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ゴミ箱の中の子供達 第6話

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ゴミ箱の中の子供達 第6話


 白磁のポットが傾けられ、注ぎ口から褐色の液体が流れ出す。ほんのりと湯気を立ち上らせながら
カップを満たしていくそれは、リンゴの爽やかな香りを辺りに広げていた。

「どうぞ召し上がれ」

 柔らかな笑みをたたえたイレアナがゲオルグの前にカップを滑らす。軽い謝辞を述べたゲオルグは
早速カップを持ち上げると姉が煎れたお茶に口をつけた。
 口腔を満たしていく紅茶にゲオルグが最初に気づいたのは溢れんばかりのリンゴの芳香だった。鼻
で嗅ぐよりも口の中に入れた方がその香りはより鮮烈に伝わってくるものなのだ。ゲオルグが息と共に
その余韻を楽しんでいると、ようやく舌が紅茶の味を感知する。ストレートで飲んでいるため大抵気に
なってしまう筈の紅茶独特の渋みは、添加されたリンゴフレーバーの柔らかな酸味に包まれてまったく
気にならない。リンゴと紅茶の2つの風味が見事に調和し、実に爽やかで優しい味を楽しませてくれる。
嚥下すると、喉を流れ落ちる熱と共に言葉にできない多幸感が湧き上がってきた。その恍惚にゲオルグ
はため息を漏らすと、ポツリと呟いた。

「美味い」

 ある休日、ゲオルグは姉イレアナとひょんなことで手に入れたアップルティーを楽しんでいた。廃民街
の奥、聖ニコライ孤児院の食堂で開かれたささやかなお茶会に他の参加者はいない。子供にとっては
渋みのあるお茶よりも甘くて美味しいジュースの方がいいのだ。ゲオルグがいつも通り持ってきたケーキ
を平らげた彼らは、紅茶など無視して思い思いの遊びに興じている。悲しくはあったが、仕方ない。だが
に耳を澄ませば前庭から子供達の笑い声が聞こえてくる。そのどこまでも楽しげな笑い声を聞いていると、
こちらまで楽しくなってしまう。やっぱり無理に大人の都合につき合わせるより、あのように楽しく騒いで
もらったほうがいいのだ。子供達の喚声に耳を傾けながらゲオルグはしみじみと思うのだった。

「本当に美味しいわね。でもアレックスより先に頂いてよかったのかしら」

 アップルティーに口をつけたイレアナはそう呟いて、少しだけ眉を曇らせた。姉の弟を慮る気持ちは
ゲオルグにもひしひしと伝わってくる。だがゲオルグはアップルティーを手に入れた経緯を思い出して
少し憂鬱になるのだった。
 このアップルティーはいつもなじみのケーキ屋で貰った物だった。いつものように大量のケーキを前に
ゲオルグが会計を済ませていると、店員の女の子のうちの1人が見慣れぬ缶を持ち出したのだ。美味しい
アップルティーなんです、よろしければどうぞ、という店員はゲオルグの隣のアレックスに向けて紅茶缶を
突き出したのだ。謝辞の言葉を述べて軽く頭をかきながら紅茶缶を受け取るアレックス。一方でクレジット
カードを事務的に返されたゲオルグは己の威信に掛けて無表情を装った。全身全霊をかけて隠し通した
ゲオルグの心中は敗北感で一杯であった。
 なんでアレックスばかりがモテるんだ。歳は5つも違うのに、身長だって頭1つ分違うのに。
 ともあれアップルティーを手に入れたアレックスは孤児院の皆で飲むことを提案した。だが当のアレックス
が諸事情によって参加が遅れることとなり、当面の間、こうしてゲオルグとイレアナ2人だけの茶会となった
のである。

「構わんだろう。あいつが先に飲んでくれと言ったんだ。それに――」

 アップルティーの芳香を楽しみながらゲオルグはそっけなく返答する。その冷淡さの内にアレックス
に対する嫉妬の念があることはゲオルグ自身も理解していた。かつて起きたお洒落論争で完膚無き
にまで叩きのめされた恨みもあるかもしれない。
 恐らく今頃額に汗を浮かべて働いているであろうアレックスに対する優越感に、僅かに頬を緩めながら
ゲオルグは言葉を続けた。

