信越放送株式会社(しんえつほうそう-)は、
長野県を放送対象地域とする
放送局である。略称はSBC。
英称は'''Shin-etsu Broadcasting Co.,Ltd'''。
英名 |
Shin-etsu Broadcasting Co.,Ltd |
英項名 |
Shin-etsu Broadcasting |
テレビ地域 |
長野県 |
ラジオ地域 |
長野県 |
テレビ系列 |
JNN |
番組 |
TBSネットワーク |
ラジオ系列 |
JRN、NRN |
略称 |
SBC |
愛称 |
SBCテレビ |
ラジオ愛称 |
SBCラジオ |
コールサイン |
JOSR・JOSR-(D)TV |
識別符号 |
SBC(デジタル)テレビジョン |
テレビ開局 |
1958年10月25日 |
ラジオ開局 |
1952年3月25日 |
住所 |
〒380-8521 長野県長野市問御所町1200番地 |
演奏所 |
本社と同じ |
アナログ親局 |
美ヶ原 11ch |
デジタル親局 |
美ヶ原 16ch |
リモコンキーID |
6 |
ラジオ親局 |
長野 1098kHz |
概要
沿革
- 1951年8月 - 長野市西後町の個人商店内に創立事務所を設置。
- 1951年10月18日 - 信濃放送として設立。(英称はShinano Broadcasting Co.,Ltd。略称はSBC。)
- 1952年3月25日 - 全国8番目の中波放送開始。(JOSR, 1480kc, 500W)
- 1952年4月30日 - 信越放送と社名を変更。(略称は変わらないが英称が
Shinano
から
Shin-etsu
に変更された。)
- 1952年12月6日 - 出力が500Wから1kwに増力される。
- 1953年3月25日 - 松本放送局開局。(JOSO, 540kc, 100W)
- 1953年7月25日 - 岡谷放送局開局。(JOSE, 1960kc, 100W)
- 1954年2月25日 - 飯田放送局開局。(JOSW, 1220kc, 100W)
- 1956年10月1日 - 各放送局の周波数が変更される。(長野本局、1480kc→1100kc 松本局、540kc→1600kc 岡谷局、1960kc→800kc 飯田局、1220kc→1060kc)
- 1957年11月23日 - 上田放送局開局。(JOSL, 800kc, 100W)
- 1958年9月25日 - 美ヶ原テレビ送信所完成。
- 1958年10月25日 - テレビジョン放送開始。(JOSR-TV,美ヶ原11ch,映像1kW,音声500W ただし、本放送開始は同年11月15日)
- 1959年5月29日 - 松本放送局の出力が100Wから1kWに増力される。
- 1959年8月1日 - ニュース系列JNN発足と同時に加盟。
- 1959年10月 - テレビ朝日|日本教育テレビ(後にNETテレビ・現在はテレビ朝日)の学校放送番組のネットを開始したことにより午前の放送を実施。学校放送のネットは1972年まで続く。ちなみにこれが縁で1967年6月に民間放送教育協会正式発足と同時に加盟。
- 1960年3月25日 - 初のテレビサテライト局・善光寺平中継局開局。
- 1962年10月1日 - 飯田放送局の出力が100Wから1kWに増力される。
- 1964年10月25日 - テレビカラー放送開始。
- 1965年5月2日 - ラジオネットワークJRNに加盟。5月3日にはNRNにも加盟。
- 1967年3月1日 - テレビ全日放送実施。
- 1967年7月1日 - 長野県県域初のUHFテレビサテライト局・軽井沢サテライト局開局。(※NHK長野放送局と共同建設で同時に開始。)
- 1967年10月1日 - カラー自社送出装置が完成し自社制作番組のカラー放送が可能になる。
- 1968年8月23日 - 初のラジオサテライト局・伊那放送局開局。
- 1969年4月1日 - 長野放送の本放送開始に伴い、フジテレビの番組が移行。
- 1970年1月13日 - ニュースフィルムがカラー化。この日から自社制作分のニュース番組が全面カラー化される。自社送出装置完成後、ローカルニュース番組もカラー化されてはいたが、カラー化されたのはスタジオセットのみで取材フィルムはモノクロで放送されていた。
