・第四話
アーリーバードは月重力圏内を抜け、火星圏へと飛び立とうとしていた。
月のイオカステ船籍の輸送船を襲って、補給物資も手に入れた。基本的に味方などいない彼らには、そういった海賊行為こそが命を繋ぐ糧でもある。
「火星への軌道修正、完了。後はオートパイロットに移行します」
「ご苦労さま、セラ」
「いえ、私の仕事ですから」
どことなく角が取れ、素直にケーンと付き合うようになったと見えるセラ。
コルトはそんなふたりを眺め、色々と邪推する。本当はただ、自分の存在が認められた事を、セラが認識しただけなのだが。
とりあえずはする事もなくなり、各自が自分の時間を過ごす。コルトはラムの瓶を片手に、星空をつまみにひとり飲んでいる。
ケーンはコンピューターを使って、情報を集めている。火星駐留艦隊が惨敗したということ、その事実を確認しようというのだ。
セラは自分の前のモニターにコンピューターバンクから読み出した古いペーパーバッグを表示させている。
刷り込み教育しか行われていない彼女には、こういった活字というものはあまり縁がなかったのだ。眺めているだけでも、退屈にはならない。
「ケーンもこっち来て、一緒に飲もうぜ!」
「悪いが、まだ調べたい事がある」
つれなく断るケーン。いつもの事なのだろう、やれやれと首を振って、再び飲み始めるコルト。
モニターを眺めながら、そんなふたりの機敏を時折覗き見るセラ。とりあえずは、平和なひと時が過ぎる……。
「どうやら、火星の艦隊が全滅したのは本当らしいな……。軍は隠蔽工作をしているが、微妙に情報が錯綜している。軍の連中にも、予想外の出来事だったらしいな」
ウィンドウを閉じ、セラの側によるケーン。
「何を見ているんだ?」
「……不思議の国のアリスです。古い作品ですね」
「面白いか?」
「それなり、です」
仲良さげなふたりを見て、コルトは微笑する。あの堅物のケーンにも、ようやく心を開ける相手ができたか。
それが同じように心を閉ざしている少女というのは皮肉なものだが、本人たちが気にしていないのならばそれでいいのだろう。
ケーンはどこか、過去を捨ててきたように見える。それが分かるのは、自分も同じ境遇だからだろうか……。
そして、過去のない少女。あのふたりならば、きっといいコンビになれるだろう。
そう思いながら、またラムを一口含むコルト。願わくば、彼らに幸あらん事を……。
と、突如として警告音がブリッジに響き渡る。すかさずセラがレーダーをチェック。
「後方から、接近するものがあります。機数……三機」
「その数なら、ひとりで充分だ。コルトは念のためにコックピットでスタンバイしておいてくれ。俺がセイバーハウンドASで出る」
「了解。調子に乗って、遊びすぎるなよ」
ブリッジからケーンが抜け出ていく。それを見送るコルトとセラ。少女の眼差しは、どこか憂いを秘めたものに見える。
「心配かい?」
「……そんなんじゃありません」
何処までも素直でない少女。しかしそこも、微笑ましいものであるのは確かだ。コルトは苦笑すると、自分も格納庫へ向かって流れていった。
「たった三機で追撃してくるとは……油断しているのか、それとも……」
ケーンはコックピットで発進シーケンスをこなす。メインエンジンに火が入り、いつでも飛び出せる状態になる。
カタパルトアームに掴まれ、宇宙に引き出される。真空の中、己の息遣いだけが聞こえる闇。そこは、何度体験しても慣れることはないだろう場所。
「セラ、発進準備よし。射出してくれ」
カタパルトアームがスイングを開始する。強烈なGがかかり、シートに押し付けられる。そして一瞬の後には、機体は虚空へ向かって放り出されていた。
「敵の姿……あれか?」
はるか彼方に、光るもの三つ。逆V字型のフォーメーションを組んでいる。
連携されると、一機では苦戦するかもしれない。すると突然、前方の編隊から光が伸びた。
「長距離狙撃? しかし、そんなものでは当たらない!」
光はセイバーハウンドの脇をかすめ、後方へ伸びていった。ミサイルだろうか。それにしては、妙に姿が大きい気もしたが……。
そしてミサイルらしきものは、進路を変えるとアーリーバードーの方へと向かっていった。
「しまった、対艦ミサイルか!」
アーリーバードの装甲ならば、一発や二発のミサイルで撃沈されるものではない。ヴァイタルパートの防御は充分のはずだ。
この時代の宇宙艦船というものは、おおむねその装甲は紙切れのように薄い。
それはあまりにも対艦兵器が発達しすぎたために、それに対抗する装甲を施すことが難しくなったためである。
無理に装甲を強化すれば、その船はまさに装甲の塊となってしまうだろう。
盾と矛の争いは、結局は矛が勝利を収めたのである。そして装甲を施す事を諦め、回避率を上げるために船体を軽量化する方向へと進化は続いた。
その結果が現状の紙切れのような装甲である。
それでも、機関部などの重要区画には最低限の防御は成されているし、ダメコン(ダメージコントロール)能力も一昔前とは格段に違う。
そのために船の生存性は、むしろ向上したとも言えるのだ。
