せっかく出発前、遥が用意してくれた可愛らしいワンピースは今や雨水に汚されており、所々に痣や切傷を作っている一条の姿も合って非常に痛々しい。
揺らいていた意識を回復させようと何度も首を横に振り、一条は立ち上がろうとする。
だが、コンクリートで成形された出入り口の壁面に、背中を強打した為だろうか。立ち上がろうとしても、呼吸が荒くなって手足が震える。立ち上がる事を体が拒否している。
本来、一条は普通の人間よりもずっと頑丈で回復力も高く、大した病気もしなければ怪我をしても短時間で治ってしまう体質である。
しかし、それはあくまで精神的に前を向いている、つまりポジティブで勝機を見いだしている状態での話だ。
今の一条は、リヒターの必死な行動にも屈しなかったゼノクレスの強さと、油断した事で窮地を招いてしまった自分への情けなさ。
そして何より、目の前でリヒターが破壊させようとしているのに、何も出来ない悔しさという三重の意味で精神的に弱体化してしまっている。
精神と肉体の強さは比例するものだ。病は気からという言葉があるが、実際、精神的に弱気な状態だと肉体の回復はすこぶる鈍る。
今まで一条は、肉体に何らかの異常が起きても、精神も弱る事は殆ど無かった、だからこそ、どんな怪我をしようと病気をしようと即座に立ちあがる事が出来た。
しかし今回はどうか。緩んだ。もう一人の私―――――――神守遥と出会った事で、心に隙が出来てしまった。
平和で穏やかな日常を送っていた頃の自分に戻っていた。だからこそ、ゼノクレスに後れをとり、挙句、このザマだ。
一条は思う。何故、前までの様に直ぐに精神を戦闘状態に移す事が出来なかったのかと。悔んだ所で後の祭りではあるが。
もう一度……もう一度と、一条は全身の筋肉という筋肉に力を込めて立ち上がろうと試みる。立ち上がれなければ……リヒターが、破壊される。
だがしかし、心を奮わせても体はとっくの昔に限界を迎えていたのだろうか。一条の体は立ち上がらず、その場に沈んでいるだけだ。
足は鉄の様に重く、背中は激痛が蝸牛の如くゆっくりと這っており、腕は極度の体温低下を引き起こしているせいか、ガタガタと震えて動けない。
視界が砂嵐の様に滲み、揺れる。最悪、とはこの事だろうか。
かろうじて耳は死んでおらず、リヒターが切迫した声でマスターと呼んでいるのが聞こえる。
霞んでいる頭の中で何度も何度も体を叱咤するが、応答は無い。一条はどうしようもなく、只、その場にうずくまる。
散々無理をしてきたツケが、今になって回ってきたのだろうか。今の一条には、筋肉や骨、手足が自分に対して反抗している様に感じる。
しかし、だ。諦める事は、一条にとって一番嫌いな事だ。絶対にリヒターを救いだす。その根性だけは消えていない。
けれど、世の中にはいくら根性を捻りだし、努力を重ねようと絶対に変えられない状況、叶えられない事象は残念ながら存在する。
その変えられない状況が、今のこの状態なのかもしれない。
鼓動が波打つ。短いリズムで吐き出される呼吸に合わせ、視界が砂嵐からブラックアウトへと移っていく。
リヒターの声が次第に遠く、小さくなっていき、次第に聞こえなくなっていく。視界の上半分が、薄暗くなる。
瞳だけを閉じてはいけないのに、一条の意思に反して、瞳はゆっくりと、閉じようとしている。
「リヒ……ター……」
声が出ない。腫れているのか、喉がジンジンとしていて気持ちの悪い痛みを感じる。
それでも一条は、腹の底から声を絞り出そうとする。一応声は出る。だがその声が掠れており、自分でも聞こえるかどうか分からない位、か細い声だ。
全身を走る痛みと、豪雨による冷たさと寒さ。駄目だ、もう……立ち上がれない。とうの昔に肉体は事切れていたのかもしれない。逆に言えばここまで良く持っ……。
……馬鹿。緩やかに堕ちていく意識下の中、一条は自分を叱る。
まだ、諦めちゃいけない。一条はあと数メートル歩ければ助け出せるリヒターの元へと歩いてくる化け物――――――――ゼノクレスを睨んだ。
ゼノクレスを睨んでいる一条の目付きは、ゼノクレスとの戦闘を始めた瞬間よりも増して、別人の様だ。
遥と愉しい時間を共有していた、ほんわかとした穏やかで可愛らしい雰囲気は微塵も無い。
そこには目の前の敵に打ち勝たんとする、純粋な闘志と殺気、そして、諦める事を絶対に良しとしない、言うなれば――――――――狂気に溢れている。
狂気と表現はしたが、決して一条はその言葉通りに気が狂っている訳ではない。
一条は自らの中に、とある座右の銘を強く留めている。その内容とは、諦めるという行為は、ありとあらゆる全ての可能性を捨てる、という物だ。
例え他者から不可能と、無茶で無謀と言われそうな事でも、一条は持ち前のど根性と機転、そして積み重ねてきた努力と実力で乗り越えてきた。
いや、乗り越えていかねばならない、と思う。そうしなければ、師匠と呼ぶあの人の居る場所まで辿り付けないから、と。
その諦めの悪さは、傍から見れば狂気、と思われても仕方が無いかもしれない。だが、どれだけ傷ついても、どれだけ困難な状況下に陥ろうと、一条は戦う事を諦めない。
一条は常々思う。諦めないという狂気の末に、眩い光が見えてくるのだと。その光に名を付けるとするなら―――――――。
「リヒ、ター……!」
少しだけ、精神が上向きになったからか、一条は気付く。
ほんの僅かだが、右足、いや、両足が動く。両足を擦ってちょっとづつ、少しづつ、一条はリヒターの元へと這っていく。
どう考えても間に合わない速度。だが、僅かでも可能性を捨てる事はしない。腹の底から吐きそうになりながらも、一条は声を出す。
「リヒタ―……!」
その時、ブシュ、と紐を乱暴に千切ったかの様な短い音が聞こえた。
一条の視界が何故だか下を向く。赤黒い斑点が地面に一つ、二つと、雨に滲んで出来ている。
まさか、と思いながらも、殆ど動かない腕を無理やりにでも動かして、掌で額を探る。
ゼノクレスに刻まれた額の傷跡が開いているのか、掌が赤黒くべったりと濡れていた。嫌悪感を抱く生温かさが、鼻筋を濡らした。
寒さと痛みの次に訪れるのは、虚脱だ。一条の体から急激に力が抜けていき、瞳が閉じて完全に視界が黒く染まる。
一条は自分の体が自分の身体ではない様な、不可思議な感覚に囚われる。どうしようもない違和感が駆け廻る。
一条は立ち上がるどころか、起き上がる事さえもままならず、雪崩れる様に倒れる。
必死に意識を保とうとするが、瞼は一条の意思など聞かず、閉じたまま開こうとしない。このまま永遠に開かない様子すらある。
……嫌。嫌だ。何も出来ず、このままリヒターを失うなんて、絶対に嫌だ!
しかし一条の思いとは裏腹に、唯一死んでいなかった聴覚は、リヒターの声はおろか、煩く鬱陶しい雨の音さえも、聞こえなくなっていた。
頭の中で、絶対過ぎってはいけない、過ぎりたくなかった二文字の言葉が過ぎる。
絶望。
絶望、それだけはしないと、一条は常に誓っていた。いかなる危機的状況に立たされようと、それだけはしない様にしようと。
けれど酷な事に、一条の体は指先一本ですら、動かす事が出来ない。このまま、リヒターが破壊されるのを見る事すら出来ないまま、人生を終えるのか。
視界も意識も真っ暗闇の最下層へと堕ち、一条の思考も後を追おうとする。けれど……だけど……まだ……まだ、と、掻き消されそうな自我が、消えそうな蝋燭の様に揺れる。
死ぬ寸前だからだろうか。一条の閉じた意識の中で、映画の様に自分が辿ってきた過去がぼんやりと蘇ってくる。
旅の途中で一つ目に襲われた事、リヒターとの出会い、師匠との出会い、やおよろずとの出会い。機械人形殺しという得体の知れない奴との対決、アンサラーとの大立ち回り……。
本当にどれもこれも大変な、けれど素晴らしく、最高の思い出だった。色々な人達と出会い、色々な経験をして、そして……。
妙な事に、一条の思考は閉じない。それどころか、一条の中で消えようとしていた闘う意欲が再び燃えてくる。小さな炎だが、その実、簡単には消えない炎が。
連動するかの如く、心の奥底で燻っていた諦めないという思いが再燃し始める。どうあがいても絶望的な状況下。状況下、だが――――――。
全ての希望が絶たれて、打開策も何も無い。けれど、だからこそ私は―――――――。
私にはまだ、会わなきゃ……いけない人がいるんだ。私にはまだ……やらなきゃいけない事があるんだ。だから……。
一条の眼が、見開く。
こんな所で……死ねるか!
どこに眠っていたのか、一条は出せるだけの力を振り絞りながら、沈黙していた体を奮わせて起き上がる。
起きろ、起きろ、起きろ、起きろ! 起き上がりながら下唇を強く噛み、意図的に血を流す。その痛みだけが唯一、死んでいた意識を覚醒させる。
とうとうリヒターの目前へと着いたゼノクレスが、カギ爪を振りかざす。間に合え……間に合え!
次の瞬間、一条の背後から、壁面が粉砕する、重く響く衝撃音が雨音に混じって聞こえてきた。
その衝撃音に驚嘆し、一条が振り返る間もなく。
一条の真上を巨大な何か、人の形をした巨大な何かが優雅に飛んでいく。
降り続く雨が時間が停止したかの様にゆっくりに見える。一条を真に驚かせたのは、その何かが次に取った行動だった。
何かはカギ爪を振り下ろすゼノクレス目掛けて曲線状に落下しながら、右足を勢い良く叩きこんだ。
その飛び蹴りの威力は非常に高く、ゼノクレスはその巨体を持ってしても衝撃を受け止めきれない。地を荒く抉りながら後方へと吹き飛ばされて、そのまま突っ伏した。
何かが曲芸の様に空中で一回転すると、音も出さず静かに着地する。何かの両手には静謐な光を鈍らせる、研ぎ澄まされた刃が特徴的な直刀が握られている。
一条は額から細くも止めどなく流れてくる血を掌で止血しながら、痛みを押して立ち上がる。足の感覚がギリギリ、残っている。
立ち上がった瞬間、呼吸が一瞬淀み咳込むと、少量の血が掌に滲む。ありとあらゆる部位が駆けずり回りたくなる程痛い。しかし、不思議な事に辛さを感じない。
さっきまで頭の中を支配し、束縛していた絶望という二文字は既に消えている。そして、一瞬でも浮かんでいた諦めるという心境も無くなっている。
自分でもこの諦めの悪さは何なんだろうかと、一条は思う。されど、この諦めの悪さを改める気は無い。
狂気と言われようが、一条は諦めない事を諦めない。絶対に、諦めない。諦めれば、苦しみの先にある可能性が閉じてしまう。
必要な――――――――諦めが悪いという狂気の末に光が見えてくる。その光の名は―――――――。
奇跡、という。
××××××
違和感の正体に辿り着く寸前、行く手を阻む壁面を斬り払い、シュタムファータァと俊明はようやく、違和感の正体と対面する。
シュタムファータァ、紫蘇はこの屋上に来る際に、違和感の正体が一つから三つに増えた事に不安を覚えていた。
もしもその三つともが、セカイに仇名す存在だった場合、対処出来るかという事に。しかし、実際に対面するとその不安は杞憂であった事が分かる。
突如として増えた二つの違和感は、どちらも敵……では無かった。無論、味方とも言い切れないが。
まず一つは、禍々しいカギ爪と、アンバランスな風貌が不気味な、巨大ロボット。これが敵となる存在なのだろうと、シュタムファータァは直感し、攻撃を仕掛けた。
そのロボットは言わずもがな、ゼノクレスである。残りの敵では無い方……なのだが、一つはどこにいるのか分からない。存在を消しているのだろうか?
