前編
- p1 いわしの水槽=「内」で群れる弱者?
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- p3 「弾丸避けなんぞ」禅師はアドニスと恋人だったことから、恐らく元ヘッド。
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- p15「先日のサタナキア陛下の件」サタナキアの部下の夢魔が稀男を誓約させようとした件。
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- p17 レリムの部下達は純妖精のドヴェルグ
- p18 興信所の間違いによって戸的一家が助かったのは、普段から戸的実や美穂の無事を願う稀男の運ぶ力のおかげか。
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- p24 15話ラストの写真を手渡されしばし固まる稀男。
後編
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- p4 ニキが戸的家を狙ったのは稀男の内のしがらみを取り除くため。
- 「内」の腐れ縁 の象徴が写真であろう
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- p9 前編p4の石
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- p11 ゼブブの台詞からすると天肢は悪魔の古い肉体とあるので関係がありそう。
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- p23 最後でアスに写真を渡し、「もういらない」と言っている。これは「15話 躰化の術」のラスト(写真撮影)での描写の行間しだいで、二つにとれようになっている。前提として、稀男=無我は他者を助ける行為自体を自分の存在の基盤としているが、同時に地震を恐れてる為に傍観者である。ここでの稀男も撮影者=傍観者。
- ①写真を一枚とり、あとは通行人に任せて自分は去った。傍観者としての関わりすらも出来るだけ避けようとしている。「あんなの本音なわけないだろ。」。心境の変化の兆し、自覚は結局認める事は出来ない為、そんな気にさせる「自分の写っていない写真」を手放している。
- ②実は写真は2枚撮られており、一枚目は稀男が撮った写真(稀男が撮影者=傍観者)、そして2枚目は通行人に撮ってもらった自分も写っている写真(仲間と一緒)。ニキとの戦いの中で「町の人々と仲間として一緒にいたい」と告白しており、写真を手放す事で自分には2枚目だけでいいという心境の変化を表していると思える。①の反対の行動となる。