諸葛爽 しょかつそう
?-886
晩唐の武将・群雄・藩鎮。青州博昌県(山東省浜州市)の人。琅邪諸葛氏の出身で蜀漢の丞相諸葛亮の十二世の孫。
諸葛仲方の父。博昌県の伍長であったが、逃走して
龐勛の反乱軍に参加。
湯群と共に朝廷に帰順し、汝州防禦使となり、さらに北面招討副使、夏綏銀節度使となった。広明元年(880)
黄巣が長安に侵入すると、長安防衛に向かったが、同州で黄巣軍に降伏。河陽節度使の偽職に任じられた。中和元年(881)三月、朝廷に再帰順し、河陽節度使、京師東南面招討諸行営副都統となる。
中和二年(882)、同中書門下平章事(使相)に任じられた。黄巣軍の将
朱温と同州で交戦して大敗し、さらに魏博節度使の
韓簡にも敗れた。しかし魏博で軍乱が起こって窮地を脱した。
光啓二年(886)卒し、牙将の
劉経・
張言が子諸葛仲方を擁立して留後としたが、
孫儒に敗れた。諸葛爽の子孫は諸葛八卦村で代々諸葛亮の血統を保った。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年07月31日 07:23