顧彦暉 こげんき
?-897
唐末の群雄。豊州(内蒙古自治区)の人。
顧彦朗の弟。兄と共に天徳軍節度使の下級将校となり、節度使
蔡京の元で昇進した。光啓三年(887)兄が剣南東川節度使になると、漢州刺史に任じられた。大順二年(891)、兄が卒すると知留後に、景福元年(892)節度使となった。
楊守厚の攻撃を受け、
王建の救援を受けたが、王建は梓州の併合を目論んでいたから敵対され、攻撃を受けた。
楊守亮の援軍によって王建の将
王宗弼を捕らえて養子とした。翌年朝廷より検校司空・東川節度使に任じられたが、さらに
李茂貞の侵攻も受け、乾寧四年(897)には王建の将
華洪軍五万の攻撃を受けて渝州・昌州・普州が陥落する大敗を喫し、窮した顧彦暉は一族・諸将をあげて集団自決を行った。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年09月07日 23:00