創作発表板@wiki

「胡蝶の夢」

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

「胡蝶の夢」





…ベッドに臥せた茨木胡蝶角は眠りの淵を彷徨いながら旧友との会話を続けていた。全身の痛みはかなり和らいだもののまだ片目は開けられず、上半身を起こすことも出来ない。

(…無理しないで胡蝶。すぐ帰るから…)

見舞いに来た同期の獄卒、無限桃角は胡蝶角と同じく『念』での会話が出来る鬼だ。まだ喋るとリリベルに折られた肋骨が疼く胡蝶角にはありがたい。

(…ううん、大丈夫。ひどい顔でしょ? 私…)

腫れて塞がった胡蝶角の瞼の裏には、まだお互い訓練生だった頃の桃角の姿が映っていた。鬼として『桃角』を名乗る前、無限桃花、と呼ばれていた頃の小柄な彼女の姿だ。
共に厳しい行を積んだ、内気な胡蝶角の古い友人。彼女の支えが無ければ、あの幾多の過酷な試練は、とても乗り越えられなかっただろう。

(…そういえば桃角、あなた配属どこだったっけ?)

くふふっ、と笑った桃角は答えなかった。現在の『鬼手不足』の地獄で、無任所に近い状態で飛び回るのは新人獄卒の宿命だ。きっと有能な彼女のこと、こんな機会でもないと会えないくらい忙しいに違いない。

(…ま、あなたが早く復帰してくれなきゃ大変。私もたまには寝込みたい位よ…)

桃角らしくない愚痴だ。しかし長い安静で鋭敏になっている胡蝶角の知覚力は、友人の意識から確かに激しい戦闘による疲労と苦痛を感じ取っていた。相手はベリアル・コンツェルンか…それとも…綺星…機精?

(…『寄生』よ。知ってるでしょ?)

(え…)

脈略のない想念、夢とも現実ともつかぬ朧げな虚空で、確かに胡蝶角は桃角と共に恐るべき敵と闘い続けていた。あれは一体、いつの事だったか…

(…黒い太陽…血塗られた空…)

冥界の鬼姫として生を享けるずっと前から、胡蝶角が振るい続けてきた黒い太刀は桃花の持つ太刀と同じものだ。もどかしく錯綜する記憶のなかで、あらゆる時間、あらゆる場所に桃花と胡蝶角はいた。

(…私…『地獄界』から出たことあったっけ…)

『異形』として人間に追われ、燃え上がる楼閣から星空を睨む胡蝶角。閉ざされた街の一角に佇み、物欲しげな瞳を道行く人々に向ける薄汚れた胡蝶角…

(…あれ…わたし…)

(…あなたは変わり種だからね…気配が弱まってたから様子を見にきたの。大した怪我じゃなくて良かったわ…)

すぐ傍らに寛ぐ友の気配は、まるで無数のゲヘナ・ゲートの如く全ての世界に重なって存った。彼女は一緒に厳しい訓練を耐え抜いた親友、誇り高い獄卒隊第八百壱期の仲間。その名は…

(…じゃ…また来るわ。お見舞いのお饅頭、ひとつ戴いたからね…)

(ま、待って!! あなたは…)

悪戯っぽい笑い声がベッドから遠ざかってゆき、思わず伸ばした胡蝶角の腕に鈍い痛みが走る。

「痛っ…」

「…角…胡蝶角!!」

…包帯の上から腕を撫でる手と優しい声は、未だ確かに友人のものだった。しかし奇妙な違和感を覚えた胡蝶角は熱っぽい眼を無理やりに開いた。

「…怜…角?」

「大丈夫? 先生呼びましょうか?」

癖の無い黒髪に鋭い眼光。心配げに胡蝶角を覗き込む女鬼は千丈髪怜角。彼女もまた訓練生同期の獄卒だった。だとすれば桃角は先に帰隊したのだろうか?

「…桃角は…帰ったの?」

「…桃角、って?」

怪訝そうに首を傾げ、怜角は胡蝶角の腕をそっと布団へと戻す。普段から冗談とは縁のない怜角の顔に、当然悪ふざけの色は微塵もなかった。

「…や、やだなあ怜角、ほら、後ろでこう髪を結って、黒い刀を持った…」

無理に微笑んで話す胡蝶角の頬が次第に強張ってゆく。先ほどまで、ほんの一瞬前まで心に溢れていた桃角との日々の記憶全てが、まるで儚い霞のように…消えてゆく。

「… よく眠ってたから、変な夢を見たのね…私ずっとここにいたよ? それに…」

空しく唇を閉じた胡蝶角は、旧友の名残を求めて懸命に病室を見回した。甘党だった旧友に勧めた見舞い品の『銘菓・鬼寒梅』の化粧箱は、給湯棚の上に置かれたままだった。


「…それに、ポニーテールで黒い刀…って、まるで訓練生だった頃のあなたじゃない…」

無限桃角…いや…無限桃花。胡蝶角が懸命に掬い上げた、自らの影法師にも似た夢の残滓は、もう黄昏の病室から跡形もなく消え失せていた。


おわり



+ タグ編集
  • タグ:
  • シェアードワールド
  • 地獄世界
ウィキ募集バナー