だがしかし、アーリーバードに乗るのはまだ幼い未熟なセラである。直撃を受けた場合の対処ができるかどうかは疑問である。
ほとんどの事はオートで行われるとはいっても、何が起こるか分からないのが戦闘である。最後に頼れるのは、人間でしかない。
狙撃しようとしたときにはすでに遅く、ミサイルらしき大型物体はアーリーバードに直撃する。
その爆発は予想以上に小さく、代わりに無数のワイヤーが飛び出し、船体をがんじがらめにした。
どうやらあれはミサイルではなく、捕獲用の特殊兵器だったらしい。
あれではアーリーバードが現空域から離脱する事ができない。何より……。
「コルトのセイバーハウンドが発進できない……くそ、俺ひとりでやるしかないか」
覚悟を決め、迫り来る敵機に向かう。そこに恐るべき敵が待ち受けているとも知らずに。
『クロイツオッター中尉、敵を捕捉したぜ』
「よし、パイソンとコブラは左右から挟み撃ちだ。スネークワイヤーを使って動きを止めるぞ」
『了解!』
トライファング小隊を指揮するのは、クロイツオッター中尉。
軍では上官を撲殺した容疑で一度は死刑判決が出たものの、減刑される代わりにこの小隊へと配属された犯罪者である。
そして部下のパイソンとコブラも、同じく軍で何かしらの凶悪犯罪を犯している者であった。
恩赦のための任務とはいえ、彼らはこの仕事を気に入っている。一方的に相手をいたぶりつくすのが、性に合っているのだろう。
間もなく、赤いスプリッター塗装を施された機体に接近する三機。
「よし、スネークワイヤー発射だ!」
三機の何処か異形とも呼べる機体から、発射されるワイヤー。それは狙い違わずセイバーハウンドに命中し、その機体をぐるぐるとからめとっていく。
「くそっ、何だこのワイヤーは! 離れないっ?」
コックピットの中で、ケーンは僅かにパニックに陥る。こんな戦い方など、機動兵器戦では行われないものだ。
相手を捕らえる暇があれば、ビームでも何でも撃ちこめばそれで片がつくのだ。
トライファングらが特殊戦部隊だからこその戦法であるのだが、彼にはそれを知る術はない。
「よし、電流を流せ!」
火花を散らし、ワイヤーに高圧電流が流される。それはセイバーハウンドに到達すると、たちまちその全身を青白い火花で包んだ。
「うわあぁぁっ!」
コックピットで悶え苦しむケーン。
彼の着ている簡易宇宙服にもなるスーツは、若干の耐電性は持っているものの、これだけの高圧の電流の前には無力に等しい。
機体自体もシールされていても、その性能には限界があるのだ。所詮は金属と電子部品の塊である。電撃という手段には対抗しえるものではない。
がくがくと震えるケーン。その生命維持には限界が訪れようとしている。それをモニターしていたセラは、その状況に小さな悲鳴をあげる。
「ケーンが……死んじゃう……」
慌てて格納庫のコルトを呼び出す。
「コルトさん、早く出撃してください。ケーンが危険です」
『そうしたいのは山々だけど、格納庫のハッチがワイヤーで絡められていて、出撃できないんだよ。ワイヤーを排除しないと、出撃もできないぜ!』
「だったら、早く何とかしてください」
『今何とかするってよ。宇宙空間に出て、何とかワイヤーを排除してみる』
サブモニターを見れば、宇宙服を着て宇宙空間に出るコルトの姿が見える。生身でワイヤーを何とかしようというのだ。
他に手段がない以上、これ以外に突破方法は残されていない。
レーザー式ワイヤーカッターで、一本一本切り取っていくしかない。当然時間がかかる。それまでは、ケーンひとりで何とかしてもらうしかない。
『ケーン……無事でいて……』
セラの心の中のつぶやきは、届いたのだろうか……。
「ぐぅっ……くそっ、このままじゃやられてしまう……」
電流の嵐の中、必死で操縦桿を動かす。プラズマトーチはパワーダウンしているために使用不可能だ。他の手段を使うしかない。
腿の装甲を開き、そこから一本のナイフを取り出す。超振動ダガー。内蔵バッテリーで超高振動を発生させ、対象物を切り裂く小型兵器だ。
サブウェポンとして装備されているために、普段は使用することもないのだが、こういう時には頼りにするしかない。
そのまま弱々しくも動く四肢を使って、機体に絡みついたワイヤーを切断していく。何とか動けるようになると、スラスターを吹かしてその場から離脱するケーン。
「ちぃっ、我らのスネークワイヤーから逃れたか! トリプルファングを仕掛けるぞ!」
ワイヤーを手放し、接近戦を仕掛ける三機の黄色い機体。
その右腕部に装備された巨大な蟹のはさみのようなものが、展開し前に迫り出す。
ファングアーム、超硬質金属で作られた巨大な破砕アーム。対象をそれで挟み込み、圧砕し、引きちぎる兵器とも呼べないような代物。
しかし、そんな原始的な兵器でも、相手を破壊する事ができれば、立派な武器と呼べるのだ。
まだ動きの鈍いセイバーハウンドに飛び掛るトライファング。そしてその四肢を、ファングアームで挟み込む。
ギシギシ……ギシ……
嫌な軋みを上げながら、潰されていく手足。三機がかりでかかられては、たとえ高性能な機体といえどもひとたまりはない。
「コルトさん、早く……早く……」
