ユウとオフィーリアの乗ったシュリムは、ホバーで海面を走行していく。あまり高出力とはいえないそれであったが、まずは機関が動いている間は、沈む事はないだろう。
後は手近な政府軍の所へ、この小生意気な少女を送り届けるだけだ。
手錠をかけ、パイロットシートの後ろに座らせている少女。まるで抵抗もしない。自分が連れ去られようとしているのに、この落ち着き様である。
「手前ェ、怖くねェのかよ? 泣き叫んだって、いいんだぜ?」
「……私は、自分の運命に従う。これが私の運命ならば、それも仕方がないだろう。ジタバタはせぬ」
「へっ……」
ユウには、その感情は分からない。運命? そんなもの、糞ッくらえだ。運命なんてものは、自分で切り開くものだ。
無駄だと思っても、足掻き、暴れて、実力で勝ち取るものだ。そんな事も、このお嬢ちゃんは分かっちゃいないらしい。まったく、何処までもおめでたい奴だ。
間もなく、政府軍のテリトリーに近づいたのか、迎撃機らしきものがレーダーに映る。こちらの意図を、察してもらわなければならない。ユウは無線機の周波数を、広域に合わせて叫ぶ。
「俺ァ敵じゃねェ! あんたらにいい土産があるんだ! 基地まで護衛してくれ!」
しかし、無線機から返ってくる声はない。ユウは不審に思い、もう一度同じ事を繰り返す。それでも返答はない。
「こっちには、大事な人質が乗ってんだぞ? 何で応答しやがらねェ!」
ガンッと無線機を叩く。故障か? しかし、通じていないはずはないのだが……。
間もなく政府軍機が視認できるようになる。複数の戦闘機。それが一斉に、ユウのシュリムへ向かって攻撃態勢をとる。
「なッ! お、俺ァ敵じゃねェ! 撃って来るなッ!」
しかし、その彼の叫びも空しく、戦闘機からミサイルが発射される。機体の周囲に着弾し、水柱を高く上げる。辛うじて回避に成功した、というよりも外してもらったといったところか。
「野郎ォ! ふざけんじゃねェ! ブッ殺してやる!」
シュリムはその手にマシンガンを構える。そして狙いを絞って、銃弾を発射。しかしそれは、上空の戦闘機に到達する前に放物線を描いて落下していった。
「……重力の影響だ。もっとよく考えなくては、当てられぬぞ?」
「うるせえ、黙ってろ!」
背後から伝わる少女の声に、ユウは神経を尖らせる。いくらシュバルツとの模擬戦をしていたとはいえ、地上での実戦は初めてなのだ。その焦りが、操縦桿を通じて機体に伝わり、その動きを惑わせる。
更に数発のミサイルが飛来、何発かが機体に直撃したようだ。モニターに損傷状況が表示される。まだ大したことはないが、このままではいずれこの機体は破壊されてしまう。
「んナロォ!」
マシンガンを、弾倉が空になるまで上空に撃ち出す。その網の目のような弾幕に、運良く一機の敵が引っかかってくれた。空中で爆発する戦闘機。
「ざ、ザマァねェぜ……」
しかしそれでも、依然として数で負けているのは事実である。敵の機銃掃射が、機体を揺らす。更にダメージアラートが灯る。
「ユウ、後ろだ!」
そのオフィーリアの声に、咄嗟に体が反応する。弾倉を交換したマシンガンが、敵に銃弾を浴びせる。撃墜。
「畜生、やってられるかよ!」
「お前もパペッターならば、この程度の状況で音を上げるな! ほら、来るぞ!」
その彼女の声に導かれるように、更に一機を撃墜。
「ふむ、成る程……お前はようやく才能を開花させつつあるようだな。荒削りではあるが、期待はできる」
「黙ってろ、舌ァ噛むぞ!」
五機ほどの生き残りの敵戦闘機が、真っ直ぐ突っ込んでくる。それに向かってマシンガンで弾幕を張る。しかし。
カチッ、チッ!
トリガーが乾いた音を立てる。弾切れなのだ。もう予備の弾倉は残ってはいない。無駄弾を撃ちすぎた。しかし、今更その事を後悔しても、もう遅い。敵は迫ってくるのだ。その牙を剥いて。
「だあぁ! 駄目だァ!」
半ばパニックに襲われながらも、ユウは何とか回避行動をとろうとする。だがダメージを受け続けた機体が、それを許さない。ここまでか……。ぎゅっと目を閉じる。
ドギャーン!
