創作発表板 ロボット物SS総合スレ まとめ@wiki

第10話

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匿名ユーザー

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HARU×haru

最終回

前編


とても不思議で、奇妙な夢を、見ていました。現実感が無い筈なのに、物凄く、リアルな夢を。

その日、私は仲の良い友達と映画を見に行っていたんです。特に面白くもない、ホラー映画を。
見るのが苦痛に感じて、トイレに向かった私はふと、妙な音がしてトイレの窓から外を見下ろしていました.
すると巨大な物体が空から落ちてきて、駐車場を凹ませたんです。その物体の肩に、一人の少女が乗っていました。

少女は身体をすっぽりと隠すローブを羽織っていました。ローブが風に吹かれて、少女の髪型に露わになった瞬間、私は息を飲みました。

少女は、私と同じ髪型をしていたからです。それだけではありません。今思えば、全体的な雰囲気が私に酷似していたと思います。
その時には体調不良か、それとも疲れているのだと思い、私はその少女の事も、物体の事自体も忘れようとしました。
悪い夢、悪い夢と、思いこむ事で。

しかし、驚くべき事にその少女は、自宅に入ろうとした私の前に現れました。
私は恐る恐る、少女に近寄ってみました。ローブをはだけさせた少女の容姿に、私は更に驚かされました。
少女は、背丈が違う事と、若干幼さを秘めている点を除いて、私と全く同じ顔をしていたんです。顔も雰囲気も、私と瓜二つでした。

私は驚嘆し、唖然としながらも、何となくその奇妙な少女を無視する事が出来ず、助ける事にしました。

自宅に招くと、少女は私に感謝しながら自己紹介をしてきました。名前を、一条遥、と少女は名乗りました。
私の下の名前と同じ名前で、またまた私は驚いてしまいました。

それから、一条さんは正直に言えば……正直に言えば今でも信じられない、それ位自分に纏わる突拍子の無い、荒唐無稽な話をしてくれました。
さっきまで肩に乗っていた巨大な物体は、リヒターというロボットである事。とある人を探す為に、時空も次元も飛び超えて、旅をしている事。
そして何より、その過程で別の世界の自分に会う事を、使命としている事。等々。

勿論、私は最初こそ一条さんの話が何一つ信じられず、頭ごなしという訳でも無いですが、全てを信じる事はできませんでした。
一条さんの言う事が何一つ理解出来ないというか、あまりにもぶっ飛びすぎて著しく現実味が薄くて、納得する事も出来なかったです。

だけど、一条さんと同じ時間を過ごしていく内に、私は一条さんが決して嘘を付いている訳ではないと知りました。
一条さんの立ち振る舞い、裏表の無い性格、天真爛漫な表情を見ている内に、一条さんは決して、法螺を吹ける人じゃないと確信しました。
それと同時に、私には無いパワフルさや明るさ、元気さを持つ一条さんに、私は惹かれていきました。こんな人になりたいなと、思うようになってきました。
それから……それから私は、一条さんが今の世界を出発する前に、楽しい時間を作ろうとショッピングモールに誘って共に愉快な時間を共有しようとした、その矢先に。

黄金色の怪物が、平穏を切り裂く様に私達の前に現れたのです。

怪物は、私と一条さんだけでなく、関係無い人達まで巻き込んで乱暴を働き、平穏な日常を悉く破壊していきました。
一条さんは怒って、リヒターと一緒に怪物に立ち向かいました。どれだけボロボロになっても、絶対に暴力に屈する事無く怪物を倒してやろうという、凄い気迫を抱えて。
一条さんは身を呈して、私を逃がしてくれました。私を、平穏な日常に帰してあげようと身を呈して、守ってくれました。

だけど、私は悩みました。一条さんが必死になっているのに、私だけ平和な世界に戻っても良いのかと。
本当は一番、一条さんが平和で平穏な世界を欲しているのに、私だけそんな世界を受容しても、良いのかと。
そんな事を考えていると、一人のおじさんが私の前に現れて、言ったのです。

嘘を吐いていると。自分に嘘を、吐いていると、と。

私はハッとしました。今、私がしたい事は逃げる事でも、日常に帰る事でも無く。
もう一人の私、一条さんを助けてあげたいという事に気付かされたのです。叔父さんから武器を受け取り、私は必死に、一条さんの元へと向かいました。
助けに来た私を、一条さんは怒りました。その怒りも、今になると分かります。一条さんは私を、争い事から遠ざけたかったのだと。
血で血を洗う様な、凄惨な戦いに巻き込んではいけないという、一条さんの優しさ、強さは、今充分、理解できます。

けれどそれでも私は、一条さんを救いたかったんです。私に勇気をくれた、もう一人の私を窮地から、助けてあげたかったのです。
凄く長くて、それでいて苦しい戦いでした。一つ間違えていたら、確実に死んでいたかもしれない程、激しい戦いでした。
傷ついて、傷ついて、満身創痍に陥りながらも、私と一条さんは怪物に打ち勝つ事が出来ました。倒す事が出来ました。

それから、私は一条さんと屋上で仰向けになって、空を見上げました。
今まで見た事が無い、澄みきって気持ちの良い青空で、目を閉じるとその情景がすぐにでも思い出せる位、綺麗な空でした、
一条さんから私は、自分に自信を持って、踏み出す勇気を貰いました。どんな困難が立ち塞ごうとも、折れる事無く超えていける、勇気を。

大切なモノを護る為に、どんな逆境にも苦難にも負けない、そんな闘志と、勇気を。
だから私は一条さんに見せたいんです。そんな大切な宝物を得て、成長した私の姿を。だから……。

だから一条さん……。

一条さん? あれ……一条さん? どこにいるの?

私……強くなったよ。一条さんの居る場所にはまだまだ届かないけど、私は私なりに、強くなれたよ。

だから……見ててよ、一条さん。出来ればずっと……ずっと私のそばに居てほしい。私の事を見てて……ほしい。

ねぇ、一条さん……どこにいるの? 返事してよ……あの大きな声で返事してよ。


やだよ……いかないでよ……まだ……まだ話したい事も、やりたい事も沢山あるんだよ? だから……行かないで。

もう一度笑ってよ……一条さん。あの、眩しすぎる位明るい笑顔を、私に見せてよ……ねぇ。


お願い、一条さん……。返事、して……。

一条……。


一……。



一条……って誰……だっけ?





