創作発表板 ロボット物SS総合スレ まとめ@wiki

<桜ノ雪>

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
ROST GORL


真昼間。眩い太陽が人々を照らし出し、ポカポカとした陽気というよりも、じわりと額に汗が滲む様な気だるい暑さを感じる。
今日の夕食か、あるいは数日分の買い出しか。子連れの主婦等で賑わう、都内のとある大型スーパーの入口手前で、そのイベントは行われている。

如何にも予算が無いという事を示すかの様な、古びた木材や色褪せた看板から、貧しい印象を受ける屋台の中で、ガラガラの騒がしい音が響く。
現在、一定金額以上、買い物をしてくれた買い物客限定で、一等から七等、言わば残念賞まで揃えてのガラガラを使ったくじが行われている。

暑さのせいか、それともそういう体質なのか、ダラダラと汗を流しながらやけにテンションの高い髭面の店員が、引換券と引き換えにガラガラを客に回させる。
そして結果が出る度、ありがとうございましたぁ! またのご利用をお待ちしております! と言いながら残念賞のポケットティッシュを手渡す様は、妙に滑稽だ。
残念賞なのに、まるで大賞が当たったかのごとくオーバーなリアクションを見せる髭面に、拒否感を示す客がちらほらいるが、本人はまるで気付いていない。

挑戦してくる客が悉く小吉、または中吉なのか。下位の四等から六等はどうにか、捌けているが、まだ上位の三等から一等が捌ける気配は無い。
代わりに七等、数個程積まれている、ダンボール内に眠っている大量のポケットティッシュだけがごっそり無くなっていくだけだ。
一応今日の閉店ギリギリまでこのくじは実施される予定だが、どうも当たる気配が無い為か、無用に張り切っている髭面の後ろにいる店員数人にやる気は見えない。
その折、一人の客がくじの前にやってきた。両腕にはどっさりと食料品が入っている、重そうな買い物袋を吊るしている。

「お願いします」

そう言いながらその客である金髪の女性は、器用にも袋の中に入っている、くじの引換券を指先に挟んで髭面に手渡す。
髭面は女性の容姿が良いからか、それともただ単にそういうテンションなのか、恐らく後者であろう。
さぁ、ガンガン回してください! とやけっぱちな調子で女性にガラガラを回す様促す。
髭面の唾が多少飛んでくる事にイラッとしながらも、袋を一旦地面に置いて、女性はガラガラの絵を掴んだ。

けど回した所で当たらないんだろうな。と、女性はガラガラを回す寸前、ぼんやりと思う。
この手のくじというのは大体、大賞が当たらない様に何かしら細工を施してあって、頑張っても二,三等程度までしか当たらないんだろうな。
景品が置いてある棚を一瞥すると、六等~四等は既に無くなっている。

女性の心境としては正直、六等のどこでも気軽に使えるミニモップが欲しかったのだが無いのなら仕方がない。
どうせポケットティッシュ。けれどポケットティッショ。ぐるりと大きく、女性はガラガラを一回転させた。
ガラガラから景品の行方を左右する、パチンコ玉ほどの大きさの玉がポトリ、と間抜けな音を出して落ちてきた。

ガラガラの目下に設置された薄箱の上に、薄汚れている金色の玉が転がっている。使い古しだからだろうか。

その玉を見た髭面の表情が固まる。信じられない物を見た、と言った感じの表情である。
視線を玉から女性に移し、再び玉を見、凝視する。そしてゆっくりと顔を上げて女性の顔をまじまじと見つめながら、手元のハンドベルを高く掲げた。
髭面はハンドベルを腕全体を使って大きく何度も、何度も振るう。その音に、買い物客やその他周辺の人々が思わず足を止めて、屋台と女性の方へと目を向ける。

髭面が高らかに鳴らすベルの音が、若干曇り気味の空に響き渡る。女性と屋台に注目していた人々が少しづつざわめきだす。
女性は目の前で起こった出来事がすぐには飲み込めず、その場に呆然と立って玉を見つめている。周りが何故騒いでいるのか分からなかった。
が、女性は薄箱の中で寂しくポツン、と転がっている玉の色、それに周りの反応と髭面の口から出た次の台詞に、ようやく状況を理解する。

「い……一等! 一等が出ました! 初めての一等です! おめでとうございます!」

続けて髭面はその顔付きに見合う様な、ゴリラの如く毛深く大きな両手を叩いて女性に祝福の拍手を送る。
さっきまでやる気の無かった後ろの店員達も精一杯拍手する。彼彼女らも、まさか一等が当たるとは思わなかったのか、その顔は女性を祝うというより、驚嘆している様に見える。
空気を呼んだのか、取りあえずノリか、事態を見守っていた人々まで拍手し始める。
女性は別に悪い事をした訳でもない、寧ろまさかの幸運が引き起こした奇跡を称えられているのに、すみません、すみませんと何度も平謝りする。

すると屋台から店員の一人が出てきて、女性に一等と達筆で書かれた封筒を丁寧に渡してきた。この封筒の中に、一等の景品が入っている様だ。
女性も同じく丁寧、いや、馬鹿丁寧にお辞儀して受け取る。おめでとうございます! と、再び髭面が拍手するが、拍手しているのは髭面だけの様だ。

見知らぬ人々からの拍手、という奇妙なイベントから抜けだして、女性は帰路を歩きだす。
手元の封筒を見つめながら、女性は夢でも見ているかの様な、ぼんやりとした口調で人知れず、呟いた。

「一等……でも一等って……」


とあるアパートの一室、この物語の主人公でいる彼は、貴重な休日を読書で消費している。

彼、ことマキ・シゲルはリビングでゆったりとくつろぎながら、傍らに高く積まれている雑誌を、珈琲片手にじっくり読みこんでいる。
最近仕事が忙しく、読書さえも満足に出来ない。だからこそこうして、休日に溜め込んでいる物を少しづつでも時間と引き換えに消化していくのだ。
取りあえず読みたい。取りあえず見たい。そんな風に買うだけ買ってみて、まだ読んでいない本もまだ見ていない映画もどっさりと溜まっている。

最近、年齢を重ねた事により体にボロが出た。
その事で皮肉と言えば皮肉なのだが、ちょっとだけ仕事を減らし体調に気を使う事で、大分時間と精神に余裕が出来た。
改めて省みると、結構自分は浪費家なんだなと、マキは気付く。自分では思慮深い性格だとは思っていたが、案外そうでもないと、積み上げられた本という証拠を見ながら思う。

マキが今消化している本は、マキが勤めている職業、修理士の中ではバイブルとして知られている、ロボットをテーマとした専門雑誌、FACTORYだ。
近年のロボット兵器の開発を巡るレポートから、家庭用ロボットやアンドロイドの最新事情、果てはペット型ロボットの工作まで、様々なロボットに関しての情報が盛り込まれている。、
その情報量の密度から、修理士だけでなくロボットに対して興味を持つ人間にとって読んでおいて損は無い、とまで言われている。

そんなFACTORYをマキは気付けば、一年分溜めていた。と言っても丸々十二冊程度ではある。
なのだがこの雑誌、情報量の多さを表す様に非常に厚く、じっくり読むとニ時間は掛かる。速読しても三十分は掛かる。
朝から読み初めて細々と別の事をしながら、ようやく七月分まで読めた。
どうにか一日で読みきれるだろう……多分。ある種の覚悟を決め、マキは四杯目の珈琲を飲む為マグカップを手に取り立ちあがった。

その時、玄関のドアを開ける音がした。マキはその音を聞き、マグカップをテーブルに置いて玄関へと小走りする。

「ただいまー、マキ」
「おかえりなさい、ティマ」

出迎えに来たマキに、愛すべき妻であるティマが帰宅の挨拶を交わす。両腕には一週間分位の食料品が入った買い物袋。
珈琲を入れるよりも、重い荷物を抱えてきた妻を手助けする事がマキの中では最最優先である。
すぐさまマキはティマから袋を受け取る。ティマはマキに感謝しながら、我が家へと上がる。

「荷物持つよ」
「いつもありがとう、マキ」
「いやいや」

ティマが買い物から帰ってきたら、マキは袋をキッチンまで持っていってあげる。この一連の行動は、このマキとティマという夫婦の中では暗黙の了解となっている。
袋をキッチンへと持っていく間際、マキはとある事に気づく。袋の中に、何か別の物が入っているのだ。
じっと眼を凝らすと、それは真っ白な封筒である事に気づく。明らかにティマの意思で買って来たものではないと思う。

何故かと言えば、その封筒にはサインペンで一等と書かれているからだ。もしやティマは何かくじでも当てたのだろうか……、と、マキの中で妙な期待が過ぎる。
キッチンまで着き、冷蔵庫の前に袋を置く。後は私がやるね。と、ティマが冷蔵庫の前でしゃがんで袋の中の食料品等を、手慣れた動作で冷蔵庫に収納し始める。
自分から封筒の事を言いださない……? と、不思議に思いながらも、マキは作業に没頭するティマに、待ったを掛ける。

「ちょっと待った、ティマ」

マキの言葉にティマがピタリと手を止める。マキは封筒を掴むと、ティマに見せながら、至極当然の疑問をぶつける。

「これ、何? 何か当たったのかい?」
「……何だと思う?」

マキにそう返すティマの表情には元気が無い。そしてどこか、残念そうに感じる。一等なのに嬉しくないのか……? と、マキの頭の中で大きく不安がもたげる。
しかし一等だぞ、ティマ? 一等って事はその名に恥じぬ価値がある商品だって……事じゃないのかな? 不安と共に灰色の疑問符が、マキの中で渦巻く。
裏面を見ると、何時もティマが利用しているスーパーの名前が入っている。やはりというか、予想通り、ティマはガラガラくじかなんかでコレを当てた様だ。
ティマの反応からとっくに期待は投げ捨てている。只、不安と疑問符を半々に浮かべながら、マキはぺリぺリと封筒の口を開けてみた。

封筒を傾けてみると、二枚の細長い紙がぺラリと出てきた。封筒を放り投げて、その紙をマキはじっと注視してみる。
その紙には温泉……温泉? 一泊二日、由緒正しき老舗旅館で、ゆったりまったり温泉を堪能……と書かれており、最後にこう書かれていた。

ペア宿泊券、と。つまりこういう事だ。ティマが当てた一等の商品は、一泊二日の温泉旅行のペア宿泊券だという。

マキは悟った。悟ると同時に、何故ティマが笑顔ではなく苦笑していたのかが、分かった。

「ティマ……」

ティマは本当は悔しい、けれど仕方が無いとあくまで口に出さず、けれどそんな感じに苦笑いしながらマキに言う。

「うん……温泉旅行なんだ。一等って。だけど私、アンドロイドだしぶっちゃけ温泉……入れないじゃない? 
 だからさ。一等取ったは良いけど、それじゃ意味無いかなって……思っちゃったりして」

今のマキには、ティマの気持ちが痛々しい程に伝わる。ティマは分かっているのだ。自分がアンドロイドであるという事実故に、出来ない事がある事を。それが、温泉に浸かるという事に。
ティマはマキと過ごしてきた時間の中で、経験してきた様々な失敗から、自分自身が非常に複雑な精密機械の塊であるアンドロイドである事を、嫌というほど自覚している。
手を洗ったり小雨に振られる程度ならば支障は無い、が、あくまでそれがギリギリのラインで、水の中に浸かれる程頑丈には出来ていないという事に。熱湯となればもっての外だ。

「私が水でも平気な体なら良かったんだけど、そうじゃないし……ま、仕方ないよね」

あっけらかんとした口調で作業を再開するティマ。だけど口調に反して、ティマの顔付きはなんとなく暗く沈んでいる様に感じる。
マキはもどかしく、凄くもどかしく感じる。実を言うと水の中に入れるアンドロイド自体は存在する。

数年前、とある事情で、そんなアンドロイドである、ジュンという存在に出会った事はある。
だが、ジュンは元からそういう用途……水泳の競泳用として開発されたアンドロイドだ。問題はここにある。
ティマは家庭用として開発されたアンドロイド故に、そういった機能は付いていないのだ。ジュンの様な防水機能はどんなモデルを探しても、備われていない。
その理由は単純で、水に入る事を想定していない。それだけだ。故に、ティマは自分が温泉に入る事が出来ない事にしょんぼりとしている。その事がマキの胸をどうしようもなく締めつける。

