――第一の情報が開示されました
◆
「今夜のパーティーのために、大きなケーキを焼いたの……」
身に纏う立派な白いドレスを、身体から流れる血液で、赤く黒く染め、地面にへたり込みながら、女王はうわごとのように言いました。
誰もが綺麗だと褒めてやまないその顔には、赤と青の入り混じった、殴られたような跡が残されており、少し前の美貌の面影など、何処にも感じられませんでした。
「コーヒーはいかが……あなた……」
女王は、自分を酷い目に合わせた男に、虚ろな目線を投げ掛け、壊れたオルゴールのように呟き続けました。
目の前で佇む、野球選手が着る様なユニフォームを纏うその男に、女王は、嘗て彼が優しかった時の面影を重ねていました。
「羽虫の女王よ。お前の配下たちに加わる時だ。何もかもが間違っていたんだ。過ちは忘れて、美しい夢を見るといい」
単調とも、冷淡とも言える言葉の調子で、男は返答しました。
女王の質問に答える様子もなく、アテの外れた返事をするだけの男に、女王は絶望してしまい、その瞬間、彼女の心は壊れてしまいました。
透き通るように白い肌に包まれた両腕は、今や男の暴力で酷く複雑に折れてしまい、そんな手を、彼女は必死に、それでいて緩やかに動かしました。
何かを抱く様な仕草を胸の前で作り、女王は、男に対してこう口にしました。この時、女王の身体は、既に薄く掠れて――。
「見て……あなたの目にそっくり…」
その言葉を最後に、女王など初めから何処にも存在しなかったように、彼女は、この世界から浄化されてしまいました。
「両目とも、恐怖で満たされた目だ」
男の返事は、何処までも、氷の如く冷たく、慈悲などなかったのでした。
◆
われわれが死んだとき、われわれは直ちにもろもろの可能性からなる果てしない宇宙に放り出されることになるのだろうか
それとも、そこから見ればこの世はその外皮に過ぎないが、
それ自身もより高度な諸次元の非連続的な一部でしかないような、もうひとつの世界へと移動することになるのだろうか
――チャールズ・サンダース・パース、連続性の哲学
◆
鏡に、自分の姿が映っている。
鏡である以上、其処に自分の姿が映るのは当然の帰結であった。
幽霊や亡霊、ヴァンパイア等の、超自然的、或いは前時代的で迷信的な存在は、鏡に映らないとも言うが、この白い猫は違った。
肉と骨とで構成された己の身体を持ち、己自身の意思を持つ、確固とした一つの命。白い猫は、量子力学者であるシュレディンガーの実験に使われたあの猫じゃない。明白に、其処に存在する、実在(リアル)の存在なのだ。
「我が姿ながら、醜いものだ」
グルル、と唸りを上げ、猫は口にした。猫が人の言葉を、猫の声帯で口にする。これもまた、俄かには信じ難いが、確かなるリアルなのだった。
「俺の目には、変わりない姿にしか見えぬがな。修行が足りないのかな、俺も」
言って、猫の後ろの男が、猫の独り言にそう答えた。
背中の中頃まで伸ばした、緑色の後ろ髪が特徴的な、端正な顔立ちをした男であった。
インドの民族衣装であるところの、ドーティに似た白色の衣服を身に纏っており、其処から微かに見える生の身体つきは、見事に磨かれ鍛え上げられたものだった。
纏う服次第では、細見の優男にともすれば見えるだろうが、その実、極めて高いレベルで、己の身体を切磋琢磨していた事が、解る者には一目で解る、見事な身体つきの持ち主である。
「……どうやら、心の籠っていない謙遜と言うのは、猫の紳士の鼻にもつくようだ」
緑色の髪の男の言葉に対し、猫は、やや侮蔑の入り混じった声でそう返す。
厭味ったらしさすら感じられる言葉に対し、言われた男は、常に浮かべている、あるかなしかの微笑み(アルカイックスマイル)を浮かべたまま、恬淡とした様子で口を開く。
「素直は美徳ではあるが、傷付けない為に赦される嘘と言うものもあろう。方便、と言う奴だな」
「優しい嘘とでも言うつもりかね? それは、嘘を嘘と見抜けない、スキットルの容量程度の知識しかない者にだけ赦されるのだよ。真実を見抜く炯眼の持ち主には、その嘘は正直な告白よりも怒りを買う」
「で、君は怒っているのかな。マスター」
男の言葉に対し、猫は、既に用意されていたかのように、言葉を返した。
「誰もが愛を注いで止まない、か弱くも愚かな猫を、恐るべき復讐者に変える程の怒りを抱かせる者は、この世にただ一人」
「それが、聖杯戦争の戦端を開く事になった原因か。哀しい程に……」
「愚か、だな」
緑髪の男が、言いかけようとしたが、喉奥にひっこめさせた言葉を、猫は即座に言葉にしてしまった。自覚が、あるようであった。
「もっと他に良い方法が、あったのではないかと自問する事も一度や二度ではない。だが、私の脳の大きさもまた、猫の額相応の大きさらしくてね。これが一番のように思えてならないのだ」
「そして何よりも」
「この方法を無碍にしては、滅びと共に、私に『智慧』を授けてくれた、我が朋友、ブネが余りにも報われない。彼の意を汲む為にも……白に堕ちた旧き世界の為にも。私は、『奴』に審判を下さねばならない。例えその行為の咎を受け、私が奴と同じ地獄に堕ちようとも」
「……それがお前の意思であるのならば、俺も否定はせんさ。元より俺は、この聖杯戦争に招かれたルーラー。『私』に成し得なかった事を成し、『私』の到達出来なかった地平を果たそうとするだけよ」
「君は、それでいいのだ。ルーラー。私と同じ愚をなぞる必要性は、君にはないのだ」
其処で猫は、白い壁に立てかけられた薄鏡の方に向き直り、其処で身体を丸めて見せた。
「見よ、鏡に映る我が姿を」
ルーラーに……いや。
自分に言い聞かせているかどうかすらも解らない、心此処に非ずと言う態度。虚空か、或いは、遥か数億光年で寂しく輝く恒星にでも語りかけているかのような声音であった。
「――『ジャッジ(審判)』などと言う、仰々しい名を与えられた、薄汚れた復讐者の姿を」
ジャッジと名乗る白い猫は、己をそう蔑みながら、静かに眼を閉じ、一度の眠りに堕ちた。
鏡に映っていた、毛並みの薄い白い猫の姿である自分が。黒い憎悪と言う想念を纏う、醜いネコ科の怪物に見えてしまい、まるで、それから目を背けたい、とでも言うような態度であった。
◆
鋼衣を纏う天使 信念との婚約者 星を見る人
ジュデッカ 不壊の盾 血塗られた献身 陽を堕とす者
流離の子 in the nightmare
Dance of the Seven Veils 真理の旅人
蓮の台 ソルニゲル
革者
解放された世界 Fate/Bloody Zodiac ■■海底都市冬木 回帰の白
物語の王
聖剣の肉叢 監視者 餓狼伝
アイボリー・メイデン 最終戦争 総ての乙女の敵
キング・オブ・クロスオーバー
不死の罰 風の王 諸行無常の響きあり
雷霆征服 日ノ本斬殺 殺られた事にも、気付かない 破滅的終局
久遠の赤
◆
ZONE1――『星を見る人』
人が安心して今日を生きる上での前提条件は、きっと、お金をたくさん持ってるだとか、友達が両手の指じゃ足りないくらいにいるだとか。
もちろん、そんな事も重要な要素何だろうけど、それよりもなお先立った、大切な要素があるように私には思う。
では、それは何かと言われた場合、私は、頭の検索エンジンをフル活動させて諸々の考えを篩にかけ、最後に残った幾つかの検索結果から、『未来が見えない事』を上げるだろう。
未来が、見える。
素晴らしいじゃないか。全人類共通の夢の一つに、空を飛ぶ、と言うものがあるらしいが、未来を見る事もまた、全人類普遍の夢の一つではあるまいか。
まず、テストに対して無敵である。学校のテスト――一応宇宙飛行士を目指していた時期があったので、不様な点数はとらない――はもちろんの事、
大学でやがては受けるだろう学期末のテストも、近い将来取る事になるかも知れない諸々の資格試験の類も楽勝だ。何せどの問題が出るのか予め解っているのだ。
チートも良い所だろう。次に、未来が解ると言う事はつまり、乱数と偶然を制するも同義である。ぶっちゃけて言えば、競馬、宝くじ、ポーカー、スパイダーソリティア。
およそあらゆるギャンブルで負けなしになるのだ。それはそうだ、未来の結果をカンニングできるのであるから、不確定要素があるからこそ賭けが成立する、
ギャンブルと言う競技で負ける筈がないのだ。このギャンブルと言う言葉を、株に置き換えても話は通じるだろう。未来が見えると言う事は、まさに運命を足元に敷いたも同然のような力なのではあるまいか。
成程、確かに未来が見えると言う事は、実に素晴らしい事のように思えるだろう。
だが、これでは最初に私の言った、未来の見えない事は安心して生きられる、と言う事とやや矛盾する。
何せ未来が見えると言う事は良い事ばかり、良い事が多いと言う事は、イコール、安心感に繋がると普通は思うだろうから。
通常は、確かにそうだ。だけどそれは、見える未来の『程度』にもよる。仮に、一から十、つまり生まれた瞬間から人生の最期まで未来の見れる人間がいたとして。
その人物の人生は、最期まで幸福であるのか、と言われればきっと違うだろうと私――『瞳島眉美』は考える。
人生の最期とは当然の事ながら、その当人の『死』だ。まさか自分が死んだ先の事まで未来視出来るとは、――未来視自体があり得ないとは言え――普通考えられない。
人が死ぬ事は、避けられない。生きている内に凄い科学が発展して、寿命が二百年、三百年、千年伸びたとしても、結局はその人物は死ぬ。
老衰だったり病気だったり、事故だったり、誰かに殺されたりだとか。原因こそ様々だが、人間が死ぬ事は不幸な出来事でも、注意していれば避けられた事でも何でもない。
不可避なのだ。どんなに対策を講じようとも、絶対に避けられない。多分、人の一生とは、回りを将棋の『歩』で大量に囲まれた『王将』のようなものなのだろう。
将棋の
ルールで一マスしか進められないのが歩であるが、それでも、確実に一マス一マス距離を詰める。如何に王将が全方位に移動出来るコマでも、一千個以上の歩に囲まれれば、王手を取られてしまうのは自明の理。結局人間の一生の長い短いとは、この周りの歩のコマが、初期段階で王将のコマからどれだけ近付いていたか程度の事なのだろうと、私は思う。
その、避けられない死が、初めからどのタイミングでやって来るのか解っている、と言う事の緊張感たるや、陳腐な言葉だが筆舌に尽くし難いだろう。
何度も説明するような事はないし、それを承知でまた説明するが、死ぬ事は避けられないのだ。果たして、何時何処で、どうやって死ぬか解っている人間が、である。
安心して生きられるものなのだろうか? 個人的な考えになるが、私は出来ないと思う。当たり前だが、多くの人間は自分がどのタイミングで死ぬかなど解りっこない。
どう考えても解らないものに対して、神経質に思い悩むのはそれはもう病気である。考えても仕方がない。だから、多くの人間は、いつか死ぬのは解ってるけど、
それと今とは話は別、とでも言う風に今日を生きるのだ。それが、今この瞬間にでも解っている人物は、そうも行かないだろう。
しかし、私はもちろん未来が見えるなどと言う芸当はできないし、それ故に、自分が死ぬタイミングすら理解出来ている人物の気持ちなど推し量れない。
推し量れないが、手前勝手にその人物の気持ちを忖度するのであれば、相当に恐ろしいと思っているのではないかと考える。気が気では、ないだろう。
何せ死と言うゴールが見えている以上、過ごした一日一日がその“終わり”に近付いている事がリアルタイムで理解出来る上、どんなに努力しようがお金を積もうが、
死ぬ事は避けられないのだ。小石を一日一粒づつ、口から胃に入れて行くような恐怖を、味わうようなものだろうか? これ程生きた心地がしない人生も、そうないだろう。
長々と語ったが、今ここまで語った事は、全部、私瞳島眉美の勝手な解釈だ。
これが、未来の見える人物全員が思っている事だとは、無論私も思っていない。もっと別の事を、考えている可能性だって大いにある。
大いにある、が。少なくとも私は、そんな気持ちであったと言うだけに過ぎない。しかし、こうは言っても、前述の通り私に未来が解る力などない。
ないが、確実に私から言える事が一つあるのだ。そう、『私は近い内、自分が死ぬかもしれない程の大きなイベントに巻き込まれる』。
これは予感ではない、既に確定している事なのだ。私は、ひょっとしたら生き残って元の世界に戻れるかもしれないし、もしかしたら死んでここに骨を埋めるかも知れない。
それ程までに凄絶なイベントの、中心人物の一人として確実に私はカウントされている。
聖杯戦争――字面だけ見ればとても綺麗で神秘的だ。それに聖杯の探索など、あのトラブルと愚かさと美しさが人の形をして服着て歩いてるような探偵団ならば、
喜んで引き受ける事であろう。だが、その実態たるや、自分以外の全参加者を全部抹殺して初めて聖杯が現れると言う、美しさの欠片もないものと来た。
そんな物に巻き込まれて、それではそれが行われるまでの間この冬木の街で割り当てられたロールをいつも通りに過ごせ、など、できるか!!、と言う話になる。
ハッキリ言って、いつ、聖杯戦争の参加者どうしのいざこざに巻き込まれ、血で血を洗う戦いを目の当たりにしてしまうのか、
私は気が気でならなかった。私の呼び出したサーヴァントのアドバイスに従い、いつ襲われても大丈夫なよう、常に気を張ってはいたが、これが意外や意外。
嵐の前の静けさとはこの事か、と言わんばかりに、聖杯戦争の関係者と思しき人物からのコンタクトがないのである。まるで生殺しだ。
今私は、穂群原学園の中等部二年生と言う役割を自動的に与えられ、それを全うしている訳なのだが、
正直な話、今の今まで誰かから攻撃されなかったのが不思議な程だった。私がこの冬木に無理くり呼び出されて、早三日。
もうそろそろ、何らかの予兆めいた物があっても、おかしくはない筈なのだが……。
【あっても良いものではないだろう】
……この、念話と言う会話手段には、全く慣れない。
サーヴァントとマスターが、思った事を口に出さずに相手に伝達出来る会話手段。言ってしまえばテレパシーだ。
この、頭の中に声が響く感覚に、私は全然順応しない。今も、ビクッ、と傍目から見たら不自然な程肩を上下に跳ねさせてしまった。
【あぁ、すまないな。君があんまり念話に慣れていない事を忘れていた】
と、声を抑え目に、私の呼び出したライダー、『ガガーリン』は反省の籠った声音でそう言った。
【君としては、なるべく周りの環境に変化が起って欲しいのかな、マスター】
【命に関わるレベルでのそれはちょっと】