そしてもう一つは……これはあまりにも意外な正体で、シュタムファータァも中に居る俊明もただただ、驚いていた。
着地した後、シュタムファータァはその意外な正体へと、声を掛けた。
『……貴方、いえ、貴方達が、私が感じていた違和感の正体だったんですね』
シュタムファータァを通じた、俊明の目には自分を見上げている、顔馴染みの先輩―――――――神守遥に酷似した少女、一条遥の姿が映っている。
俊明は事態が全く飲み込めずに、目を丸くしている。なぜ、こんな所に神守先輩が居るのか。そして何故、神守先輩は服も体も凄くボロボロなのか。
全く事態が飲み込めい。訳が分からない。まぁそれ以前に、シュタムファータァが壁をぶっ壊して出てきた瞬間に蹴り飛ばしたアレも何なのだろうか。一先ず敵である事は分かる。
敵である事は分かるが、なら何故神守先輩を襲ったのか。そもそも正体は何なのか。俊明の頭はパンクして今にも爆発しそうだった。
僅かでも事態が好転した事に安堵したのか、一条がささやかな笑みを浮かべて、シュタムファータァと俊明に喋り掛ける。
「……凄いナイスタイミングで助けてもらったね」
そこで一旦、一条は言葉を区切り、笑みを消した。
真剣な面持ちとなり、シュタムファータァ、そしてシュタムファータァの中に居る俊明に向かって、言い放つ。
「シュタム、ファータァ。それに……安田俊明君」
一条の発した台詞に、俊明とシュタムファータァは呆然としながらも、至極馬鹿正直な疑問を一条に投げかけた。
『……私の名を何故貴方が?』
「その声……先輩? 何で先輩が、こんな所に?」
長くなるだろうが……いや、簡潔に事の次第、自分達の正体をこの一人と一機に打ち明けようと一条は思い立った。
だが、一条の決断よりも早く、ゼノクレスが立ち上がり、シュタムファータァをカメラアイに捉えながら態勢を整える。
両脚部から黒煙の如き粒子を、爆風の様に撒き散らしながらカギ爪をかざして突撃してくる。
一条はシュタムファータァの背後から急接近してくるゼノクレスを見、ありったけの声量で叫んだ。
「後、気を付けて!」
一条の叫びに俊明はハッとすると、シュタムファータァに指示を下した。
「後ろだ、シュタムファータァ!」
『分かりました!』
シュタムファータァは素早く振り向きながら両手に持つ直刀、白鳳、銀凰の内、右手の銀凰を上方へと掲げた。
正面から臆する事無く、瞬時に押し潰さんと振り下ろされたカギ爪を受け止める。熱き火花が衝突しあう刃と刃の間で踊り狂う。
ゼノクレスは只カギ爪を振り下ろすだけでなく、自らの重量を上乗せする事で圧力を掛けている様だ。故に、シュタムファータァは動けない。
「どうにかコイツから距離を取れないか?」
俊明が若干焦りの色を浮かべた音色でそう聞いた。俊明だけでなく、シュタムファータァもどうにか、ゼノクレスから距離を取りたいと思っている。
しかし、ゼノクレスとシュタムファータァの距離は目と鼻の先、非常に密着しており、左手の白鳳で斬り付ける事も突き刺す事も出来ない。
刃というより、刀自体の長さが仇となってしまった。かといって銀凰を離して即座に次の攻撃に移れるほど、機動性に自信が無い。
どうする……どうすれば、この窮地を脱する事出来るんだろう。シュタムファータァにも焦りが浮かぶ。
気付くと両足が地面に軽く減り込んでいる。このまま力比べした所で、いづれ根気負けするのは目に見えている。
一度大きく距離を取り、ニュートラルな距離を取れれば……。けれど下手に動けばゼノクレスに有利な方向に傾く。
「シュタムファータァ! 足を狙って!」
一条のその一声に、俊明は気付く。そうだ、身動きが出来ない距離なのは、奴も同じだ。
人間同士が取っ組みあい、互いに身動きが出来なくなる寸前に取るべき行動は何か。俊明の中で答えが導き出される。
俊明はゼノクレスを見据えながら、シュタムファータァへとその答えとなる指示を繰り出した。
「膝を蹴り上げるんだ、シュタムファータァ! 早く!」
『足……ですか?』
「そうだ! 思いっきり蹴ってやれ!」
俊明の助言に、シュタムファータァも気付く。確かに上からの攻撃を防ぐのに夢中で、下がほぼがら空きな事にまるで気付いていなかった。
白鳳を扱えないほど短い距離だが、逆を言えばそれ以外の攻撃なら当たるほど必ず当たるほどに短い距離である。
何故こんな簡単な事が気付かないのかとシュタムファータァは少しばかり情けなくなるが、好機を与えてくれた一条と俊明に感謝する。
だがチャンスは一回。ただ単に蹴るだけでは大したダメージは与えられないし距離も取れない。ならば……。
『はぁっ!』
ほんの一瞬だけ、銀凰を持っている手の力を緩める。その隙を逃さんと、ゼノクレスが全力で押し潰しに掛かる。
その一寸、シュタムファータァは銀凰を滑らせながら前方へと体を突き動かして、ゼノクレスの左膝に向けて膝蹴りをぶつけた。
予想だにしない攻撃にゼノクレスが怯んでバランスを崩す。ニ発目といわんばかりに、右足で頭部を蹴り付ける。
「今だ! シュタムファータァ!」
『斬ります!』
両足に力を込めて、天高く飛び跳ねる。シュタムファータァは白鳳と銀凰を交差させながら、落下していく。
ゼノクレスに防御させる間も与えず、着地するまでにシュタムファータァはゼノクレスの腹部へと交差させたニ刀を斬り付けた。
だが、浅い。その攻撃は決定打にはならず、ゼノクレスの腹部に薄く罰印の傷を付けた、だけだった。
「くっ……届かなかったか」
『距離が足りなかったですね……』
「だが……一先ず奴から離れる事が出来た。これからだ、これから……」
息つく間もなく、ゼノクレスがカギ爪を振るわして、着地したシュタムファータァへの反撃を開始する。
リヒターは既に経験しているが、このゼノクレス、その外見に反して非常に機動性が高く、そう簡単に攻撃を当てられる相手ではない。
備われた大型スラスターを巧みに切り替えながら、ゼノクレスはシュタムファータァの攻撃を右方に避け、左方に避け、後方に避けながら紙一重で渡り合う。
一方、シュタムファータァも容赦無く白鳳と銀凰を斬り込む。しかし、ゼノクレスはまるで攻撃を読んでいるかのように回避し続ける。
その頃、一条の精神、意識が大分元に戻ってきた。あれほど麻痺していた肉体の感覚は少しづつ戻ってきており、死にそうなほどの痛みも徐々に引いてきた。
視界も……いや、視界は正直危ない。というのも、額から血が流れ続け全く止まらないからだ。まずはこれを止めないと確実にさっきの二の舞になる。
一条はふらつきながらも歩き出し、目の前に転がっているリヒタ―をこの手に、取り戻す。
<マスター……御無事でしたか>
「ごめんね、リヒタ―。こんな情けない……マスターで」
<……マスター、血が!>
「大丈夫、すぐ、止める、から……」
リヒターを取り返した事でゼノクレスが真っ先に狙ってくるかと思うが、意外にもゼノクレスはシュタムファータァとの戦闘を優先する様だ。
一条は気付かれぬ様、なるべく早足で出入り口へと駆ける。俊明とシュタムファータァに一度戦線を離脱する事を話すべきかとは思うが、恐らく言わなくても分かって貰えるだろう。、
だが、やはり気付いたのだろう、ゼノクレスが出入り口へと向かう一条の方を向いて方向転換しようとする。
『貴方の相手は私です!』
そう言いながら、シュタムファータァが横一文字に銀凰を振り払う。ゼノクレスはその攻撃に機体ごと若干オーバーな程に後退する事で回避する。
巨体のイメージに反する身のこなしに、シュタムファータァは長期戦は免れないかと思う。これで巨体通りのパワータイプならまだ闘いやすかったのだが。
只でさえカギ爪が面倒なのに、機動性の高さも兼ね備えているとは、本当に面倒で厄介な相手だ。早急に勝負を決めたい……が。
シュタムファータァは一条へと頭部だけを向けて、伝える。
『これの相手は私達が引き受けます。貴方達は戦える状態になるまで離脱してて下さい』
一条はシュタムファータァの言葉に足を止めて振り向く。そして深く頷くと、一言。
「……ありがとう。必ず戻ってくるね」
と答えて、出入り口へと走り出した。その間にも、シュタムファータァはゼノクレスと戦闘し続ける。
だが、正直今の状態は不利といってもいい。ゼノクレスは全く隙を見せてこないからだ。ただ避けてくるだけではなく、当たれば致命傷になりそうな攻撃も仕掛けてくる。
だからシュタムファータァは避ける事にも精一杯になり、これでは何時まで経っても決定打が与えられず、時間稼ぎにしかならない。
何か決定打を……状況が変わる方法が無いか? 俊明の握っている掌に汗が滲む。と、とある事に俊明は気付く。
「なぁ、シュタムファータァ。何か気付かないか?」
『何です?』
「こいつ、カギ爪じゃない方の腕を全く使って来ないんだ。それに、意図的にその腕が攻撃される事を避けてる様に見える」
シュタムファータァは俊明の言葉に、今までの戦いを思い返す。
確かにゼノクレスは右腕のカギ爪ばかりで攻撃して来て、もう片方の左腕、不自然なほどに細い、まるで人間の腕を模した様な左腕は全く使って来ない事に
何か秘密があるのだろうか。触れられたくない秘密が。そう考えると、シュタムファータァはどうしても試してみたい、とある行動を思いつく。
『……ヤスっちさん。私』
「シュタムファータァ、頼む」
「左腕への攻撃を試して貰えるか? あれが何なのか知りたいんだ」
……どうやら全く同じ事を考えていた様だ。
××××××
所変わり、ショッピングモールの一階、様々な物が錯乱し、警備員すらいなくなり閑散としたロビーで、二人は対峙する。
この物語の主人公である神守遥は、一条の心からの忠告を聞き、今すぐにでもモールから逃げようとしていた。
だがその寸前、妙な男に名を呼ばれ足を止めた。すらりとした長身に、俳優ないしはモデルかと思うほどに顔が整った、赤い髪の毛が特徴的な奇妙な男に。
その男は右肩に妙なケースを背負っていた。一応形はギターケースの様……だが、あくまでギターケースを模したケースだ。薄っぺらく、ギターが入るとは思えない。
「神守、遥だな?」
男は遥の名前を正確に言い当てると、名前を呼ばれて呆然とつっ立っている遥の元へと歩いてくる。
「何で……私の名を?」
足を止めて立ち止まってしまった遥は、男にそう聞いた。しかし男は遥の質問に答えない。
何も言わずに、男は遥の方へと歩いてくる。遥は明らかに不審者だと思い、頭では早く逃げないと、思っている。
思っている、が、不思議な事に足が動かない、動いてくれない。見た事も会った事も無い、本当に他人である男から呼び掛けられた事に恐怖を感じている為か。
いや……それも違う。それなら足が震えてたリ鼓動が速くなる筈。しかし、それらが無いという事は……いや、どういう事なんだろう。呆気に取られ過ぎて何も考え付かない。
とにかく、遥の足は止まっていた。何故かは、遥にも分からない。男が遥の目前で足を止めた。
男は右肩からケースを外すと、ずいっと無遠慮に、遥に渡してきた。
「宅配便だ。神守遥宛に。何も言わずに受け取ってくれ」
「宅配便……って、はいぃ?」
状況がさっぱり理解できずに遥が頭に巨大な疑問符を浮かべていると、男は軽く溜息を吐いて、ぶつぶつと独り言を言う。
「だから嫌だっつったんだ……只の不審者じゃねえか、これじゃあ。何考えてんだあいつ……」
呆然としていた遥だが、ハッとすると恐る恐る、男に聞く。
「あ、あの……どういう事なんですか? 何がなんだかさっぱり分かんなくて……」
遥の質問に、男は髭をポリポリと指先で掻くと、淡々とした口調で言う。
「だろうな。けど、どうしてもこれをアンタに受け取って貰いたい奴がいてな。それで俺が運び屋となって、アンタに渡しに来たって訳だ」
男のその言葉に、遥の顔つきが変わる。渡したい……人?