「それ、どうする? マキ。しょうがないから、テンマちゃんにでもあげよっか?」

食料品を全て冷蔵庫に収納し終えて、立ち上がったティマがマキの顔を覗きこみながらそう聞いてきた。
マキは苦悩する。ここでそうだね。仕方ないからテンマ君にコレをあげよう。と答えてこの件を終わらせるのが最もベストだろう。
だがしかし。だがしかしだ。それは本当にベストなのだろうか。もう一度よくよく、よく考えてみよう、マキ・シゲル。

旅行自体は何度も行った。諸外国を巡った事もあった。今では行きにくい国もひっそりとだが行ってみた。
だが、その時の旅行は正直に言えば殆ど仕事兼趣味みたいな感じで、正直旅行って感じでも無かった。それに、ティマへの教育も含まれてたし。
いや、一応普通の旅行も行った、だけどそういう旅行は大体、ティマとの絆や愛を確かめる為の旅行だったから、楽しんだかと言われればちょっと返答に困る。

だが、温泉旅行となれば別だ。温泉旅行。それはきっと、夫婦なら一度は経験しておくべき旅行だと思う。だが、私達夫婦はまだ経験していない。
これはいけない。夫婦なら一度は行かねばならない、というか夫を名乗るのなら妻を連れていかねばならないのでは? と、マキは自分に問いかける。
だが、ここに一つ、大きな問題が生じる。そう、妻であるティマが……。

妻であるティマが家庭用のアンドロイドという事だ。そして家庭用のアンドロイドは温泉には入れる様には出来ていない。
そういう事はティマ自身が一番自覚しているから、奇跡的に当たったこの、一等の温泉旅行を諦めようとしている訳だ。
だが、そう簡単に諦めていいのか? その決断を下して、互いに幸せになるのだろうか?

どうする、どうする、どうするべきだ、マキ・シゲル。マキは何だか物凄く重大な決断を迫られている、気がする。
無意識にマキは深く俯いて考え込む。彫像の様にマキはその場で動かない。と、ティマが懐から自分のデータフォンを取り出した。

「それじゃあ、テンマちゃんに連絡するね」

早速テンマに連絡を入れようとした瞬間、マキの手が優しくティマの手を制した。続けてティマに落ちつき払った態度で話しかける。

「待つんだ、ティマ」
「マキ……けど」

惑うティマに対して、マキは流暢な語り口で、ティマを説得する。

「君は温泉旅行という文字に捕らわれているよ、ティマ。温泉旅行と言っても、実際に温泉に入らなくても良いんだ」
「……どういう意味?」
「温泉旅行とはあくまでイメージ。温泉が名所という事で温泉と付いているだけで、ただの言葉に過ぎないんだよ。
 旅行の醍醐味ってのはその土地の風土、環境、景色。それらを楽しむ事じゃないか。と、言う事はだ。ティマ」

マキは難解な数式を説いた教授の様に、歴史の真実を知った学者の様に、自信に満ちた顔と声でティマに言い放つ。

「温泉旅行で温泉に入らなくても、何の問題も無いんだよ」

ティマは自信満々に普通の事を堂々と言いのけるマキに、何言ってるんだろう……と思っても口には出さない。
出さないけど、別の心配ごとを口に出す。ティマにとって、そっちの方が心配だ。

「でもマキ……温泉旅行なのに、温泉に入れないんじゃ辛くない? 折角の機会だよ?」
「なぁに、全く心配無い。むしろ、私にとって価値を見出せるのは温泉に入る事じゃない。
 君と一緒に旅行が出来る。その事に価値を見いだすんだ。それさえ出来るなら、温泉なんかどうでもいいさ。どうでもいい」
「マキ……ホント? 無理してないよね?」
「無理してる訳ないじゃないか。本心だよ。心からの」

決して目を逸らさず、マキはティマの目を真摯に見つめたまま、自分の伝えたい事を全て伝え切った。
これでティマがどう動くかだ。ティマはテンマに電話をかけようとした手を下ろして、データフォンをしまった。
そして気恥ずしそうに、けれど、嬉しそうに、マキに聞いた。

「じゃ……じゃあ、行く。温泉旅行、行く」
「なら決まりだ。今の内に仕事を空けといてくれ、ティマ。上手く調整するから」

ティマは嬉しさのあまり、マキにぎゅっと抱きついた。さっきまでの沈んでいた表情が嘘の様に、口の端々を緩まして実に幸せそうにティマは笑う。
さっきまで何をうじうじ悩んでいたんだと、マキは自分を叱る。温泉旅行といっても、別に温泉に入る事は強制でも何でもない。
旅行の醍醐味のいうのはだ、その土地の風土や景色、季節の移り変わりを楽しむ事じゃないか。何も間違っちゃいない。

だから温泉、いや風呂に入らなくても別に構わない。それに考えてみりゃ、移動費以外はタダの旅行だし。

「色んなモノを見て色んな事しようね、マキ」
「あぁ。心ゆくまで楽しもう」
「やっぱりマキって大人だね……大好き」


子犬の様にじゃれるティマの頭を撫でながら、マキはもう一度旅行券を見る。

ふと裏側を覗いてみると、露天風呂は混浴な為、水着を用意して下さい。と書かれていた。混浴……。

「あぁ……」


マキの心情は正直、いや、至極残念ではある。変な意味ではなく、ティマと一緒に入れないという意味で。


                                    


                                桜 の 雪     





か細く消えそうなライトの灯だけがぼんやりと浮かぶ、薄暗いトンネルを抜ける。
一瞬だけ白い光が広がって、うっすらと消えていく。その先に見えたのは―――――――鮮やかな緑色を描く、田園風景だった。

ゴトゴトと揺れている電車の窓から見えるのは、日本人なら誰もが想像しそうな、正に日本の田舎風景である。
一面に敷き詰められた緑色の田園が、春風に吹かれて揺れる様子は美しい絨毯の様だ。合わせてそびえ立つ壮大な山々に目を奪われる。
そんな光景を、ティマは子供みたいに窓際に体を寄せて眺めている。初めて見る景色にティマは感激しているのか、無意識に口を開けていつも大きな目が更に大きくなる。
ティマを微笑ましく思いながら、マキは心地の良い振動に身を任す。あまり電車に乗る機会は無いが、たまにはこういうのも悪くない。

何故今、マキがティマが電車に乗っているかというと、ティマが当てた温泉旅行で泊まる旅館に向かう為だ。
二人が搭乗している電車は、非常に長い歴史を持つローカル線の電車であり、幾度かリニューアルを繰り返しているものの、雰囲気自体は古き良き時代の面影を残している。
乗客同士が密接する狭いボックス席、何度も塗り替えられており、少しばかり色褪せている内装。何十年も前から張られているであろう古びたポスター。まるで、時代から取り残されている……。
いや、かつての時代をそのまま保存しているかの様で、マキは何だか不思議にノスタルジックな心境になる。初めて乗る電車だが。
平日の為だろうか、自分達以外に乗客は一人か二人。ただ、電車の運行している音だけが聞こえてくる。

「何かこう、日本って感じだね。マキ。上手く言えないけど」
「あぁ、本当に日本って感じだな。上手く言えないが」

電車も風景も全てひっくるめて日本を感じるティマとマキ。マキは改めて、今回の温泉旅行を恵んでくれたスーパーに感謝する。
今度何か高い酒でも買おうかと、心の片隅に留めておく。留めておく程度から忘れてしまうかもしれない。それでも毎週利用してはいるが。
これから向かう旅館のルートであるが、この電車を降りて十五分程徒歩で行く。最初はあぜ道というか田舎道を通って少しだけ山を昇り、途中から公道に入った先に、その旅館がある。

「電車もたまには良いね、マキ」

ティマが楽しそうな笑みを浮かべて、マキにそう言う。その嬉しそうな顔つきといったら。
ちなみにティマの服装は、上は白を基調とした涼しげなノースリーブに、下は同じく上品な色遣いのふわりとしたロングスカートである。
もう寒くない、むしろ例年よりも暑い位に温かいからという事と、春の訪れを感じたいという事での服選びだ。

窓を開けると、涼しく澄んだ春風が入ってきて、ティマの金髪を柔らかく撫でる。
金髪を美しく靡かせ、風を感じるティマを捉えようと、何年か振りに持ち出してきた一眼レフカメラをマキはティマに向ける。
するとそれに気付いたティマが、マキに顔を向けた。

「綺麗に……撮ってね」

にこりと、ティマは微笑む。マキはカメラを向けながらも、柔和に笑うティマに見惚れている。

ティマを映すマキの目にかつての――――――――本当に幼かった頃の、図書館の前で不器用な笑みを作っていた、ティマの姿が重なる。
何も分からない、何も知らない故の幼さも、強く抱きしめたら折れてしまいそうな華奢さも、しっかり手を繋いでいなければ、消えてしまいそうな儚さも、今のティマは無い。
しっかりと自我を確立し、アンドロイドである前に、一人の女性としてティマは成長したと、マキは思う。

君は本当に、大人になった。私と、肩を並べて一緒に歩けるほどに。

青空の下、シャッター音が三回、響いた。



目的地である駅に着いた。電車が電車な事もあり、駅も木造で実に古びている。しかし木が発する独特のすえた匂いは味わい深い。
チケットを通して駅を出ると、ティマは両腕を伸ばして深呼吸する。ここまで動作が人間臭いと、ティマがアンドロイドとは殆どの人は気付かないのではないかと、マキはしみじみ思う。
片手に駅に設置してあった観光マップを広げながら、ティマがマキに聞く。

「その旅館ってすぐ着くかな? 結構近い感じ?」
「ざっと……」

マキは手元に巻いた腕時計を見ながら、ティマに応える。

「弱十五分位だな。まぁ、走ればもっと早く着くとは思う」
「そっかー。んじゃ、ゆっくり行こうか。はい、マキ」

観光マップを畳み、ティマは何故かマキに右手を差し伸ばした。
ティマの動作にマキが小さく首を傾げていると、ティマがにこにこと笑いながら言った。

「旅館に着くまでの間、手、繋ごうよ。最近手を繋ぐって事してないじゃない? お願い、マキ」
「繋ぐ……手を繋ぐのかい? 別に構わんが……」
「なら決まりだね。レッツゴー!」

ティマは言うが早く強引に、マキの左手を握って歩き出す。ティマの強引さにマキは若干驚きながらも、トボトボと歩きだした。
……こういう時は男がエスコートするべきではなかろうか。そう思い、マキはティマの前に出た。

「私が先を歩くよ」
「あ、うん」

駅を出て歩き出した道は、本当に何も無い、だだっ広いあぜ道だ。右方も左方も田んぼと山しか無い。
人さえも通っていないあぜ道を、マキとティマは手を繋いで歩く。時折吹いてくる風の涼しさが気持ち良い。
二人は何も言わずに歩き続ける。何故だか強く手を繋ぐ、という事が妙に小恥ずかしく、照れ臭い。

「何か……妙に照れるな。手を繋いでるだけだが」
「うん。手を繋いでるだけ……なのにね」

普段、もっと直接的なスキンシップを取っているにも関わらず、マキもティマも手を繋ぐという行為に気恥ずかしさを覚える。
手を握っていると、体の芯が温かくなる気がする。マキがやんわりと強く手を握ると、ティマは同じ様に握り返す。
思春期の男子か、私は。そう自分を嘲笑しながらも、マキは手を繋ぐ事が照れて仕方が無い。その理由が分からないから困る。

あぜ道から途中、公道へと向かう山道へと入る。散歩道として整備されている為か、山道というイメージに反して整然とした綺麗な道だ。
さっきの駅に使用されているのだろう、駅で感じた木の独特の匂いが鼻をくすぐる。差しこんできた太陽光が森林の中で揺らぎ、淡い光のカーテンを成形している。
動物達の鳴き声が反響して、逞しくそびえる木々達と共に、生命の逞しい息吹を感じさせてくれる。

