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電瞬月下 弐 ―不敗剣『刀蜘蛛』― 前編

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 不敗剣。
 それは如何なる剣理なのだろうか…。
 ありとあらゆる技を用いてもそこには一部の隙が生まれる。
 それが、どんなに刹那的なものであったとしてもその隙を突かれれば、敗北は必至なのである。
 だからそれを補う為に、より隙がないようにと技巧を凝らし、知恵を絞る。
 ある者は最短最速の流れを編み出そうとすれば、その手数を増やし相手をかく乱しようとする、果ては技をわざと打たせて相手の打ってきた攻撃に対応した後に攻撃するなどという概念まで存在するほどだ。
 相手がどうくるか、自分がどうするか。 
 この世界には実力が大きく違う者の決闘でさえ、その際に用いる工夫次第で弱き者が強き者に勝つ等という事がありえる。
 それほどまでにこの剣理の世界は深くまだその鉱脈の全ては掘り尽くされていない。
 つまり、勝つ為の手段というのは変幻自在であり千差万別。
 その中に勝つ為の絶対的な正解手など存在しないと言えるだろう。
 よって不敗の剣など存在しえないのである。
 だが、此度の物語で語るのは『不敗剣』の物語。



 満月が今宵も呪われた島に狂気を引き寄せ、機械仕掛けの鎧武者が血風を散らす呪ヶ島三決闘、第二幕の始まりで御座いまする。

 此度の闘いの鍵を握るのは、毒でありまする。
 如何様な毒がこの物語に回るのか…存分に思考してお楽しみくださいませ…。








 呪ヶ島。
 幾多の武人達が、斬り合いの末に放たれた怨嗟に塗れた孤島。
 この大和国において、かつてから様々な決闘に用いられ、血に塗れた孤島。
 この孤島には武者の血を養分にして育った、樹木が生い茂っていると言われており、まるでその一つ一つがこの島で死んだ人間達の墓標のようになっていた。
 そんな孤島の入江にある白砂利が敷き詰められた決闘場。
 そこで、今宵も二機の武甲人が立ち向かい合い決闘を始めようとしていた。
 片方の色は漆黒、背に大きな二つの加速器である火筒が備わっており、二丈二尺程の長大な野太刀を構えている。
 武甲人はその纏った鎧の大きさから其の身の丈に合う生身では扱えぬような長大な太刀を使うのが常識ではあるが、長くても二丈であり、この二丈二尺という長さは異常という事、他無い。
 その武甲人、銘を『厩源時三式(うまやげんときさんしき)』という。名門と謳われる厩一門切っての天才『源時』の三つ目の作品。
 源時の作り上げた武甲人の中でも特に傑物とされる厩三大甲の一つである。
 それを纏うのは天田流名子派(あまたりゅうなごは)にて認可を受けた一人の男である。天田流は変幻自在を旨とする流派である。
 ありとあらゆる状況に対応し、処理し勝つ、それを基本理念として掲げる流派であり、常軌を逸した技よりも、常軌を逸した対応がこの流派の特徴であった。
 一つの技を持って一ノ太刀を放てば、その技の隙を即座に見抜き対応し打倒する。
  相手をした者からすればまるで悪魔のような剣術。
 だが、それはありとあらゆる状況において完璧な判断力を必要とするという事を示している事に他ならない。
 故に天田流での修練は常に命を危険にさらして行う、試合すらも全て真剣で行い死の傍で修練を行う事により刹那的な判断力を養うのである。
 稽古で死者が出るという狂行。
 天田流の門を叩くのならば千度死ぬ覚悟が必要だというのは剣について多少の知識がある者ならば誰もが知っている事である。