【わたしとしても同じだよ。有名人であったと言う自覚はあるけど、御伽噺の住民達と切った張ったを行える程強くもないのだよわたしは。情けない話だが、戦闘自体はなるべく起こって欲しくない、と言うのが本音でね】
サーヴァント、つまりは、非力な私が聖杯戦争を乗り切る為にその命を預けねばならない、一蓮托生の相手である。
普通なら、それ程までに大事なパートナーがここまで弱気な発言をしている事に、寧ろ怒らなければならない所なのだろうが、
地球上で初めて有人宇宙飛行を成し遂げた、偉人の中の偉人。宇宙飛行士を目指していた頃の私が最も憧れ、今でも尊敬の対象としている人物にこう言われると、私も弱い。
と言うより、ガガーリンに化物と戦え!! と命令するなど、通常の思考回路の持ち主はできるだろうか。いーやできない。
ガガーリンに対してドラゴンと一戦交えろなど、羽生名人に新幹線より早く走って見ろとか言うような物である。早い話が、正気の決断ではない。
だが、その正気じゃない決断を下さねば、自分は生きて帰れないと言うのだから、やってられないし泣きたくなる。
【だが、わたしもサーヴァントとしての本分は忘れていないよ。必要とあれば、宇宙飛行士として鍛えて来たこの身体。何処まで通じるかは解らないが、最善は尽くすつもりだ】
【頼りにしてます】
生返事ではない。宇宙飛行士になる訓練と言うのはそれはそれはハードだ。
それを潜り抜け、見事人類初の有人宇宙飛行を成し遂げた偉人として、歴史にその名を永久に刻んだ男がそう言うんだ。それを信じてやらねば、嘘である。
【それにな、マスター。予兆がない、と言うのは我々の回りでだけだ。君も今朝知っただろ?】
【……『先日の事件』】
【そう言う事だ。確実に、盤面は動いている。それを、意識する事だよ】
ガガーリンに言われるでもない。
あんな事件が起こった以上、嫌でもそれを意識せざるを得なくなる。
本当を言えば、いつまでもこの、聖杯戦争が始まっているとは思えない程、当たり障りのない時間が、私の回りでだけ流れていれば良いと思っていた。
だが、そんな現実逃避もいつまでも使えないだろう。現実には、既に火蓋は切って落とされているのだ、
元より人より行動が早い方とは思えないが、こと命が掛かっているとなれば、私も最大のパフォーマンスを披露せねばならない。
今後の身の振り方を考えがら、私は、学生鞄に教科書を纏め、穂群原学園における私の教室から早く退室しようとする。
【ゴールデンウィーク……と言うのか、この国では。わたしの国ではそんな慣習はなかったが、折角の連休を憂鬱に過ごす羽目になるとはな】
全くである。
仮初の空間とは言え、私達学生にとってこの大型連休は干天の慈雨とも言うべきものなのだ。
それなのに、GWが聖杯戦争で潰れてしまうなど、およそあり得ない運の無さだ。これでは、まだ普段通り学校に出ていた方がマシというものである。
溜息を殺しつつ、私は教室から出て、早い所自宅へ戻ろうとする。私が一頭早く、教室から出るものかと思っていたが、このままでは二番手になりそうだった。
鞄を抱えた瞬間に、教室から一人の同級生の男の子が足早に退室したのを、私は横目で見た。如何やら彼が一番乗りらしい。
クラスメイトが、元居た世界とは全く違う人物達の集まりの為、まだ名前と顔が合致していない。出て行った男の子は、誰だったか。岸、と言う最初の字は憶えていたのだが……。
◆
鋼衣を纏う天使 信念との婚約者
ジュデッカ 不壊の盾 血塗られた献身 陽を堕とす者
流離の子 in the nightmare
Dance of the Seven Veils 真理の旅人
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物語の王
聖剣の肉叢 監視者 餓狼伝
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不死の罰 風の王 諸行無常の響きあり
雷霆征服 日ノ本斬殺 殺られた事にも、気付かない 破滅的終局
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ZONE2――『諸行無常の響きあり』
正しい魔法少女だったら、聖杯戦争の事をどう思うだろう。
『岸辺颯太』は考える。子供の頃に見た、魔法少女達が活躍する作品の数々は、日常での生活や、恋愛、戦闘など、それぞれ重きを置いている方向性が違っていた。
しかし、向けられるベクトルこそ違えど、根幹となる要素は、実はそれほど変わらない。そもそも魔法少女の物語とは、子供の情操教育の一環としての向きも強い。
そう言った性質から必然的に、その物語の根底には、子供の健やかな成長の一助となる、正義と善、良識などの、プラスとなる要素が含有されてなければならない。
勿論、この定義は必ずしも正しい物とは言えない。根底にプラスの因子が内包された魔法少女の作品こそが、魔法少女の物語、と言うのは酷く一面的なものの見方だ。
実際には魔法少女の作品のフィールドも、子供向けと言う聖域だけでなく、近年ではやや拗らせた大人向けに、つまり、ダークで、スプラッタの領域にまで版図を広げている状態である。これもまた、魔法少女と言うジャンルの、一つの在り方なのかも知れない。それを、颯太は否定はしない。
だが、それでも。
岸辺颯太にとっての魔法少女とは、清く、正しく、美しいものでなければならないのだ。そして、そんな魔法少女にこそ、否定して貰いたいのだ。
聖杯戦争なんて、間違っている。だから、こんなひどいイベントなんて許せない、と。
斯様な魔法少女を夢見、目指していた岸辺颯太であるから、彼は、本心からこう思うのだ。聖杯戦争に乗る気はない。
正しい魔法少女なら、苦しみながらもこのふざけたイベントと、これを裏で企てた黒幕の思惑を粉砕し、元の世界に帰る事こそが、筋であろう。
聖杯戦争について、今も颯太は解らない事の方が多い。
誰が裏で糸を引いているのか、と言うのは当然の事、何の目的で、そして、自分以外にどんな者達が此処に呼ばれたのか。
解っている事より、解らない事の方が多い。頭の中に聖杯戦争についての知識が刻まれてるとは言え、本質的な情報は模糊とした霧の中、と言う奴であった。
流石に黒幕も、一参加者に情報の全てを詳らかにする程、頭が馬鹿と言う訳ではないらしい。
こう言う時、今となっては胡散臭さと訝しさの塊であったとしか思えなかったとは言え、ナビゲーター役のファヴに似た役割が、聖杯戦争にいないと言うのが惜しい。
初めから疑ってかかれば、引き出せる情報の一つや二つ、あったかもしれないと言うのに。これで颯太は、完全な手探りで、聖杯戦争に臨まざるを得なくなったと言う訳だ。
――スノーホワイト……――
この世界に来てから、颯太……いや、魔法少女に変身した時の姿、即ちラ・ピュセルとして、彼がナイトとして護ると誓った少女の事。
それを思った回数は、一度や二度の話ではなかった。今彼女は、元居た世界でどうしているのだろう。
孤立しているのだろうか。それとも、自分の知らない所で、新しい仲間を作れたのだろうか。或いは――と、最悪の結末が脳裏を過り掛けたが、かぶりをふるって、
その雑念を頭の中から追い出した。それだけは、思ってはならない。悪い事と言うのは怏々にして、思ってしまうと現実のものになってしまうもの。
自分の心の中に巣食うネガティヴな性根を、精神の内から叩き出す颯太。そしてすぐに、騎士の心の如くに、真っ直ぐで、正しい心持ちでいようと、態度を改めようとする。
【祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり】
と、頭の中に、一回聞いただけでは、女性のものか、男性のものか。
判別など不可能な程に、中性的な子供の声音が響いて来た。それを受け、颯太は、穂群原学園の廊下の真ん中で、思わず立ち止まってしまった。
HRの終わる時間は各クラスバラバラであるらしい。廊下を歩く生徒の数は、今のところは疎らだった。
【沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす】
【……平家物語?】
【なぁ、後でオレが『これ何の一節だか解るか?』って聞こうとしたのに、出鼻挫かんでくれへん? 興が削がれるわ】
【……いや、バーサーカー……お前】
平家物語の有名な冒頭じゃないか、と言いかける。言いかける、と言ったのは、呆れて言葉も出なかったからだ。
今時、中学生どころか、ちょっと受験勉強に本腰を入れている小学生ですら、この冒頭は常識ではないか。
【常識なん? これ。オレが壇ノ浦に言仁と無理心中された時以降に成立した話やからな。オレもこの世界に来てから初めて知ったが、そこまで有名だったんな、これ】
ほへー、と一人で感心した様子を見せる、岸辺颯太が駆らねばならないバーサーカー、『
八岐大蛇』。
その名は、颯太も知っている。と言うより、呼び出されてから詳しく調べた。
八岐大蛇。
記紀神話にその名が記されている、日本と言う国に於いて最も有名な怪物。こと、龍と言う括りで見るのであれば、間違いなくこの国で一番著名な怪獣になろうか。
八つの谷と八つの峰に渡る程、巨大な全長を持ち、一つの胴体に八つの竜の首が生え揃っている事が、ヤマタノオロチ、と言う名の由来であると言う。
成程、直球だ。直球であるが、実物を目にしてしまえば、如何に魔法少女としての力を得、人智を超えた身体能力と異能を発揮するラ・ピュセルであろうとも、
腰を抜かすに相違ない。そんな怪物の手綱を、岸辺颯太は握っている。その事実について、颯太は未だに現実感が湧かない。
八岐大蛇と言う、その名を聞くだに震え上がるであろう怪物であるのに、颯太の従えるそのサーヴァントの姿は、然るべき服装を纏えば、
少女、または少年であると言っても通じてしまうであろう程、男にも見えるし女にも見える、中性的と言う言葉の見本のような姿をした子供。
それが、颯太の呼び出したバーサーカー、八岐大蛇である。とは言え、徹頭徹尾、このサーヴァントが≠八岐大蛇である、と思っている訳ではない。
所々で醸し出される、恐ろしいと颯太が考える魔法少女――カラミティ・メアリや、森の音楽家達のそれを超越する、暗澹とした、殺意とも違う恐るべき『気風』。
それを浴びる度に、颯太は思うのだ。八岐大蛇である、と言う事が仮に嘘であったとしても、自分が召喚したサーヴァントは、一切の油断を見せてはならない程の、恐るべき魔物であるのだ、と。
【オレな、完全にバケモンだった時、マジで思っとったんよ。『オレの栄華は、永遠に続く』ってな】
【栄華が、永遠に……?】
【そらそうやろ。ちょっと軽く驚かせてやるか、って感覚で尻尾振うだけで、山が吹っ飛ぶとかザラやったんやで? 自分が無敵、と自惚れるのも仕方ない、ってもんよ】
成程、確かに道理ではある。
八岐大蛇程の大化生、これと対等な強さ或いは立場である存在が、真っ当な環境で生まれる訳がない。我こそが食物連鎖の頂点、我こそが最も強き者。
常ならば自惚れ以外の何物でもないこんな考え、八岐大蛇以外でなければ失笑を買う他ないだろう。この大化生だからこそ、そう考えても已む無し、と思われるのだ。
【せやけど、お前も知っての通り、オレはあの『ろりこん』のイカレポンチに酒飲まされて首斬り落されて、呆気なく栄華をひっくり返された】
まだ、話は続く。
【まぁ、アイツは確かに救いようのない位女の趣向が捻じ曲がった危ない奴やったが、一応は神やしな。オレが殺されるのも、ま、業腹でこそあれしゃーないと思っとった】
【が】
【現実には、地祇(くにつかみ)は勿論の事、天津の神々ですらがその栄耀栄華を覆された。中つ国を支配していた地祇も、後でこいつらを征服してドヤ顔してた天津神も、みーんな仲よく世界の裏側に引きこもりよった。全く、滑稽なもんやで】
【……当たり前、じゃないのか。この世界に、永遠に続くものなんて、ある訳がないだろ】
【ぶっちゃけて言えばその通りなんよ】
意外にも、八岐大蛇は颯太の意見を全肯定した。
【おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ】
再び、平家物語の冒頭の一節を口にし出す八岐大蛇
教科書に載り、歴史の荒波に揉まれても、その痕跡を残し続けた作品だけはある。聞くだに、名文であると人々に理解させる神韻が、その節にはあった。
【蓋しその通りやな。オレも、地祇も、天津神も、源平の武者共も、みーんなこの世界にいない、過去の奴らやろ? 平に至っては、平家に非ずんば、とか抜かしときながらあっさり滅びよったしな。永遠の栄光なんて、この世にはある訳がないんや】
【……それが、何だって言うんだ】
暫しの沈黙の後、八岐大蛇は言った。喜色を、隠さぬ声の調子で。
【オレは永遠を諦めてない】
颯太が【えっ】、と言うよりも早く、八岐大蛇は言葉を続ける。
【オレの寿命は、人のそれに比べりゃ遥かに長命よ。いや、人の尺度から言えば永遠とすら言って良い。そんな命と、途方もない力の持ち主や。永遠に酒飲んで、女を『喰らい』、寝たい時に寝て、壊したい時に壊す享楽さを求めて、何か悪い事でもあるんか?】
【そんなの、許される訳ないだろ!!】
【頭固いなぁ大将。この世界、アンタさんの育った街どころか、世界ですらないやろ。何愛着湧かしてんねや】
それを突かれ、颯太は押し黙ってしまった。
その通りだ。冬木などと言う街は、颯太の生まれた世界には存在すらしない、架空の都市。従ってこの世界は、颯太にとっては、平家物語の冒頭の節の通り。春の夜の夢の如き世界なのである。
【大将の育った世界で暴れようだなんて、オレはこれっぽちも思わんよ。聖杯戦争、勝ち残ったらこの世界で永遠に生きるわ。現代の酒を楽しみ、現代の女を咀嚼し、現代の都市を好きなだけ壊す。ええ事やんか。大将に実害なんて何もない。ただ、夢のように儚い世界だけが、壊れるだけ。何を憤る事がある?】
颯太は、沈黙を以って返す。沈黙は時に、言葉よりも雄弁に人の意思を物語る。
八岐大蛇。化生の口にした言葉に、少なからぬ『理』を認めてしまった事の、証左でもあった。
【……大将。アンタのその、年端も行かないガキの癖に、難しい事を思いつめた風に悩むその様子。言仁の事を思い出して堪らなく腹立つわ。ガキは難しい事考えんと、聖杯戦争で願いが叶って行幸程度に考えときーや】
其処で、八岐大蛇は今度こそ沈黙する。
難しい事を考えるな、と言う方が無茶だった。この狂った世界から脱出する術。今の颯太では、何人かの人間を殺して、聖杯戦争を勝ち残る以外に、思い描けない。
