朱友裕 しゅゆうゆう
870-904
唐末の武将。
朱全忠の長子。字は端夫。幼い頃から騎射に優れ、朱全忠に従って軍務に参加し、将兵の心をつかんだ。朱全忠が
李克用とともに西華で
黄鄴を包囲し、騎射の腕前を見せて李克用を驚嘆させた。
朱宣と濮州で戦い、二百騎で先鋒となったが、朱全忠を見失い、敗北した。冬に濮州を奪取し、
時溥を徐州で包囲し、
朱瑾の救援軍二万を石仏山で破った。
朱友恭が朱全忠に、朱友裕が朱瑾を追撃しなかったことを讒言したが、朱全忠は朱友恭に怒って軍権を剥奪したが、属吏が誤って指示書を朱友裕に逓送してしまっている。許州を統治して、諸軍都指揮使に遷り、護国軍留後、忠武軍節度使を歴任した。
楊崇本を討伐中、永寿県で病死した。後梁が成立すると郴王に追封された。優秀な長子の夭折は、後梁の運命に影を落とした。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻十二 梁書十二 宗室列伝第二 郴王友裕
『新五代史』巻十三 梁家人伝第一 郴王友裕
外部リンク
最終更新:2024年05月18日 11:37