Top > 【シェア】みんなで世界を創るスレ【クロス】 > 異形世界・「白狐と青年」 > 第46話
「落ち着く場所の行き場」
●
研究所内へと戻った匠はキッコ、彰彦、明日名らと共に平賀の部屋で話を聞くことになった。
未だに先程までの泣きの気配を引きずっているクズハは俯きがちに匠の服の裾を引いてついてきてはいるが、何も喋らない。誰も彼女に発言を求める事は無く、ただ彼女を見守っている。
そんな皆を見ながら匠はこう思う。
……俺も何も話しかけなくて正解、だな?
疑問形で思うのは、自分のこういう場面での感覚が当てにならないという事をこの数時間で悟ったからだ。
自分を知ってまた一歩成長した。そう前向きに考える事にして、匠は平賀に問いを投げた。
「じいさん、さっき行政区との話し合いがもたれる事になったって聞いたけど?」
キッコと明日名は既に平賀から聞いていて知っているようだったが匠は詳しい事を知らない。同じく詳細を知らない彰彦が相槌をうって、
「俺もその話を詳しく聞きたい」
「そうじゃろうな」
平賀はそう言って頷き、
「ここ数日、行政区相手に色々と根回しをしての、ようやっと行政区のお偉いさん達と話す場をセッティングする事に成功したんじゃよ」
そう言って彼は紙を一枚ずつ匠と彰彦に渡す。
「渡辺君に渡したものと同じ内容の紙じゃ。会議での議題は『異形への対応の再検討と大阪圏の今後』と題してな、参加者となる大阪圏行政区の議員連中も、今はほとんどが防備を固めた行政区内に閉じこもっておることじゃし、ここらで皆で話し合って大阪圏全体の方針を定めてしまおう、というわけじゃな」
彰彦は感心したように唸る。
「話し合いの席を設ける事ができたってだけで十分すげえよ。ところでよ、さっき翔と話してる時に聞いたんだけどさ、クズハちゃんが研究区内に居るって事はもう大々的にばらしちまったって事でいいのか?」
「うむ、クズハ君の所在をあまり長く隠しておいても得にはならんからのう。どうせ黒幕は匠君や明日名君がクズハ君を救出に行ったことから逆算して、クズハ君の居場所はほぼ掴んでおるじゃろうしな。下手に隠し続けてはその事実を利用してわしらを攻めて来かねんからのだなあ。
話し合いが終わるまでは研究区保護下の異形には手出し無用を確約させた上でバラしてしまったわい」
じゃあ、と匠が問う。
「クズハはもう追われていない、という事か?」
「ひとまず、公の戦力には。と但し書きがいくつか付く事になるがのう」
それだけでも、これまでに比べれば劇的な改善だ。匠はほっと息を吐いてクズハの背を撫でる。
「じゃあこれから警戒しなきゃならねえ敵さん――行政区の奴らのうち、怪しい奴らの裏は取れたのか?」
彰彦の言葉に平賀は難しい顔をした。
「異形排斥派、共存派問わず今の状態に違和感を感じておる者は多いようじゃが、本命の通光君はやはり尻尾を見せんのう、やり手じゃな。しかしまあ、皆が違和感を感じているというのならば攻めようはある。彰彦が持ってきてくれた情報から根回しをして、話し合いの場では通光君を差していこうと思っておるんじゃよ」
「俺の持ってきた情報……?」
「うむ、行方不明者の情報じゃ。調べてみたら結構これが使えそうでな」
そう楽しそうに笑む平賀に、キッコが確認するように言う。
「とは言ってもこれで平賀も追いつめられてきてはいよう? 状況確認をするのなら、不利な部分も説明しておいた方がよかろう」
「不利な点……?」
平賀は「こりゃ一本取られたのう」とおどけた。その上で彼は一つため息をついて、
「そうじゃのう――わしらは今回の件、最初から異形を匿ったり保護するなりをして、ただでさえ大阪圏の主流から反した動きを取っておる。異形の手によるとされる事件もまた多発しておる中でその態度を固持しておるせいで、けっこう反感も集めておってのう、以前から少しずつわしの大阪圏内での発言力が低下してきてはいたんじゃな。
