魚弘志 ぎょこうし
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中唐の宦官。魚志弘とも。宝暦二年(827)
敬宗が夜更けに行った狩猟「打夜狐」に追従できず、秩禄を削られた。後に右神策軍中尉となる。大和九年(835)甘露の変で、
李訓をはじめとした宰相を殺害。また
仇士良が、
宗密が李訓を匿ったことを知ると、宗密を殺害しようとしたが、宗密の申開きを聞いた魚弘志はよしとして釈放した。開成五年(840)
文宗が崩ずると、仇士良とともに
十六宅から潁王(後の
武宗)を擁立し、同年二月に韓国公に封ぜられた。
本紀・列伝・史料
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最終更新:2024年09月01日 00:15