突如として、爆発音が聞こえた。目を開けてみると、次々と撃墜されていく敵機。後方から迫る影。
「シュリッツ・オーア……ようやく来たか、シュバルツ」
あれは、見覚えのある機体だ。散々戦闘訓練をさせられたユウには、それが分かる。シュバルツの操る青い機体『シュリッツ・オーア』。それは戦場に到達すると、たちまちのうちに敵を殲滅した。
そして、戦場であった場所に残ったボロボロのシュリムに銃口を向ける。
「一緒に帰還してもらうぞ、ユウ=マテバ?」
「て、手前ェ、何寝言を言ってやがる!」
「……抵抗するのならば、このまま撃破する」
そのシュバルツ=ニュングの言葉は、感情の篭っていない冷徹なもので、実際に抵抗すれば撃破されるであろうという予想を抱かせるのに充分であった。
「馬鹿野郎! こっちには、人質がいるんだぜ!」
「敵の手に渡すくらいならば、ここでもろとも死んでもらう……」
真っ直ぐユウの機体を向く銃口。それには、確固たる意思が感じられる。
「指示を聞いて戻るのだ、ユウ。今ならば、まだ間に合う……」
「うるせェ小娘! 俺に、俺に指図するな!」
ユウは銃口に追い立てられるように、黙って機体をプラントへと引き返させる。彼は、負けたのだ。何に? それは、分からない。ただ、確実に彼は敗北した。その事実は彼を打ちのめす。
そこには、自信に満ち溢れていた青年の姿は、もう無かった。
プラントに帰ってきたユウは、コックピットから引きずり出される。そしてそこに、シュバルツの容赦ない攻撃が加えられる。
「グアァ!」
彼が倒れても、シュバルツの攻撃は休まることはない。より一層、その激しさを増していくだけだ。
「貴様は、やはりろくでなしだった! こんな事ならば、あの時船で出会った瞬間に撃ち殺しておけばよかった!」
ユウへの暴行を止め、腰のホルスターから銃を抜く。
「……へっ、こ、殺せよ……」
ユウはそんな彼を見上げる。もはや彼は負け犬なのだ。負け犬には、相応しい死に様がある。ここで撃ち殺されて終わるのが、お似合いだ。
そして、その時を待つ。しかし。
「待て、まだ殺すな」
拘束を解かれて、コックピットの中から這い出てきたオフィーリア=アイネスが、そうシュバルツを引き止める。
「しかし、オフィーリア様……こいつは、あなたの事を……」
「その男には、良いパペッターになる素質があると感じる。もうしばらく、様子を見ても良いと思えるな」
その少女の言葉に、シュバルツは黙って銃を下ろす。
「……哀れみのつもりかよ……?」
側に駆け寄ってくるオフィーリアに、ユウはそう洩らす。彼女の考えが、分からない。こんなことをしでかした自分は、殺されこそすれ助けられる覚えなどはない。
それでも、この少女は彼を助けた。そこには、弱者に対する哀れみの感情があるのかとも思えた。しかし、彼女の目にはそれは感じられない。相変わらず、強固な意志を秘めたその瞳。
そっとユウの側に屈むと、取り出したハンカチで彼の口元にこびりついた血を拭う。ハンカチが汚れることなど、構わないとでもいうように。
その慣れないたどたどしい手付きに、ユウは思う。何故彼女のような少女が、戦いを望んでいるのだろう。自ら組織を率いてまで。
彼女の意思は、ユウには分からない。分かりたくもない。こんな薄汚れた自分と、彼女のようなお嬢様は、元々違う世界の生き物なのだ。決して交わることのない、ふたつの線。それが、彼らの進む道だ。
しかし、とも思う。この少女は、どこか自分に関係があるのではないか。そういう不確かなものの中に、現実がある。
ちょっとした信心……それが、事実を形作っていく事もあるのではないか。そういう気持ちが、ユウの中に僅かに生じていた。
流石に、ユウは無罪放免というわけにはいかなかった。独房に放り込まれ、閉じ込められる。
「しばらくは、そこで自分の愚かさ加減を見つめなおすんだな。その後で、貴様はたっぷりシゴイてやる。もう二度と、あんな真似ができんようにな!」
最後にシュバルツは、オフィーリアに感謝するようにユウに言うと、固く閉ざされた扉の前から去っていった。
暗い独房の中、静かな時間が流れる。ユウは床に寝そべると、天井を見上げる。飾り気のない、質素なそれ。時々機械の駆動音らしきものが、背中から伝わってくる。
「……俺ァ薄汚い、負け犬だ……」
その実感だけがある。今まで、本当に敗北したことなど無かった。喧嘩で負ければ、必ず後で倍以上に復讐した。罵られれば、それ以上に言って返した。蔑まれれば、自分も相手を軽蔑した。そうやって、生きてきた。
