李珏 りかく
785-853
中唐の宰相(任838-840)。字は待価。趙州賛皇県(河北省石家荘市)の人。隋の
李諤の玄孫で、その世系は
李諤→李爽→李震→李光朝→李珏である。牛李の党争では牛派に属する。明経科・明経科・進士・抜萃科に及第。右拾遺、殿中侍御史、礼部員外郎、司勲員外郎、戸部侍郎を歴任した。開成三年(838)正月、
楊嗣復の引き立てで同中書門下平章事(宰相)に任じられ、楊嗣復・
李固言の三人は牛派の宰相として、李派の
鄭覃・
陳夷行らと対立した。
文宗の信任あつく、文宗が崩御すると、文宗の意思であったとして陳王
李成美を皇帝にするよう議題にあげたが、
仇士良によって
武宗が擁立されて失敗。かえって開成五年(840)八月宰相を罷免され、その後武宗から誅殺される寸前となったが、
李徳裕の尽力によって免れた。左遷の後、江西観察使、河陽節度使、吏部尚書、淮南節度使を歴任した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年10月19日 02:22