理想の、正しい魔法少女と、邪道を往く己のサーヴァントの言葉との狭間で、一人の少年は揺れ動いていた。
理想と夢を、颯太は――ラ・ピュセルは貫きたかった。だが、それを貫くには、余りにも、纏わりつく蜘蛛の糸は、強靭過ぎた。硬すぎた。
向き合わねばならないジレンマに思い悩みながら、廊下を歩く颯太。
やや俯き気味に、歩いていた事が迂闊だった。前から歩いてくる、三人の少女の姿に気付けなかった。
「うわっ……!!」
「わっ!!」
向こうの方も、お喋りの方に夢中であったらしい。
颯太の方に気付く事が出来ず、彼と、一人の少女が、正面からぶつかる形になってしまった。
不意に舞い込んできた衝撃で、漸く颯太は気付いた。人が疎らであった廊下には既に、帰宅しようと教室から出て来た生徒達で大勢であった、と言う事実に。
◆
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◆
ZONE3――『風の王』
友人との会話に熱が入る余り、目の前を歩いていた生徒にぶつかるとは、何とも間抜けだと、『
琴岡みかげ』は思った。
幸いにも、目の前の男子は走っていた訳でもなく、いつも通りの歩調で歩いていただけらしい。激突と言うよりは、接触と言った方が、言い方としては正しいだろう。
「ご、ごめん。考え事してて……」
目の前の男子が素直に謝って来た。見ない顔である。クラス自体が……いや、年次自体が、違うのかも知れない。
「良いから、ま、次からは気をつけるようにね」
そこで、琴岡はトラブルを中断させようとする。
元より、こんな下らない事で喧嘩や諍いを起こそうとする程、彼女も暇じゃない。向こうが謝って来たので、この一件はもうおしまい。
これで、全てを解決させようとした。向こうも、琴岡のそんな意図を呑んだか呑まずか、一礼してからその場からそそくさと立ち去った。
「大丈夫? 琴岡」
と、心配そうな声音で話しかけて来るのは、黒いロングヘアが特徴的な、琴岡と特に親しい友人の一人。白鳥司だ。
「へーきへーき、別に、車にぶつかった訳でもないし」
「……にしても、悩み事、ね。さっきの子の言ってる事も、解らなくはないけどね」
と言って、琴岡にぶつかって来た少年の言葉を反芻するのは、鷲尾撫子。
水色の髪をツインテールに纏めた、同年代の少女の中では浮いているとすら言って良い程、クールで凛々しい顔つきをした少女である。
「悩み事~? もうすぐ華のゴールデンウィークだって言うのに?」
と、鷲尾の言葉が理解出来ないとでも言う風に、琴岡は口にする。
「もうすぐゴールデンウィークだからこそ、じゃない? 『昨日の事件』もあるし、ね。連休前にあれは、気が滅入るよ」
「遊び場がなくなっちゃうから、とか?」
鷲尾の言葉にそう返したのを聞いて、白鳥は思わず、呆れた様な顔を琴岡に向けだした。
「琴岡、幾らなんでも能天気すぎるよそれ……。私だって一応、怖いなとか思ってるのに」
「皆で新都の方で派手に遊ばない限りは大丈夫だって。それに、私も今、彼氏いないしね」
「え、お前……二日前位に彼氏って言ってた、シンジくんは、どこ行ったの?」
「別の幸せでも探してるんじゃないかな」
琴岡のこの言葉の意味が解らない程、白鳥も鷲尾も、子供じゃない。要するに、別れたと言う事だ。
これには鷲尾も大きな呆れの色を隠せない。幾らなんでも二日で破局とは、早いとかそんな次元の問題じゃない。人格面の問題すら疑われるレベルだ。
二人も琴岡の、男をとっかえひっかえする性格はよく知ってはいたが、二日は歴代最短記録である。稲妻宛らであった。
「……いつか刺されないように、身を改めるようにね」
「アッハッハ、大丈夫大丈夫」
と、カラカラ笑う琴岡。
――嘘である。そう、全部が、嘘なのだ。
お気楽能天気そうな笑顔を浮かべている、琴岡みかげの顔面の薄皮。それ一枚引っぺがした下に隠された、琴岡みかげの本音の感情。それは、堪らない恐怖と困惑であった。
全部知っている。白鳥と鷲尾に、言われるまでもない。
二人以上に、『昨日の事件』の事を強く警戒しているのは、誰ならん琴岡だった。あれは間違いなく、聖杯戦争の参加者の手によるもの。
自分が召喚したライダーのサーヴァントも、琴岡と同じ意見であり、サーヴァントの目から見ても、やはりあれはそう言う事になるらしい。
聖杯戦争。今まで意識しないよう、なるべく頭の片隅にすらその言葉を置かぬよう、全て忘却するよう努めて過ごしていたが、事件の影響でいやがおうにも、自分を取り巻く聖杯戦争と言うイベントが、事実であると認識せざるを得なくなった。
全ては嘘なのだ。
白鳥と鷲尾に話した、シンジなる付き合っている男性も、二人をからかう為に作った即興の嘘。
そんな人物、存在すらしない。琴岡みかげが、聖杯戦争を忘れられるように作り上げた架空の存在である。
嘘がこれだけだったら、まだ良い。白鳥と鷲尾と仲が良いと言う、冬木におけるこの事実ですら、琴岡にとっては嘘なのだ。
一方通行的に彼女らを拒絶した挙句に、友人二人を一方的に見放し、そして見放された。それが、元居た世界で琴岡みかげが辿った全てである。
余りにも、馬鹿馬鹿しく、最早滑稽ですらある空回り。そんな物は、こんな世界では帳消しだ、と言わんばかりに、白鳥と鷲尾は、琴岡の友人であった。
三年間ずっと同じクラスで仲がよく、三人一緒によく遊ぶ。それが、この世界における、琴岡と二人の関係。
楽しくなかったと言えば、嘘になる。本心は、仲の良かった時勢の彼女ら二人と遊ぶ事は、琴岡にとってとても楽しいものだった。
元の世界で、もう修復不可能と思われていた友人達と、気兼ねなく話し、遊び、共に過ごす。それは、荒んだ琴岡みかげの心にとって、一つの清涼剤となっていた。
その清涼剤も、もうすぐ切れる。聖杯戦争。彼女がこの世界に招聘されるに至った、本来の理由。その開催によって、である。
今までは白鳥と鷲尾と遊んでいたからこそ、都合よく聖杯戦争の事を忘れられていたと言うに、あんな事件が起こってしまえば……嫌でも意識せざるを得なくなる。
またしても、自分はこの世界で友人を失うのか。聖杯戦争の参加者など、どう考えても『普通』ではない。普通ではないまま、自分は死んでしまうのか。
肺腑に氷を詰められ、頭の中に脳ではなく冷水を満たされたような、恐ろしい感覚を琴岡は味わう。
死ぬのも嫌、失うのも嫌。そして何より、殺すのも嫌。何とも我儘なものの考え方だが、琴岡としては、何一つとして、欠けていて欲しくなかったのだ。
【善処はするさ。善処はな】
頭の中に、錆て掠れた、男のものに聞こえる声が響いてくる。
『
ハスター』、琴岡が呼び出したサーヴァントは、校庭周辺を巡回する一陣の風となり、遠くから彼女の事を見守っていた。
聖杯戦争参加者が従えるサーヴァント。その不意のアタックに備えて、であった。
【頼りないサーヴァント、とでも言うつもりか? 元より俺が守るべき義務を負っているのは、マスターただ一人。神の身は愚か、過去に存在した身ですらない俺には、それが関の山よ】
何とも無責任なサーヴァント、と食って掛かりたい所だが、守るべき、とハスターが口にした言葉に、その気勢を削がれた。
聖杯戦争の参加者となった時点で、最早琴岡の命の安全など全く保障されない。それは即ち、元の世界での家族は勿論、白鳥や鷲尾達にも。
悟られる事もないまま、一人寂しくこの世界で息絶える可能性だって大いにあると言う事。それを今になって実感したその瞬間だった。
恐怖と言う杭が、彼女の頭から下半身まで刺し貫き、痛みに似た恐怖を体中に伝播させたのは。
「……琴岡?」
鷲尾の言葉に、琴岡の肩が跳ね上がった。
如何やら、聖杯戦争の事について考える余り、白鳥と鷲尾に話題を何度振られても、ずっとそれを無視してしまっていたようである。
それに、今までいた校内の廊下から、校門まで。自分は歩いて移動していた事に、琴岡は今になって気付いた。目に映る風景の変化にすら、上の空であったらしい。
気難しそうな顔して、友人の会話にも一切参加せず、緘黙のまま歩き続ける。傍にいる白鳥達が心配そうな顔をするのも、むべなるかな、と言うものだった。
「ご、ごめんごめん。何だかんだ、事件の事が気がかりだったのと、ママから最近、シュークリームと同じ位得意なお菓子作れるようになりなさい、って言われててね。憂鬱だなぁって、思っただけ」
「その宿題、友達のよしみで、手伝ってあげてもいいんだけどなぁ~?」
「……タダでお菓子が食べられる、って言う下心が見えるわ」
「そ、そんな事ないって!!」と、白鳥が鷲尾に反論する。その様子を見て、少しだけ、琴岡は救われた。
いや、此処に来てから彼女達には救われっぱなしだった。この世界でも、白鳥と鷲尾との関係が険悪な物であったら、今頃琴岡は潰れていた。
この世界の二名は、元の世界の二人とは断じて同じ存在ではないのかも知れないが、それでも、元の世界と寸分の違いもない容姿と性格の二人。
彼女らとのやり取りがなければ、琴岡は当の昔に狂っていた事だろう。その意味では彼女達は、琴岡みかげと言う少女にとって恩人とも言うべき友人達だった。
せめて、聖杯戦争が始まるその前までは、笑顔でいよう。友人達との水入らずの時ぐらいは、明るく努めよう。
そして出来得るなら、彼女らを聖杯戦争と言う蜘蛛の巣に、触れさせないようにしてやりたい。
そう思った琴岡は、いつもの笑みを浮かべながら、再び会話に参加し始めた。それが、これから起こり得る、悪夢の具現の様な魔宴から逃れる術であったから。
「――あ、『チノ』ちゃん。GW、そっちも楽しんでね!!」
三人で喋りながら歩いていると、この世界に来てから出来た、白鳥や鷲尾と同じ位に良く付き合っている、同じクラスの同級生の姿を見つけたので、元気よく声を掛けた。
元の世界では見た事のない、この世界に来てから出来た友人とは言え、琴岡は、彼女には死なれて欲しくなかった。
声を掛けられた薄水色の髪の少女は一瞬驚いた様な表情を浮かべてから、軽く琴岡に会釈。その様子を見てから、琴岡は、三人で外へと向かうのであった。
◆
鋼衣を纏う天使 信念との婚約者
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雷霆征服 日ノ本斬殺 殺られた事にも、気付かない 破滅的終局
久遠の赤
◆
ZONE4――『in the nightmare』
遠ざかって小さくなって行く、琴岡みかげと、その友人二人の背中を眺めているのは、『
香風智乃』こと、同級生からはチノと呼ばれている少女だった。
元の世界におけるチノの交友範囲に、琴岡の姿も名前もない。この冬木で生活する際に、予め仲が良くなっていた、と言う設定の訳でもない。
ただ本当に、此処に来てから仲良くなったと言う関係。向こうはケーキ屋の娘だが、こちらは喫茶店の娘。
出すものも少しばかり似通ってる店、其処における所謂看板娘と言う共通項もあってか、直に彼女らは仲良くなった。
明るい少女だと思う。性格が自分とは全く違う。陽性のそれ、と言うべきだろう。加えて、男性の遍歴もあの歳で大したものだと、風の噂で聞いた事がある。
大人しく、控えめな性情の持ち主であるチノとは、相容れなさそうな性格の女性であったが、それでもこうして仲よくなれるのだから、共通の特徴、と言うものの偉大さを肌でチノは実感していた。
琴岡も、聖杯戦争に巻き込まれてしまうのだろうか。校内を出、自宅であるところのラビットハウスへと向かいながら、チノは考える。
『昨日の事件』の事は、今朝チノも知った。同時に、彼女の引き当てたバーサーカーも、それを知った。
聖杯戦争、と言う現実味の欠片もない、それでいて、確かに人が死ぬ、悪魔染みたイベント。このイベントに対して、生身の人間であるチノ以上に、
ヒステリーじみた恐怖を抱いているのは、チノのサーヴァントであるバーサーカーだった。勿論、そんなバーサーカーが、昨日の事件を聞いて、恐怖しない筈がなかった。
――始まっちゃったわ……!! ああ、なんてことでしょう!!――
――あれだけ言ったのに、皆信じてくれなかった!! 聖杯戦争は、嘘なんかじゃないのに!!――
バーサーカーの、悲観的と言う感情の見本のような声音と表情を、今でもチノは思い出す。
彼女は、聖杯戦争自体を恐れていると言うよりは、聖杯戦争による副次的な被害の方を恐れている様子である事位、流石のチノも解る。
今にして思えば、成程、バーサーカーの反応も解らないでもない。あんな事件が起こってしまえば、さしものチノも震えてしまう。大の大人とて、それは同じだろう。
昨日の事件が聖杯戦争の事件の参加者の手によるものだとした場合、同じ聖杯戦争関係者である自分達も、やがては事件の張本人と関わり合う可能性もゼロではない。
先ず間違いなく、碌な人物ではない。話が通じる手合いだとも、思えない。出会ってしまったらどうしよう、不安はチノの小さい胸を破裂させんばかりに増大する。
それに、起こっている事件はそれだけじゃない。
大なり小なりではあるが、明らかに聖杯戦争の関係者が起こしたと見る向きが強い殺人事件が、此処の所頻発する。
場が煮詰まりつつある事を、この冬木の街で起る凡そ様々な事件で、チノは理解している。それを理解した上で、思う事は一つ。
自分のサーヴァントであるバーサーカーで、この冬木の聖杯戦争をやり過ごせるのか、と言う事だった。
チノと同じ程度の背丈しかない、ブロンドのロングヘアの可愛らしい少女。バーサーカー(狂戦士)のクラスを戴くサーヴァントとは到底思えない程、
非力そうな見た目と、それを裏切らないステータス。それが、香風智乃の呼び出したバーサーカーであった。
ステータスの方はバーサーカーとは思えぬ程の低水準だと言うのに、性格の方はキッチリと、バーサーカーである事を理解させる程の狂気を内在させた、
扱い難いそれと来ている。喧嘩や荒事への耐性も知識も全くないチノが、不安を覚えるのも無理はなかった。
悩みの種は尽きない。
そして、もっと悩んでいたい、考えていたい事柄に対して真摯に向き合っている時に限って、時間というものは矢の如く過ぎて行く。
あっという間に、チノの自宅兼職場である、喫茶店・ラビットハウスへと到着してしまった。
深山町の商店街に建てられた、コーヒーカップに兎が前脚を触れさせている看板が目印の、どちらかと言えば日本よりも欧州に建てられている方が自然である、
洋風の木造建築。それが、喫茶店ラビットハウスであった。元居た世界では、木組みの家と石畳で統一された街に在った喫茶店だったからこそ、