一先ず分かった事は、この目の前に居る赤毛の男はどうやら、自分にケースを手渡す為にここに来たようだ。
そにしてもおかしい。今とんでもない事がこのモールで起こっているのに、何でこの人は平然としているんだろう。そんなに肝っ玉が座ってる人なのだろうか……。
いや、そんな事、今はどうでも良い。まず、ケースの中身は何なのか、それ以前に誰がこの男に宅配……まぁ宅配か。ケースの宅配を頼んだのだろうか。
それを聞けないと、遥はまず、ケースを受け取る気にはならない。ならないし、なれない。
「なら……教えて下さい。その、貴方に宅配を……ううん、私にケースを渡したい人って誰なんですか?」
遥の質問に、男はそうだなぁ……とめんどくさそうな素振りを見せる。素振りを見せる、が。
「本来は守秘義務で依頼人の名は言えねえんだが……ま、そう言ってられる状況でも無いわな」
「もう会ったよな? 一条遥には。その一条遥の師匠が、アンタにこれを渡して欲しいと依頼して来たんだ」
―――――――遥はポカン、と口を開けた。師匠と言えば、一条さんがあれほど熱心に話していた、あの人……師匠が、私に?
「弟子に当たる一条遥が窮地に陥った時に、神守遥。奴によるとアンタの助けがどうしても必要らしい。
その為にも、コイツがアンタにとって重要な道具になるんだと。だからさ、受け取ってくれ」
「えっ……でも私……その……」
遥はどう答えていいかに困惑する。助け? 助けって何? 遥は自身が本当にただの一般人で、普通の人間でしかないと痛感している。
だからこそ、突然襲ってきたあの怪物の前で何も出来なかったし、一条さんの……一条さんの力にもなれず、こうして逃げる事しか出来なかったというのに。
そんな私が出来る事って何? こんな非力な私に、一体何が出来るの? 今さっき、そういう現実の前に何も出来ず、逃げてきた、ばっかりなのに……。
「まぁ何だ、受け取ってくれるだけで良いんだ。それで俺の仕事は終わりだから」
「こ……」
遥は男から目を伏せて、深く俯く。俯きながら、吐露する様な、苦しげな声で、言う。
「困り……ます。私は……ただの……」
何故だろうか、遥は無意識に両手を強く握っていた。何故だろう。何も、何も出来ないって、分かっているのに。
凄く、悔しい。情けない。
「私は只の……一般人です。そんな事を、託さ……託されても……無理、です」
遥は頭を下げる。下げて、男がいなくなるのを、待つ。
「ごめん……なさい」
しかし、遥が頭を下げ続けても、男はいなくならない。ケースを遥に差し向けている。ずっと。
遥は顔を上げる。……男の視線はある一点を見ている。一体何を見ているんだろう……と思っていると、その一点を見ながら、男は言った。
「本心か? それ」
突拍子もない男のその言葉に、遥は意表を突かれる。
「え?」
男がその一点から、遥に顔を向ける。男は遥の目を見つめながら、言葉を紡ぐ。
「俺は探偵って職業柄、自慢じゃないが人間観察には長けててな。本心を隠して嘘を吐いてる人間ってのは、どこかしらにバレる仕草をしてるもんだ。
本当に一条遥がどうでも良いと思うなら、何で強く拳を握ってるんだ? 本当は助けてやりたいんじゃないのか」
男はそこで、今までの淡々とした口調から一転、凛とした強い口調で、遥に言った。
「一条遥をな」
気付けば、遥は強く握っていた拳を解いていた。男に言われるまで気付かなかったが、遥は無意識に両手を握りしめていた。
本当はどうしたいの? 何がしたいの? 遥は自分自身に問う。自分が今したい事、やるべき事は何なのか。今、何を成すべきなのか。
自分に嘘を吐く事? 一条さんを……見捨てて逃げる事? 違う……私が本当にしたい事は……。
私が本当にしたい事は、そういう事じゃない。
解けた両手で、男からケースを受け取る。男は遥にケースを手渡す。
「取りあえず俺の仕事はここまでだ。後はアンタ次第。つっても……」
遥の表情を見、男は微笑する。初めて、男が感情を表に出した気がする。
「もうやる事は決まってるか。じゃあな」
男は遥の横を通り過ぎて出口の方へと去っていく。遥は振り向いて男に何か言おうとは思うが、何を如何言えば良いか迷う。
良く分からないし、一体何者なのかは分からない。正直今でも凄く怪しい人だは思う。けど。
けど、逃げ腰になっていた自分を目覚めさせてくれた。只、それだけでも、会えて良かったと思う。
「……ありがとう」
遥はこちらを振り向かずに次第に遠くなっていく男に大きな声で、言った。
「ありがとうございます! おじさん!」
男が足を止めて、遥へと振り向く。
男は髪の毛を掻きながら、呆れ気味な口調で、遥に言った。
「悪いが俺はおっさんじゃねえ、お兄さんだ。OK?」
××××××
出入り口へと入った一条は、階段まで歩くと、ゆっくりと腰を下ろした。寒い事には変わりないが、雨に濡れないというだけで妙に心が落ち着く。
シュタムファータァとゼノクレスが雨の中で戦っている音が聞こえる。どちらが優勢かは音だけでは分からないが、何にせよ早く復帰しなければ。
束の間、本当に束の間の休息ではあるが、心を落ち着かせて次の戦いに備える。備えながら、一条は思う。
アレをこの世界に連れてきたのは半ば、私のせいだ。私という存在がこの世界に来なければ、恐らくアレがこの世界に来る事も無かった。
そして何より……この世界の私を、戦いに巻き込んでしまった。ならケリは、私の手で付けなければならない。
大分体力が回復してきた。やはり精神的にプラスの状態になれば、肉体もそれに合わせてくれる様だ。
すると一条は何故か、ワンピースの裾を掴んだ。
「ごめん、神守さん」
そう呟いて、一条はワンピースの裾を力一杯に破く。ギリギリ、下着が露出するかしないか程度の丈にまで破くと、雑に切られた長い一枚布が出来た。
一条はその布を、雑巾の様に絞って水を出して、頭部に鉢巻きの如く巻いた。非常に乱暴な手段ではあるが、これぐらいしか血を止める方法が無い。
意識も視界も思考も停止していない。足も腕も感覚があり、決して負ける気もしなければ、ネガティブな発想も浮かばない。
立ち上がってみると、膝は震えていない。だけど久々に、本当に久々に戦う事に恐怖を抱いた気がする。
けれどきっと、次で最後だと思う。次で決着を決められなければいけない。一応立ち上がれてはいるけど、長期戦が出来る程体力は残ってない。
と、一条はとある事を思い出し、ワンピースに備われているスカートのポケットに、手を差し伸ばす。
ポケットから手を出すと、指先に何か挟まっている。カードだ。トランプ程度の大きさのプラスチックで出来ているのか、固い材質のカードだ。
「……使えるかな、これ」
そのカードは、この世界に渡る前に、とある女性から託された道具だ。
その女性から、もしもシュタムファータァと安田俊明に出会う機会があったら、使ってほしいと託されたのだ。
一条はそのカードを口元へと寄せる。そしてカードに向けて、こう言葉を発した。
「トランス……インポート」
瞬間、カードが一条の掌からうっすらと煙の様に消失して、代わりの別の物体が掌に召喚された。
一条の耳がすっぽりと入りそうな位、大きなヘッドフォンだ。しかし奇妙な事に、そのヘッドフォンには機器に付ける為のコードなどは見当たらない。
一条はそのヘッドフォンを躊躇せずに耳に被せた。じっと、一条は目を閉じて意識を集中させる。
――――――――通った。
<聞こえる? 安田君>
××××××
男がいなくなった後、遥は受け取ったケースをじっと見つめる。こうしてみると本当にギターケースっぽいケースだ。
片手で軽々持てるのだから、中に重い物は入っていないと思う。……中を覗こうか。けど何か、怖い。
けれど開けなければ……。遥は意を決して、ファスナーに手を掛ける。一体何が入っているのか……ドキドキして手が震える。
……駄目。遥は強く首を横に振り、弱い考えを浮かべていた自分を振り切る。
受け取った以上、もう後戻りはしない。遥は目を瞑って、えいっと、ケースのファスナーを一気に開けた。
開けて、恐る、恐る、閉じていた目を開く。その中身に、遥は目を丸くした。
そこには見覚えのある、というか馴染み深い、部活でいつも扱う道具が入っていた。手を突っ込んで、それを取り出してみる。
それは、弓だ。それも間違いなく、遥が普段使っている弓だ。その証拠に神守遥と名前が彫られている。もっと探ってみると、数本の矢が入っていた。
あの人……学校に盗みに行ったの? そう思うと遥は少しばかり良心の呵責に囚われる。自分の物とは言え窃盗した物を……。
というか、こんな弓と矢で一体何が出来るのか……深刻な事態だろうに、何だか遥はどっと脱力する。
とはいえ、一条さんの師匠さんはこれが必要だと踏んで、私にあの人を通じて渡しに来たんだ。
ならきっと意味がある筈。というか、今はそんな事を考えている場合じゃない。一刻も早く、一条さんの元へと向かわねばいけない。
だけど一条さんはどこにいるのか……。既にここにはいないかもしれない。
そう思うと、遥はどうしようもない心境が蘇ってくる。弱気になってしまってはいけないと思いながらも、再び現実が立ち塞がる。
でも諦めればそこで終わりだ。考えなきゃ、どうにか一条さんの場所を知る為の方法を……!
その時だった。遥の脳裏に、数十分前の、平穏な日常を謳歌していた頃の記憶が蘇る。その記憶は―――――――。
××××××
大きく口を開けて、一条はパクリとアイスをほおぼっては、幸せそうに笑う。
そんな一条を見て、遥はアイスを買って良かったと思う。いつもよりずっと、アイスが美味しく感じる。
「あ、神守さん」
一条が遥に呼び掛ける。
「何?」
「ちょっとアイス食べるの待って」
一条にそう言われ、遥は一旦アイスを食べる事を止める。一体何をするんだろう、と遥が楽しみにしていると。
一条は三段目のチョコチップアイスをほおばった。遥が買った方のアイスにチョコチップアイスは無い……が。
その時、遥の下にチョコチップアイスの食感、味がほんのりと浮き立ってきた。
「えっ? あれ、私が今食べたのバニラ……」
「驚いた?」
驚いている遥をニヤニヤとした顔で見ている一条。
「昨日説明した、感覚を共有するってのを今やってみたの。
こうやって、同じ世界にいる同一人物同士は、味覚や聴覚や視覚を共有できるんだよね。だからこう……」
「……ごめん、何か話が難しくって忘れちゃった」
「良いよ別に。凄い驚いたよ、一条さん」
「なら良かった。驚かせたかったから」
別におかしくもないのに、二人はまた笑った。
××××××
……そうだ。
遥は思い出す。買ってきたアイスを使って、一条が分かりやすく感覚共有の説明をしてくれた事を。
同じ存在が同じ世界に居る場合に行う事が出来る、視覚や聴覚、嗅覚といった五感を共有出来る能力―――――――それが、感覚共有だと。
なら、一条さんが食べているアイスの味を私の舌に伝達させた様に、私もその応用が出来るんじゃないかと、遥は思う。
遥は強く口を結ぶ。そして目を瞑ると、精神を集中させる。一条さんの様に、同じ「遥」ならば……出来る、筈だと。
淀んでいた精神が、水面の様な静かで落ち着き払った心境へと還る。そして―――――――。
遥は、カッと目を開き、声を出した。
「感覚―――――――共有!」
次の瞬間、遥の視界、目の前の光景が、閑散としたロビーから、瞬く間に全く違う光景へと変化した。
薄暗く湿っており、一面を灰色のコンクリートで覆われた場所。一体何があったのか、目の前の壁が粉々に破壊されていて、その先に何か見える。
そこに見えるのは、土砂降りの雨の中、凄まじい戦いを繰り広げている二体の巨人。片方は……日常を木端微塵に破壊してくれた、忌々しいあの怪物。
その怪物と戦っているのは……白い巨人。一見怪物の仲間かと思ってドキっとしたけど、不思議な事に遥はその白い巨人が敵とは思えない。
……待って。何となくここって見覚えが……もしかして、屋上?