                            ―――――――××××××―――――――


身体が、重い。ゆっくりと深海の中へと沈んでいく、感覚。身動きが取れず、ただ身体を任せるしかない、そんな感覚。
目も、耳も閉じており、何も見えないし何も聞こえな……いや、遠く誰かが、自分を呼ぶ声がする。何度も何度も大声で必死に、呼び掛けてくる声が。
何故だか重かった身体が急に軽くなっていく。黒色が一面に広がっていた視界に、白い光が差し込んでくる。その白は黒を侵食していき、やがて真っ白へと塗り替えられ――――――――。

瞼が、重い。まるで重りを付けらているかの様に、開けるのに苦労する。どうにか強く力を込めて、無理やりにでも開こうと頑張る。
その甲斐もあり、ゆっくりゆっくり、徐々に徐々にではあるが、遥は深く閉じられていた瞼を解放し始める。
水彩画の様に視界が偉く滲んでおり、何が何だか分からない。一先ず見えたのは、眩く淡い、蛍光灯の光。

その次に見えてくるのは、蛍光灯の下で自分を見つめている人々の顔、顔、顔だ。
次第に、視界が鮮明に蘇ってくる。視界が蘇ると、意識もクリアになっていく。色々と淀んで、滲んで、歪んでいた物が晴れてきて、ふっと我に帰る。
遥は自分を見つめているその顔が、忘れる筈もない父と母、つまり両親である事と、妹である彼方。
そして、ナースキャップを被り、純白の衣装を着た看護婦の様な……というか、看護婦の女性と、医者の様な白衣を羽織り……医者その者である事に気付く。

遥は数十秒程、状況の理解が追い付かずに両目を見開きぼんやりしていると、のっそりと起き上がって開口一番、こう言った。

「……おはよう、ございます」

遥が起き上がった事に驚いているのか、周囲を囲っている面々は呆然とした表情で遥を見つめている、が。

「遥……遥!」

目を覚ました遥に、近くに立っていた母が、ベッドに寄り掛かり、遥を抱きしめてきた。
泣き腫らしたのか、母の両目は真っ赤になっており少しだけ腫れている。それでも遥が起きた事が嬉しかったのだろう、目から滝の様に、止めどなく流している。
号泣しながら抱きついてくる母に力強く抱きしめられて、遥は息が詰まりそうになり慌てて背中を叩く。

「お、母さん痛い、詰まる、詰まる」
「あ、ご、ごめん……、でも良かった、遥ぁ……」

さっと母は遥から身体を離す。母は肩に担いでいるバッグからハンカチを取り出すと、涙で濡れている両目を拭う。
相当泣いていたのだろうか、そのハンカチはかなり湿っている様に見える。父を見ると、母と同じ柄のハンカチで目尻を拭っている。
あくまで遥に見せない様に深く俯いているのを見ると、父は父でかなり心配していた様だ。彼方は泣かない様に堪えているのか、両手を強く握って、遥を見つめている。

何が何だか状況がさっぱりだが、取りあえず遥は今、自分が置かれている状況について、頭の中でパパッと整理してみる。
先ずはここが何処なのか、それを知らねばならない。遥は周囲へと視線を移しじっと、観察する。

白を基調とした、寧ろ白色その物な、良く言えばシンプル、悪く言えば無味乾燥な色調の壁に囲まれている。隣は微妙に不透明なカーテンで仕切られている。
鼻をくすぐる、どうにも不愉快で小さい頃から慣れない薬品の匂い。寝かせられているベッドは固くもない、が、心地良いかというと何とも言えない。
真横を見ると普段は心拍を図る医療器具でも乗せられているのだろうか? ベッドくらいの高さな、キャスターが付いている移動式の棚が見える。
ベッドの先には小さなテレビが付けられており、考えるまでもなく寝ながら見れる様に配慮されているのだろう……と、この辺で。

遥はやっと、自分が今病院にいる事に気が付く。まぁ、看護婦と医者がいる時点で勘づいていはいたが。
ここで遥は最も大きな疑問を浮かべてみる。その疑問は、ある種根本を揺るがす様な疑問ではあるが……。

何故自分はこうして、病院にいるんだろう……と、遥は非常に大きな疑問符を浮かべる。
目を覚ましてみたら何故かこうして病院で寝かされていた。それも家族に囲まれて安否を気遣われているという、偉く深刻な状態で。
状況は理解できるがそうなる過程は納得はできないという、微妙に不自由な状態に遥は陥る。すると医者が看護婦からカルテを受け取ると、近寄ってきて遥に聞いてきた。

「神守さん、自分が今どこにいるか分かりますか?」

何を当り前の事を……と少し毒づきながらも、遥は取りあえず頷いて病院だと答える。

「では……自分のお名前と年齢、それと家族構成は言えますか?」


変な事を聞くなと不審に思いながらも、遥は医者に聞かれた事を詰まる事無く答えてみせる。
続いて医者は、遥にボールペンを挟んだ、両面白紙の紙を差し出してきた。

これで何を? と遥が思っていると、医者は自宅の住所と生年月日、それと今から言う簡単な計算式を紙に書く様に言ってきた。
寝起き早々こんな事をやらせるなんてと、若干不満げになりながらも、遥は住所と生年月日、それに計算式をスラスラと紙に書いていく。
遥から紙を受け取った医者は紙を、遥の書いた答えを一瞥すると両親に顔を向けて、何かのサインか深く頷いた。

そしてカルテに紙を挟んで、医者は遥にどこか痛い部分は無いか、不調な部分が無いかと聞いてきた。
遥は自分の体を省みるが、痛みを感じる部分もなければ不調を感じる部分もない。記憶が無いというある意味重大な問題はあるものの、至って健康体だ。
ので、遥は大丈夫ですと答えると、医者は軽く頷いて良かったです、けれど無理はせず、今日一日は静かに過ごして下さいと気遣ってくれた。何となく棒読み口調なのが気になるけれど。

踵を返して、看護婦と共にドアへと歩いていき医者は部屋を後にする。父と母が何か遥に関する話をする為か、医者へと続いていく。
彼方も続こうとしたが、母が立ち止まると、彼方に言った。バッグから遥が暇を潰せるようにか、数冊の雑誌や本、それに何故か新聞紙を手渡しながら。

