厳挺之 げんていし
673-742
盛唐の官人。名は浚。字によって世間に通行した。華州華陰県(陝西省華陰市)の人。厳方約の子。厳挹之の弟。厳損之の兄。
厳綬は兄厳挹之の孫にあたる。進士に及第し、制科に挙され、義興県の尉、右拾遺となる。
任知古を弾劾してかえって万州員外参軍事に貶された。開元年間(713-741)、考功員外郎となり、給事中となる。宰相の
杜暹・
李元紘の争いでは杜暹の与党となり、李元紘に憎まれて登州刺史に出され、太原少尹、濮・汴二州の刺史、刑部侍郎、太府卿を歴任した。宰相の
張九齢に用いられて人事の選を行った。洺州刺史となったが、
李林甫の策謀により再び用いられることはなかった。子に
厳武がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年04月07日 02:14