今、視えているこの光景は一条さんが見ている光景なの? と、いう事は今、一条さんがいる場所は……。
ふっと、気が抜けて、神守はぺたんとその場に座った。ただ視覚を共有するだけでこんなに疲れるとは思わなかった
元に戻ったのだろう、再び閑散としたロビーが視界に映る。まさか本当に出来るとは思わなかった為、妙な感動を覚える。
遥は上を見上げる。屋上に向かう途中まではエレベーターは使えるが、こんな事態だ。きっと停止していて乗る事は出来ない。エスカレーターも同様。
ならばどう向かえばと言えば単純に階段で昇っていく他ない。屋上まで行くのは体力上、案外ハードだ。
だが、一度やるべき事を定めた遥に迷いは無い。遥は全速力で、屋上へと走り出す。
その心に恐怖も、不安も、迷いも無い。遥は自らの意思で、屋上に居るであろう、一条遥を救いに行くのだ。
例えどんな困難が待ちうけようと、絶対に屈しない。遥は、思う。
今動けないのなら、私は一生、変われない。 変わる事が、出来ない。
××××××
俊明と考えが一致した事が何か嬉しいと思いながらも、シュタムファータァはゼノクレスの左腕をどう攻めれば良いかを考える。
俊明に言われる前から気付いてはいるが、ゼノクレスは常に、左腕に触れられない様に動いている。それほど重要なのだろうか、その左腕は。
回り込もうとしてもその都度、ゼノクレスは方向転換して正面を向いてしまい、カギ爪で防がれてしまう。
どうにかカギ爪を封じて動きを止める方法が……ある。一つだけ、妙案が浮かぶ。
……しかしその案の成功率は正直かなり低い。もしもゼノクレスが予定通りに動いてくれなければ、油断を曝す事になる。
しかし。いい加減勝機を見いだせなければ、何時まで経ってもこの状況は変わらない。虎穴に入らねば、虎児は得られない。
『ヤスっちさん』
シュタムファータァはその案を実行する前に、俊明に伝える。
「何だ?」
『私に一つ、考えがあります。試してみても、いいでしょうか』
「構わんさ。任せるぜ、シュタムファータァ!」
白鳳と銀凰を大きく両腕を広げて構い直しながら、シュタムファータァは後方に滑走する様に後ずさる。
何かを感じ取ったのか、ゼノクレスも後ずさり、互いに距離を開ける。真正面から、シュタムファータァとゼノクレスは互いを見据え合う。
張り詰めた緊張感が空間を制する。どちらが先に踏み込むか――――――――。
『参る!』
先に踏み出したのはシュタムファータァだった。銀凰をまっすぐに突き付けながらゼノクレスへと疾走する。
ゼノクレスは回避が間に合わないと判断したのか、その場から動く事無くカギ爪を静かに構え、シュタムファータァを待ち構える。
一向にスピードを緩める事無く、地に荒々しい痕を刻みつけ、雨風を纏いながらシュタムファータァはゼノクレスに向かって突貫する。
後一寸、銀凰がゼノクラスのカギ爪目掛けて突き刺さらんとする、数メートル前。
殆ど一瞬の動作で、シュタムファータァは器用に手首を回して、銀凰を逆手に持ち変えると地面に突き刺した。
予想を裏切られたのか、機敏に動いていたゼノクレスの動きが初めて止まる。どうやらシュタムファータァの読みが当たったようだ
ゼノクレスの動きが初めて止まった瞬間を、シュタムファータァは見逃さない。
『捉えた!』
刹那、シュタムファータァは一回転しながら白鳳を両手に持ち変え、ゼノクレスの懐に急接近する。
ゼノクレスに動きは無い。狙うはその―――――――左腕。
『斬り裂け、白鳳!』
頭上高く白鳳を構えて、シュタムファータァはゼノクレスの左腕へと振り下ろした。これでゼノクレスの左腕は一刀両断される……筈、だった。
『なっ……』
ゼノクレスの左手は、平然と白鳳を鷲掴みしており、微動だに動かない。どれだけシュタムファータァが抵抗しても、寸分も動く気配がない。
それだけではない。その左手からは、蟲の様に蠢く黒い粒子が白鳳を侵食していく。そのスピードは速く、柄にまで到達しそうだ。
凄まじい危険を感じて、シュタムファータァは惜しいと思いながらも即座に白鳳から両手を離し、突き刺さっている銀凰を抜き差して後ろに下がる。
ゼノクレスの左腕、否、左手の中で、錆びる事も、朽ちる事も無かった白鳳が、黒く、消し炭の様な姿になり、やがて滅した。
『そんな……そんな、馬鹿な事……!』
「……おいおい、反則じゃねえか? アレ」
目の前の光景にシュタムファータァと俊明は絶句しながらも、今まで謎であったゼノクレスの左腕の能力に付いて知る事が出来た。
どんな原理かは分からないが、あの左腕、左手は触れた物体を侵食し、消滅させる事が出来る様だ。先程の白鳳を見る限り、掴んだり触れたりしたモノを瞬く間に、だ。
だが、貴重な兵装の一つである白鳳を失ってしまった。得た物の代わりに失った物が大きすぎる。
「すまん、シュタムファータァ。俺が阿呆な事を提案したばかりに」
『ヤスっちさんのせいではないですよ。私も知りたかった事ですし……けれど』
兵装が銀凰だけとなってしまった。銀凰を両手に持ち変えて、ジリジリと距離を取る。
右腕は獲物を喰らい殺す鬼のカギ爪、左腕は獲物を消滅させる死神の手。どちらにしろ、迂闊に手を出せばタダでは済まない。
何か飛び道具、遠・中距離に対応した兵器でもあればいいのだが、あいにくシュタムファータァの兵装にそんな物は無い。
延々と止む事の無い雨の中、その雨水に濡れているシュタムファータァの姿は、まるで汗が滲んでいる様に見える。
中にいる俊明の額から一筋から、いや、手の甲や頭からも冷や汗が垂れる。熱い訳ではない。状況が悪くなった事に対する、正直な反応だ。
あちら側にはこちらに深手を負わせられる攻撃手段が二つもある。だが、こちらには刀が一刀あるだけ。
どうする……どう戦う? 俊明の中で焦りが不安へと化す直前。
<聞こえる? 安田君>
聴き馴染みのある声が突如、俊明の頭に響いた。
「うわっ!」
突然響いてきたその声に、思わず俊明は驚きのあまり大声を出した。
『ヤスっちさん!? どうしたんですか!?』
俊明の叫びにシュタムフータァが慌てて反応する。俊明はい、いや……気のせいだ、と自分自身を落ち着かせる様な口調でシュタムファータァに応える。
<ごめん、驚かせちゃった?>
またその声は聞こえてきた、が、流石に二度目は驚かない。
一体どんな魔法を使っているかは分からないが、直接頭の中に向けてメッセージを放っているんだろうと俊明は直ぐに理解する。
それにしてもこの声、本当に先輩に……いや、違う。微妙に甘ったるく鼻にかかる声だ。先輩の声に限りなく近いが、限りなく遠い声。恐らくあの……先輩と、瓜二つの女。
俊明は戦闘中のシュタムファータァの気を削がぬ様、小声でその声に反応する。周囲に目を向けるが、女の姿は見えない。
「……さっきのアンタか。アンタ、一体何者なんだ? 先輩に似てるわ訳分からん魔法は使うわ……」
<悪いんだけど説明してる余裕は無いの。とにかく目の前の奴を倒す事に集中して。良い?>
……口調もどこか先輩っぽい。何とも云い知れない違和感を感じながらも、俊明は返答する。
確かに今は一々物事を説明するよりも、目の前のとてつもなく厄介でめんどくさい野郎を倒すのが最優先だ。
「……分かったよ。だけどこの戦いが終わったらきっちり説明して貰うぞ。何から何までも。良いな」
<うん、最初からそのつもり。それで本題に入るけど、君とシュタムファータァに頼みたい事があるんだ>
俊明が訝しげな表情を浮かべる。しかし疑問は挟まず、とりあえず聞いてみる。
「……何だ?」
<私がそっちに行くまで、なるべくそいつを足止めして欲しい。そいつは私の手で、ケリを付けたいから>
俊明は思わずはぁ!? と言いかける。ケリを付けると言っても、正直に言ってあんなボロボロな状態で何が出来るというのか。
只でさえ倒れそうだったのに、また戦ったら今度こそ本気で……。
「無理だ。コイツは俺達の手で倒す。アンタはその……今すぐ病院に行け。手遅れになる前に」
<大丈夫だよ。ちょっとだけ熱っぽいけど……まぁ、ケリを付ける余裕くらいは>
「マジで無理すんなって。手遅れになってからじゃ遅いんだぞ。悪い事は言わねえから……」
<……あのね。そいつがこの世界に来たのは、殆ど私のせいなの>
「……何だと? どういう意味だ、それは」
一度通信が途切れる。数十秒後、再び通信が入ってきた。
<ごめん、ちょっと準備してた>
「おい、さっきの言葉の意味」
その時、俊明の目に何かが映る。出入り口に立つ人影、いや、人の姿。
黒き杖を手に持ち、仁王立ちする三つ編みの少女。その耳元には、不格好な程大きなヘッドフォン。
<言葉の意味……ううん、私を取り巻く一切合財の事情は、この戦いが終わったら話す。だからお願い>
<私に協力して。今、この時だけで良いから>
「……本気か?」
<本気だよ>
「何でそこまで……戦おうとするんだ、アンタは」
<私には――――――――護りたい人と、護りたい世界があるの。だから、何が何でもケリを付けなきゃいけない>
<私自身が巻いた種である事と、そういう、護りたい物を護る為に>
俊明と、一条の視線が重なる。俊明は呆れた様に小さく溜息を吐くと、一条に、伝える。
「……分かった。けど死ぬなよ。絶対」
<ありがとう>
××××××
ヘッドフォンをカードに戻し、一条は誓う。神守さん、貴方の街―――――――ううん、貴方が帰るべき日常は、全力で
××××××
どこまでも続きそうな非常用階段を駆け上りながら、遥は誓う。一条さん、貴方がどんな窮地に立たされてても、全力で
××××××
私が必ず、守ってみせる。
THE
STRANGE
DREAM
「おい、リヒト。依頼を済ましたぞ。報酬はまだか」
「そう慌てなさんな。KKに運んで貰ってるから」
「そうか。で、あいつらの動きはどうなってる」
「動く様子はまだ無い。イッツァ・ミラクルが増えた位だ。まぁ、想定内だな」
「で……あの神守の方の遥、大丈夫なのか?」
「大丈夫ってのは?」
「こう言っちゃなんだが、本当に普通の子供だぞ。お前が言う様な潜在性は感じられなかった」
「潜在性はそう急に発現する物じゃないさ。いや……急に発現して貰わなきゃ困るかもしれんが」
「分の悪すぎる賭けにならなければ良いがな。あまりにも不確定要素が多すぎる」
「だが、不確定要素こそが重要なんだ。今回の事象でどちらの遥も覚醒しなければ、何もかも元の黙阿弥になる」
「……例えそれが、愛する弟子を傷つける事になっても、か?」
「遥は強い子だ。俺が教えるべき事は何もかも教えた。後は……遥次第だ」
「KKが来た。切るぞ」
「あぁ。次に動くのは奴らに動きがあった時だ」
「了解」
さて……そろそろ仕事するか。
揺らいていた意識を回復させようと何度も首を横に振り、一条は立ち上がろうとする。
だが、コンクリートで成形された出入り口の壁面に、背中を強打した為だろうか。立ち上がろうとしても、呼吸が荒くなって手足が震える。立ち上がる事を体が拒否している。
