朝倉 都
「せっかくの休養日なのに・・・」
朝倉都は百里基地医療棟の個室でベッドに腰掛け今の状況を嘆いていた。
『検査』
訓練学校入校前に大掛かりな検査を受けて以来、都の日常に組み込まれた。
週に一度の簡単なカウンセリングとテスト。月に一度のメディカルチェック。
しかしそのどちらもすでに終えていた。カウンセリングは3日前、メディカルチェックは一週間前に。
今日は何も無いはずだったのだ。
「勝名さん怒ってるだろうなぁ・・・」
B分隊とのレクリエーションは休養日の定番となっていた。
最初は都と葵の仲が良かったことから始まったのだが、
分隊対抗戦形式の訓練結果や分隊毎の成績が発表されるようになると
B分隊に負け続けなのが我慢できない勝名が率先して喧嘩を売りに行くようになったのだ。
中村が毎回快く買ってくれているのでこれまで途切れたことはない。
そして今日の対戦種目は将棋だった。
綾華が期待できない分、都は戦力としてみられていたはずだった。
「はぁ・・・」
コンコン
勝名の怒りの表情を思い浮かべて溜息をつくのと同時にドアがノックされた。
「はひっ」
都は思わず裏返ってしまった自分の声に赤面しつつ出迎える。
入ってきたのは白衣の女性と国連軍制服の男性だった。
「久しぶりね・・・といっても覚えていないかしらね。改めまして帝都大付属病院の香月よ」
名前は覚えていなかったが、入校前の検査で会っている。白衣を着ていなければ医者には見えないその風貌は印象に残っていた。
「国連軍の坂本だ。よろしく」
こちらは初見だった。これまでの検査で男性が立ち会っていなかったこともあり嫌でも緊張が増した。
空調が効いてるはずなのに下着の上に検査着を着けただけではひどく寒く感じた。
「朝倉です・・・宜しく・・・お願い・・・します」
都はベットに腰掛け、香月はイスを持ってきて都と向かい合うように座った。
坂本は上着を室内のハンガーに服を掛けるとシャツの袖をまくっていた。
「んじゃ、こっちから始めさせてもらうかな」
「いいわよ」
香月の返事を聞くと坂本は都の足元にしゃがんで足首を掴んだ。
緊張していたところに不意に足を掴まれた都は驚きのあまり『力』を使っていた。
前方から圧力を受けた坂本は、掴んでいた足を離し、後転のようなかたちで床を転がった。
圧力はすぐに消えたが、そこには目を閉じ、両肩を抱くようにして体を強張らせた都がいた。
「なんかもう答えが出たような気がするな」
「そうね」
「でも、これで帰るわけにも行かないしな」
「調べるだけで帰ったら夕呼に何言われるかわからないものね」
都が落ち着くのを待ってから坂本は話しかけた。
「ベットにうつぶせになって」
一体なにが行われるんだろうか。都は不安にかられながらも、『これは検査なんだから』と自分に言い聞かせベットに横になった。
うつぶせになった都をまたぐようにひざ立ちになると、坂本は束ねた髪の下に覗く白いうなじのあたりに手を伸ばした。
坂本の手が触れると都は『力』を抑えようとより一層体を強張らせた。
「体の力抜いてくれないとマッサージにならん」
「マッサー・・・ジ・・・ですか?」
何をされるか不安でしょうがなかったのが、『マッサージ』という耳慣れた単語せいで一気に肩の力が抜けた。
「こんなに体強張らせてたんじゃ何もわからんからなぁ」
そう言うと坂本は肩をもみはじめた。
休養日前の訓練がハードだったこともあり、都がこのマッサージの虜になるのに時間はかからなかった。
処置の終わった箇所はそれまでの硬さが消え、羽根のように軽く感じていた。
指が都の体を押すたびに吐く息は熱を持ち、次第に嬌声のようにも聞こえるようになった。
腿や尻などきわどい場所に触れられても気にすることも無くなり、ただマッサージの快楽に身を委ねていた。
検査着の裾がめくれ上がり、胸元も露になった都をあきれ顔で眺めつつ、
香月はあることに気付いた。体の動きとは独立して束ねた髪が動いているのだ。
『まるで犬の尻尾ね』
「終わったぞ」
身も心も骨抜きにされた都を最初と同じようにベットの淵に腰掛けさせると坂本が告げた。
「あなたマッサージ師にでも転職したら?」
香月は検査の小道具を取り出しながら皮肉を言う
「それでBETAが倒せるなら喜んで転職するんだがね」
