南霽雲 なんせいうん
?-757
盛唐の武将。魏州頓丘県(河南省濮陽市)の人。南八と呼ばれた。騎射を得意とした。若い頃は微賎の身で、舟を操船していた。
安禄山が叛くと、鉅野県尉の張沼が挙兵して賊を討伐し、抜擢されて将となった。
尚衡が汴州の賊である
李廷望を討つと先鋒となった。睢陽の
張巡のもとに派遣されると、その人物を慕って配下となった。睢陽に入って
雷万春とともに有力な将となり、睢陽包囲戦では敵将
尹子奇の左目を射るなど活躍した。重囲される睢陽を脱出して
許叔冀・
賀蘭進明に救援を求めたが、得られず、
廉坦の兵とともに包囲を突破して再度睢陽に入城した。睢陽の陥落により張巡・雷万春・
姚誾とともに処刑された。子に
南承嗣がいる。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年08月15日 23:17