それらの積み重ねの結果として、今回の話し合いの席をセットするのにも時間がかかったわけなんじゃが――そうじゃの。今回の話し合いで事態の進展が望めなければ、研究区はわしごと潰されてしまうかもしれんのう。少なくとも大阪圏内に居場所は無くなってしまうじゃろうな」
平賀の進退がかかった重大な事だ。驚き半分、心配半分で息を詰め、匠は平賀に問う。
「大丈夫なのか?」
「いざとなれば安倍君辺りに皆の保護を頼むとするわい。それに、先程も言ったが異形排斥派も共存派も、現状に違和感を感じておるのでな、それゆえにこの話し合いの席も設けられたのじゃからの。ならばその違和感を加速させてしまえば、少なくとも共存派は取り込めよう」
平賀は口もとの円弧の笑みを深く刻んだ。
「そんな感じで、まあ土壇場じゃが、行政区のお偉方を味方に引き入れるチャンスでもあるわけじゃな」
言う程簡単なものでもないだろうと思いつつ、匠はそうか、と頷く。今更心配してもしかたの無い事だ。そう割り切った上で、紙面を確認して、
「会議は三日後だな」
「それまでは久しぶりに休憩タイムじゃな」
平賀は深呼吸して伸びをする。あくびまで一つ入れたところで周りを見回した。
「わしの方は根回しに走るからもうちとがんばるが、皆は疲れていよう? 特にクズハ君は起きたばかりじゃ。もう今日は休んでしまうとええ」
そう平賀に言われたクズハの顔は、少し集中力を欠いてぼっとしているように見える。彼女にとっても匠にとっても変化が激しい一日だった。確かに少し考えるための休息の時間も欲しい。
だから、と匠は頷き、
「わかった。それじゃあ今日はもう休ませてもらうよ、じいさん」
そう言って、クズハの背を叩いて退室を促す。
クズハは黙って匠に付いて来た。
未だに先程までの泣きの気配を引きずっているクズハは俯きがちに匠の服の裾を引いてついてきてはいるが、何も喋らない。誰も彼女に発言を求める事は無く、ただ彼女を見守っている。
そんな皆を見ながら匠はこう思う。
……俺も何も話しかけなくて正解、だな?
疑問形で思うのは、自分のこういう場面での感覚が当てにならないという事をこの数時間で悟ったからだ。
自分を知ってまた一歩成長した。そう前向きに考える事にして、匠は平賀に問いを投げた。
「じいさん、さっき行政区との話し合いがもたれる事になったって聞いたけど?」
キッコと明日名は既に平賀から聞いていて知っているようだったが匠は詳しい事を知らない。同じく詳細を知らない彰彦が相槌をうって、
「俺もその話を詳しく聞きたい」
「そうじゃろうな」
平賀はそう言って頷き、
「ここ数日、行政区相手に色々と根回しをしての、ようやっと行政区のお偉いさん達と話す場をセッティングする事に成功したんじゃよ」
そう言って彼は紙を一枚ずつ匠と彰彦に渡す。
「渡辺君に渡したものと同じ内容の紙じゃ。会議での議題は『異形への対応の再検討と大阪圏の今後』と題してな、参加者となる大阪圏行政区の議員連中も、今はほとんどが防備を固めた行政区内に閉じこもっておることじゃし、ここらで皆で話し合って大阪圏全体の方針を定めてしまおう、というわけじゃな」
彰彦は感心したように唸る。
「話し合いの席を設ける事ができたってだけで十分すげえよ。ところでよ、さっき翔と話してる時に聞いたんだけどさ、クズハちゃんが研究区内に居るって事はもう大々的にばらしちまったって事でいいのか?」
「うむ、クズハ君の所在をあまり長く隠しておいても得にはならんからのう。どうせ黒幕は匠君や明日名君がクズハ君を救出に行ったことから逆算して、クズハ君の居場所はほぼ掴んでおるじゃろうしな。下手に隠し続けてはその事実を利用してわしらを攻めて来かねんからのだなあ。
話し合いが終わるまでは研究区保護下の異形には手出し無用を確約させた上でバラしてしまったわい」
じゃあ、と匠が問う。
「クズハはもう追われていない、という事か?」
「ひとまず、公の戦力には。と但し書きがいくつか付く事になるがのう」