本来、一条は普通の人間よりもずっと頑丈で回復力も高く、大した病気もしなければ怪我をしても短時間で治ってしまう体質である。
しかし、それはあくまで精神的に前を向いている、つまりポジティブで勝機を見いだしている状態での話だ。
今の一条は、リヒターの必死な行動にも屈しなかったゼノクレスの強さと、油断した事で窮地を招いてしまった自分への情けなさ。
そして何より、目の前でリヒターが破壊させようとしているのに、何も出来ない悔しさという三重の意味で精神的に弱体化してしまっている。
精神と肉体の強さは比例するものだ。病は気からという言葉があるが、実際、精神的に弱気な状態だと肉体の回復はすこぶる鈍る。
今まで一条は、肉体に何らかの異常が起きても、精神も弱る事は殆ど無かった、だからこそ、どんな怪我をしようと病気をしようと即座に立ちあがる事が出来た。
しかし今回はどうか。緩んだ。もう一人の私―――――――神守遥と出会った事で、心に隙が出来てしまった。
平和で穏やかな日常を送っていた頃の自分に戻っていた。だからこそ、ゼノクレスに後れをとり、挙句、このザマだ。
一条は思う。何故、前までの様に直ぐに精神を戦闘状態に移す事が出来なかったのかと。悔んだ所で後の祭りではあるが。
もう一度……もう一度と、一条は全身の筋肉という筋肉に力を込めて立ち上がろうと試みる。立ち上がれなければ……リヒターが、破壊される。
だがしかし、心を奮わせても体はとっくの昔に限界を迎えていたのだろうか。一条の体は立ち上がらず、その場に沈んでいるだけだ。
足は鉄の様に重く、背中は激痛が蝸牛の如くゆっくりと這っており、腕は極度の体温低下を引き起こしているせいか、ガタガタと震えて動けない。
視界が砂嵐の様に滲み、揺れる。最悪、とはこの事だろうか。
かろうじて耳は死んでおらず、リヒターが切迫した声でマスターと呼んでいるのが聞こえる。
霞んでいる頭の中で何度も何度も体を叱咤するが、応答は無い。一条はどうしようもなく、只、その場にうずくまる。
散々無理をしてきたツケが、今になって回ってきたのだろうか。今の一条には、筋肉や骨、手足が自分に対して反抗している様に感じる。
しかし、だ。諦める事は、一条にとって一番嫌いな事だ。絶対にリヒターを救いだす。その根性だけは消えていない。
けれど、世の中にはいくら根性を捻りだし、努力を重ねようと絶対に変えられない状況、叶えられない事象は残念ながら存在する。
その変えられない状況が、今のこの状態なのかもしれない。
鼓動が波打つ。短いリズムで吐き出される呼吸に合わせ、視界が砂嵐からブラックアウトへと移っていく。
リヒターの声が次第に遠く、小さくなっていき、次第に聞こえなくなっていく。視界の上半分が、薄暗くなる。
瞳だけを閉じてはいけないのに、一条の意思に反して、瞳はゆっくりと、閉じようとしている。
「リヒ……ター……」
声が出ない。腫れているのか、喉がジンジンとしていて気持ちの悪い痛みを感じる。
それでも一条は、腹の底から声を絞り出そうとする。一応声は出る。だがその声が掠れており、自分でも聞こえるかどうか分からない位、か細い声だ。
全身を走る痛みと、豪雨による冷たさと寒さ。駄目だ、もう……立ち上がれない。とうの昔に肉体は事切れていたのかもしれない。逆に言えばここまで良く持っ……。
……馬鹿。緩やかに堕ちていく意識下の中、一条は自分を叱る。
まだ、諦めちゃいけない。一条はあと数メートル歩ければ助け出せるリヒターの元へと歩いてくる化け物――――――――ゼノクレスを睨んだ。
ゼノクレスを睨んでいる一条の目付きは、ゼノクレスとの戦闘を始めた瞬間よりも増して、別人の様だ。
遥と愉しい時間を共有していた、ほんわかとした穏やかで可愛らしい雰囲気は微塵も無い。
そこには目の前の敵に打ち勝たんとする、純粋な闘志と殺気、そして、諦める事を絶対に良しとしない、言うなれば――――――――狂気に溢れている。
狂気と表現はしたが、決して一条はその言葉通りに気が狂っている訳ではない。
一条は自らの中に、とある座右の銘を強く留めている。その内容とは、諦めるという行為は、ありとあらゆる全ての可能性を捨てる、という物だ。
例え他者から不可能と、無茶で無謀と言われそうな事でも、一条は持ち前のど根性と機転、そして積み重ねてきた努力と実力で乗り越えてきた。
いや、乗り越えていかねばならない、と思う。そうしなければ、師匠と呼ぶあの人の居る場所まで辿り付けないから、と。
その諦めの悪さは、傍から見れば狂気、と思われても仕方が無いかもしれない。だが、どれだけ傷ついても、どれだけ困難な状況下に陥ろうと、一条は戦う事を諦めない。
一条は常々思う。諦めないという狂気の末に、眩い光が見えてくるのだと。その光に名を付けるとするなら―――――――。
「リヒ、ター……!」
少しだけ、精神が上向きになったからか、一条は気付く。
ほんの僅かだが、右足、いや、両足が動く。両足を擦ってちょっとづつ、少しづつ、一条はリヒターの元へと這っていく。
どう考えても間に合わない速度。だが、僅かでも可能性を捨てる事はしない。腹の底から吐きそうになりながらも、一条は声を出す。
「リヒタ―……!」
その時、ブシュ、と紐を乱暴に千切ったかの様な短い音が聞こえた。
一条の視界が何故だか下を向く。赤黒い斑点が地面に一つ、二つと、雨に滲んで出来ている。
まさか、と思いながらも、殆ど動かない腕を無理やりにでも動かして、掌で額を探る。
ゼノクレスに刻まれた額の傷跡が開いているのか、掌が赤黒くべったりと濡れていた。嫌悪感を抱く生温かさが、鼻筋を濡らした。
寒さと痛みの次に訪れるのは、虚脱だ。一条の体から急激に力が抜けていき、瞳が閉じて完全に視界が黒く染まる。
一条は自分の体が自分の身体ではない様な、不可思議な感覚に囚われる。どうしようもない違和感が駆け廻る。
一条は立ち上がるどころか、起き上がる事さえもままならず、雪崩れる様に倒れる。
必死に意識を保とうとするが、瞼は一条の意思など聞かず、閉じたまま開こうとしない。このまま永遠に開かない様子すらある。
……嫌。嫌だ。何も出来ず、このままリヒターを失うなんて、絶対に嫌だ!
しかし一条の思いとは裏腹に、唯一死んでいなかった聴覚は、リヒターの声はおろか、煩く鬱陶しい雨の音さえも、聞こえなくなっていた。
頭の中で、絶対過ぎってはいけない、過ぎりたくなかった二文字の言葉が過ぎる。
絶望。
絶望、それだけはしないと、一条は常に誓っていた。いかなる危機的状況に立たされようと、それだけはしない様にしようと。
けれど酷な事に、一条の体は指先一本ですら、動かす事が出来ない。このまま、リヒターが破壊されるのを見る事すら出来ないまま、人生を終えるのか。
視界も意識も真っ暗闇の最下層へと堕ち、一条の思考も後を追おうとする。けれど……だけど……まだ……まだ、と、掻き消されそうな自我が、消えそうな蝋燭の様に揺れる。
死ぬ寸前だからだろうか。一条の閉じた意識の中で、映画の様に自分が辿ってきた過去がぼんやりと蘇ってくる。
旅の途中で一つ目に襲われた事、リヒターとの出会い、師匠との出会い、やおよろずとの出会い。機械人形殺しという得体の知れない奴との対決、アンサラーとの大立ち回り……。
本当にどれもこれも大変な、けれど素晴らしく、最高の思い出だった。色々な人達と出会い、色々な経験をして、そして……。
妙な事に、一条の思考は閉じない。それどころか、一条の中で消えようとしていた闘う意欲が再び燃えてくる。小さな炎だが、その実、簡単には消えない炎が。
連動するかの如く、心の奥底で燻っていた諦めないという思いが再燃し始める。どうあがいても絶望的な状況下。状況下、だが――――――。
全ての希望が絶たれて、打開策も何も無い。けれど、だからこそ私は―――――――。
私にはまだ、会わなきゃ……いけない人がいるんだ。私にはまだ……やらなきゃいけない事があるんだ。だから……。
一条の眼が、見開く。
こんな所で……死ねるか!
どこに眠っていたのか、一条は出せるだけの力を振り絞りながら、沈黙していた体を奮わせて起き上がる。
起きろ、起きろ、起きろ、起きろ! 起き上がりながら下唇を強く噛み、意図的に血を流す。その痛みだけが唯一、死んでいた意識を覚醒させる。
とうとうリヒターの目前へと着いたゼノクレスが、カギ爪を振りかざす。間に合え……間に合え!
次の瞬間、一条の背後から、壁面が粉砕する、重く響く衝撃音が雨音に混じって聞こえてきた。
その衝撃音に驚嘆し、一条が振り返る間もなく。
一条の真上を巨大な何か、人の形をした巨大な何かが優雅に飛んでいく。
降り続く雨が時間が停止したかの様にゆっくりに見える。一条を真に驚かせたのは、その何かが次に取った行動だった。
何かはカギ爪を振り下ろすゼノクレス目掛けて曲線状に落下しながら、右足を勢い良く叩きこんだ。
その飛び蹴りの威力は非常に高く、ゼノクレスはその巨体を持ってしても衝撃を受け止めきれない。地を荒く抉りながら後方へと吹き飛ばされて、そのまま突っ伏した。
何かが曲芸の様に空中で一回転すると、音も出さず静かに着地する。何かの両手には静謐な光を鈍らせる、研ぎ澄まされた刃が特徴的な直刀が握られている。
一条は額から細くも止めどなく流れてくる血を掌で止血しながら、痛みを押して立ち上がる。足の感覚がギリギリ、残っている。
立ち上がった瞬間、呼吸が一瞬淀み咳込むと、少量の血が掌に滲む。ありとあらゆる部位が駆けずり回りたくなる程痛い。しかし、不思議な事に辛さを感じない。
さっきまで頭の中を支配し、束縛していた絶望という二文字は既に消えている。そして、一瞬でも浮かんでいた諦めるという心境も無くなっている。
自分でもこの諦めの悪さは何なんだろうかと、一条は思う。されど、この諦めの悪さを改める気は無い。
狂気と言われようが、一条は諦めない事を諦めない。絶対に、諦めない。諦めれば、苦しみの先にある可能性が閉じてしまう。
必要な――――――――諦めが悪いという狂気の末に光が見えてくる。その光の名は―――――――。
奇跡、という。
××××××
違和感の正体に辿り着く寸前、行く手を阻む壁面を斬り払い、シュタムファータァと俊明はようやく、違和感の正体と対面する。
シュタムファータァ、紫蘇はこの屋上に来る際に、違和感の正体が一つから三つに増えた事に不安を覚えていた。
もしもその三つともが、セカイに仇名す存在だった場合、対処出来るかという事に。しかし、実際に対面するとその不安は杞憂であった事が分かる。
突如として増えた二つの違和感は、どちらも敵……では無かった。無論、味方とも言い切れないが。
まず一つは、禍々しいカギ爪と、アンバランスな風貌が不気味な、巨大ロボット。これが敵となる存在なのだろうと、シュタムファータァは直感し、攻撃を仕掛けた。
そのロボットは言わずもがな、ゼノクレスである。残りの敵では無い方……なのだが、一つはどこにいるのか分からない。存在を消しているのだろうか?