敵を作らなかったといえば、嘘になる。自分以外の全てを、勝手に仮想敵に仕立て上げて、そうやって世の中を毒づきながら生きてきた。
両親を早くに失った彼には、自分以外に頼れるものなどは無かったのだ。勢い、自己中心的な生き方になってしまう。それは、仕方のないことであろう。
誰だって、自分が可愛い。それを捻じ曲げてまで、他人のために尽くそうという人間は、恐らくずっと昔から愛情をその身に目一杯受けてきたのだろう。
ユウ=マテバにはそんな経験はない。覚えているのは、いつもいがみ合っていた両親の姿だけ。そんな事では、他人のために何ができるだろう。
短く刈り上げた黒髪を掻き毟る。何で、自分はこんな事を考えているのだ。関係ないはずのことだ。自分には……。
それでも、思うのだ。オフィーリア=アイネス。彼女が持つ、持てる者の余裕というもの。それに、自分は嫉妬しているのではないだろうか。そしてつまらない虚栄心で、それを否定しようとしている。
「まったく、俺って奴ァよ……」
コンコンと、控えめなノックが聞こえる。身を起こし、扉の側による。
「誰だよ?」
「……私だ。オフィーリアだ」
思わぬ来訪者。こんな惨めな自分を、笑いに来たのだろうか? 扉の向こうの、微かな気配。扉の前に、彼女は腰を下ろしたらしい。
「……お前は、この抵抗運動についてどう思う?」
唐突な切り出し。ユウはくくっと笑いを洩らす。
「馬鹿げてるぜ。本気で政府の連中に勝てるなんて、思っちゃいないんだろ? ただのゴッコ遊びだ。ままごとだぜ」
「そうか……そう見えるか。それならば、多分そうなのだろうな……」
静かに、少女は続ける。
「ここの皆は、私に優しい。それは嬉しいのだが……本音でぶつかってきてくれる存在がどれだけいるのかは、疑わしい」
「いいじゃねェか。持ち上げられてんだろ? おとなしくその流れに乗っておきゃ、幸せになれるぜ?」
他人から認められたことのない男の言葉。それをゆっくりと少女はその胸に受け止める。しばしの沈黙。
「……親切にされてる、何が不満なんだよ?」
沈黙を嫌ったユウが、そう問いかける。
「私には、誰も本音を見せない……。心の内を見せない。だが、それは辛いことでもあるのだ」
「そんなもんかねェ……決して傷つかない生活だ、いいことじゃねェか」
扉の向こうの気配が、僅かに揺れる。彼女の心の迷いを、現しているかのように。
「お前は、どうなのだ? 私に、気を使ってくれるのか?」
「そんな面倒なこと、するわけねえだろうが。俺にとっちゃ、手前ェはただのガキだ。そんな相手に、気なんて使うかよ」
どこかほっとしたような気配が伝わってくる。お互いに扉越し、背中を合わせて。見えない何かが、二人を繋いでいるような気がする。
「そうか……お前だけは、私に本音で接してくれるのだな……。そうか、お前は……」
気配が立ち上がる。ユウは扉の方を向く。その向こうの少女の姿を、見えなくても感じられるような気がする。
「ユウ、お前は私と共に戦え。私だけは、お前を見捨てない。共に生きろ、ユウ」
「なっ、ナンだよ、そりゃ? 俺はまだ、手前ェらに協力するなんざ……」
「どの道、お前は我らから逃げられはせぬ。それに、お前と私は歳が近い。友人というものになっても、おかしくはなかろう?」
……ユウは呆れた。この少女は、何を世迷い事を言っているのだろう。くだらない、最低の提案だ。力が抜け、そしていつの間にか笑みがこぼれる。
「へっ、へへへっ……友人だと、馬鹿にしやがって!」
「……どうした、何が不満なのだ?」
「へっ! お嬢様、ぜひ私とお友達になりましょう……ってか? 本当に大馬鹿野郎だよ、手前ェはよォ!」
「そうか、不服か……まぁ、仕方がない……」
そんな彼女に、ユウは言い放つ。
「いいじゃねェか、友人、恋人でも、何にでもなってやろうじゃねェか! そして後で、たっぷり後悔するがいいさ、俺なんかと関わっちまったことをな!」
「恋人か、それも良いかも知れぬ。ただユウ、私は強い男にしか興味はない。お前が、私を自分のものにできるとは限らぬぞ?」
ユウは笑い転げる。馬鹿馬鹿しくて、笑いが止まらない。何を真面目に、こんな話をしているのだ、自分は? 友人? 恋人? 何て滑稽な話だ。
「面白れェ、いつか必ず、手前ェを俺の女にしてやる。その時になって泣いたって、遅いからな!」
その会話を最後に、オフィーリアは扉の前を去っていく。しばらくユウは笑い続けていた。
あの可愛げの無い女を、自分のものにするだと? 自分は大した男だよ、ユウ=マテバ! 今まで生きてきて、こんなに笑える事は、初めてだ!