ブリッジで珍しくもその顔色を変えているセラ。まだ艦体を拘束しているワイヤーは排除されてはいない。
その内から湧き出る焦りに、自分でも戸惑いながらも、セラは祈る。
『どうか、ケーンが無事でいますように……』と。
ケーンの駆るセイバーハウンドASは、三機の敵に完全に翻弄されていた。その連携の鋭さは、まったく隙というものをみせず、立ち入る余裕もない。
対するケーンの機体は、先ほどからの執拗なまでの攻撃で、その能力のほとんどを奪われていた。一撃で破壊されなかったのが、不思議ですらある。
それもそのはず、トライファングの機体は徹底的に相手を痛めつけ、ぎりぎりまで恐怖を感じさせるように作られているのだから。
脱走兵などに、極限まで苦痛を感じさせるための各種兵器。それが今、ケーンに牙を剥いている。
「このままじゃなぶり殺しだ。コルト、何をやっているんだ……つぅっ!」
スパイクのついた肩で、ショルダータックルを食らう。これだけの質量攻撃では、デフュージョンスクリーンも効果がない。
激しく揺れるコックピットの中で、あちこちに体をぶつけるケーン。ショックアブソーバーが効いていて、これなのだ。
作動していなかったならば、今頃コックピットの中でミンチになっていてもおかしくはない。
出力の低下したプラズマトーチで斬りかかっても、敵の分厚い装甲にかすり傷を与えるだけ。
しかも運動性、機動性も低下しているため、敵の攻撃をかわすことすらできない。
ケルベロス・オルトロス・キマイラ。三匹の獣の名のつけられたトライファングの機体。その名を示すかのように、獰猛に襲い来る。
しかし、撃退するだけの力は、もうケーンには残されてはいない。
『このまま……死ぬのか……』
それもいいかもしれない。全てを裏切り、全てを捨て去った自分には、こんな野垂れ死にが似合うのだろう。
ふとケーンの脳裏に、はるか昔に出会った少女の微笑がちらついた……時。
鋭く機体の脇をかすめるレーザー。
勿論真空中で音などは存在していようはずもないのだが、確かにその強靭な威力は音として感じられた。
敵の機体には、そんな高威力のレーザーなどは装備されている様子は無かった。という事は。
『待たせたなケーン! 騎兵隊の登場だぜ!』
スラスターから尾を引きながら、宇宙を駆けてくるセイバーハウンドSP。どうやらコルトが間に合ったらしい。
また一歩、死から遠ざかった。その事に安堵と、僅かな悲しみを覚えるケーン。
彼は必死で、コックピットの中のメンテナンスハッチを開いて配線を調整する。ショートした回路を取り外し、予備の回路を取り付ける。
一部消えていたモニターに、光が灯る。不鮮明とはいえ、外をはっきりと確認できるようになったのは幸いである。
「よし、いけるぞ!」
『オラお前ら! 寄ってたかって一機相手に戦ってるんじゃねぇ! お前らの相手はオレがしてやる!』
ワイヤードライフルでの狙撃が、一機の敵を焼く。撃破こそされなかったものの、重装甲が溶ける。
状況を確認すると、三機は新たに現れたコルトのセイバーハウンドの方へと向かっていった。
どうやら組しやすい手負いの相手よりも、まだ戦闘力の残されている相手を倒そうというつもりらしい。
トライファングの機体の左腕部から大型のチェーンソーが迫り出す。
スラストチェーンソー。原始的な兵器だが、それにかかればどんな装甲であろうとも、いつかは両断されてしまう事だろう。
セイバーハウンドSPからの狙撃をかわしながら、執拗にに迫る三機。
高速回転するチェーンソー。それは見たものに、恐怖を植えつけるには充分だ。
『こいつら、しつこいぜ!』
ライフルを収納し、プラズマトーチでの白兵戦に切り替えるコルト。しかし、三機の絶妙なコンビネーションに翻弄されるばかり。
やがて敵のチェーンソーでの一撃が、機体に直撃する。
ガリガリギャリ……と、徐々に装甲を侵徹していくチェーンソー。がくがくと揺れる機体。
『くそっ! こいつ、離れろよ!』
しかし、一機を引き剥がしてもまた別の一機が取り付く。さしずめハイエナが狙った獲物をなぶり殺しにするかのように。
「ふはははっ! 怯えろ怯えろ! その目に我らトライファングの姿を焼き付けて、死んでゆけ!」
『ちょいとまずいな……数に押されるとは、俺も焼きが回ったもんだ』
指揮官機のケルベロスが、大きくチェーンソーを振りかぶる。その狙いは、確実にコックピットに向いている。
「貰ったぞ……!」
その時、ケルベロスの背中に体当たりをかける、ケーンのセイバーハウンドAS。そのまま背中のスラスターに、拳を叩き込む。
「いくら出力が弱くとも、この至近距離ならば!」
そのままプラズマトーチを作動させる。背中の弱い装甲を、やられ続けて出力ダウンしているとはいえ、高エネルギーのプラズマの奔流が貫く。
「な、なんとぉーっ!」
そしてコックピットまでを焼き貫き、ケルベロスは爆砕した。
『クロイツオッター中尉がやられただとぉ? パイソン、あの死にかけを叩き潰すぞ!』
残されたオルトロスとキマイラが、ケーンの機体に向かう。
『馬鹿野郎! お前らの相手は、オレなんだよ!』
