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孤独の王/終わらない唄(前編)

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孤独の王/終わらない唄(前編) ◆1vOGnKR12I



 タタンと軽快なステップで地面を蹴り、ガンマンは左右から迫る二本の刃を回避した。
 符術師が投擲したひょうは変幻自在の軌道を描いてガンマンを追い詰め、だがしかしその超常の反射神経に掠る事すら許されない。
 そして回避と共に、ガンマンの手中に収められていた拳銃が火を噴いた。
 跳ね起きた撃鉄が渾身の力で信管を叩き、内に包まれた火薬が鉄筒の中で爆発。鉛弾を音速まで加速させ、目標を穿たんと排出する。
 銃口が先に置かれるは、符術師の右肩。
 得物を投擲するにあたり最も重要な部位である関節。其処を破壊しての無力化を計るガンマンであったが、

「禁」

 たった二文字の言葉と一枚の紙切れにより、その目論見は宙に霧散する。
 音速で符術師を貫く筈であった弾丸も、どんな原理かその手前で塵となり消え失せた。
 一世紀半にも及ぶ長い人生でも見た事のなかった超常現象に、ガンマンは目を見開き、驚愕する。
 その驚愕は隙と言うには余りに刹那の感情で、だが歴戦の符術師にとっては格好の瞬間であった。

「十五雷正法・一尖」

 そうして放たれたひょうは、弾丸に勝るとも劣らない加速と最高速を以てガンマンへと急迫する。
 裂ける肉。
 飛び散る血液。
 舞い落ちる数本の頭髪。
 そのひょうはガンマンのこめかみを切り裂き、後方に聳える木へと突き刺さった。

「こりゃ驚いた。ホントに凄いね、君」

 側頭、頬、顎の順に輪郭を沿い、地面へと落下していく血液には視線すら向けず、ガンマンは感嘆の言葉を紡ぐ。
 視線の先では全身を漆黒に包んだ符術師が無表情で立ち、手中のワイヤーを手繰り寄せ得物を回収していた。

「札を爆破する位ならまだ分かるけどさ、まっさか飛んでる弾丸を粉々にするとはね。奇術師でも食っていけると思うよ」

 つらつらと言葉を並べるガンマンに、符術師はただ射殺すような冷たい視線を投げかけるのみ。
 返答どころか、返事の一つもしようとしない。

「あ、そうだ、いっそ符術師やめて奇術師になるのはどうだい。そうすりゃ殺し合いに乗る必要もなくなるんじゃない?」

 ヘラヘラとした軽い笑顔と共に口から出たそれに、符術師はようやく返答をしてくれた。
 思い切り、全力で、右の手から投げつけられる一本のひょう。
 その返答は、彼の心境を表すにこれ以上なく簡潔で、明瞭で、明確な行動であった。
 どわあ、という情けない叫びを上げながらも、ガンマンは大きく横に跳ぶ事でひょうを回避した。

「黙れよ、化け物」

 符術師の全身から噴出するは、その服装と同様の漆黒。
 化け物に対する行き場の無い感情が、渦を巻き、歪んだ熟成を経て、眼前の人外へと突き付けられる。
 ただでさえ重かった周囲の空気が、物体と化したかのように重くなっていく。

「そういう訳にもね。それに、僕を黙らせたいなら、それだけの攻撃をしてくりゃ良い。僕のお喋りを『禁』じられるくらいの攻撃を、ね」

 その荒んだ空気の中でも、ガンマンは変わらぬ口調で話し続ける。
 くっ、と符術師の喉から零れ出た、笑い声のようなしゃっくりのような音。
 ほんの少しだけ、符術師が笑ったように見えた。

「十五雷正法・五斧」

 繰り出されるは烈風の如く攻撃。
 懐から取り出された五枚の紙切れが符術師の一言で形ある爆炎となり、一直線に標的へと走る。
 爆炎の数は取り出された紙切れと同数の五本。空気を焼き、地面を刻み、木々を薙ぎ、ガンマンへと迫っていく。

「おおっと」

 が、その攻撃はガンマンの飄々とした面持ちを崩す事すら叶わない。
 一歩、二歩と地面を踏み抜き、宙に身体を舞い散らす事で、アクロバティックに五本の爆炎を避ける。
 着地と同時に、返しとして放たれる二発の弾丸。
 両脚を狙って撃たれたそれは、一枚の符によって阻まれる。

「四爆」

 そして、爆発。
 弾丸を防いだ符が、符術師の思念に従い炎と烈風へと変貌を遂げる。
 膨れ上がる爆炎がガンマンの居る空間を覆い尽くし、そこにある全ての物を舐め上げる。
 沸き立つ砂埃。ガンマンの姿が薄茶と紅蓮の世界に消え去った。
 ガンマンの姿が確認できなくなると同時に、疾走を始める符術師。
 符術師は懐の符を取り出し、森林を駆け抜け、木々にそれらを貼り付けていく。

「やっぱり……ダメなのかい?」

 その行動の最中、符術師の耳に届くは土煙の中から零れ落ちるガンマンの呟き。
 遂に直撃かと思われた波状攻撃であったが、それでもガンマンの反射速度を捉えるには至らなかった。