「彼方、悪いけどお姉ちゃんと一緒にいてくれる? 話が終わったら戻ってくるから」

母にそう言われて、彼方はすごすごと雑誌と本、それに新聞を両腕で抱えて戻ってきた。
足でベッドの下の椅子を取り出すと、遥の隣に止めて、腰を掛ける。

「お姉ちゃん、本とかここの棚に置いて良い?」
「うん、構わないよ」

遥に了承を取り、彼方は抱えている雑誌類等を棚へと置いた。遥は一番上に置かれている新聞紙を手に取り、読んでみる。
まず目に付いたのは……一面のトップ。遥はその一面を見、ただただ、驚いた口調で彼方に聞く。

「ねぇ……彼方」
「何? お姉ちゃん」
「これって……どういう事なの?」

遥の疑問に、彼方は何故か惑っている表情を浮かべた。惑っているのは寧ろ遥の方なのだが。
彼方はそんな表情そのままの、惑った口振りで遥に質問し返した。

「どういう事って……私が聞きたいくらいだよ。お姉ちゃん、もしかして全く……覚えてないの?」
「覚えてないって、何が?」

遥がそう言うと、彼方は何処からか別の新聞を数種類、遥に差し出してきた。遥はとにかく情報を仕入れたい一心で、彼方から新聞を受け取る。
どの新聞も同じ記事がトップ一面を飾っていた。その記事とは、とあるショッピングセンターで起きた事故の記事だ。

そのショッピングモールは……正に遥が住んでいるこの町、揺籃市の中央に位置する巨大なショッピングモールであった。
記事によると、突如として買い物客が憩いの場として利用する中庭の屋根が崩落したり、屋上の出入り口が綺麗に消し飛んだりと、かなり凄惨な事故だった様だ。
遥は食い入る様に新聞を読む。こんな大事故があったなんて知らなかった。気になる原因は、驚くべき事に不明。
耐震偽装が原因だとか前々から老朽化していただとか、あるいは新手のテロなんてとんでもない説を唱えるのもあるが、結局何でこんな事故が起こったのかは何処の新聞社も分かっていない。

「……これ、何時の事なの?」

日付を見れば分かる話だが、ショックのあまりに遥はつい、彼方にそう、質問してしまう。

「何時って……一昨日だよ。お母さんからお姉ちゃんが事故に巻き込まれたって凄い剣幕で電話が掛かってきてね。急いで寮からこっちに戻ってきたの。
 それで病院に行って、お姉ちゃんが起きるのを皆でずっと待ってたんだよ。寝ないでずーっと」

遥は今、非常に混乱している。事態が何一つ飲み込めない。飲み込めないし、訳も分からないし、理解も出来ないし、もう頭の中は滅茶苦茶である。
彼方は言った。事故にあったと。つまりこの病院に運ばれてきた理由はこのショッピングモールでの事故に巻き込まれたから、という事だろう。それは分かる。
だが、遥が遡れる記憶は、部活動の友人である、安西悠子と一緒に黄金色の死神という、毒にも薬にもならないホラー映画を見ていた、という部分で止まっている。プッツリ止まっている。
その間にショッピングモールどころか、何処かに出かけた記憶すらない。途切れているのだ、記憶が。

映画を見に行った、という地点から。そして気付けばこうして、病院で目を覚ました。その間の記憶は何も思い出せない。

「……それ、で?」
「……だから事故に巻き込まれて、お姉ちゃんが起きるのを待ってた。もう私含めて家族皆大パニックだったんだから。
 お姉ちゃん……思い出せないの? この事故に巻き込まれた事。それで病院に運ばれてきた事」

そう、真剣な眼差しで言われても、思い出せない物は思い出せない。しかし、家族に大きな心配を掛けた事は確かではある。
遥は彼方に向き合うと、頭を下げて、謝罪する。家族に心配を掛けてしまったというのは、遥にとって本当に申し訳なく感じる。

「心配させてごめんね、彼方。私……皆に迷惑、掛けちゃったみたいで……」

遥の謝罪に、彼方は大きく首を横に振り、申し訳無さそうに目を伏せつつ、逆に謝ってきた。

「……ごめん、これじゃあお姉ちゃんを責めてるみたいだね。お姉ちゃんが謝る事なんて全く無いよ。無事というか、殆ど怪我とかしてなくて良かったと思う。
 救急隊員の人達が言ってたんだけどね。お姉ちゃん、殆ど無傷だったんだって。ただ、凄いガラスとかが落ちてきた中庭で倒れてたって聞いたら本気で驚いたんだけど……。
 事故に巻き込まれた人達は何かしら怪我をしてたけど、あんまり怪我してないお姉ちゃんは珍しかったみたい。ただ、大事をとって入院って事になったし、一日中起きなかったからハラハラしたけど」
「そう……なんだ」

彼方の言葉を、遥はまるで他人事の様に相槌を打ちながら、改めて新聞に目を通してみる。

その事故の詳細だが、中庭の天井を支えている鉄筋が折れ曲がって、屋根のガラスが降り注いできたり、屋上に設置されている出入り口が綺麗に消え去っていたり。
また、屋上の一部の金網が豪快に壊されて、落ちてきた金網が通行人に危うくぶつかりそうになったりと、正直何が何だか分からない。
しかしガラスのせいで、相当な負傷者や死傷者を出している為、本気で洒落にならない事故である事は分かる。
それに別件だが、周囲のビルの屋上で、謎の白煙が大量に巻き上がって火事かと騒がれたり、謎の爆発音が響いてコンクリートが抉られていたりと穏やかじゃない事件も起きている。
これだけの事故というか事件なのに、その原因が何一つ不明なのは解せない。とても解せない。ドラマや小説でもあるまいに……。

そんな事を思いながら新聞をめくっていると、医者と話を終えたのか、両親が部屋に入ってきた。

「あ、お母さん。お医者さんとの話、終わったの?」

遥があっけらかんとした明るい口調でそう言うと、母はつかつかと無言で歩み寄ってくる。
かなり気苦労を掛けたせいだろうか、元々痩せている母が更に痩せて見える。母親は遥に少しばかり呆れた、しかしいつも通りな雰囲気で遥に言った。