「こういうのは、美味しい、の一言が一番なんだ。お預けをして我慢させてるとこっちも悲しくなる」

 自らもまた可愛い弟妹達のためにケーキを持ってきているがために思う言葉だった。たとえそこに
自分がいなくとも、笑顔を見せてくれたなら、それでいいのだ。
 そうね、と笑うイレアナに満足気に頷いたゲオルグはカップを傾けて、ほう、とため息をついた。リンゴ
の芳香はゲオルグの嫉妬すらも柔らかく弛緩させる。アレックスに張っていたつまらぬ意地もそろそろ
収めていいのかもしれない。

 ゲオルグがアップルティーのリンゴの香りを楽しんでいるころ、アレックスは鼻につんと来るアンモニア
の悪臭と戦っていた。
 アレックスの手には四角いプラスチック製の桶が抱えられていた。底の浅い桶の中は異臭発生源
である黒いヘドロ状の物体で満たされている。トイレ砂がウサギの屎尿によって固められた物体だ。

「くせぇ」
「ソーネ」

 アレックスの言葉に打たれるそっけない相槌は、低く掠れた独特の声だ。ゲオルグ班の狙撃手ポープ
だった。アレックスに背を向けた彼はウサギの糞がこびり付いた金網をブラシでこすっている。
 事の発端はおよそ1時間程前。いつものようにゲオルグと共に両手にケーキをぶら下げて孤児院に
向かっていたアレックスは、角を曲がったところで見知った後姿を見かけたのだった。青いポロシャツ
とジーンズに包んだ2m近い巨体。筋骨逞しい肩に、黒い地肌をそのまま見せるスキンヘッド。ポープだ。

「オゥ、ビッグブラザァ ニ リトルブラザァ」

 後ろからのアレックスの呼びかけに大げさな身振りで、されど平滑な声色でポープは振り返る。どうした
のかと問いかけるアレックスにポープは大事そうに抱えていたキャリーケースを見せた。透明な樹脂製
の蓋の向こうに純白の毛並みをしたウサギがアレックス達を伺っている。

「コマネチヲ 他ノ姉妹ト 遊バセヨウト 思ッテネ」

 不安げに鼻を引くつかせていた白いウサギは、コマネチという己の名前に気づいたように耳をぴんと
張り立てた。
 孤児院では子供の情操教育をかねて、庭の片隅でウサギを飼っていた。合板の壁にトタン屋根と
粗末なつくりの小屋の中では、数羽のウサギが野菜くずなどを糧に暮らしている。
 ウサギ達の世話係は動物好きな者達により自然発生的に決められており、関心の薄いアレックスは
自分には無縁のことだと思っていた。だからこそ続けて放たれたポープの提案は虚を突かれる思いだった。

「一緒ニ ウサギ小屋ノ 掃除ヲ シヨウ、リトルブラザァ」
「は?」
「コマネチ達ヲ 庭ニ 放シテイル間、ウサギ小屋ヲ 掃除スル。戻ッテキタ ウサギサンハ 小屋ガ 綺麗ニ
 ナッテイテ 大喜ビ」

 手を横に広げて、たいそう自慢げにポープは掃除の意義を説明した。だが、アレックスの戸惑いの元
の説明にはなっていなかった。

「いや、それは分かるけど何で俺なのさ。当番の奴がいるじゃん」

 当惑が自らに迫る不条理への憤りにようやく変化したアレックスは、その感情に任せるがままにポープ
に問うた。だが背伸びして詰問するアレックスにポープはまるで分かってないとでも言いたげに指を振った。

「ノン ノン。彼ラニハ 庭ニ 放シテイル間 コマネチ達ヲ 見テイル トイウ 重要ナ 任務ガ アリマス」
「ゲオルグ兄サンもいるじゃん」

 そういってアレックスは脇で話を眺めているゲオルグに話を振った。己の存在にようやく気づいた風な
彼は、俺は構わないぞ、とアレックスに同調する。しかしアレックスよりも奉仕活動に肯定的なゲオルグ
にポープはびしっと指を突き立てた。

「ノォッ。ビッグブラザァハ 働キスギデス。休日グライ ユックリ シテクダサイ」

 俺も休みなんだけど。ポツリと吐き出したアレックスの呟きは、そうか?、ソウデス、という兄達のやり取り
の中にかき消された。

「サア 一緒ニ ウサギサンノ タメニ ゴ奉仕シヨウ」

 そう言ってポープは逞しい腕をアレックスの肩に回す。がっちりと捕まえられたアレックスは、救いを
求めるようにゲオルグを横目で伺った。視線に気づいたゲオルグは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