 だが、時を重ねる事に、修練の最中で命を落とすなど馬鹿げているとされ、天田流もその狂気じみた修練を行われないようになっていった。
 それに異を唱えたのが、名子派なのである。
「元来、剣とは修羅の道、命を賭して修練を行わぬ者がその道を極められる事も無し。」
 そういって、本流から分裂した名子派は天田流古来から伝わる命をかけた修練を行った。
 人はそれを昔気質の馬鹿な考えと嘲笑したが、名子派が排出した武者達は、人々にその考えは改めさせる事になる。
 命を賭して得た刹那の対応力は他流の隙を一瞬で見抜き、全てに的確な返し手を放ち、斬り捨てる。
 そうして名だたる武芸者を次々と切り捨てた彼らはまさに阿修羅の如き強さを人々に示した。
 天田流名子派と決闘し生き残った数少ない武芸者は伊達にされた顔で「天田流名子派には触れるべからず、あれは人外の剣なり。」とただ怯えて漏らすばかりだった。
 その天田流名子派の皆伝を受けた男が、天田流秘蔵の武甲人『厩源時三式』を纏ってこの呪ヶ島に立っているのである。
 男の過去を顧みて『追道者』とでも称するべきだろうか…この男、ただ『至高剣』とは何か?それだけを求めて修羅の道を歩む者である。
 さて、それに向かい見えるもう一機の黄土色の武甲人。
 珍しい流星的な曲線を帯びた造詣が印象的で、両肩にある腰までに延びる二つの大きな触手のようなものが目にいく。
 背には二つ、両脚に二つと取り付けられた小型の火筒はこの武甲人が速力を重視して作られたものだと感じさせる。
 この黄土色の武甲人、銘を『鼬蜘蛛(いたちぐも)』という。蝦夷地方で名を馳せた緒方一門を破門された緒方源一郎作。
 緒方源一郎は緒方一門の中でも高い才覚を示し将来を有望視されていた男だったのだが、とある日から奇々怪々な武甲人しか作らなくなったのである。
 刀を持たぬ武甲人『伊賀栗』、体に百本の刀を備え付けた『針鼠』、5丈程の巨躯を誇る『城象』など名甲ではなく奇甲、常人には理解できないような概念を多量に詰み込んだ武甲人を大量に作り上げたのである。
 だが、その奇甲は駄作扱いされる事は無かった。常識に囚われずに作られたそれは、相手に攻撃手を読ませる事無く、理解が届かぬ奇々怪々な機構で名甲を纏った名のある武者すらも敗北を喫した事がある程だ。
 それ故に、この緒方源一郎作の奇甲を高く評価する者もいる。
 だが、それはあくまでその奇甲に緒方源一郎が吹きこんだとされる常識の中を超えた概念を理解し、使いこなしてこそ初めて意味を持つ。
 それ故に、扱いは困難な代物とされる上に、その機構の概要が認知されてしまえば、その武甲人は大きなディスアドバンテージを抱えてしまう事になる。
 奇甲は奇異でありその全貌が掴めない故に奇甲なのである。
 その奇甲の情報が漏洩してしまえば、もはやそれはただの屑鉄に過ぎない。故に奇甲使いは、徹底的にその機構を隠し、その機構を見た相手は全て殺す事を旨とするのである。
 それ故に、割に合わない、知らぬ者しか殺す事が出来ぬ駄甲等と評される事も多々あった。
 強き武者の情報は瞬く間に広がるこの大和において、この弱点は致命的ともいえた。
 さて、『鼬蜘蛛』は緒方源一郎末期の作品とされる奇甲である。緒方源一郎末期の作品は前面に押し出されていた奇異なデザインがなりを潜め、比較的武甲人としての定型に当てはまる形状をしている。
 確かに、流星系というのは異端の形状ではあるが、加速性を考慮して作り上げたのならば理解出来ないものではない。
 武器も目に付くのは腰に一本だけある小太刀のみと機動性を重視して作られている点が見受けられる。
 これだけならば少し変わった機動性を重視した武甲人という枠に収まる代物であった。
 だが、緒方源一郎の作は例外無く奇甲である。
 緒方源一郎の末期の作品が、このような形状になったのは大きな理由がある。