攻撃を免れたコルトが、ワイヤードライフルを発射する。それは狙い違わずオルトロスのバックパックに突き刺さり、その機体を火球へと変える。
『パイソーン!?』
「遊びは、ここまでだっ!」
ケーンの操る機体がキマイラのボディに鋭い蹴りを入れる。たまらずに弾き飛ばされるキマイラ。そこには、コルトの機体が待ち構えていた。
『オレだって、格闘戦くらいできるってのよ!』
そのままキマイラをプラズマトーチで一刀両断。こうして三機の強敵は、全て破壊されたのだった。
『ケーン、帰投するぞ。おい、ケーン!』
コルトの呼びかけが遠く響く中、ケーンはゆっくりとその意識を手放していった。
帰還したアーリーバードの格納庫。コルトによって、コックピットから引きずり出されるケーン。
意識は失っているものの、外傷はほとんどみられない。あちこちに打ち身の痕はあるが、おそらくは軽症だろう。
あれだけの攻撃を受けたのだ、意識を失っていてもおかしくはない。
むしろ戦いの最中でなかったことのほうが奇跡的だ。彼の精神力が、戦闘の間だけでも意識を手放す事を拒んだのだろう。
医務室へと、無重力の中を彼を連れて流れていくコルト。そんなふたりの前に、立ちふさがる小さな影。
セラ=シルバームーンだ。ブリッジで報告を聞いて、いてもたってもいられずに飛び出してきたのだ。
「ケーンは……ケーンは、無事なんですか?」
「ちょっと気を失ってるだけさ。命に別状はないだろうな。こいつ、しぶといし」
ほっと胸をなでおろす少女。その姿を見て、コルトは苦笑する。
今まで表情の欠片も感じられなかった少女に、これだけの表情をさせることができるケーンという男。彼こそ、真の意味での幸せ者なのかもしれない。だからこそ。
「治療は機械がオートでやってくれるけどさ、できれば付き添いの人間がひとりくらいは必要だな。オレは壊れた機体の整備をしなけりゃならねーし、誰かちょうど暇な人間はいないもんかね」
「え……?」
コルトはにやりと少女に答える。その意図を悟ったのか、セラはこくりと頷き、コルトたちと医務室へと入っていく。
無機質な白色の室内。ただベッドと医療機器だけが並ぶ。ケーンを横たえ、各種装置をセッティングするとコルトは手を振って部屋を出ていった。
あとには、昏々と眠るケーンと、その側で椅子に座り彼の表情を見守るセラだけが残された。
セラは思う。自分は何故、こんなにも彼のことが心配なのだろう。
自分を拾ってくれたから? 誰からも必要とされなかった自分の事を、必要だと言ってくれたから?
その答えは、まだ少女の内からは出てこない。今は、黙ってひとり飽きもせずに彼の寝顔を見守るだけ……。
どれくらい時間が経っただろうか。ケーンの眉が、ぴくりと動く。セラはその反応に、ほっと胸をなでおろす。
少なくとも、彼はまだ生きている。その事が、なぜだか無性に嬉しい。彼の手を、軽く握る。それに反応したかのように、ケーンは目を開けた。
「セラ……? 俺、どうしたっていうんだ……?」
よろりと起き上がろうとする彼を制す少女。
「まだ起きちゃ駄目です。もう少し、このままで……」
ケーンは目を瞬かせると、おとなしく彼女の言うとおりにベッドに横になった。黙ってじっと彼のことを見つめるセラ。静かな時間が流れる。
「俺のこと、心配してくれたのか……?」
「べ、別にそんなんじゃありません。ただ、保護者がいなくなるのは、困りますから」
素直になれない少女。そんな彼女に手を伸ばし、そっと優しくその髪を梳くケーン。
「髪、綺麗だよな……リボンとか、つけないのか?」
「そんな必要ありません。お洒落しても、見せる相手もいませんから」
そんな彼女に、ケーンはポケットを探りひとつのリボンを取り出す。
「ずいぶん、用意がいいんですね」
「持ち歩いてただけさ。大切な人の、形見だから」
そっとセラの手に握らせる。水色の、シンプルな飾り気のないリボン。しかし、セラはそれを押し返そうとする。
「形見なんて、受け取れません。ケーンが持っていてください」
「いいんだよ。これを持っていると、いつまでたっても過去からは逃れられない。そんな気がするから……だから、セラに受け取って欲しいんだ」
おずおずと、リボンを握り締めるセラ。それを見て、にっこりとケーンは微笑む。
「いい娘だ。つけてみてくれないか?」
髪を梳き、そのリボンを身につけるセラ。儚げだった少女の雰囲気が、更に増したようにも思える。水色に近い髪の色に、そのリボンはよく映える。
「あの……どうですか? 似合いますか? 私、こういうのは初めてで……よく分からなくて……」
「ああ、よく似合っている。やっぱりセラに渡して、正解だったな」
その言葉に、僅かに顔を赤く染めるセラ。人からその容姿を褒められたことなんて、これが初めてなのだから。
気のせいか、髪につけたリボンから温もりが伝わってくるようにも思える。様々な想いがリボンに込められているからだろうか。
「それじゃあ、少し眠るよ。セラもブリッジに戻った方がいい」
「いえ、ここにいます。ケーンのこと、見ているように言われましたから」
コルトも余計な事をして……。そう呟き、ケーンは目を閉じる。その寝顔を、いつまでも飽くことなくセラは眺めていた。
・第五話へ続く
