李正己 りせいき
732—781
中唐の藩鎮(第2代淄青節度使)。本名は李懐玉。高句麗の人。
侯希逸の従兄弟。営州副将となって
安禄山と戦い、平盧節度使の
王玄志が病死して子が継承すると、その子を殺害して侯希逸と節度使とした。永泰元年(765)侯希逸を追放してその地位を継ぎ、十五州を領有した。魏博節度使
田承嗣の討伐に参加したが、その後
田悦・
梁崇義・
李惟岳とともに唐に叛いたが、建中二年(781)病死し、子の
李納が継承した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年07月15日 23:35