ユウは笑い疲れると、再び床に横になる。まだ腹筋が痛い。しかしこの痛みも、今は心地よく感じられる。
最低の男が、最高の女をものにしようというのだ。普通ならば、手が届かないどころではないほど、身分違いの二人。そこに、恋愛感情が成立することなど、ありえはしない。
微かに感じる、プラントの揺れ。目を閉じ、それに身を任せる。
「へっ、最高の冗談だぜ……」
独房から出されたユウは、久しぶりに大きく体を動かす。そこには開放感だけがあった。甲板に出て、潮風を感じる。カモメが高くを飛んでいる。
太陽の光を受け、眩しげにそれを眺めていると、向こうからオフィーリアがやってきた。そしてユウの隣に立つ。
「体の調子は、どうだ?」
「問題ねェよ。俺ァ殺されたって死なねえんだよ」
「そうか、それは便利だな……」
冗談なのか、本気なのか、理解に苦しむ彼女の答え。だがそれも、今のユウには笑って受け流せる。
いつの間にかできた、心の余裕。負け犬の自分に、それが生じるなんて。
風はいつの間にか、止んでいた。
・第三話へ続く……
後は手近な政府軍の所へ、この小生意気な少女を送り届けるだけだ。
手錠をかけ、パイロットシートの後ろに座らせている少女。まるで抵抗もしない。自分が連れ去られようとしているのに、この落ち着き様である。
「手前ェ、怖くねェのかよ? 泣き叫んだって、いいんだぜ?」
「……私は、自分の運命に従う。これが私の運命ならば、それも仕方がないだろう。ジタバタはせぬ」
「へっ……」
ユウには、その感情は分からない。運命? そんなもの、糞ッくらえだ。運命なんてものは、自分で切り開くものだ。
無駄だと思っても、足掻き、暴れて、実力で勝ち取るものだ。そんな事も、このお嬢ちゃんは分かっちゃいないらしい。まったく、何処までもおめでたい奴だ。
間もなく、政府軍のテリトリーに近づいたのか、迎撃機らしきものがレーダーに映る。こちらの意図を、察してもらわなければならない。ユウは無線機の周波数を、広域に合わせて叫ぶ。
「俺ァ敵じゃねェ! あんたらにいい土産があるんだ! 基地まで護衛してくれ!」
しかし、無線機から返ってくる声はない。ユウは不審に思い、もう一度同じ事を繰り返す。それでも返答はない。
「こっちには、大事な人質が乗ってんだぞ? 何で応答しやがらねェ!」
ガンッと無線機を叩く。故障か? しかし、通じていないはずはないのだが……。
間もなく政府軍機が視認できるようになる。複数の戦闘機。それが一斉に、ユウのシュリムへ向かって攻撃態勢をとる。
「なッ! お、俺ァ敵じゃねェ! 撃って来るなッ!」
しかし、その彼の叫びも空しく、戦闘機からミサイルが発射される。機体の周囲に着弾し、水柱を高く上げる。辛うじて回避に成功した、というよりも外してもらったといったところか。
「野郎ォ! ふざけんじゃねェ! ブッ殺してやる!」
シュリムはその手にマシンガンを構える。そして狙いを絞って、銃弾を発射。しかしそれは、上空の戦闘機に到達する前に放物線を描いて落下していった。
「……重力の影響だ。もっとよく考えなくては、当てられぬぞ?」
「うるせえ、黙ってろ!」
背後から伝わる少女の声に、ユウは神経を尖らせる。いくらシュバルツとの模擬戦をしていたとはいえ、地上での実戦は初めてなのだ。その焦りが、操縦桿を通じて機体に伝わり、その動きを惑わせる。
更に数発のミサイルが飛来、何発かが機体に直撃したようだ。モニターに損傷状況が表示される。まだ大したことはないが、このままではいずれこの機体は破壊されてしまう。
「んナロォ!」
マシンガンを、弾倉が空になるまで上空に撃ち出す。その網の目のような弾幕に、運良く一機の敵が引っかかってくれた。空中で爆発する戦闘機。
「ざ、ザマァねェぜ……」