そしてもう一つは……これはあまりにも意外な正体で、シュタムファータァも中に居る俊明もただただ、驚いていた。
着地した後、シュタムファータァはその意外な正体へと、声を掛けた。
『……貴方、いえ、貴方達が、私が感じていた違和感の正体だったんですね』
シュタムファータァを通じた、俊明の目には自分を見上げている、顔馴染みの先輩―――――――神守遥に酷似した少女、一条遥の姿が映っている。
俊明は事態が全く飲み込めずに、目を丸くしている。なぜ、こんな所に神守先輩が居るのか。そして何故、神守先輩は服も体も凄くボロボロなのか。
全く事態が飲み込めい。訳が分からない。まぁそれ以前に、シュタムファータァが壁をぶっ壊して出てきた瞬間に蹴り飛ばしたアレも何なのだろうか。一先ず敵である事は分かる。
敵である事は分かるが、なら何故神守先輩を襲ったのか。そもそも正体は何なのか。俊明の頭はパンクして今にも爆発しそうだった。
僅かでも事態が好転した事に安堵したのか、一条がささやかな笑みを浮かべて、シュタムファータァと俊明に喋り掛ける。
「……凄いナイスタイミングで助けてもらったね」
そこで一旦、一条は言葉を区切り、笑みを消した。
真剣な面持ちとなり、シュタムファータァ、そしてシュタムファータァの中に居る俊明に向かって、言い放つ。
「シュタム、ファータァ。それに……安田俊明君」
一条の発した台詞に、俊明とシュタムファータァは呆然としながらも、至極馬鹿正直な疑問を一条に投げかけた。
『……私の名を何故貴方が?』
「その声……先輩? 何で先輩が、こんな所に?」
長くなるだろうが……いや、簡潔に事の次第、自分達の正体をこの一人と一機に打ち明けようと一条は思い立った。
だが、一条の決断よりも早く、ゼノクレスが立ち上がり、シュタムファータァをカメラアイに捉えながら態勢を整える。
両脚部から黒煙の如き粒子を、爆風の様に撒き散らしながらカギ爪をかざして突撃してくる。
一条はシュタムファータァの背後から急接近してくるゼノクレスを見、ありったけの声量で叫んだ。
「後、気を付けて!」
一条の叫びに俊明はハッとすると、シュタムファータァに指示を下した。
「後ろだ、シュタムファータァ!」
『分かりました!』
シュタムファータァは素早く振り向きながら両手に持つ直刀、白鳳、銀凰の内、右手の銀凰を上方へと掲げた。
正面から臆する事無く、瞬時に押し潰さんと振り下ろされたカギ爪を受け止める。熱き火花が衝突しあう刃と刃の間で踊り狂う。
ゼノクレスは只カギ爪を振り下ろすだけでなく、自らの重量を上乗せする事で圧力を掛けている様だ。故に、シュタムファータァは動けない。
「どうにかコイツから距離を取れないか?」
俊明が若干焦りの色を浮かべた音色でそう聞いた。俊明だけでなく、シュタムファータァもどうにか、ゼノクレスから距離を取りたいと思っている。
しかし、ゼノクレスとシュタムファータァの距離は目と鼻の先、非常に密着しており、左手の白鳳で斬り付ける事も突き刺す事も出来ない。
刃というより、刀自体の長さが仇となってしまった。かといって銀凰を離して即座に次の攻撃に移れるほど、機動性に自信が無い。
どうする……どうすれば、この窮地を脱する事出来るんだろう。シュタムファータァにも焦りが浮かぶ。
気付くと両足が地面に軽く減り込んでいる。このまま力比べした所で、いづれ根気負けするのは目に見えている。
一度大きく距離を取り、ニュートラルな距離を取れれば……。けれど下手に動けばゼノクレスに有利な方向に傾く。
「シュタムファータァ! 足を狙って!」
一条のその一声に、俊明は気付く。そうだ、身動きが出来ない距離なのは、奴も同じだ。
人間同士が取っ組みあい、互いに身動きが出来なくなる寸前に取るべき行動は何か。俊明の中で答えが導き出される。
俊明はゼノクレスを見据えながら、シュタムファータァへとその答えとなる指示を繰り出した。
「膝を蹴り上げるんだ、シュタムファータァ! 早く!」
『足……ですか?』
「そうだ! 思いっきり蹴ってやれ!」
俊明の助言に、シュタムファータァも気付く。確かに上からの攻撃を防ぐのに夢中で、下がほぼがら空きな事にまるで気付いていなかった。
白鳳を扱えないほど短い距離だが、逆を言えばそれ以外の攻撃なら当たるほど必ず当たるほどに短い距離である。
何故こんな簡単な事が気付かないのかとシュタムファータァは少しばかり情けなくなるが、好機を与えてくれた一条と俊明に感謝する。
だがチャンスは一回。ただ単に蹴るだけでは大したダメージは与えられないし距離も取れない。ならば……。
『はぁっ!』
ほんの一瞬だけ、銀凰を持っている手の力を緩める。その隙を逃さんと、ゼノクレスが全力で押し潰しに掛かる。
その一寸、シュタムファータァは銀凰を滑らせながら前方へと体を突き動かして、ゼノクレスの左膝に向けて膝蹴りをぶつけた。
予想だにしない攻撃にゼノクレスが怯んでバランスを崩す。ニ発目といわんばかりに、右足で頭部を蹴り付ける。
「今だ! シュタムファータァ!」
『斬ります!』
両足に力を込めて、天高く飛び跳ねる。シュタムファータァは白鳳と銀凰を交差させながら、落下していく。
ゼノクレスに防御させる間も与えず、着地するまでにシュタムファータァはゼノクレスの腹部へと交差させたニ刀を斬り付けた。
だが、浅い。その攻撃は決定打にはならず、ゼノクレスの腹部に薄く罰印の傷を付けた、だけだった。
「くっ……届かなかったか」
『距離が足りなかったですね……』
「だが……一先ず奴から離れる事が出来た。これからだ、これから……」
息つく間もなく、ゼノクレスがカギ爪を振るわして、着地したシュタムファータァへの反撃を開始する。
リヒターは既に経験しているが、このゼノクレス、その外見に反して非常に機動性が高く、そう簡単に攻撃を当てられる相手ではない。
備われた大型スラスターを巧みに切り替えながら、ゼノクレスはシュタムファータァの攻撃を右方に避け、左方に避け、後方に避けながら紙一重で渡り合う。
一方、シュタムファータァも容赦無く白鳳と銀凰を斬り込む。しかし、ゼノクレスはまるで攻撃を読んでいるかのように回避し続ける。
その頃、一条の精神、意識が大分元に戻ってきた。あれほど麻痺していた肉体の感覚は少しづつ戻ってきており、死にそうなほどの痛みも徐々に引いてきた。
視界も……いや、視界は正直危ない。というのも、額から血が流れ続け全く止まらないからだ。まずはこれを止めないと確実にさっきの二の舞になる。
一条はふらつきながらも歩き出し、目の前に転がっているリヒタ―をこの手に、取り戻す。
<マスター……御無事でしたか>
「ごめんね、リヒタ―。こんな情けない……マスターで」
<……マスター、血が!>
「大丈夫、すぐ、止める、から……」
リヒターを取り返した事でゼノクレスが真っ先に狙ってくるかと思うが、意外にもゼノクレスはシュタムファータァとの戦闘を優先する様だ。
一条は気付かれぬ様、なるべく早足で出入り口へと駆ける。俊明とシュタムファータァに一度戦線を離脱する事を話すべきかとは思うが、恐らく言わなくても分かって貰えるだろう。、
だが、やはり気付いたのだろう、ゼノクレスが出入り口へと向かう一条の方を向いて方向転換しようとする。
『貴方の相手は私です!』
そう言いながら、シュタムファータァが横一文字に銀凰を振り払う。ゼノクレスはその攻撃に機体ごと若干オーバーな程に後退する事で回避する。
巨体のイメージに反する身のこなしに、シュタムファータァは長期戦は免れないかと思う。これで巨体通りのパワータイプならまだ闘いやすかったのだが。
只でさえカギ爪が面倒なのに、機動性の高さも兼ね備えているとは、本当に面倒で厄介な相手だ。早急に勝負を決めたい……が。
シュタムファータァは一条へと頭部だけを向けて、伝える。
『これの相手は私達が引き受けます。貴方達は戦える状態になるまで離脱してて下さい』
一条はシュタムファータァの言葉に足を止めて振り向く。そして深く頷くと、一言。
「……ありがとう。必ず戻ってくるね」
と答えて、出入り口へと走り出した。その間にも、シュタムファータァはゼノクレスと戦闘し続ける。
だが、正直今の状態は不利といってもいい。ゼノクレスは全く隙を見せてこないからだ。ただ避けてくるだけではなく、当たれば致命傷になりそうな攻撃も仕掛けてくる。
だからシュタムファータァは避ける事にも精一杯になり、これでは何時まで経っても決定打が与えられず、時間稼ぎにしかならない。
何か決定打を……状況が変わる方法が無いか? 俊明の握っている掌に汗が滲む。と、とある事に俊明は気付く。
「なぁ、シュタムファータァ。何か気付かないか?」
『何です?』
「こいつ、カギ爪じゃない方の腕を全く使って来ないんだ。それに、意図的にその腕が攻撃される事を避けてる様に見える」
シュタムファータァは俊明の言葉に、今までの戦いを思い返す。
確かにゼノクレスは右腕のカギ爪ばかりで攻撃して来て、もう片方の左腕、不自然なほどに細い、まるで人間の腕を模した様な左腕は全く使って来ない事に
何か秘密があるのだろうか。触れられたくない秘密が。そう考えると、シュタムファータァはどうしても試してみたい、とある行動を思いつく。
『……ヤスっちさん。私』
「シュタムファータァ、頼む」
「左腕への攻撃を試して貰えるか? あれが何なのか知りたいんだ」
……どうやら全く同じ事を考えていた様だ。
××××××
所変わり、ショッピングモールの一階、様々な物が錯乱し、警備員すらいなくなり閑散としたロビーで、二人は対峙する。
この物語の主人公である神守遥は、一条の心からの忠告を聞き、今すぐにでもモールから逃げようとしていた。
だがその寸前、妙な男に名を呼ばれ足を止めた。すらりとした長身に、俳優ないしはモデルかと思うほどに顔が整った、赤い髪の毛が特徴的な奇妙な男に。
その男は右肩に妙なケースを背負っていた。一応形はギターケースの様……だが、あくまでギターケースを模したケースだ。薄っぺらく、ギターが入るとは思えない。
「神守、遥だな?」
男は遥の名前を正確に言い当てると、名前を呼ばれて呆然とつっ立っている遥の元へと歩いてくる。
「何で……私の名を?」
足を止めて立ち止まってしまった遥は、男にそう聞いた。しかし男は遥の質問に答えない。
何も言わずに、男は遥の方へと歩いてくる。遥は明らかに不審者だと思い、頭では早く逃げないと、思っている。
思っている、が、不思議な事に足が動かない、動いてくれない。見た事も会った事も無い、本当に他人である男から呼び掛けられた事に恐怖を感じている為か。
いや……それも違う。それなら足が震えてたリ鼓動が速くなる筈。しかし、それらが無いという事は……いや、どういう事なんだろう。呆気に取られ過ぎて何も考え付かない。
とにかく、遥の足は止まっていた。何故かは、遥にも分からない。男が遥の目前で足を止めた。
男は右肩からケースを外すと、ずいっと無遠慮に、遥に渡してきた。
「宅配便だ。神守遥宛に。何も言わずに受け取ってくれ」
「宅配便……って、はいぃ?」
状況がさっぱり理解できずに遥が頭に巨大な疑問符を浮かべていると、男は軽く溜息を吐いて、ぶつぶつと独り言を言う。
「だから嫌だっつったんだ……只の不審者じゃねえか、これじゃあ。何考えてんだあいつ……」
呆然としていた遥だが、ハッとすると恐る恐る、男に聞く。
「あ、あの……どういう事なんですか? 何がなんだかさっぱり分かんなくて……」
遥の質問に、男は髭をポリポリと指先で掻くと、淡々とした口調で言う。
「だろうな。けど、どうしてもこれをアンタに受け取って貰いたい奴がいてな。それで俺が運び屋となって、アンタに渡しに来たって訳だ」
男のその言葉に、遥の顔つきが変わる。渡したい……人?
