長孫氏
601-636
唐第2代皇帝
太宗の皇后。洛陽を本貫とする北族系の名門長孫氏の出。父は隋の右驍衛将軍長孫晟。兄は初唐の重臣
長孫无忌。13才で李世民(後の太宗)にとつぎ、やがて夫の封王によって秦王妃となり、王の即位とともに皇后となった。少時より書を読み婦徳をおさめ、皇后としても公私の別をよくわきまえ、内助の功がすこぶる多かった。36才で立政殿で病没。生前、古来の婦人の事跡をあつめて『女則』10編を作ったが、死後これを見た太宗は、諫め正してくれるつれあいを失ったと号泣したと伝えられる。674年文徳順聖皇后の尊号をたてまつられた。太宗との間の子に
李承乾・
李泰・
高宗・
長楽公主・
城陽公主・
晋陽公主・
新城公主がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十六 列伝第一 文徳順聖皇后
『旧唐書』巻五十一 列伝第一 后妃上 太宗文徳皇后長孫氏
参考文献
『アジア歴史事典6』(平凡社,1960年)
外部リンク
最終更新:2024年10月26日 02:25