それだけでも、これまでに比べれば劇的な改善だ。匠はほっと息を吐いてクズハの背を撫でる。
「じゃあこれから警戒しなきゃならねえ敵さん――行政区の奴らのうち、怪しい奴らの裏は取れたのか?」
彰彦の言葉に平賀は難しい顔をした。
「異形排斥派、共存派問わず今の状態に違和感を感じておる者は多いようじゃが、本命の通光君はやはり尻尾を見せんのう、やり手じゃな。しかしまあ、皆が違和感を感じているというのならば攻めようはある。彰彦が持ってきてくれた情報から根回しをして、話し合いの場では通光君を差していこうと思っておるんじゃよ」
「俺の持ってきた情報……?」
「うむ、行方不明者の情報じゃ。調べてみたら結構これが使えそうでな」
そう楽しそうに笑む平賀に、キッコが確認するように言う。
「とは言ってもこれで平賀も追いつめられてきてはいよう? 状況確認をするのなら、不利な部分も説明しておいた方がよかろう」
「不利な点……?」
平賀は「こりゃ一本取られたのう」とおどけた。その上で彼は一つため息をついて、
「そうじゃのう――わしらは今回の件、最初から異形を匿ったり保護するなりをして、ただでさえ大阪圏の主流から反した動きを取っておる。異形の手によるとされる事件もまた多発しておる中でその態度を固持しておるせいで、けっこう反感も集めておってのう、以前から少しずつわしの大阪圏内での発言力が低下してきてはいたんじゃな。
それらの積み重ねの結果として、今回の話し合いの席をセットするのにも時間がかかったわけなんじゃが――そうじゃの。今回の話し合いで事態の進展が望めなければ、研究区はわしごと潰されてしまうかもしれんのう。少なくとも大阪圏内に居場所は無くなってしまうじゃろうな」
平賀の進退がかかった重大な事だ。驚き半分、心配半分で息を詰め、匠は平賀に問う。
「大丈夫なのか?」
「いざとなれば安倍君辺りに皆の保護を頼むとするわい。それに、先程も言ったが異形排斥派も共存派も、現状に違和感を感じておるのでな、それゆえにこの話し合いの席も設けられたのじゃからの。ならばその違和感を加速させてしまえば、少なくとも共存派は取り込めよう」
平賀は口もとの円弧の笑みを深く刻んだ。
「そんな感じで、まあ土壇場じゃが、行政区のお偉方を味方に引き入れるチャンスでもあるわけじゃな」
言う程簡単なものでもないだろうと思いつつ、匠はそうか、と頷く。今更心配してもしかたの無い事だ。そう割り切った上で、紙面を確認して、
「会議は三日後だな」
「それまでは久しぶりに休憩タイムじゃな」
平賀は深呼吸して伸びをする。あくびまで一つ入れたところで周りを見回した。
「わしの方は根回しに走るからもうちとがんばるが、皆は疲れていよう? 特にクズハ君は起きたばかりじゃ。もう今日は休んでしまうとええ」
そう平賀に言われたクズハの顔は、少し集中力を欠いてぼっとしているように見える。彼女にとっても匠にとっても変化が激しい一日だった。確かに少し考えるための休息の時間も欲しい。
だから、と匠は頷き、
「わかった。それじゃあ今日はもう休ませてもらうよ、じいさん」
そう言って、クズハの背を叩いて退室を促す。
クズハは黙って匠に付いて来た。
●
部屋に戻る途中でクズハを部屋に連れて行く。
部屋の扉を開けると、正面に吹き飛ばされて風通しがよくなった窓が匠を出迎えた。
「あー……」
そういえばクズハに破壊されたままだったと思い出していると、クズハが小さく言ってきた。
「す、すみません」
ようやく口を開いたクズハの謝罪がいつもの調子で、匠は改めて安堵交じりにため息をついて苦笑した。
「うん、まあしょうがないよな……どこか空いてる部屋でも適当に探して――」
言っていると、クズハに服の袖を強く引かれた。
目をやると、彼女は袖に目を落としたままで、
「あの、私、匠さんの部屋で寝ちゃ、いけませんか……?」」
そう言ってクズハは、固まった匠の顔を見上げる。だって、と前置きして、
「昔は……拾ってくれた時には、一緒に寝てくれました」