しかしそれでも、依然として数で負けているのは事実である。敵の機銃掃射が、機体を揺らす。更にダメージアラートが灯る。
「ユウ、後ろだ!」
そのオフィーリアの声に、咄嗟に体が反応する。弾倉を交換したマシンガンが、敵に銃弾を浴びせる。撃墜。
「畜生、やってられるかよ!」
「お前もパペッターならば、この程度の状況で音を上げるな! ほら、来るぞ!」
その彼女の声に導かれるように、更に一機を撃墜。
「ふむ、成る程……お前はようやく才能を開花させつつあるようだな。荒削りではあるが、期待はできる」
「黙ってろ、舌ァ噛むぞ!」
五機ほどの生き残りの敵戦闘機が、真っ直ぐ突っ込んでくる。それに向かってマシンガンで弾幕を張る。しかし。
カチッ、チッ!
トリガーが乾いた音を立てる。弾切れなのだ。もう予備の弾倉は残ってはいない。無駄弾を撃ちすぎた。しかし、今更その事を後悔しても、もう遅い。敵は迫ってくるのだ。その牙を剥いて。
「だあぁ! 駄目だァ!」
半ばパニックに襲われながらも、ユウは何とか回避行動をとろうとする。だがダメージを受け続けた機体が、それを許さない。ここまでか……。ぎゅっと目を閉じる。
ドギャーン!
突如として、爆発音が聞こえた。目を開けてみると、次々と撃墜されていく敵機。後方から迫る影。
「シュリッツ・オーア……ようやく来たか、シュバルツ」
あれは、見覚えのある機体だ。散々戦闘訓練をさせられたユウには、それが分かる。シュバルツの操る青い機体『シュリッツ・オーア』。それは戦場に到達すると、たちまちのうちに敵を殲滅した。
そして、戦場であった場所に残ったボロボロのシュリムに銃口を向ける。
「一緒に帰還してもらうぞ、ユウ=マテバ?」
「て、手前ェ、何寝言を言ってやがる!」
「……抵抗するのならば、このまま撃破する」
そのシュバルツ=ニュングの言葉は、感情の篭っていない冷徹なもので、実際に抵抗すれば撃破されるであろうという予想を抱かせるのに充分であった。
「馬鹿野郎! こっちには、人質がいるんだぜ!」
「敵の手に渡すくらいならば、ここでもろとも死んでもらう……」
真っ直ぐユウの機体を向く銃口。それには、確固たる意思が感じられる。
「指示を聞いて戻るのだ、ユウ。今ならば、まだ間に合う……」
「うるせェ小娘! 俺に、俺に指図するな!」
ユウは銃口に追い立てられるように、黙って機体をプラントへと引き返させる。彼は、負けたのだ。何に? それは、分からない。ただ、確実に彼は敗北した。その事実は彼を打ちのめす。
そこには、自信に満ち溢れていた青年の姿は、もう無かった。
プラントに帰ってきたユウは、コックピットから引きずり出される。そしてそこに、シュバルツの容赦ない攻撃が加えられる。
「グアァ!」
彼が倒れても、シュバルツの攻撃は休まることはない。より一層、その激しさを増していくだけだ。
「貴様は、やはりろくでなしだった! こんな事ならば、あの時船で出会った瞬間に撃ち殺しておけばよかった!」
ユウへの暴行を止め、腰のホルスターから銃を抜く。
「……へっ、こ、殺せよ……」
ユウはそんな彼を見上げる。もはや彼は負け犬なのだ。負け犬には、相応しい死に様がある。ここで撃ち殺されて終わるのが、お似合いだ。
そして、その時を待つ。しかし。
「待て、まだ殺すな」
拘束を解かれて、コックピットの中から這い出てきたオフィーリア=アイネスが、そうシュバルツを引き止める。
「しかし、オフィーリア様……こいつは、あなたの事を……」
「その男には、良いパペッターになる素質があると感じる。もうしばらく、様子を見ても良いと思えるな」
その少女の言葉に、シュバルツは黙って銃を下ろす。
「……哀れみのつもりかよ……?」
側に駆け寄ってくるオフィーリアに、ユウはそう洩らす。彼女の考えが、分からない。こんなことをしでかした自分は、殺されこそすれ助けられる覚えなどはない。