 どれほど奇異な機構を作り上げたとしても、一度、白日の元に晒してしまえばその戦闘能力を露呈してしまい、対策を練られ打破されていく自身の武甲人を見る中で緒方源一郎は悩み、究極の機構とは何か?という命題に挑む事になる。
 見られてしまえばどのような奇々怪々な機構であっても対策を取られてしまい、次へ次へと闘いを続ける内に、それは使いものにならなくなってしまう。
 それを解決する為に緒方源一郎が辿り着いた機構は暗器であった。
 見えてしまうのが駄目ならば見えぬ機構を作れば良いと結論したのである。
 それ故に、外見は比較的に常識的な物を保ちつつ中には多量の機構を隠し持つ、そんな、奇甲を作る事に終始したのだ。
 前期や中期ほどの大がかりな機構が内蔵された武甲人ではないが、それは一見してどのような奇怪な機構が見えぬ奇甲として完成された。
 そして、その中でも傑作と緒方源一郎が死を前にして評したのがこの『鼬蜘蛛』なのである。
 さて、この『鼬蜘蛛』を扱う者、それは流派を持たぬ者である。
 かつては一刀流に身を置いた事もあったのだが、ふとした事でこの『鼬蜘蛛』を手に入れ、魅了され、一刀流における修練すら忘れ『鼬蜘蛛』の研究に走った。
 そして、二十年にも及ぶ研究の末に、自身の剣術と組み合わせて一つの魔技を生みだすに至った。

 -不敗剣―

 決して負けぬ事を意味する不敗、その二文字を冠する剣理をこの『鼬蜘蛛』を纏う者は完成させたというのだ。
 不敗とは幻想である。
 この世に決して負けぬ剣などあり得ない、どのような構えどのような攻撃からも必ず隙は生まれる。
 研鑽を積み重ねる事でそれは限りなく完全無欠に近いモノに近づけるのかもしれないが、それが完全無欠となる事は無いのだ。
 それは人が作りだした者の必然である。
 誰もがこの者が慢心して吐いている世迷い言だと思った、彼らはそれを法螺吹き(ほらふき)と呼んで嘲笑した。
 しかし、これもまた覆される事になる。
 一人の高名な武者がその不敗剣の鼻を明かそうと挑んだが、その武者は文字通り八つ裂きにされ肉塊になって帰って来たのだ。
 一体どのような剣術を用いれば人間はそのように解体されるのか?
 その死に様は不敗剣の異常さを感じさせるに十分なものだった。
 おそらくは『鼬蜘蛛』の暗器が関係しているのだろうと人は予想する、だがあのように人間を斬殺する暗器が存在するのだろうか?
 不敗剣を馬鹿にした武者達はその不敗剣の不気味さに恐怖を感じた。
 だが、馬鹿にした手前、それに挑まず逃げたとあっては武者の恥である。
 よって、また一人の武者が不敗剣に挑む、結果は同じく八つ裂き。
 さらに武者達は恐怖する、そうしてお互いに次は挑むのはお前だと譲り薦め合うようになる中で一人の男がその不敗剣に挑むと名乗りをあげた。
 それが天田流名子派皆伝の『厩源時三式』を操る武者、追道者であった。
 彼は不敗剣を否定し嘲笑などした事は無かった。
 だが、その不敗剣という技に非常に強く興味を引かれてもいたのだ。
 不敗剣とはいかなる理論によって構築された剣であるのか?何を持って不敗などと名付けたのか?
 それが自身の求める『至高剣』に繋がるのではないだろうか?
 そう考え、法螺吹きに決闘を挑んだのである。
 そして呪ヶ島の入江にある決闘場にて、『追道者』と『法螺吹き』、『厩源時三式』と『鼬蜘蛛』、『天田流名子派』と『不敗剣』の決闘となったわけである。
 追道者は中段に構えて徐々に鼬蜘蛛との間合いを詰めていく。
 天田流は基本的には受け技を得意とする流派である、自ら攻撃に出るという事はほとんど行わない。
 故に野太刀を中段に構えて、相手が動くのを持った。
 この野太刀を中段に構えるというのはある意味、異質の構えである。
 いや、剣に置いて中段の構えは攻防を兼ね備えた基本中の基本であるが、厩源時三式がその手に携えるは二丈二尺の長さを持つ異形の大太刀である。
 このような長剣を自在に振りまわす事は困難であり、中段において重要な即応を殺しているとも見る事が出来る。
 中段に構える事で、その刃の長さが大きな威圧感を持つのは確かであるが、それは単なるこけおどしでしかないと見る事も出来る。