「あれは記憶もなくて寂しかろうと思ってだな……」
異形であるクズハが人に敵意や警戒を必要以上に抱かないように、そして逆に向けられないように、当初は傍で見守る必要があったが、ある程度人の社会に対する知識が付いた時点で必要以上に傍に居る事もしなくなったものだ。それが彼女の為になると、保護者の立場でかつてはそう考えたのだが、
「和泉に行ってからもそうでした」
不満の色をのぞかせるクズハの口調に、匠はまた何かミスったのだろうなきっと、と半ば投げやりに思いながら返答する。
「そりゃな、師範達がクズハ用にも別で母屋に部屋を用意してくれたし、そっちの方が便利だったろ?」
クズハは頷いた。その上で、
「それでも、寂しかったです」
「だが――」
「寂しかったです」
「……」
……どうもその言葉には弱いな。
寝るとは言っても一緒の部屋で寝て近くに匠が居る事を感じたいとか、そういう事だろう。せっかく想いが通じ合ったのだ。無碍に断る事もないと匠は首を縦に振った。
「分かった。行こうか、クズハ」
「はい!」
返事と共に、久しぶりの満面の笑みがクズハの顔に浮かんだ。
……この表情にも勝てない。
惚れた弱みなのかもしれないと思う事にして、匠は風通しの良い部屋を後にした。
部屋の扉を開けると、正面に吹き飛ばされて風通しがよくなった窓が匠を出迎えた。
「あー……」
そういえばクズハに破壊されたままだったと思い出していると、クズハが小さく言ってきた。
「す、すみません」
ようやく口を開いたクズハの謝罪がいつもの調子で、匠は改めて安堵交じりにため息をついて苦笑した。
「うん、まあしょうがないよな……どこか空いてる部屋でも適当に探して――」
言っていると、クズハに服の袖を強く引かれた。
目をやると、彼女は袖に目を落としたままで、
「あの、私、匠さんの部屋で寝ちゃ、いけませんか……?」」
そう言ってクズハは、固まった匠の顔を見上げる。だって、と前置きして、
「昔は……拾ってくれた時には、一緒に寝てくれました」
「あれは記憶もなくて寂しかろうと思ってだな……」
異形であるクズハが人に敵意や警戒を必要以上に抱かないように、そして逆に向けられないように、当初は傍で見守る必要があったが、ある程度人の社会に対する知識が付いた時点で必要以上に傍に居る事もしなくなったものだ。それが彼女の為になると、保護者の立場でかつてはそう考えたのだが、
「和泉に行ってからもそうでした」
不満の色をのぞかせるクズハの口調に、匠はまた何かミスったのだろうなきっと、と半ば投げやりに思いながら返答する。
「そりゃな、師範達がクズハ用にも別で母屋に部屋を用意してくれたし、そっちの方が便利だったろ?」
クズハは頷いた。その上で、
「それでも、寂しかったです」
「だが――」
「寂しかったです」
「……」
……どうもその言葉には弱いな。
寝るとは言っても一緒の部屋で寝て近くに匠が居る事を感じたいとか、そういう事だろう。せっかく想いが通じ合ったのだ。無碍に断る事もないと匠は首を縦に振った。
「分かった。行こうか、クズハ」
「はい!」
返事と共に、久しぶりの満面の笑みがクズハの顔に浮かんだ。
……この表情にも勝てない。
惚れた弱みなのかもしれないと思う事にして、匠は風通しの良い部屋を後にした。
●
日が昇るのと同時に目覚めた匠は、右脇の辺りに感じる温もりに一瞬眉を動かした。
温もりの源からは甘い匂いが漂って来ており、それに混ざって微かに、
……獣の匂いが……。
武装隊時代の習慣か、獣の匂いは意識を素早く覚醒させてくれた。
血の生臭さを含まない獣の匂いは、人に近しいものとして感じられる。
匠は右脇の方、疲労のためにか深く寝入っているクズハに目をやった。
クズハの衣服に乱れが無い事を確認して、内心でほっと息を吐く。
……いやいや、そりゃそうさ何もしてねえんだから。
言い訳じみた事を心に呟いた。そもそも、匠は昨夜は床で寝ようとしたのだ。しかし、
