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苦くて甘いもの.1

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苦くて甘いもの












 汐屋和葉は目の前の光景に酷く驚いていた。

 数回の瞬きの後、辺りを見回し、その光景が夢ではないかと今度は軽く自分の頬を叩いてみる。

 ペチンとした音と衝撃に夢ではないと認識する。

 すると今度は焦りという感情がどかんと沸いてきて、和葉は目標物に向かって駆け寄った。


「大丈夫っ!?」


 和葉の目の前で蹲る一人の青年の肩を揺さぶる。

 制服で近くの立海大付属の生徒だということは分かる。


 どうしよう、救急車……えっと、こういうのって学校にも連絡しないといけないのかな?


「う……」


 焦りながらも色々とどう対処すべきか考えていると、赤茶色の髪のその青年は和葉の呼びかけにゆらりと反応した。

 ホッとしたと同時に和葉は再び声をかける。


「どこか痛みますか? 気分悪い?」


 バッグから携帯を取り出しながら聞くと、青年はゆっくりと顔を上げた。

 ドキ……

 上げられた青年はとても奇麗な顔をしていて、和葉は驚いた。


「は……」

「は?」


 口をぱくぱくとさせ、青年が和葉の腕を掴んだ。


「ーーー腹、減った……」





 ーーーーーーーーーーーーえ?




 和葉は携帯を持ち上げた状態のまま、そう言ってまた項垂れた青年の頭頂部を凝視した。
















 「いやあ、マジで感謝っ! お姉さんめちゃくちゃ料理上手なんだな~!」


 そう言って笑顔を寄越す青年、丸井ブン太に、和葉は苦笑する。

 テーブルの上の皿は全部綺麗になくなっていて、それはもう感激するくらい見事な食べっぷりだった。


「それは良かった。でもまさかこの飽食の時代の日本で、行き倒れに出会うなんて思わなかったわ」

「もうマジ俺死ぬかと思った」

「でもどうしてそんなにお腹空かせてたの?」


 食後のコーヒーを煎れながら、和葉が尋ねる。


「それがさ、朝テニスの練習に遅刻しそうになったから慌てて家出て朝飯食い損なって、仕方ねえから練習終わって弁当食おうとしたら弁当家に忘れてて、購買行こうとしたら先生に捕まってさ。そんでずっとタイミング悪いまま結局何にも食べられなくて昼になって、やっと学食行けると思ったら財布まで忘れてて、誰かに金借りようとしたら今度は真田に捕まってこの間の試合の事で説教くらって、そのまま放課後の部活をふらっふらのままやって、早く家に帰って何か食おうと思ったんだけど、とうとうここのマンションの前で腹減りすぎて動けなくなったーーーっつー聞くも涙語るも涙状態でさ」

「そう……災難だったのね」

「ああ。いつもならお菓子も持って行ってんのに、今日に限って全部忘れてんだもんなあ……ガムしかねーし。ガムじゃ腹が膨れねーってことを知った。もう二度とお菓子は忘れねえ! 絶対ぇ忘れねえ!」


 拳を握りしめて宣言する丸井に笑いながら、和葉はふと思い出して冷蔵庫を開けた。


「そうだ、お菓子好きってことは甘いもの好き?」

「ああ、大好きだぜぃ!」


 目を輝かせる丸井に、和葉は笑う。


「良かったらケーキ作ったんだけど、食べてみてくれない?」 

「えっ? 手作りケーキ!? 食う食うっ!」


 丁度入り立てのコーヒーと一緒に、和葉は丸井の前に昨晩試作で作ったケーキを並べた。


「うーわー。すっげー美味そう!! いっただっきまーす!」

「どうぞ」


 ゆっくりとケーキにフォークを入れ、一口食べる。


「……美味いっ!」

「本当?」

「ああ! イチジクの食感とこの下のババロアの口当たりがすげー合ってて、んで下のタルト生地に入ってるアーモンドパウダーがアクセントになっててイチジクの甘さが引き立って、すげー美味いぜっ!」