「君が化け物専門の殺し屋になった理由も、殺し合いに乗ろうとした理由も……そんなカラッポな瞳をしている理由も、俺は知らない」

 それは先刻までの飄々とした物とはかけ離れた、淋しげで儚げな口調。
 悲壮感を匂わせた、哀願にも似た言葉が符術師の耳へとポツポツと流れていく。

「ただ君が殺し合いに乗るのだとしたら、俺は全力で君を止める。言葉で止まらないというのなら、その四肢を撃ち貫いてでも止めてみせる」

 砂埃が晴れ、ガンマンの姿が現れる。
 その身体を包み込むは、決意の色である真紅。
 吹き抜ける風に揺れるは、天へと逆立った金髪混じりの黒髪。
 腰部のホルスターに突き刺さるは、右手に握られていた筈の銀のリボルバー。
 所定の位置に符を貼り終えた符術師は、その姿を正面から睨み付けていた。
 まるで怨敵を見るかのような歪んだ瞳で、符術師はガンマンを見つめていた。

「やってみろよ、化け物」

 眼前の敵を打ち倒す準備は既に完了していた。
 爆煙で視界を奪ったその隙に六枚もの符を、距離にして凡そ4メートル四方の位置に、ガンマンを囲うように配置。
 後は『禁』の一言で結界は発動し、灼熱の霊気がガンマンを囲い込んで閉じ込める。
 ひょうによる点の攻撃、多角からの攻撃、十五雷正法による広範囲の爆撃、爆撃による波状攻撃すらも、ガンマンは避けてせしめた。
 その反応速度と身のこなしだけを取れば、符術師が殺し尽くしてきた如何なる化け物よりも上等。
 まともに戦闘をすれば、符術師といえども勝利する事は困難であろう。
 だが、符術師の長い長い化け物殺しの経験は、そんな相手に対抗する術を容易くも思い付く。
 爆破よりも更に範囲の広い、空間そのものに影響を与える術―――結界。
 化け物を所定の空間に閉じ込める、もしくは入り込ませないように空間を遮断する事が出来る、万能の防壁。
 下位の化け物であればそれだけで消滅させる事が可能な符法である。
 通常では命中し得ない攻撃であっても、結界により行動範囲が制限されていれば命中する可能性は大きくなる。
 爆破による広範囲攻撃を用いれば、逃げ場など無きに等しい。

(死ね)

 そうして符術師は化け物を滅する為、『禁』の一言を紡ごうと息を吸い込み―――



 ドガン



 ―――その四肢を、ガンマンの宣告通りに、撃ち貫かれた。



◇ ◆ ◇ ◆



 ミッドバレイ・ザ・ホーンフリークは苦虫を噛み潰すかのような思いで、ハンドルを握っていた。
 間を置いて鳴らされるドガンという重低音の銃声により、近くで戦闘が発生している事は把握済み。
 正直に言えば近付きたくないが、左横に座する化け物の存在が逃亡を許さない。
 そして恐らく、というか十中八九、遠方での銃撃戦の舞台にはヴァッシュ・ザ・スタンピードが居る。
 数瞬前に聞こえたドガンという銃声。
 常人であれば一つにしか聞こえない銃声も、彼の人間離れした聴覚はギリギリのところで聞き分けを可能にした。
 銃声は四つ。
 だがそれら銃声は、時を止めて発射したかのように、鳴り響いた瞬間は殆ど同じタイミングであった。
 人間には到底成し得ない、銃撃。
 この銃撃の主は人間ではないと、銃声が語っている。
 その先にヴァッシュ・ザ・スタンピードがいると、銃声は口程にものを語っていた。
 まさに前門の虎、後門の狼。
 何かが変わったように思えても左横の人外はやっぱり化け物で、いくら平和主義者であろうと前方の人外もやっぱり化け物。
 行くも地獄、引くも地獄。だが、抗う程の気骨は既にミッドバレイの中には存在せず。
 せめて心中の恐怖を悟られないよう、伊達男として振る舞うだけであった。

「近い……ですな。あと数分もすれば近場へと辿り着くでしょう」

 それでも、
 それでも尚、
 横方の化け物へと視線を這わせたその瞬間、心恨から噴き出す怖気に、身体が一度ブルリと震えた。

「そうか」

 音界の覇者がなけなしの勇気で振り絞った言葉に、ナイブズは短くそれだけを答えた。
 ミッドバレイを見ようともせず、窓から外界を眺めたまま、呟かれた三文字の音。
 その時、ナイブズもまた思考に意識を委ねていた。
 終わりの終わりを経て、一世紀半にも永きに渡る確執に遂に決着を果たしたミリオンズ・ナイブズ。
 彼は揺れる車中にて考えていた。
 もうじき再会を果たすであろう弟と、自分は何を語るべきなのか。
 再会を果たした弟が自分とはまるで違う時系列から参戦をさせられていたとしたら、
 それまでのように敵対の視線と白銀の銃口を向けてきたとしたら、
 自分はどうすれば良いのか、何を語れば良いのか。
 そもそも自分は何故ヴァッシュと再会しようと思っていたのか。
 どう足掻いたところで過去はなくならないし、なくそうという気も無い。
 結果的に敗北したとはいえ、自分は間違ってなどいないと確信している。
 確信をしているからこそ、奴と別の道を選択した。
 共に生きる事を拒否し、あれ程憎悪していた筈の人間にヴァッシュを任せ、自らの道を往った。
 白紙になど戻せない。
 あの頃になど戻れない。
 そうだ。
 その筈だった。
 その筈なのに―――今現在、自分はヴァッシュと再会する為に動いている。
 再会して何を成すのかすら決定せずに、ひたすらに道を突き進んでいる。