そろそろ山道を抜け、公道へと入る。すると、目の前に現れた光景にティマがポツリと、呟いた。

「……凄い」


マキはそんなティマを見、ティマから優しく手を離した。ティマはマキの方を振り向く。
マキは大きく頷く。ティマは大きく頷き返して、前を向いて走り出す。

ティマを迎え入れる様な、絢爛に咲き誇る桜達が桃色の小さな葉を振らす。
止む事無く、ティマへと葉が降り注いでいくその様は、桜の雨、というより雪と言った方が正しいのかもしれない。
ティマは両腕を広げて、ゆっくりと回りながら桜の雪を浴びる。ふと、葉が一枚ティマの鼻に乗っかる。ティマはそれを指先で摘まんだ。

マキはカメラを、立ち止まって佇むティマに向けた。カメラを向けているマキの方に、ティマは体を向けながら微笑んで、声を掛ける。

「ねぇ、マキ」

カメラを通して自分を見つめるマキに、ティマは桜の葉を見せながら、マキに質問する。

「私とこの桜……どっちが綺麗かな?」

マキはカメラから顔を上げて、こう言おうと思った。気障な台詞ではあるが、こういうのがベストだろう。
どっちかは決められないよ。どっちも綺麗で美しいよ、と。そう応えようとした手前。

ティマは悪戯っぽくくすりと笑うと、マキに言った。

「どっちも、は駄目だよ? どっちか、だからね。私か、桜か」

ティマが言い放ったその言葉に、マキはごめん、本当に綺麗なのは君……と言おうとするが、惑う。本当にどっちが綺麗かとは一概に言えないのだ。
舞い散る桜の中で、静かに佇んでいるティマは勿論美しい。しかし、ティマの存在を美麗に際立たせている、桜の花々も実に、美しい。
どちらの要素が欠けても、この奇跡的な美しさは成り立たない。このまま時を止めてしまいたいと、マキは切実に思う。
カメラに撮ればある種、この一瞬を止める事は出来る。けれどそれはあくまで写真だ。

今のティマの表情、姿、そして舞い散る桜の刹那的な美しさまでを擁したこの瞬間の輝きまでは、捉える事が出来ない。それが、惜しい。

答えを言いかねているマキに、ティマは申し訳無さそうに眉を下げると、マキに謝る。

「ごめんね、マキ。でも聞いてみたかったんだ。こういう事」

ぼんやりとしていたマキはハッとすると、いや、気にする事は無いとティマを慰めた。
カメラを下ろしてティマの前まで歩き、今度はマキの方から右手を差し出す。ティマは勿論、左手で繋ぐ。

「そろそろ行こうか」
「うん」

そうして二人は再び、旅館へと歩き出す。後五分程度歩いた先に、今日泊まる旅館がある。歩き出す二人の距離は、駅から歩いてきた時よりもぐっと縮まっている
ふと、マキはさっきの桜の中で佇むティマを写真に撮らなかった事を深く悔んだ。明らかに写真を撮るべき所を何故見逃すのかと。
しかしまぁ、しっかりと目に焼き付けたから大丈夫、という事にしておく。というか、帰りに撮れば良いかと思い直す。
けど何だかそうなると忘れそうで……。と、悩んでいるマキを、ティマが心配そうに上目で覗きこんで言う。

「マキ? どうしたの?」
「いや……何でも無い」



「おっきい所だねー」

桜の公道を五分間歩いた末に、その旅館がようやく、マキとティマの前に姿を現した。ティマがまんま、見た通りの感想をのんびりとした口調で言う。

老舗という旅行券の煽り文通りの、古風だが堂々とした門構えが素敵な旅館である。派手過ぎず、地味すぎずの塩梅の丁度良い雰囲気。
マキが事前に調べておいた情報では、四季折々で、様々な表情を見せてくれる自然と、迫力ある大滝が客室の窓から見えるとか。
その景色を眺めているだけでも元が取れる、とまで言われている。それとまぁ、そこそこ飯が旨いとか。
だが、一番の魅力はやはり混浴の露天風呂らしい。これは本当に、この旅館に来たら入っておかなきゃ損、とか。まぁ、残念ながらマキは入らないのだが。

いざ、とマキはティマと共に旅館へと足を踏み入れた。
すると入り口付近で、女将だろうか恰幅の良い着物を着た女性が、同じく着物を着ている従業員達と共に、二人にいらっしゃいませと完璧に声を合わせてお辞儀をする。
完璧に統制の取れている女将と従業員達に、ビクッと驚いて面食らっているティマに苦笑しながらも、マキは一緒に靴を脱いで旅館内へと上がる。
それにしても、とマキは思う。金と黒を基調とした高級でありながらもシックな内装。天高く吠えている、巨大な虎の木彫りで出来た彫刻。良く分からないが、旅館に来たって感じがすると。

フロントに行き、しまっていた旅行券を差し出しながら、マキは自らの名を伝える。

「先週、電話で予約したマキ・シゲルです」
「マキ・シゲル様ですね? 承っております。して、そちらのお方は……」

そう言ってフロントがティマに目を向ける。そうだった、一応アンドロイドを同行するとは伝えておいたが、種類までは言い忘れてたとマキはうっかり思い出す。

アンドロイドと共にこういった施設、ホテルやスポーツ施設、その他娯楽施設等を利用する際には、アンドロイドを同行する旨を伝えると共に、アンドロイドの種類を伝えておく義務がある。
ビジネスパートナー、もとい仕事の相手として同行させるのならビジネス、ペットとして飼っている、または動物型の場合はペット。
それ以外の家族として共に暮らしていたり、その他の理由で同行させる場合はファミリーと申告する。
ティマはマキに迷惑を掛けてはいけないと思い、自分からファミリーと申告しようとした、その時。

「妻です」

そう、マキはフロントに伝えた。ティマはマキの口から出たその台詞に、ポカンとして口を開ける。フロントもえっ、と言いたげな表情を浮かべる。

「すみません、間違えました……。ファミリーです」

苦笑しながらマキは先程の発言を訂正する。フロントはで、ですよねー。と、何故だか安心した様に胸を撫で下ろして、部屋のカードキーをマキに渡した。

「それではご案内いたします」

先程挨拶してきた従業員達の一人が、宿泊部屋を案内する為、マキとティマについてくる様促す。
マキが従業員についていき、マキの後ろからティマが続く。と、ティマがマキの背中を指でツンツンと押して、小声で話しかける。

「ねぇ、マキ。さっき何で私の事、妻って言ったの? ドキッとしたんだけど」

ティマの疑問に、マキは顔を少しだけ向けて答える。その顔はティマの反応を楽しんでいる様に見える。

「数年越しの仕返しだよ。君に昔やられた事のね」
「し……仕返し? 私、マキにそんなことしたっけ?」
「覚えていないのかい? じゃあ仕方ないな。まぁ何時か思い出すさ、多分」
「私……私、何したんだろう……」

マキの発言に、ティマはますます首を捻る。昔とは、一体何時の事だったのだろうか。何時、マキを驚かしたのか……。
きっとまだ、子供だった頃にやらかした事自体は分かる。が、けど、それが何時で、一体何処でやらかしたのかがまるで思い出せない。
教えてほしいけれど、マキはニヤニヤと笑っていてきっと聞いても教えてくれない気がする。
そう思うと妙に悔しくなり、ティマはちょっぴり頬を膨らまして、ぼそっと呟いた。

「……マキの意地悪。おたんこなす」


カードキーを通してドアを開ける。すぐ目の前に、和室の部屋が見えた。従業員に続いて部屋に上がり電気を付ける。

「それでは失礼いたします。ごゆっくりお過ごしください」

正座して二人にそう言って辞儀すると、従業員は帰っていった。荷物を置いて、マキは一先ず部屋数とどんな部屋かを確認する。
部屋数は入口に入ってすぐの部屋、居間と、その横の寝室。洗面台付きの浴室と計三つ。浴室以外は総て畳張りで情緒があり、悪くない。
こういう部屋というか、旅館だから布団を引かないと……面倒くさいなぁとマキが思っていると。

「マキー、来て―。凄い景色だよ」

寝室からティマの声がして、マキは寝室に向かう。ティマが障子の窓を開いて、外の景色を眺めている。
マキも隣に座って景色を眺める。……確かに凄いというか、いい景色。だ

窓の近くで、明るく咲き誇っている桜の木の先に、その迫力に気圧されそうな程に、滾々とした大きな滝が、圧倒的な存在感を示している。
滝の周囲でみなぎる様に咲いている、生命力に満ちた草花や、岩々も滝の存在感を際立たせている気がする。
さっきの桜とティマには無論敵わないが、この滝、草花、岩々の三点も美しい調和を作っており、芸術的と言っても良い。
流石にこれは逃さないと、マキは思い出したようにカメラを持ちだして、何枚か撮る。ポストカードにしても良いなと思えるほど、素晴らしい景色だ。

「これを見に来ただけでも、ここに来た価値はあったな」
「良い写真になりそう?」
「あぁ、帰ったら一緒に見よう。さて……」

さて、と口では言ったものの、正直マキは何も考えていない。というより、ノープランと言っても良い。

というのも、この旅館がある土地は、この旅館が唯一の有名スポットという位、何も無い。自然しかないと言っても良い。
娯楽施設というか遊ぶような場所は、電車かバスに乗って三十分後に着く町へと行かなければならない位に何も無い。しかし無理もない。
この旅館のキャッチコピーが、その事実を分かりやすくあらわしている。

情緒豊かな自然に囲まれて、ゆったりのんびり都会の喧騒を忘れませんか? というキャッチコピーが。
なら自然しか無いのは至極当たり前である。一応この旅館でもそれなりに娯楽施設はあるだろうが、どれもまぁ、正直……。
夕食(昼食は電車内で買った駅弁で済ましてきた)まで大分時間がある。旅行に来たのに暇を持て余すとはこれ如何に。
どうしようか……何をして過ごそうかと、マキが頭を回していると、気持ちが落ち着く良い匂いが漂ってきた。

「マキ、お茶入れたよ」

居間で正座しているティマが、ちゃぶ台みたいな円形の低いテーブルの上に、淹れたての緑茶を用意してくれた。
これは嬉しいと、マキは直ぐにテーブルの近くに座って、ティマに感謝する。

「ありがとう、ティマ」
「ううん。珈琲入れるより楽だよ」

淹れたて故に器が熱く少しばかり持ちにくいものの、底を掌で支えながら、マキは緑茶を啜る。
愛する妻が入れてくれた緑茶は淹れたてで熱い事とは関係無く、凄く美味しく、味わい深く感じる。

半分ほど飲んで、マキは器を置く。そしてほっと一息吐いて……一口飲んで一息吐き……ぼーっとする。
ここに来てテレビを付ける、というか見るのは、どこか無粋な気がするのでしない。
にしても……ここは静かすぎる。鳥のさえずりがハッキリと聞こえてきて、遠く、滝の流れる音が聞こえてくるくらいに静かだ。
普段如何に常に住んでいる所、というか土地が煩いかに気付かされる。車の音、人の話す声、工事現場。常に何かしらの音に囲まれているから。

そうだ、私が思いつかないのなら、ティマがやりたい事をやれば良いんじゃないか。そう閃いて、マキはティマに聞く。

「ティマ、何かしたい事はあるかい?」
「したい事? したい事……」

正座を崩して女の子座りになったティマは、マキの質問に何故だかもじもじと答えにくそうに身をよじる。
けれど何か決心したのか、マキを上目遣いで見つめながら、ボソボソとその、してみたい事を答える。

「その……布団、引いてみたいな。布団」
「ふ……布団? それで良いのかい? ティマ」

呆気に取られているマキの反応に、ティマは恥ずかしそうに首を何度も大きく横に振り、布団を引きたい理由を話す。

「え、エッチな意味じゃないの! あのね、その……。
 私……布団を見た事はあるけど、実際に触れたは事無いじゃない? だから良い機会かな……って思った訳で」

言われてみれば、とマキは過去を振り返る。

言われてみれば……マキは何時もベッドか、それかソファーに寝ていて、ティマは布団という物自体は知っていても、実際に触れた事は無かった。
マキ自身、布団に触れるのは数年振りである。仕事で遠征するとまずホテルに泊まるから、旅館はともかく民宿にも泊まる機会が無かったからだ。
まだ昼間の時間帯なのに布団を引く、というのも変な話だが、ティマの要望なら仕方が無い。拒否する理由は微塵も無い。