 和葉は驚いた。

 自分が色々と試行錯誤を重ねたタルト生地や味のマッチなどを、たったの一口で言い当てたのだ。


「これお姉さんが作ったの?」

「あ、うん」

「料理もお菓子作りも上手なんてすげーよな! 尊敬~」

「一応それが仕事だから」


 丸井が向ける眼差しに、和葉は笑う。


「仕事? お姉さんってコック?」


 丸井は目を丸くさせて和葉を見る。


「そう。駅前の公園の近くにある小さいカフェの店長やってるの」

「えっ、マジ!? もしかして北側の通り?」

「そう」

「俺そこ知ってる! 通りかかって気になってたんだ~! あの観葉植物とかいっぱい置いてる店だろ?」

「うん」

「あそこの店長さんなのか……あ! そういえば俺、こんなにたくさん飯食わせてもらった命の恩人のお姉さんの名前、まだ聞いてなかった」


 漸く気付いた丸井は、慌てて和葉に申し訳なさそうに視線を寄越した。


「あはは、私は汐屋和葉。よろしくね……ねえ、丸井君」

「ブン太でいいぜぃ」

「えっと、じゃあブン太君。今度またケーキの試食してくれないかな?」

「えっ!? いいのっ!?」


 子どもの様なキラキラの瞳に和葉は苦笑する。


「うん、ブン太君に食べてもらって色々意見を聞かせて欲しいの」

「もうそんなことなら大歓迎! 毎日でも手伝うぜ!」


 満面の笑みでそう答えると、ゴクリとブン太は目の前のコーヒーに口をつける。


「うわっ! 苦っ!」


 もの凄く渋い顔をして舌を出すブン太に、和葉は急いで水の入ったコップを手渡した。


「ご、ごめん! 私コーヒーはブラックだから、ついいつもの癖で……」


 和葉から受け取った水を一気に飲んで、ブン太は力なく笑った。


「あはは……いや、俺、お子様だから砂糖とミルクが入ってないと飲めないんだ」
















 「おい和葉」

「ん~? どうしたの、肇(はじめ)?」


 キッチンでパスタを作っていた和葉に、キッチンと店の仕切りから顔を覗かせた大きな男が声をかける。


「また来てるぞ」

「あ、ブン太君?」


 出来上がったパスタを皿に入れて肇と呼んだ大男に手渡すと、和葉はコーヒーの準備を始めた。


「あいつすっかりお前に懐いてるな。餌付けされた犬って感じだ」

「あはは、犬って。ほら、パスタ冷めちゃうから早くお客さんに出して」

「おっと」


 ブン太を餓死一歩手前から救って2週間。ブン太はしょっちゅう部活帰りに和葉の店にやって来ていた。

 そうそうケーキの試食はないのだが、本人は別にそれが目的という訳ではなく、普通にお茶したりケーキを食べに来てくれている。

 新しい客が増えて和葉としては嬉しいのだが、そうしょっちゅう来てはお金がかかるので申し訳なく思い色々とサービスをしている。今日はコーヒーと一緒にマカロンをサービスだ。

 あの時はブラックで出して苦い思いをさせてしまったが、店にはちゃんとシュガーポットが各テーブルに置いてあるし、コーヒーを出す時は生クリームを添えている。

 ブン太が飲むコーヒーは、ケーキを食べる時とは思えない分量で砂糖と生クリームが入る。よほど甘党なのだろう。

 思い出すと自然と笑みがこぼれる。

 入りたてのコーヒーを載せたトレーに生クリームを冷蔵庫から取り出し添えると、和葉は店内へと出て行った。


「いらっしゃい」

「あ、和葉さん」


 和葉を見てブン太は嬉しそうに笑った。

 この笑顔を見ると本当に若くて高校生なんだなと思うが、初めて見た時のブン太は潤んだ瞳で上目遣いに自分を見上げていて、美青年という感じだった。

 確かに顔は綺麗に整っているが、どちらかと言えばこちらの笑っている可愛らしい方が、ブン太らしい。

 中学高校とテニス部に所属してて、全国でも有名な立海大付属テニス部のレギュラーだというから相当テニスが上手なのだろう。

 和葉のマンションの前で倒れていた時も大きなテニスバッグにもたれかかっていた。


「はい、どうぞ」


 コーヒーとマカロンを出す。


「いいって! そんなにしょっちゅうタダで食わせてたら店が潰れるぜ?」

「ふふ、ブン太君一人分くらいなら心配ご無用です」

「……ま、俺としては和葉さんの美味いお菓子が食えるから幸せなんだけどさ」


 そう言って照れたように笑うブン太の頭を、和葉がよしよしと撫でる。


「子どもは大人に甘えていればいいのよ」

「また子ども扱いかよ~。ちぇっ。バイトして金貯めたらみてろよぃ、店のケーキ片っ端から注文してやるからな」

「うん、楽しみに待ってるね」

「おい和葉!」

「はーい!」


 肇に呼ばれ和葉が返事をすると、ブン太はムッとした顔をした。


「じゃあゆっくりして行ってね」


 ブン太は返事をしなかった。

 和葉が去って行ったのを確認して、カウンターの中で楽しそうに話す2人を睨む。


 なんだよ、あの大男……いっつも和葉さんの事呼び捨てにしやがって、偉そうにーーー


 ブン太は和葉に惚れていた。

 餌付けされた。

 と言った方が正しいかも知れないが、すっかり懐いている事は間違いなかった。

 こうやってしょっちゅう部活帰りに和葉の店に来るのも、少しでも和葉と一緒にいたいから。

 聞いてはいないが和葉の年齢はきっと20代の前半くらいだろう。

 自分と少なくとも5つは離れているはずの年上の和葉。それだけでもかなりハンデなのに、今目の前で和葉と話す大男。

 こいつが目下ブン太の悩みの種であった。

 ずっと和葉とどういう関係なのか聞けず、ブン太はやきもきしていた。

 先ほど頭を撫でられた事といい、完全に子ども扱いをされるのが辛い。

 男として自分を見て欲しいのだが、ブン太はやはりまだ高校生で、恋愛の駆け引きの仕方など分からない。

 今まで好きになった女の子がいなかった訳ではないが、それは全部同級生か年下だったし、兄弟も弟2人という極めつけの男臭さ全開で育っているので、大人の女の人との接し方など分からないのだ。