準備を終えた香月は話をそれで切り上げ都のほうに向き直る。
「朝倉さん、いいかしら」
「はい・・・」
「このボール浮かべてもらえる?」
「はい・・・」
香月の手のひらの白い球体は音も無く浮かび上がった。
「ふむ、なるほどなるほど。じゃぁこの2つのボールどちらが重いかわかる?」
「赤い方」
「じゃぁ、この2つでは?」
「青い方」
(ほんのちょっとの重さの違いもわかるとは、想像以上ねこの子の力)
「次はこの2つのボールを、赤い方は縦に、青い方は横に回転させて」
「は…い・・・」
空中で円を描く2つのボール。しかしすぐにその軌道はいびつに乱れ、2つのボールは接触して落下した。
「さすがに2個同時はまだ難しかったかしら」
「あ・・・私・・・力を・・・」
「ごめんなさいね。本当はもっとちゃんと説明してからやってもらおうと思ってたんだけど、
さっきまでのあなた、こっちの言うこと素直に聞いてくれそうだったからつい、ね」
「う・・・」
さっきまでの自分を思い出し、恥ずかしさのあまりうつむく。そして今の自分がどんな格好をしているかに気付いた。
慌てて乱れた検査着を直すと顔を真っ赤にして香月をにらんだ。どうして言ってくれないんだと。
都がにらむのも気にせず香月が話し始める。
「今日来た目的は、あなたの体の状態を調べに来たの。力はついで。だったんだけどね」
「メディカルチェックの結果と訓練成績があまりにもかけ離れていたんでね」
「え・・・」
「君の身体能力からすれば、ここまで訓練についていけないはずは無いんだ」
都は訓練を思い出す。どんなにがんばってもだめだったのに、それがついて行ける?!
「さっきの様子を見た限りじゃ、『力』のほうの問題が体に影響しているみたいだったから、
このさいキチンと調べて行くことにしたの」
「力の問題?」
「そう。あなた、力を抑えようとするとき、全身を強張らせていたわね」
「あ、はい。そうしないと力抑えられないから」
「力のことを知られたくないから、普段から無意識に力を抑えようとして、体を強張らせてた。
だから体を動かそうとしても、その何割かの力しか出せなかった。そんなところかしら」
「そう・・・なんですか」
「おそらくね。ただ、力を制御するのに体に力入れるなんてこと、ほんとうは必要ないはずなんだけど」
「え、そんな、だって」
「さっきまでのあなた、力使ってても体になんの変化もなかったわよ。今だって使ってないけど体強張ってなんていないでしょ?」
「そ、それは・・・」
「あなたの体が強張るのは、力を抑えようとしてじゃない。力の存在を知られるのが怖いから」
「怖いから・・・」
「あなたの育った施設からの報告書には、あなたが力を抑えるのにそんなことしてるなんて書いてなかったから」
「君の育った施設からは優秀な衛士が多く生まれてる。死の8分軽く越えてくるような連中ばかりでな。
そいつらに共通してるのは、他人を否定して遠ざけるようなことをしないってことだ。
かつての自分たちのような人間を生みたくないんだろうな。
そんな連中の中で生活してりゃ、無理やり抑える必要も、知られることを恐れる必要もなかっただろ?」
「あなたは施設を出たことでかつての記憶を思い出してしまった。施設に入る前の周りから虐げられていたときのことを。
だからまた恐怖で体を強張らせるようになった」
しばらく無言でうつむいていた都は顔を上げると香月に問いかけた。
「私はどうすればいいんですか」
「制御する術を身に付けなさい。今のあなたは制御する自信が無いから力そのものを抑えようとするの」
「君の力は手と一緒さ。手だって拳で殴れば人を傷つけるでも手のできることってそれだけじゃないだろ?」
「手と一緒・・・」
都は自分の手のひらを見つめた。
「あなたのその力は、いつかあなたの大切な何かを守る力になるわ。でもその何かを見つけてから力を磨いても間に合わないかもしれない。だから、いつそういうときが来てもいいように準備しておくの」
「そういう意味では衛士訓練も一緒さ。武器の扱い方、機械の動かし方、装備背負って走ることだっていつかどこかで役に立つ。だから身に付けられるときに身に着けなければならない」
「はい」
(大切な何かを守る力か・・・)
