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デイヴィッドソンの沼女

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デイヴィッドソンの沼女 ◆JvezCBil8U



私達は、今回発生したケースを観察していくつかの疑問を得た。

魂とは、如何なるものなのだろうか。
個とは、自我とは何なのか。
己が己たる理由は何処にあるのか。

種属全体の記憶野――集合意識を持ち、情報の共有を行う私達には理解しにくい概念ではある。

――固有の記憶、と答える者もいるだろう。
しかし記憶とは、それ程に確かなるものなのか?
容易にそれは改竄ができ、また忘却の海に沈めば二度と浮かんでこない事もまた多い。

思う故に我在り、とする哲学者も、私達の故郷に現れた異邦人の星にはいたらしい。
だが、集合的無意識が遍く生命に存在するとしたならば、どこからどこまでが個の意識として確立しているのか。

それだけではない。
同じ体の中に、一つの意志が配当されているとも限らないのだ。
例えば、狂信者の集団から選り抜かれた二重牙と死出の旅路のように。

個々の我の中にも、幾つもの相反する思考や選択肢は常に浮かび上がる。
もっとも単純なものでは、アニマとアニムス。女性的思考と男性的思考の仮面が挙げられるだろう。

そして、私達はここに来た事で――知ってしまった。
並行世界の存在を。

ここに仮に、二つの世界があったとしよう。
その二つは、とある時点まで全く同じ歴史を歩んでいたとする。
違うのは、たった一つの事項だけ。
その二つの世界のどちらにも住む、同じ名前と同じ記憶と同じ能力を持つ人間が――、
片方の世界では右手を、もう片方の世界では左手を、何気なしに上に挙げた。
それだけの違いだ。

ところで。
この、右手を挙げた彼と左手を挙げた彼は、本当に並行世界の同一人物と呼べるのだろうか?

ここで魂の同一性を論じる事は、無意味だ。
もしここで例示した事象が彼の人生に大いに影響を与える事ならば、間違いなく最終的にはそれぞれの世界の彼は別人と呼んで差し支えなくなるのだから。

辿り着く先の性質で論じるならば、それぞれの魂は同一性を保てない。


――逆に言えば。

その本質がどれ程異なる経験を経ても変わらぬほどに強固ならば、如何に違うペルソナを持っていようと――、


*****


どうして、いつもいつも間に合わないんだろう。

ちくしょう、ちくしょう。

ちくしょう……っ!

オレ、なにやってんだろうなァ……。

ほっぺが涙でがびがびだ。

なっさけねえ、……なさけねえ!

でもよ、こぼれちまうんだ。

涙だけじゃなくていろんなものが、オレからはこぼれ落ちちまう。

「……キリコの、おじさん」

……この手の中には、もうなにも言わないおじさんがいた。
あの陰気だけど、どっか優しそうなおじさんは、もういないんだ。
ブラックジャック先生って人も、死んじまった。
立派なお医者さん達がどんどん先に逝っちまうなんて、ひでぇよ。
なんで、生きなきゃいけねえ人ばっかり死ぬんだよぉ……っ!

キリコのおじさんはきっと、この診療所で治療をしてたんだ。
治せる限りは治すって言ってた通り、ここで助かる人を助けるつもりだったんだ。

なのにこれは……ひっでぇ、よ。

「ちくしょう……っ!」

ほんのりとだけど、おじさんの体はあったかい。
たぶん、こうなってから何時間も経ってねぇんだ。

ぎゅって歯を食いしばって、泣かないようにしても……駄目だった。

……デパートに向かう前にこっちに来てたら、間に合ったのかなァ。
でも、聞仲さんが誰ひとり生きてはいない、って言ったのに、それに頷けなかったのもオレの正直な気持ちで。

桂先生と出会ってすぐにあのデパートが崩れて、心配になったんだ。
まだ生きてる人がいるんなら助けなきゃって、いてもたってもいられなかった。

あそこの近くはまだ危ないと思ったし、だからオレは聞仲さんに桂先生を任せて様子を見に行った。
けど……、やっぱり、誰ひとり生きちゃあいなかった。

筋肉モリモリで強そうな兄ちゃんは、言いたかねぇけど見ただけで吐きそうになっちまったし、
爆弾かなにかでぐちゃぐちゃになった死体もあった。動物と女の子の合体したような妖怪もいた。
瓦礫の下は……オレの力じゃあ確かめる事も出来なかった。