 そんなブン太の気持ちを知らない和葉は、大男と話すとキッチンへと消えて行った。

 先ほどやって来たカップルの注文を作るのだろう。


 っ!?


 ブン太は大男と目が合った。

 ニヤリと不適な笑みを寄越す大男にブン太は一瞬目を丸くさせ、すぐに視線を逸らしてマカロンを口にほおり込む。


 くっそー! 大男め。和葉さんと仲がいいからって、俺の事バカにしてやがんだなっ!?


 口に含んだマカロンはすごく美味しくて、優しい味がした。

 空腹で倒れていたブン太を嫌な顔一つせず自宅に招いて手料理をたくさん振る舞ってくれた和葉は、今時珍しいくらいに本当に優しい人だと思う。

 誰に対しても優しいのは店で接客をしている姿を見れば納得だし、料理もお菓子も優しさと愛情がこもっているのが伝わってきてどれもすごく美味しい。

 小さい店だが、客足が途絶える事はブン太が知る限りではなかった。

 それに助けてもらった時は空腹過ぎて気付かなかったが、和葉はなかなかの美人だ。

 あまり背が高い方ではないがスラリと手足が長く、Gパンもさらっと着こなしている。

 仕事中は邪魔になるからだろうまとめている髪の毛も柔らかくてさらさらで、笑顔などは見る人の警戒心を一瞬でなくしてしまう。

 おかげで和葉目当ての男性客も多く、和葉を独占してゆっくり話す時間がないので寂しいのだが、こうやって店に足を運ばない限り会えないのだから贅沢は言えないと我慢している。


 俺ってこんなに健気な男だったんだな……


 そんな事を考えながらブン太はコーヒーに生クリームをたっぷりと入れた。


「ねえ、えっと……ブン太君?」


 突然名前を呼ばれ、ブン太は驚いて顔を上げた。

 見上げた場所には顔は無く、もっともっと上にずらしたところでやっと顔にぶつかった。


 ・
 ・
 ・
 ・
 ・


 無言で大男を睨む。


 ぷっ!


 急に大男が吹き出し、腹を抱えて笑い始めた。


「ーーーなんすか?」


 苛々を全面に押し出しながら大男に言う。


「ははははっ! いや、くくっ……ブン太君って、マジで分かりやすいな」


 は?


 何の事かと大男をもう一度睨む。

 大男はそれでもまだ笑いながら、これまた大きな手でブン太の頭を撫でる。


「あ~。よしよし。ブン太君は和葉の事、相当気に入ってるみたいだな」


 むっ……


 また呼び捨てにする大男に、ブン太が敵意むき出しの顔を向けると、大男はウインクをした。


「おっと、自己紹介がまだだったな。俺は汐屋肇。和葉の弟だ、ヨロシクな」

「えっ?」


 ブン太は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、大男改め汐屋肇を見た。


「心配すんな、あいつは俺の姉貴だ」

「弟……さん?」


 どう見ても肇の方が和葉よりも年上に見えるのだが、姉弟だったのだ。

 人は見た目で判断してはいけない。

 ブン太は一つ賢くなった。


「ぷぷっ! あははははっ!」


 再び爆笑を始めた肇に、店にいる客とキッチンから戻ってきた和葉が何事かと視線を向ける。


「な、なんで弟のくせに和葉って呼び捨て……?」


 ブン太は混乱する頭で疑問を口にする。


「ああ? ああ、もうガキの頃からの癖だな。姉ちゃんなんて小学校以来呼んだ事ねえ」


 なるほど、そういう事か。


 ブン太は心底ほっとした。

 この大男はライバルではなかったのだ。

 そんなブン太に。肇は耳打ちをする。


「ま、せいぜい嫌われないように懐いとくんだな。それと、知らないだろうから言っとくが、あいつああ見えて27歳だぜ? ちなみに俺は25だ」

「いっ!?」


 27ーーーマジかよ。俺と10歳も違うってのか?


 衝撃の事実に頭が真っ白になる。

 それでは子ども扱いされても仕方ない。

 思ったよりも随分と年上だった和葉にショックを受け、さらに望みが薄い事に絶望感を感じながら、ブン太は甘いコーヒーを飲んだ。


「どうしろってんだぃ……」






                                続く…





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