無限桃花~天神の宿命・後編~
どこからか隙間風が桃花の頬をさすった。その冷たさは桃花の眠りを妨げる。外の風は相変わらず強い。
古い家は雪の降り始めが一番寒い。完全に雪が積もれば隙間は埋まるが、外はまだそれほどの雪では無かった。
古い家は雪の降り始めが一番寒い。完全に雪が積もれば隙間は埋まるが、外はまだそれほどの雪では無かった。
「うーん‥‥寒い‥‥彼方は?」
返事は無い。先に布団に入った彼方は、既に眠っていた。
また、隙間風が吹いた。だが、今度はただの隙間風では無かった。
桃花と彼方の寝室の襖が、そっと開いたのだ。
冷たい風が入ってくる。桃花は襖が開いた事には気付かず、布団に潜り込む。
襖の僅かな隙間からは、黒い影に包まれた包丁が侵入する。桃花はまだ気付かない。その包丁の影はやがて形を変え、人の姿となった。
筋骨逞しい、練刀の形骸。その手からは刀が直接生えていた。
また、隙間風が吹いた。だが、今度はただの隙間風では無かった。
桃花と彼方の寝室の襖が、そっと開いたのだ。
冷たい風が入ってくる。桃花は襖が開いた事には気付かず、布団に潜り込む。
襖の僅かな隙間からは、黒い影に包まれた包丁が侵入する。桃花はまだ気付かない。その包丁の影はやがて形を変え、人の姿となった。
筋骨逞しい、練刀の形骸。その手からは刀が直接生えていた。
そして一歩、また一歩。桃花と、彼方の元へ近づく。その時‥‥‥
「おおおおおお!」
襖は突如切り裂かれ、バラバラになった。鷹寅だ。
「桃花!彼方!」
鷹寅の声は桃花の耳にすぐさま届く。桃花は起き上がり、そして練刀と、それに相対する父を見て叫び声をあげた。
「ふっ‥‥お前には用はないぞ鷹寅。いくら陰陽師の力を持っていたとて、我らには敵うまい。我らはただの妖では無いのだから」
「黙れ!桃花!彼方を起こせ!逃げるんだ!」
「逃げる?どこへだ?京から東国へ、そしてはるばる霊域であるこの地へ逃げても、お前達無限の一族は見つかった。これ以上どこへ行く?」
「逃げる?どこへだ?京から東国へ、そしてはるばる霊域であるこの地へ逃げても、お前達無限の一族は見つかった。これ以上どこへ行く?」
鷹寅は練刀へと手にした刀で斬りかかる。
「対魔の呪札を貼った剣‥‥だがそれでは我らには敵わない」
練刀は鷹寅の剣を受け止め、そのまま鷹寅を突き飛ばす。廊下へ弾き出された鷹寅は直ぐさま体制を立て直し、練刀への反撃を試みる。
「式神!不浄狸!」
鷹寅は式神と呼ばれる配下の御霊を呼び出した。それは練刀へと襲い掛かる。鷹寅は再び叫んだ。
「桃花!早く彼方を起こすんだ!」
「無駄な事だな。お前の娘達は死ぬ」
ーー死ぬ?