アーリーバードは月重力圏内を抜け、火星圏へと飛び立とうとしていた。
月のイオカステ船籍の輸送船を襲って、補給物資も手に入れた。基本的に味方などいない彼らには、そういった海賊行為こそが命を繋ぐ糧でもある。
「火星への軌道修正、完了。後はオートパイロットに移行します」
「ご苦労さま、セラ」
「いえ、私の仕事ですから」
どことなく角が取れ、素直にケーンと付き合うようになったと見えるセラ。
コルトはそんなふたりを眺め、色々と邪推する。本当はただ、自分の存在が認められた事を、セラが認識しただけなのだが。
とりあえずはする事もなくなり、各自が自分の時間を過ごす。コルトはラムの瓶を片手に、星空をつまみにひとり飲んでいる。
ケーンはコンピューターを使って、情報を集めている。火星駐留艦隊が惨敗したということ、その事実を確認しようというのだ。
セラは自分の前のモニターにコンピューターバンクから読み出した古いペーパーバッグを表示させている。
刷り込み教育しか行われていない彼女には、こういった活字というものはあまり縁がなかったのだ。眺めているだけでも、退屈にはならない。
「ケーンもこっち来て、一緒に飲もうぜ!」
「悪いが、まだ調べたい事がある」
つれなく断るケーン。いつもの事なのだろう、やれやれと首を振って、再び飲み始めるコルト。
モニターを眺めながら、そんなふたりの機敏を時折覗き見るセラ。とりあえずは、平和なひと時が過ぎる……。
「どうやら、火星の艦隊が全滅したのは本当らしいな……。軍は隠蔽工作をしているが、微妙に情報が錯綜している。軍の連中にも、予想外の出来事だったらしいな」
ウィンドウを閉じ、セラの側によるケーン。
「何を見ているんだ?」
「……不思議の国のアリスです。古い作品ですね」
「面白いか?」
「それなり、です」
仲良さげなふたりを見て、コルトは微笑する。あの堅物のケーンにも、ようやく心を開ける相手ができたか。
それが同じように心を閉ざしている少女というのは皮肉なものだが、本人たちが気にしていないのならばそれでいいのだろう。
ケーンはどこか、過去を捨ててきたように見える。それが分かるのは、自分も同じ境遇だからだろうか……。
そして、過去のない少女。あのふたりならば、きっといいコンビになれるだろう。
そう思いながら、またラムを一口含むコルト。願わくば、彼らに幸あらん事を……。
と、突如として警告音がブリッジに響き渡る。すかさずセラがレーダーをチェック。
「後方から、接近するものがあります。機数……三機」
「その数なら、ひとりで充分だ。コルトは念のためにコックピットでスタンバイしておいてくれ。俺がセイバーハウンドASで出る」
「了解。調子に乗って、遊びすぎるなよ」
ブリッジからケーンが抜け出ていく。それを見送るコルトとセラ。少女の眼差しは、どこか憂いを秘めたものに見える。
「心配かい?」
「……そんなんじゃありません」
何処までも素直でない少女。しかしそこも、微笑ましいものであるのは確かだ。コルトは苦笑すると、自分も格納庫へ向かって流れていった。
「たった三機で追撃してくるとは……油断しているのか、それとも……」
ケーンはコックピットで発進シーケンスをこなす。メインエンジンに火が入り、いつでも飛び出せる状態になる。
カタパルトアームに掴まれ、宇宙に引き出される。真空の中、己の息遣いだけが聞こえる闇。そこは、何度体験しても慣れることはないだろう場所。
「セラ、発進準備よし。射出してくれ」
カタパルトアームがスイングを開始する。強烈なGがかかり、シートに押し付けられる。そして一瞬の後には、機体は虚空へ向かって放り出されていた。
「敵の姿……あれか?」
はるか彼方に、光るもの三つ。逆V字型のフォーメーションを組んでいる。
連携されると、一機では苦戦するかもしれない。すると突然、前方の編隊から光が伸びた。
「長距離狙撃? しかし、そんなものでは当たらない!」
光はセイバーハウンドの脇をかすめ、後方へ伸びていった。ミサイルだろうか。それにしては、妙に姿が大きい気もしたが……。
そしてミサイルらしきものは、進路を変えるとアーリーバードーの方へと向かっていった。
「しまった、対艦ミサイルか!」
アーリーバードの装甲ならば、一発や二発のミサイルで撃沈されるものではない。ヴァイタルパートの防御は充分のはずだ。
この時代の宇宙艦船というものは、おおむねその装甲は紙切れのように薄い。
それはあまりにも対艦兵器が発達しすぎたために、それに対抗する装甲を施すことが難しくなったためである。
無理に装甲を強化すれば、その船はまさに装甲の塊となってしまうだろう。
盾と矛の争いは、結局は矛が勝利を収めたのである。そして装甲を施す事を諦め、回避率を上げるために船体を軽量化する方向へと進化は続いた。
その結果が現状の紙切れのような装甲である。
それでも、機関部などの重要区画には最低限の防御は成されているし、ダメコン(ダメージコントロール)能力も一昔前とは格段に違う。
そのために船の生存性は、むしろ向上したとも言えるのだ。