「ヴァッシュ……」

 ナイブズの口から漏れた呟きは、騒々しいエンジン音に紛れ、誰の耳にも止まる事なく宙へと消えていった。
 それは、恐怖に駆られるミッドバレイにも、後方に坐する西沢歩にさえも届かない。
 届かなかった筈なのだが、歩は感じ取っていた。
 いつも通りの鉄面皮を張り付かせている筈のナイブズが、いつもとは何処か違っている事を。
 何となくではあるが、歩は気付いていた。
 歩はこの車の行く先も、ナイブズが目指すものも、何も知らない。
 だから、何故ナイブズの様子が何時もと違っているのか、その理由が歩には分からない。
 分からないから、歩は深く考えずに思考を打ち切った。
 ナイブズさんなら大丈夫だと、信じていたからだ。
 この殺し合いの中、ただ怯え震えるだけであった自分。
 想い人も恋敵も喪失し、それでも自らで動く事が出来ない自分。
 弱い、情けない程に弱い自分。
 でも、この人は違う。
 自分なんかとは違って、強い。
 どんな事態にも動じず、ただひたすらに我が道を突き進む人。
 だから、大丈夫。
 何時もと様子が違っていても、何かに悩んでいるのだとしても、この人は大丈夫。
 自分なんかとは違って、強い人なんだから。

「ナイブズさん……」

 歩の口から漏れた呟きもまた、騒々しいエンジン音に紛れ、誰の耳にも止まる事なく宙へと消えていった。
 ただ車は走り続ける。
 二人の兄弟が再会するその時その場所まで、車は二人の人間と一人の人外を乗せて走り続ける。



◇ ◆ ◇ ◆



「……すまない……」

 硝煙漂う拳銃を右手に握ったまま、ガンマンは地に倒れ伏す符術師へと謝罪の言葉を告げた。
 符術師が結界を張ろうとしたその瞬間に放たれた四発の弾丸。
 それは、ガンマンがあの荒廃の世界で不殺を貫く為に会得した技。
 人外の反射神経を持つ実兄にすら知覚不能の、神速の早撃ち。
 符術師が何かを狙っている事に気付いたガンマンは、符術師がその何かを行うよりも早く、引き金を引いた。
 その両手両足に一発ずつ音速の鉛弾を撃ち放ち、符術師を無力化させたのだ。
 これ以上誰も殺さないように、最強の『人在らざる者』であるナイブズと出会わないように、ガンマンは符術師を打ち倒した。
 胸中に染み渡る後悔と懺悔。
 自身の選択が正解であるなどと、ガンマンは微塵も感じていなかった。
 話し合いで解決できなかった事、符術師を傷付けてしまった事、結局暴力に頼らざるを得なかった事……悔やんでも悔やみきれない事ばかりである。
 そして悔恨の渦中にて、ガンマンは覚悟を決める。
 眼前の男を負傷させたのは自分だ。ならば何に代えても自分はこの男を守り通そう。
 まだ見ぬ凶悪な参加者からも、融合に次ぐ融合により圧倒的な力を得た兄からも、絶対に守り抜く。
 そう決意したガンマンは、自身が刻み込んだ銃創に応急の治療しようと、符術師へと近付こうとする。

「な、め……るな……」

 だがしかし、当然ながら符術師が示すは拒絶の意志。
 百戦錬磨のガンマンですら戦闘は不可能だと判断する傷で、符術師は尚立ち上がろうと試みていた。
 その瞳には、執念と憎悪がごちゃ混ぜになったような、何処までも黒い感情が映っている。

「……もう無理だ。その傷じゃあ戦えない」
「戦えるさ……眼前に化け物がいるんだ、私はまだ戦える……貴様らを滅ぼすまで、私は、戦う」

 弾丸で骨も砕けている筈なのに、符術師は動きを止めようとしない。
 無理に稼働させられた四肢からはどす黒い血液が噴出し、軋む骨の音が夜の森林に響く。

「止めろ……止めるんだ! これ以上傷を広げるな!」
「なめるなと……言った。私は、貴様らを、殺し尽くす。四肢が砕けようと、関係あるか。私を止めたければ、この脳髄を、心臓を貫いてみせろ」