それでも、この少女は彼を助けた。そこには、弱者に対する哀れみの感情があるのかとも思えた。しかし、彼女の目にはそれは感じられない。相変わらず、強固な意志を秘めたその瞳。
そっとユウの側に屈むと、取り出したハンカチで彼の口元にこびりついた血を拭う。ハンカチが汚れることなど、構わないとでもいうように。
その慣れないたどたどしい手付きに、ユウは思う。何故彼女のような少女が、戦いを望んでいるのだろう。自ら組織を率いてまで。
彼女の意思は、ユウには分からない。分かりたくもない。こんな薄汚れた自分と、彼女のようなお嬢様は、元々違う世界の生き物なのだ。決して交わることのない、ふたつの線。それが、彼らの進む道だ。
しかし、とも思う。この少女は、どこか自分に関係があるのではないか。そういう不確かなものの中に、現実がある。
ちょっとした信心……それが、事実を形作っていく事もあるのではないか。そういう気持ちが、ユウの中に僅かに生じていた。
流石に、ユウは無罪放免というわけにはいかなかった。独房に放り込まれ、閉じ込められる。
「しばらくは、そこで自分の愚かさ加減を見つめなおすんだな。その後で、貴様はたっぷりシゴイてやる。もう二度と、あんな真似ができんようにな!」
最後にシュバルツは、オフィーリアに感謝するようにユウに言うと、固く閉ざされた扉の前から去っていった。
暗い独房の中、静かな時間が流れる。ユウは床に寝そべると、天井を見上げる。飾り気のない、質素なそれ。時々機械の駆動音らしきものが、背中から伝わってくる。
「……俺ァ薄汚い、負け犬だ……」
その実感だけがある。今まで、本当に敗北したことなど無かった。喧嘩で負ければ、必ず後で倍以上に復讐した。罵られれば、それ以上に言って返した。蔑まれれば、自分も相手を軽蔑した。そうやって、生きてきた。
敵を作らなかったといえば、嘘になる。自分以外の全てを、勝手に仮想敵に仕立て上げて、そうやって世の中を毒づきながら生きてきた。
両親を早くに失った彼には、自分以外に頼れるものなどは無かったのだ。勢い、自己中心的な生き方になってしまう。それは、仕方のないことであろう。
誰だって、自分が可愛い。それを捻じ曲げてまで、他人のために尽くそうという人間は、恐らくずっと昔から愛情をその身に目一杯受けてきたのだろう。
ユウ=マテバにはそんな経験はない。覚えているのは、いつもいがみ合っていた両親の姿だけ。そんな事では、他人のために何ができるだろう。
短く刈り上げた黒髪を掻き毟る。何で、自分はこんな事を考えているのだ。関係ないはずのことだ。自分には……。
それでも、思うのだ。オフィーリア=アイネス。彼女が持つ、持てる者の余裕というもの。それに、自分は嫉妬しているのではないだろうか。そしてつまらない虚栄心で、それを否定しようとしている。
「まったく、俺って奴ァよ……」
コンコンと、控えめなノックが聞こえる。身を起こし、扉の側による。
「誰だよ?」
「……私だ。オフィーリアだ」
思わぬ来訪者。こんな惨めな自分を、笑いに来たのだろうか? 扉の向こうの、微かな気配。扉の前に、彼女は腰を下ろしたらしい。
「……お前は、この抵抗運動についてどう思う?」
唐突な切り出し。ユウはくくっと笑いを洩らす。
「馬鹿げてるぜ。本気で政府の連中に勝てるなんて、思っちゃいないんだろ? ただのゴッコ遊びだ。ままごとだぜ」
「そうか……そう見えるか。それならば、多分そうなのだろうな……」
静かに、少女は続ける。
「ここの皆は、私に優しい。それは嬉しいのだが……本音でぶつかってきてくれる存在がどれだけいるのかは、疑わしい」
「いいじゃねェか。持ち上げられてんだろ? おとなしくその流れに乗っておきゃ、幸せになれるぜ?」