「まあ、がんばれ」

 かくしてアレックスはポープと共にウサギ小屋の掃除に励むこととなったのだ。
 アレックス受け持ちの作業はウサギのトイレの中身をゴミ袋に流し込む作業だった。四角い桶上の
トイレはゴミ袋の口にすっぽりと収まる。傾ければ内容物を流し込むことができるかもしれない。案外
楽そうだと思ったアレックスは、推論通りにトイレを傾けてみる。果たして結果は表面に堆積している
ペレット状の糞こそ想像通りに流れたが、その下で固化した屎尿はまったく動かなかった。2度3度
底を叩いてみるがびくともしない。

「ポープ兄サン、ウサギのおしっこが固まってるんだけど」
「オーケイ コレヲ 使ッテ」

 パパラパー、と妙な言葉を口ずさみながらポープは園芸スコップをアレックスに差し出した。どうやら
これでほじくり返せと言いたい様だ。

「マジ?」
「マジ」

 アレックスの言葉にポープは真剣な面持ちで返す。一縷の望みを掛けてアレックスは他の方法を考えるが、
当然ながら見つからない。観念したアレックスは大人しくスコップを受け取った。
 固まった屎尿にスコップを突き立てて打ち砕く。トイレの底の浅さ、トイレ砂の層の薄さを鑑みると、
その行為は掘り進むというより剥がしていくと表現したほうが正しいのかもしれない。ともあれ、掘り返
され、表面積を増した屎尿は容赦なくアレックスの鼻を刺激する。あまりの悪臭にアレックスは呻いた。

「くっせえっ」

 開始数分でアレックスは辟易していた。ウサギの屎尿の臭いを一生分嗅いだかもしれない。しかし
愚痴ったところで何も変わらない。覚悟を決めるしかないようだ。一度トイレから身を離したアレックスは
新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むと、息を止めて作業を再開した。
 ようやく半分程進み、いったんトイレから離れ息をついていたところで、トイレに乗せていた金網を洗って
いたポープが振り返った。

「サンクス リトルブラザァ。 後ハ 僕ガ スルカラ リトルブラザァハ 小屋ノ 掃キ掃除ヲ オ願イ」

 どうやらこれ以上は悪臭の元をいじらなくていいらしい。アレックスは喜びのため息をつきながらポープ
にスコップを渡した。干しておいて、入れ替わりにと渡された金網を日当たりの良さそうなところに立て
かけると、アレックスはほうきとちりとりを手にウサギ小屋の中に入った。
 ウサギ小屋の中は悪臭の大元であるトイレが無いため、さほど臭いは気にならなかった。鼻腔を満たす
のは干草とウサギのどことなく優しい臭いだ。打って変わって楽になった仕事に、解放感に似た爽快さ
を感じながらアレックスはウサギ小屋の床を掃いていった。
 床に散らばる糞や野菜切れを箒で集めながらアレックスはふと外のポープを見た。彼はホースからの
流水とブラシで懸命にトイレをこすって洗っている。臭くないのだろうか、汚くないのだろうか、とアレックス
は思った。いいや、臭いはずだ。じゃあなぜあんなことができるのだろうか。ありていに言えば、好きだから、
で済まされるのだろう。だが、あの小動物のどこにここまで奉仕させる魅力があるのだろうか。
 アレックスは始めてポープのウサギ好きの理由が気になった。たずねてみるいい機会かもしれない。
 ゴミをちりとりにかきこむと、アレックスはウサギ小屋を後にし、ポープの方に向かった。彼の隣に放置
してあるゴミ袋にちりとりの中身を流し込みながら、アレックスはポープに自然な流れでたずねてみた。

「ウサギのトイレ掃除とか良くできるね。ねえ、ポープ兄サン、何でそんなにウサギが好きなの? やっぱ
 可愛いから?」

 アレックスの問いかけに、しゃかしゃかと小気味良い音を立てていたブラシの音がぴたりと止まった。
いきなりの静寂に、変な質問だった、とアレックスが戸惑っていると、いくらかの間を空けてポープが
ぼそりと呟いた。