 そして遂には、立ち上がった。
 ポッカリと穴の空いた脚で、ポキリと骨の砕けた脚で、符術師は自身の全体重を支えきる。
 止めろ、と焦燥に満ちた声を上げ、立ち上がった符術師の方へと一歩を踏み出すガンマン。
 ただ符術師の身を案じて手を伸ばすガンマンであったが、残念ながらその手が、その想いが、符術師へと届く事はない。
 伸ばした手は、バチリという高音と激しい閃光により弾かれる。
 何も無い筈の空間に唐突に出現した光の壁が、ガンマンと符術師とを隔絶していた。

「なにっ!?」

 光の壁はガンマンの前方だけではなく、左右後ろにまで、その身体を取り囲むように出現していた。
 いつのまに、とガンマンは驚愕し、符術師を見る。
 符術師もまた、歪みきった表情を顔に張り付かせ、ガンマンを見る。
 その右手に握られるは、四枚の符。
 符術師は投げた。音速の鉛弾で撃ち貫かれた右手を大きく振りかぶり、襲い来る痛覚を無視して、渾身の力で符を投げた。
 標的へと一直線に宙を駆ける符は、結界に阻まれる事もなくガンマンの足元へと辿り着く。
 符から距離を空けようとするガンマンであったが、四方を囲む結界がその行動を阻害する。
 一歩後ろに飛び退いただけでその背中は結界に当たり、それ以上の後退は許されない。

「四爆」

 直後、爆発。
 僅か数メートルという近距離から爆風を食らうガンマン。
 その全身が真紅の熱風の中へと完全に飲み込まれる。
 至近距離からの爆風直撃。
 常人ならば生存不可のその光景を見て、符術師はそれでも戦闘への意志を縮こめようとはしなかった。
 符術師は理解していたのだ。この程度でこの化け物は殺せない、と。

「まだだ」

 爆風の中心へと、渾身の力を込めて、符術師は手持ちのひょうを全て投げつける。
 空を斬り、爆煙の中を突き進む四本のひょう。
 ザクリという、何かに突き刺さるような音と感触が、ひょうに巻き付けられた手製のワイヤーを通して伝わった。
 手応えは有り。
 命中は確実。
 だがしかし、それでも仕留められたとは思えない。奴を仕留めるにはもう一押しが必要だ。
 爆煙が晴れるに伴い、その中心にいるガンマンの姿が徐々に浮き彫りになっていく。
 そこには、殆ど無傷と言って良い姿でガンマンが立っていた。
 あの至近距離からの爆発を防御しきったのは、ガンマンの右腕から生えた、神々しいまでに白色の翼手であった。
 先ほど符術師が投げたひょうも、その翼手に突き刺さるに終わっている。
 符術師の攻撃は、プラントが力の前に何ら意味を成さなかった。
 幾千の銃弾すらも防ぎきる堅牢さに、ガンマンの反射速度に追随して稼働する俊敏性。
 防御力も速度も兼ね揃えた、まさに最強の盾。
 その力を前に、人間は余りに脆弱な生物でしかない。
 まさに人外の力。
 化け物と称されるに値する絶対的な力。
 その力を目の当たりにして、符術師は一言呟く。
 人外と戦う為に、化け物を殺す為に、家族の仇を滅する為に、入手した符術の力。
 そう、それは化け物を打倒する為の力。

 ―――だからただ、化け物を前にした符術師は一言こう呟くのだ。



 禁、と―――。



「が、あああああああぁぁぁぁぁあああああああああアアアアアアアアあああああ!!!」

 妖魅を禁ずること、それ即ち存在することを禁ずること。
 ひょうを通して伝達された符術師の気により、プラントの白翼に巨大な浮腫のようなものが内側からボコボコと湧き上がる。
 瞬間、ガンマンの全身を駆け巡る激痛。
 存在を禁じられるという未体験の痛みが、ガンマンの身体を完全に支配し、その動きを止めた。

「十五正雷法・十翼―――」

 痛覚に意識を支配され棒立ち状態となったガンマンへと、符術師が追い討ちを掛けた。
 飛翔術を活用しての急加速により、二人の間に存在した距離が瞬く間に零となる。
 符術師の右手に握られるは、数枚の符が括り付けられたひょう。

「―――九爪!!」

 そうしてひょうは、ガンマンの右肩から左脇に掛けてを、袈裟切りに切り裂いた。
 符術師の気が存分に込められたその一撃は、ただでさえ古傷だらけのガンマンの身体に、更なる傷を刻みつけた。
 表皮は勿論、筋と骨すらも切り裂かれ、ガンマンの身体から斜め一線に血が噴き出す。
 膝から崩れ落ち、地面へと倒れるガンマン。
 常人であれば即死確定の傷。が、そのタフネスが影響してか、ガンマンは未だ死には至っていない。

「ち、いっ」

 そして、ガンマンが倒れ伏したその時、符術師の身体は宙に舞っていた。
 主の危機を察知した翼手が独立的に活動を始め、敵対者である符術師へと殺到し、軽々とその身体を弾き飛ばす。
 翼手が直撃した胴体からゴキリという、気味の悪い音が響き、符術師の鼓膜を揺らした。
 空中遊泳に催した時間は凡そ五秒程。
 たっぷりと浮遊感を味わった後に、符術師は背中から地面へと叩き付けられる。  
 肺に収められていた空気が無理矢理に口から排出され、瞬間的に酸素欠乏へと陥った。
 痛みに喘ぐ身体。歪む視界。
 負傷を推して無理に稼働を続けた代償が今になって表出したのか、符術師は直ぐさま立ち上がる事が出来ずにいた。
 符術師が再度立ち上がるには、数分に渡る停止が必要とされた。