練刀は娘達の秘密を知らないと読んだ。こいつは『奴』の配下の中でも下っ端だろう。
そうすれば、まだ付け入る隙があるかもしれない。
練刀は娘達の秘密を知らないと読んだ。こいつは『奴』の配下の中でも下っ端だろう。
そうすれば、まだ付け入る隙があるかもしれない。
「不浄狸よ!娘達を!」
鷹寅は式神を娘達に向かわせ、自身は呪札を貼った太刀で練刀へ立ち向かう。
「式神よ!娘を‥‥!」
「あくまで抗うか。いいだろう。婆盆の言い付けは後回しだ」
「うおおおお!」
鷹寅は刃の化身に決死の戦いを挑んだ。
「彼方!起きて彼方!」
桃花は幼い妹を必死で起こそうとするが、彼方は一向に目を覚まさなかった。
やがて父の放った不浄狸が現れ、桃花へ擦り寄って来た。
やがて父の放った不浄狸が現れ、桃花へ擦り寄って来た。
「あなた達は‥‥‥お父さんの‥‥?彼方が‥彼方が起きないの!!」
桃花の必死さは不浄狸にもすぐに伝わる。不浄狸は彼方へと近寄り、彼方を起こそうとする。だが‥‥‥
「フーーーーーッ!!!」
不浄狸は、彼方へと威嚇の声を上げた。手遅れだった。
「どうしたの?彼方は起きたの?ねぇ、彼方‥‥キャァア!!」
突風。それは窓ガラスを突き破り、室内へ破片を降らす。そして‥‥‥‥
「その娘から離れなさい。桃花」
その風は言った。舞い上がったガラス片や雪は、人に近い形で渦巻いている。そしてゆっくり姿を表す。
「無限の天神よ。彼方から離れなさい」
そこに現れたのは、葉扇子を持った、天狗だった。桃花はもはや叫ぶ事すら出来ない。余りの恐怖に、心も身体も硬直していた。
「私は、無縁天狗。あの『お方』からは婆盆という名を頂いた者だ」
不浄狸はすぐさま婆盆と名乗った天狗へ襲い掛かる。
しかし、一陣の風と共に、瞬時に切り刻まれた。後に残ったのは、ただの札だけ。
しかし、一陣の風と共に、瞬時に切り刻まれた。後に残ったのは、ただの札だけ。
「主よ。迎えに参った。さぁ、千年の怨み。今こそ晴らそう」
彼方の周りには黒い影が渦巻いていた。それもまた人の形となり、ゆっくりと彼方を抱き抱える。
「む?なるほど。まだ幼い故すぐには動けないか‥‥‥では時が経つまで我らが護りましょう」
彼方を抱える黒い影は、彼方を婆盆へと渡した。
桃花にはどうする事も出来ない。父の式神すら切り刻むほどの妖。幼い桃花には手に負える相手ではない。
桃花にはどうする事も出来ない。父の式神すら切り刻むほどの妖。幼い桃花には手に負える相手ではない。
「やめて‥‥‥彼方を連れていかないで‥‥!
「無限の天神よ。我らが天神は我らの元へ帰る。影糾は再び我らを率い、日出る国と戦う」
「無限の天神よ。我らが天神は我らの元へ帰る。影糾は再び我らを率い、日出る国と戦う」
桃花には意味は解らなかった。だが、その名前は忘れない。婆盆と、影糾。妹を、彼方を連れ去った者の名前。
「ではさらばだ。無限の天神よ」
婆盆は再び風を起こし、窓の外へ飛び出していった。
「どうした無限鷹寅。陰陽術も剣術も、我らにはやはり及ばんか」
鷹寅は苦戦していた。あれほど修業を積んだはずの剣も、刃の化身には通じなかった。敗北はもはや時間の問題だった。その時‥‥
「練刀よ、やはり遊んでいたか」
「婆盆‥‥‥そして、影糾か」
「我らは先に行くぞ。お前はさっさとそいつを始末しろ」
「ふん‥せめて姿を表して言え」
練刀は姿を見せない婆盆と影糾に苛立ちを覚えた。いつまでも下っ端扱いする連中には腹が立つ。
「では鷹寅、さらばだ」
練刀の刃が、鷹寅の胸へ突き刺さろうとしていた。ちょうどその時、桃花はその場へ現れた。婆盆に連れ去られた彼方。その事を父へ報告する為に。
「‥‥桃花‥‥!」
練刀の刃は、鷹寅の胸へ、深々と突き刺さった。