「あ、お母さんじゃないでしょ……。それで大丈夫なの? どこか変な所とか無い?」

何だか、母の優しさが身体に染みて遥は妙に泣きそうになる。しかし泣かない様に堪えて、しっかりとした口調で答える。

「うん、大丈夫。体調も悪くないし、何処も痛くないよ。ただちょっと……事故の事が思い出せないだけだよ」
「……普通に重症じゃない? それ……。やっぱりもうちょっと見て貰った方が……」

心から心配してくれているのだろう、そう母は言うが、父は母にいや、あまり急かしちゃいけないよ。と冷静な口調で諌める。
母を諌めつつ、父は遥の傍らに寄り、頭を優しく撫でながら、遥に言う。撫でられている掌の温かみに、遥は尚更泣き出しそうになる。

「遥、無理して事故の事を思い出そうとしなくて良いぞ。さっきお医者様から言われたんだよ。今の遥は事故の時の精神的なショックで、記憶を一時的に失っているだけだって。
 だけど時間が経って気持ちが落ち着いてきたら、きっと何があったかを思い出せる様になる。だから遥、今はゆっくりと休んで、自分自身の事を考えば良い。
 もしも思い出すのが辛いのなら、無理して思い出さなくてもいいさ。私達はお前が元の元気な姿になってくれる事、それが一番の望みだから」

「……お父さん」

遥の体は自然に動いて、父を抱きしめていた。嬉しい。とにかく、嬉しい。
記憶を失っていても、支えてくれて、包み込んでくる家族がいる事が、遥にはとても、嬉しい。
父は何も言わず、遥を受け止めてくれる。後ろで母が堪え切れず、また泣き始める。彼方は服の裾を掴んで堪えている。素直に泣けば良いと思うが、何か思う事があるのだろう。
今日ほど、家族がいるという事に感謝し、尚且つ心強いと思える日は無いと、遥は思う。切実に、思う。

それから遥に着替えの服が入ったバッグと、菓子パンなどが入ったビニール袋を渡して、両親と彼方は病院を後にした。

その寸前、母が遥の容体について教えてくれた。
特に目立った傷や怪我というのは無かったし、脳にも異常は見られず健康そのものらしい。父が言っていた様に、事故の事が思い出せないのは精神的ショックによる物だろう。
本当は事故周辺だけでなく、そもそもショッピングセンターに行った覚えすら無いという物凄い範囲での記憶喪失だが、厄介な事になりそうなので言わないでおく。

まぁそれは置いといて。身体自体は至って健康なので、今すぐにでも退院は出来るそうだ。
只、あの規模の事故に巻き込まれたという事は事実な為、一応大事を取って、今日一日入院する事になった。今日中に、特に何も無ければ明日。退院出来る。
しかし退院した後、急に記憶が蘇ってパニックになる可能性等もある為、家族はフォローを忘れない様に、との事。まぁそこら辺は心配無いだろう。

窓から家族を見送ると、遥は急に、部屋が広く寂しく感じる。というか、暇になってしまった。
母がそんな暇潰しの為に持って来てくれた本だが、もう何度も読み返したりしている為、何だか読む気にはならない。

新聞紙をもう一度、パラパラと読み直してみる。
記事だけでも凄惨な様子は分かるが、鉄筋が突き刺さっている中庭等写真を見ると遥は尚更、こんな事故に巻きこまれたのに忘れている自分がどこか、許せない。
こんな事故、目の前で見たら絶対に忘れる筈が無い。それこそ、地面に転倒して頭を打ち付けたりでもしない限り。
けれど案外、医者が言う様に目の前の出来事にショックを感じすぎて忘れているのかもしれない。
人はショッキング過ぎる出来事があると、気絶してその間の記憶が飛ぶとか良く聞くし。

しかし新聞を読む事も飽きてしまった。遥はベッドを降りて、病院内を探索しようと思う。
病院である事は分かっているのだが、やはり薬品が醸しだつ独特の据えた匂いにはなれない。

探索しようと思い、歩き出した所で、歩いても歩いても見えるのは病室と、エレベーターを出てすぐのナースステーション位しかない。
エレベーターを経由して一階に降りるとロビーが見えた。平日ではあるが、多くの人でごった返しており、老人から子供まで色々な人がいる。
普段病院に訪れる事は殆ど無い為、遥にとっては何となく目に映る光景が新鮮に感じる。エレベーター近くの案内図で、遥は最上階の屋上を見つける。
外の空気を吸いたかった所だ。一階から昇って部屋に戻り、ビニール袋から紙パックの牛乳を取り出す。

牛乳を片手に、遥は屋上へと向かう。エレベーターはそのまま直接屋上へと昇っていく。
両方のドアが開くと、青空と対比する様に灰色のコンクリートで造られた地が見えた。
大量のシーツが物干し竿に掛けられて、風に揺られている。ずらりと並べられ干されているシーツの群に、遥は軽く圧倒される。

外に出て直ぐに、遥は深く息を吸って、吐く。凄く空気が旨い。都会の筈だが、吸い込んだ空気は偉く澄んでいて、気持ちが良い。
健やかな青空の元、干されているシーツが波間の様に風に揺れていて、情緒的な何かを感じさせてくれる。

自殺防止の為だろう。周囲を囲む金網は非常に高い為、並の大人でさえ昇っていくなんて事は出来なそうだ。どうでも良い事だが。
適当に、近くのベンチに座って遥は牛乳にストローを突き刺して一口、飲む。ホッと、心が安らいでいく。グーっと背筋を伸ばす。
ボーっと、青空を見上げる。こうして青い空を見ていると、遥は何だか良い意味で、どうでも良い様な気分になる。
記憶を無くしたと事かで悩んでも仕方が無いな、と思う。生きてるだけで充分じゃないかと、そんな無駄に壮大な事を遥は青空を見上げながら、思う。

「先輩?」

後ろから馴染みのある声が聞こえてきて、遥は振り向く。振り向いて口をポカンと、開けた。
そこに立っていたのは、遥が良く知る青年が立っていた。遥と同じ様に、入院患者用のパジャマを着せられていており、これまた遥と同じ様に口をポカンと開けて。
青年は間抜け面一歩手前の表情を、口を閉じる事で引き締める。引き締めつつ、遥に確認する様に聞いた。