ひとりひとり、息がないのが悲しくって、せめて手を合わせて顔を覚えることにした。
そんな中で放送が始まって……、オレは、聞仲さん達の所に戻ったんだ。

聞仲さんが診療所に行けば生き残りがいるかもしれないっていってくれたのは、オレを気遣ってくれたんだと思う。
……聞仲さんがデパートに行くなって言ったのは、きっとこうなるって分かってたんだろうなァ。
そんな優しさが胸に染みて、でも救えなかった事が苦しくって。

ほんの小さな希望を込めて、桂先生に肩を貸しながら診療所に来て……。

そしてオレは、キリコのおじさんが死んだ事を突きつけられた。

放送でもう死んじゃってるって分かってたはずなのに、知っている人の死体を見るのは……ツラかった。
もう、こりごりだ。

麻子ォ……、どうして、こうなっちゃったんだろうなァ。

蝉兄ちゃんの言葉が頭に浮かぶ。

『うしお、自分を信じて対決していけ』

……ツレぇよ、蝉兄ちゃん。
自分を信じ続けるって、ツレェよ。

オレなんか、そんなにスゲェヤツじゃねえもん。
とらにも、流兄ちゃんにも、獣の槍にも見放されたんだぜ?
フツーの、絵描きになりたいだけの、どこにでもいる中学生なんだぜ?

こころがぼろぼろになって、壊れちまいそうだよ……。

……白面、め。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう!
白面!
どうしてこんな、殺し合いなんかさせるんだよぉ!
流兄ちゃんを殺し合いに乗らせて、何企んでんだよッ!

……そんな時だった。

オレの肩に、ポンと手が置かれたのは。


*****


診察室の方をうしお達に任せ、待合室を探索しながら先刻の放送を回想する。


「……高町亮子も死んだ、か」

――黙祷を捧げる。
せめて、あの高潔な少女の死が安らかで満たされたものであればいいと。

彼女の言葉が、脳裏に浮かんだ。

『……なあ、あたし達仲間だよな?』

仲間……か。
気の強さで言えば、どことなく朱氏を思い浮かばせる少女だった。
よもや今になって仲間という言葉に心震わされるとは、な。
それだけに――久しく感じた事のない感情が私の中にある。

この感情は何と言っただろう。
悲哀、と呼ぶべき気もするが、そうでない気もする。
一つ確かなのは我々生者はこの気持ちを決して忘れずに、抱えていかねばならないという事だ。
彼女の――、いや、彼らの死に応え、生きるべきものを還さねばならないと。

エドワード・エルリックは何処に居るのだろうか。
あの少年も、佳い気骨の持ち主だった。
うしおと年が近しいこともあって、彼の友となってもらいたいとも思う。
良き友の存在はそれだけで己を磨きあげる原動力となるが、それ以上に心の支えとして大きくなるもの。
……私と飛虎のように。
幼き年頃ならば尚更だ。
彼らならば仲良くなれるだろうし、この無惨な場で互いの立って歩く力と成り得るはずだ。
うしおの人を惹き付ける才や器量は大したものだが、それでも未熟な精神には限界がある。
私のような年長者では癒せぬ傷も多かろう。
だからこそ。
だからこそ、あの少年とまた共に行動したいものだと思う。

そして、エドワード自身の身もまた、私にとっては案ずるべきものなのだ。
彼が私を奮起させたからこそ、私はまだこの場にとどまり、うしおと出会う事が出来た。
……若者の力というものは、素晴らしいものだな。
新しい風。
それを食い潰すものがあるならば、この身などくれてやっても惜しくはない。

……まったく、私はいつの間にこれほど老いたのだろうか。

時代の移り変わりは世の常。
それを理と知っていながらも、私は私自身が既に青くない事に幾許かの寂寥を感じずにはいられない。
やけに年代を経たように思わせる、その壁に架けられた絵のように。

