駱全諲 らくぜんいん
?-890
唐末の宦官。枢密使。
大順元年(890)八月、
昭宗が河東節度使の
李克用を討伐することになると、宰相
張濬を河東行営兵馬招討制置使に、京兆尹
孫揆を昭義節度使として副官とし、
韓建を供軍使に、
朱全忠・
李匡威・
王鐸を招討使とし、汴の武装兵三千を直属とし、五十二軍を編成し、邠州・寧州・鄜州・夏州の雑虜で合わせて五万の軍が編成された。その中での駱全諲は行営都監となった。しかし李克用の将軍
李存孝の攻撃を受けて大敗、張濬は逃走し、駱全諲は服毒自殺した。
列伝
最終更新:2026年09月30日 18:44