だがしかし、アーリーバードに乗るのはまだ幼い未熟なセラである。直撃を受けた場合の対処ができるかどうかは疑問である。
ほとんどの事はオートで行われるとはいっても、何が起こるか分からないのが戦闘である。最後に頼れるのは、人間でしかない。
狙撃しようとしたときにはすでに遅く、ミサイルらしき大型物体はアーリーバードに直撃する。
その爆発は予想以上に小さく、代わりに無数のワイヤーが飛び出し、船体をがんじがらめにした。
どうやらあれはミサイルではなく、捕獲用の特殊兵器だったらしい。
あれではアーリーバードが現空域から離脱する事ができない。何より……。
「コルトのセイバーハウンドが発進できない……くそ、俺ひとりでやるしかないか」
覚悟を決め、迫り来る敵機に向かう。そこに恐るべき敵が待ち受けているとも知らずに。
『クロイツオッター中尉、敵を捕捉したぜ』
「よし、パイソンとコブラは左右から挟み撃ちだ。スネークワイヤーを使って動きを止めるぞ」
『了解!』
トライファング小隊を指揮するのは、クロイツオッター中尉。
軍では上官を撲殺した容疑で一度は死刑判決が出たものの、減刑される代わりにこの小隊へと配属された犯罪者である。
そして部下のパイソンとコブラも、同じく軍で何かしらの凶悪犯罪を犯している者であった。
恩赦のための任務とはいえ、彼らはこの仕事を気に入っている。一方的に相手をいたぶりつくすのが、性に合っているのだろう。
間もなく、赤いスプリッター塗装を施された機体に接近する三機。
「よし、スネークワイヤー発射だ!」
三機の何処か異形とも呼べる機体から、発射されるワイヤー。それは狙い違わずセイバーハウンドに命中し、その機体をぐるぐるとからめとっていく。
「くそっ、何だこのワイヤーは! 離れないっ?」
コックピットの中で、ケーンは僅かにパニックに陥る。こんな戦い方など、機動兵器戦では行われないものだ。
相手を捕らえる暇があれば、ビームでも何でも撃ちこめばそれで片がつくのだ。
トライファングらが特殊戦部隊だからこその戦法であるのだが、彼にはそれを知る術はない。
「よし、電流を流せ!」
火花を散らし、ワイヤーに高圧電流が流される。それはセイバーハウンドに到達すると、たちまちその全身を青白い火花で包んだ。
「うわあぁぁっ!」
コックピットで悶え苦しむケーン。
彼の着ている簡易宇宙服にもなるスーツは、若干の耐電性は持っているものの、これだけの高圧の電流の前には無力に等しい。
機体自体もシールされていても、その性能には限界があるのだ。所詮は金属と電子部品の塊である。電撃という手段には対抗しえるものではない。
がくがくと震えるケーン。その生命維持には限界が訪れようとしている。それをモニターしていたセラは、その状況に小さな悲鳴をあげる。
「ケーンが……死んじゃう……」
慌てて格納庫のコルトを呼び出す。
「コルトさん、早く出撃してください。ケーンが危険です」
『そうしたいのは山々だけど、格納庫のハッチがワイヤーで絡められていて、出撃できないんだよ。ワイヤーを排除しないと、出撃もできないぜ!』
「だったら、早く何とかしてください」
『今何とかするってよ。宇宙空間に出て、何とかワイヤーを排除してみる』
サブモニターを見れば、宇宙服を着て宇宙空間に出るコルトの姿が見える。生身でワイヤーを何とかしようというのだ。
他に手段がない以上、これ以外に突破方法は残されていない。
レーザー式ワイヤーカッターで、一本一本切り取っていくしかない。当然時間がかかる。それまでは、ケーンひとりで何とかしてもらうしかない。
『ケーン……無事でいて……』
セラの心の中のつぶやきは、届いたのだろうか……。
「ぐぅっ……くそっ、このままじゃやられてしまう……」
電流の嵐の中、必死で操縦桿を動かす。プラズマトーチはパワーダウンしているために使用不可能だ。他の手段を使うしかない。
腿の装甲を開き、そこから一本のナイフを取り出す。超振動ダガー。内蔵バッテリーで超高振動を発生させ、対象物を切り裂く小型兵器だ。
サブウェポンとして装備されているために、普段は使用することもないのだが、こういう時には頼りにするしかない。
そのまま弱々しくも動く四肢を使って、機体に絡みついたワイヤーを切断していく。何とか動けるようになると、スラスターを吹かしてその場から離脱するケーン。
「ちぃっ、我らのスネークワイヤーから逃れたか! トリプルファングを仕掛けるぞ!」
ワイヤーを手放し、接近戦を仕掛ける三機の黄色い機体。
その右腕部に装備された巨大な蟹のはさみのようなものが、展開し前に迫り出す。
ファングアーム、超硬質金属で作られた巨大な破砕アーム。対象をそれで挟み込み、圧砕し、引きちぎる兵器とも呼べないような代物。
しかし、そんな原始的な兵器でも、相手を破壊する事ができれば、立派な武器と呼べるのだ。
まだ動きの鈍いセイバーハウンドに飛び掛るトライファング。そしてその四肢を、ファングアームで挟み込む。
ギシギシ……ギシ……
嫌な軋みを上げながら、潰されていく手足。三機がかりでかかられては、たとえ高性能な機体といえどもひとたまりはない。
「コルトさん、早く……早く……」