「……逃が……すか」

 ぼやけた意識の片隅で、符術師は遠ざかっていく足音を聞いていた。
 あれだけの傷で逃げ出す力があるのかという驚嘆を覚える一方で、絶対に逃がしはしないという漆黒の意志が燃え盛る。
 僅か数分という短時間の休息を終え、符術師は再度の行動を開始した。
 周囲を見渡すも、既にガンマンの姿は何処にも見えず。だがしかし、森林の奥深くへと点々と続く血痕を符術師は発見する。
 ガンマンの腕に刺さったままのひょうから、その具体的な位置も特定する事が出来る。
 標的は西へ直進中。
 あの傷でこれだけの逃げ足。なる程、やはりそんじょそこらの化け物とは一線を画す。
 逃がしはしないさ、と一言残し符術師は追跡を始めた。
 フラフラと覚束無い足取りで、時折膝を折りながらも、それでも符術師は前へ進む。
 四肢にはポッカリと穴が空き、砕けた肋骨により内臓も負傷。
 端から見ても満身創痍のその身で、符術師は凄惨な笑顔を浮かべて、突き進む。
 もし、この時の符術師を見た者がいたのなら、誰も彼もが同様の言葉を思い浮かべるだろう。



 ―――化け物、と



◇ ◆ ◇ ◆



 肩から脇に掛けての刀傷から大量の血を滴らせながら、ガンマンは暗闇の森林を移動していた。
 その速度は、駆けるという程の速さでもなく、歩くという程の遅さでもない。
 せいぜい早歩き程度。これが今のガンマンの成せる最速の逃亡であった。

「く……そっ、なんでここにきて……暴走なんかっ……!」

 ガンマンの焦燥に満ちた声が森林に響く。
 彼が逃亡をした理由。それは彼の右腕が大きな原因となっていた。
 戦闘の最中、符術師の一撃により多大なダメージを負った身体。
 制限により治癒力・耐久力ともに大きく減衰している現状では、ともすれば命にすら関わりかねない負傷。
 ヤバい、と思考した時には身体が勝手に作動していた。
 右腕に仕組まれたプラントの力が、主の生命の危機に反応し、自律稼働を開始。符術師の胴体へと、容赦の欠片も無い一撃を見舞っていた。
 それは一種の暴走。
 これもまた制限のせいなのか、それとも単純に主の危険に動いただけなのか……、ともかくエンジェルアームが暴走へ至った事は事実。
 だからガンマンは逃亡した、符術師を殺してしまわないようにと。

「……っ……、足が……重い……」

 だが、その逃亡もなけなしの体力を振り絞ってのもの。
 符術師が必滅の奥義を食らったガンマンは、限界に近いダメージを負っていた。
 ポタポタと流れる鮮血。
 グラグラと歪む視界。
 フラフラと揺れる身体。
 ガクガクと震える両脚。
 未だ歩みを止めずにいるのは、ひとえにガンマンの意志の強靭さ故か。
 悲鳴を上げる身体を無理やりに動かして、ガンマンは尚も歩き続ける。
 そして―――、



 ―――ガンマンは見る。



「ナイ……ブズ……?」



 森林の直中に、悠然と佇む宿敵の姿を。



「……ヴァッシュ……」


 ナイブズは、様々な感情がない交ぜになったような形容しがたい表情を浮かべて、進行方向へと立ちふさがっていた。
 対するガンマンはワンテンポの呆けの後に、殆ど反射的に拳銃を構える。
 向けられた銃口を見て、ナイブズはその不可思議な表情を歪め、これまた不可思議な表情へと移行させる。
 今にも泣き出しそうな、今にも笑い出しそうな、今にも怒り出しそうな、不思議な不思議な表情。
 その不思議な表情が過ぎ去った後に残るのは、ナイブズの自嘲的な微笑みであった。



◇ ◆ ◇ ◆



 ナイブズは、思う。
 ああ、俺は何がしたかったのだろうか、と。
 共振と音界の覇者の耳を頼りに、ヴァッシュの元へと辿り着いたのは良い。
 だが、出会ったところでどうすれば良いのだ。
 満身創痍の奴を見た俺は何を語れば良い? どんな表情をすれば良い?
 突き付けられた銃口が語るは、ヴァッシュが内に在る拒絶の意志。
 漆黒の浸食度合いからして、おそらく終わりの終わりに至る前の時期……つまりは未だ対立の関係続いている時期から参戦させられているのだろう。
 そんなヴァッシュを前にして、俺の口は動かし方を忘れてしまったかのように固まっている。
 奴を前にすれば自然に分かると思っていた答えは、結局のところ分からずじまい。
 何故、俺はヴァッシュとの再会を望んだ。
 何故、二度と共に進むことのできない相手との再会を望んだ。
 自己欲求の言語化すら出来ずに、俺はヴァッシュの前で押し黙り続けていた。
 ……奴らを森林の入口に待機させてきたのは正解だったのかもしれない。
 こんなみっともない姿なぞ……人間には見せられん。

