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初春抄.3

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初春抄







第一話「佐伯虎次郎」





 テニススクールの取材から十数日後、羽百合は美緒からとんでもない言葉を聞いて固まっていた。

 ここは羽百合達が務める雑誌社の近くの大衆食堂。記者は時間との勝負。誰も彼も悠長に昼飯を食べたりなんかしない。そんな戦う企業戦士達の懐の味方、大衆食堂はサラリーマンで溢れ返っていた。

 ほとんどが慌ただしく電話をかけたりパソコンのキーボードを猛烈な勢いでたたきながら、その傍らで食べ物をかき込む。

 今朝、羽百合と美緒は本来の部署からの移動を通告され、落ち込んでいる所を慰め合っていたのだった。

「でも、早速合コン取り付けて来たからさ、それで元気出そうよ!」

「は? ……え? どういうこと?」

 Aランチのサバの味噌煮を口に入れた所で、羽百合が目の前でカツ丼を食べ進める美緒を凝視した。

「だから、例の佐伯コーチの連絡先ゲットして、合コンの約束取り付けたって言ってんの」

「ええっ!?」

「明日土曜日の19時に駅前の居酒屋だから、一緒に行くわよ」

 驚く羽百合を完全に無視して美緒は話しを進める。

「ちょっと待って! あんたいつの間に!?」

「え? この間の取材の写真をあげますって言って、田所さんに連絡して、それからこの間の日曜日にスクールの練習時間に行って」

「ーーー信じらんない。美緒、迷惑かけちゃ駄目じゃない」

「やだ~。羽百合ってばお母さんみたい」

 けらけらと笑う美緒に、羽百合はとうとう頭を抱えた。

 合コンに行くのは勝手だけど、自分まで巻き込まないで欲しい。新しい部署に移動になったおかげで覚えなければいけない事が山ほどあるのだ。

 新設部署なだけに担当する仕事の量も増えるし、企画も立案しなければならない。社長の気まぐれで立ち上げたような部署だから、企画部からは鼻つまみ者扱いされていて、よほどの案を出さなければ通してくれないのだ。

