「朝子先生のヘタレ」
可愛い顔して、詩織が毒づく。
目を閉じて顔を近づけてきた彼女をスルーした結果がこれだった。
「チキン。臆病者。インp――」
「口が悪いですよ詩織さん」
「だーって!」
ほっぺたを膨らませて、詩織はそっぽを向いた。
「つきあってもう1ヵ月だよ! キスもしてくんないなんて、信じらんない!」
「つきあって……?」
「な、なんで首傾げるのよ~っ」
「いえ……」
一月前の出来事を思い返してみる。
『先生、わたし先生のこと好きになっちゃったみたい。責任とってね。いいよね。ね』
あれのことを言っているのだろうなぁ……。
「ただ、なにか、一抹の理不尽さを感じまして」
「難しい言葉はわかんない」
「すみません」
「もう。だいたい先生は固すぎるんだよぉ」
ちなみに先生とは呼ばれていても、私は学校の先生ではなかった。いわゆる家庭教師である。
お勉強が嫌いで通信簿にC評価がたくさん並んできた詩織のために、詩織のお母さんが指名してきたのが私だった。
詩織の母と私の母とは友達同士なのだ。
ちゃんとした家庭教師は高い。その点、私ならお小遣い程度の額ですむ。
県内一の進学校でずっと首席をキープしているというのも決め手になったようだった。
「でも詩織さん。キスならしてるじゃありませんか」
「ちーがーうーのー! ほっぺとかおでこじゃなくて、唇だよ。大人のキスだよ。ディープキス~!」
「早すぎます」
「朝子先生のヘタレ!」
振り出しに戻る。
「先生はわたしのこと愛してないの?」
「愛、ですか。難しいことを訊きますね」
「んもぉう! そこは『愛してるよ詩織』でしょ」
「私、少なくともそういう言い方はしないと思いますが」
「あ~あ」
小さく溜息をついた詩織は、ふと悪戯を思いついた時の顔で微笑んだ。
ベッドに掛けてブラブラさせていた脚を、おもむろに開いていく。
健康的な肉付きの太ももの奥に、真っ白なショーツが見えた。
「はしたないですよ」
「はしたなくしてるの。ねえ先生、エッチなこととかしたくならないの」
「時と場合によります」
「こんなに可愛い子が誘ってるんだよ」
「意味がわかってるんですか、詩織さん」
「もちろん。わたし先生となら全然平気だもん」
「……そうですか」
私は椅子から立ち上がり、詩織の前に立った。
「朝子先生?」
無言のまま、詩織の肩に手をかけて押し倒していく。
キャと短い悲鳴があがったが、無視する。
「せ、先生っ?」
いつもと違う空気を感じてか、詩織は逃れようと身をよじった。
でも逃がさない。私は詩織の手首をしっかりと捕まえていた。
「い、痛。痛いよ先生」
「誘ったのは詩織さんでしょう」
小さな膨らみに右手を伸ばす。
詩織が息を呑んだ。
「や、いや、やめて……やめて先生」
「なにがいやなんですか。こうしたかったんでしょう」
詩織の大きな目から、涙がポロポロとこぼれた落ちていく。
泣き顔なんて、初めて見た。
「怖い……朝子先生怖いよぉ」
しきりに怖いと訴え、詩織は泣いた。罪悪感。
「ちょっと、薬が効きすぎましたかね」
少し脅かそうと思っただけなのに、本気で怯えさせてしまった。
「ごめんなさい」
私は詩織の上から体をどけ、横に並んで寝転んだ。
「え……?」
まだ事態をのみこんでいない詩織は、不思議そうにこちらの表情を窺ってくる。
「年上を下手にからかうと、痛い目に合うということです」
「わ、わたし先生にならいいもん」
「まだ言いますか」
右手の親指の腹で詩織の涙を丁寧に拭いながら、左手で頬をつねる。
「いひゃい」
「まったく困った生徒さんです。もうあんなことしちゃダメですよ」
「だって。朝子先生は美人だし。もてるだろうし。わたしはこどもだし。唾つけとかないと不安なんだもん」
「唾って……私、べつにもてないですよ」
「ウソ」
「嘘じゃないです。それに、女子高ですし」
「ま……ますます危ない~!」
「ど、どういう意味ですか?」
「あーん、朝子先生のバカぁ」
詩織はよくわからないことを言って駄々をこねる。
「もう……バカはどっちですか」
私の気も知らないで。
毎日のように挑発されて、人がどれほどの自制心を発揮していることか。
「そのうちホントに食べられちゃいますよ」
「え?」
「いえ。詩織さんは、好きなものは最初に食べますか?」
「うん。絶対最初」
「だと思いました。私は好きなものは最後までとっておくタイプなんです」
「へえ。で、なんで急にこんな話?」
「ふふ……内緒です」
怪訝そうに眉をしかめる詩織のおでこに、私はそっと唇を寄せていった。
最終更新:2009年08月14日 21:40