 つまるところ、長大な太刀を手にした時点ですぐ様、攻撃に転じられる、上段に構えるのが定石の筈なのだ。
 それこそがこの大太刀の長さと重さ、その双方を最大限に生かす術なのである。
 だが、その定石に矛盾を感じる事は無いだろうか?
 厩源時三式は天田流の理念と余りに違っている。
 相手の攻撃に対して即応し、返し、斬り捨てる、返しの剣。これぞ、天田流である。
 だが、この厩源時三式は長大な太刀を主武装としている点からも大きく攻撃力に比重を置かれた武甲人だ。
 防御を軸とした剣が、何故このような、攻撃特化の武甲人を秘蔵の武甲人としてきたのか?
 そしてその武甲人に対して最も適した上段という構えを取らず、あえて中段を取るのか?
 だが、その矛盾に応える物が天田流には存在している。
 是(これ)、天田流『引き心』と申す構えである。
 あえて、己の不利を相手に晒す事により、相手の意識をそこへと集中させる。
 そしてそれによって自身の不利や隙を限定させる事によって、そこへの攻撃を狙って放ってきた攻撃を逆に斬る。
 天田流の基本とされる心構えの一つである。
 それに伴い、あえて、中段に構えるモノでは無い、長大な太刀を中段に構えているのである。
 敵の目前に極上の馳走をぶら下げて、それに喰いついた所を斬る。
 それはまるで重力によって起こる黒渦の如き吸引力を発揮するのだ。
 最善はあれどもそれが必ずしも勝利に繋がるとは限らない。あえて初手にて不利を取る事によって最終的に大きな利を取る。
 成程、なんとも天田流らしき構えではないか…。
 今、法螺吹きの目の前に下げられている涎が出るほど美味そうな馳走はそのような致死に至る猛毒を染み込ませた餌なのである。
 さて、それに対して、法螺吹きのとった対手は、何もしない事であった。
 腰にある小太刀にすら手をかけず、両手を腰の横にぶらさげ、ただ、そこに立ち続ける。
 追道者が取った引き心が一部に隙を集中させる構えであったとするのならば、その体全てに隙が発生するという構え。
 否、構えですら無いのかもしれない。
 何もしないをしているのだ。
 まるで自分が見せているよりもより大きな毒入りの馳走を追道者は見せられているように感じた。
 すぐさまのその餌に食いつかずゆっくりと相手を見据える。
 そしてそのまま三刻程の時が経過した。
 未だ鼬蜘蛛はまるで攻撃の行動を起こさない。
 それはまるであちらも追道者と同じく攻撃を待ち対応する待ちの戦法に出ているかのように思える。
(このままではまずいな…。)
 これではいけないと追道者は思った。
 相手が掲げているのは不敗の剣である。もし引き分けになどなってしまえばそれは相手が負けなかったという事を意味し、相手の不敗剣はその時点で成立をしてしまう。
 何よりも相手はこれほどの隙を自分に見せているのだ、それに打ちこまず引き分けで済ませたとなれば、一族、流派が末代まで、とんだ臆病者だと笑い物にされるは必然である。
 それは死よりも恥辱といえた。
 故に、選びとれる選択肢は二つ。

 一・此方から撃ちこむ。
 二・お互いのどちらかの体力が切れるまでこのまま待ち続ける。

 一はあまり良い手とは言えない。こちらも待ち手に出ているが、あちらも待ちで出てきている。
 つまり、こちらの攻撃に対してなんらかの返し手があると見るのが妥当である。
 ここで先手を取るというのは火中の栗を拾いにいくようなものであった。