「先輩……ですよね?」
「……安田君?」

青年の名前を、遥は呼ぶ。青年はこくんと頷いて近づいてきた。
青年、名は安田俊明と言い、遥の通っている学校の後輩である。何故そんな安田が病院にいるのか、遥は不思議に思う。

「こんにちわ……じゃなくて……隣、座って良いですか?」
「別に良いけど……」
「すみません、じゃあ失礼して……」

遥から許可を貰い、安田はベンチに座る。といっても遠慮しているのだろうか、安田はベンチの端に座った。
遥は安田と遠く距離がある様に感じて、何となく嫌な気分になる。顔馴染みなのだから、近くに座っても良いのにと。

「安田君、もう少し近くに座っても良いよ」
「あ、良いですか? それじゃあ……」

そう言って、安田は少しだけ遥と距離を縮める。数センチ程度に近くなったが、まだ何となく遠く感じる。心の距離、だろうか。
それはともかく……。遥は何で安田がこの病院にいるのかと考えを巡らす。もしかしたら……入院している理由が同じ、あの事故ではないかと。
いやまさか……まさかとは思うが、ちらりと横目で見る限り、安田は何処も怪我している様子は無い。包帯を巻いてる訳でも、点滴とか付けてる訳でも無い。
まさか……と、頭の片隅で信じたくない予感がチラつき始める。と、安田がボソッと、口を開いた。

「あの……先輩」
「ん?」
「その……会って早々こう言う事を言うのもアレなんですけど……俺が入院してる理由、聞いて貰えますか?」

無意識に喉がゴクリとなった。あの予感が確信に変わってしまいそうな気がして、鼓動が速くなっていく。
何でこんなにドキドキしているんだろうと、遥の中でもう一人の冷静な自分が不思議がる。けどもしさっきから感じている予感が確信に変わったら、その自分もきっと慄く。

「良いけど……」

遥は恐れる心を制してそう答えると、安田は空を仰ぐ。燦々と輝く太陽が眩しい。
太陽に掌を透かしながら、安田は信じられない。自分自身信じられないが、確固たる現実であり真実。
そんなある種、諦めているというか悟っている様な口調で、遥に話し始める。

「先輩、○○ってショッピングセンター、知ってますよね。ここで一番デカいスポットの」

予感が、確信へとゆっくり変わっていく。遥もある種、諦める。しかし何となく分かっている分、ショックは少ない気がする。

「……勿論知ってるよ。この町で一番大きい所だもの。知らない……知らない訳、無い」

そこで何故か、安田は笑った。その笑い方は、安堵している様に感じる。

「やっぱり知ってますよね。それで……」

透かしている掌を下ろし、安田は遥へと視線を向ける。真面目な顔付きになって、真面目な口調で、安田は遥に、聞いた。

「そこで事故があった事、知ってます?」

嘘、と遥は思わず、言いそうになる。分かっていた。分かっていたとしても、やはり驚く。
しかし間違いない。遥が先程から抱えていた予感は、間違いなく的中している。安田も同じ様に事故に巻き込まれているという事に。
それでいて、安田に入院しなければならない様な傷が見受けられないのも……。嘘だと、信じたい。

そうだ、もしかしたら安田君はお腹とかに怪我してるのかもしれない。だから……と、遥は自分自身最低だと思いながらも、無理やり自分を納得付けさせる。
取りあえず落ちつこう。落ち着いて、安田君の話を聞こう。一先ず遥は相槌を打って、安田の話を聞く事にする。

「うん……それで?」
「何か凄い事故だったみたいで、中庭の屋根が半壊したり色々あったらしいんですよ。んで……」

安田は一端言い淀む。視線がキョロキョロとしていて、言おうか言わまいか迷っている様だ。
遥は早く話してほしくて、自然に肩に力が入る。安田はまだ迷っているのか俯いて、組んだ両手の親指同士を回している。
とにかく先が聞きたくて遥はつい、早く話してと声を上げたくなる。すると話す決心が付いたのか、安田は組んだ両手を離して両膝に乗せると、再び空を仰いで、言った。


「俺、その事故現場にいたらしいんですよ。気付けば病院に運ばれてて。
 だけど俺自身は○○に出かけてたって記憶は全然無いんですよね。だから事故に巻き込まれた……と医者に言われても正直に反応に困るというか……。
 変ですよね。事故に遭った記憶を丸々無くすなんて」 


「……同じだ」

遥の口からその言葉が、無意識に口から飛び出てきた。

一体全体どういう事なのかという、得体の知れない気味の悪い驚きを、遥は感じる。
例え同じ事故を体験していたとしても、同じ様に事故の記憶を無くすなんて……。こんな事、あり得るのだろうか?
同じ様なショックを、安田君も受けたの? 折角落ち着いてきた頭の中が、再び混乱で荒れてくる。

「もしかして先輩も……事故の記憶が無いんですか? あぁ……じゃあ自分と同じですね」
「うん。……え?」

安田は言った。遥が記憶を無くしている事を。そして、こうも言った。もしかして、と。
このもしかして、という言葉にどんな意味があるのか、遥には凄く怖い。
何だか別の、それも大きな地雷を踏んでしまった様な、それか藪から大蛇を出してしまった様な気がして。遥はもうベンチ、というか安田との会話を切ろうかなと思う。

しかし、本当にそれでいいのかと心がせめぎ合う。ここで逃げたら、ずっと心にモヤモヤを抱え続けるのではないか。そう思うと、遥はベンチから立てない。
遥も自ら、安田に向き合う。真実に向き合うのが怖い。怖いけど、逃げたら絶対に後悔する。だから、遥は覚悟を決める。
覚悟を決めて、安田の目を見据え、聞いた。

「もしかしてって、何?」

遥がそう聞くと、安田はそのもしかして、の意味を話し出す。髪の毛を掻きながら、敢えてだろう、明るい音色で。恐らく自分自身、一種の恐怖を感じている為か。


「そのー……何と言えば良いんでしょうか……俺自身も信じられないんですけど……。看護婦さん達が話してたのを小耳に挟んだんですけどね。
 自分や先輩みたく、○○で事故に遭って、病院に運ばれてきた人は皆……事故に遭った時の記憶が無いみたいなんです。
 だからどうして病院に運ばれたか分からないって人が沢山いて、お医者さんがてんやわんやしてるとか」