「ソ連で研究されていたときの訓練教本をもってきたから、これ見て力を磨きなさい。あぁ、もちろん和訳したものよ」
「ありがとうございます」
「それじゃついでにどうでもいい話もしとくか。片手でもてないものなら両手でもつ。 片手で扱いづらいものなら両手で扱う。両手でだめなとき、君ならどうする?」
「え?」
答えは言わずに坂本は話を終えた。いつのまにか帰り支度を終えていた2人は立ち上がって別れの言葉を口にする。
「また会うこともあるでしょう。それまでしっかりやりなさい」
「成長した君に会えるのを楽しみにしてるよ」
「は、はい。ありがとうございました」
2人を見送る都。そこには『力』を磨くための教本と軽くなった体が残されていた。
「坂本中佐!なんでこんなところに?」
大場司令に挨拶を終え駐車場へ向かっていた2人にばったり出くわした日吉梓は、いるはずのない人物の存在に驚きを隠せなかった。
梓が百里に来る前に所属していた国連軍横浜基地整備部で一番偉い人。それだけではなく、開発部門やインフラ部門も
含めた技術部門の総責任者が目の前にいたのだから。
「おう、日吉か。久しぶりだな、元気そうじゃないか」
坂本は横浜基地での旧知の人物の元気そうな姿に目を細めた。
「久しぶりだな、じゃない!」
坂本の表情と対照的な怒りの表情の梓は振りかぶった右拳を躊躇なく叩き込んだ。
「いきなり何しやがる」
驚いた様子も無く冷静に拳を受け止めた坂本は、口調だけは非難めいたもので返した。
「どうしてあたしが衛士訓練受けなきゃならないのか説明してもらいましょうか!」
日吉梓は、もとは横浜基地の整備兵だったのだが、百里の衛士訓練学校への転属を命じられて来たのだ。
整備兵ではなく
「どうしてもなにも、自分で志願したんだろ?」
「あたしが?なんで?」
「夕呼の仕業ね」
「あいつめ書類偽造しやがったな」
「どういうことです?」
「年末の横浜基地襲撃のとき、おまえ
戦術機に乗っただろ。そのときのデータがここの訓練課程の選抜基準クリアしてたんだよ」
「で、無理やりにでも参加させたかった夕呼は、あちこち説得するのも面倒だから書類を偽造したってこと」
「本人が衛士になりたいって言ってるなら仕方が無いと思うからな」
「技術部門トップのこの人自身が、そうやってワガママ言って斯衛軍やめて国連軍移ってきたんだから嫌とは言えないものね」
「そんな・・・」
横浜の雌狐がやったことと言われては梓も諦めるしかなかったが、同時に疑問も浮かび上がった。
横浜基地の副指令が直接介入するような訓練学校とはいったい何なのだと。
「いったい国連軍は何を企んでるんです?」
「企んでるも何も、利害が一致しただけさ」
「利害?」
「ああ。横浜には今、開発テストをまかせられるような優秀な衛士がいない。陸軍は少しでも早くXM3を導入したい。衛士提供の見返りとしてXM3導入ってのが自然な流れだが、陸軍としてもタダでさえ減ってる正規兵から引き抜かれたらたまらない。横浜としても、よく分からん衛士おしつけられるよりは、素質のある奴を自分たちのやり方で育てた方がいい。結果としてここの訓練学校が生まれたわけだ」
「ここの訓練兵になにをやらせるつもりですか」
「BETAと戦わせる、いたって普通だろ。ま、さっき言ったようにテストパイロットみたいなこともやらせるつもりだが。ちょっと特殊なのも含めてな」
「時間も無いし、そのへんで終わりにしてちょうだい」
「そうだな、あんまり遅れると雌狐に何言われるかわからんからな」
「あ、ちょっと」
「またどこかで会う機会もあるだろう。じゃあな」
悪名高き『横浜製』のほとんどに携わった人物がわざわざ特殊というモノ。
立ち去る2人の向こう側に横浜の雌狐の影を見た梓は、自分たちの将来が決して平坦な道のりではないことを覚悟したのだった。
都は2人と別れ検査着から着替えると急いでPXへと向かった。時間はお昼少し前。
「間に合わないよなぁ・・・」
勝名の怒った顔を思い浮かべると、さっきまであんなに軽かった体が途端に重くなった気がした。
PXに入るといつもの場所に人だかりがある。
「遅い!」
怒声を響かせながら駆け寄ってくる勝名。腕を掴まれた瞬間さらなる怒声を覚悟したのだが、
「でもまぁ、間に合ったから許してあげる」