「分かった。布団を引こう」
「……ありがとう、マキ」

ティマがとても嬉しそうな笑顔になって喜々と立ち上がる。マキも立ち上がって、二人して寝室へと移動する。
布団をどうにか取り出してバサッと置く。取り出す時に腰にぽきりと嫌な音がしたが、きっと聞こえてない。聞こえてない事にする。
うろ覚えと言うか、カバーを被せたりと諸々格闘して数分後、どうにか布団が一式出来た。目をキラキラと輝かせながら、ティマがマキに聞いた。

「凄い……これが本物の布団なんだ……ねぇねぇマキ、寝てみていい? 寝てみていい?」
「あぁ。というか、ベッドと同じく寝る為の道具だからな、これ。だからティ」

マキが何か言おうとするのを遮る様に、ティマは豪快に布団に飛び込む。枕に顔をうずめて、何を思っているのかじっとして動かない。
何だか心配になってマキが声を掛けようとした時、ティマが枕から顔を上げて、うっとりとした様子で呟いた。

「凄く……フカフカする……」

ティマは再び枕に顔をうずめると、バタバタと派手な音を出しながらバタ足する。良く分からないが、ティマなりに布団を堪能している様だ。
枕を抱きしめてコロコロと回ってみたり、布団と一緒に丸まってみたり、仰向けになって枕でお手玉してみたりと。
まだまだ子供だった頃の様な、無邪気な行動を取るティマに、マキの頬は緩みっぱなしである。と、枕を抱きしめたまま、ティマがマキを誘う。

「マキも一緒に寝ない? ううん、一緒に寝て」
「いや、私は別に今寝なくても、夜になったらそこで寝るしな……」

我に返ったマキが冷静にそう返す。
するとティマは不満そうに大きく頬を膨らませると、布団にクルクルと丸まって蓑虫みたいになると、コロコロと左右に転がりながら駄々をこねる。


「一緒に寝るのー、寝るの―、マキも一緒に寝なきゃやなのー」

本当に子供の様な、ではなく正に子供みたいな行動をとるティマに、マキは一歩引いた所から、至極冷静に、冷ややかな程に冷静な口調で言う

「……ティマ、今の君は何と言うか凄く……」

ピタリと動きを止めたティマが、マキが言うよりも早く、マキが言わんとする言葉を言った。

「子供みたい? 寧ろ、子供?」
「あぁ、うん。子供だ。何というか……大人の女性としてもう少し落ち着いてほしいというか……」

マキの言葉に、ティマは視線を落としてしょんぼりする。しょんぼりしながら、マキにしょんぼりとした口調で言う。

「たまには……私も子供に帰りたい時だってあるよ。童心に帰りたいなーって羽目を外したくなるよ。……今みたいに」

目に見える程、分かりやすく元気が無くなっていくティマ。
マキははぁ……と溜息を吐くと、仕方が無いなとあくまで「呆れている様に」聞こえる口調で、しかし実の所嬉しさを隠せない様子で言った。、

「……しょうがないな。一緒に寝てあげよう」
「ホント? 一緒に寝てくれる?」
「本当だ。布団を広げてくれ」

ティマがマキを招き入れる様に布団を広げた。枕から退いて、マキをそこに寝かせたい様だ。
マキは誘われるままに、枕に頭を乗せて仰向けに布団に身を任せる。ティマはその横に密着する。

「あったかいね。二人でこうして体を寄せ合ってると」
「あぁ。とても温かいよ、ティマ」

ティマはマキの体にべったりとくっ付く。腕がティマのそこそこ豊かな胸に当たり、マキは色んな意味で落ち着かない。

「私……ベッドより布団の方が好きかも知れない」
「何でだい? 一緒に寝るのはベッドでも同じ事だけど」

マキが少しばかり意地悪な質問をすると、ティマはんー……何でだろう、と自分でも不思議そうに答える。

「私も分かんないや……。だけどね。こうして、マキとくっ付いてるとベッドよりも……マキの体温を直に感じれるからかな」
「それなら私も……布団の方が好きかもしれない。君の体温や吐息を、ベッドよりも近く感じれるから」

それから、二人は何も言わずに、布団の上でまったりとする。幸せな時間というのは、こういう時なのかもしれないと、マキは眠くなりそうになりながら、そう思う。

「……あのね、マキ」
「ん?」
「……ごめんね」

何故か謝ってきたティマに、マキは不思議そうに疑問符を浮かべて、ティマの言葉の意図を聞く。

「……何を謝っているんだい?」
「勝手に」

一度、言葉を区切る。一息吐いて、ティマは謝った理由を話し出す。

「勝手に……旅行券をテンマちゃんにあげようとして。あの時の私……私の都合を優先して考えてた。
 マキが旅行に行きたいかどうかを考えないで、自分の都合ばっかり考えて」

仰向けになって、ティマは両腕で目元を隠して、心情を吐露する。心の奥底でずっと、その事が引っ掛かっていた様だ。


「私、やっぱり子供だ。マキの事を……大切な人が傷つく事も考えないで勝手な事して……。
 ごめんね、マキ。ホントに……ごめん」

マキは無言のまま、ティマを抱き寄せた。抱き寄せて、額同士をくっつけ合いながら、ティマに囁く。

「謝る必要なんて無いさ、ティマ。寧ろ、悪いのは私さ。私は君の心を傷つけてしまった」
「……違うよ。私がマキを……」

あくまで自分が悪いというティマに、マキは大きく首を横に振り否定する。否定して、話す。

「君は自分がアンドロイドだから、温泉に入れないって深く悩んでたじゃないか。けれど私は君を強引に、今回の旅行に誘ってしまった。
 すまない、ティマ。私の欲に付き合わせてしまって……」

マキの言葉に、ティマは瞳を瞑って、小さく首を横に振る。そして瞳を開き、マキをじっと見つめながら、本心を明かす。

「そんな事……ないよ。私、今凄く楽しいもん。凄く、幸せ。マキと旅行して、桜を見て、一緒に寝れて……。
 マキと一緒に入れるただそれだけで、私は何時も嬉しいの。だから謝らないで……マキ」

マキはただ強く、ティマを抱きしめる。今は只、ティマの事が愛おしくて、愛おしくて、それ以上の感情が浮かばない。
ティマの耳元で優しく、マキは自分も本心を明かす。本心というより、心で思った言葉がそのまま、口から出てくる。

「私も幸せだよ。ティマと生きていける。もうそれ以上、何もいらない。君がいてくれるだけで、私は……幸福だ。
 好きだ、ティマ。愛してる」
「……優しいね。マキって。優し過ぎるよ。……私も、大好き」

二人は一つになる様に、抱きあう。二人の間でだけ、時間が止まっている様だ。

「しばらく……こうしていて良いかな」
「うん……お願い」

マキがそう聞くと、ティマは小さく頷いて、瞳を閉じた。

どうせ何もする気が起きないし、マキは夕刻の食事の時間になるまで、ティマを抱いたまま眠る事にした。
わざわざ遠方に旅行して来て、昼間から布団で眠る。傍から見れば贅沢というか、凄く勿体無い休日の過ごし方に思える。
だけど、これで良い。これで良いんだ。ティマが幸せなら、それで良い。

ティマがスリープモードに入るのを見、マキも同じく目を瞑って眠りに落ちる。
窓から差し込む暖かなひだまりが、二人を包みこんでいる。何時の間にかマキも、ティマも、夢の中へと落ちていく。
陽の中で、二人はたゆたう。永遠にも続くかと錯覚するほど、穏やかで静かな、時間。




「……ん」

……どれくらい、眠っていたんだろう。マキは閉じていた瞳を擦りながら起き上がる。何だか疲れだとかそういう憑き物が全てすとんと、落ちた気がする。
視線を下に向けると、スリープモードに入っていて目を瞑っているティマがいる。マキはサラサラとして美しい金髪を掌で仰ぐ。
金髪の間から見えるティマの寝顔はなんだか妙に、幸せそうに見える。スリープモード時のアンドロイドは無表情な筈だが、夢を見ているかのように、時折口元が笑っている。
窓を見るとどれだけの時間眠っていたのだろう。既に外は真っ暗になっていて近くの桜さえも見えなくなっていた。や、部屋の明るさでぼんやり……と見えるが。

折角こんな所に来たんだし、ティマも寝てる今……温泉、いや、風呂に入ろうと思う。結局嘘を付いてしまう事になるが、やっぱり正直な所、入りたいのだ。
マキは音を出さない様にゆっくりと立ち上がって、テーブルの上、茶菓子の横の、旅館の名前が刻んであるメモ帳を一ページだけ切り取る。
そして円柱型の鉛筆入れの中に入っている鉛筆を一本抜き出して、そのメモにメッセージを書くと、鉛筆を戻して茶菓子を重石にしてメモを置く。

窓を閉めて、荷物のカバンから、着替えの服装を取り出して風呂へと出発する。と、その前に。
眠っているティマの傍に近づいて、頬に軽くキスを交わし、小声で伝える。

「行ってくるよ、ティマ。嘘吐いてごめんな」



マキが出かけた事を、ドアが閉まる音で知りながら、ティマはポツリと、言った。

「だから私に遠慮しなくて良いのに……いってらっしゃい」

目を開いて、のっそりとティマは起き上がって髪の毛を掻きながら居間に移動して、マキが残していったメモのメッセージを読む。そこにはこう書いてあった。

『ごめん、ティマ。やっぱり温泉入ってくるよ。嘘吐いた代わりに家に帰ったら、君の言う事を一つ、何でも聞くからそれで許してくれ。三十分後位に戻ってくる』

「何でも聞く……何して貰おうかな」
これからマキに何をさせようか、ティマの中の小悪魔がニヒヒと笑う。取りあえずそれは楽しみとして取っておくとして。
三十分……三十分も入るなんて、何だかんだ言って、温泉が楽しみだったんだろうな、とティマは思う。
しかし三十分もここで待っているのは退屈だなぁと、ティマは正直思う。こんな遠くまで、テレビを見る気にもならないし。夫婦だからか、マキと同じ事を思っている。

ふっと、テーブルの上にカードキーが置かれている事に気づく。別に鍵を掛けなくても良いのかと思ったのか、それとも単純に忘れただけか。
マキもちゃんとしてる様でいて、うっかりさんダナとティマはちょっぴり威張って見せる。

……そうだ、ちょっとこの旅館を周ってみようと、ティマはカードキーを見て思いつく。軽く見てくるだけだから戻って来るまで十分も掛からない。
軽くワクワクしながら、カードキーを持ってティマは部屋を出る。多分……多分すぐには戻ってこないよね? とマキに一抹の心配しながらも、部屋に鍵を掛ける。
さて……どこに行こうかな。ティマの足取りは羽の様に軽い。


脱衣所でそそくさと服を脱いで、マキは股間をタオルで隠しながらガラス戸を意気揚々と一気に開けた。

温泉の真っ白な湯気が霧のように漂って前が見えない。歩き出すと湯気が晴れてきて、冷えた体を火照る、モヤモヤとした熱気を感じる。
大理石で出来ている……かは知らないが、黒光りするタイルや壁面に、マキは少しばかり慄く。
先ずは体を隅々まで洗ってから、いざ入浴と馳せんじる。ゆっくりゆっくり慎重に、爪先を湯へと浸けていく。
寒さの為だろうか、寒くて縮こまり、凍えていた手足が次第に蕩けていく。肩まで浸かると、その気持ち良さにマキは思わず吐息を漏らした。

普段入ってるバスルームは、普通に両足を伸ばせるくらいには広い。だが、今入っている温泉は、家のバスルームなど比較にならない位広い。広すぎる。
体全体を伸ばして入っても、余裕で余る程広く伸び伸びとした大きさなのだ。平日と言う事もあってか、入っているのがマキただ一人という事も、広さに拍車を掛けている。
このまま浸かっていると気持ち良さのあまり眠りに落ちて茹でダコになりそうなので、上半身を起こす。ちらりと視界に、混浴露天風呂へと通じる入口が入る。
だが男風呂で一人なら、あっちには恐らく誰もいない事は予想するに容易い。というか水着を着用していないとまずい事になる……とは思うが。

……とはいえ逆に考えれば誰も入ってないなら水着なんて無くても良いんじゃないか? と悪魔が囁く。……誰もいないなら全裸で入っても良いよ……な?

