」 「おー。花姫は賢いなぁ」 やれやれ。相変わらず、花姫には甘いんだね、ジル。 「えへへー」 全ての記憶を失っても、コアユニットとCSCの構成は同じ。基本の性格は、前の花姫とそんなに変わらないように思う。 CSCのゆらぎのせいか、少し子供っぽくなったかな……? そう思う程度だ。 「そうだ、静姉。花姫に、昔の話は……?」 「なるべく早く、ココがちゃんと話すって」 「そっか」 ココはそれで前にヒドイ目にあってるしね。まあ、ココならしっかりしてるし、いい神姫のマスターになれると思う。 神姫だけど。 「なー、ココー。やっぱ花姫、あたしにくれよー」 「バカ言わないでください。花姫は、私の妹なんですから。ね、花姫?」 「うん!」 テーブルの上では、ジルが抱いてた花姫をココが取り返してぎゅっと抱きしめてる。花姫も楽しそうだし、まあ、いいっちゃあいいんだけど……さ。 あんまり人んちの子に手ぇ出しちゃダメだよ? ジル。 [[戻る>http://www19.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/811.html]]/[[トップ>http://www19.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/118.html]]/[[続く>http://www19.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/849.html]]