正式名称:義国社高等学校 ぎこくしゃこうとうがっこう
St. Matthew's Gikokusha High school
St. Matthew's Gikokusha High school
なんとも国粋主義的な雰囲気を禁じ得ない字面だが、これは
- マタイによる福音書6章33節「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。」
に典拠をとるれっきとしたキリスト教的(?)校名である。
また、同典拠より福音記者マタイを守護聖人として仰ぐ(St. Matthew's)
また、同典拠より福音記者マタイを守護聖人として仰ぐ(St. Matthew's)
この校名の決定経緯を語るにあたっては、先んじて同校の制服に関するアイデアについて述べておく必要がある。少し長くなるぞ。
本編現在の義国社の制服は(狭義の)ブレザー…かは確定とは言い難いが、少なくとも(学ランではなく)ジャケットスタイルであることは確かである。
そしてタイの種類が通常のネクタイにもリボンや紐タイ、さらにはループタイ(那樹が愛用している)に至るまで、日本の学校制服ではあまり見ないものも含む複数のバリエーションがあったり、女子のスラックス/スカートは選択制(後述するが、現実世界基準ではこの女子制服のスラックス導入はぶっちぎりの日本初)で、さらにキュロットも近年追加されていたりと組み合わせ要素の存在はあるが、2010~20年代流行のパステルカラーのボトムス等と比べればクラシカルで落ち着いた色合いであったりする。これは色味や仕立ての時代に合わせた細かなマイナーチェンジは加えつつも、基本的な装いは昭和中期の共学化(後述)から変わっていない。
1902年の日英同盟に端を発して元英海軍従軍司祭の経験をもつ宣教師が中心となって前身校(私塾?)が設立された経緯(後述)から、基本的にジャケットは英国式だがさすがにダブルではないと思う。
また、これは学校のロケーション的な意味での元ネタにあたる逗子開成中高がそうであったように、かつては海軍軍人(の中でも特に西洋志向)の子弟の入学が多く、キリスト教主義ながら硬派な校風であったことの名残として、2020年代の現在でも官帽タイプの制帽が制定されている。ただし式典等を含めて着用は任意であり、購入自体しない生徒もいるが聖歌隊は後述の理由で全員持っている。
そしてタイの種類が通常のネクタイにもリボンや紐タイ、さらにはループタイ(那樹が愛用している)に至るまで、日本の学校制服ではあまり見ないものも含む複数のバリエーションがあったり、女子のスラックス/スカートは選択制(後述するが、現実世界基準ではこの女子制服のスラックス導入はぶっちぎりの日本初)で、さらにキュロットも近年追加されていたりと組み合わせ要素の存在はあるが、2010~20年代流行のパステルカラーのボトムス等と比べればクラシカルで落ち着いた色合いであったりする。これは色味や仕立ての時代に合わせた細かなマイナーチェンジは加えつつも、基本的な装いは昭和中期の共学化(後述)から変わっていない。
1902年の日英同盟に端を発して元英海軍従軍司祭の経験をもつ宣教師が中心となって前身校(私塾?)が設立された経緯(後述)から、基本的にジャケットは英国式だがさすがにダブルではないと思う。
また、これは学校のロケーション的な意味での元ネタにあたる逗子開成中高がそうであったように、かつては海軍軍人(の中でも特に西洋志向)の子弟の入学が多く、キリスト教主義ながら硬派な校風であったことの名残として、2020年代の現在でも官帽タイプの制帽が制定されている。ただし式典等を含めて着用は任意であり、購入自体しない生徒もいるが聖歌隊は後述の理由で全員持っている。
義国社の制服の着こなしにおいて、"着用するアイテムに選択肢のある部位について、全て「正規」の装いをしたもの"を生徒たちは俗に「完全装備」「フルアーマー」等と呼ぶ。聖歌隊は礼拝や式典、外部の演奏会などで歌う際、礼拝用の式服もしくはこの「フルアーマー」で行うことを原則としている。
義国社の制服にはタイやボトムスなど複数のアイテムから選択できる部位があるが、規定上それらはいずれも一つが「正規」でそれ以外ば「バリエーション」であるとされている。例えば、タイはネクタイが正規だし、ボトムスは男子のみならず女子もその制定当初からスラックスが正規品である。そこに学年識別のバッジ等の装飾品と制帽まで着用したものが「フルアーマー」である。
つまり男女ともジャケットにネクタイ、パンツスタイルでおまけに軍人みたいな帽子まで被って現れるので、各校聖歌隊の交流行事等では、主に女子校勢からの注目度が非常に高いという。
