李友益 りゆうえき
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初唐の官人。七姓十家の一つで、李牧を祖とし代々宰相を輩出した名門・趙郡李氏の分流・東祖の出身。李世宝の子。
李元恭の父。
長孫无忌・
杜正倫・
李義府・
劉祥道・
許圉師・
許敬宗・
韋琨らとともに詔によって『顕慶礼』を編纂した。また『留本司行格』十八巻の編纂に長孫无忌・
李勣・
于志寧・張行成・高季輔・
宇文節・
柳奭・段宝玄・
令狐徳棻・高敬言・劉燕客・
趙文恪・
張行実・王文端・元紹・賈敏行らとともに関わり、永徽三年(652)撰上した。李義府が宰相になると、宰相杜正倫とともに李義府の排斥を図って
高宗の前に訴えたが、高宗は全員を排斥し、杜正倫を横州刺史に、李義府を普州刺史に、李友益を峰州に流した。
志・表・列伝
最終更新:2025年08月31日 08:30