「む……?」

かた、という音と共に手に取ったその額縁の中には、見知った顔が存在していた。

「これは……」

申公豹とムルムル。そして、他にも記憶から湧きあがる存在。

「…………」

鞄に収め、持っていく事にする。

これが此処にある、という事は、他に何かあるかもしれない。
待合室から通じる扉は、全部で3つ。
玄関と診察室に繋がる廊下。
便所。
そして、非常口。

便所を開けてもその先に見えるものは白い陶製の物体だけだ。
順序立て、非常口と書かれた扉に手を掛ける。

その向こうには、階段があった。
どうやら地下へと繋がっているらしい。

「……非常口、という割にはその役目を果たしそうにないな」

呟き、階下を覗き込む。
すると――深淵へと真っ直ぐに伸びる回廊が伸びているのが見えた。
どうやら、何処かへ向かう通路であるようだ。

警戒を深め、前方に意識を集中。
そのまま階段を降り目を凝らす。
遥か向こうに、今しがた潜った非常口の灯りと同じ緑色の光がある。
そこまでしか回廊は存在していないのか、それとも回廊の途中にまた扉があるのかどうかは此処からでは見て取れない。

……シェルター、あるいは何処かに繋がる非常用通路。
そんな印象を与える場所だった。

「……一人では手に余る。向かうにせよ退くにせよ、単独行動は慎むべきだな。
 探索はうしおたちと合流してからか」

背を翻し、階段を戻る。
ギィ、と扉を押し開け診療所へと足を踏み入れたその瞬間、気付く。

人の気配がない。

歯を、強く噛む。

「……ッ! 雌狐め、器の主を慮って寝かせておいたのが裏目に出たか……。
 何を企んでいる……?」

誤算だ。
私を利用するつもりならば、こんなにも早く機嫌を損ねるような真似はしまいと読んだのだが。
知人の亡骸の前で泣き崩れるうしおの、一人にしておいて欲しいという言葉を飲むべきではなかった。

急ぎ診察室に入れば、そこにはすぐ戻るとの書置きが残されるのみ。
が、これを鵜呑みにして妲己とうしおを二人きりにしておけるほど、私は楽観主義ではない。


「……まだ遠くはないはずだ。急がねば……」


*****


偶然、ここのすぐ近くを通りがかってくれるなんて、ねぇん。
ううん、わらわを探しているのかもぉん、やん、怖いぃん。

……でも。潤也ちゃん、すごく、ステキよぉん。
あはん、ちょっとだけ見ない間にとぉっても立派に成長してくれて……。


わらわ……、アレ、欲しいわぁん♪


さっきのバケモノちゃんにそっくりで、器としてすっごく魅かれるモノを感じるのぉん。
でもぉん、聞仲ちゃんは何だかんだで優しいから、言ってもアレを確保してはくれないでしょうねぇん。
もっと無難なものを持ってきちゃいそうだわん。

そんなの、わらわ耐えられないぃん♪

わらわ、都合良く使えそうなモノの気配も、ちゃあんと感じ取れてるのん。
ビンビンって、すっごく、ねぇん。


くすくすくすくす……。


だから、頑張ってちょうだいねぇん。
う・し・お・ちゃぁん?


*****


「うー……気持ち悪っ!
 ちょっとあんた、二日酔いの人間背負って何してんのよっ!
 あ、あんまり揺らすとミソ出ちゃう……!」

マ、ズ……! また吐きそ。
ちょっとこのガキ、なんでこんな思いっきりシェイクシェイクしてくれてんのよ。
“たった今起きたばかり”でどうしてあたしゃこんな目に遭ってんのよー。
荷物と一緒くたにされて背負われてるってないわー、これでも女だっての。

ああくそ、全部日本が悪い、政治が悪い!
事業仕分けだとざっけんなー、教員への待遇改善を要求するー!
ぽっぽっぽー、はとぽっぽー、支持率欲しけりゃ辞職しろー!

「ちょ、ちょっと何言ってんだよ桂先生ェっ!
 知ってる人が“あそこ”に向かうのが見えたから急いで追ってくれって頼んだのは先生じゃねぇか。
 それにミソなんて出ちゃったら大変だろ!」

おいコラだれがオミソだってー?
そういうヤツこそがオミソなんだよーだ!