 
掌から牛乳が滑り落ちて、地面にボトリ、と落ちる。ストローから中身の牛乳が零れて、遥の足もとに真っ白な水溜りを広げていく。

想像していたよりもずっと、事態はおかしな事になっていた。もう、遥個人の問題じゃない、収まらないレベルに。
事故に巻き込まれた人が皆き、記憶喪失? あの事故に遭遇した人、全員が全員、記憶を無くすようなショックを受けるの? 何それ、おかしい。
おかし過ぎる。どう考えても普通じゃない。自分の周りに一体何が起きているのか、遥には想像も付かない。

「せ、先輩?」

思わず持っている牛乳を落としてしまう程驚き、呆然としている遥に、安田も軽く驚きながらも声を掛ける。
安田の呼び掛けにハッと遥は我に帰る。何故か安田の目船が下を向いている事に気付き、遥は足元を見る。

……白い液体、言うまでもなく、牛乳だ。牛乳が遥の履いているスリッパをべったりと浸していた。
遥の体は固まり、それが牛乳だと認識するまで、数十秒掛かる。ようやく、身体が動き出すと同時に遥はひゃっ!? と素っ頓狂な声を出して両足を上げた。
スリッパはベトベトになっていて不愉快極まりない。どれだけ神経の図太い人間でも長く履いてはいられないだろう。

「俺、看護婦さん呼んできます」
「ごめん、お願い」

歩けなくなってしまった遥の代わりに、安田が看護婦を呼んできてくれるそうなので、素直に好意に乗っかる。
じんわりと広がっていく牛乳が、まるでアメーバの様に見えて遥は気持ちが悪くなり口元を、抑える。いや、気持ち悪さの原因はそれじゃない。
というか気持ち悪い原因は牛乳じゃない。本当の原因は……と、考えそうになりとまた気持ち悪くなるので止める。

只でさえ、記憶をぽっかりと失うという訳の分からない出来事に巻き込まれているだけでも精神的に参る。
参るのに、それ以上に非現実的、不条理な事態に飲まれている事が、遥に吐き気を催させている。今までにない、吐き気を。
最初は事故に遭ったショックで、記憶を無くしたのは自分だけだと思った。だから医者の言葉が納得するかはともかく、理解自体は出来た。
けれど、今では納得も出来なければ、理解も追い付かない。記憶を無くしているのは私だけでなく、事故に遭った人達……。これじゃあ、まるで……。

まるで……私含めて皆、誰かに記憶を消されたみたいだ。事故の内容を誰かが隠そうとしている、様にしか思えない。

「先輩!」
「神守さん、大丈夫?」

声を掛けられて、そちらに目を向ける。
気付けば安田と、安田が連れてきてくれた看護婦が、替えのスリッパを持って来て駆け付けてくる。
遥は濡れているスリッパを脱いで、ベンチを端まで移動して、下りる。スリッパを持ちつつ、持って来てくれた看護婦に頭を下げる。

「すみません……。牛乳をこぼした上に、スリッパを濡らしちゃって……」
「良いわよ、これくらい。気にしないで。」

と、看護婦は笑って許してくれながら、スリッパを交換してくれる。
遥は申し訳無さと恥ずかしさから、看護婦の顔が見れない。看護婦の優しさが、正直、辛い。

「それじゃあ自分、部屋に戻ります。また学校で」
「うん、また学校でね」

安田が会釈をして、病院内に戻っていく。看護婦が何時の間にか、牛乳を流す為の、モップ等の掃除道具一式を持ってきていた。
せめて自分が汚したのだから、自分で掃除しようと遥は思い、看護婦に声を掛けようとした、手前。

「そうそう……神守さん」

そう言いながら、看護婦がポケットから何かを取り出して、遥に手渡そうと、何かを掴んだ右手を広げた。

「さっき、貴方のお母さんが病院に戻ってきてね。貴方にこれを渡しそびれてたって」

看護婦が広げた右手には、数本のヘアゴムがあった。遥が髪の毛を三つ編みにする為に使用している、カラフルなヘアゴムだ。
……何でヘアゴム? と遥が不思議に思っていると、看護婦は予想だにしない言葉を言い放った。

「救急隊員の人が貴方を見つけた時、これを凄く大事そうに握り締めてたんだって。それほど大事な物なのね、これ」

興味深々と言った様子で、看護婦はそう聞いてきた。遥は受け取りながらも、返答に困る。
大事は大事だが、いつも使っているヘアゴム、でしかない。それ以上でもそれ以下も出ない、本当に愛用しているだけの只のヘアゴムだ。
一応思い入れも、思い出もあるはあるけど、大切に抱きしめるほど大事かと言われれば……だから、困る。

遥は少しばかり迷うものの、思い出がある様な素振りを見せつつ、看護婦に感謝する。

「……ありがとうございます。とても大切な物です」
「そうなんだ~。なら大事にしないといけないわね」

根掘り葉掘り聞かれなかった事に胸を撫で下ろしつつ、遥はベッドで寝ようと思う。とにかく今は頭を休めたい。色んな意味で。
明日には退院できるし、今日はずっと寝ていても許されるのなら寝ている事にしよう。変な事を考えたら頭痛が止まらない。
考えてみれば、病院なんだから寝てる事が一番良いんだろうし……そうしよう。

そうだ、寝る前にやることやらなきゃと遥は自分から掃除しようとする。
遥がモップを掴む前に、看護婦が先にモップを掴むと、ゆっくりと首を横に振り、笑顔で遥に言う。

「良いわよ。貴方は部屋で休んでなさい。患者さんなんだから」
「……すみません。ホントに」
「気にしない気にしない。これもお仕事の内だから」

本当に悪いなと思いながらも遥は病室に戻る為に、屋上を後にする。


                            ―――――――××××××―――――――

遥がエレベーターに乗って下りるのを見送り、看護婦の女性は軽く溜息を吐く。溜息を吐きつつ、右肩を二回、トントンと叩いた。
すると女性の姿が一瞬で看護婦から、まるで違う姿に変わる。丈の長い、科学者の様な白衣を着た女性の姿に。
女性は何処からか、氷の結晶体が描かれたカードを取り出すと、牛乳に向かってそのカードを落とした。
カードがうっすらと消えていくと、牛乳が急激に凍結し始める。やがて数秒も経たずに、太陽に焼かれ蒸発してしまった。カードの代わりに、眼鏡を取り出して掛ける。