その外観は街並みによく符合していた。だが、当世の日本風の建造物が多い深山町の中で、ラビットハウスの欧風の店の姿はやや目立つ。
目立って人目を引くからこそ、客入りが元の世界のラビットハウスよりも多いと言うのが、何故だかチノには釈然としないのであるが。
裏口から店内に入り、いつもの日常通り、開店準備を整えようとするチノ。
机の上に立てかけていた椅子を下ろして行き、テーブルの上を濡れた布巾で拭いて行き、最後に床の掃き掃除を忘れない。
実に手慣れている様子だった。これらの工程を二十分ほどで終えたチノは、外に出て看板をCLOSEDからOPENにしようとするが――。
「ああ、マスター!!」
旧知の友人に久々に会ったような嬉しい声音と、親しい人間の離別を直近に経験したような悲しげな声音が内在された、複雑そうな少女の声。
その声の方向を向くと、居た。チノの引き当てたバーサーカーのサーヴァント。バーサーカーと言う名前からは想像もつかない程の低いステータスと言う事もそうだが、
真に想像も出来ないのはその外見だろう。チノと同じ位の背格好、つまりは、小柄な体系だ。
金髪碧眼と言う典型的な西欧風の少女であり、青のワンピースに白いエプロンドレスを着こなすその様子は――そう。
ルイス・キャロルが著した世界的な名作、世界で最も有名な創作上の少女、不思議の国の『
アリス』を連想させよう。そして、そのアリスこそが、彼女の真名。
首筋に痛々しい傷を横一文字に走らせた、この欧風の少女こそが、チノの引き当てたバーサーカーなのだった。
如何やらアリスは、チノがラビットハウスに戻って開店準備を終えたと同時に、裏口から入って来たらしい。
このサーヴァントには外出はしないようにとかなり早い段階からチノも釘を刺していたが、それに大人しく従うようならバーサーカーではない。
今日も今日とて、勝手に外に出て、道行く人物に聖杯戦争の危険性を説明していたようである。
尤も、酷く悲しげに顔を歪ませているその様子を見れば、アリスの懸命な努力が実を結んだか否かは、一目瞭然であろうが。
「やっぱり、皆信じてくれないの。私は真実しか語らないのに……、嘘なんか、喋った事もないのに!! そんな馬鹿げた出来事、ある訳がないって……!!」
「落ち着いて下さい、バーサーカーさん。皆、あんな事件があったから、ピリピリしてるんです、きっと」
「ううん。皆おかしいのよ。この世界でまともなのは、マスターだけ。あなた以外の皆は、言葉の通じない帽子屋と、狂ったような三月のウサギしかいないのよ!!」
やはり解っていた事だが、話が通じない。
このサーヴァントは狂化の方向性が、狂気だとか憎悪、怨念の方向ではなく、空気が読めないと言う方向に特化していた。
聖杯戦争。真っ当な世界に生きている人間にそんな事を説明したとて、信じて貰える事などあり得ないし、説明した側が狂っていると見做されるのがオチだろう。
そんな事は誰でも想到する事の出来る、当たり前の帰結である。その帰結を、アリスは理解しない。
理解しないだけならまだ良い。理解しないまま、一人部屋でぶつぶつ愚痴を言うだけで終わっていれば、チノだって苦労もしない。手がかからないからだ。
「じゃあバーサーカーさん、聖杯戦争について教えるのは……」
「いいえ、諦めないわ。この世界は確かに酷く狂って、悪夢に満ちた、歪んだ真珠(バロック)みたいな世界だけど……それでも、できる事があるはずだわ」
これだった。
アリスは、これだけ聖杯戦争について信じて貰えないと言うのに、諦める素振りすら見せないのだ。
心は、可視化出来ない。ひょっとしたら、チノが気付いていないだけで、アリスの心は過去に幾度も折れていたのかも知れないが、
折れる都度にまた復活し、聖杯戦争の危険性を知らしめる活動に戻ってしまう。そう、子供向けの童話の主人公に求められるような、善性と、不屈の精神。
これを、バーサーカーの歪んだ精神性のまま発揮すると言うのだから、始末に負えない。
本人は何処までも空気を読めていないのに、その空気の読めていない行動の一切を、善なるものだと思い込んでいる。つまりは、困った存在を通り越して、アリスははた迷惑な存在なのだ。
それでも、チノがアリスを見棄てられないのは、やはり、その善性故であろうか。
アリスは確かに狂っている。迷惑だ、と思った事も正直に告白すると、一度や二度ではない。
それなのに、このいかれ帽子屋(マッドハッタ―)めいて空気の読めない少女を見限らないのは、勿論、彼女が現状における自分の唯一の味方だと言う事もある。
だが、それと同じ程に大きな理由として、目の前の少女は、本質的には善である。それは、そうだろう。仮にアリスの本質が悪であるのなら、
その空気の読めなさを、冬木に生きる住民達に聖杯戦争の危険性を知らしめる、と言う形で発揮しないのだから。
アリスは、自分を裏切る事は先ずないだろう。
不思議の国と鏡の国で見せた、優しさと礼儀正しさ、そして勇気を兼ね備えた少女として、チノを支えるであろう。
……だからこそ、バーサーカーと言うクラスで呼び出された、と言うその事実が、チノにとっては口惜しいのであるが。
「もうすぐ開店ですから、お客様がいらっしゃる間は大人しくしていて下さいね。バーサーカーさん」
「どうしたらみんな解ってくれるのかしら」、そうブツブツと呟きながら、アリスは渋々ラビットハウスの上階へと戻って行く。
それを見送った後、チノは店外へと急いだ。開店時間を既に過ぎていたからだ。一、二分の開店の遅れは、この手の客商売では大いなる痛手である。
店の外に出たチノは、急いで看板をくるりと一回転させ、OPENの方にしようとするが、此処で、看板に蜘蛛の巣が張っている事に気付いた。
嫌そうな顔をしながら、それを払い捨て、今度こそ開店だ。そう思った、直後であった。
「おや、これはこれは智乃くん。君ともあろうものが開店の時刻を誤るとは珍しい」
歳経た、中年の男性の声に反応し、チノは声のした背後の方を振り返る。
そこには、黒い所のない白色の髪の毛をオールバックにし、仏教美術で言う所の白毫めいた物が額に刻まれた男がいた。
男が身に着けている、ゴーグルの様な形状をした特徴的にも程がある眼鏡、それが似合っている姿を見る度に。
自分とは生きている世界が違うのかな、と、チノは常々思う所があるのであった。
◆
鋼衣を纏う天使 信念との婚約者
ジュデッカ 不壊の盾 血塗られた献身 陽を堕とす者
流離の子
Dance of the Seven Veils 真理の旅人
蓮の台 ソルニゲル
革者
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物語の王
聖剣の肉叢 監視者 餓狼伝
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キング・オブ・クロスオーバー
不死の罰
雷霆征服 日ノ本斬殺 殺られた事にも、気付かない 破滅的終局
久遠の赤
◆
ZONE5――『雷霆征服』
『
ディスティ・ノヴァ』はラビットハウスのオリジナルブレンドコーヒーが好きだった。
厳密に言えば、このコーヒーを嗜みながら口にする焼きプリンが好きである、と言うのが正しいか。
コーヒー自体はそれ程、この男は好きと言う訳ではないのだが、不思議と、焼きプリンの甘さと、此処のオリジナルブレンドの味が、合う。
だからこそ、こうしてノヴァはここで、豆を挽いたもの三〇〇gキッカリに購入し、切れたらそれを買い直す、と言う事を繰り返していた。
ただプリンと一緒に食べ合わせるにしても、減るペースが早いかと思われるが、何も使い道はそれだけじゃない。
聖杯戦争で勝ち抜く為の計画、その計画を効率よく進める為の、カフェインの摂取手段にも用いていれば、それだけ減る速度も早くなろうというものだった。
「あ、ノヴァ先生」
「ふーむ、その呼び方は今一慣れないですねぇ。教授、と呼ばれる事の方が多くてね」
顎を摩りながら、バツが悪そうにノヴァが言った。
此処に来るまで、大抵の場合ノヴァと言う男は、呼び捨てか、教授呼びで呼ばれる事が多かった。
先生、と言われるのはどうにもむず痒い。勿論、意味的には間違ってはいないのだが。気持ちの問題、と言う奴だ。
「あ……じゃあ、教授って呼びましょうか?」
「いや、構いませんよ。先生と言う呼び方で結構。それより、智乃くん。いつものオリジナルブレンドを五〇〇g、頼めるかな?」
「はい、わかりました。それでは、中の方に」
オーダーを受けるや、とたとたと喫茶店・ラビットハウスの中に入って行くチノ。
遅れてノヴァも、店内へと入って行く。落ち着いて、クラシカルな洋風の内装。其処に満ちる焙煎したコーヒーの香り。
コーヒーの苦手な人間でも、フラッとした心持ちで、コーヒーの一杯でも頼んでしまいそうな魔力が、店内には溢れていた。
カウンターの奥で、特定のコーヒー豆を取り出し、ミルで挽き始めているのを、ノヴァは、適当な席に座りながら眺める。
「ポットの水を飲んでも良いかね」、そう訊ねたノヴァに対して、「いいですよ」と言う返事。
コップの積まれた所に歩み寄り、その一つを手にしたノヴァは、元の席に戻り、水を一杯。適度に冷たい。夏への過渡期である五月の暑さには、これ位の温度の水が丁度良かった。
【――さて、アーチャー】
チノの作業の様子を見ながら、ノヴァは、自分が引き当てたサーヴァントに対して念話を送った。
ラビットハウスの外に佇んでいる、件のアーチャー。インドラを征服した者(インドラジット)、またの名を、『
メーガナーダ』と呼ばれるアーチャーは、ややぶっきらぼうに【なんだ】と返事をよこした。
【何故、この喫茶店の可愛らしい従業員は、此処で働く道を選んだのだと思いますか?】
【……俺に解る訳がなかろうよ。さしもの俺も、天眼は持った事がない】
【解らないでいきなり終わらせてしまうのは、余りにも早すぎる。もう少し、貴方なりの解が私は聞きたいですな】
【何度でも言うが、知らんよ俺は。其処の小娘の親がこの茶屋の主であったから、手伝っている可能性もあるし……奇縁、つまり、運命的なものもあろうよ】
【成程、それが貴方の答えですか。アーチャー】
【それで。正しい答えとは、何なのだ。マスター】
【さぁ? 私にも、解りませんよ】
不機嫌そうな気風が、霊体化させて姿を見えなくさせた状態で、かつ、ノヴァの目の届かない所にメーガナーダがいると言う事実を加味しても。
十分過ぎる程に、ノヴァの方にひしひしと伝わってくる。自分に問題を振っておいて、当の謎かけを出して来た張本人がこれか。そんな事が、言外せずとも伝わってくる。
【古の昔、或いは、全てが何かに管理されるディストピアめいた未来とは違い、この世界は職を選ぶ自由があります。花屋、油屋、魚屋肉屋。其処の子供に生まれたとて、知った事ではありません。彼らでも自由に、科学者だろうが会社員だろうが、好きな職を選べます。それなのに彼女は、数ある職業の中で、喫茶店の従業員を選んだ】
【事実だけを見れば、そうなるな】
【人が職を……いえ、何か選択肢を選ぼうとした時、大抵の者は科学で証明出来ぬと口にします。人が選択肢をどれか選んで行動する事。それは、様々な外的要因や人・環境との繋がり、そして本人の過去・現在の心境及び境遇によって変わるからです。故に、人が選ぶと言う行為、それは最早科学ではない。道理ではあります。凡人からすれば】
【お前からすれば違うのか】
【科学とはとどのつまりを言えば、自然界における絶対的に正しい法則であり現象であり、理論なのです。科学に間違いはない。間違いがあるとすれば、それを伝える人間です。担い手が間違うからこそ、科学も色眼鏡に掛けられてしまう】
【そして】
【我々の住む地球や、地球の属する太陽系、太陽系や銀河を包むこむ宇宙の動き(ダイナミズム)。我々人間の、過去や未来をひっくるめた運命。そして、業(カルマ)が輪廻に与える影響。真に科学が正しいのであれば、当然の如く、これらを科学で解明出来る筈なのです】
【……貴様はそれを、業子力学と言っていたな】
【素晴らしい、よく覚えておいでで】
ズッ、と水を飲むノヴァ。一杯目の水が空になった。
【コンピューターやAI如きの思考では、人の思考を越える事など出来ません。何故ならコンピューター共は、いくら情報処理能力に長け、計算が早かろうが、インスピレーションの機能が備わっていないからです。つまり、全く関係のない二つの事象をくっ付けて考えると言う事。それは機械には不可能なのです。そして機械は、科学と運命は無関係だと結論付けてしまった。此処に、機械の限界がある訳ですな】
【運命、業、輪廻(サンサーラ)、因果律。何れも神の領分であり、そして、神であっても手を焼き、時にそれを司る神ですら呑まれる大権。それすらも貴様は、解明出来ると?】
【科学者とはこの世で一・二を争う泥臭い仕事ですよ。寝食を惜しんで理論を磨き、風呂とトイレの時間を削ってまで実験に打ち込む。その繰り返しです。そして、運命を科学的・数学的に解明すると言う事は、それを行うだけの価値があると、私は信じている】
呆れた様な溜息が聞こえてくる。メーガナーダのものだった。
ディスティ・ノヴァと言う男の、余りにも遠大で、ロマンあふれる、しかしそれでいて、狂人の妄想そのものの如き夢物語に対して抱いた感情としては、適切なものであろう。
【因果、運命、業に輪廻。誰もが本気で解明に取り組まない事の方が、私には不思議でならない。科学を以ってこれらの謎を解き明かす事は、人類最大の命題とすら言えるでしょう。そしてそれを成すのに、聖杯戦争は実に相応しいフィールドだ。聖杯戦争の如く、他者を争わせて何かを得るメソッドを、東洋の古い言葉で『蠱毒』と呼ぶそうですが、いやはや、実験の手法としてはこれも中々悪くありませんな】
多種多様、雑駁な異世界や並行世界から、様々な人間達をマスターとして選出。
そして彼らに、英霊と呼ばれる、過去或いは未来において観測されている、人々の信仰と想念によって磨き上げられた高次の存在を貸し与え従わせ、戦わせる。
実験の手法としては難が大きく確度に欠けるが、興味深くないといえば嘘になる。寧ろ、様々な運命が蜘蛛の巣めいて絡まり合い、混沌の坩堝となったこの戦いにこそ、
自身が求める命題のヒントが隠されているのではないかと、このマッドサイエンティストの鑑の如き男は考えていた。
戦いの火蓋は既に切って落とされている事は、『昨日の事件』からも明白だ。
あの事件が、聖杯戦争の参加者の手によるものだと言う事は、ノヴァの様な天才的頭脳の持ち主ではない、街中の匹夫や凡夫ですら至れる結論であろう。