 しかし、二は論外である。お互いの体力の限界、それはお互いがお互いの限界を知らない故にあまりに博打すぎる判断だ。
 何より、今、鼬蜘蛛は一つも武装を構えていないのに対して、こちらは重量ある長大な太刀を構えている。
 構え持つだけでそれなりの負担がかかる太刀だ。
 どちらが体力を先に底をつくか、それは明白な事実であった。
 不利を見せて誘うという策はここに見事に裏目として出たのである。
 故にその策を取るのは愚行と言えた。
(――――仕方無し。)
 追道者はそう結論する。
 何度も頭の中で試行を繰り返したが、あそこから考えうる返し手は無い。
 回避できても武器も構えぬそれがそのまま最速で攻撃に転じる術は無いと考えたのである。
 となると警戒すべきは奇甲の所以なる、暗器か…。
 先ほどから気にかかるのは、両肩から生えている鋼鉄の触手である。
 装飾というにはあまりに大きく、それがその武甲人の機構であるのは容易に察する事が出来た。
 だが、正体のわからぬものに無策で飛び込む程、愚かでは無い。
 刀を握る手の力を抜き、脱力する。
 天田流『心貫』の変形『触れ袖』
 本来受けに回る天田流が双方受けになり手づまりになった場合に取る技である。
 中段からの喉元にかけての突き。
 本来受け技がほとんどの天田流に置いて数少ない能動的な攻め技である。
 中段から最短であり、最も隙の少ない攻撃である突き。
 それに厩源時三式の機構を加える事によって完成させたのが『触れ袖』である。
 鼬蜘蛛は相も変わらず、ただ、構えなく立っている。
「―――――――いざ、参る。」
 それに向けて追道者は腹筋に力を入れ、足を前に踏み入れ突きを放った。
 二丈二尺にもなる太刀はすぐさま、敵の喉元に向けて雷の如く疾走する。
 その瞬間、鼬蜘蛛は屈み、脚にあった火筒に火を吹かせて厩源時三式とは逆の方向に飛んだ。
(――――何っ!)
 追道者は思わず、心の中でそう叫ぶ。
 突きは空を斬り、鼬蜘蛛は火筒から得た速力を持って、自身の背後にあった森の中に身を沈めていったのだ。
 一瞬、何が起こったのか理解できず追道者と厩源時三式は立ち呆けた。
 頭を振り、すぐさまにこの現状を確認し、今、あの法螺吹きが何をしたのかを理解する。 
「そういう事か、不敗剣!!!」
 そう見事にしてやられた事を忌々しげに叫び、追道者は背にある二つの火筒に火を入れる。
 そう、此方の攻撃を放つ、その硬直を狙って、あの黄土色の武甲人は逃げたのだ。
 してやられた、まったく持っての不覚。
 相手が端から勝負を捨ててくる等、考えもしなかった。
 背にある二つの火筒の加速力を持って、追道者操る厩源時三式はすぐさま鼬蜘蛛の逃げた森へと追って行った。








 不敗剣とは如何様な剣が成しうる異形なのか…?
 もし、その理を欲するのならば、そもそもとして闘わなければいいのだ。
 これが法螺吹きと呼ばれた人間が最初に組みたてた術理である。
 鼬蜘蛛の速力を活かした全力での逃走。
 鼬蜘蛛はその脚部のしなやかな懸架装置を用いて森の木々の枝を足場にして次々と飛び越えていく。

 それが不敗剣三手が壱の手『駿足(はやあし)』
 これでこの逃走にて敵が自分を捕まえる事が出来なければその時点で敗北は無くなり、この時点で不敗剣は成立する。
 奇天烈な笑い声をあげながら、法螺吹きは駆ける。
 それに呼応するようにして、鼬蜘蛛の両肩から腰まで伸びる二つの触手の先が大きく円を描くようにして動く。
 そして触手の先は大きな口のように展開しておりそこから何かを放出する。
 弐の手『刀蜘蛛(かたなぐも)』。
 駿足で逃げ切れるのならば、その時点で不敗剣は成立する。
 だが、もし相手が自身に追いつく事が出来たとするのならば?
 その思考は重要だと言えた。
 逃げればその場で見逃す者もいるかもしれないが、ほとんどの相手は自身を追って来るのである。
 鼬蜘蛛は運動性を重視して作られた武甲人であったが、肩に余計な者を背負っている分、本当に運動性、加速性に特化して作られた武甲人の速度には適わない。
 ならばどうするか?
 逃げながら追って来る攻撃を行う事は不可能だ。
 逃げるという行動は相手に背を向けるという行動である。
 それゆえに攻撃を行うには一度脚を止め、相手と向き合わなければならない。
 だが、この鼬蜘蛛はその問題を解決したのである。
(破れるか?天田流、我が渾身の不敗剣を…奢りあれば、この弐ノ手はお主の全てを奪うぞ!)
 法螺吹きと呼ばれた者はそう、心の中で呟いた。






