李禕

信安郡王李禕 りい

664-743
盛唐の宗室・武将。李琨の子。呉王李恪の孫。太宗の曾孫。嗣呉王李祗の兄。襲封にあたって、王位を異母弟の李祗に譲ったから、中宗によって嗣江王に封じられ、李囂の祭祀を継がせた。開元十二年(724)信安郡王に移封された。為州刺史から礼部尚書・朔方節度使となり、吐蕃の石堡城を強襲して奪取し、石堡城は振武軍の軍号を賜った。契丹の牙官の可突于が叛くと、忠王(粛宗)を河北道行軍元帥とし、李禕は副元帥となり、忠王は赴任しなかったから、事実上の指揮官となり、裴耀卿を率いて諸将に分進合撃させ、契丹・奚を破った。開府儀同三司、関内支度営田採訪処置使となった。兵部尚書、朔方節度大使を歴任。天宝二年(742)太子少師となって致仕し、翌年、太子太師となった。子に李峘李嶧李峴がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。


列伝

『新唐書』巻八十 列伝第五 太宗諸子 鬱林王恪 信安王禕
『旧唐書』巻七十六 列伝第二十六 太宗諸子 呉王恪 孫信安郡王褘

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最終更新:2024年08月12日 23:06
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