劉巨容 りゅうきょよう
826-889
晩唐の武将・藩鎮。徐州(江蘇省徐州市)の人。劉元一の子。
龐勛が叛乱を起こすと、脱出して朝廷に帰順し、埇橋鎮遏使に任命された。
王郢が叛乱を起こすと、筒箭(仕込み矢)で王郢を討ち取り、功績によって明州刺史、楚州団練使となった。
黄巣の乱がおこると蘄黄招討副使、さらに襄州行軍司馬・検校右散騎常侍となり、黄巣が荊南に拠ると、山南東道節度使に遷されて対応した。江西招討使
曹全晸と共に荊門関の戦いで黄巣軍に大勝し、検校礼部尚書となったが、一方で黄巣を平定されても朝廷は恩賞を与えないことを見越し、軍務での収奪を図って黄巣の徹底的な討伐を行わなかった。南面行営招討使、兼天下兵馬先鋒開道供軍糧料使、検校司空に任じられ、彭城県侯に封ぜられた。
中和四年(884)六月、
秦宗権の将
趙徳諲の攻撃を受けて成都へ逃亡。
田令孜に恨みを抱かれ、
龍紀元年(889)殺害され、子
劉汾・劉迪以外の一族は皆殺しとなった。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年08月31日 00:55