一先ず分かった事は、この目の前に居る赤毛の男はどうやら、自分にケースを手渡す為にここに来たようだ。
そにしてもおかしい。今とんでもない事がこのモールで起こっているのに、何でこの人は平然としているんだろう。そんなに肝っ玉が座ってる人なのだろうか……。
いや、そんな事、今はどうでも良い。まず、ケースの中身は何なのか、それ以前に誰がこの男に宅配……まぁ宅配か。ケースの宅配を頼んだのだろうか。
それを聞けないと、遥はまず、ケースを受け取る気にはならない。ならないし、なれない。
「なら……教えて下さい。その、貴方に宅配を……ううん、私にケースを渡したい人って誰なんですか?」
遥の質問に、男はそうだなぁ……とめんどくさそうな素振りを見せる。素振りを見せる、が。
「本来は守秘義務で依頼人の名は言えねえんだが……ま、そう言ってられる状況でも無いわな」
「もう会ったよな? 一条遥には。その一条遥の師匠が、アンタにこれを渡して欲しいと依頼して来たんだ」
―――――――遥はポカン、と口を開けた。師匠と言えば、一条さんがあれほど熱心に話していた、あの人……師匠が、私に?
「弟子に当たる一条遥が窮地に陥った時に、神守遥。奴によるとアンタの助けがどうしても必要らしい。
その為にも、コイツがアンタにとって重要な道具になるんだと。だからさ、受け取ってくれ」
「えっ……でも私……その……」
遥はどう答えていいかに困惑する。助け? 助けって何? 遥は自身が本当にただの一般人で、普通の人間でしかないと痛感している。
だからこそ、突然襲ってきたあの怪物の前で何も出来なかったし、一条さんの……一条さんの力にもなれず、こうして逃げる事しか出来なかったというのに。
そんな私が出来る事って何? こんな非力な私に、一体何が出来るの? 今さっき、そういう現実の前に何も出来ず、逃げてきた、ばっかりなのに……。
「まぁ何だ、受け取ってくれるだけで良いんだ。それで俺の仕事は終わりだから」
「こ……」
遥は男から目を伏せて、深く俯く。俯きながら、吐露する様な、苦しげな声で、言う。
「困り……ます。私は……ただの……」
何故だろうか、遥は無意識に両手を強く握っていた。何故だろう。何も、何も出来ないって、分かっているのに。
凄く、悔しい。情けない。
「私は只の……一般人です。そんな事を、託さ……託されても……無理、です」
遥は頭を下げる。下げて、男がいなくなるのを、待つ。
「ごめん……なさい」
しかし、遥が頭を下げ続けても、男はいなくならない。ケースを遥に差し向けている。ずっと。
遥は顔を上げる。……男の視線はある一点を見ている。一体何を見ているんだろう……と思っていると、その一点を見ながら、男は言った。
「本心か? それ」
突拍子もない男のその言葉に、遥は意表を突かれる。
「え?」
男がその一点から、遥に顔を向ける。男は遥の目を見つめながら、言葉を紡ぐ。
「俺は探偵って職業柄、自慢じゃないが人間観察には長けててな。本心を隠して嘘を吐いてる人間ってのは、どこかしらにバレる仕草をしてるもんだ。
本当に一条遥がどうでも良いと思うなら、何で強く拳を握ってるんだ? 本当は助けてやりたいんじゃないのか」
男はそこで、今までの淡々とした口調から一転、凛とした強い口調で、遥に言った。
「一条遥をな」
気付けば、遥は強く握っていた拳を解いていた。男に言われるまで気付かなかったが、遥は無意識に両手を握りしめていた。
本当はどうしたいの? 何がしたいの? 遥は自分自身に問う。自分が今したい事、やるべき事は何なのか。今、何を成すべきなのか。
自分に嘘を吐く事? 一条さんを……見捨てて逃げる事? 違う……私が本当にしたい事は……。
私が本当にしたい事は、そういう事じゃない。
解けた両手で、男からケースを受け取る。男は遥にケースを手渡す。
「取りあえず俺の仕事はここまでだ。後はアンタ次第。つっても……」
遥の表情を見、男は微笑する。初めて、男が感情を表に出した気がする。
「もうやる事は決まってるか。じゃあな」
男は遥の横を通り過ぎて出口の方へと去っていく。遥は振り向いて男に何か言おうとは思うが、何を如何言えば良いか迷う。
良く分からないし、一体何者なのかは分からない。正直今でも凄く怪しい人だは思う。けど。
けど、逃げ腰になっていた自分を目覚めさせてくれた。只、それだけでも、会えて良かったと思う。
「……ありがとう」
遥はこちらを振り向かずに次第に遠くなっていく男に大きな声で、言った。
「ありがとうございます! おじさん!」
男が足を止めて、遥へと振り向く。
男は髪の毛を掻きながら、呆れ気味な口調で、遥に言った。
「悪いが俺はおっさんじゃねえ、お兄さんだ。OK?」
××××××
出入り口へと入った一条は、階段まで歩くと、ゆっくりと腰を下ろした。寒い事には変わりないが、雨に濡れないというだけで妙に心が落ち着く。
シュタムファータァとゼノクレスが雨の中で戦っている音が聞こえる。どちらが優勢かは音だけでは分からないが、何にせよ早く復帰しなければ。
束の間、本当に束の間の休息ではあるが、心を落ち着かせて次の戦いに備える。備えながら、一条は思う。
アレをこの世界に連れてきたのは半ば、私のせいだ。私という存在がこの世界に来なければ、恐らくアレがこの世界に来る事も無かった。
そして何より……この世界の私を、戦いに巻き込んでしまった。ならケリは、私の手で付けなければならない。
大分体力が回復してきた。やはり精神的にプラスの状態になれば、肉体もそれに合わせてくれる様だ。
すると一条は何故か、ワンピースの裾を掴んだ。
「ごめん、神守さん」
そう呟いて、一条はワンピースの裾を力一杯に破く。ギリギリ、下着が露出するかしないか程度の丈にまで破くと、雑に切られた長い一枚布が出来た。
一条はその布を、雑巾の様に絞って水を出して、頭部に鉢巻きの如く巻いた。非常に乱暴な手段ではあるが、これぐらいしか血を止める方法が無い。
意識も視界も思考も停止していない。足も腕も感覚があり、決して負ける気もしなければ、ネガティブな発想も浮かばない。
立ち上がってみると、膝は震えていない。だけど久々に、本当に久々に戦う事に恐怖を抱いた気がする。
けれどきっと、次で最後だと思う。次で決着を決められなければいけない。一応立ち上がれてはいるけど、長期戦が出来る程体力は残ってない。
と、一条はとある事を思い出し、ワンピースに備われているスカートのポケットに、手を差し伸ばす。
ポケットから手を出すと、指先に何か挟まっている。カードだ。トランプ程度の大きさのプラスチックで出来ているのか、固い材質のカードだ。
「……使えるかな、これ」
そのカードは、この世界に渡る前に、とある女性から託された道具だ。
その女性から、もしもシュタムファータァと安田俊明に出会う機会があったら、使ってほしいと託されたのだ。
一条はそのカードを口元へと寄せる。そしてカードに向けて、こう言葉を発した。
「トランス……インポート」
瞬間、カードが一条の掌からうっすらと煙の様に消失して、代わりの別の物体が掌に召喚された。
一条の耳がすっぽりと入りそうな位、大きなヘッドフォンだ。しかし奇妙な事に、そのヘッドフォンには機器に付ける為のコードなどは見当たらない。
一条はそのヘッドフォンを躊躇せずに耳に被せた。じっと、一条は目を閉じて意識を集中させる。
――――――――通った。
<聞こえる? 安田君>
××××××
男がいなくなった後、遥は受け取ったケースをじっと見つめる。こうしてみると本当にギターケースっぽいケースだ。
片手で軽々持てるのだから、中に重い物は入っていないと思う。……中を覗こうか。けど何か、怖い。
けれど開けなければ……。遥は意を決して、ファスナーに手を掛ける。一体何が入っているのか……ドキドキして手が震える。
……駄目。遥は強く首を横に振り、弱い考えを浮かべていた自分を振り切る。
受け取った以上、もう後戻りはしない。遥は目を瞑って、えいっと、ケースのファスナーを一気に開けた。
開けて、恐る、恐る、閉じていた目を開く。その中身に、遥は目を丸くした。
そこには見覚えのある、というか馴染み深い、部活でいつも扱う道具が入っていた。手を突っ込んで、それを取り出してみる。
それは、弓だ。それも間違いなく、遥が普段使っている弓だ。その証拠に神守遥と名前が彫られている。もっと探ってみると、数本の矢が入っていた。
あの人……学校に盗みに行ったの? そう思うと遥は少しばかり良心の呵責に囚われる。自分の物とは言え窃盗した物を……。
というか、こんな弓と矢で一体何が出来るのか……深刻な事態だろうに、何だか遥はどっと脱力する。
とはいえ、一条さんの師匠さんはこれが必要だと踏んで、私にあの人を通じて渡しに来たんだ。
ならきっと意味がある筈。というか、今はそんな事を考えている場合じゃない。一刻も早く、一条さんの元へと向かわねばいけない。
だけど一条さんはどこにいるのか……。既にここにはいないかもしれない。
そう思うと、遥はどうしようもない心境が蘇ってくる。弱気になってしまってはいけないと思いながらも、再び現実が立ち塞がる。
でも諦めればそこで終わりだ。考えなきゃ、どうにか一条さんの場所を知る為の方法を……!
その時だった。遥の脳裏に、数十分前の、平穏な日常を謳歌していた頃の記憶が蘇る。その記憶は―――――――。
××××××
大きく口を開けて、一条はパクリとアイスをほおぼっては、幸せそうに笑う。
そんな一条を見て、遥はアイスを買って良かったと思う。いつもよりずっと、アイスが美味しく感じる。
「あ、神守さん」
一条が遥に呼び掛ける。
「何?」
「ちょっとアイス食べるの待って」
一条にそう言われ、遥は一旦アイスを食べる事を止める。一体何をするんだろう、と遥が楽しみにしていると。
一条は三段目のチョコチップアイスをほおばった。遥が買った方のアイスにチョコチップアイスは無い……が。
その時、遥の下にチョコチップアイスの食感、味がほんのりと浮き立ってきた。
「えっ? あれ、私が今食べたのバニラ……」
「驚いた?」
驚いている遥をニヤニヤとした顔で見ている一条。
「昨日説明した、感覚を共有するってのを今やってみたの。
こうやって、同じ世界にいる同一人物同士は、味覚や聴覚や視覚を共有できるんだよね。だからこう……」
「……ごめん、何か話が難しくって忘れちゃった」
「良いよ別に。凄い驚いたよ、一条さん」
「なら良かった。驚かせたかったから」
別におかしくもないのに、二人はまた笑った。
××××××
……そうだ。
遥は思い出す。買ってきたアイスを使って、一条が分かりやすく感覚共有の説明をしてくれた事を。
同じ存在が同じ世界に居る場合に行う事が出来る、視覚や聴覚、嗅覚といった五感を共有出来る能力―――――――それが、感覚共有だと。
なら、一条さんが食べているアイスの味を私の舌に伝達させた様に、私もその応用が出来るんじゃないかと、遥は思う。
遥は強く口を結ぶ。そして目を瞑ると、精神を集中させる。一条さんの様に、同じ「遥」ならば……出来る、筈だと。
淀んでいた精神が、水面の様な静かで落ち着き払った心境へと還る。そして―――――――。
遥は、カッと目を開き、声を出した。
「感覚―――――――共有!」
次の瞬間、遥の視界、目の前の光景が、閑散としたロビーから、瞬く間に全く違う光景へと変化した。
薄暗く湿っており、一面を灰色のコンクリートで覆われた場所。一体何があったのか、目の前の壁が粉々に破壊されていて、その先に何か見える。
そこに見えるのは、土砂降りの雨の中、凄まじい戦いを繰り広げている二体の巨人。片方は……日常を木端微塵に破壊してくれた、忌々しいあの怪物。
その怪物と戦っているのは……白い巨人。一見怪物の仲間かと思ってドキっとしたけど、不思議な事に遥はその白い巨人が敵とは思えない。
……待って。何となくここって見覚えが……もしかして、屋上?