……クズハに床では寝かせられないと言われたからなあ……。
その後、一緒に寝ようと言われた時に断り切れなかったのは、昨日からクズハに対して強い態度を取れなくなっているためだろう。
強い態度を取れなくなっている原因そのものは分かっていて、匠としては精進しなければと思うのだが、
……どうにもクズハを拾ったばかりの時を思いだす。
その懐かしさを悪く無いと思ってしまうのは、歳をとったという事だろうか。
クズハの髪を撫でながら自分の年齢について思案していると、クズハが寝返りの動きで身を寄せてきた。
安心しきった顔で密着してくるクズハの体の感触に匠は思わず息を詰める。
……まだ小さいが……大きくなったなぁ。
頭を擦りつけるようにしてくる彼女の拾った時よりも成長した体は、確かに女狐の影を覗かせている。若干の戸惑いとともにそれらの成長を確認した匠は、
……いかん。
何がいけないのかは深く考えないようにして、クズハから身を離して体を起こした。
クズハの体に布団をかけ直してやり、顔を洗って着替えに手を伸ばす。
新しい服に着替えながら、今後寝床は分けようと匠は決心した。
着替え終わる頃にはクズハが起きて来た。
彼女は目元を擦りながらあくびをして、
「おはようございます……」
「ああ、おはよう」
挨拶を返すと、クズハははにかんだように笑みながら布団を抱きしめた。
「どうした?」
問うと、彼女は布団に顔を埋めて微かに眠気の尾を引く声で呟いた。
「匠さんの匂いはとても安心します」
「……そうか」
そんなに臭うだろうか、とか自分が匂いに反応するのはクズハの嗜好が移ったのだろうかと思いながら、クズハが妙に嬉しそうなので寝床を分ける話はもうしばらく後にしてから切り出すことにした。
温もりの源からは甘い匂いが漂って来ており、それに混ざって微かに、
……獣の匂いが……。
武装隊時代の習慣か、獣の匂いは意識を素早く覚醒させてくれた。
血の生臭さを含まない獣の匂いは、人に近しいものとして感じられる。
匠は右脇の方、疲労のためにか深く寝入っているクズハに目をやった。
クズハの衣服に乱れが無い事を確認して、内心でほっと息を吐く。
……いやいや、そりゃそうさ何もしてねえんだから。
言い訳じみた事を心に呟いた。そもそも、匠は昨夜は床で寝ようとしたのだ。しかし、
……クズハに床では寝かせられないと言われたからなあ……。
その後、一緒に寝ようと言われた時に断り切れなかったのは、昨日からクズハに対して強い態度を取れなくなっているためだろう。
強い態度を取れなくなっている原因そのものは分かっていて、匠としては精進しなければと思うのだが、
……どうにもクズハを拾ったばかりの時を思いだす。
その懐かしさを悪く無いと思ってしまうのは、歳をとったという事だろうか。
クズハの髪を撫でながら自分の年齢について思案していると、クズハが寝返りの動きで身を寄せてきた。
安心しきった顔で密着してくるクズハの体の感触に匠は思わず息を詰める。
……まだ小さいが……大きくなったなぁ。
頭を擦りつけるようにしてくる彼女の拾った時よりも成長した体は、確かに女狐の影を覗かせている。若干の戸惑いとともにそれらの成長を確認した匠は、
……いかん。
何がいけないのかは深く考えないようにして、クズハから身を離して体を起こした。
クズハの体に布団をかけ直してやり、顔を洗って着替えに手を伸ばす。
新しい服に着替えながら、今後寝床は分けようと匠は決心した。
着替え終わる頃にはクズハが起きて来た。
彼女は目元を擦りながらあくびをして、
「おはようございます……」
「ああ、おはよう」
挨拶を返すと、クズハははにかんだように笑みながら布団を抱きしめた。
「どうした?」
問うと、彼女は布団に顔を埋めて微かに眠気の尾を引く声で呟いた。
「匠さんの匂いはとても安心します」
「……そうか」
そんなに臭うだろうか、とか自分が匂いに反応するのはクズハの嗜好が移ったのだろうかと思いながら、クズハが妙に嬉しそうなので寝床を分ける話はもうしばらく後にしてから切り出すことにした。