良し、決めた。私は今日、一つのタブーを犯す。

そんな決意を秘めて湯船から上がった途端、急な寒さが襲ってきて、マキはガチガチと筋肉に力を込めて寒さを撥ね退けようと頑張る。
室内でこれだけ寒いなら、外に出たらもっと寒いのではないか……? と自分でも馬鹿馬鹿しい危惧を抱えながらも、入り口のドアを開け……。

た瞬間、予想道理、いや、予想以上の寒さがマキに襲いかかってきた。右方から左方から、容赦の無い風がビュービューと追突してくる。
春の季節と言っても、夜はまだまだ寒いのだ。マキは歯をカチカチカチカチと凄い勢いで鳴らしながらも、必死に走って露天風呂へと向かう。
タオルを投げ捨てて、マキは豪快に露天風呂へと飛び込んだ。瞬間、寒さで痺れていた体が解凍されると共に痺れが引き、身も心も天に昇りそうなほどの気持ち良さが押し寄せる。

そうそう、これこれ……寒空の中、こうやって言い知れぬ程の温かな快感に身を預ける。これこそが露天風呂の醍醐味だと、マキは一人でうんうんと納得する。
これでティマも一緒に入れれば、もう即死しても構わない位幸せなのだが、流石にそこまで物事は甘くない。現実の壁は、時に物凄く残酷であるとマキは痛感する。
夜空を見上げると、数多の星々が瞬いており、星の海の様だ。両手を伸ばしたら届くと思いそうな位近い、しかし凄く遠い、そんな星達が燦々と光っている。

「ホントに……ティマと入れたらなぁ」

マキはポツリとそう、呟いた。口に出したくなるほど、何かが、決定的な何かが惜しい。
それさえ足りれば……足りれば完璧なのだが。だが、その要素はどうしようもない。
両手を露天風呂に戻して、ゆったりと体を沈める。後どれくれい入っていようかな……出るのが勿体無いというか、寒すぎてしばらく出たくない。

その時、遠くでドアを開ける音が聞こえた。しまった。誰か入ってくる……。
マキは二重の意味で出にくくなってしまった。とにかく女性、女性じゃなければ……女性じゃ無ければ何でもいい。
こんな所で神頼みする事になるとは思わなかったが、とにかく女性じゃなくて男性であって下さい、神様。マキは必死にそう願う。

119 名前:創る名無しに見る名無し[sage] 投稿日:2011/04/26(火) 20:51:32.77 ID:7Uy5PTPj [23/40]
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120 名前:TロG ◆n41r8f8dTs [sage] 投稿日:2011/04/26(火) 20:51:41.27 ID:Y0WbxdWo [7/27]
新たに露天風呂に入ってきたその人は、鼻歌を歌いながら堂々とやって来た。マキの様に股間を隠す事事無く、タオルを肩に掛けて威風堂々と入ってくる。
その様に自分に無い男らしさを感じて敬意を表しながらも、マキはやってきたのが男性でホッとする。

……が、そのホッとしたのもつかの間、マキはやってきたその男性の顔を見て、驚嘆する。
驚嘆しているのはマキだけではない。その男性も立ち止まってマキの顔を数秒ほど見つめると、あっ、と驚きの声を上げる。

「……もしかして」

「君は……」


「……マキさん?」
「キリト……君?」





桜 の 雪

                                   (2/2)




どこかで聞いた様な流行歌のメロディーを口ずさみながら、ティマは旅館を探索する。目に入るモノ、耳に聞くモノ全てが、新鮮に感じる。
子供が泊まっていない為か、ノスタルジックなゲームが置いてある、ガラガラなゲームコーナーだとか、かなり古ぼけている卓球台のコーナーだとか。
色取り取りなお土産で溢れるお土産スポットだとか。帰りにテンマちゃんとハナコ、それに職場の皆に何か買ってあげよう。そう思いながら、ティマはスポットを後にする。
今のティマは言うなれば、子供に戻っている。何もかもが新鮮で驚きに満ちていて、キラキラしている。こんな気分になるのも凄く久々だと思う。

けれど面白そうな場所は大体回ってしまった。そろそろ部屋に戻ってマキを待たなきゃ。
そう思い、ティマは部屋に戻ろうと客室に向かう為の長い通路へと向かう。ふと、窓の方を見……。

「わぁ……」

窓の外の光景に、ティマは思わず感嘆の息を漏らした。

通路の外では、横一線にずらりと、立ち並んでいる桜が下からライトアップされていた。その美しさに、ティマの足が自然に止まる。
昼間の時に見た可憐で明るく、美しかった桜が、全く違う一面をティマに見せている。その様にティマは見惚れてしまう。
ライトに照らされている桜は、美しいというより、綺麗という言葉が似合う。それもただ綺麗なのではなく、どこか悲哀さと儚さを感じさせてくれる。
散っていく葉が闇の中へと静かに消えていく。刹那。ティマは葉を散らしていく桜を見て物悲しいと思う。けれど散っていくその姿までもが、綺麗、とも思う。

ティマが夜桜に見惚れていると、前から誰かが歩いてくる。と、その誰かはティマを見、小さく驚くと恐る恐る声を掛けてきた。

「……ティマさん? ティマさん……ですよね?」

誰かが自分の名を呼んで、ティマは前を向く。その声は女性の声で、全く初めて聞いた声じゃない。記憶の片隅に存在する、聞いた事のある声だ。

「……はい?」

返事しながら振り向くと、そこには自分を見つめる、恐らくこの温泉のアメニティグッズであろう寝巻きを来た女性が立っていた。
長髪をサイドテールに纏めて、寝巻きを一際の乱れなくキチッと着こんだ、知的さを思わせるツリ目が印象的なその女性は、ティマにゆっくりと近づいていく。
ティマはその女性が誰なのか即座に思い出せない。けれど絶対に会った事があると……。

おぼろげだった記憶を辿って、ティマはその女性の容姿と声から、ようやく答えを導き出す。
忘れもしないマキとの初めての旅行――――――――夏風島へと出かけた時に出会った、あの人だ。
海で溺れていたマキの命を救ってくれた、自分と同じアンドロイドの女性……であり、ティマに取って、マキと生きていく事の指針を定めてくれた、あの人―――――――。


ここで一旦そのティマとティマに声を掛けた女性について過去を振り返ってみよう。

女性の名はジュン。水泳の競泳に於けるコーチング用に作られたアンドロイドだ。ジュンのパートナーはアイバ・キリトという、若年ながらもロボット業界では名の知れた人物である。
そんなジュンとティマの出会いは数年前、ティマがまだ子供だった頃、マキと一緒に夏風島という島に旅行に出かけた時の事だ。
そこで海に潜って溺れていたマキを、ジュンが助けてあげたのだ。それがきっかけで、マキはキリトと、ティマはジュンと各々語りあった。
その時に、ジュンの口から語られたキリトとの過去と、それに基づくジュンの言葉から、ティマはどこかで迷っていた気がする、マキと生き方を定められるようになったのだ。

そしてティマとジュンは互いに別れ際、またどこかで会う事を願いながら、自分達の生活へと戻っていった。
その時には正直、互いにもう出会う事は無い気がしていたが……。


そんなジュンと再会出来た。しかもまさか、こんな所で再会するとは、ティマもジュンも想像だにしてなかった。
何故、ジュンが昔とはまるで……いや、顔付き自体はあまり変わっていないものの、大きく外見が変化したティマをティマだと気付けたかというと。
正直、雰囲気である。夜桜を見上げていたティマに、ジュンはまさか、と思った。こんな所にティマさんがいると……確かめてみたいと思い、声を掛けてみたら的中した。
こちらを振り返ったティマは、かつての何でも知りたがる様な小さな女の子ではなくなっていた。

私……いや、もしかしたら、私以上に成熟してるかもしれない程に、大人になっていた。ジュンは今のティマはそう思う。
予期せぬ再会に、上手く言葉が出てこない。出てこないが……数秒の沈黙の後、ジュンの方が口火を切った。

「……大きくなりましたね。色々。ホントに大きくなって……」

ジュンの言葉に、ティマは照れを隠す様に浅く俯きながら、ボソボソと答える。

「……成長、したんです。色々」



「まさかこんな所で再び出会えるとは思いませんでしたよ。いやはやホントに」
「私も同じだよ。君にここで出会えるとは思いもしなかった」

ティマがまさかの再会を果たしている頃、露天風呂でマキも、ジュンのパートナーであるキリトとの再会を喜んでいた。
あの夏風島での一件で熱く語り合った後、一応再会を誓ったものの、正直再会出来るとは思っていなかったからだ。
あの日から幾年経ったが、キリト自身は特に外見に変化は見られない。しかしあの日より若干、仕事が忙しいのかほっそり痩せた気がする。
マキはまだ少ないものの、白髪が生え始めて大分皺などが目立ってきた。それに新聞だとか雑誌を読む際に小さい文字を見るのが結構辛い為、メガネを掛けるようになった。
そんなマキの変化に勘づいたのか、キリトは風呂へと肩まで浸かると、笑みを浮かべながらマキに言った。

「マキさん……ちょっと年、取りました? 雰囲気が大分ダンディになった様な」
「ダンディとは良い褒め言葉だね。けど現実は只年を取っただけでね。肩が上がらなくなったり体力も落ちたり……」

遠い目になって達観した口調で切実に自分の老いを話すマキに、キリトは苦笑する。
このぼやきというか、妙に一歩引いている感じ、マキさんもあの日から変わってないなと、キリトは思う。

「見てて分かりますよ。相当苦労を重ねてるんだろうなって」

キリトの言葉にマキは頷くと、キリトに半ば本音を話す。

「キリトくんの若さがとても羨ましいよ。年を取るって事は、色々と大事な物を無くすって事だなぁと……。
 白髪や体力の落ちたこの体を省みて本当にそう思う。一日一日老いるのが怖くて怖くて」
「僕もそう若くも無いですよ。理解力とか記憶力とか、最近どうも衰えてきて。トレーニングしないと結構鈍るんですよね。そういうのって」

そこで二人は深く溜息を吐くと、しみじみと呟いた。

「年は取りたくない物だな……」
「全くです……日々、身に染みますよ。誕生日って迎えたくないですもんね」
「うむ。誕生日自体は悪くないんだが、年を取ると考えるとな」

溜息、二つ目。色んな意味で、寒い。横から時折寒風が来る為なのか、心の問題なのか。
星空が満点に輝く夜空の下で、男二人は裸一貫で、実に不毛で哀しい会話を交わす。しかし何が哀しくてこんな会話をしているのか。
流石にこんな事ではいけないというか不毛すぎると思ったのか、マキが別の話題をキリトに振った。

「そういえば……ジュン君はどうしてるんだい? 元気にしてるのかな」

マキの気遣いをキリトは察したのか、ガラリと明るい音色でマキの質問に答える。

「はい。今も一緒に働いてますよ。毎日結構忙しいですが、それなりに充実してます。徐々に徐々にですが、お金もそこそこ貯まってきてるし」
「そうか。それは何よりだ」
「マキさんの方は如何です?」
「私の方もそれなりに充実してるよ。中々に多忙だが、こんなご時世だし、仕事があるだけ幸せだと思わないとな」
「同感です」

そこで会話を一旦区切り、マキとキリトはしばし、露天風呂を満喫する。体の芯まで、心地の良い温かさが包み込んでくれる。
二人共に夜空を黙して見上げている。満喫とはいうが、実の所一旦会話が途切れると、次に何を話していいかマキもキリトも浮かばないのだ。
取りあえずまだ何か話したいが、どっちが先に話を切り出すかを考えている。するとキリトの方から踏み出してきた。

「そうだ……あの子は今どうしてます? マキさん」
「あの子?」
「マキさんに付き添ってた、知人さんから預かってるっていう、あの小さな女の子ですよ」

あぁ……あの子か。と、マキは言いかけて数秒後、それがティマの事である事に気付いた。
あの日、キリトにはティマの事を知人から預かっている子供、という事にしておいた。あの時吐いた嘘がこんな場面でブーメランしてくるとは。
キリトとティマに悪いなと思いながらも、マキは今回もその嘘を突き通す事にする。色んな意味で真実は話せない。

