建寧郡王李倓 りたん
?-757
中唐の宗室。
粛宗の第三皇子。母は張氏(宮人)。天宝年間(742-756)建寧郡王に封ぜられた。安史の乱がおこると、
玄宗は蜀に逃れる途上、李倓は皇太子であった父に
玄宗と別れて乱にあたることを説き、霊武に向かう途上で騎馬で敵を何度も撃退した。父粛宗は即位すると、天下兵馬元帥に李倓を任じようとしたが、左右に止められて断念した。
張皇后の無法を粛宗に申し上げたが、かえって張皇后・
李輔国に讒言されて、死を賜った。兄
代宗が即位すると、斉王を追贈され、さらに大暦三年(768)承天皇帝と追贈され、
張垍と
斉国公主の娘張氏と冥婚して
恭順皇后に追冊した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 粛宗諸子 承天皇帝倓
『旧唐書』巻一百一十六 列伝第六十六 粛宗代宗諸子 粛宗十三子 承天皇帝倓
外部リンク
最終更新:2025年07月22日 01:29