「……ナイブズ……お前、その髪の色は……」

 奴もどうやら、現状の俺の姿に戸惑いを拭いきれないでいるようだ。
 それもそうだろう。
 奴が知る俺は、何千というプラントとの融合し、絶対的とも云える存在であった頃の俺。
 今の残りカスのような俺とは文字通り桁が違う。その違いに、奴は困惑しきっているのだろう。  
 そんなヴァッシュを前にして、やはり俺は動けない。
 ヴァッシュからの問い掛けという現状を説明するに絶好の機会を与えられ、だがそれでも俺は言葉を吐き出す事が出来なかった。
 どう説明すれば良いのか、何を言えば良いのか、何も浮かばない。
 気まずいというには余りに重い沈黙が、流れ続ける。
 これが他人と向き合う事を否定し続けた男の現在であった。
 空虚な笑いが込み上げる。
 自嘲を止める事ができない。
 実の兄弟にすら何を話せば良いか分からない矮小な存在が、今の俺だ。
 一つの惑星を破滅へと追い詰めかけた男の、憐れみすら覚える無惨な末路。
 これではまるで、アイツ等と同等じゃないか。
 俺が嫌悪し続け、滅ぼそうとすら考えたあの愚かで矮小な生物と、まるで変わらない。
 ……あぁ、笑えるよ、ヴァッシュ。
 お前が命懸けで救い、諭し続けてきた男はこんなちっぽけな存在だったらしい。
 まるで道化だ。
 ハハ、笑えるな。心底から笑えるよ、ヴァッシュ……。
 俺は……俺は一体、何なのだろうな。
 眼前では、人の汚い部分を直視し続けていた男が、未だ困惑を張り付かせて静止している。
 俺はその視線にすら耐えきれず、奴の後方に広がる森林へと目を逸らしてしまう。
 そんな瞳で見るな。
 俺は、お前を殺そうとした男だ。
 俺は、レムが命懸けで守護した人類を滅ぼそうとした男だ。
 俺は、レムを殺した男だ。
 後悔はない、間違っていたとも思わない。
 でも、それでも俺は―――お前の目を正面から見る事は出来ない。
 ああ、俺は何がしたかったのだろう。
 今更コイツと会って何を語ろうとしていたのだろう。
 弟の前に無言で立ち尽くす情けない俺を嘲笑うかのように、冷たい風が吹き抜けた。




「滅」



 ―――そして、その冷たい風に乗ってその声は聞こえてきた。
 反射的に声がした方へと顔を向ける。
 だが、俺の視界は何かを捉えるよりも早く、紅に染め上げられた。
 反応すら出来ない。
 ヴァッシュに意識を取られていた俺は、指一つ動かす事すら出来ずに、眼前で急速に膨張する紅蓮へと飲み込まれた。
 周囲が見えていなかったのだ。
 周囲の警戒すら忘れて俺の意識は、ヴァッシュに、ヴァッシュに何を語るべきかも判らない自分へと、集中していた。
 その不意を、突かれた。
 無様だ。
 俺はこんなにも脆弱な存在だったのか?
 強烈な浮遊感を知覚しながら、俺は余りに情けない自身へと思わず自問していた。
 不機嫌な子供に投げられた玩具のように不細工な回転を描き、視界を滅茶苦茶に掻き回されながら、俺は数瞬の空中遊泳を楽しんだ。
 そうして、墜落。受け身すらとれずに、背中から思い切り地面と激突する。
 その衝撃に、肺を満たしていた空気が無理矢理に排出され、視界が歪む。

「……くっ……ヴァッ、シュ……」

 明確な不調を訴え、再起動までに僅かな休息を求める身体。
 だが俺は、それ等全てを無視して、行動を始めていた。
 前後の状況から察するに、何者かが不意打ちを仕掛けてきたのは自明の理。
 得物は恐らく爆発物。ロケットランチャーのような武器で、遠方から狙撃でもしたのだろう。
 ナメられたものだ。
 この俺を、あの男を、そのような安易な方法で殺害できると思うとは。
 ……とはいえ、俺は物の見事に襲撃に気が付く事が出来なかったのだ。
 状況が状況とはいえ、自戒は必要。
 取り敢えず狙撃手の四肢を切り落とし、洗いざらいの情報を入手した後にでも殺してしまおう。
 奴は阻止しようとするだろうが、もう構わない。
 所詮、交わる事のない道。一時的な迷走から奴との接触を望んだが、それも無意味なものだと理解した。
 奴は奴の道程で殺し合いの打開を目指す。
 俺は俺の道程で殺し合いの打開を目指す。
 それで良い。
 何ら問題は無い。
 奴が俺を阻止しようとするのなら、何時ぞや奴が言ったように、俺は急いで逃げよう。
 そして、もう出会う事のない遠方にてお前の無事を願おう。
 それで良い。
 それで……良いんだ。