「つーか、知り合いって何よー。なんであんたの知り合い探しに付き合わなきゃいけないのよぅ……」

「だーかーら! 知り合いがいるって言ったのは先生だろ!?
 ふざけた猫撫で声で『わらわをあそこまで連れて行ってほしいのぉん』なんて言ったのはさ!」

「はー? なんだー? そんなん一っ言も言ってないわよー!」

「ああ、もう……! くそ、もうそれどころじゃなくなってるけどさぁ……」

……ん?
どーしたのよあんた。そんな……泣きそうな顔して。
走っている辛さだけじゃないっぽいぞ?
名前は……なんて言ったっけ。ちくしょー、頭ん中靄でもかかってるみたいで脳使いたくない。

……けど。
子供がこんな顔してるのに放っておくほうが、キツいっしょ。
あたしだってセンセなんだから、さ。一応。

……えーと確か、こんな名前だった……はず?

「……岡崎汐、だっけ?」

ん!? まちがったかな……。
いきなりガクンと体が揺れた。うげ、ま、また吐き気が……。
どこぞのお嬢様の詳しいジャンルっぽいなー。

「名字が違うって! なんか名前の漢字も違う気がする……」

まーいいや。

「あのさー、うしお。……なに、ムリしてんのよ」

「……え?」

うっわームカつく反応。
なによう、あたしだって真面目な時は真面目なんだぞ!?

「……先生って、ホントに先生だったんだな」

「そりゃああんたよりずっと長く生きてるしね。
 で、どうしたのよマジで」

口を引き結んで、うしおは息を呑み込む。
ちらっと振り向いて向けた視線はあたしを通り越していってる。

「……後ろ、なんだけどさ」

ジャーンジャーン。

「げぇっ、関……じゃなくて何よアレ!」

うっわー、なぁによあのバケモン。
物騒なモン持ってこっちに突き進んできてる。
よーするに、アレがあたしたちを追っかけてるからこのコは逃げてるワケね。
でももーあんましないうちに追い付きそーな……。

……って! んじゃあノンビリしてる余裕なんてないじゃん!
ばしばしとあたしを背負ったうしおの背を叩く。
ハリーハリーハリー!

「…………」

ありゃ、反応がない。

「……うしお?」

呼びかけてみると、うしおは俯いてぼそぼそと何かを呟く。

「あいつ……元は人間なんだ、きっと」

「きっとって……」

ちょい待ち。アレのどこが人間だって―の。
体はなんかヒビ入ってるし、目は皿みたいにまん丸だし、歯は牙みたいにとんがってるし。
珍獣、なんていって見世物にすれば儲かりそうだわ。

「分かるんだ、あいつ……獣の槍使ってああなっちまったんだ。
 ちくしょう……、オレが、獣の槍に見捨てられてなけりゃあ、あんな事にさせなかったのに。
 どうしてか分からねえけど、獣の槍が復活してたのは、嬉しかった。
 だけど、だけど……っ! 槍に魂吸われた人が他にもいるなんてよォ、酷過ぎるぜ……。
 まさか……槍に命を狙われるくらい、嫌われてるなんて、思って……なかったんだ」

???
うむ。何言ってるか全然分からん! 

「……あのさー。よく分かんないけど。
 あの槍はあんたのモンで、どうしてか分かんないけど、いまはアイツが使ってると」

でも、まあ。
話は分かんなくても、この子がどうすべきかってのはあたしにも分かる訳だ。
そして、見捨てるとか何とか命狙われるとか、その辺りにこの子が何か負い目を追ってるって事も、ね。

だから――、

「……うん」

頷いたうしおに、コツン、と軽くゲンコを落とす。

「こらこら、落ち込まない。
 で、あんたはどうしたいの? 大切なモン奪われて、挙句の果てにそれ使って嫌がらせされて。
 どうにか振り切って逃げ続けて、このまま泣き寝入る?」

ぶんぶんと、首を振るうしお。

「ジエメイさんの言ってた通り、もう二度と、憎しみなんかに負けたりはしねぇ。
 ……ギリョウさんに、許してもらいてえよ。もう一度獣の槍と一緒に、闘いてぇよォ……っ!
 槍を使ってる奴だって、助けたいんだよ!
 でも……槍が。それに、槍を使ってる奴も……」

あー、もー、めんどくさいなー。
他人なんて、存外あんた自身の事見ちゃあいないっての。
いちいちそんなの気にしてたら、本当にやりたいこと、手放したくないものまでどっか行っちゃうでしょーが!