●
クズハが着替え終わるのを待って二人で朝食を食べに食堂まで出て行くと、入口付近で先に朝食を食べていたキッコが目ざとく匠達を見つけてきた。
「匠、クズハ、起きてきたのか、疲れは抜けたかの?」
「おかげさまでな」
「はい、随分と良くなりました」
ああは言ってはいるが、クズハはまだ本調子ではないだろう。もう何日か、ゆっくりと様子を見た方がよさそうだと匠は考える。キッコも同じ事を考えていたのか、クズハに対しては「無理はせぬように」と言って、
「……ふむ?」
不意に首を傾けた。
彼女は同じように首を傾けたクズハに近寄ってその頭に顔を寄せて、鼻をひくつかせる。
「……ほう」
「あ、あの……?」
クズハが戸惑った声を上げた。キッコは顔を離して、
「匂いは付いておるが、この感じでは種は受けておらぬか」
残念の色をもって発された言葉に、クズハが顔をさっと赤らめ、匠はあきれ顔で応じた。
「あたりまえだ」
「あたりまえとは何ぞ? この香りならば同衾はしたのであろう? にもかかわらず手を出さなかったのかの?」
一瞬手を出しかけたような気もするが、それらの記憶を敢えて意識から弾きだして匠は頷いた。
「そうだ」
「なんと……!」
キッコは殊更に驚いた顔をした。
「据え膳食わぬは何とやらという言葉を知らぬのかの?」
「据え膳ってお前……」
何か言い返そうとして、咄嗟に反論の言葉が出て来なかった。匠はごまかすように咳払いを一つして、クズハの頭に手を置く。
「こういうところはほんと動物的なのな。クズハにはまだ早いだろ」
「早い……かの」
キッコはクズハへと視線を転じた。
「どうだの?」
「え……?」
話を振られたクズハは一瞬口ごもり、顔を更に紅潮させ、
「わ、私は……匠さんになら、いつでも……」
尻すぼみに消えて行く言葉で言われ、匠は天井を仰いで振り切るように頭を二、三度振った。
クズハの頭の上の手を力を込めてぐりぐり動かしながら、
「そういうのは時期を見て、ゆっくりとだな」
「うむ」
キッコがもっともらしく頷いた。煽って来るのかと思ったら、彼女は別段そういう意図もなさそうに、
「そうだの、別に焦る事もなかろう。あれほどはっきりと告白したのだしの、自然と行きつくところには行きつくだろうて」
そう言うと、身を翻してキッコは食堂へと足を進め、朝食を食べている皆に聞こえるように声を飛ばした。
「皆よ、聞いて知っている者も多かろうが、昨日、匠とクズハのつがいが成った。めでたい日ぞ。武装隊の視察も探りも気にする必要も無くなったのだ。今日は匠の奢りで食って飲むがいい!」
即座に大きな歓声が返ってきた。
「あの女狐……」
視線の先ではキッコがクズハを手招きしている。クズハがどうしたものかという表情でこちらを見てきたので促しの頷きを作った。
「行ってこい。皆クズハの事を心配していたんだしな」
「はい」
走って行くクズハの背を見送りながら、匠はまだどうにも距離感をつかみ切れていないと思う。
……今までの距離感に甘えてきてたツケだな……。
キッコがつがいと言っていたが、実際のところ、自分とクズハはそういう関係になり切れていないのだろう。クズハが身を寄せてくるのも、自分が今の関係での確たる安心を得られていないからだと匠は考えている。
「いろいろと不足してるな……」
吐息交じりに弱音を吐いていると、肩を叩かれた。
振り返ると、そこに居たのは、
「彰彦」
「どうした、朝っぱらからため息なんかついて」
「さっきの聞いてただろ? どうやら今日は俺の奢りらしいぞ」
そう言って示す食堂はにわかに活気づいている。皆、遠慮なんて一切せずに食い散らかす気満々だろう。それは今日までこちらの都合に付き合って来てもらった皆に対する当然の礼ではあると思うが、
……これで貸し借り無しにしてくれるって事か。
ありがたいことだ。そう思いながら彰彦に言う。