ノヴァは聖杯戦争における、実験動物達の共食いを観測する観察者、即ち主催者側の立場にいない。一人の一般参加者に過ぎない。
ならば、参加者は参加者らしく、優勝トロフィーであるところの聖杯を狙って立ち回るのが、筋というもの。
万能の願望器。興味がない訳がない。ラビットハウスの店内に置かれた液晶TV、其処から流れる昨日の事件のニュースを見て、改めてノヴァは、聖杯を欲すると言う欲求が己の中で強まって行くのを感じた。
【明日から連休です。しっかりと、準備をしておく事にしましょう、アーチャー】
【心得た】
メーガナーダがそう返事をしたと同時に、カウンターの方から「おまたせしました」、と言う落ち着いた少女の声音が聞こえて来た。
如何やら、ノヴァ待望のブレンドコーヒー、それを豆の状態から挽いたものが出来たらしい。
上品な茶色の紙袋に入ったそれを、ノヴァは受け取るや、指定の金額をチノに渡す。「ありがとうございました」、と笑みを浮かべて対応する彼女に対し、
ヒラヒラと手を振りながらノヴァは、ラビットハウスを後にしようと、外へと繋がるドアを開けた。
「……おや其処にいるのは、我が大学の麒麟児である、
デュフォー君じゃないか」
ドアを開けたと同時に、目の前を横切った一人の青年が、自分の良く知る人物であった為に、ノヴァはそんな声を件の青年に投げ掛けた。
嫌な奴と出会った、とでも言うような態度と表情を隠しもしないような態度で、ノヴァと同じ白、或いは、白がかった銀髪をした青年は、ゆっくりノヴァの方に振りかえる。
彼は、冬木新都の大学に教授として勤めている――無論、ロールだ――ノヴァの講義の受講生であり、そして、その大学始まって以来の天才とすら称される、極めて優秀な学生なのだった。
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ZONE6――『真理の旅人』
ディスティ・ノヴァと言う名前の教授の担当講義である、『業子力学』は、特に難解な講義である事で知られる。
ノヴァは通常、分子力学や分子工学等の『ナノテクノロジー』に関係する分野や、量子力学において定評のある教授である。
難解な領域であり、それに加えてノヴァの講義は難解を極る。分子力学も分子工学も、ノヴァの講義であった場合、平気で単位を落す学生も少なくない。
だが、それに輪を掛けて、この業子力学は難解であった。何せその力学自体が、ノヴァ教授が独自に編み上げた分野であり、世間的な理解度及び著名度においても、
ゼロに近いレベルで低い。予習が効かないのである。その癖、既存の力学や分子力学、分子工学、量子力学を合算させた内容に、仏教の神秘学的な要素を帯びたその講義。
その難解さは一説に曰く、当該大学の全講義ひっくるめても最高峰の一つとして数えられていると言う。
要するに、大抵の学生は受けたその瞬間から単位を落す事が定められている。
人気が出る筈がない。事実、業子力学の講義は常に受講生が少なく、七人もいれば多い方とすら言われる程であった。
この上この講義は通年であり、半期の講義ではない。つまり、落してしまえば四単位も無駄になるのだ。落ちると解っている講義には、誰も寄り付かない。当然の帰結だ。
今期の業子力学の受講者数は五名。その内の一人が、今深山町の商店街でノヴァと偶然はちあった『デュフォー』であり――ノヴァの言った通り、大学始まって以来の天才の誉れも高い青年であった。
「偶然ですねぇ、デュフォー君」
「あぁ、そうだな。教授」
デュフォー自身も自覚しているが、ノヴァの業子力学を理解しているのは、デュフォーを含めた現在の受講者数五名だけでなく、
歴代の受講者達をひっくるめても自分一人だけだろうと言う確信すらあった。それはそうだ、何せこの青年には、アンサートーカーと言う、
目にした事象の答えを視る力が備わっているのだ。故にデュフォーには解る。教授の講義の内容が完璧に、である。
とは言え、さしものデュフォーと言えども、業子力学を一番難解にしている要素である、仏教的な観念についてまでは、中々理解が難しかった。
だから、そう言った要素に関しては講義後、己の呼び出したキャスターのサーヴァントに教えを乞い、助言を得ている。こうする事で、ノヴァの講義を完璧に理解、モノにしていたのだった。
「大学から随分と離れた所にアンタがいるのは珍しいな。ここのコーヒーが好きなのか、教授」
「えぇ、まぁ、今日は午後の講義もありませんのでね。息抜きです。それに、此処のコーヒーは私の好きなデザートとよく合うのですよ。買われますか?」
「いや、いい。これから野暮用があるんだ。それに、余り金にも余裕がなくてな」
「野暮用、ですか……。今から、教育実習ですか?」
「まぁ、そんな所だ」
アンサートーカーと言う能力があると言う特質上、デュフォーはありとあらゆる事象に対して『答え』を導き出す事が出来る。
これを抜きにしても、デュフォーの頭脳は同年代の人間の中では、際立つと言う言葉では足りない程の優秀さを誇っており、こと智に関わる領域なら、
他者の追随を許さない。故に、多くの教授陣、特に、理科系の領域で活躍している教授や博士達が、三顧の礼もかくやと言うべき態度でデュフォーを迎えようとしている。
それ程までに彼が優秀であり、そして、彼一人いれば自分のラボの研究が、頗る捗ると、考えていると考えているのだろう。
彼らがデュフォーのアンサートーカーについて知っているとは思えないが、どちらにしても、彼らの判断はとても正しい。
デュフォーの地力は勿論の事、アンサートーカーの能力を駆使すれば、デュフォーが所属したラボの責任者はその週の内に、
ノーベル賞の受賞も夢ではない程の大発見或いは大発明をしてしまえるのだ。全てを知っている『神』の目線から立てば、教授らの下心は寧ろ、余りにも理に適っていた。
――だが現実には、デュフォーは何処の研究室に所属するつもりもなく、どんな教授の下につくつもりもなかった。
実際にこの世界においてデュフォーが選んだ道は、教職課程を経て教師の道を歩むと言う物であり、口が悪く毒気の強い教授の言葉を借りるなら、
『才能をドブに捨てる様な道』であった。デュフォーがその気になれば、成程確かに、巨万の富も永劫不変の名誉を手にする事も、思いのままだ。
アンサートーカーを駆使すれば、株やFXで富を得る事など造作もなく、医療や各種工学分野において歴代のノーベル賞受賞者の獲得した名誉と同じ程のものを得る事も簡単だ。
だが、この男はそう言ったものについて興味はなく、己の持つ才能を以って切り拓こうと選んだ道は、教職と言う富や名誉とはかけ離れた道であった。
この道の方が、ゼオンとの出会いで変わった自分に相応しいと、デュフォーは考えていたからだ。
自分が得た知恵や、自分が体験して獲得した思いを、誰かに伝え、それで誰かを変え、誰かがそれを伝えて行く。デュフォーが求めたのはそれだった。
これを行うのに、一番適している仕事は何かと思い、それが教師だっただけだ。ならば、デュフォーはその道を選ぶだけなのだった。
「君程の頭の持ち主ならば、もっと賢い道があるものかと思いますがね」
「よく言われるが、特に欲もないのでな。この進路で良いんだ。どの道を選んでもそれなりに生きて行けるのも、賢い奴の特権だろ?」
「成程、一理ある」
と、一人で納得するノヴァ。
正味の話、デュフォーはノヴァが苦手だった。余りにも独自の世界観を持ち過ぎている事もそうだが、クセが強く常識を欠いている者が多々存在するアカデミックの世界。
その象徴とすら言える程に、この男はアクもクセも半端ではなく、広義の難解さとか関係なしに、この人間性の故に講義を離れる、と言う生徒もゼロではなかった。
デュフォーですら、話していてカロリーを余計に消費してしまう程だ。なるべくなら、講義以外での接点を持ちたくない男ではあった。
「おっと、長話をして引き留めてしまったかな? 所用があるのなら急ぎたまえ」
「あぁ、そうする。では、GW明け」
「えぇ、GW明け」
と言って二人は此処で別れた。GW中は大学も休みである。故に二人が次に会う時は、GW明けの最初の講義になる。
尤も、そのGWが終わる頃には、既に聖杯戦争も終わり、デュフォーもこの世界にいないか、そもそも冬木の街自体が……と言う事もあるだろうが。
言葉もなく、スタスタと目的地である穂群原学園の高等部へと向かうデュフォー。
『昨日の事件』のせいもあり、この時間の深山町の商店街にしては、人通りがやや寂しい物がある。
無理もない。恐らくは聖杯戦争と全く関わり合いのない人物でも、この街を覆う不穏な気を既に感じ取っているのだろう。
それを考えた場合、滅多に外には出れないだろう。これは、GWだと言うのに街の人気も少なくなるだろうな、とデュフォーは推理する。
目の前の交差点の信号機が、運悪く青から赤に変わった。
仕方なく立ち止まっていると、丁度彼の横に、男が一人並んだ。彼は、今までずっとデュフォーの背後から彼の事を監視、後を追っていた人物だった。
「いつもあんな事を言われているのか? デュフォーよ」
立ち止まった交差点。信号機が赤から青に変わるまでの間、デュフォーの横に立つ男が言った。
頭を完璧に剃りあげ、上にアロハシャツ、下にハーフパンツを穿いた、ラフな格好をした、眩しいばかりの微笑みを浮かべるこの男。
……果たして、誰が信じられようか? デュフォーと同じ所に立ち、行き交う車を共に眺めるこの男が、日本に初めて密教と言うものを持ち込み、
現代までその息吹を残し続ける日本固有の仏教宗派、真言宗の開祖『空海』であるなど。
【……お前は、馴染み過ぎだぞ】
流石に人通りの多い所で、真名は勿論、キャスターと言うクラス呼びは出来ない。念話を用い、人に知れぬよう意思を伝えるデュフォー。
【ああ、すまないな。このアロハシャツとか言うやつも、半ズボンとか言うやつも、着心地が良くてな。僧衣よりもずっと日々を過ごしやすいじゃないか、何故皆こんな便利なものを着ないんだ?】
高野山の金剛峰寺で、今も空海の存在を固く信じ、日々の修行に明け暮れる僧侶達が耳にすれば泡を吹いて卒倒するような事を、空海は平然と口にする。
この男にとって、いや、この男程の僧侶にもなれば、僧衣の過度な奢美だとか、僧衣の粗末さだとか言う問題など、瑣末な事に過ぎないのだろう。
何を思い、何を成すか。シンプルであるが、しかしそれにもかかわらず、多くの人物が見失いがちなこの真理をこそ、空海阿闍梨は重視しているのだ。
――空海は『霊体化出来ない』。
サーヴァントとはそもそもが高次の霊的存在であり、過去に存在し、現在は存在しない、人類史に刻まれた亡霊の様な存在である。
その本質が霊であると言う事は即ち、己の姿を人目に見られないような霊的存在にまで薄めさせられると言う事も可能であると言う事。
しかし空海は死んでいる存在ではなく、故に亡霊では断じてあり得ない。今も世界の何処かで生きている存在である為、
サーヴァントの特権である所の霊体化が出来なくなっているのだ。故にデュフォーはこうして、現代の世界観に良くな馴染む服装を与えて、実体化した状態でも目立ち難い様に配慮させていたのである。
【それで、デュフォーよ。お前はいつも、彼らからあのような事を言われるのか?】
それは勿論、ノヴァから言われた、『もっと賢い道』、と言う下りである。
【慣れている。今更気にする程の事でもない】
【嘗て釈尊はな、ブッダガヤで悟りを啓いた際、躊躇ったそうだ。己の悟りを教える事をな。己の教えを衆生に広めた所で、彼らは理解しないだろうと思ったらしい。だが、悩む釈尊の前に、梵天(ブラフマン)が現れ、己の悟りを人々に説くのだと繰り返し説得する事で、釈尊は漸く己の教え……仏教を広める事を決意したのだと言う】
どんな衣服を纏っていても、空海の言葉は、それ自体が生きているかのような躍動感と、心の中に水の如く染み込む何かを持っている。己のサーヴァントの言葉を、デュフォーは目を閉じて聞いている。
【解るか、デュフォーよ。あの覚者ですら、一度は己の教えを広める事を躊躇したのだ。それをお前は、迷う事無く己の経験や智慧を誰かに広めようとしている。俺はこの時点でお前は、釈尊に勝っている所があると断言する。智慧を独占する事の虚しさを知り、それを誰かに広めてやる。それは、偉大なるものの一歩だと俺は思うぞ】
【買被り過ぎだ】
【自惚れすぎても良いのだよ、デュフォー。お前は中々感情を表に出さぬ。よく喜び、よく笑うのだ。笑う門には福来る、と言うだろう】
信号の色が、赤から青に。
スタスタと歩みながら、デュフォーは今の今まで考えていた事を、空海に対して投げ掛けた。
【キャスター】
【何だ?】
【……何故俺達は、サーヴァントと出会えない?】
【ふむ、と言うと?】
【……サーヴァントには、サーヴァントの存在を察知出来る力があると言うな】
【だな】
【だな、じゃない。何故俺達は『それを検知出来ない』?】
それは、デュフォーにとってずっと疑問の事柄だった。
サーヴァントは通常、同じサーヴァントを察知出来る力がある――相手に隠匿に関わる力があればその限りではない――。
その事はデュフォーも、頭に刻まれた聖杯戦争の知識から知ってはいるが、それが余りにも機能していない風に思えてならないのだ。
デュフォーらは、聖杯戦争を止めるべく、暇を見つけては冬木の至る所を歩き回り、空海の力で同じサーヴァントを探してはいるのだが、結果は今日の今日まで、
それらしい存在が見つからないという結果に終わっている。幾らなんでも、これはおかしい。確率論的に言って、一人や二人は、それらしい存在と出会えても良い筈なのだ。
其処にデュフォーは、不穏な空気を感じるだけでなく、不安感を憶えている。しかし、相棒のキャスターは、相変わらず涼しげな笑みを浮かべて、こう言った。
【そう言う事もあろうよ】
幾らなんでも、これはない。思考の放棄にも程がある。少しは真面目に考えろと言いかけるデュフォーだったが、【まぁ待て】と空海は制止する。
【以前にも言ったがな、俺は普通の手段では聖杯戦争に召喚出来ぬのよ。現在の時間軸には存在しない、過去或いは未来に死んだ者の霊が、信仰や想念で磨き上げられた存在と言うのが、英霊の定義であるのならば、だ。未だ生き続けている俺は、サーヴァントとして従えられる筈がない】
魔術や神秘の世界は、未だデュフォーもよく解らず、アンサートーカーで答えも導き出すのが難しい分野だが、空海が今言った事は、理にも適うし、何よりも、事実であった。