だから――怒鳴る!

「でも、じゃないの! 甘えんな!
 ……逃げてんじゃないわよ。立ち向かって、頬をはたいて、取り返してきんさい。
 見限られたとかウジウジ思ってる奴と仲直りしたいなんて、あの化け物だって思うはずないでしょーが!」

「先……、生」

ごしごしと涙を拭いて、うしおはにかっと笑った。

「おうっ!」

ん、いい顔だ。
あと10歳……、いや、5歳あればいい男だったろうにねぇ。

「でも……どうやりゃいいんだろう。
 今のオレじゃあ、真っ向から戦っても勝てねえよな……」

「んー、そうねぇ……」

ま、なんか良く分かんないけどガキの喧嘩でしょ、なんか良く分かんないけど!
そして何かテキトーな言葉を返そうとして、気付いた。

口が、動かない。

ドクン、と自分の心臓の鼓動が、やけに大きく感じた。


そして――、あたしは、耳慣れないようで毎日付き合っている声を聞く。


「いい考えが、あるわよぉん……?」

理解。
ああ、これは――あたしの声だ。

勝手に口が動く感触がする。淫靡に。

キモッ。

そんな脊髄反射と共に、あたしの意識はどろりとした黒に呑み込まれていった――。


*****


憎い……。

憎い……。

憎いぞぉ……。

世界が憎い。
肉親を殺した世界が憎い。
肉親を殺そうとする世界が憎い。
肉親の命で自分で遊ぶ、この殺し合いという環境そのものが憎い。

それを開いた悪鬼が憎い。
運命を弄ぶ神が憎い。

否、否、否!

神に非ず――人に非じ。
人心で粘土の如く遊び、魂を汚す存在など神でなし!
其は、バケモノ!

憎い、憎い、憎い。
バケモノが、憎い。

我が兄/妹を死に追いやりしバケモノよ。
全ての陰の気より生まれ出たバケモノよ。

貴様の名を我は叫ぼう。

そう――白面!

貴様を滅すまで、我は止まらぬ。
眼前に立ちはだかる如何なる肉の塊も殺し尽くそう。


嗚呼――兄貴/ジエメイ。
俺/我の大切な、掛け替えのない家族。


×××を守る為ならば、獣になっても構わない。

進んで進んで進んで、諸悪の根源を、家族の脅威を討ち果たせ。


俺は、俺の名は何と言ったっけ。
頭の中に響く声に引きずられて、俺という名の器が崩れていく。


いちどけものになれば、にどとひとにはもどれない。


大切なものがぽろぽろ剥離していくのを感じる。
俺が俺でなくなり、どす黒い誰かと混ざり合う。

それでも憎いものを見据えて、走っていく。


「はぁぁぁああぁぁぁくめぇえぇえェェええエェん……ッ!」


そうだ……、全てが白面の仕業に違いない。
先ほどまみえた時も、かの女は言ったではないか。
兄の命が惜しくば――と。

白面、白面、白面、白面憎しィィィ!

白面さえおらねば、兄貴/ジエメイはァァアアァッ!

そら、あそこに見えるが白面だ。
姿を変えたとて俺には分かる。

こちらに背を向け、無様に逃げ惑うかの醜女。

その心の臓腑に抉り込むまで、何人たりとも道を塞ぐこと許しはせぬ。

ジエメイ/兄貴の死の償いは、万死億死を以てでもまだ足りぬ!


貴様を殺せば兄貴/ジエメイとの生活が取り戻せるならば、
彼奴を庇う者も只では措かぬ。

立ち塞がるな、ニンゲンッ!
そうする間にも俺の兄貴/ジエメイを堕とした根源が更に更に遠くへ進むッ!