鮮血がほとばしる。父はその場へ崩れ落ち、手にした剣は床へ力無く転がった。
「お‥‥父さん‥‥?」
「桃花‥‥英子おばさんと‥‥逃げろ‥‥」
父は消え入りそうな言葉でそういった。
後ろには既に英子が立っていた。
後ろには既に英子が立っていた。
練刀は既に影に包まれ、消え去ろうとしていた。この後、この家がどうなるのか、その運命を知っていたから。
「ホラ桃花!にげるよ!早く!」
「嫌!お父さんが‥‥!」
桃花の身体からは黒い影が滲み出る。それは遥か昔の、無限一族の呪い。
「お父さん‥‥彼方!」
桃花のみぞおち辺りから血が吹き出た。黒い刀身と共に。それは激痛によって泣き叫ぶ桃花を尻目に、その姿をこの世へ表す。
「黒龍‥‥‥二左衛門‥‥‥」
父は言った。そうか‥‥では『奴』は蘇ったか。
桃花はその黒い刀が何なのか解らなかった、ただそれが、自分の物だという事は理解できた。
桃花はその黒い刀が何なのか解らなかった、ただそれが、自分の物だという事は理解できた。
「お父さん‥‥」
「桃花‥‥強くなりなさい。人を恨んだり、嫉んだりしてはいけないよ。悪い奴に‥‥『奴』のようになるからね」
「うん。わかったよ‥‥‥」
「彼方に‥‥‥村正を持たせてはいけない。手遅れだったが‥‥桃花、お前がやるんだ」
「お父さん!彼方が‥‥!彼方が!」
「解ってる。さぁ、早く行きなさい」
「お父さん!」
英子は桃花の腕を掴み、外へ駆け出した。外へ出た瞬間に、狐の声が響き、同時に桃花の生家は燃え上がった。
思い出が詰まった、そしてこれからも思い出を詰め込むはずの古民間は、紅蓮の炎によって失われる。
思い出が詰まった、そしてこれからも思い出を詰め込むはずの古民間は、紅蓮の炎によって失われる。
地面にはうっすら雪が積もっていた。
「‥‥では、遂に奴らが現れたと。鷹寅は敗れたか」
「残ったのは桃花一人です。あとは‥‥家の焼け跡から‥‥刀が」
「そうか‥‥では一緒に京都へおいでなさい。ここでは何も出来ないでしょう」
「私も‥‥でしょうか?」
「『奴』も京都へはそう簡単に手は出せない。それに青森には御前稲荷‥‥いや、野狐に身を落とした妖狐が居る」
京都の無限一族分家から覇権された陰陽師。彼は英子の電話を受け急遽青森まで駆け付けた。
『奴』の復活と黒龍二左衛門村正。それは無限一族の戦争の合図。
『奴』の復活と黒龍二左衛門村正。それは無限一族の戦争の合図。
「おばさん」
桃花は言った。
「私、大丈夫だよ。お父さん言ってたもん。強くなりなさいって。だから京都いっても大丈夫だよ」
黒い刀を抱えた桃花はそう言った。
「ふむ‥‥ではすぐに参りましょう。『奴』が復活した以上は普通の妖が寄生へなっているやも知れぬ」
桃花は青森を後にした。京都で強くなる為に。陰陽師とは違う、対寄生の修業を積み、無限流の剣術と柔術を修めた。
そして15歳の時、桃花は京都を離れ、東京へ降り立った。
そして15歳の時、桃花は京都を離れ、東京へ降り立った。
『品川ー品川ー』
社内アナウンスが聞こえた。新幹線のシートへ深く沈んだ桃花は、深い眠りから目を覚ました。
社内アナウンスが聞こえた。新幹線のシートへ深く沈んだ桃花は、深い眠りから目を覚ました。
「夢‥‥かぁ」
懐かしい、悲しい思い出。今、桃花はあの時と同じように東京に立つ。
品川駅のホームに吹く風は青森よりは温かい。だが、桃花には英子と過ごした青森より冷たく感じられる。
品川駅のホームに吹く風は青森よりは温かい。だが、桃花には英子と過ごした青森より冷たく感じられる。
影糾への手掛かり、寄生四天王の内、二人は倒れた。残るは一人だ。
婆盆・無縁天狗。捜すしかない。彼等に頼ってでも。
婆盆・無縁天狗。捜すしかない。彼等に頼ってでも。
桃花は、霞ヶ関のとあるビルへ電話をかけた。