「まあ、そんなわけだから彰彦も遠慮せずに食え」
「そうだな。せっかくだから幸せを分けてもらうとするか」
食堂のクズハとこちらを見比べながら言う彰彦に匠はあのなぁ、と抗議する。
「幸せとか言うけどな、けっこう大変なんだぞ? 昨日もクズハが一緒に寝たいとか言い始めるし」
彰彦が「あーはいはい」とぞんざいに手を振った。
「本当に幸せそうだな、武装隊の世話になるか?」
彰彦の言葉のニュアンスに匠は意思の疎通がうまく出来ていない事を悟って急ぎ弁解を開始する。
「いや、ただ一緒に寝ただけで特になにもないぞ? というか、話の大事な部分はそこじゃねえ」
「じゃあどこが大事な部分なんだ?」
横目で見て来る友人に匠は頷いて、
「俺は本当にクズハを安心させてやれるようにならないといけないって事だ」
どうにもこれまでの人生、戦う事ばかりにかまけていたせいか、そういう安心や安定を戦場以外の場で意識して築くのが苦手な自覚がある。
故に、匠は反省として自身をこう評する。
「まだまだ未熟だ」
「それが分かってんなら上等だろ」
彰彦は微笑し、
「それに、クズハちゃんがわがままを言って匠を困らせたってだけで、クズハちゃんの方にもでっけえ変化があったってもんだ」
「そういえば、珍しくわがままを言ったな」
それも、他者の身を心配してのものではなく、自分自身のために言う種類のわがままだ。
「信仰気分も抜け始めてるんだろ。対等に近付いたってことだぜ、それは」
そう言って彰彦は匠の胸を小突いた。
「喜べよ、あの子の為にな。んでもってそれを肴に今日はお前の金で乾杯だ」
そう言って彰彦も食堂へと駆けて行く。一応ある程度遠慮するようにと言うだけ言っておかねばと思いながら、匠は食堂にいつの間にか設けられているお誕生日席に座らされているクズハの困ったような笑顔を見る。
それを見て心に浮かべるのは心が軽くなるような幸せの感情だ。
この幸せを続け、クズハにも同じ感情を抱いてもらう為に、今、大阪圏を巻き込みつつある不安の元凶を叩く。
そう心に思い、匠は食堂に入ろうとして、ふと立ち止まって財布の中身を確認しだした。
「匠、クズハ、起きてきたのか、疲れは抜けたかの?」
「おかげさまでな」
「はい、随分と良くなりました」
ああは言ってはいるが、クズハはまだ本調子ではないだろう。もう何日か、ゆっくりと様子を見た方がよさそうだと匠は考える。キッコも同じ事を考えていたのか、クズハに対しては「無理はせぬように」と言って、
「……ふむ?」
不意に首を傾けた。
彼女は同じように首を傾けたクズハに近寄ってその頭に顔を寄せて、鼻をひくつかせる。
「……ほう」
「あ、あの……?」
クズハが戸惑った声を上げた。キッコは顔を離して、
「匂いは付いておるが、この感じでは種は受けておらぬか」
残念の色をもって発された言葉に、クズハが顔をさっと赤らめ、匠はあきれ顔で応じた。
「あたりまえだ」
「あたりまえとは何ぞ? この香りならば同衾はしたのであろう? にもかかわらず手を出さなかったのかの?」
一瞬手を出しかけたような気もするが、それらの記憶を敢えて意識から弾きだして匠は頷いた。
「そうだ」
「なんと……!」
キッコは殊更に驚いた顔をした。
「据え膳食わぬは何とやらという言葉を知らぬのかの?」
「据え膳ってお前……」
何か言い返そうとして、咄嗟に反論の言葉が出て来なかった。匠はごまかすように咳払いを一つして、クズハの頭に手を置く。
「こういうところはほんと動物的なのな。クズハにはまだ早いだろ」
「早い……かの」
キッコはクズハへと視線を転じた。
「どうだの?」
「え……?」
話を振られたクズハは一瞬口ごもり、顔を更に紅潮させ、
「わ、私は……匠さんになら、いつでも……」
尻すぼみに消えて行く言葉で言われ、匠は天井を仰いで振り切るように頭を二、三度振った。
クズハの頭の上の手を力を込めてぐりぐり動かしながら、
「そういうのは時期を見て、ゆっくりとだな」
「うむ」
