新城公主
634-662
初唐の公主。
太宗の第二十一皇女。母は
文徳長孫皇后。同母兄姉に
李承乾・
李泰・
高宗・
長楽公主・
城陽公主・
晋陽公主・
新城公主がいる。はじめ衡山公主に封ぜられ、
魏徴の子の魏叔玉に嫁ぐ予定であったが、魏徴の死後、諌奏の複本をつくっていたことを太宗が知って怒り、取り止めとなった。貞観二十三年(649)
長孫詮に嫁いだ。永徽三年(652)新城長公主に封ぜられた。顕慶四年(659)
長孫无忌が失脚すると、長孫詮も流されて殺害されたため、異母姉
東陽公主の推薦で、
韋正矩に再嫁したが、韋正矩による虐待死した。『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年11月04日 02:58