エレベーターが開いて、一人の男性が屋上へと足を踏み入れる。
その男性は、遥と遥の家族に対して事情を説明していた、あの棒読みの医者であった。
女性と対する様に、羽織っている白衣を鬱陶しそうに投げ捨てると、男性は被っている黒髪のカツラも一緒に投げ捨てる。
男性の大きな特徴と言える鮮烈な赤い髪の毛が、風に靡いた。口元に煙草を咥え、男性は女性に話しかける。

「何となく勘づいてないか?」

ベンチに座り、男性は煙草に火を点けて、一服吸う。久しぶりに喫煙しているのか、吸っている時の顔は実に嬉しそうだ。
女性は白衣に両手を入れて、どこか冷たい印象を抱く頬笑みを浮かべながら、答える。

「大丈夫。ちょっと勘づいている節はあるけど、彼女が気付ける要因は無いわ。それこそ、奇跡的な事も起きない限りね。
 それにしても……決まり事とは言え、関係者全員の記憶を消すのは骨が折れたわよ。久々に」
「すまん、だが今回はあいつが暴れすぎて、神守遥と安田俊明、シュタムファータァの記憶だけを消して済む問題じゃないからな。
 まぁ、こういう時に頼りにしてるんだぜ、スネイル。でも流石に関係者が多すぎた気がするが」
「どうせ一週間も経てば皆元の生活に戻るから。せいぜい新聞社が、新しいネタに取り上げる程度よ」

男性がそう言うと、スネイルと名を呼ばれた女性は、まんざらでもないのか、得意げに眼鏡を人差し指で上げる。
眼鏡を上げつつ、空を見上げる。のんびりと呑気に流れている雲。穏やかな、青色。
レンズに青空を映しながら、スネイルは男性に言う。

「鈴木君に聞かれたの。神守さんの記憶を消すのかって」
「……なんて答えた?」
「別に大した事言ってないわ。ただ、いつも通りの返答」
「いつも通り……か」

スネイルに誘われる様に、男性も空を見上げる。
煙草を口から離して、自嘲にも、自虐にも捉えられる口調で、言った。

「スネイル」
「何?」
「俺達は何時まで、こうやって他人の人生に干渉しなきゃいけないんだろうな」

そういう男性に、スネイルはくすりと、笑った。笑って、皮肉めいた口振りで言う。

「らしくないわねー。そういう感傷的な事を貴方が言うなんて。悪い物でも食べた?」
「真面目に言ってんだよ。何となく俺達も、あの悪趣味なデカブツと同じ穴の狢じゃねえかなって思ってな。
 何も知らない、分からない人間の人生に介入して、好き勝手やった挙句、記憶を消してって。第三者から見りゃ、あいつも俺達も変わらない気がしてな」

そう語る男性を、微笑ましい……というより、生温かい笑みを作ってスネイルは見つめる。
そして急に笑みを無くし無表情、敢えて感情を一切出さない表情になると、平坦なトーンで言い放つ。

「じゃあもう止める? 途中下車しても誰も責めないわ、貴方なら」
「冗談」

ベンチから勢い良く立ち上がり、どんな魔法か、男性は煙草を一瞬で消失させた。

「途中下車は出来ねえんだよ、もう。全てにケリを付けるまでな。いや」

煙草と入れ替わる様に、綺麗な水晶が嵌めこまれた、身の丈ほどに大きい杖を、掌に召喚する。

「イカレちまった秒針を、元に戻すまでは、な」
「そうね」

そこでスネイルは冷笑でも、皮肉っぽい頬笑みでも無く、恐らく素であろう笑顔になる。青い空を眺めながら、自分自身に言い聞かせる様に、言った。


「それが―――――――――秒針を狂わせちゃった私達、大人の責任だもんね」
「あぁ。若い奴らには残したくねえ。俺達の世代の負は、俺達で潰す。それがせめてもの罪滅ぼしだ」



「そう言えば……あの弓、どうしたんだ?」
「学校に戻しに行ったわよ。ヘンヨ君が。ちゃんと報酬上乗せしてあげてね。珈琲一杯くらい」
「しょうがねえな……」


                            ―――――――××××××―――――――


病室に戻った遥は、真っ先にベッドの中へと深く潜り込んだ。
潜り込み、身体を丸めると、看護婦から受け取ったヘアゴムを右手首に巻いてみる。
遥の細い手首に、ヘアゴムはしっかりと巻き付いている。しばらく、紙を三つ編みにセットする気にはなれない。だからこれで良い。

何だかヘアゴムがお守りの様に感じられて、遥はさっきまでの気持ちの悪い出来事を忘れそうになる。
寧ろ、無理やりにでも忘れた方が良いのかもしれない、とも思う。考えれば考えるほど、どつぼに嵌って抜けなくなる気がするから。
それにしても本当に何なんだろうか……。ショッピングモールの事故に巻き込まれた人が皆、その当時の記憶を忘れるなんて……。
不思議な事もあるもんだねぇと、当事者でなければ気楽に笑えるかもしれない。けれど遥は当事者だ。だからこそ、こうして悩んでいる。

けれど、ウジウジ考えていてもしょうがないな、とも、遥は考え直す。こんな途方もない事を一人で考えていた所で、どうにもなりゃしない。
ここは思いっきり考えを変えて、生きていた事が良かったと思う様にしよう。でも無きゃずっと悩み続けて、何時の日かパンクしてしまいそうだ。

目をじっと閉じて、晩飯が来るであろう夕刻まで眠る事にする。すると自然に、眠気が襲ってくるので素直に受け入れる。
数秒も経たないまま、遥は深い眠りの中へとまったり、落ちていった。起き立てに色々な事が起きすぎて、心も体もどっと疲れたせいかもしれない。

小さく寝息を立てながら、遥は穏やかで優しい闇の中へと、まどろんでいく。



                            ―――――――××××××―――――――

―――――――さん。


……誰? 誰なの? 


――――――――守さん


貴方……誰? 貴方が私を呼んだの?


そうだよ。元気そうで良かった。


私に……そっくり? どうして貴方……貴方、誰なの?