(サヨナラだ、ヴァッシュ)

 視界が正常な状態へと戻った時には、既に砂埃も何処かへ流れ散っていた。
 見る者全てを癒やす緑色に覆われていた空間も、先の爆撃で今は無惨な姿を見せていた。
 あれだけの緑を維持するのに、同胞がどれ程の労力を費やしているのか、下手人は知らないのだろう。
 それだけじゃない。
 貴様が吹き飛ばそうとした男がどのような道のりを踏破してきたのか、どれほど過酷な道を踏破してきたのか、下手人は知らないのだろう。
 撃たれ、裏切られ、蔑まれ、それでもラブアンドピースを掲げて、人々の間を歩き続けていった事を知らないのだろう。
 知ろうともせずに、殺そうとしたのだろう。
 知る事で変わる世界があるというのに、貴様は知ろうともしなかったのだろう。
 良いだろう。
 ならば、俺が貴様を殺す。
 奴を殺そうとしたお前を、殺してやる。
 ふと視界の隅に人影が映る。
 漆黒のスーツに身を包んだそいつは、地面へとうなだれるように座しながら、得物を掲げていた。
 見覚えのある得物であった。
 十字架の形をとった特異的な外見の重火器。チャペルが装備していたパニッシャーという名の超重火器。
 そうか、それで貴様はヴァッシュを殺そうとしたのか。
 なら、死ね。
 詫びなどいれなくても良い。
 情報など、もういらない。
 ただ、死ね。
 それだけで良い。
 そうして、俺は自身の左腕に『力』を集中させる。
 残り僅かな『力』を使用してでも、奴は殺すに値する人間であった。
 塵すら残さない。その存在全てを消滅させようと、俺は渾身を左腕へと集中させる。
 数秒と掛からずに、『力』は臨界へ至る。
 後は『力』を解放させるだけで、下手人は塵一つ残さずこの世から消滅する。



 そして俺は、『力』を解放させようとし―――


















 見てしまった。



















 人間が大好きなこわれた妖怪の姿を。



















 胸から下を



 赤と黄と黒とピンクのまじった



 汚い色で汚して



 『無くしてしまった』奴の姿を



 見た。



 何故だ。



 何故お前がそんな事になっている。



 お前なら避けられただろう。



 あんな不意打ちなどお前なら容易く避けられた筈だ。



 それが何故、こうなっている!?



 お前は生き続けてきたんだろう!



 あの地獄のような世界を。



 銃弾が飛び交う命懸けの世界を。



 一世紀半もの間!600億$$という巨額の餌を括り付けられた状況で!



 そんなお前が何故!?



 何故だ!?



 何故……何故、お前が死ぬんだ!



 何十、何百万と命を略奪してきて俺ではなく、



 何故お前が死ななければならない!?

「お……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」







 ……結局、ヴァッシュもナイブズと同様であった。
 唐突に現れたナイブズに、彼の知るそれとは何処か違っていたナイブズに、ヴァッシュは意識を取られすぎていた。
 だから、ひょうが撃ち放ったロケット弾に、反応する事が出来なかった。
 だから、ロケット弾はヴァッシュに直撃し、彼の胸部から下の組織を全て吹き飛ばした。
 ヒトを超越した彼等であっても、それは死亡確定の傷。
 この傷から自力で復活できるのならば、それこそ不死の化け物だ。
 周囲への警戒を忘れていたから、ヴァッシュは砲弾を受けた。
 砲弾を受けたから、ヴァッシュは死ぬ。
 砲弾はヴァッシュを狙ったものだったから、ナイブズは余波を食らうだけに終わり、生き延びた。
 ただそれだけの、シンプルな話。
 一世紀半もの人生は、実にシンプルな理由で終末を迎える。
 淡い夢の一欠片すら達成できずに、実兄であり宿敵でもある男の眼前で、ガンマンは死ぬ。
 ただそれだけの―――シンプルな話なのだ。




◇ ◆ ◇ ◆



 ナイブズは、腹から胸から色々と大事なものを零してしまったヴァッシュに駆け寄り、そのグチャグチャになった大事なものを必死にかき集めていた。
 正常な判断など、最早できる訳がなかった。
 その行動に意味が無いと判断する事すらできない。
 そうすれば生き返るのかと思う程に、ナイブズは必死にヴァッシュの腑を集め、腹腔へと無理矢理に詰め直していた。
 しかしながら、出血は止まらない。
 詰め直した腑もデロデロと流れ出てしまう。
 温もりも失われていき、ヴァッシュの身体はドンドンと冷たくなっていく。
 誰がどう見ても助からない事は判断できる筈だ。
 それを、ヴァッシュの死を、人間よりも遥かに高等な思考能力を持つ筈のナイブズは判断できない。
 身内の死を受け止めきれずに恐慌状態へと陥る……その行動は何処までも人間らしい行動であった。


