啖廷瑤 たんていよう
?-762
盛唐の宦官。永王
李璘が反乱をおこすと、至徳二載(757)
粛宗に派遣されて、広陵採訪使の
李成式と善後策を協議した。同年十月、粛宗より派遣されて蜀の
玄宗を迎えに赴いた。宝応元年(762)粛宗が重病となると、
張皇后と謀って
朱輝光・陳仙甫とともに越王
李係を擁立しようとはかったが、
程元振・
李輔国に捕らえられて誅殺された。
列伝・史料
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 永王璘
『旧唐書』巻九 紀第九 玄宗下 天宝十五載 明年十月条
『旧唐書』巻五十二 列伝第二 后妃下 粛宗張皇后
最終更新:2024年12月23日 23:56