キッコがもっともらしく頷いた。煽って来るのかと思ったら、彼女は別段そういう意図もなさそうに、
「そうだの、別に焦る事もなかろう。あれほどはっきりと告白したのだしの、自然と行きつくところには行きつくだろうて」
そう言うと、身を翻してキッコは食堂へと足を進め、朝食を食べている皆に聞こえるように声を飛ばした。
「皆よ、聞いて知っている者も多かろうが、昨日、匠とクズハのつがいが成った。めでたい日ぞ。武装隊の視察も探りも気にする必要も無くなったのだ。今日は匠の奢りで食って飲むがいい!」
即座に大きな歓声が返ってきた。
「あの女狐……」
視線の先ではキッコがクズハを手招きしている。クズハがどうしたものかという表情でこちらを見てきたので促しの頷きを作った。
「行ってこい。皆クズハの事を心配していたんだしな」
「はい」
走って行くクズハの背を見送りながら、匠はまだどうにも距離感をつかみ切れていないと思う。
……今までの距離感に甘えてきてたツケだな……。
キッコがつがいと言っていたが、実際のところ、自分とクズハはそういう関係になり切れていないのだろう。クズハが身を寄せてくるのも、自分が今の関係での確たる安心を得られていないからだと匠は考えている。
「いろいろと不足してるな……」
吐息交じりに弱音を吐いていると、肩を叩かれた。
振り返ると、そこに居たのは、
「彰彦」
「どうした、朝っぱらからため息なんかついて」
「さっきの聞いてただろ? どうやら今日は俺の奢りらしいぞ」
そう言って示す食堂はにわかに活気づいている。皆、遠慮なんて一切せずに食い散らかす気満々だろう。それは今日までこちらの都合に付き合って来てもらった皆に対する当然の礼ではあると思うが、
……これで貸し借り無しにしてくれるって事か。
ありがたいことだ。そう思いながら彰彦に言う。
「まあ、そんなわけだから彰彦も遠慮せずに食え」
「そうだな。せっかくだから幸せを分けてもらうとするか」
食堂のクズハとこちらを見比べながら言う彰彦に匠はあのなぁ、と抗議する。
「幸せとか言うけどな、けっこう大変なんだぞ? 昨日もクズハが一緒に寝たいとか言い始めるし」
彰彦が「あーはいはい」とぞんざいに手を振った。
「本当に幸せそうだな、武装隊の世話になるか?」
彰彦の言葉のニュアンスに匠は意思の疎通がうまく出来ていない事を悟って急ぎ弁解を開始する。
「いや、ただ一緒に寝ただけで特になにもないぞ? というか、話の大事な部分はそこじゃねえ」
「じゃあどこが大事な部分なんだ?」
横目で見て来る友人に匠は頷いて、
「俺は本当にクズハを安心させてやれるようにならないといけないって事だ」
どうにもこれまでの人生、戦う事ばかりにかまけていたせいか、そういう安心や安定を戦場以外の場で意識して築くのが苦手な自覚がある。
故に、匠は反省として自身をこう評する。
「まだまだ未熟だ」
「それが分かってんなら上等だろ」
彰彦は微笑し、
「それに、クズハちゃんがわがままを言って匠を困らせたってだけで、クズハちゃんの方にもでっけえ変化があったってもんだ」
「そういえば、珍しくわがままを言ったな」
それも、他者の身を心配してのものではなく、自分自身のために言う種類のわがままだ。
「信仰気分も抜け始めてるんだろ。対等に近付いたってことだぜ、それは」
そう言って彰彦は匠の胸を小突いた。
「喜べよ、あの子の為にな。んでもってそれを肴に今日はお前の金で乾杯だ」
そう言って彰彦も食堂へと駆けて行く。一応ある程度遠慮するようにと言うだけ言っておかねばと思いながら、匠は食堂にいつの間にか設けられているお誕生日席に座らされているクズハの困ったような笑顔を見る。
それを見て心に浮かべるのは心が軽くなるような幸せの感情だ。
この幸せを続け、クズハにも同じ感情を抱いてもらう為に、今、大阪圏を巻き込みつつある不安の元凶を叩く。
そう心に思い、匠は食堂に入ろうとして、ふと立ち止まって財布の中身を確認しだした。