(――――――迂闊。)
 そう苦虫を噛みしめるようにして、追道者は己の纏った厩源時参式と共に駆けながら思う。
 てっきり奴は反撃の機会を窺っていたのだと思っていた。
 だが、違ったのだ。あの大法螺吹きは反撃では無く逃げる機会を窺っていたのだ。
 こちらの攻撃が来るのを見計らって、全力で逃走する。
 それが法螺吹きの目論見だったのである。
 不敗剣。
 敗れぬ剣。
 ならば、敗れぬ剣とは如何様な剣であるのか?
 敗れぬとは必ず勝つ事に非ず。
 そこであの大法螺吹きは考え至ったのだろう。
 闘わなければ負けない。
 もし、この事実が明るみに出れば勝負には何が不敗剣か、勝負から逃げた時点で負けているではないか?という者もいるかもしれない。
 だが、武者の中において勝負とは命を取り合いである事は当たり前の話だった。
 相手を殺した者が勝者であり、そうでないならそれは決着が付いていないのだ。
 つまりはこの勝負は引き分けもしくは無かったという事になる。
 それを続ける事が出来ればそれは即ち不敗、よって不敗剣として成立なしえるのである。
 その逃走の術理を組みあげたモノが不敗剣の正体なのだとその時、追道者は考え至った。
 ただ、その結論には僅かながら疑問に思う所もある。
 その逃走こそが不敗剣の本質ならば、何故、あの法螺吹きに挑んだ二人の武者八つ裂きにされて、帰って来たのだ?
 逃げるだけが脳の技の何がそんな無残な死に様を与えたというのだ?
 つまりは、不敗剣、これだけの技である筈は無いのである。
 故に、追道者は細心の注意を払いながら、鼬蜘蛛を追った。
 追うのが危険と知りつつも追わねばならなかった。何故ならば己はその不敗剣を破るという名目でこの決闘に臨んでいるのである。
 もしこの場で追うのをやめれば、あの法螺吹きは己の不敗剣が成ったと声高らかに叫ぶだろう。
 それをいくら奴は卑怯だ等と罵ってもそれは言い訳にしかならない。
 故にどのようなモノであろうともあの不敗剣を成立させてしまってはならないのである。
 今、追道者に求められているのは奴の言う不敗剣を完膚無きまでに打ち破り、あの法螺吹きの斬殺する事なのである。
(――――しかし、厄介な所に逃げたな…。)
 追道者は腹の底でそう苦々しく思った。

 厩源時三式の主武装で二丈二尺にもなる野太刀はこのような周りに木々がある中で振るうには余りにも長すぎる。
 このような場所で振るうには鼬蜘蛛の小太刀の方が扱い易い。
 つまりは法螺吹きは、自身に有利になる場に逃げ込んだのである。
 目の前に次々と現れる木々を避けながら火筒の推進力を背に厩源時三式は駆ける。
 鼬蜘蛛と比べれば落ちるのかもしれないが、厩源時三式の機動性も低いとは言えないものだ。
 厩一門の武甲人の性能は『全てにおいて高水準(ハイスタンダード)』を満たしている、それが名甲と言われる所以でもあった。
 既に真夜中で視界も悪い。
 月から零れる僅かながらの光も森林の枝葉によって、殆ど無いモノになっていた。
 故に、追道者は厩源時三式の電子眼を暗視形態にして、追っていた。
 暗闇の中にある僅かな光を増幅した緑色に染まった視界を頼りに道を進みながら、あの黄土色の武甲人を探す。
 まだそれほど遠くに行ってはいない筈だ。
 いくら敵が相手が機動性に優れた作りをされていたとしても、この厩源時三式がそう簡単に離される事は無い。
 その時、追道者の目に遠く程先を飛び跳ねる機体の姿が映った。
 視界が緑色に染まっていたのもあり色まで明確に判別出来なかったがあの流星形、間違い無く鼬蜘蛛だ。
 追道者は予想外に早く逃げた鼬蜘蛛を視界に捕えた事を意外に思った。
(――――早すぎるな。)
 確かに、法螺吹きが逃げた後、すぐさま追道者はそれを追った。
 だが、その時点でついた距離はそんな簡単に縮まるようなものでは無かった筈なのである。
 それに外見から見てとれるように機動性を重視した作りの武甲人。
 いくら、厩源時三式が『全てにおいて高水準(ハイスタンダード)』だったとしてもそれに特化した敵機にそうそう追いつけるとも思えなかった。
 それとも自分が相手を高く評価しすぎているのだろうか?
 相手が使っている武甲人は奇甲である。それ故にその奇甲の所以たる機構を搭載していて、それによって、見た目よりも大きな速度が出せないという可能性はある。
 もしくは機構の重みを軽減する為にあのような形状にしているのではないか?
 可能性としては無い話では無い、速度に重きを置いた緒方一門の武甲人の話等、聞いた事が無いからだ。
 もし、緒方源一郎が異才放つものであったとしても、伝統的に長い間、機動性を研究し続けてきた一門の技術と比べるのならば、低いものになっているだろう。
 つまりは、緒方源一郎は武甲人の機動性のノウハウをほとんど零に近い状態から取り込んだという事に他ならないのである。
 故に、あのような造詣をしていても、所詮、付け焼刃でしかあらず、この厩源時三式に追いつかれる程度の速度でしか出ない。
 そう結論する事も出来なくもない。
 いや、この考察は正鵠を得ているとすら追道者は思えた。
 しかし、これにはいくつか疑問に思う点もある。