と言って勝名はニヤリと笑うと、都の腕を引いて将棋が行われているテーブルへ向かった。
まだ2局目が終わっていなかったのだ。3局目に期待ができる。それが笑顔の理由だった。
だが、結局出番は来なかった。1局目も2局目もB分隊に負けて勝負がついてしまったから。
昼食後、勝名は再戦を申し込みに行ったのだが、B分隊の男性陣がすでにいなかったために、渋々帰ってくることになった。
こんなときの八つ当たりの矛先は大抵A分隊の男性陣になるのが常だった。
隣のテーブルでの喧騒をよそに残った女性陣は置かれたままだった将棋を使って「まわり将棋」を始めていた。
「今日何かあったの?」
駒をふりながら優奈が聞く。
「え、どうして」
「表情がいつもより柔らかいから」
こういう観察力の鋭さでは訓練兵随一ではないだろうか。
優奈が綾華の手紙の相手を推測してからかっていたことも思い出し、都はそう思った。
「私、いつも硬いですか?」
香月と坂本に言われたことを思い出しながら聞き返す。全身強張っていたら、やはり顔もなのだろうかと思いながら。
「硬いってほどじゃないけど・・・、いや今と比べるとやっぱり硬いかな」
「今のほうが自然な表情に見えるね。・・・で何があったの?」
綾華と渚が代わりに応えながら話に加わってくる。
何をどう話せばいいか。検査のことも力のことも話すわけにはいかない。話せるようなことは1つしかなかった。
「あ、えと、マッサージしてもらって体の疲れが取れたからじゃないですかね」
「マッサージ?なんで?誰に?」
葵の質問はもっともだった。A・B分隊合同のレクリエーションをさぼってまでやっていたのがマッサージでは納得がいかないのだろう。
一介の訓練兵にすぎない都にわざわざ時間を割いてマッサージをしてくれるような人物が誰なのかも気になるだろう。
普段親しくしている人物が全てこの場にいたのだから。
「あ、う、ええと、国連軍の人に、ああ、お、同じ施設で育った人に衛士になった人がいて、その人の知り合いの方なんですが、会いにきてくれてそれで・・・」
「へぇ~、で、そんなに良かったんだそのマッサージ?」
慌てた都の口ぶりから何かを察したのか、優奈は話題をマッサージのほうに誘導する。
都は優奈の洞察力と配慮に感謝した。マッサージのほうは、それはそれで言い難かったのだが。
「はい。天にも昇るようなって表現はこういう時に使うんだなぁって思いました」
ウソは言っていない。具体的な描写は口が裂けても恥ずかしくてできないが・・・。
「そんなにすごいならあたし達もお願いしたいよね」
渚の言葉に一同うなずく。『恥ずかしいのさえ我慢できればまた・・・』都もそう思った。
「お嬢さん方、マッサージならボクがかわりにやってあがっ・・・」
「ごめんなさい、うちの分隊の馬鹿がセクハラまがいなこと言って」
隣のテーブルにいたはずの久我がそこにいた。すでに崩れ落ちていたが・・・。
この展開に慣れてしまったからなのか、雫の反応が恐ろしく早い。
セリフを言い終わらないうちに沈黙させられる姿を見て、皆ほんの少しだけ同情するのだった。
その夜。都は香月に渡された教本を眺めながら一日を振り返っていた。
マッサージと、軽くなった体。力を抑える方法だと思っていたことが、実は恐怖に身を竦ませていたのと同じだったという事実。
そしてPXでのいつもの光景。
「手と一緒か」
その言葉とともに浮かんでいたのは雫の姿だった。
雫も力を使う。それは蹴りであったり平手であったりするのだが。
だが、本当に必要なときにきちんと加減して使うため、それを理由に嫌われるようなことはなかった。
自分の力も同じなのだろう。必要なときにきちんと制御して使う。
そしてそれができなければ、あのPXでの光景はもう見ることができなくなるだろう。
「あの光景を失わないためにも」
そう想いを口にして、手にした教本のページをめくり、力と向き合う最初の一歩を踏み出した。
翌日の訓練は射撃訓練だった。
手に持った突撃銃はいつもより軽く、構えたときもふらつかない。
「これが本当の私」
今ならいつもみんなに言われてもできなかったことができるような気がした。
「綾華さん。射撃のコツ教えてください」