「凄く……うむ、大きくなったよ。見違える位綺麗に、美人になった」

……一応嘘は付いていない。大きな嘘は吐いているが、今は話した事自体は嘘ではない。

「へぇ~、さぞお綺麗でしょうね。あんなに可愛い子なら。きっとモテモテでしょう。同年代の男の子とかに」
「あぁ。本当に綺麗な子になったよ。本当にモテてモテて、学校でも人気者でね」
「僕もきっと同い年だったら惚れてますよ。羨ましいですね。一緒に通える子達が」
「あ、あぁ……」

マキは土下座したい心境になった。騙してすまない、キリト君。きっとこれからずっと、今吐いている嘘を守らなきゃいけないんだろうなと。
とはいえキリトの性格からして、嘘だと自白しても笑って許してくれそうではある。けれど……とマキは思い悩む。
そんなマキの事など露知らず、キリトは頭の後ろに両腕を組んで、ゆったりと近くの岩にもたれかかり、再び夜空を見上げる。

「綺麗な夜空ですね。写真に撮りたい位」

そう言うキリトに、マキは苦悩していた思考を切って、取りあえず便乗する。悩むのはまぁ、後で良い。

「そうだな。手を伸ばせば届く位……星が近く感じる」

指でカメラを模って、マキは夜空を覗く。後で写真に収めようと思う。

「マキさん」

ふと、キリトが組んでいた両腕を解くと、マキに声を掛ける。
マキは夜空からキリトに視線を移す。キリトの顔つきは、さっきまでの緩んでいた表情から、キリリとした真面目な表情に変わっている。
その変化に、マキも表情を引き締める。引き締めて、言う。


「何だい?」
「少し、真剣な話をして良いですか?」

真剣な話……と聞いて、マキは心の方も引き締める。しかし真剣な話とは、キリトは何を話すつもりなのか……。

「僕……僕、後数年、貯蓄が目標金額に達したら、辞めようと思うんです。今の仕事」

キリトの口から出たその言葉に、マキは素直に驚く。というか、そんな重い話を私に話していいのか? と。
しかしあくまで表面は冷静を装う。だが話の進み方によっては、身構えるかもしれない。

「……どういう意味だい?」

マキの質問に、キリトは真剣な面持ちを浮かべたまま、深く俯いた。マキは予想できる範囲での、キリトが持ちかけてくる相談の類を考えてみる。
転職するのか、会社でも立ち上げるのか、家庭的な事か。どれだけ力になるかは分からないが、マキはマキなりに親身に相談に乗るつもりだ。
キリトは少しばかり沈黙すると、やがて少し目を伏せる様に、マキに話し出した。

「なんて言えば良いのか迷ったのですが……」
「良いさ。何でも言ってくれ」



「それじゃあ話します。その……僕、将来、ジュンと結婚します」



マキはキリトの言葉が一瞬理解出来ずに、何度も目を大きく瞬きした。
聞き間違えたかと思ったが、キリトの声はよく通っていて尚且つ滑舌も良いので、どう考えても聞き間違いじゃない。
キリトは確かに言った。ジュンと結婚すると。確かに、言った。

予想されていた反応なのか、マキの何とも言えないリアクションに、キリトは苦笑しながらその言葉の意味を語りだす。

「すみません、驚かせてしまって……。結婚、というのはあくまで例えです。
 けれどそれ位、僕とジュンは関係を縮めたんです。僕はジュンに対して、粉う事無き恋愛感情、いえ、愛情を抱いています」

まずい、こう来るか、というかこう来てしまったのかとマキは正直うろたえている。
まさかのまさか、恋愛の事を持ちだされるとは、ホントにどう反応すれば良いのか。取りあえず、ここは……平静を、装う。

「うむ……それでキリト君、そうなった経緯を話してくれるかな」

キリトは深く頷くと、ジュンとそういう関係になって経緯を、しっかりとした口調で振り返る。

「実の所、貯蓄の目標金額ってのは、ジュンとこの先末長く生きていく為の、というか老後の生活までを視野に入れての目標金額なんですね。
 それで、その目標金額に辿りついたら仕事をスパッと辞めて、ジュンと小さいな孤島でずっと一緒に、静かに慎ましく暮らしていこうかなと」

キリトの説明に、マキは只、そうか……と相槌を打つ。いや、相槌を打つ事しか出来ない。
呆気に取られたというか、色んな意味でマキの心は今物凄い嵐が渦巻いている。ここまで心が乱れるのも久しぶりな気がする。
上手く言えないが、キリトの言葉はマキにとって切迫感がある。何だか何をどうすれば良いのかが分からない。

「それで……」

だが、あくまで表には出さない。冷静に、平静に、だ。

「ジュン君は……ジュン君の方は何と?」

キリトは真っ直ぐに、マキの目を見据えながら、答える。

「ジュンも僕の事を愛してくれています。僕が苦しんでる時も、悲しんでる時も一緒に手を繋いでいてくれます。
 今、二人で一緒に住むのに良さそうな島を探してるんですよ。何となく外国を中心に探してしまうんですけどね」
「そうか……見つかると良いね」
「はい。まだまだ先の話ですけどね」


キリトはそう言って笑う。その笑いの屈託の無さに、マキは本気でキリトがジュンの事を好きなんだろうなと、思う。
と、キリトは笑みから再び真剣な顔つきになる。

「それでここから本題なんですが……マキさん」

「あくまで、マキさんの考えを聞きたいんですが」
「うむ」


「……マキさんは、アンドロイドと人間の恋愛は、成立すると思いますか?」



マキがキリトから相談を受けている頃、ティマとジュンは二人並んで、夜桜を眺めている。
この幻想的なまでに綺麗な光景に、ティマはマキが露天風呂から戻ったら、一緒に見に来ようと思う。

「マキさん、お元気ですか?」

ジュンがティマに顔を向けて、そう聞いてきた。昔のティマはジュンを見上げていたが、今やジュンとティマの身長は殆ど同じである。
ティマは照れ臭そうに俯きながら、ジュンに答える。

「はい、元気です。……けど最近、腰痛だったりメガネを掛け始めたり……年、取りましたね」
「苦労しているみたいですね」
「そうですね……私がしっかりと支えてあげなきゃと、度々思います」

幸せを抑えず、素直に笑いながらジュンに顔を向けるティマに、ジュンは優しく微笑んで、言葉を紡ぐ。

「私の方も苦労してますね。仕事だったリ、家庭の事だったり……何かと、面倒を掛けてくる人ですから、毎日大変です」
「私の方は……私がマキに苦労を掛けちゃってますね。もうちょっと、ちゃんとしなきゃと思いつつも……情けないです」

そう言って軽く溜息を吐くティマを、ジュンはそんな事無いです、と返す。

「今のティマさん、しっかりしてると思いますよ。昔から凄い成長したなって思います。驚いてますよ、私」
「いえいえ……まだまだ子供ですよ、私。学ばなきゃいけない事がまだ沢山あって……」

ティマは謙遜するが、ジュンは決してティマを子供だとは思わない。寧ろ、自分以上に大人になっている気さえする。
外見の変化はそのまま、内面の変化を映してるのかな、とジュンはティマの成長を見て、思う。


昔の―――――――夏風島で出会った頃の、幼かった時のティマさんは、私を見上げていた。成長途中の、無垢であどけない子供だった。
けれど、今のティマさんは私と同じ目線に立って、私にしっかりと自分の言葉を伝えてくる。全く淀みの無い、純真な瞳で。
大きくなった……本当に、ティマさんは大きくなった。そう思うと、ジュンはとても微笑ましい気分になる。

「にしても、ジュンさんと再び出会えてよかったです。もう会えないかと思ってたから……」

ティマがそう言うと、ジュンは頷く。そう思うのはティマだけでなく、ジュンも同様の様だ。

「私も同じです。また会えてホントに嬉しいですよ。
 マスターとは仕事の遠征で、ここに泊まってたんですね。それで通路を通りかかったら、見覚えがある人がいるなと……」
「それが私だったんですね」
「えぇ。でも会ったのが数年前でかつ、一回きりだったから、私の事、忘れられてないかと……」

ジュンが不安げな口調でそう言うと、ティマは首を大きく横に振って否定する。
……正直に言えばちょっと思いだすのに苦労したけど、絶対に忘れる筈がない。何故らティマにとってジュンの存在は――――――――。

「忘れる訳ないですよ。だってジュンさん……」

そこでティマは一度、言葉を留める。そして、伝える。自分の気持ちを、自分の言葉で。

「ジュンさんのお陰で、私の気持ちが、しっかりと定まったんです。マキを愛する、マキと生きていくって言う」

力強く、一際の迷いの無い言葉と共に、ティマはジュンを見据える。ジュンはティマを見据え返すと、目をそっと閉じて、微笑しながら目を開ける。
そして嬉しそうに両頬を綻ばして、安心した様な、ホッとした様な音色で言う。

「良かった……。二人が今も、互いを愛しあってて」

ジュンの言葉に、ティマは笑顔で答える。弾けそうな位、明るく幸せな笑顔で。

「あの日から変わってません、いえ……もっともっと、好き、大好きになりましたから。マキの事」

そんなティマを見、ジュンは夜桜を見上げて、自分の心境の事を、ティマに明かす。

「なら……私もティマさんと同じです。マスター……ううん、キリトの事が好きから、愛してるになりました」
「愛してる……愛してるってジュンさん……もしかして」

ティマはふと、とある事に気づく。ジュンの指に、小さく、けれど強く銀色の光を放つ何かが、嵌っている事に。
……そういう事なんだ。そっか……キリトさんとジュンさんは、そういう関係になったんだなと、ティマは思う。
一歩引いた目線で見れば、ジュンとキリトの関係は凄く特殊だとは思う。けれどティマはその事にどうこう言う理由も、権利も無いと思う。

何故なら、ティマとマキの関係はそのまま、ジュンとキリトの関係と同じだから。だからティマは思う。ジュンを、応援したいと。

「世間から見れば、私とキリトの関係は限りなくインモラルだとは思います。けれど、私はキリトの事を心から愛しています。それは、否定しない
 ……いえ、否定なんか出来ない、揺るぎの無い事実なんです。まだ時間は掛かりますが、お金が貯まったら二人で暮らしていこうと思うんです。どこか、遠い所で」
「インモラルだなんてそんな。素敵です。凄く素敵だと思います。二人の関係って」
「ティマさんにそう言われると、何だか妙に自信が沸きますね」
「いえいえ……。本当に素敵だと思いますよ。私も将来……」

将来、と言いかけて、ティマは気付く、否、気付かされる。今のマキとの生活の中で、マキとの将来を考えた事はあったかな? と。
今の生活が急がしくて、だけど充実してるから、未来の事をゆっくり考える様な暇が無かった。
未来の事を考えようとしても、今日何をマキに食べさせようかな? ってすぐに日常生活に頭が切り替わってしまう。

だけど、ジュンとの会話でティマは気付かされる。マキと将来、如何していくのかをじっくり考えてる? と。
一先ず、ティマは言い掛けた言葉をちゃんと伝える。

「私も将来、マキと生きていけますかね。ジュンさんと、キリトさんみたいに」
「出来ますよ。きっと、今のティマさんなら、マキさんと。ずっと、今の関係性を保てると思います」

そうして、ティマも夜桜を見上げる。夜桜は何も言わず、夜風に揺れて葉を散らしている。

「ティマさんは」

「ティマさんは、ピノキオガールって都市伝説を聞いた事ありますか?」
「ピノキオガール……ですか? 初めて聞きます」
「何時頃だったか、流行ってる都市伝説なんですが……」



マキはただ、キリトと向き合っている。言葉が浮かばない、言葉が出てこない、相槌すら打てない。
キリトは、黙しているマキの返事を待っているのだろうが、何も言わずにマキを見据えている。
夜空で瞬く星々の下で、裸体の男が二人、シリアスな問答を行う。
冷静に考えると実に奇妙な光景なのだが、本人同士は至ってシリアスだ。痛々しいほどに、シリアスだ。