頭に刻まれた聖杯戦争の諸々の知識と、空海の今語った事は、パズルのピースとピースがピタリと嵌るが如くに合致しているからだ。
【だが、そんな俺が聖杯戦争に分霊(わけみたま)とは言え召喚されている。これはもう、この聖杯戦争自体が異常であるか……】
【異常である、か?】
【裏で仕組んだ者が、何かの仕掛けを施しているのだろうよ。そう例えば、お前がこの世界に来るに至った原因のあの符(カード)などに、な】
まさか、と思い、デュフォーは、ズボンのポケットにしまっていた、十二星座の刻印されたあのカードに手を当てた。
【何時、気付いていた】
デュフォーが問う。彼自身は、気付いていなかった、と言う顔だ。
【俺の千里眼は、俺自身が答えを求めない限りは機能しない。まぁ逆に言えば、疑問に思ってしまえば即座に答えが見えてしまう困った奴なのだが。疑問に思ったのはつい最近でな。もしや、と思い、お前の持つ星座のカードをみたら、案の定よ。その符、極めて高度な技術で拵えられた、宝具級の品だ。俺達の気配を完全に消す事位、訳はないと言う事だ】
【これが、宝具級の代物……か。いや、考えてみればそれも当然か。異世界から人を呼び寄せる代物など、よくよく考えれば宝具レベルの品でなければおかしい】
【そう言う事だ。敵の目的は未だ知れないが、その符に何らかの仕掛けが施され、それによってサーヴァントの気配を消している事は明らかだ。そうでなければ、『昨日の事件』しか聖杯戦争絡みの大きな事件がなかった事の説明が出来ない】
【……目的、か】
デュフォーは考える。
この二名の最終的な目標は、聖杯戦争と言うイベントそのものを挫き、中止させる事である。
その為には、聖杯戦争の参加者全員を叩くのではなく、主催者そのものを倒すのが一番手っ取り早い。
蜘蛛の巣を機能させなくするには、その巣を壊すよりも、巣を張る蜘蛛自体を殺した方が早い。そんな理屈であるのだが、これが中々上手く行かない。
デュフォーのアンサートーカーをどれだけフルに用いても、その足取りの一つすら掴めず。
空海の千里眼をどれだけ用いようとも、『俺達では干渉すら出来ない程高次元に存在を隠している』と言う結論だけしか見えてこない。当然、其処に干渉する術もなく。
ならばせめて、自分達と同じ志の参加者を探そうとしても、そもそも出会えないと来ている。つくづく、憎らしい機能だと、今になってデュフォーは思う。
何を思い、主催者達は聖杯戦争を開いたのか。
それは現時点における最大の謎と言えようが、デュフォーにはそれが解らずにいる。
聖杯を逆に奪い取る為? それとも、聖杯戦争によって生じる恐るべき戦いを楽しむ為? 疑問は尽きぬ。尽きぬが、デュフォー達の目的はシンプルだ。
彼らを、倒す。そして、聖杯戦争と言う闇を祓う、太陽と光になる。昔の自分ならそんな目標も無かったろうが、ゼオンや清麿、ガッシュ達と出会った今なら、その目標を恥ずかしげもなく掲げられる。
【良い目だ、デュフォー】
空海が、決然とした光を宿した瞳をしているデュフォーを見てそう言った。
【お前はきっと、良い友に出会えた良い過去を持っているのだろう。友は良い。こんな世界にいようとも、友に遭いたいと思っていれば、生きる気力が湧いてくるのだからな】
【良い過去であったかは兎も角……。友は、良いものだな】
【ああ】
そんな事を話しながら歩いていると、デュフォーらは、目的地である穂群原学園の高等部へと到着していた。
【校外で待機している。何かあると思ったら、念話を飛ばせ】、と言う空海の言葉に、デュフォーは軽く頷いた。流石に校内に空海は連れて行けない。目立つ。
ノヴァには、此処には野暮用があると説明したが、実際には嘘だ。此処に来た真の目的は、穂群原学園に聖杯戦争の参加者がいないのか探しに来た事。
冬木に何人の聖杯戦争参加者がいるかは解らない。現状では足を利用して、人の集まる主要な場所を虱潰しにするしかない。この穂群原学園も、虱潰しの候補の一つだ。
教育実習先である為、一応デュフォーは何度も此処に足を運んだが、成果はゼロだった。今回の探索も、念の為、と言う域を当初は出ていなかった。
だが今なら。星座のカードが、サーヴァントとしての気配を遮断させている原因だと解っている今なら。それに相応しい探し方をすればよいだけ。
散々サーヴァントの気配を探しに向かった場所とは言え、そうだと解っているのならば、新しい発見があろう、と言う物だった。
「あ、デュフォー先生!!」、と、すれ違う女子生徒や男子生徒から声を掛けられる。デュフォーは教え方が上手であると生徒達からも評判だった。
ベテランの教師陣からは実習生でありながら一目置かれ、新任の教師陣からはやや嫉妬の入り混じった目で見られ。何れにしても、生徒や教師達からは有名であった。
挨拶を投げ掛ける生徒達に軽く会釈しながら、デュフォーは校庭から校内を散策。いきなり生徒に、聖杯戦争について訊ねるような事はしない。
デュフォーから見て、これは、と思った生徒をマークするのが今回のやり方であった。尤も、その手段にしたって、かなり迂遠なやり方なのだが。
やはり、サーヴァントとしての気配を探知出来なければ、難度が高い。
そう考えていたデュフォーだったが、急に、ある部屋へと繋がる扉の前で彼は立ち止った。思う所があったからだ。
以前この部屋に所用があって入った時、特徴的な生徒が、此処でプロジェクターの修理をしていたの思い出したからだ。
今日もいるのだろうかと思いデュフォーは、生徒会室へと繋がる扉を開け――
「――デュフォー先生? ここに何か用でも?」
そして、居た。煉瓦色の髪を持った、引き締まった体の青年。
デュフォーも覚えている。教育実習生としての自分が担当している複数の教室、その内の一つの生徒だからだ。
「衛宮、か」
「はい」、と言う返事を聞き、デュフォーは生徒会室に一歩足を踏み入れた。
◆
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◆
ZONE7――『聖剣の肉叢』
「いつだったかも、プロジェクターを直してたな」
デュフォーが生徒会室に入るのと同時に、手慣れた様子でドライバーを操る事を再開する男子生徒。
『
衛宮士郎』。穂群原学園高等部二年の生徒である。今は教師の一人から頼まれて、会議室の壁掛け用スピーカーを修理していた。
「えぇ、まぁ」
デュフォーは、此処穂群原に教育実習に来た他の学生に比べると、言葉が少々上から目線で、其処が少し苦手、と言う生徒も少しばかりいた。
その気持ちは、士郎自身解らなくもない。だが、教え方が確かなので一定の人気はあったし、士郎自身、こんな感じで上から目線で付き合って来る友人に何人か心覚えがあったので、特に何も思わないでいた。
「こう言う仕事は、一生徒であるお前が引き受ける事もないだろう。学校側に予算がないから、腕に覚えのあるお前に仕事を頼んでいるのだろうが、それがお前の義務な訳ではない。普通の業者に頼むよう、次からは言ったらどうだ」
【全くだね、其処の白髪のお兄さんの言う通りさ。内申点良くするからって言う言葉にコロっと騙されるとかならまだしも、善意で、なんの報酬もないのに引き受けちゃってさ!!こう言うのはね、内申点を良くするって条件と一緒に、小遣い程度のお金でもせびったりするものさ。そのどっちも求めないで、感謝のお言葉だけでお仕事を引き受ける何て、素晴らしい心持ちだよ全く、死後のアヴァロン(楽園)逝きは確定だな。妹に会えたら宜しく言っておいてくれよな!!】
思わずズル、とずっこけそうになる程長々とした、口の悪い念話が士郎の頭の中に響き渡る。
念話ですらこの五月蠅さである。実際に今の内容を口にして言うとなると、その五月蠅さたるや想像を絶するそれになる。
全く、どんな経験を積んだらこんな、水車が回るような勢いとスムーズさの長々とした口上を口に出来るのか、士郎には想像も出来ない。
しかもそれでいて、この流れる様な罵倒を、声だけ聞いても美女のそれと解る声音でやって来るのだから、始末が悪い。
第一、彼女の事はあの後図書館に行って調べた。アーサー王伝説における『ケイ』と言う名の騎士は、男性ではなかったのか。
【ま、伝承のアヤ、って奴さ。ったく、マロリーだかマロニーだか知らないけど、もう少ししっかりと私達の事を伝えて欲しかったね】
【それは随分と適当に書かれた事で……】
適当な相槌を打ちながら、士郎は作業を続ける。
デュフォーは言った。この仕事は自分の義務ではない、だから出来ないと口にして、誰か然るべき人物に任せても良いと。
それは確かに、その通りだと士郎は思う。自分よりもこの手の修理・修繕、メンテナンスが得意な人間がこの世にはごまんといる事は知っているし、
自分に任せるよりも彼らに対価である金銭を支払い、上等な処置をして貰った方が確実なのは、士郎自身もよく解っている。
だが、断らない。物が壊れて困っており、それを直して使えるようにする、と言う事は良い事であり、人助けである。勿論、悪い事に使う道具は直さないが。
士郎の義父である、切嗣は言っていた。正義の味方に、なりたかったと。炎の海、と言う陳腐な表現がこれ以上となく相応しい、あの大火災の地獄から
自分を救ってくれたあの義父がだ。なら、彼の意思をリレーし、そのバトンを自分が与るべきだろうと、士郎は考えた。
『正義』、とは何かと問われれば、それはとても難しい質問だと思う。一概にこれ、と言うべき答えは、ずっと本気で正義の味方を目指していた士郎でも断ぜられない。
だが一つだけ、それらしい物を上げるとするならば、『無償で行う事』なのではないか、と士郎は思う。
士郎の心と思い出に刻まれている正義の味方とは、義父である衛宮切嗣である。彼は、ともすれば自身が焼け死んでもおかしくない程であった、
あの冬木市の火災で、逃げる事無く、子供であった士郎を助け、命を繋いでくれた。この在り方は、間違いなく正義の味方のそれなのではないか。
自分の命を顧みず、死んでもおかしくなかった自分を助けてくれて、剰え身寄りのなかった自分をある時期まで育ててくれた。その在り方は、尊いものではないのか。
そんな人物だったからこそ、士郎は切嗣に憧れた。義父が口にしていた正義の味方を、本気で目指そうと志した。
正義と言う概念を、一元的、一面的に切り離す事は出来ないだろう。だが敢えて、最も重要な一面を切り離せと言われたら。
それはきっと、人助けを行う、と言うその時点で、既に対価や見返りが達成されていて――。
【危険な発想だ】
士郎の考えが伝わって来たのか、ケイが、そんな念話を飛ばして来た。
【剣の林、槍の衾に突っ込んで、戦果と勲章を求めたがるおバカな騎士達よりも、お前はずっとバカ……いや、バカって言葉を使う事すら、バカと言う言葉に失礼だな。バカを越えて、愚の境地さ】
【……なんでさ】
不機嫌そうな響きが、伝わってくる。士郎としても、今のケイの言葉は少々カチンときたようだった。
【人にね、無償の愛とか、廉潔無私と言う概念は早過ぎるのさ】
ケイは滔々と、言葉を紡いで行く。霊体化している為か、姿形は朧げで、どんな格好やポーズを取っているのかはよく解らない。
解らないが、声のトーンだけはよく解る。遥か昔日の情景や思い出に、自らの思いを馳せさせているとでも言う風な、解雇に浸るそんな声音であった。
【妹もそうだったよ。全く、あんなちっこい身体の癖してさ、なーんでもかんでも一人で抱え込んで、挙句の果てに運悪く理想の王何かになっちゃってまぁ。言葉や姿じゃ、「私は何でもないぞ!!」みたいな態度取っておいて、その癖誰よりも疲弊しててさ。崩れかけの櫓よりも、危なっかしい妹だったな……】
数秒程、ケイが押し黙った。部屋に不気味な沈黙が流れ出す。
押し黙りながら作業を眺めるデュフォー。スピーカーを直す士郎。霊体化をしているケイ。実に、不思議な取り合わせの空間であった。
【見返りを求める正義は、正義じゃないかも知れない。単なる仕事だ、それは。だがそれでも、行っている事が善行何だったら、金貰ってようが何だろうが、胸張って正義だと主張しても良い。何よりこっちの方が、賢く・長く生きられる。まぁ、世の中絶対じゃない。こんな生き方してても、ポックリ逝ったり、サックリ殺されたりもしちゃうだろうさ】
【だけどね――】
【お前の生き方は間違いなく死ぬしかない生き方だ。と言うか、その性根を早く叩き直さないとマジで死ぬぜ、シロウ】
【俺は、そうだとは思わない】
【いーや、それは違うな。あの気違いみたいな鍛錬だってそうさ。よくもまぁ、あんな狂気そのものの鍛錬を続けて来たもんだ。しかもその理由が、いつか正義の味方として役に立つ日が来るかも知れなかった、から? 冗談止せよ。あんな事続けてたら、正義の味方として花開く前に死んでたぜ君】
今はケイから、キチンとした正規の鍛練法を教えて貰った為に、ケイの言う魔術回路を一から作ってはまた破棄して、と言う鍛錬は止めている。
士郎は、それが極めて危険で、命を落としかねないばかりか、鍛錬として見ても得られるものがゼロに等しい、余りにも無為なそれだと言う事を今日初めて知った程だ。
知らなかったばかりか、それが正義の味方になるべき条件として今日まで己のマスターが受け入れていた、と言う事実がケイには驚きであった。
そして、そんな彼を見たからこそ、彼女は思った。この男は、余りにも危うくそして、危険過ぎる、と。
【もう少し、人間的に生きてみなよ、シロウ】
【人間的な生き方って、例えば?】
【もう少しだけわがままに、自分本位になれって事さ。お前は何だかんだで、性格も良い。気に掛けてくれる友人だっているだろう。そんな人達を心配させるな、少しは自分の為にも動いて見せな】
【そんな生き方出来てたら、妹も少しは楽に生きられたのかなぁ】、と、そんなセリフで言葉を結び、念話を投げ掛ける事もなくなったケイ。
自分はそんなに、自分本位なところがないのだろうかと士郎は考える。欲しいものだって人並みに一つや二つ普通に思いつく、年頃の男だ。
それなりにはあるし、それが欲しいからアルバイトをして金を溜める事もあった。これは、自分本位な生き方に該当しないと言うのだろうか。如何にも士郎には、この辺りの機微が解らなかった。解らないまま、スピーカーの修繕を終えてしまった。結局、内部の部品の一つが弾みで外れてしまい、そのせいで音が出なくなってしまっただけのようだ。これで、音がまた出る筈だ。
「直ったのか、衛宮」
「はい」
返事をし、スピーカーを抱えようとする士郎を見て、デュフォーは言葉を続けた。
「『昨日の事件』」
その言葉に、士郎が反応する。いや、彼だけでない。室内にいたケイも、張りつめたものを出し始めた。