交叉。

刃と刃とがぶつかり、俺の邁進が食い止められる。

ああ、ああ、この顔は、この子供は我に見覚えがあるぞ!
俺には覚えがなくとも我には分かるゥッ!


犬畜生めが、返すものかよ。卑しくも取り返しに来たのかよォォォッ!
返すか、返すか、返すか返すか返すか返すかッ!
兄貴を守れるこの力を、手放してなどやるものか!

……憎い。憎い! 憎いィィイィィッ!
力を奪い返そうとするこ奴が憎い!

ならば振るえ。容赦なく振るえ。
今この槍は俺の力なのだッ!

そう、容赦なく食らいつくせ、槍よ俺の魂をッ!

喩え蒼月(ツァンユエ)であろうと、薙ぎ払うまで――!



「憎い……憎い憎い憎い憎いィィィッ!
 其処を、退けェッ!」

一撃、二撃、三撃四撃!
擦れ合い飛ぶ火花も今の俺には届きはしない。

そんな……紛い物の槍で止められるかァッ!

弾く。

踏み込む。

突き飛ばすゥッ!

ははは、見ろ我/俺よッ!
いぃぃぃい具合に子供が空を飛んでるぞォォォッ!


蒼月(ツァンユエ)、温しィィッ!


届く、届くぞ。我等は届く!

もはや障害は眼前に非じ!

あと十歩か九歩か七歩か六歩か!
五歩か四歩か三歩か二歩かァ!


女ァ、死ィィィィ……ねェェェッ!


さあ、この刃を臓腑に抉り込もう。

一歩踏み込み、零を貫くぞォッ!


取ったァ……ッ!



ザクリ。




……なんだァ、この……感触……は……?



*****


クソ……、ちぃっと目ェ離した隙に、やりすぎだぜママ。
躊躇いのないあんたの性格は分かってるし、だからこそもうちょい慎重に事を進めると思ってたんだが。

ま……、今のオレに、今のアンタをママなんて呼ぶ資格があるかどうかは疑問だけどな。
逆もまた然り、か、反吐が出るぜ。

……参加者を弄るのはできる限り避けるとか何とか聞いてたんだがな。
まあ、魂魄の消滅の危機ってのは確かに焦る理由になるだろうから、不自然じゃあないといやあそうなんだが。
もし直接的に弄られてないんだとしたら、他に原因があるって事……か?
魂魄の在り様が良く似たモノに引き摺られた、とか。

考えても答えは出ねぇか。


ああ、ったく!
オレの怠慢のせいってかよ。そりゃあ龍脈の乱れとやらは後回しにしていたがよ……。
こうなったのは参加者連中の暴挙の結果と、ついでに趙公明のヤローがスーパー宝貝なんざで更に空間を歪めたからってのもあるんだぜ。
本当にアンタは傲慢そのものだな、もうちょい客観的に自分を見つめる事をお勧めするぜ。


……クソッタレ。

はいはい、やることやってくりゃあいいんだろ?


*****


……何だ。

何事だというのだ。


「一体これは……何が起こった!?」


目を凝らしても、現実は変わらない。
私の目の前に広がるは――、

バケモノ。
バケモノ。
バケモノ。

――形容しがたい何か、異界の住人。

群れ、と称しても構わない数が眼前に遊んでいる。
優に百は超えるだろうか。
かつての姿を忘れ、もはや何と呼べばいいのか分からぬ実体なき肉塊たち。

明らかに人の営みの範疇の外にある存在達が、そこかしこに跋扈している。

「く……、うしおは、無事か!?」

間違いない。
あの雌狐が、現世と幽世(かくりよ)の境を掻き乱したのだ。

デパートとやらが崩れた時から、龍脈が乱れたことは感じていた。
恐らくそれを突いて何らかの干渉を起こしたのだろうが――、

「いや。考えるのは後にせねば……!」

駆ける。

と、無数の異形が得物を見つけこれ幸いと私に飛び掛かる。

腐臭にも似た血の香が、鼻に突く。

ギイギイと、言葉に満たぬ囀りが姦しい。


「雑衆が……、黄泉へと還るがいい」

擬なる禁鞭を掌に。

一振りで、二桁を超える妖物が宙に舞う。
二振りで、取りこぼしの頭蓋を砕き散らす。
三振りで、死せるも勢いづいたままの屍を薙ぎ払う。

爪を光らせ奇襲するモノを吹き飛ばし、
牙剥き低く地を蹴るモノを叩き潰し、
拳を握り猛進するモノを突き上げる。

鞭の暴風の前に万物は平伏し、私はその目と成りて屹立する。

贋作とはいえ、使い勝手は悪くない。
だがそれ以上に――こ奴らが弱過ぎる。

……脆い。私の敵ではない。
このような者どもを呼び寄せて、一体狐は何を考えている?