私は、別の世界に存在する、貴方。貴方が辿ったかもしれない、別の世界の貴方。


……訳分かんない。私は……私だよ。別の私なんて……いない。


いるよ。現にこうして、一緒に喋ってるじゃない。


そんな事……。違う世界の私なんていない……信じられない。


私は確かに、貴方と会ったよ。貴方は私の事を受け入れてくれた。助けてくれた。それで……理解を、示してくれた。


嘘、嘘だよ。そんな事……信じられる訳ないじゃない。もう一人の自分の事を認めるなんて……それに、受け入れるなんて。


ホントだよ。貴方は確かに私と出会った。貴方は私の事を信じてくれて、力を貸してくれた。凄く嬉しかったよ。


……覚えてない。覚えてないけど、私は貴方に……力を貸したって事? 別の世界の、私に。


うん。貴方のお陰で、セカイは元の姿を取り戻す事が出来た。色んな人の明日を、貴方は護る事が出来たんだよ。


……信じられない。信じられないけど、もしそれが本当に本当なら……。


……疑り深いなぁ。けど、本当の話だよ。神守さんはそれだけの事をしたんだって。


何で私の名前を?


何でってそりゃあ、もう一人の私の事は何でも分かるよ。何たって私だしね。セカイは違っていても。


……じゃあ、それじゃあ私って……貴方から見て、どう思う? もう一人の私として。


んっとね……正直に言っていい? 気が弱くて優柔不断で、どこか見ててハラハラするというか、危なっかしいなというか……。


ごめん、もう良いよ……。馬鹿な事聞いてごめん。

だけど。

だけど?


だけど本当は、勇気があってとっても優しい人。重要な時には迷わず決断出来て、何をすべきかが分かってる、そんな芯の強い子だと思ってる。


……そう、かな。だけど私……それほど褒められる様な子じゃないよ。たまに自信無くなるし、緊張すると失敗しちゃう時も多いし……。変な所でドジ踏むし。


そうやって自分を下卑してたら、ずっとそのまんまだよ。自信持とうよ、神守さん。

え……。

大丈夫。神守さんなら何でも上手くいく。そういう自信を持っていいんだよ。何たって神守さんには力があるんだから。


……私、もう少し自分に自信持ってみる。頑張ってみる。


その意気その意気。もし、立ち止まりそうになったら、手首に巻いてるそれを見て、思い出して。私が何時も、そばにいる事。

これ? でもこれ……あれ、何処に行くの? ねぇ、もっと貴方と……。

ごめん……。だけど、覚えておいてね。貴方は自分が思うよりもずっと、強い子だって事。下卑する必要は無いんだよ。


待ってよ……貴方の名前……まだ聞いて……。


そうだった……今の神守さんは記憶が無いんだったね。


それじゃあ改めて。私の名前は――――――――遥。


―――――――条、はる
                 ―――――――××××××―――――――



遥はベッドから起き上がった。心臓がバグバグと波打っていて、動悸が早い。

閉じている両手を開くと、べったりと汗で湿っていた。額を触ると、全体が汗に塗れてべったりとしている。
身体の芯が熱い。部屋の温度自体は熱くも冷たくもない最適な温度になっているのに、今の遥の体はとにかく熱い。茹だる様に、熱い。
パジャマの中に手を入れると、下着が濡れている。……変えなきゃ。遥はベッドから降りて、母親が置いてくれた、着替えの入っているバッグを持ち上げる。
確か更衣室……更衣室があった筈。とはいえ、こんな状態でウロウロして風邪引くのは嫌なので、真っ先にナースステーションに向かい、場所を聞く事にする。

遥が尋ねに来ると、ステーションから出て来てくれ、わざわざ更衣室と付随している簡易的なシャワー室まで案内してくれた。
礼をして、遥は服を着替える前に火照った体をシャワーで冷ます事にする。降り注いでくる、心地の良い冷水。
タイルに手を付いて髪を洗っていると、遥の目にふと、手首に巻いたゴムヘアが見えた。……取り外そうかなと一瞬思う。

しかし、頭の中で、さっきの奇妙な夢が反芻してくる。
自分と瓜二つな少女が、自分を励ましてくれるという、夢が。その夢が頭の中で引っかかって、離れない。

いつもの遥ならば、変な夢だったなー、まぁ良いや。気にしないでおこう。と、一蹴してそのまま忘れる事が出来る。
だが、遥にはそうする気は起きない。あまりにもあの夢はリアルというか、現実感がありすぎて。本当に……もう一人の自分と喋っていた、様な気がする。
頭を激しく横に振って、シャワーを止める。バッグの中のバスタオルを出して隅々まで拭き、代わりの寝巻きへと着替える。

病室に戻ると、丁度夕食、病院食が運ばれてきていた。
別に期待していた訳ではないが、味は良くも悪くも無い。ただ、薄い。時間を掛ける事無く、遥はすぐに食べ終わる。

夕食を食べた後、遥はテレビや本を見る事無く、シーツに潜り込んで身体を隠す。さっき眠っていたせいで、中々眠りに付く事が出来ない。
どうしても、夢の内容が頭の中に浮かんできて、眠ろうとすればするほど目が覚めてしまい、変な考えが頭の中を過ぎってはますます眠れなくなる。
身体をごろりと寝転がし、遥は手首のヘアゴムへと目を向ける。

夢の中の少女は、これを指差して、言った。私が何時も、傍にいると。一体アレは……どういう意味、何だろう。

じーっと、遥はヘアゴムを注視するが、なんて事は無い、至って普通のヘアゴムだ。
変な事に巻き込まれ過ぎて頭がおかしくなりそう。いや、なってる気がする。
もう寝よう、早く寝よう、さっさと寝よう。さっさと寝て、明日退院して全部忘れよう。遥は目を強く瞑って、眠れ、眠れと自己暗示を掛ける。

それだけでは足りないと思い、ひたすら羊を数えながら、遥は再び眠ろうとする。


だが、遥は思う。心の片隅でどこか、思う。



何か大事な事を、とても重要な事を忘れている。記憶だとかそういう問題じゃない、忘れちゃいけない大事な事を。
その事を思い出せないと、ずっと……ずっと、悩み続ける事になりそうだな、と、羊を十匹数えた時点で、遥はぼんやりと思った。

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