- 1970年4月1日 - 安田浄アナウンサーがJNNニュースデスクキャスターに就任したため東京放送へ出向。(~1971年3月31日まで。)
- 1970年10月8日 - オールナイトニッポン放送開始によりラジオ24時間放送実施。
- 1973年10月1日 - 松本サテライト局がVHFからUHFに切り替えられる。(※NHK長野放送局松本サテライト局と同時。)
- 1975年3月31日 - この日を持って関西発全国同時ネット番組が朝日放送制作から毎日放送制作に移行する。
- 1976年4月5日 - 長野県初のローカルワイドニュース番組「SBCニュースワイド」がスタート。
- 1977年11月10日 - 八千穂サテライト局がVHFからUHFに切り替えられる。(※NHK長野放送局八千穂サテライト局と同時。)
- 1978年11月23日 - 長野本局の周波数がこの日から1100kHzから1098kHzに変更。
- 1980年7月1日 - テレビ音声多重・ステレオ放送開始。
- 1980年10月1日 - テレビ信州開局により、大半の日本テレビ・テレビ朝日制作番組が移行。
- 1981年4月30日 - この日を最後にテレビ放送開始以来続けていた16mmフィルムによる取材・番組制作を終了しVTR取材・番組制作に完全移行。
- 1984年12月28日 - 善光寺平サテライト局がVHFからUHFに切り替えられる。(※NHK長野放送局善光寺平サテライト局と同時。)
- 1985年12月19日 - 佐久サテライト局がVHFからUHFに切り替えられる。(※NHK長野放送局佐久サテライト局と同時。)
- 1991年4月1日 - 長野朝日放送開局により、一部残った日本テレビ、テレビ朝日制作の全番組が姿を消し、これによりテレビ東京系列以外の他系列番組が姿を消す。
- 1995年1月26日 - 戸倉上山田サテライト局がVHFからUHFに切り替えられる。(※NHK長野放送局・長野放送戸倉上山田サテライト局と同時。)
- 1997年12月1日 - 翌年に開催される長野オリンピックに向けて、JR長野駅東口にサテライトスタジオ「SBCオリンピック・夢パーク」を、五輪終了まで開設。テレビ・ラジオでスタジオ名と同タイトルの情報番組「オリンピック夢パーク」を連日放送。
- 2005年 -2006年の本社移転に先立ち、中波放送送信所を長野市吉田の本社から長野市屋島に移転させる。この際、近隣にあったグライダーの航空路に影響があるという申し出があった。
- 2006年8月23日 - 地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送サイマル放送開始。
- 2006年8月28日 - AM5:00(JST)を起として長野市問御所町の再開発ビル
TOiGO(トイーゴ)
からラジオ本放送開始。
- 2006年9月3日 - 本社所在地を長野市吉田から同市問御所町に移転。(10階建てのビルのうち地上4階~10階がSBCの社屋である)同時に、テレビのマスターをデジタルマスターへ更新。(NEC製)AM5:30(JST)を起として同所からテレビ本放送を開始。初放送番組は『
生きる×2
』。テレビの時刻出しフォントを後期丸フォント(隣県の新潟放送|BSNと同じ)に変更。通常フォントの大きさはやや小さめで、系列局のテレビユー福島 (TUF)とほぼ同じサイズ。
- 2006年9月4日 - 長野市問御所町への本社移転登記を完了。これを機に開局以来初の正式マスコットとして「
ろくちゃん
」がお目見え。マスコットは一般公募により制定されフクロウがモチーフ。名前はリモコンキーチャンネルの「6」に由来。
- 2006年10月1日 - AM4:30(JST)、地上デジタル放送本放送開始(コールサインはJOSR-DTV、チャンネルはリモコンキーID6)。
おことわり |
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最終更新:2009年06月07日 11:58