義国社の制服にはタイやボトムスなど複数のアイテムから選択できる部位があるが、規定上それらはいずれも一つが「正規」でそれ以外ば「バリエーション」であるとされている。例えば、タイはネクタイが正規だし、ボトムスは男子のみならず女子もその制定当初からスラックスが正規品である。そこに学年識別のバッジ等の装飾品と制帽まで着用したものが「フルアーマー」である。
つまり男女ともジャケットにネクタイ、パンツスタイルでおまけに軍人みたいな帽子まで被って現れるので、各校聖歌隊の交流行事等では、主に女子校勢からの注目度が非常に高いという。
話を「義国社」の校名に戻すと、本校は明治期(奇しくも逗子開成が日英同盟翌年の1903年に創設され、翌1904年に旧制中学として認可されたことから肖って(?)1904年創立ということにしてしまおうと思う)に、英海軍従軍司祭経験者でもある英国人宣教師を中心に、日英の(主に海軍)軍人や教育者が携わって開学した。
メインの生徒層は横須賀鎮守府の海軍軍人の子弟(これは逗子開成も同じ)、特に西洋志向の強い層とし、積極的な日英間の交換留学制度を設けたり(英国側からは、これも当地海軍軍人の子弟が将来の海軍における海外勤務を意識して異言語・異文化経験を積ませる目的、という触れ込みでの留学)、キリスト教や聖書学については「西洋世界の基礎教養」というお題目でカリキュラムに組み込んだりということをしていた、というコンセプトである。WW2に至る道の中でこの辺りの制度は崩壊していくこと必至なのだがそれはまた別の話。
メインの生徒層は横須賀鎮守府の海軍軍人の子弟(これは逗子開成も同じ)、特に西洋志向の強い層とし、積極的な日英間の交換留学制度を設けたり(英国側からは、これも当地海軍軍人の子弟が将来の海軍における海外勤務を意識して異言語・異文化経験を積ませる目的、という触れ込みでの留学)、キリスト教や聖書学については「西洋世界の基礎教養」というお題目でカリキュラムに組み込んだりということをしていた、というコンセプトである。WW2に至る道の中でこの辺りの制度は崩壊していくこと必至なのだがそれはまた別の話。
このような感じの経緯で生まれ、海軍軍人養成的な側面があったこと、当時はだいぶ硬派な学校であったことから、まず学校名を「○○社」とし(だいたい攻玉社のせい)、さらにそこに前の二文字を聖句由来にしようとした。
して、前述のマタイ6:33に由来するもの、そして明治期の軍人子弟が多い学校、ということで「将来、国=日本のために義を為せる人材を育てる」というパーパス(当時この単語をこんな使いかたしなかっただろうが)とのダブルミーニングから「義国社」になったと。やっぱり半分ぐらい国粋主義じゃないか
あ、聖句での出現順じゃないのは語呂の都合です()
して、前述のマタイ6:33に由来するもの、そして明治期の軍人子弟が多い学校、ということで「将来、国=日本のために義を為せる人材を育てる」というパーパス(当時この単語をこんな使いかたしなかっただろうが)とのダブルミーニングから「義国社」になったと。
あ、聖句での出現順じゃないのは語呂の都合です()
そんな感じでできた義国社、英国人宣教師が関与しているので教派としては当たり前のように(?)聖公会であり、戦後比較的早い段階で男女共学化している。共学化を機に新築した校舎を本編の数年前に建て替えているので昭和30~40年代(1955~1974年)のどこか。
そして前述の通りこの共学化当時から女子制服はスラックスとスカートの選択制だったわけだが、現実世界の日本で女子制服にスラックスが導入され始めたのは1990年代後半ごろからと言われており、もし義国社をそこに加えるとなると他校より少なく見積もっても20年以上先駆けて導入されていることになる。現実の導入経緯は防寒や自転車通学の安全面がメインのようでジェンダーフリー的思想から来るものではないが、作者ながら頭おかしいレベルで先進的なことやってる……まぁそれも元より新しいもの好き(偏見)の海軍軍人の、その中でも進歩的思想をもった西洋志向の人たちがメインの保護者層だった学校なので、このちょっと「未来に生きてる」レベルの先進性も一応無根拠なものではないのであったり。
そして前述の通りこの共学化当時から女子制服はスラックスとスカートの選択制だったわけだが、現実世界の日本で女子制服にスラックスが導入され始めたのは1990年代後半ごろからと言われており、もし義国社をそこに加えるとなると他校より少なく見積もっても20年以上先駆けて導入されていることになる。現実の導入経緯は防寒や自転車通学の安全面がメインのようでジェンダーフリー的思想から来るものではないが、作者ながら頭おかしいレベルで先進的なことやってる……まぁそれも元より新しいもの好き(偏見)の海軍軍人の、その中でも進歩的思想をもった西洋志向の人たちがメインの保護者層だった学校なので、このちょっと「未来に生きてる」レベルの先進性も一応無根拠なものではないのであったり。