分隊で一番巧い綾華さんにお願いする。今まで私から教えを請うことなんてたぶんなかっただろう。
「え?!いいわよ私なんかでよければ」
綾華さんも驚いているが、それでも快く引き受けてくれた。
綾華さんに見てもらいながら練習していると、いつのまにか分隊のみんなが集まってあれこれ口をだし始めた。
人によって言ってることが違うのだが、これが成績の差になるのかなと考えていた。
モチロン最下位に近い成績しかとれていない私には誰が正しいのかなんて分からなかったが。
結局は綾華さんのフォームを真似てアドバイスを聞くことにはなったが、分隊のみんなの思いやりがありがたかった。
そして、今までこの思いを無駄にしていた自分を恥じた。
無駄にした分にも報いるために、次の分隊対抗形式の訓練では結果が欲しかった。
分隊対抗形式の訓練の日がやってきた。
今日の訓練は4kmの射撃コースを5周するサーキットトレーニングだった。
あの日以来、体は軽い。
今までだったら押しつぶされそうに感じていた20kgの背嚢も幾分軽く感じる。
最初の射撃地点。すばやく射撃姿勢をとる。みんなのアドバイスでそれなりの構えになっているはずだ。
それでも昨日までは銃口が跳ねるのを十分には抑え切れていなかった。
『両手でだめなとき、君ならどうする?』
そう、私には三本目がある。右手でグリップを掴む。左手で銃身を支える。そして・・・不可視の腕が銃身を抑える。
トリガーを引く。いつもなら跳ねる銃口。上方にそれる弾丸。でも今回は違った。跳ねる銃口をしっかり抑えた。狙った場所に弾丸が当たる。二発目、三発目ともに吸い込まれるように的に当たる。
自分でも信じられない光景だった。自然と笑みがこぼれ、しばし的を見入ってしまう。
「朝倉!さっさと走れ!」
教官の怒声で我に帰る。慌てて立ち上がり走り出す。それでも笑みは消せなかった。
二周目、三周目と背嚢の重さが体力を削っていく。あのマッサージもスタミナまでは増やしてくれなかったらしい。
それでも射撃精度は落とさない。力の落ちていく両腕を補うように不可視の腕が銃を抑えた。
四周目、風が出てきた。射撃地点につくと、不可視の腕を的に向かって伸ばし空気の流れを感じる。
どこまで届くかなんて試したこともなかったけど、思ったよりも遠くまで届いて我ながら驚いた。
的には届かなかったが途中までの風の強さを頭に入れトリガーを引く。一発だけかろうじて的に掠った。
少し風が強くなっただけでまともに当てることすらできなくなる。力を使ったというのに。
「日頃の訓練に取り組む姿勢の差がこういった技術の差になって現れるのか」
自分が磨かなければならないのは『この力』だけではないのだと思い知らされた。
五周目。脚に力が入らない。射撃後立ち上がるとき、体中が悲鳴を上げる。それでもなんとか走れている。今までなら歩くのすらきつかったのに。
「風・・・止まって・・・お願いだから・・・」
射撃地点に着くたびに思う。すでに銃を抑え切れていない。無風状態でも的に当てるのが精一杯だった。
走るタイムはいまさらどうしようもない。射撃のスコアだけは落とすわけにはいかない。
最後の射撃地点。祈りが通じたのか風は無い。残った力を振り絞る。
「お願い、当たって!」
我ながら図々しいお願いだと思った。風を止めてもらっただけでありがたく思わなければいけないのに。
だがそれでも願いを込めてトリガーを引く。一発、二発、三発。
三発とも的の中心を射抜いていた。最後の最後で今日一番の射撃ができた。
私は神様の気前の良さに感謝しつつゴールを目指して走り出した。
教官の罵声を背にゴールにたどり着く。分隊のみんなが迎えてくれた。
綾華さんが抱きしめてくれた。雫さんがやさしく頭をなでてくれた。
森上さんは・・・私に抱きつこうとした久我さんを取り押さえていた・・・
そして、
「やればできるじゃん」
勝名さんはこれまで見たことのない笑顔で声をかけてくれた。
この日、私は初めて規定のスコアをクリアした。順位も前回より1つ上げることができた。
結局、久我さんのスコアが規定に足りなかったので追加の腕立て伏せはいつものとおりだったが、それも苦しくはなかった。
みんなの想いに応えることができた喜びが心を満たしていたから。
最終更新:2009年03月29日 20:07