ずっと長く入っているからだろうか、入る時は熱く感じた露天風呂が、今のマキには温く感じる。
一体何分、何十分経ったのだろう。あまりにも重い沈黙のせいで、マキは偉く長い時間、風呂に入っている感覚に囚われる。
どう答えれば、キリトは納得するのか……マキはのぼそる寸前の頭で考える。だが、妙に頭に靄が掛かっていて答えが導き出せない。

どれだけ時間が経っただろうか、キリトは、ふぅ、と一息吐くと、頭を掻きながら申し訳無さそうにマキに言う。

「何かホント、ごめんなさい。凄く馬鹿な事を聞いて」
「いや、いやいやいや。うん、まぁ、ね! こう、哲学的な質問だと感心してたよ、うん」
「いきなり面食らいますよね。アンドロイド……いえ、ロボットと恋愛できるかなんて」

本気でマキは驚いていた。確か出会った当初から、キリトもジュンも仲が良かった事は覚えている。互いを深く信頼している様だった事に。
だけどまさかそれが恋愛関係に、まして結婚を考えているレベルにまで愛し合う関係になっているとは夢にも思わなかった。そして何より。
アンドロイドと人間の恋愛は成立するか、なんて聞かれるとは思わなかった。しかし客観的に考えてみると、これほど奇妙というか、不可思議な事象も無いだろう。
キリトが言う通り、人間でないモノを心から愛する、いや、恋愛関係を結ぼうなんて。傍から見たらアブノーマルも良い所だ。

と、マキは至極客観的に、自分とティマの関係を省みてしまう。誰からも問われた事も、不思議に思われた事も無かった疑問。

アンドロイドと人間が恋愛する事は、是か、否か。マキは考える。
考えて、考えて、考え抜いた末の、答えを、マキは出す。

「……いや、する。成立するよ、キリト君」

マキは自分で自分の言葉を確かめる様に一字一句、力を込めて、キリトに話す。自分の中で、ティマと育んできた関係から導き出した、答えを。

「あくまでこれは私の持論だが……人は、何かを愛するという行為に至る場合、その愛する対象が慈愛か、恋愛かに別れると思う」

マキの話を、キリトは黙って聞く。相槌の代わりに、確認する様に頷く。

「その愛が、慈愛か恋愛か、どっちになるかが重要なんであって、私はその愛する対象が何かで、批判される筋合いは無いと思うんだ。
 言うなれば、恋愛というのはその対象に対して自分を投げ捨ててでも、深く愛せる事だ。そうなると、その人にとって対象が人であっても、人でなくても。
 自分を捨ててでも、愛したい、愛する事をしたい。人種だとか身分の違い、そういう垣根を軽々超えられる、その気持ちはとても尊くて……素晴らしい、モノだと思う」

言葉を区切り、マキはキリトに、ある種、自分の中での最終結論を言い放つ。

「その対象が――――――――恋愛する対象がたまたま、アンドロイドだった。ただ、それだけだ。
 社会の目だとか、人としての倫理だとか、そんなのはあくまで言葉に過ぎない。アンドロイドを好きになった。それで良いじゃないか。
 恋愛に、いや、何々を愛してはいけない、なんて無いと私は思う。アンドロイドとの恋愛は成立するよ、キリト君」

気付けばマキは立ち上がって熱弁を振るっていた。ハッと気付いて、マキは一気に風呂に体を戻す。
何だか物凄く顔が熱い。寒風がビュービュー吹いているのに、顔から炎、というか火炎が吹き出してきそうだ。
マキの熱弁を、キリトは聞き終える。キリトの表情は、マキに問い詰めていた時の真剣な表情から、マキと夏風島で出会った時の、温和で人懐こい笑みが爽やかな青年の表情に戻っている。

「凄く良かったですよ、マキさん。そうですよね、愛する対象がアンドロイドだっただけ……それだけですよね」
「あぁ……」

何だか猛烈に恥ずかしい。マキは風呂の中に顔を隠す。
爽やかに髪の毛を翻しながら、キリトは空に両手を掲げる。掲げて、マキに言う。

「マキさん、覚えてますか? マキさんがあの日、夏風島で僕に言ってくれた事」
「私が君に……言った事?」


「マキさん、僕に聞きましたよ。いつか、アンドロイドが人間と仲良く手を繋ぎあえる社会が来るかって」


マキの脳内で、瞬時にあの日、キリトと語りあったあの一夜が、鮮やかに蘇ってくる。
あの島での、あのレストランでマキはキリトを夕食に誘って、キリトからジュンとの馴れ初めを聞いたのだ。
そして話の最後に、マキはキリトに聞いた。

アンドロイドと人が共存しあえる世界は来るかと。確かにそう、聞いた。


「僕の中で、マキさんのその質問はずっと引っ掛かってたんです。いや、あの時は出来ると答えたんですが、本当にそうなのかなと。
 だけど、ジュンと長く生きてきて、色んな事を得て、やっと答えが出せたんです。自分の中で」

ふと、マキは気付く。キリトの指にキラリと光る、銀色の指輪が嵌められている事に。
マキは即座に、察する。察すると言っても何を察せたか、良く分からないが。

「本当に愛している存在なら、人種も、身分の違いも……人であるかなんて、関係無いんですよ。僕の伴侶はジュン。後にも、先にも、ジュンだけです」

マキの言葉を反芻する様に、キリトがそう言った。 
マキは、言葉が出ない。別に自分の言った言葉が恥ずかしいからだとか、そういう意味で言葉が出ないんじゃない。


ここまで、アンドロイドを愛するという事に、ぶつかってきた事が今まであったかなと、マキは自分自身に問いかける。
常にどこかで、マキは自分自身に言い聞かせていた。ティマとは一線を超えてはいけない。それは、今の関係を崩す事だと。
けれどキリトからの問いに、そして今さっき、自分の考えを吐き出してみて、マキは改めて、思う。

ティマを、愛しているか? と

本当は一線を超えてはならないとか、そういう言葉で誤魔化してきただけで。
只単に臆病者だっただけかもしれない。ティマを愛するという事から逃げ腰になって、そっぽを向いていただけかもしれない。
あるいは、アンドロイドに愛情を抱いた自分を客観して嘲笑っていたのかもしれない。格好付けていたのかもしれない。

マキは、改めて、自分自身に問う。


ティマを、愛しているか? と。


「マキさん、こういう都市伝説って聞いた事ありますか?」
「都市伝説?」
「何年も前から流行ってるは無しで、ピノキオガールって言う話なんですけど」



頭に疑問符を浮かべいるティマに、ジュンはくすっと笑うと、そのピノキオガールという都市伝説について話し出す。
「とあるゴミ捨て場……みたいな所に、アンドロイドの女の子が捨てられてたんですね」
「そこに偶然、修理士の男の人が通りかかって、女の子を助けるんです」

キリトはマキに、そのピノキオガールという都市伝説の内容を、すらすらと話しだす。
「ゴミ捨て場からアンドロイドの女の子を拾ったその修理士は、その女の子を修理するんです」
「女の子は最初無知というか、世の中の事を何も分からなくて無感情だったけど、次第に修理士の頑張りもあって、次第に知識を得て、感情を学んでいきます」


「けれど、実はその女の子には大きな秘密があったんです。とある企業が秘密裏に進めていた計画に於いて、重要な存在であるという、秘密が」


「当然、企業は女の子を手に入れようと修理士を襲って、女の子を奪ってしまうんですね。だけど……」


「修理士は必死の思いで、女の子を助け出します。ボロボロになりながらも、修理士と女の子は企業の魔の手から逃げ切ります」


「けれど、自分のせいで愛する人が傷ついてしまった……。そう感じて責任に苛まれた女の子は」


「自ら企業の元へと戻ろうと決心して、修理士と、最後のキスを交わします。すると、女の子に奇跡が起きたんです」


「女の子はアンドロイドから、人間になる事が出来たんです。女の子が人間になった事で、企業は女の子と修理士を追う事も、探す事も出来なくなりました」


「それから修理士と人間となった女の子は、どこか遠い地に旅立ち、今でも仲良く暮らしているそうです」





キリトが話し終えて一息吐く。そして苦笑いしながら、マキに言う。

「凄い絵空事というか、子供が考えた様な話ですよね。
 アンドロイドが人間になるなんて。自分自身話してて、アホかって思いますよ」

キリトはアホかとは言うが、その口調には決して馬鹿にしている様なニュアンスは感じられない。

「だけどね、マキさん。僕はこの都市伝説、嫌いじゃないんですよ。
 この話を聞いた時、ジュンと同じ感想が出てきましてね」


ティマにピノキオガールの事を話し終えたジュンは、ティマに言う。

「私もキリトも、この話で思う事はたった一つなんです」

その語っている時のジュンの穏やかな表情に、何故だかティマはジュンがお母さんみたいな雰囲気だと思う。。
というか、ピノキオガールの話……まさか……。いや、まさか……違うよね?

「このお話に出てくる修理士と、女の子の様な関係になろう、って」


キリトは言う。指輪を、夜空に浮かぶ月に照らしながら。


「勿論アンドロイドが人間になるなんてありえませんよ。空想です。
 でも、強い愛の力が、そういう奇跡を起こすってのは、凄く素敵な事じゃないですか。例え空想だとしても、信じてみたくなるじゃないですか」


「だから僕は、ジュンと一緒に誓ったんです。
 これからどんな事があっても、二人の愛を信じ続けよう。愛という、確固たる真実を留め続けよう。
 この、愛を信じて奇跡を起こした、修理士と女の子の様に」


ジュンは言う。指輪を、夜空に浮かぶ月に照らしながら。


「私は貴方に永劫、誓います」


「私という存在が朽ちるその日まで、貴方の事を絶えず、愛し続けます」
 貴方という存在が、私を愛してくれる限り」



ジュンはティマの両手を、優しく両手で包みこみながら、ティマに伝える。今伝えたい事を。

「ティマさん。マキさんの事、大切にしてあげて下さい」

ティマはそのジュンの意思に応える様に、大きく深く、頷く。

「きっとマキさんにとって貴方は、無くてはならない人だから。彼の先行きを照らす光になってあげて。
 彼がもし悩んだりしたら、支えてあげて。貴方には、それが出来るから」
「私……私、マキにとって、頼れる人になります。
 何時でも、マキが悩んでる時には一緒に悩んで、マキが迷ってる時には、マキに取って良い方向に導ける……それで答えを一緒に見つけ出せる。
 そんな風に、生きていきます。この先に、何があっても」

ティマの言葉に、ジュンは大きく頷く。頷いて、言う。

「それじゃ、またどこかで会いましょう。次は……」

ジュンがそう言うと、ティマは笑顔で、言う。

「次は――――――――二人の結婚式で。是非、誘って下さいね。ジュンさん」

「……はい! 必ず来て下さいね、ティマさん」

「勿論。あ、じゃあ……」

ティマはジュンにそう言って、自分の小指を見せる。ジュンは小さく首を捻っていると、あ、っとティマがやろうとしてる事を理解する。

「約束を交わす時には、これをするんです。……そう、マキから教わったんで」

二人はそうして、小指を絡ませて指を切る。嘘を付いたら針を千本飲ますという、物騒な契約を果たして。

何時かまた出会う、その時まで自分を愛してくれた人を愛し続ける、そう、約束して二人は戻る。

互いに愛した、人の元へ。



「っと……そろそろ……出ますか?」

もうどれ位、風呂に入っていたのだろう。マキもキリトも、時間の感覚が著しく鈍っていた。
何だか何十分、いや、何時間も、風呂に入ってたな錯覚すら覚える。お湯がぬるま湯を通り越して冷や水にさえ感じる。

「そうだな……上がろう」
「はい」

そうして二人は同時に露天風呂を上がった、瞬間。二人の体に冷えという電流が走る。

想像を絶する寒さに体が芯から凍える。このままでは凍え死にかねないと、小走りではなく全力で露天風呂から脱衣所へと走る。
大分入っていた筈だが、やはり他の客は露天風呂はともかく、大浴場にもいなかった。体の隅々をバスタオルでくまなく拭き、すぐさま各々の寝巻きへと着替える。
どうにか体温が平温に戻ってきて、二人は風呂を出る。近くの自販機にデータフォンを通してコーヒー牛乳を買い、適当な所に腰掛けた。