今、視えているこの光景は一条さんが見ている光景なの? と、いう事は今、一条さんがいる場所は……。
ふっと、気が抜けて、神守はぺたんとその場に座った。ただ視覚を共有するだけでこんなに疲れるとは思わなかった
元に戻ったのだろう、再び閑散としたロビーが視界に映る。まさか本当に出来るとは思わなかった為、妙な感動を覚える。
遥は上を見上げる。屋上に向かう途中まではエレベーターは使えるが、こんな事態だ。きっと停止していて乗る事は出来ない。エスカレーターも同様。
ならばどう向かえばと言えば単純に階段で昇っていく他ない。屋上まで行くのは体力上、案外ハードだ。
だが、一度やるべき事を定めた遥に迷いは無い。遥は全速力で、屋上へと走り出す。
その心に恐怖も、不安も、迷いも無い。遥は自らの意思で、屋上に居るであろう、一条遥を救いに行くのだ。
例えどんな困難が待ちうけようと、絶対に屈しない。遥は、思う。
今動けないのなら、私は一生、変われない。 変わる事が、出来ない。
××××××
俊明と考えが一致した事が何か嬉しいと思いながらも、シュタムファータァはゼノクレスの左腕をどう攻めれば良いかを考える。
俊明に言われる前から気付いてはいるが、ゼノクレスは常に、左腕に触れられない様に動いている。それほど重要なのだろうか、その左腕は。
回り込もうとしてもその都度、ゼノクレスは方向転換して正面を向いてしまい、カギ爪で防がれてしまう。
どうにかカギ爪を封じて動きを止める方法が……ある。一つだけ、妙案が浮かぶ。
……しかしその案の成功率は正直かなり低い。もしもゼノクレスが予定通りに動いてくれなければ、油断を曝す事になる。
しかし。いい加減勝機を見いだせなければ、何時まで経ってもこの状況は変わらない。虎穴に入らねば、虎児は得られない。
『ヤスっちさん』
シュタムファータァはその案を実行する前に、俊明に伝える。
「何だ?」
『私に一つ、考えがあります。試してみても、いいでしょうか』
「構わんさ。任せるぜ、シュタムファータァ!」
白鳳と銀凰を大きく両腕を広げて構い直しながら、シュタムファータァは後方に滑走する様に後ずさる。
何かを感じ取ったのか、ゼノクレスも後ずさり、互いに距離を開ける。真正面から、シュタムファータァとゼノクレスは互いを見据え合う。
張り詰めた緊張感が空間を制する。どちらが先に踏み込むか――――――――。
『参る!』
先に踏み出したのはシュタムファータァだった。銀凰をまっすぐに突き付けながらゼノクレスへと疾走する。
ゼノクレスは回避が間に合わないと判断したのか、その場から動く事無くカギ爪を静かに構え、シュタムファータァを待ち構える。
一向にスピードを緩める事無く、地に荒々しい痕を刻みつけ、雨風を纏いながらシュタムファータァはゼノクレスに向かって突貫する。
後一寸、銀凰がゼノクラスのカギ爪目掛けて突き刺さらんとする、数メートル前。
殆ど一瞬の動作で、シュタムファータァは器用に手首を回して、銀凰を逆手に持ち変えると地面に突き刺した。
予想を裏切られたのか、機敏に動いていたゼノクレスの動きが初めて止まる。どうやらシュタムファータァの読みが当たったようだ
ゼノクレスの動きが初めて止まった瞬間を、シュタムファータァは見逃さない。
『捉えた!』
刹那、シュタムファータァは一回転しながら白鳳を両手に持ち変え、ゼノクレスの懐に急接近する。
ゼノクレスに動きは無い。狙うはその―――――――左腕。
『斬り裂け、白鳳!』
頭上高く白鳳を構えて、シュタムファータァはゼノクレスの左腕へと振り下ろした。これでゼノクレスの左腕は一刀両断される……筈、だった。
『なっ……』
ゼノクレスの左手は、平然と白鳳を鷲掴みしており、微動だに動かない。どれだけシュタムファータァが抵抗しても、寸分も動く気配がない。
それだけではない。その左手からは、蟲の様に蠢く黒い粒子が白鳳を侵食していく。そのスピードは速く、柄にまで到達しそうだ。
凄まじい危険を感じて、シュタムファータァは惜しいと思いながらも即座に白鳳から両手を離し、突き刺さっている銀凰を抜き差して後ろに下がる。
ゼノクレスの左腕、否、左手の中で、錆びる事も、朽ちる事も無かった白鳳が、黒く、消し炭の様な姿になり、やがて滅した。
『そんな……そんな、馬鹿な事……!』
「……おいおい、反則じゃねえか? アレ」
目の前の光景にシュタムファータァと俊明は絶句しながらも、今まで謎であったゼノクレスの左腕の能力に付いて知る事が出来た。
どんな原理かは分からないが、あの左腕、左手は触れた物体を侵食し、消滅させる事が出来る様だ。先程の白鳳を見る限り、掴んだり触れたりしたモノを瞬く間に、だ。
だが、貴重な兵装の一つである白鳳を失ってしまった。得た物の代わりに失った物が大きすぎる。
「すまん、シュタムファータァ。俺が阿呆な事を提案したばかりに」
『ヤスっちさんのせいではないですよ。私も知りたかった事ですし……けれど』
兵装が銀凰だけとなってしまった。銀凰を両手に持ち変えて、ジリジリと距離を取る。
右腕は獲物を喰らい殺す鬼のカギ爪、左腕は獲物を消滅させる死神の手。どちらにしろ、迂闊に手を出せばタダでは済まない。
何か飛び道具、遠・中距離に対応した兵器でもあればいいのだが、あいにくシュタムファータァの兵装にそんな物は無い。
延々と止む事の無い雨の中、その雨水に濡れているシュタムファータァの姿は、まるで汗が滲んでいる様に見える。
中にいる俊明の額から一筋から、いや、手の甲や頭からも冷や汗が垂れる。熱い訳ではない。状況が悪くなった事に対する、正直な反応だ。
あちら側にはこちらに深手を負わせられる攻撃手段が二つもある。だが、こちらには刀が一刀あるだけ。
どうする……どう戦う? 俊明の中で焦りが不安へと化す直前。
<聞こえる? 安田君>
聴き馴染みのある声が突如、俊明の頭に響いた。
「うわっ!」
突然響いてきたその声に、思わず俊明は驚きのあまり大声を出した。
『ヤスっちさん!? どうしたんですか!?』
俊明の叫びにシュタムフータァが慌てて反応する。俊明はい、いや……気のせいだ、と自分自身を落ち着かせる様な口調でシュタムファータァに応える。
<ごめん、驚かせちゃった?>
またその声は聞こえてきた、が、流石に二度目は驚かない。
一体どんな魔法を使っているかは分からないが、直接頭の中に向けてメッセージを放っているんだろうと俊明は直ぐに理解する。
それにしてもこの声、本当に先輩に……いや、違う。微妙に甘ったるく鼻にかかる声だ。先輩の声に限りなく近いが、限りなく遠い声。恐らくあの……先輩と、瓜二つの女。
俊明は戦闘中のシュタムファータァの気を削がぬ様、小声でその声に反応する。周囲に目を向けるが、女の姿は見えない。
「……さっきのアンタか。アンタ、一体何者なんだ? 先輩に似てるわ訳分からん魔法は使うわ……」
<悪いんだけど説明してる余裕は無いの。とにかく目の前の奴を倒す事に集中して。良い?>
……口調もどこか先輩っぽい。何とも云い知れない違和感を感じながらも、俊明は返答する。
確かに今は一々物事を説明するよりも、目の前のとてつもなく厄介でめんどくさい野郎を倒すのが最優先だ。
「……分かったよ。だけどこの戦いが終わったらきっちり説明して貰うぞ。何から何までも。良いな」
<うん、最初からそのつもり。それで本題に入るけど、君とシュタムファータァに頼みたい事があるんだ>
俊明が訝しげな表情を浮かべる。しかし疑問は挟まず、とりあえず聞いてみる。
「……何だ?」
<私がそっちに行くまで、なるべくそいつを足止めして欲しい。そいつは私の手で、ケリを付けたいから>
俊明は思わずはぁ!? と言いかける。ケリを付けると言っても、正直に言ってあんなボロボロな状態で何が出来るというのか。
只でさえ倒れそうだったのに、また戦ったら今度こそ本気で……。
「無理だ。コイツは俺達の手で倒す。アンタはその……今すぐ病院に行け。手遅れになる前に」
<大丈夫だよ。ちょっとだけ熱っぽいけど……まぁ、ケリを付ける余裕くらいは>
「マジで無理すんなって。手遅れになってからじゃ遅いんだぞ。悪い事は言わねえから……」
<……あのね。そいつがこの世界に来たのは、殆ど私のせいなの>
「……何だと? どういう意味だ、それは」
一度通信が途切れる。数十秒後、再び通信が入ってきた。
<ごめん、ちょっと準備してた>
「おい、さっきの言葉の意味」
その時、俊明の目に何かが映る。出入り口に立つ人影、いや、人の姿。
黒き杖を手に持ち、仁王立ちする三つ編みの少女。その耳元には、不格好な程大きなヘッドフォン。
<言葉の意味……ううん、私を取り巻く一切合財の事情は、この戦いが終わったら話す。だからお願い>
<私に協力して。今、この時だけで良いから>
「……本気か?」
<本気だよ>
「何でそこまで……戦おうとするんだ、アンタは」
<私には――――――――護りたい人と、護りたい世界があるの。だから、何が何でもケリを付けなきゃいけない>
<私自身が巻いた種である事と、そういう、護りたい物を護る為に>
俊明と、一条の視線が重なる。俊明は呆れた様に小さく溜息を吐くと、一条に、伝える。
「……分かった。けど死ぬなよ。絶対」
<ありがとう>
××××××
ヘッドフォンをカードに戻し、一条は誓う。神守さん、貴方の街―――――――ううん、貴方が帰るべき日常は、全力で
××××××
どこまでも続きそうな非常用階段を駆け上りながら、遥は誓う。一条さん、貴方がどんな窮地に立たされてても、全力で
××××××
私が必ず、守ってみせる。
THE
STRANGE
DREAM
「おい、リヒト。依頼を済ましたぞ。報酬はまだか」
「そう慌てなさんな。KKに運んで貰ってるから」
「そうか。で、あいつらの動きはどうなってる」
「動く様子はまだ無い。イッツァ・ミラクルが増えた位だ。まぁ、想定内だな」
「で……あの神守の方の遥、大丈夫なのか?」
「大丈夫ってのは?」
「こう言っちゃなんだが、本当に普通の子供だぞ。お前が言う様な潜在性は感じられなかった」
「潜在性はそう急に発現する物じゃないさ。いや……急に発現して貰わなきゃ困るかもしれんが」
「分の悪すぎる賭けにならなければ良いがな。あまりにも不確定要素が多すぎる」
「だが、不確定要素こそが重要なんだ。今回の事象でどちらの遥も覚醒しなければ、何もかも元の黙阿弥になる」
「……例えそれが、愛する弟子を傷つける事になっても、か?」
「遥は強い子だ。俺が教えるべき事は何もかも教えた。後は……遥次第だ」
「KKが来た。切るぞ」
「あぁ。次に動くのは奴らに動きがあった時だ」
「了解」
さて……そろそろ仕事するか。