 よって美緒のイケメンハントの手伝いをしている暇などない。

「美緒。あなた自分もやらなきゃいけない仕事が山積みってちゃんと分かってるわよね?」

「分かってるわよ。でも今度の部署ちょっと緩めでしょ? やることしっかりやってれば問題ないわよ」

「労働意欲の薄い子ね。呆れるわ」

 心底呆れる羽百合に、美緒は大げさに両手をあげた。

「羽百合みたいに真面目すぎるとストレス溜まって倒れるんだから! 息抜きは必要よ! 仕事もプライベートもメリハリが大事! ね? だから合コン行こ」

 何を言っても無駄そうな美緒に、羽百合はとうとう根負けした。

「はあ……着いて行くだけだからね」

「やったー! さっすが羽百合ちゃん! 愛してるっ!」

「はいはい」






 ~~~







 翌日、なんとか時間ギリギリに仕事を終える事が出来た羽百合達は、ダッシュで駅前の居酒屋へ向かった。会社と駅が近かったのは幸いだ。

「ま、間に合った!」

 ぜえぜえと激しく呼吸をする美緒は、急いで乱れた髪の毛を整えた。

 と、どういうタイミングか羽百合の携帯が鳴り出した。

「わ、編集長だ」

「ええ~? 信じらんない! どっかで見てるんじゃないの? 無視無視!」

「出来る訳ないでしょ? 先に行ってて」

「ちょっと羽百合、本気?」

「急ぎの用だったら困るでしょ?」

 そう言い残して羽百合は店とは反対方向に歩き出した。


 ピ


「はい、新部です」

『ああ新部。今日お前が出した企画書のことなんだが、今度の特集はお前の案で行こうと思ってな』

「本当ですか?」

『そうなんだ。もう退社した後か?』

「あ、はい」

『そうか……出来れば明後日の会議で提案したいから、早めに清書してくれんか?』

「分かりました、すぐに戻って取りかかります!」

『別に明日から取りかかっても間に合えば構わんぞ?』

「いえ、すぐやります!」

『分かった、あまり無理するなよ』

「はい!」

 羽百合は電話を切ると、一目散に駆け出した。

「あっ、ちょっと羽百合っ!?」

 背後から大声で名前を叫ばれたが、全く届いていない。もう美緒と合コンの事などすっかり忘れていた。















 「終わった……」

 美緒からのメールを無視し続け、企画書の清書を始める事2時間。やっと出来上がった書類を満足げに見ると、羽百合は大きく深呼吸をした。

「っと、さすがに終わってるかな?」

 企画書をバインダーに挟み引き出しに仕舞うと、羽百合は携帯を取り出して美緒に電話を掛けた。

『羽百合のバカっ!!』

「っ!?」

 出た瞬間に怒鳴られ、羽百合は思わず携帯を耳から遠ざける。

「ご、ごめん」

『もうもう最悪! 佐伯コーチも来れなくて、結局女は私1人、向こうも1人で、寂しかったんだから!』

「あ、そうなの? もう帰ったのよね?」

 それではコンパではなくただの食事ではないかと思いながら、多少罪悪感がある為恐る恐る尋ねる。

『まだいるわよ! ていうか、バーに移動してる所。あんた終わったんなら速攻来なさいよ! さっきの居酒屋の2件隣りのビルの5階のバーだからね!』

 ブツリ!

 と電話を切られ、羽百合は大きなため息を吐く。

 目当ての佐伯が来れなかった事で、どうやら美緒はご立腹の様子だ。取りあえず急いで会社を出、駅へと向かう事にした。

 会社から駅へはそう遠くない。途中に広い公園があって、そこを通ればゆっくり歩いても15分程で着く。時間的にもまだそんなに遅くはないため、人通りもそこそこあって賑わっている公園を早足で歩いていると、後ろから声をかけられた。

「新部さん!」

「はい?」

 足を止めて振り返ると、なんとそこには美緒が熱を上げているあの佐伯がいた。夜にも関わらず、佐伯は何とも爽やかな笑顔で手を挙げてこちらへとやってくる。

「あ、佐伯コーチ……」

 驚く羽百合の目の前までやってくると、佐伯は丁寧に挨拶をした。

「こんばんは」

「あ、こんばんは」

 取材の時に一度会っただけなのに、名前を覚えていたのだな。などと感心しながら頭を下げる。

「もしかして、駅の近くのバーに行く所ですか?」

「あ、そうなんです。ちょっと仕事をしてて……」

「俺も学校の用事で遅れてしまって、今向かってる所でした。一緒に行きますか?」

「そうですね」

「戸村さんには悪い事をしてしまいました」

 歩きながらそう言う佐伯に、羽百合は困ったように答えた。

「いいえ、こちらこそ美緒がご迷惑をおかけしているみたいで、本当にすみません。テニスクラブの皆さんにのご迷惑にならないよう、しっかり言い聞かせておきますので」

 特に佐伯にはしつこくしているだろう事が容易に想像出来て、羽百合は心から謝罪の言葉を述べる。

 そんな羽百合の様子に首を振ると、

「そんな事ありません。先日もわざわざ写真を届けに来て下さって。皆喜んでいました」

 佐伯は天然なのか、美緒が完全に佐伯に好意を寄せている事に気付いていないらしい。

「あのですね、佐伯コーチ」

「えっと……俺は新部さんのコーチじゃないんで、コーチって言うのはやめてください。何かコーチとか言われると偉そうで、居心地悪く感じるんです。普通に佐伯でお願いします」

「あ、じゃあ佐伯さん」

「いや、年下ですから、さんも敬語もやめてください」

「え? えっと、じゃあ佐伯……君?」

「はい」

 このやり取りの間、佐伯はずっと笑顔を崩さない。ふと羽百合は気付いた。

「あなた……もしかしてわざと遅れた?」

 何気なく言ったその一言にも表情を変える事無く、佐伯は羽百合から前方へと視線を移す。

「いえ、本当に大学で急な用事が入ったんです。でも、メールで連絡したらあなたが仕事で急に会社に戻ったから遅れるだろうって聞いたんで、そこで待ってました」

「ーーーは? え? どうして?」

 佐伯の訳の分からない言葉に、羽百合は首を傾げる。

 一体この男は何を言っているのだろうか。

「一目惚れ……って言ったら、変なヤツだと思いますか?」

「……誰が?」

 羽百合と佐伯は同時に足を止めた。

 そこは丁度公園の真ん中で、すぐ先には噴水が見える。

 若いカップルや飲み会帰りのサラリーマン達が行き交うその場所で、二人はしばし見つめ合った。

「俺が、あなたに、です」

 はっきりとそう言った。

 佐伯の顔は笑顔ではなく、真剣そのものに変わっている。

 ザーという噴水の涼し気な音と共に、羽百合は佐伯の言葉を噛みしめるが、良く理解出来ない。

 初めて会ったのは2週間程前のあの取材の日。おまけにインタビューをしただけで、他に個人的な会話はしていない。にも関わらず、佐伯は羽百合に一目惚れをしたと言う。

「それって、どういう……」

「そのままの意味ですよ。俺があなたを好きになった、ただそれだけです」

「でも、あなた私の事何も知らないでしょ?」

 ほんの少し動揺しながらそう言ったが、またいつもの笑顔で軽くかわされた。

「知らなきゃ好きになっちゃ駄目なんですか?」

 羽百合は口ごもってしまった。本気なのか冗談なのか、まるで掴めない。

 だが、この佐伯虎次郎という男はあなどれない人物だという事は分かった。爽やかな笑顔の下で、とても計算をしている。

 ああ、そうか。

 そこで羽百合は気付いた。年下の大学生にからかわれているのだと。

 ふっと緊張を解くと、再び歩き出しながら言った。

「そうね、一目惚れですもの。相手の事を知らないで好きになって当然よね。でも、私の事を知ったら幻滅するかもしれないわよ?」

 少しだけ年上だという余裕をみせる。

 佐伯は少し目を大きくして、すぐに口角をあげた。

「なるほど、じゃあ、あなたの事を俺に教えてくれる。という事ですね?」

 どうやら相手は一枚上手のようだ。じっと隣りを歩く佐伯を見上げ、羽百合は小さくため息を吐いた。

「お好きにどうぞ」

 恋愛事に関わっている暇などないが、まあ、無視をすれば済む事だ。簡単な事だと自分に言い聞かせ、美緒達が待つバーへと足を速めた。










                              続く…





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