南西日本テレビ

南西日本テレビ放送網株式会社(なんせいにほんてれびほうそうもう-)は、1962年から1993年まで存在した新琉都を放送エリアとする日本テレビ系列の妄想民放テレビ局。英略称NNTのほか、南日テレビ(へーぬひてれび)という愛称もあった。
現在の沖縄かりゆし放送の前身のひとつである。

NNT那覇マスタリングセンター

沿革

  • 1962年8月28日:新琉都ではNHK沖縄放送局新琉都局(当時は琉球放送協会)についで2番目、民放ではラジオを含めて初の放送局としてアメリカ施政権下の琉球政府新大東海上都市内限定で開局(ただしスタジオは那覇市内にあった)。当時のコールサインはKSAW-TV。当時は社名通り日本テレビの支援は受けていたもののオープンネットだった(ネット番組は日本テレビ5:RBC/OTVのローカル1:他系列4)。
  • 1966年12月19日:カラー放送開始(在琉球民間向け初のカラー放送)。
  • 1970年10月1日:琉球教育テレビが開局したことに伴い、まずNET(現在のテレビ朝日)とTBS(一部)の番組がRETに移る。
  • 1972年5月15日:領土返還されるも、日本の放送局としては認められず、紛争が起きる。
  • 1973年7月1日:天孫地間花国政対策室管轄に入り、コールサインJS6AW-TVを割り当てて難を逃れる。
  • 1973年10月1日:テレビ新琉球(現在のテレビ琉球)が開局し、TBS・フジテレビの一部番組が姿を消す(開局間もない東京12chは元からあまり放送していなかった)。
  • 1975年3月31日:関東地区資本整理の影響でTBS・ABC系および那覇RBCの番組が完全に姿を消し、NNNにオブザーバーで加盟する。
  • 1977年10月1日:RBC・OTV乗り入れによりフジテレビ系(那覇OTV含む)番組も消え日本テレビの単独ネット局になる。
  • 1980年代:沖縄県内で放送できるよう日本の旧郵政省(総務省)に電波割り当ての要望が出される。
  • 1981年4月:地上3階、延べ床面積1万2000㎡の下那覇制作センター(のち新琉都センター)落成。
  • 1989年5月9日:発起人の一部がこの日の南西放送発起人会に参加。参加を知らされていなかった一部の株主が激怒(国場組など)。
  • 1990年6月29日:従業員の半数を「沖縄新局で雇用しない」と通告された労組の停波ストにより秋篠宮ご成婚を放送できない大失態を犯す。
  • 1992年1月:沖縄地区30ch割り当てにより、廃局と南西放送へ電波継承がきまる。
  • 1993年3月31日:「これからも南西放送を宜しくおねがいします」のメッセージを出して、4月1日午前0時に停波。

  • 那覇スタジオ跡地は金秀商事に売却されかねひで文化会館として使用の後、2008年3月に閉鎖され取り壊された。スタジオ跡地は沖縄ホテル・アネックスの一部となる予定。
  • 新琉都センターは沖縄かりゆし放送新琉都支局が入居している。

過去の自社制作番組

  • NNTニュース
    • テーマ曲は開局から放送局承継まで一貫してミシシッピ組曲の「ハックルベリー・フィンより」(ウルトラクイズ勝ち抜けテーマとして有名)である。
  • ニュースターミナル
  • こんにちはNNTです

過去の系列局制作番組

過去の他系列局制作番組


主な放送局

新琉都 アナログ 4ch
※開局当初はなりなし(1973年7月1日開設)。送信所は首里城新殿東方の山
  • 現ROKテレビ開局前に廃止された中継局
    • 1988年3月31日廃止
下那覇 アナログ 4ch
武儀 アナログ 4ch
武儀東 アナログ 54ch
中街道 アナログ 47ch
なりなし浜 アナログ 53ch
下那覇北 アナログ 43ch
鮎美 アナログ 53ch
馬場 アナログ 48ch

過去に所属したアナウンサー

  • 男性アナ
    • 安次富隆一(1988-1993、閉局後フリーアナになったのち東京へ)
    • 上原健助(TVR開局とともに移籍・現TVR報道制作局長)
    • 高良宏明(日本テレビ那覇支局出向→南西放送開局時に移籍)
  • 女性アナ

オープニング・クロージング

  • オープニング:グリーグ作曲・ペールギュント組曲「朝」
  • クロージング:ラフマニノフ作曲・ピアノ協奏曲第2番終楽章
いずれも

備考

  • 局名の由来は、日本の南西にあるテレビ局をアピールしよう(これは実在した計画の南西放送でも同じ)ということで創立時に決まった。他の候補は「琉球中央テレビ」など。米民政府からは特にクレームはなかったという。
  • にもかかわらずこの局の歴史が、2010年のラジオ開局50周年を祝う(社史にも記録される予定)ため2009年の沖縄県テレビ開局50周年番組で、はじめてその存在がとり挙げられるまで現在の沖縄かりゆし放送に継承されなかったのは、発起人が国場組と琉球大学財団(現存しない)だからであり、現存の南西の発起人だった 金秀グループ は国和会所属だったが、国場幸太郎氏の逝去後は離脱し、金秀の呉屋秀信氏がポスト国場の座に着いたからである。また、国場組が金秀グループを裏切り琉球放送系の琉球朝日放送へ肩入れしたことも大きい。

現在の沖縄県・新琉都域の放送局


外部リンク


ネットワーク NNN・NNS
北海道・東北 STV・RAB・TVI・MMT・ABS・YBC・FCT
関東・甲信越・静岡 NTV・YBS・TSB・TeNY・SDT
中部・近畿 CTVKNB・KTK・FBCytv
中国・四国 NKT・RNC・JRT・RNB・RKC・HTV・KRY
九州・沖縄 FBSSYT・NIB・OYT・KKT・PXT・KYT・ROK
かつて加盟していた局 OX・FTV・NST・SATV・THK→NBN・KTN・TOS・TKU・UMK・KTS・NNT
BSデジタル BS日テレ

おことわり
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最終更新:2011年12月09日 13:31