他人から認められたことのない男の言葉。それをゆっくりと少女はその胸に受け止める。しばしの沈黙。
「……親切にされてる、何が不満なんだよ?」
沈黙を嫌ったユウが、そう問いかける。
「私には、誰も本音を見せない……。心の内を見せない。だが、それは辛いことでもあるのだ」
「そんなもんかねェ……決して傷つかない生活だ、いいことじゃねェか」
扉の向こうの気配が、僅かに揺れる。彼女の心の迷いを、現しているかのように。
「お前は、どうなのだ? 私に、気を使ってくれるのか?」
「そんな面倒なこと、するわけねえだろうが。俺にとっちゃ、手前ェはただのガキだ。そんな相手に、気なんて使うかよ」
どこかほっとしたような気配が伝わってくる。お互いに扉越し、背中を合わせて。見えない何かが、二人を繋いでいるような気がする。
「そうか……お前だけは、私に本音で接してくれるのだな……。そうか、お前は……」
気配が立ち上がる。ユウは扉の方を向く。その向こうの少女の姿を、見えなくても感じられるような気がする。
「ユウ、お前は私と共に戦え。私だけは、お前を見捨てない。共に生きろ、ユウ」
「なっ、ナンだよ、そりゃ? 俺はまだ、手前ェらに協力するなんざ……」
「どの道、お前は我らから逃げられはせぬ。それに、お前と私は歳が近い。友人というものになっても、おかしくはなかろう?」
……ユウは呆れた。この少女は、何を世迷い事を言っているのだろう。くだらない、最低の提案だ。力が抜け、そしていつの間にか笑みがこぼれる。
「へっ、へへへっ……友人だと、馬鹿にしやがって!」
「……どうした、何が不満なのだ?」
「へっ! お嬢様、ぜひ私とお友達になりましょう……ってか? 本当に大馬鹿野郎だよ、手前ェはよォ!」
「そうか、不服か……まぁ、仕方がない……」
そんな彼女に、ユウは言い放つ。
「いいじゃねェか、友人、恋人でも、何にでもなってやろうじゃねェか! そして後で、たっぷり後悔するがいいさ、俺なんかと関わっちまったことをな!」
「恋人か、それも良いかも知れぬ。ただユウ、私は強い男にしか興味はない。お前が、私を自分のものにできるとは限らぬぞ?」
ユウは笑い転げる。馬鹿馬鹿しくて、笑いが止まらない。何を真面目に、こんな話をしているのだ、自分は? 友人? 恋人? 何て滑稽な話だ。
「面白れェ、いつか必ず、手前ェを俺の女にしてやる。その時になって泣いたって、遅いからな!」
その会話を最後に、オフィーリアは扉の前を去っていく。しばらくユウは笑い続けていた。
あの可愛げの無い女を、自分のものにするだと? 自分は大した男だよ、ユウ=マテバ! 今まで生きてきて、こんなに笑える事は、初めてだ!
ユウは笑い疲れると、再び床に横になる。まだ腹筋が痛い。しかしこの痛みも、今は心地よく感じられる。
最低の男が、最高の女をものにしようというのだ。普通ならば、手が届かないどころではないほど、身分違いの二人。そこに、恋愛感情が成立することなど、ありえはしない。
微かに感じる、プラントの揺れ。目を閉じ、それに身を任せる。
「へっ、最高の冗談だぜ……」
独房から出されたユウは、久しぶりに大きく体を動かす。そこには開放感だけがあった。甲板に出て、潮風を感じる。カモメが高くを飛んでいる。
太陽の光を受け、眩しげにそれを眺めていると、向こうからオフィーリアがやってきた。そしてユウの隣に立つ。
「体の調子は、どうだ?」
「問題ねェよ。俺ァ殺されたって死なねえんだよ」
「そうか、それは便利だな……」
冗談なのか、本気なのか、理解に苦しむ彼女の答え。だがそれも、今のユウには笑って受け流せる。
いつの間にかできた、心の余裕。負け犬の自分に、それが生じるなんて。
風はいつの間にか、止んでいた。
・第三話へ続く……