「あー……寒くて死ぬかと思ったね」
「ホントにすみません、マキさん。僕の長話に付き合わせてしまって……」

牛乳を一口飲んで、申し訳無いと謝罪するキリトに、マキはいや、そんな事は無いと返す。

「君の話は実に興味深かったよ。というかこう、愛とは何かを勉強させてもらった気分だ」
「そんな大げさですよ。寧ろ、僕の方が勉強させて貰いました。マキさんに相談して本当に良かったと思います」
「いやいや……私は只持論を捲し立ててだけさ。まぁ、君の力になれたのならうれしいし……」

頭に、ティマの面影が浮かぶ。マキは一つ、とある決意を胸に秘める。

「ある種、目が覚めた。君のお陰で、ぼんやりとしていた物がハッキリ見えた気がする」
「そ……そうですか? 何か僕、内心ビクビクしてましたよ。マキさんが怒らないかなって。訳の分からない事を言いやがってって」
「怒るなんてとんでもない。寧ろ、私の方が君に怒られるべきかもしれない……」

ぽつりと本音が出る。しまったとマキは思ったが、キリトは牛乳を飲んでいて聞こえていなかったようだ。

「では、マキさん。名残惜しいですが……」
「あ、そうだキリト君。君が良ければで良いんだが……互いに連絡先を交換しないか?」

そう言いながら、マキは自らのデータフォンを取り出した。キリトも同じく取り出す。

「勿論構いませんが……結構仕事忙しいんで、常時連絡とれるかはちょっと難しいかもです。まぁ、スケジュールが空いたらぜひ飲みに行きたいですが」
「私も仕事が忙しいのは一緒だ。飲みに行く為でもあるが、その……なんだ」

アドレスをキリトのデータフォンに移しながら、マキは言う。

「君の……いや、君とジュン君の結婚式に是非、呼んでほしいな。もしも、やるとするなら」

マキの言葉に、キリトは今までの中でも最も満面の笑みを浮かべて、言った。

「勿論やりますよ! その時はマキさん、絶対来て下さいね」
「約束するよ。その時には私も妻を連れて来よう」
「あれ、マキさん結婚してたんですか? それは知らなかったです」
「数年前からだけどね。とても綺麗で、真面目で、しっかりとした妻なんだ」

「マキさんにそこまで言わすなら、さぞ良い人なんでしょうね。是非とも、会ってみたいです」

その時には……その時は胸を張って、ティマをキリト君に紹介しようと、マキは思う。
と同時に、ある一つの大きな嘘を明かさなきゃいけないなと思う。そう……自分自身にも付いていた、嘘を。

「じゃあ次は互いに日が空いたら、飲みに行こうか」

「はい。今日以上に沢山、色んな事を語りましょうね。酔いつぶれるまで」

二人の男は別れ際、強く握手した。次に会えるのは、何時になるのだろうか。それは二人にも、神様にも分からない。
けれど何かまた近いうちに会う気がすると、二人は思う。



部屋に戻る廊下を歩いていると、何故だかマキは肩にグッと、重荷が乗っている様に感じる。ティマとじゃれたり風呂に入って、そういうのは綺麗に無くなった筈だが。
リフレッシュに来た筈だが、どうも体が重い。どういう事かは分からないが、とにかく、重い。だけど不思議な事に、その重荷は苦痛じゃない。
むしろ、大切な荷物を背負ってきたみたいな、どこか厳かな雰囲気になる。さて……。

ティマには、何から話そう。話す事が多すぎて、迷う。

しばらく歩くと、ティマが中で待っているであろう宿泊部屋が見えた。さて、何からまず話そうか……と思っていると。
向こう側から誰かが歩いてくる。マキは誰かと思いながらも、部屋に近づいていき……。

「……あ」

ほぼ同時に声が出た。鍵を持ったティマと部屋の前で出会う。
マキはティマが出かけていたとは思っていなかったし、ティマはこんなにタイミング良く、マキが戻ってくるとは思わなかった。
微妙に気まずい沈黙が流れる。別に悪い事をしている訳ではないのに、何だか妙に、気まずい。

「……一先ず中に入ろうか。ティマ」
「……うん」

マキの提案にティマは頷いて、ドアをあけて部屋に入る。
電気を付けても誰もいない、ガラリとした部屋は、妙に心寂しく感じる。というか、妙に広く感じる。
二人で居間に座ると、ティマが開口一番、マキに両手を合わせて謝った。

「ごめん、マキ。勝手に部屋出ちゃって。つい……暇だったから」
「良いさ良いさ。謝るのは私の方さ。君を待たせてしまってすまない」
「違うよ、マキは全然悪くない。待てなかった私が……悪いんだし」

また、沈黙。けれど、嫌な沈黙というより、マキもティマも、話したい事があるがどう切り出せば良いかが分からない様だ。
しかし静かな雰囲気はどうにも耐えがたい。……ので、二人は決心して、口火を切る。

「キリト君に、会ったよ。数年ぶりに」
「ジュンさんに会ったの。数年ぶりに」

またも同時に、言葉が重なる。何だか笑いそうになるが、気にせずマキは話を続ける。

「その……覚えてるかな? ティマ。ずっと昔に、私を救ってくれたジュンってアンドロイドのマスターだった人なんだが」
「勿論覚えてるよ。それで……キリトさん、変わりなかった? ジュンさんは全然変わって無かったよ。優しくて、綺麗で。ホントに昔のまんまだった」
「キリト君もそれほど変わった様子は無かったよ。……いや、ある意味、変わってたな。多分、ジュン君も……そうだろ?」

ティマはこくん、と首を縦に振る。マキはティマの反応に、きっと同じ様な体験をしてきたんだろうと、思う。
信頼関係が恋愛関係に変わった、という。

「……ジュンさん、キリトさんとね」
「キリト君から聞いたよ。あの二人、私達みたいな関係になってたな。まるで……」
「まるで……私達みたいだったね。あれほど互いを愛してるって言えるなんて」
「あぁ……驚いたよ。久々に心の底から驚いた」

ティマがマキの横に座って、そっと寄り添う。寄り添いながら、マキの手と自分の手を絡ませる。

「ねぇ、マキ? 私達も……」
「ん?」

「私達もキリトさんとジュンさんみたいに……なれてるかな? 私達もあの二人みたいに……なれるかな」
「ティマ……?」

ティマが絡んでいる手を強く、握る。ティマの手が少し、震えてる様に感じる。
マキはその震えを止めてあげる様に、握り返す。ティマは俯いているが、目はマキの方を向いている。否、見つめている。

「私ね……ちゃんと考えた事……ううん、考えようとしなかった。マキと……マキと将来、どう生きていくか、考えようとしなかったの。
 でもね、ジュンさんと話しあってて、私……私、決めたんだ」

ティマはそこで絡んでいた手を離して、マキに向き合う。正面から、向き合う。

「私、マキの抱える苦しみも、悲しみも、痛みも……全部、分かち合いながら生きていきたい。
 今までずっと、マキに守られてた自分から、マキを……守っていける自分になりたい。マキにとって、頼りになる、自分になりたい」

ティマの中で本当は、これからマキとどう生きていくかの答えは出なかった。ジュンと別れた後、何度も、何度も考えたが、結局明確に何をどうしたか、なんて答えは出なかった。

だけど、一つだけ決めた事がある。これからは……これからは、マキに守られて、慰められて、支えられている私じゃなくて、支える事が出来る、私になりたい。
マキが頼ってくれる、マキのこれからを照らす、光になりたい。ティマはそう、思う。

それと一緒に、ティマはある決意を一つ、秘めていた。けどそれは、マキの話が終わってからにしようと思う。

「……やっぱり我儘かな。こんな事を思うなんて。今だって迷惑……掛けてるもんね」
「ティマ……」

マキは両手をティマの肩に乗せて、ゆっくりと、唇を塞ぐ。キスしながら、ティマをその場に倒す。
いつも交わしているキスが、今日はいつもよりずっと柔らかくて、甘くて、温かく感じる。ずっとこうしていたい。
そう思うものの、流石に数秒後、マキはティマの唇から自分の唇をそっと、離す。ティマの蒼い両目は、いつもよりも綺麗に潤んでいる、様に見える。

「……嬉しいよ、ティマ。迷惑な訳、無いじゃないか」
「マキ……」
「私は……私は君がいなきゃ、駄目なんだ。君がそばにいないと、駄目なんだ」

マキの両目に、ティマが映る。ティマの両目に、マキが映る。二人は、互いの姿を、両目に捉える。

「ティマ、私は君と歩んでいきたい。私の行く先を照らしてくれ。君が、光となって」

ティマの視界が何故か、滲む。雨が降っている訳でも何でも無いのに、ティマの視界は何故だか、滲んでいた。

「うん……私……」

ティマは両腕で両目を隠す。嬉しいのに。嬉しくて、嬉しくて、幸せで一杯なのに。

どうしてこんなに、辛いんだろう。どうしてこんなに、苦しいんだろう。ティマは自分が分からなくなっている。

「私……マキの光になるよ。だからマキ……」

ティマは起き上がって、マキに抱き付く。マキの背中ってこんなに広かったんだ……と、ティマはしみじみと、思う。

「マキもたまには、私の事を頼ってね。私が出来る事を精一杯、頑張るから」
「頼りにしてるよ、ティマ」

「所で……ティマ」

今度は、マキの方から話を始める。話さなきゃ、ならない事を。

「私の方からも、伝えたい事があってね。キリト君と話していて、私も思う事があったんだ。私は君と……正面から向き合う事を、どこかで避けていた。
 今の関係を崩したくないと、どこかで気取っていて、君と向き合おうとはしなかったんだ」
「……そんな事、無いよ。マキは何時だって私を……見てくれてるよ」
「いや、キリト君に教えられたんだ。愛するという行為の尊さを、意味を。そして君を、愛する事の意味を」

マキは迷う。次の言葉を言った瞬間、ティマの関係がある種、変化してしまうかもしれない。
そう思うと、言って良いのか、それとも言わざるべきなのか、強く迷いが生じる。
この期に及んで迷っている自分にマキは非常に情けなくなる。だが……。

本当に愛している存在なら、人種も、身分の違いも……人であるかなんて、関係無いんですよ。

キリトが言った言葉が、頭の中に遠く、響いた。
そうだ……本当に愛している存在なら、どんな垣根だろうと超えていける。超えられる。
マキは、踏み込む。一線を、超える。

「ティマ、私は君と、本当の意味で夫婦になりたい。君と……一つに、なりたい。
 何もかも脱ぎ捨てて、本当の意味で、君を愛したい」

マキの言葉に、ティマは只視線を返す。マキの目をじっと見つめ―――――――ティマは、言葉を返す。

「……ねぇ、マキ。マキ、温泉に出かける前に、私にメモを残したよね。それで……そのメモに、書いたよね」

「君の言う事を一つ……」

「何でも……聞くって」

マキの首に両腕を回して、ティマは体を、マキにグッと近く寄せる。額をくっ付け合い、ティマはマキに囁く。

「じゃあ……帰ったらマキ」

時を刻む時計の音と、二人の吐息だけが、聞こえてくる。

「私を……マキと、一つになれる体にして。私を、わるい事が出来る体にして」

「ティマ……」

「ずっと……思ってたの。私達、いつも愛し合ってるけど、夫婦って言うには、なんか違うんじゃないかなって。
 本当に夫婦って関係になるなら、その……」

ティマは照れ臭そうにマキを上目で見つめながらも、はっきりと、ちゃんと、言う。

「わるい事も……出来るようにならなきゃって。だからさ、マキ」
「分かった」

マキの返事は至極、シンプルな物だった。

「帰ったらすぐに準備しよう。君の体を、君の望む姿に変えよう。
 それで良いかな? 私は只、君の要望を何でも聞くだけさ。それが夫として、妻の君に出来る事でもある」

「ありがと……大好き、マキ」

そしてティマは強引に、マキを押し倒す。呆気に取られるマキを見下ろしながら、ティマは小悪魔っぽく笑って、言った。


「次の体は……ちっちゃい方が、マキの好みに合うかな?」


「……君に叶わないな、ホントに」




桜の葉が一枚、寝室にはらりと、落ちた。





春の雪



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