「僕ハ ウサギニ ナリタカッタ」

 それはあまりにも突飛な言葉だった。予期してなかった台詞に固まるアレックスをそのままにポープは
続ける。

「ウサギハ 鳴カナイ。ウサギハ 何モ 言ワナイ。デモ、皆 仲良ク 暮ラシテル。僕ノ声 コノ通リ ダカラネ、
 ダカラ ウサギニ ナリタカッタ」

 ポープは振り返ると、自分の喉を指差して仕方なさそうに笑った。その笑みの中に底の見えぬ孤独の
深淵を垣間見たアレックスははたと昔の兄を思い出した。
 記憶の中の兄はいつも独りだった。孤児院の仲間達の輪から外れて、静かに他の子供達の喧騒を
見つめる寂しげな彼の眼差しが記憶の中の風景であってもアレックスの胸を打った。当時アレックスは
ポープに輪を掛けて子供であったため、その目が気にはならなかったのだろう。だが、今にして思えば
そのポープの眼差しは見ているこちらが悲しくなるほどにさびしく、冷たい。今のポープもそんな目をしている。
 物悲しい眼差しに記憶と現実両面から射竦められ、当惑するアレックスは記憶の中の違和感に気づいた。
 声がない。ポープの声が思い出せない。
 記憶の中のどこを見ても兄は常に冷たい視線を向けるばかりで、決してその心のうちを吐き出そうとは
していなかった。その唇はまるで縫い付けたかのように硬く閉ざされており、記憶の中は不気味なまでに
無音だった。
 しわがれた独特の声のコンプレックスの深さを垣間見たアレックスは、そのあまりの重さに気が抜けそう
だった。

「リトルブラザァ」

 かすれて平滑な、されどどこか優しい声に揺さぶられ、アレックスは現実に戻った。見ればポープは、
ふっ、と優しげに笑っている。それは孤独など感じさせないいつもの笑顔だった。

「心配 シナイデ、今ノ 僕ハ 大丈夫ダカラ、ネ」
「うん」

 ポープの暖かい笑みにアレックスの身体は解凍されていく。されど芯のほうに残る凍傷に、アレックスは
あいまいな返事しか返すことができなかった。
 未だ不安定なままのアレックスをそのままにポープは話を再開した。

「デモ アル日 気ヅイタンダ。ウサギハ チャント 言イタイコトヲ 言ッテイル、伝エタイコトヲ 伝エテイルッテ」

 そういうとポープはブラシを放り出して、両手をそろえて頭の上に並べた。まるでウサギの耳のようだ。

「嬉シイトキハ 耳ヲ 寝カセテ 目ヲ 細メテ、怒ッタトキハ 後ロ足デ 床ヲ 叩イテ、怖イトキハ 耳ヲ ピント
立テテ、身体全体デ 思ッテイルコトヲ 表シテ イルンダ」

 掌を後ろに倒して耳を寝かせるジェスチャー。空を叩いて床を踏み鳴らすジェスチャー。手を頭の上で
立てて耳を立てるジェスチャー。手が、腕が、身体全体がポープのかすれた聞き取りにくい言葉を補足
する。普段の芝居がかったような大げさなジェスチャーの意味が分かり、アレックスははっとなった。

「言葉ナンテ 気持チヲ 伝エル 道具ノ 一ツニ 過ギナインダヨ。重要ナノハ 伝エヨウトスル 思イ、ハート
 ナンダ」

 ばしばしと自分の胸を叩いてポープは心を強調する。
 アレックスは沸き起こる熱い思いを抑えつつ、心の中で同意した。そうだ、すべては伝えようとする気持ち
なんだ、と。

「ウサギサンハ ソレヲ 教エテクレタ 大切ナ 存在ナンダ。ダカラ 大好キナンダヨ」

 最後に、にこりとポープは笑った。顔全体を使った優しい笑顔だった。
 ポープはもう救われたのだ。ポープの底のない孤独をウサギ達が癒し、声と思いを伝える喜びを与え
たのだ。
 改めて聞くポープの声はアレックスにとって嬉しくもあり、悔しくもあった。兄が救われ、声を取り戻した
ことが嬉しかったが、救いの大役を自分が勤められなかったことが悔しかった。
 二つの感情はせめぎあい混じりあい最後には労働意欲となってアレックスを急かしたてた。ウサギの
ために、兄のために、どんな小さなことでも良いからしたかった。どんな些細なことでも自分の功績を
残したかったのだ。
 焦れる思いに突き動かされて、アレックスは仕事を考えるが、分からない。ウサギ小屋の掃除などした
ことがないのだから当然ではあった。思えば、あれほど嫌だったトイレ掃除も、今は恋しかった。
 仕方なくアレックスはポープに聞いた。

「兄サン、掃き掃除終わったけど、次は何をすればいい?」
「ジャア、干草ノ 入レ替エヲ シヨウ」
「分かった」

 ウサギ小屋の掃除は続く。二人がお茶会に参加するにはまだまだ時間がかかりそうだった。


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