「知らない筈はないだろう。あんな事件があったんだ、その上犯人も捕まってない。仕事を終わらせたら早く帰れ。一時でも物を教えた間柄に過ぎないとは言え、そんな奴に死なれて何も思わない程感受性が死んでいる訳じゃないからな。解ったな、衛宮」
「……はい」
「邪魔したな、失礼する」
用が済んだか、デュフォーは振り返りもせず、生徒会室から退室。後には士郎と、霊体化しているケイだけが残された。
【あの兄さんの言う事、私は正しいと思うよ。どうやら聖杯戦争に参加している蜘蛛達は、とっくの昔に蠢いているようだしね。不用心な選択は当然危険だろう】
【キャスター】
【わーかってるって。サーヴァントとしての職分は、果たすつもりだ】
言葉を一秒だけ区切ってから、ケイは一言。
【花が磨いた剣の身体に掛けて。我が命、衛宮士郎に預けん……何てね。こう言う格式張った言葉、私好きじゃないけど……ま。お前の為に動いてやるってのは、本気さ】
【……ありがとう】
【良いって良いって。ホラ、そのスピーカーを運んでキリキリ動きな。帰ったら円卓名物マッシュポテトだ。ハハ、最近のジャガイモって凄いね、マッシュポテトに向いてるジャガイモ何てあると知った時は(頭の中が)花の魔術師が妖精に掴まったって知らされた時より驚いたもんだ!! ガウェインにその事伝えてやれば、そりゃもう驚くぜ!!】
【……うぷ】
思い出すだけで食欲が減退する。ケイの作るマッシュポテトは雑過ぎる。その癖、量が凄まじく多い為、スプーン三掬い位で飽きて来る。
本当に芋を磨り潰しただけの、よく言えば素材の味を前面に押し出した、悪く言えば、料理とは思えないただの芋。
せめて芋は芋でも、もっと気の利いた料理を出して欲しかった。今だったら、同じジャガイモを使った料理でも、ポテトサラダを出されただけで泣いて喜んでしまいかねないレベルで、最近料理に華がなかった。
【なぁ、今晩は俺が作っても良いだろ、料理。毎食マッシュポテトは流石に飽きるぞ】
【おーっと、私に対してそれは言っても構わないけど、自称料理上手の騎士様にはそれを言ってくれるなよ。本気で凹むからねアイツら】
誰の事を言ってるんだろうと思いながら、生徒会室から退室する士郎。
【んで、君は何を作ってくれるんだいシロウ。何だかんだ、お前の料理は美味い。キャメロット流の料理じゃ足元にも及ばない位だ】、念話を送るケイ。
以前振る舞ってやった、白米・灼き鮭・海苔・味噌汁・漬物・冷奴の、典型的な和食を、ケイは大変気に入った。「盛り付けのレベルからして違う!!」と絶賛していた程だ。
たまには肉類でも振る舞ってやるか、と思った士郎は、今日の献立を今になって考えて――向かいから歩いてくる、極めて恵まれた背丈と体格をした男子生徒の髪型から、インスピレーションを得た。
【ハンバーグ、とかどうだ?】
【ハンバーグ!! 良いね、実を言うと私も初めて食べる料理だ。大変興味があるが……それを考え付いた経緯、ちょっと失礼過ぎないかい?】
【しょ、しょうがないだろ。その……そっくりな、髪型だったんだし】
すれ違った男子生徒の背中の方を、振り返る士郎。
既存の制服を改造したものだと一目で解る特徴的な学生服を着た、リーゼントヘアの学生は、いつの間にか階段を下りて、今士郎がいる所からでは、見えなくなってしまっていたのだった。
◆
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流離の子
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蓮の台 ソルニゲル
革者
解放された世界 Fate/Bloody Zodiac ■■海底都市冬木 回帰の白
物語の王
監視者 餓狼伝
アイボリー・メイデン 最終戦争 総ての乙女の敵
キング・オブ・クロスオーバー
不死の罰
日ノ本斬殺 殺られた事にも、気付かない 破滅的終局
久遠の赤
◆
ZONE8――『鋼衣を纏う天使』
【? どうされましたか、マスター】
一瞬ではあるが、己のマスターの表情に、怒りの色が混じったのを見て、セイバーとして召喚されたのサーヴァント、『
フローレンス・ナイチンゲール』は念話でそう語りかけた。
【いや、その、なんつーんスかね、セイバーさん……。俺の髪型が馬鹿にされたような……】
【私の耳にはそれらしい声は聞こえませんでしたが……もしや、ストレスが高じてとうとう幻聴まで……? だとしたら、本格的な処置を取らねば――】
【いえ、全然良いッス!! 遠慮しときます!! 多分鼓膜の調子がおかしかったんだと思うんだよなぁ~~~、俺のクレイジー・Dで治せると思うんスよね】
【……貴方の能力は自分には及ばないと以前聞きましたが】、とナイチンゲールが小言を呟いていたが、無視する事にする。
クリミアの天使、ランプの貴婦人、小陸軍省と、生前様々な誉れ高い呼び名を賜り、それに違わぬ人間性と聖性の持ち主である事は、彼自身良く解っている。
解っているが、断言出来る事が一つある。この女性の処置は確かな物かも知れないが、『ヤバい』ものであると。
確かな技術と理論に裏打ちされた、確かな治療であるのだろう。だが、この女性はこと医術・医療・衛生状況の事になると、その性格が普段に輪を掛けて苛烈になる。
男達が理想とする白衣の天使、それを完璧な条件で満たす程容姿のレベルが高いナイチンゲールだが、この女性の性格を考えると、『
東方仗助』は、彼女自身の治療を受けるのはかなり恐ろしい。クレイジー・Dの能力が自分にも使えたらと、改めて悔やんだ瞬間だった。
『昨日の事件』が起こったと言えど、此処穂群原学園の授業は恙なく行われる。
行われはするが、やはり浮足立っている感は否めない。生徒は勿論、教師達でも、この街を包んでいる不穏な空気を感じ取っているようだ。
杜王町に長い期間、暗い翳を落していた吉良吉彰ですら、その犯行は表立ったものではなく、
注意深く警察白書等のデータを眺めていなければ気付かない程の水面下で行われ続けていたものだった。この冬木で昨日起こされた事件は、違う。
誰の目から見ても明らかで、目立つ形。それでいて、聖杯戦争の参加者は元より、それとは全く縁も縁もない日常に生きる人物ですら、異常だと理解出来る形で。
昨日アレは引き起こされた。言ってしまえば昨日の事件とは、聖杯戦争の始まりを、アンオフィシャルな形で告げる鐘の音であり――。
冬木の日常の崩壊を意味する、最初の一撃なのである。
【……何だか、腹立って来ますね】
校内から校庭へと出、空を見上げる仗助。
良い天気だった。鳥はさえずり、緑は萌え初め、冬服など当の昔に箪笥の奥かクローゼットに、と言う程に暖かい。あんな事件があったとは、思えぬ程だ。
常ならば世間はもう、GWに浮かれ気味で、何処にレジャーと洒落こもうかとか、休日をどうやって過ごそうかだとかの計画の話で持ちきりの筈なのだ。
そんな浮ついた話が、めっきり減ってしまった。あんな事があれば、そうもなろう。あの事件は、何十人もの死者を出したのみならず、それに数千倍する人間の未来をも、刈り取ってしまったに等しいのだ。
【何人、死んだんですかね。あの事件で】
【人のいない時に起こった事件ですからね、想定しうる最悪の事態は防げたでしょう。尤も、それでも何十人は死んだものかと思われますが】
【……偶然、俺とかが居合わせてりゃ、全員救えた、ってのもあったんすかね?】
【それは、無理でしょう】
即答だった。紡がれた言葉の意思の固さは、石を通り越して最早鋼のそれだった。
【そうなのかな~。でも、サーヴァントやらがうろついてる所だし、治療は難しいし、セイバーさんの言う通りかも――】
【そして恐らく、私にも無理だったでしょう】
それは、あのナイチンゲールの言葉とは思えぬ程の、柳腰の様な言葉だった。
何をしてでも、患者を救う。完治させる。最早治療が不可能な患部があれば、それが例え腕や四肢などの、今後の生活にも影響がある程の部位だろうと切り落とす。
それ程までの烈しい精神性と、患者の救命を優先する、鉄の女の口から飛び出して来た言葉が、全員を救うと言う事は、無理だと言う言葉。
思わず、念話で会話すると言う鉄則を忘れて、「えっ?」と仗助が頓狂な言葉を口にしてしまうのも、責められた事柄ではなかったろう。
【……戦場とは、正しくこの世の地獄です。こんな陳腐で、手垢の付いた表現が、何処までも符合する世界。それが、戦場です】
白衣の天使は、言葉を続ける。
【高山病、と言う病気をご存知ですか? 酸素の薄い場所で掛かりやすい病気……つまりは、高地で発生しやすい為、そう呼ばれています】
【そう、なんスか】
【これらの病気は通常、例え罹患しても地上であれば、初動が早かったり医療設備が充実していれば、いつでも治せる手立てがあります。ですが、高山で掛かった場合は、そうも行きません。何故ならば――高度数千mの世界でこれらの病気にかかっても、治す道具も設備もない。罹ってしまえば、死を待ってあげるか、見棄てるかが、他の登山者達が取れる手段なのだそうです。戦場と似てると……嘗ては思ったものです】
【ぐ、グレートな環境……いや、病気っすね】
【戦場が地獄であるのならば、その戦場に生への喜びと言う光を照らす救命を行うと言う事は、何なのか。地獄なのです、救う側もまた】
再び、言葉が紡がれた。
【オキシドールがあれば治るような軽傷を負っても、戦場の只中で物資がない為治療すら出来ずに、その傷が元で死んだ兵士は何百人といました。都市ならばすぐに治る下痢ですらも、不衛生な戦場で罹患してしまえば死神の接近を許してしまう恐るべき病に早変わりします。そして何よりも恐ろしいのは……、私達のが見ていない所で、この程度の事態は当たり前のように起こってしまうと言う事】
【セイバーさん……】
【『私が認知していない所で苦しむ患者は、救えない』。当然の理屈です、言葉で説明するまでもない。ですが私は、それが堪らなく悔しかった。私が患者を救っている間に、私の与り知らぬ所で、戦場と言う地獄で病の苦しみを抱いて死んでしまう者達が、大勢いた。それを認識する度に、自身の無力を嘆いた数も一度や二度ではありません】
気付いたら、深山町の商店街であった。
流石に商店街である以上は、買い物であったり商品の仕入れであったりなどの目的で、人の行き交いがある方であるが、それでも、明日がGWだと言う事を考えた場合、
人の通りがやや少ない。買い物客が、あの事件の影響で減ってしまったせいであろう。
【戦場での治療は地獄の具現。英霊としての身を得、宝具を得た私でも、サーヴァントの起こした戦場ともなれば、全てを救う事は困難かも知れない。ですがそれでも、そんな世界で命を取りこぼさない為に、心に構えておくべき思いが、一つあります】
【それは?】
【無理と解っていても、全員救うのだと狂信する事です】
【結局、全員救うんすか?】
【自分に出来る事を正確に把握し、その範囲内で助けられる命を救う。それは、立派な事だと称賛されるべきでしょう。ですが、全員を救うのだ、と言う心持ちで行う医療や治療は、自分の救える範囲内の命以上の命を助けられる可能性がある。可能性がゼロではないのなら、私はそれに賭けるだけです。一つでも多くの命を救う事が、私の本分ですから】
【出来ない事でも、やって見る……スか】
ナイチンゲールにそう言われ、思い出したのは、尊敬する男である空条承太郎と出会って間もない頃に起こった、悲しい事件。
祖父である東方良平との、余りにも突然の別れの事だった。本当を言えば、良平は、仗助が傷を治す前に死んだのだと、心の何処かで思っていたのかも知れない。
思っていたかも知れないが、それでも、仗助はクレイジー・Dで傷を治し……結局、戻ったのは傷だけだった。
良平の浮かべていた顔からは死相が消える事もなく、その口が息吹を紡ぐ事もなく、その心臓が脈打つ事もなく。綺麗な死体に、戻っただけ。
あの時の無念は、永久に忘れない。何時までも胸の奥にしまっておくに足る程、仗助の心を根底から変えてしまった出来事だった。
【死者って、蘇らないんですかね? セイバーさん】
【そんな技術があるのならば、どれ程素晴らしい事でしょうか。ですが、それは無理です。生命が終わったものは、もう戻らない】
――生命が終わったものは、もう戻らない――
奇しくも、ナイチンゲールは、承太郎と同じ事を口にした。ナイチンゲールから見ても――仗助にとってはファンタジーの世界の住民としてか見えない、
英霊から見ても、死者の蘇生とは、不可能事であるらしかった。聖杯にでも願えば別なのだろうが……。
【恐らくですが、マスター。貴方はきっと過去に、クレイジー・Dと言う素晴らしい力を得てもなお、救えなかった命と言うものがあるのでしょう】
【……はい】
【貴方の持つスタンドを以前素晴らしいと言ったのは、どんな傷をも治すと言う力だけを見て出た言葉ではありません。それ以上に、貴方のスタンドが……貴方自身が『優しい』と言う確信があったからこそ、私は素晴らしいと言ったのです。治す、と言う事は『直す』と言う事。これを利用すれば、治す能力が殺す能力にもなり得るでしょう】
覚えが、あり過ぎた。と言うのも、杜王町ではそう言う使い方をして、下して来たスタンド使いが相当数いたからである。
相手の方に圧倒的に非があるケースが全てであったとは言え、生きたまま岩にされたり本にされたりと言うのは、今思っても、凄まじい責苦だなと、仗助は思わないでもなかった。
【こと、相手を直すと言う事に掛けては、私以上に貴方は適役かも知れません。ですが貴方は、自分の能力の限界を知ってなお、私に死人は蘇るのかと聞きました。それは、優しくなければ出て来ない言葉です。だからこそ私は、貴方をマスターとして認めているのです】
【そう、か……そうスか……】
仗助は押し黙る。そして、数秒程の沈黙の後、仗助は、ゆっくりと、重苦しい鉄扉でも開けるかのように、その口を開かせた。
【アンタの言葉を聞いて、俺は再度、腹括らせて貰いました。やっぱり、聖杯って奴はタチの悪い腫瘍みてーだ。だったら、とっとと切除なりなんなりして、処分してやんねーとな】
【聖杯を腫瘍、聖杯によって引き起こされる聖杯戦争を病と例えますか。ですが、言い得て妙です。腫瘍は切除され、病は、治されなくてはなりません】
何処の蜘蛛が、こんな胸糞悪い巣を張り始めたのか、仗助には解らない。
解らないが、此処は昔の杜王町と同じだ。たった一人、或いは数人の誰かのせいで、数百、数千、いや、一万人にも上る人間が不幸になろうとしている。