 不敗剣とは逃走術である。

 それは間違いない。
 だが、ならば何故、あんな武甲人をわざわざ逃走用の武甲人として使うか?
 そもそもおかしいのだ、速度が欲しいだけならば、それに特化した武甲人を手に入れれば良い。
 その武甲人を持って逃走術を練ればいいのだ。
 しかし、あの法螺吹きがその不敗剣を構築する事が出来たのは、鼬蜘蛛を手に入れたからだという。

 つまりは、その上で鼬蜘蛛にしか出来ない何かがありそれによって理論を構築したという風に思えてならなかった。
(―――ならば、その手、まずは見せて貰うとするか…。)
 『触れ袖』の構えを取る。
 このような森林地帯では刀を横に振るという行為は木々が邪魔になりあまり容易ではないが、突きであるこの触れ袖ならば、それを無視して敵の位置まで行ける。
 脚を止め、刃を上方にいる鼬蜘蛛に向け、一つの保険を賭けて、再び火筒に火を入れその推進力を持って突撃する。
 火筒から発せられた炎によって推力を得た、厩源時三式は己の身を一本の刃として、向かった。
 その瞬間、鼬蜘蛛の触手が上へ、下へ、左へ、右へと縦横無尽に動いた。
 しかして、動いた所で、未だ、厩源時三式は触手の射程外にその身を置いていた為動く触手にその身を当てる事は無かった。
 つまりは攻撃してくる相手に自動的に迎撃を行う機構と言った所なのだろうか?
 訝しげに思いながらも、鼬蜘蛛は突撃を続け―――
 その刹那、追道者は見た。
 本来ならば気づけるかどうかすら程の刹那、触手が何か細い何かを巻きあげるようにしたのを見たのである。
 そしてその一瞬で、それが何なのか、追道者は理解した。
(――――――くっ――間に合うか…。)
 求道者は厩源時三式の胸部を開き、火筒を展開した。
 これこそが厩源時三式の機構である『胸筒』である。
 小型の火筒での逆噴射を用いての間合取りを主とする機構。
 それを最大出力で吹かせ、減速する。
 それと同時にぱすっと間抜けな音がなって、兜の一部が切断された。
 それに続くようにして武甲人の各部が切断されていく…。
「―――――ちぃ。」
 求道者は咄嗟に野太刀を横にあった巨木に向けて逆刃にして深く突き刺した。
(――――止まれ!!!)
 既に加速しきった機体は野太刀がしなるようにして機体が進もうとするのを止める。
 野太刀が折れるかどうかの、その瀬戸際で減速に成功する。
 そして、そのまま宙にいた、厩源時三式は推力を失いそのまま地に落ちる。
 その中で、追道者は思う。
 そう、これが不敗剣の正体だった。
 不覚、なんたる不覚、確かに迎撃される恐れは考えていた。
 自分の攻撃に対してどのような迎撃をされてもそれに対応する心構えはしていた、その為の『触れ袖』であった。
 だが、考えが甘かったのだ。
 既に迎撃されているとは思いもしなかった。
 だが、全てに納得がいく、八つ裂きにされた死体、自らに追いつかれた事、不敗剣と名付けた事の実態。
(成程、これが不敗剣の正体であったか…)
 そして、追道者の視界にはうっすらと鼬蜘蛛の放った剣を見て、地に落ちていった。





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