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徐堅

徐堅 じょけん

659-729
武周・盛唐の官人・儒者。字は元固。徐斉聃の子。秀才に推挙されて及第し、汾州参軍事、万年県主簿となり、聖暦年間(698-700)、東都留守の楊再思王方慶が共に引き立てて東都判官となった。徐彦伯劉知幾張説らとともに『三教珠英』編纂に従事したが、総指揮をとっていた張昌宗李嶠の非効率を改め、張説と共に完成にこぎつけた。給事中となり慈源県子に封ぜられた。礼部侍郎、修文館学士となり、睿宗が即位すると太子左庶子兼崇文館学士、東海郡公、黄門侍郎となる。義兄の岑羲に連座して絳州刺史に貶されたが、秘書監・左散騎常侍に復帰。集賢院が設置されると学士に任じられた。泰山儀礼の策定に従事した。子に徐嶠がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十九 列伝第一百二十四 儒学中 徐斉聃 堅
『旧唐書』巻一百二 列伝第五十二 徐堅

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』徐堅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E5%A0%85

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最終更新:2025年11月18日 18:56
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