 だが、これでは助からないとようやく理解できたのか、ナイブズは次なる行動に移行していた。
 自らの左腕を掲げて、五分の一程の大きさとなってしまったヴァッシュの身体に乗せる。
 プラントの『力』を利用しての肉体の蘇生。
 本来ならば真っ先に行うべきだった行動に、ナイブズは今更ながら到った。
 沸騰する思考で必死に『力』を込めるナイブズ。
 その左腕から眩いばかりの光が溢れ出る。
 数秒の発光。そして光は止み、ヴァッシュの身体は復活を果たす。
 五分の一程残っていた身体が四分の一程の大きさへと、ヴァッシュは復活を果たした。
 ただ一つ、復活した身体はそれでもやっぱり死に掛けだという事が欠点であった。

「……死ぬ、のか……お前が……」

 そこで漸くナイブズにも理解できた。
 ヴァッシュは死ぬと。
 もはやこの事項は覆せぬ事実なのだと。
 ナイブズは漸く理解した。

「……お前が、終わりの終わりを勝利したお前が……死ぬ……」


 理解し、


「ハ……ハハ、ハハハハハ……」


 そして、空虚な笑い声と共に左腕を掲げた。
 同時にナイブズの数メートル程先の空間で巨大な爆発が巻き起こる。
 漆黒の狙撃手から放たれた砲弾を、ナイブズは『力』を使って撃ち落としたのだ。

「……そうだ……お前が、居たのだったな」

 視線の先ではヴァッシュを殺害した男が、十字架を此方へと向けていた。
 その姿を確認すると同時に心中が漆黒の殺意に染まっていく。
 悲しみも、怒りすらも、浮かばない。
 ただ純然たる殺意だけがナイブズの内を満たしていく。
 他には何もいらなかった。
 ただ今は眼前の男の死を、ただそれだけをナイブズは欲する。

「ヴァッシュ、これが俺の―――」

 ヴァッシュを治癒する為に一度。
 ひょうからの砲撃を防ぐ為に一度。
 そして、今回が三度目の解放。
 ヴァッシュと遭遇した時点でナイブズに残された『力』は、ラストランを除き三回分。
 この一撃を放ってもナイブズには、ラストランという正真正銘最後の切り札が残っている。
 そう、残っている筈なのだが―――ナイブズはその切り札すらもこの一撃に費やそうとしていた。
 その発動は、すなわちナイブズの死と同義語。
 それ程までに、もう自身などどうでも良く思える程に、ナイブズはヴァッシュを殺害した男の死を望んでいた。
 理性も本能すらも超越したところで殺意が渦巻き、身体を操作する。


「…………こ…………ろし………ゃ…………めだ」

 ―――が、『力』が解放される寸前でナイブズに理性を取り戻させる者がいた。
 掴まれた右腕。
 予期せぬ感触にナイブズは視線を怨敵から逸らす。
 動かした視界に映ったのは、殆ど生首状態と言っても良いヴァッシュが此方に向かって必死に手を伸ばし、右腕を掴んでいるその光景。
 ヴァッシュが何を伝えようとしているのか、ナイブズには痛い程に理解できた。
 また、お前は言うのだろう。
 そんな姿になりながらも。
 死の寸前へと追い込まれながらも。
 守り続けてきた人間の手で殺されながらも。
 お前は言うのだろう。
 殺すな、と。
 殺しちゃ駄目だ、と。

「……もう良い。お前は休め、ヴァッシュ」

 だが、ナイブズにその願いを聞き入れる事は出来なかった。
 弟の最期の頼みであっても、これが恐らく最初で最後の頼みだとしても、ナイブズは聞き入れられない。
 もう理性で止められるものではないのだ。
 同種であり、同朋であり、家族である存在を殺されたナイブズに、もはや滅殺以外の選択など有り得なかった。

「細胞の一欠片と残さず―――消えていけ」

 そして、世界は白色に染まる。
 全てを、その命すら賭けた最大の攻撃。
 制限などなければ大都市の一個や二個を容易く壊滅させるであろう、一撃。
 色が消失し、ただ白色だけが全てを包容する世界で、ナイブズは笑っていた。
 自嘲的で、それでいて暖かい色が含まれた微笑み。
 それは彼の長きに渡る人生でも浮かべた事のない微笑みであった。
 ナイブズは気付いたのだ。
 ヴァッシュの死を眼前で見て、ナイブズは気が付いた。
 自分が弟に何を語りたかったのかを。
 自分が弟に何を伝えたかったのかを。
 気付いて、そして微笑んだ。
 自分の本心を理解した事に、その余りに単純な願望に思わず頬を緩めてしまった。
 終わりの終わりを経て、三度の終わりを迎えようとしているナイブズ。
 白色の世界が渦中に立ち尽くしながら、ナイブズは自分の身体が崩壊していく音を聞く。
 こうして彼の身体は霧散していった。
 彼が最期の瞬間に知覚していたものは、右腕を握り続ける実弟の掌の感触であった。



 そして―――、


【ヴァッシュ・ザ・スタンピード@トライガン・マキシマム 死亡】
【ミリオンズ・ナイブズ@トライガン・マキシマム     死亡】




◇ ◆ ◇ ◆




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