いや――、そもそも、連中は何処から湧き出たのだ!?

この世ならざるものを蹴散らしながら掻き分け突き進み、しかし思考は止まらない。

幽世と現世が繋がったならば、本来異界の住人の質も量もこの程度で済みはすまい。
故に、掻き乱された幽世は、この閉鎖空間の内に異相として存在しているとは理解できる。

だが、ならば。
どうしておそらく“神”により創造されたと思しきこの空間に、幽世などというものが――幽世の住人が存在しているのだ!?
本来ならば、殺し合いなどとは無関係であろう存在が。

……参加者の魂魄の成れの果てか?

可能性は、ある。
殺し合いに巻き込まれた悲愴なる魂の残滓が、この島の随所に刻み込まれていたとしても異論を持ちだすものはいまい。

だが、それにしては弱く、数が多すぎる。
明らかに放送で読み上げられた人員より多く、また古兵の強さも持ち合わせない。
此度の参加者には強き者どもが多くいる以上、彼らの末路とは考えづらい。

ならば、やはり最初の疑問は残る。
この輩は、何処から来たのか。

そして、太公望を始めとする強き者どもの魂魄は――何処に向かったのか。

……前者と後者について、それぞれ思いつく可能性がいくつかある。

例えば前者は、“無数の人の魂魄を錬り成した物品”があったとすれば、説明はつく。
その物品がこの殺し合いの最中に消滅することがあったとするならば、解放された魂魄は幽世に辿り着いて鬼の形を取るだろう。
他にも、この殺し合いが幾度も繰り返された可能性も考えられるが――、“どうしてか”私はそれが正解だとは思えなかった。

後者に関しては、非常に単純な説明ができる。
封神台が機能していさえすればいい。強き者の魂魄を集めるならば、あれ以上の機構はあるまい。

……強き者の魂を一か所に集める事に、如何なる意味があるのだろうか。

思索しようとしたまさにその時に、幸か不幸か私の目は求めるかの少年の背を探し当てた。

場所は――推測の通り龍脈の乱れの中心、デパート。

「……うしお!」

槍一本で応戦するうしおの、歳に似合わぬ立ち回りに舌を巻く。
が、見とれる訳にもいかぬか。

贋作を一閃。

四方からうしおを囲んだ禽獣が、ぎゃあと鳴いては千切れ飛ぶ。

「ぶ、聞仲さん!?」

一拍遅れたうしおが取るは、こちらを振り向きながらの前方への薙ぎ。
私の討ち洩らした一匹を斬り飛ばす。
……いらぬ心配だったか。
私が贋作を振るわずとも、十二分にこの少年は場の打開を成せるのだ。
応と答えてその背に駆け寄る。

「……一体、何があった?」

「わ、分かんねぇ……。でも、桂先生の言う通りにしたらこうなっちまったんだ」

――うしお曰く。

診療所の窓から、桂雪路が知り合いがデパートの方面に向かうのを見つけた。
急いでいるようで、酔いのまわった自分では追いつけないと判断し、うしおの背に乗って追うように頼んだ。
診療所を出てすぐの道中で、彼の愛槍たる“獣の槍”とやらに身を委ねた者が彼らを追い始めた。

彼の力は凄まじく、とても立ち向かえないと判断した二人は、桂雪路の策とやらを試す事にした。
うしおが時間を稼ぐ間、出力を絞った映像宝貝で桂雪路の幻を作り出し、それを囮にして隙を作り出す――と。