ブリッジで珍しくもその顔色を変えているセラ。まだ艦体を拘束しているワイヤーは排除されてはいない。
その内から湧き出る焦りに、自分でも戸惑いながらも、セラは祈る。
『どうか、ケーンが無事でいますように……』と。
ケーンの駆るセイバーハウンドASは、三機の敵に完全に翻弄されていた。その連携の鋭さは、まったく隙というものをみせず、立ち入る余裕もない。
対するケーンの機体は、先ほどからの執拗なまでの攻撃で、その能力のほとんどを奪われていた。一撃で破壊されなかったのが、不思議ですらある。
それもそのはず、トライファングの機体は徹底的に相手を痛めつけ、ぎりぎりまで恐怖を感じさせるように作られているのだから。
脱走兵などに、極限まで苦痛を感じさせるための各種兵器。それが今、ケーンに牙を剥いている。
「このままじゃなぶり殺しだ。コルト、何をやっているんだ……つぅっ!」
スパイクのついた肩で、ショルダータックルを食らう。これだけの質量攻撃では、デフュージョンスクリーンも効果がない。
激しく揺れるコックピットの中で、あちこちに体をぶつけるケーン。ショックアブソーバーが効いていて、これなのだ。
作動していなかったならば、今頃コックピットの中でミンチになっていてもおかしくはない。
出力の低下したプラズマトーチで斬りかかっても、敵の分厚い装甲にかすり傷を与えるだけ。
しかも運動性、機動性も低下しているため、敵の攻撃をかわすことすらできない。
ケルベロス・オルトロス・キマイラ。三匹の獣の名のつけられたトライファングの機体。その名を示すかのように、獰猛に襲い来る。
しかし、撃退するだけの力は、もうケーンには残されてはいない。
『このまま……死ぬのか……』
それもいいかもしれない。全てを裏切り、全てを捨て去った自分には、こんな野垂れ死にが似合うのだろう。
ふとケーンの脳裏に、はるか昔に出会った少女の微笑がちらついた……時。
鋭く機体の脇をかすめるレーザー。
勿論真空中で音などは存在していようはずもないのだが、確かにその強靭な威力は音として感じられた。
敵の機体には、そんな高威力のレーザーなどは装備されている様子は無かった。という事は。
『待たせたなケーン! 騎兵隊の登場だぜ!』
スラスターから尾を引きながら、宇宙を駆けてくるセイバーハウンドSP。どうやらコルトが間に合ったらしい。
また一歩、死から遠ざかった。その事に安堵と、僅かな悲しみを覚えるケーン。
彼は必死で、コックピットの中のメンテナンスハッチを開いて配線を調整する。ショートした回路を取り外し、予備の回路を取り付ける。
一部消えていたモニターに、光が灯る。不鮮明とはいえ、外をはっきりと確認できるようになったのは幸いである。
「よし、いけるぞ!」
『オラお前ら! 寄ってたかって一機相手に戦ってるんじゃねぇ! お前らの相手はオレがしてやる!』
ワイヤードライフルでの狙撃が、一機の敵を焼く。撃破こそされなかったものの、重装甲が溶ける。
状況を確認すると、三機は新たに現れたコルトのセイバーハウンドの方へと向かっていった。
どうやら組しやすい手負いの相手よりも、まだ戦闘力の残されている相手を倒そうというつもりらしい。
トライファングの機体の左腕部から大型のチェーンソーが迫り出す。
スラストチェーンソー。原始的な兵器だが、それにかかればどんな装甲であろうとも、いつかは両断されてしまう事だろう。
セイバーハウンドSPからの狙撃をかわしながら、執拗にに迫る三機。
高速回転するチェーンソー。それは見たものに、恐怖を植えつけるには充分だ。
『こいつら、しつこいぜ!』
ライフルを収納し、プラズマトーチでの白兵戦に切り替えるコルト。しかし、三機の絶妙なコンビネーションに翻弄されるばかり。
やがて敵のチェーンソーでの一撃が、機体に直撃する。
ガリガリギャリ……と、徐々に装甲を侵徹していくチェーンソー。がくがくと揺れる機体。
『くそっ! こいつ、離れろよ!』
しかし、一機を引き剥がしてもまた別の一機が取り付く。さしずめハイエナが狙った獲物をなぶり殺しにするかのように。
「ふはははっ! 怯えろ怯えろ! その目に我らトライファングの姿を焼き付けて、死んでゆけ!」
『ちょいとまずいな……数に押されるとは、俺も焼きが回ったもんだ』
指揮官機のケルベロスが、大きくチェーンソーを振りかぶる。その狙いは、確実にコックピットに向いている。
「貰ったぞ……!」
その時、ケルベロスの背中に体当たりをかける、ケーンのセイバーハウンドAS。そのまま背中のスラスターに、拳を叩き込む。
「いくら出力が弱くとも、この至近距離ならば!」
そのままプラズマトーチを作動させる。背中の弱い装甲を、やられ続けて出力ダウンしているとはいえ、高エネルギーのプラズマの奔流が貫く。
「な、なんとぉーっ!」
そしてコックピットまでを焼き貫き、ケルベロスは爆砕した。
『クロイツオッター中尉がやられただとぉ? パイソン、あの死にかけを叩き潰すぞ!』
残されたオルトロスとキマイラが、ケーンの機体に向かう。
『馬鹿野郎! お前らの相手は、オレなんだよ!』