四歳の頃の冬、酷い高熱に魘されていた仗助を乗せた車。其処に現れた一人の男。彼は、雪に囚われ動けなくなった後輪に学生服を敷き、車を必死に押して仗助の命を繋いだ。
その姿は仗助にとっては無償の奉仕に見えたし、幼い仗助にとってヒーローとは何か、と思わせるに十分過ぎる程の威力があった。
三十五年間ヒラの警官として過ごしながらも、生まれた街を愛し、街の治安を守っていた祖父。普段はふざけて愛嬌のある人だったが、街を護る時の目は、本物だった。
自分と同じスタンド使いに無惨に殺され、自分の迂闊さで祖父を死なせてしまった時、仗助は、祖父である良平の代わりに、街と家族を守ると強く誓った。
此処は自分の知らぬ街。だから聖杯戦争は、知らないし関係ない。
そうと振る舞う事も出来たであろうが、それをやっては、余りにも、仗助の中のヒーローである学ランの男や、祖父である良平。
そして、自分達と一緒に街を守って来た億泰や康一、承太郎や露伴達に、余りにも申し訳が立たない。
彼らに対して顔向けしたいから、と言う思いもゼロではない。だがそれ以上に――仗助の胸の内で輝く、黄金色の光が、聖杯戦争に乗る事、無視する事を、許してくれなかった。
【聖杯は破壊しますよ、セイバーさん。クレイジー・Dの力を使っても、修復不可能な位、ぶっ壊しましょう。それが、他の人の為になるって、俺、自己満でも良いから思ってるんで】
【……やはり、貴方は優しい人ですね。聖杯で大切な人を蘇らせる事も願わず、この街の平和を守ろうとするだなんて】
【優しい、ね~……。昔、俺の能力に対してそんな事を言った人がいましたね】
【どんな、方でしたか?】
【俺の年上の甥ですよ。もうすぐ三十路とは思えねー位若々しくて、ガタイも良くて、頭も良くて……】
【良くて……?】
【特に思い出のなかった筈の俺の杜王町を、善意で守ってくれた、ある種のヒーローっすよ。俺の尊敬する人の一人です】
【それはまるで……今の貴方みたいじゃないですか? マスター】
【……ハハッ!! 言われてみれば確かにそうですね、血は、争えないって言うんですかね。こう言うの】
この街で、自分がやろうとしている事を見ていてくれる、元の世界の知人は誰一人としていないが。
それでも、やらねばならない。仗助の『仗』の字とは、元来は刀や戟を意味する言葉であったと言う。彼は、聖杯戦争を破壊し、人々を守る戟になろうと今誓った。
そう思いながら歩く道すがら、若い姿をした婦警に、こっぴどく叱られている女性を見た。こんな形でも、聖杯戦争による街の治安の悪化は可視化されるのか、と、仗助もナイチンゲールも思ったのであった。
◆
信念との婚約者
ジュデッカ 不壊の盾 血塗られた献身 陽を堕とす者
流離の子
Dance of the Seven Veils
蓮の台 ソルニゲル
革者
解放された世界 Fate/Bloody Zodiac ■■海底都市冬木 回帰の白
物語の王
監視者 餓狼伝
アイボリー・メイデン 最終戦争 総ての乙女の敵
キング・オブ・クロスオーバー
不死の罰
日ノ本斬殺 殺られた事にも、気付かない 破滅的終局
久遠の赤
◆
ZONE9――『信念との婚約者』
「だァァァからァァァ~~~~~、あたしは無罪だって言ってんでしょ~~~~~? セルフ・ディフェンスよセルフ・ディフェンス!! あたしの潔癖証明出来る人いる筈よ!!」
「過剰防衛にも程があるのよバカッ!!」
歩道のほぼど真ん中で、国家権力と言う概念の最たる組織である、警察組織。
その制服に身を包んだ女性と、後ろ髪を三つ編みにしたお団子頭の女性が、噛みつかんばかりの勢いで喧嘩していた。
よくも、一目で警察の人間と解る人物と此処までエキサイトした喧嘩が出来るものだと、往来の人物達は驚き呆れた様子で眺めていた。
ただ一方で、野次馬の数がやけに少ない。それはまるで、この程度の事は……と言うよりは、この二人の喧嘩は、いつも通りの光景だ、と言わんばかりで。
「アナタの言う潔癖を証明出来る人だけどね、みんな証言してるの!! アナタが暴漢の顔の形が変わるまで殴ったり、見てて可哀相になる位胴体を容赦なく蹴り飛ばしたり、股間を殴り飛ばした時の事!! 骨が折れたり陥没する程殴る馬鹿があるか、訴えられたら逆に負けるわよ!!」
「ッハァ~~~~!? アンタ、あたしに喰ってかかった奴らの姿形とか見なかったワケ!? あんなのに迫られたら、力の加減何て出来るワケないでしょ!!」
「黙んなさい!! 全く、昔からその性格変わらないわね、『
空条徐倫』!! 男顔負けの暴力を振るうその性分、二十歳になるまでには直しときなさい。じゃないと、ほんとに火傷するわよ」
「あ~……歳食っちゃうと若い娘が襲われた、って言う、同情買える状況が成り立たなくなるからね。って事は、後一年位は暴力奮い放題ってコト?」
「徐倫!!」
悪戯娘を通り越して邪悪な悪人そのものの発想に、思わず婦警は叫ぶ。
今日こそは、署でたっぷり絞られて貰おうと、素早く手を動かし、彼女を拉致しようと試みる婦警。
容姿こそ、柔らかなラインが女性的で愛くるしいが、流石に婦警。空手や柔道など、一通りの武道の有段者だ。うおっ、と思い、徐倫が慌てて手を引こうとした、その時だった。
「――ぜひ」
突如として婦警の口から飛び出た、変な調子の咳。胸を抑え、本当に一瞬苦しそうな表情をし、動きが静止。これが原因で、徐倫の逃走を許してしまった。
これ幸いと言わんばかりに、徐倫は後ろに飛び退き、婦警から距離を取る。「あ、しまった……!!」と、口にし、婦警は動こうとするも、ぜひ、と言う咳が止まらない。
「じゃね、『早苗』!! アンタももうすぐ三十路とは言え、まだ二十八なんだろ? 早いとこ結婚して、サツみてーな損な仕事辞めちまいな!! それと、季節の変わり目は体調崩しやすいし、体調管理しっかりやるように!!」
そこで、ニカッ、と笑みを投げ掛け、徐倫はそのまま早苗、と言う名前の警官に背を向け、遁走。
「ちょっ、こらっ……待ちなさい――待て!!」、と後方から叫ぶ声が聞こえて来るが、知った事ではない。警察に捕まると、本当に碌な事がない。
徐倫は警察が……と言うより、国家権力の全般が嫌いであった。無理もなかろう、余りにも理不尽かつ、身勝手で、邪悪な思惑で、あの酷い刑務所に入れられたと言う過去があれば。権力の犬を嫌いになるのも、当然の成り行きと言う物であった。
漸く、早苗と言う婦警を撒く事に成功した徐倫。
あの女性はあれでなかなか、身体能力が馬鹿に出来ない。素手での喧嘩だった場合、本気で徐倫は負けかねないのだ。
……スタンドを使えば話は別だが、流石に一般の人間、しかも徐倫としてもそれ程否定的な印象を抱いていない相手に、ストーン・フリーを使うのは論外である。
だから結局、こうして逃げるしかない。それに、あの女性には、なるべく自分と一緒にいて欲しくなかったと、徐倫は思っている。
だって――空条徐倫と言う女性は、ただの暴力的な一般市民では最早なく。聖杯戦争と言う一つの戦いに組み込まれた、暴力装置の一つなのであるから。
【全く……貴女のお転婆ぶりには驚くよりも呆れるわね。ドレイクじゃなくて、私が呼ばれた事の方が不思議な程だわ】
頭の中に響くのは、女性の声だった。
ただの女の声ではない。その声には、声でありながら光り輝く様な視覚性があり、薔薇や百合に似た心地よい香気を芳せる、美しい声だった。
山の湧水よりもなお透明で、冬の室内で燃え上がる暖炉のように人の身体と心とを包み込む、優しい声音。
およそ、女に生まれた事が惜しいとすら思える程激しい気性の持ち主である徐倫とは、何から何まで正反対の声と気風だった。
徐倫は今をしても、彼女が自分のサーヴァントだと言う事が、不思議でしょうがないのである。
【貴女の心に宿る、金色の正義が、あの悪漢達を許せなかった、と言う心持ちは理解出来ます。ですが、やり過ぎはなりません。人は、叩き過ぎ、縛り過ぎると、次への怒りを溜めるもの。程々に武を示しつつ、こちらの意図を解らせる事が、理想なのですよ? ジョリーン】
【アー、はい。気を付けます、セイバー女王様】
生返事極まりない徐倫の言葉に、全く、と、彼女の召喚したセイバーたる、『エリザベス1世』が苦言を呈する。
見た目と性格通り、空条徐倫は我が強い。いや、我が強くならざるを得なかったのだろう。この、石造りの海からいつだって、星を見上げ、そして、掴もうとした女は。
片桐早苗と言う婦警に叱られた理由は、何て事はない。
徐倫が、モヒカンに髪型を整えた、イヤに体格の良い男三人を、早苗の言う通り、骨が折れたり睾丸が片方破裂する程の勢いで殴ったり蹴ったりしまくったからだった。
勿論、ただガラの悪そうな男達が三人並んで歩いていただけで、暴行を振う程徐倫は血の気が多いアウトローじゃない。
明らかに、男慣れもしてなさそうな、線が細くて大人しそうな女性にしつこく突っかかり、『テイクアウト』のワンチャンを狙おうとしている性根が透けて見えたから。
無性に腹が立ち、少し注意をしたら、それが元で大揉め。その隙に大人しそうな女性が逃げ出し、男三人の怒りの矛先がこっちに向かって来た。
但し、そのコンタクト方法は、大人しい女性にして見せた様な下手くそなナンパではなく、やけに勢いよく拳や脚を振り回す、と言う手段でだったが。
当然、そこまでされて大人しくしている徐倫ではない。エリザベスの宝具によって向上された身体能力でモヒカン達を一方的にサンドバッグにしてしまった、と言う訳だ。
しかし、実を言うと徐倫自体も此処まで痛めつける気は更々なく、予想以上にエリザベスの宝具である『騎士は栄光を手に駆ける(ナイト・オブ・オーダー)』による身体能力の向上が強すぎてしまい、加減し損ねた、と言うのが真相であった。
その後の顛末は、先程の通り。
大分前からの腐れ縁――と言う設定に冬木ではなっている――であった片桐早苗に大喧嘩の模様を見つけられ、手ひどく叱られたさっきのシーンに至ると言う訳だ。
大通りでモヒカンと徐倫は喧嘩していた為、事を見ていた目撃者は多かった。女と男、況してや男の方が明らかに力強そうな姿だった、と言う事実を鑑みた場合だ。
徐倫の『正当防衛』と言う主張の方に軍配が上がろうかと言う物だが、余りにも彼女の暴行ぶりが凄まじかった為に、聴衆達ですら『過剰防衛』の四文字が頭を過った程である。
【ジョリーン。星は、誰の頭の上でも平等に輝きます。暗い夜の海を遊弋する船乗りの上にも。泥の敷き詰められた牢の中で蹲る囚人の上にも】
【……】
【だけど、美しい心と、優しい心の持ち主にしか、星はその眩く綺麗な輝きを見せてくれないものですよ。無軌道な圧力は控え、女性なら優しく、気高く、堂々としていなさい。その方が、貴女の御父上も喜ぶ筈ですよ】
【優しく……気高く、堂々と、ね】
徐倫は、この冬木に来てから父親である空条承太郎の事を思わぬ日はなかった。
子供を子供とも思わぬ、最低の父親。母親ですら蔑ろにする、不器用で、どうして父を目指そうとしたのかすら理解出来ない男。
それが、空条徐倫と言う女性にとっての空条承太郎であったのだ。……プッチのホワイトスネイクによってDISCを引き抜かれ、植物人間同然の状態に彼がされるまでは。
あの時、自分に思いの丈を告げた時の父親は、徐倫が求めた父性の体現そのものだった。厳しくはあるが、優しく、気高く、そして、堂々として。
其処に徐倫は、星を見たのだ。嘗て空に輝いていた星が、地に堕ち光を失い。その最後に、地上で星としての輝きを取り戻したのを、彼女は確かに見た。
【セイバー、さ。一つ聞きたいんだけ、あたし】
【はい、何でしょう?】
【人は、星だと思う?】
【えぇ】
エリザベスは、一切の迷いもなく、即答を以って徐倫の心意気に応えた。
【私には、故国ブリテンの全ての民が、星に見えましたから。民の誰もが、それぞれの輝きを持つ綺羅星達。善もあった。悪もあった。ですが、一つの例外もなく星は瞬いていた。だからこそ私は、人と言う名の星が輝くブリテンと……人と言う名の星が宿す意思と、添い遂げようと決めたのですから】
【……そっか】
ふぅ、と息を軽く吐く徐倫。
言葉が出ない。いや、言葉を探していた。次に出す言葉を、どう表現するべきなのか。徐倫には上手く、即座に思い描けない。
結局彼女が、エリザベスに伝えるべき言葉を思い描けたのは、息を吐いてから二十秒も経ってからの事だった。
【大切な星をさ……二つも失っちゃったからさ。こんな、自由を演出しただけの箱庭(檻)に、いつまでも燻ってやる訳にはいかないんだ】
知性の尊さを愛していた、プランクトンでその身を構成していた、女囚仲間はもういない。
共に苦難を乗り越え、時に自分を助けてくれていた、不器用でありながらも優しかった男も、安らかに、眠るように逝った。
徐倫が、もっと一緒に時を過ごしていたい、もっと間近でその輝きを見ていたいと思っていた星は、もう二つもその光を閉ざされてしまった。
彼らとの思い出は、自分の物である。楽しかった思い出も、辛かった思い出も……そして、離別した過去ですらが、自分だけのものなのだと徐倫は思っている。
万能の願望器たる聖杯を求めて、さぁ殺しあえ、潰しあえ。ふざけるな、徐倫は憤る。そんな下らない事の為に、聖なる杯を使うな。
願いが叶う杯を求めて、何処ぞの世界から人を集め、疑心暗鬼の状況を作り上げ殺し合わせる。此処は、檻の中より酷い地獄ではないか。
冬木の街は、石造りの海ですらない。血のこびり付いた鋼で出来た、ミニアチュアの箱庭であった。
【……あたしはとっとと、こんなふざけた舞台を拵えた親グモをぶん殴って、一発気持ち良くなってから、元の世界に戻るよ。この世界に、あたしの求める星はない。聖杯は、女王様が使えば良い】
【えぇ、貴女の心意気、しっかりと受け取りましたよ、ジョリーン。嘗てサー・パーシヴァルやサー・ギャラハッド、サー・ボールス達が追い求めた聖杯。私がしっかりと、管理致します】
パシッ、と、掌に右拳を打ちつけながら、徐倫は今まで隠れていた裏路地から、頃合いを見計らったかのように、人の通りの少ない通りの方へと歩き出て。
傍に早苗はいない。このまま家に帰ろうかと、歩を進めようとしたその時だった。
「あ、あの……っ」
聞き覚えのない声が、明らかに自分を呼び止めている事が解る。何故なら通りには今の所、徐倫と霊体化したエリザベスしかいないのであるから。
声の方角に目線だけを送る徐倫。何故、今更になって此処にやって来たのだと、徐倫は溜息を吐きそうになった。
其処には、先程三人のモヒカンにちょっかいを掛けられていた、眼鏡をかけた大人しそうな女性が佇んでいたからだ。
最終更新:2017年11月15日 21:51