だが。
獣の槍の仮の主が幻を貫いたその時、空間そのものが罅割れるように開き、中から無数の彼岸の住人が溢れ出てきたというのだ。

……狐め。
宝貝にも匹敵する獣の槍を用い、冥界の扉を開いたか。
成程、幽世と現世の境界の霞んだ中心部に己が幻を投影し、そこを切り裂かせるよう仕向ければ不可能ではないだろう。

恐るべきは――“獣の槍”か。
凄まじい力を持つ霊装のようだ。

……だが、大き過ぎる力は必ず代償が必要となる、宝貝が仙人骨の力を原動力とするように。
獣の槍の力は何を由来としているのだろうか。
嫌な予感がする。それを知る事が真実に近づくと勘が告げるが、知らぬ方がよいとも警笛を鳴らしている。

うしおが本来の主だということだが、果たしてこの少年は何を犠牲に今まで戦ってきたのだろうか。

脳裏に纏わりつく疑問も、しかし今は瑣事だ。
あの狐の謀を暴かねば、どれほど自体は悪く回るか。

うしおに、問う。

「……その当人は何処に?」

「それも、分かんねぇ。
 ……妖怪が溢れて、こうやって追い払ってたら、いつのまにか姿見えなくなっちまった。
 くっそぉ、どうしてこうなんだよ! どうして、どうして守る事もできねぇんだよぉっ!」

嘆くな――と肩に手を置くも、慰めにはならぬだろう。
この少年は、心底真っ直ぐな気質を持つゆえに。
しかし折れぬからこそ、全てを抱え込む。
……守らねば、な。
あの秋葉流の様に、嫉妬にこの身を焦がされる事もあるだろう。
だがそれでも、汚してはならない眩しさはかけがえのないものなのだから。

……事態は刻々と過ぎてゆく。
いくら贋作を振るえど、異形はますます数を増す。

「……いくらやっつけても、キリがねぇ。
 全部倒しても、すぐにあちこち埋め尽くしちまう……」

一体一体は紙の如く潰せるが、確かにこれでは終わりがない。
……狐の企みが、読めん。
よもやこんな七面倒なだけの嫌がらせが目的ではないだろう。
奴の転生先にするためかとも思ったが、それ程の大物も見当たらない。
そんな不確実な博打を打つとも考えづらく、やはり何か起点となる存在がいる――と考えるのが妥当か。

思考がそこに辿り着くと、同時。

禽獣の海の一角が、盛大に爆ぜた。

「……あ、あ……、間違い、ねぇ。アイツ、だ」

うしおの呟きから、事態を把握。
即座にそちらに目を凝らす。
海を割りながら、衝撃が此方へと突き進む。

有象無象が一筋に、空を舞う塵芥と化した。


そして我々の眼前に現れた“それ”は――、

槍を手にした“それ”は――、

周囲の雑魚とは別格の、しかし確実に人ではない、“獣”としか呼べぬバケモノであった。

おそらく、言葉を解する事もできはしまい。

うしおが、崩れた。

「たったあれだけで……もう、こんなに魂を削られちまったのかよぅ……。
 つい、さっきまで……少しは、話せそうだったのによ……」

歯噛みするうしお。その声は、もはや嘆きと呼んで差し支えない悲愴さを湛えている。

……嫌な予感が的中したか。
これは、残骸。魂を失い、魄のみで動くヒトの末路。

確信を持って、私はうしおに問いを投げる。

「獣の槍とは――魂を喰らうのか?」

泣きそうな顔で、いや、涙で既に頬を濡らし、うしおはこくりと頷きを返す。
その手が、小刻みに震えていた。


もうこのバケモノを救う手立てはないのだと、語らずともその背が語っていた。


*****


あん……?

なんであたしゃ、こんなとこにいるのよ。

つーかここ、どこよ。誰もいないし、変なお札がいっぱい浮いてるし。


なんか急に、力吸い取られたみたいに一気に意識がオチたのは覚えてんだけどなー。


……あ、そっか。
夢だこりゃ。

……夢ならまあ、心配する事ないか。
あの男のコ、すっごい思いつめてたからなー、現実だったら心配でたまんないわよ。

んじゃあ、もう少しゴロゴロまどろんでますかー。
二度寝って最高よね~。


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