攻撃を免れたコルトが、ワイヤードライフルを発射する。それは狙い違わずオルトロスのバックパックに突き刺さり、その機体を火球へと変える。
『パイソーン!?』
「遊びは、ここまでだっ!」
ケーンの操る機体がキマイラのボディに鋭い蹴りを入れる。たまらずに弾き飛ばされるキマイラ。そこには、コルトの機体が待ち構えていた。
『オレだって、格闘戦くらいできるってのよ!』
そのままキマイラをプラズマトーチで一刀両断。こうして三機の強敵は、全て破壊されたのだった。
『ケーン、帰投するぞ。おい、ケーン!』
コルトの呼びかけが遠く響く中、ケーンはゆっくりとその意識を手放していった。
帰還したアーリーバードの格納庫。コルトによって、コックピットから引きずり出されるケーン。
意識は失っているものの、外傷はほとんどみられない。あちこちに打ち身の痕はあるが、おそらくは軽症だろう。
あれだけの攻撃を受けたのだ、意識を失っていてもおかしくはない。
むしろ戦いの最中でなかったことのほうが奇跡的だ。彼の精神力が、戦闘の間だけでも意識を手放す事を拒んだのだろう。
医務室へと、無重力の中を彼を連れて流れていくコルト。そんなふたりの前に、立ちふさがる小さな影。
セラ=シルバームーンだ。ブリッジで報告を聞いて、いてもたってもいられずに飛び出してきたのだ。
「ケーンは……ケーンは、無事なんですか?」
「ちょっと気を失ってるだけさ。命に別状はないだろうな。こいつ、しぶといし」
ほっと胸をなでおろす少女。その姿を見て、コルトは苦笑する。
今まで表情の欠片も感じられなかった少女に、これだけの表情をさせることができるケーンという男。彼こそ、真の意味での幸せ者なのかもしれない。だからこそ。
「治療は機械がオートでやってくれるけどさ、できれば付き添いの人間がひとりくらいは必要だな。オレは壊れた機体の整備をしなけりゃならねーし、誰かちょうど暇な人間はいないもんかね」
「え……?」
コルトはにやりと少女に答える。その意図を悟ったのか、セラはこくりと頷き、コルトたちと医務室へと入っていく。
無機質な白色の室内。ただベッドと医療機器だけが並ぶ。ケーンを横たえ、各種装置をセッティングするとコルトは手を振って部屋を出ていった。
あとには、昏々と眠るケーンと、その側で椅子に座り彼の表情を見守るセラだけが残された。
セラは思う。自分は何故、こんなにも彼のことが心配なのだろう。
自分を拾ってくれたから? 誰からも必要とされなかった自分の事を、必要だと言ってくれたから?
その答えは、まだ少女の内からは出てこない。今は、黙ってひとり飽きもせずに彼の寝顔を見守るだけ……。
どれくらい時間が経っただろうか。ケーンの眉が、ぴくりと動く。セラはその反応に、ほっと胸をなでおろす。
少なくとも、彼はまだ生きている。その事が、なぜだか無性に嬉しい。彼の手を、軽く握る。それに反応したかのように、ケーンは目を開けた。
「セラ……? 俺、どうしたっていうんだ……?」
よろりと起き上がろうとする彼を制す少女。
「まだ起きちゃ駄目です。もう少し、このままで……」
ケーンは目を瞬かせると、おとなしく彼女の言うとおりにベッドに横になった。黙ってじっと彼のことを見つめるセラ。静かな時間が流れる。
「俺のこと、心配してくれたのか……?」
「べ、別にそんなんじゃありません。ただ、保護者がいなくなるのは、困りますから」
素直になれない少女。そんな彼女に手を伸ばし、そっと優しくその髪を梳くケーン。
「髪、綺麗だよな……リボンとか、つけないのか?」
「そんな必要ありません。お洒落しても、見せる相手もいませんから」
そんな彼女に、ケーンはポケットを探りひとつのリボンを取り出す。
「ずいぶん、用意がいいんですね」
「持ち歩いてただけさ。大切な人の、形見だから」
そっとセラの手に握らせる。水色の、シンプルな飾り気のないリボン。しかし、セラはそれを押し返そうとする。
「形見なんて、受け取れません。ケーンが持っていてください」
「いいんだよ。これを持っていると、いつまでたっても過去からは逃れられない。そんな気がするから……だから、セラに受け取って欲しいんだ」
おずおずと、リボンを握り締めるセラ。それを見て、にっこりとケーンは微笑む。
「いい娘だ。つけてみてくれないか?」
髪を梳き、そのリボンを身につけるセラ。儚げだった少女の雰囲気が、更に増したようにも思える。水色に近い髪の色に、そのリボンはよく映える。
「あの……どうですか? 似合いますか? 私、こういうのは初めてで……よく分からなくて……」
「ああ、よく似合っている。やっぱりセラに渡して、正解だったな」
その言葉に、僅かに顔を赤く染めるセラ。人からその容姿を褒められたことなんて、これが初めてなのだから。
気のせいか、髪につけたリボンから温もりが伝わってくるようにも思える。様々な想いがリボンに込められているからだろうか。
「それじゃあ、少し眠るよ。セラもブリッジに戻った方がいい」
「いえ、ここにいます。ケーンのこと、見ているように言われましたから」
コルトも余計な事をして……。そう呟き、ケーンは目を閉じる。その寝顔を、いつまでも飽くことなくセラは眺めていた。
・第五話へ続く