人類最大の賭け、桜花作戦の成功により横浜基地の世界に対する発言力は目覚しいほど大きくなった。
過去のオルタネイティヴ計画では成し得なかった最大の戦果、BETAの戦力分布の取得、意思疎通、そしてオリジナルハイヴ・コアの破壊。
それをたった5機の
戦術機と不完全な機動要塞のみの突入部隊で成し得たオルタネイティヴ第4計画関係者は、今はもういない。だがその多くの功績は、横浜基地の底力となって生き続けている。
その計画の中心人物、香月 夕呼博士兼副司令は、地下40階の工廠にてらしくもない安全メットと安全眼鏡をつけていた。
目の前に鎮座しているのは、外装が無い、内部構造がむき出しにされている奇妙な機械。
恐らく、どんな技術者でも、これを見ただけでは何に使うか全く解らないだろう。何せ、中心にある回転するのであろう大きなシャフトには、何も繋がってないのだから。
そんな物の前に、香月は真剣な眼を向けている。基本的にデスクワークの人が、何故。
そこで、耳につけていた小型ヘッドギアから通信が。
『これより増幅ユニットの試験稼動に入ります』
「解ったわ―――社、準備はいいわね?」
『はい』
網膜投影に強化服を着た社 霞が映り、短い返事が返って、そして消える。
『増幅ユニットの起動を確認。増幅値想定範囲内で安定。試験体の接続開始―――接続』
中央の大きなシャフトに設けられた幾つかのユニットがそれぞれゆっくりと回転を始める。それはやがて、眼で追える速さを超え、大きな駆動音を周囲に撒き散らす。
騒音の大きさに眉をひそめながら、網膜に投影される霞のメンタルデータと、彼女が持つ特殊な力―――ESPを数値化したグラフを追う。
「社、何か違和感はあるかしら?」
『………意識が無理矢理広げられている感じがします』
「それは苦になる?」
『………大丈夫です』
ESPという能力は、持っている者でなければ理解できない。そのため、持っていない者からでは出てこないような問題も色々出てくる。この実験は、言わばそれの”予行練習”のようなものだ。
”本来なら”予定していた素体を使うのだが、それは今現在別の場所で使えるようにされている。
なので、その代用と言うわけではないが、現在手元にある唯一のESP持ちの社 霞に頑張ってもらってるわけだ。
香月としては、本来こういう使い方はしたくない。本当なら今すぐにでも”アレ”を連れて来て実験したい。しかし、それでは今後の計画に支障が出る。それは不味い。とてもすごく。そのため、無理が出ない範囲で実験を繰り返すしかなかった。
『ESP有効半径、通常値の3倍で安定しました。メンタルデータに微弱ながらストレスを確認。増幅による影響と推測されます』
「実験終了、停止手順に移行。社、上がっていいわよ」
『了解』『はい』
増幅ユニット―――元はオルタネイティヴ3で研究されていた光線級に対する防御手段の一つとして開発されたものだ。
現在主流の耐光線塗膜とは根底を違う異質の兵器。考えようによってはオルタネイティヴ4が掲げていた物よりも、もっと素っ頓狂な代物。
それが今実験していたユニットの大まかに噛み砕いた概要だ。少なくとも、今はそうとしか云えない。
何せ、オルタ3でも実験が成功した試しが無いのだ。それを接収してあるとは云え、今まで別の物で代用しようとしていた彼女にとって、こんな不確かな物を使う事になろうとは露とも思わなかった。
最悪、本来の機能が使えなくてもリーディングの拡張装備として開発しよう…そう思ったとき、背後に音も無く近づく気配がした。
「アンタにここへ入る権利を与えた覚えはないわねぇ」
後ろを向けたまま、何者かに対し牽制する。云われて観念したのか解らないが、大げさに衣擦れを立てる。
「このまま帝国に突き出してあげましょうか、鎧衣課長?」
「元、ですよ香月 夕呼副司令」
振り返ると、あの時と相も変らぬ姿の男が、いつもと同じポーカーフェイスを向けて立っていた。
「ESP能力拡大増幅ユニット………通称”アイギス”。昨日、百里に送った試作機の同型ですか。米国の次はソ連………日本だけでなく、世界相手に睨まれてしまいますな?」
「なんの用?アンタはもう用済みでしょう?」
「こんなしがいない私でも雇っていただける方がいまして。今回はその方からの使者として参った次第。
しかし、あれほど手痛くやられたというのに随分と警備が厳しいですな。ここまで来るのに何人に同じ説明をしたか…」
「それで、用件は?」
「まずはこれを」
雑談からアッサリ切り替わり、懐から一つの書類を差し出す―――そこに押されている判が見えるように。
場所が場所だけに、そんなものを堂々と差し出す神経を疑うが、ひとまず受け取る香月。
通信で一時カメラの停止を一方的に伝え、書類の中身をさっと流し見る。
「………武御雷に、勾玉と剣?随分欲張りね、あの狸。それで、私にこれをどうしろって?」
「口添えを頼みたいとのことです。この際ですからご自分用にも何機か頼んでみては。幸い、何かと入用のご様子」
「相変わらず抜け目ないわねぇ…」
と、ぼやきつつも頭の中は高速でマルチタスクを処理していく。
現状、横浜基地と百里基地は利害関係にある。勿論表向きは同じ国連所属であり、また百里基地自体は機能低下した横浜基地の機能補填を目的とした場所でもあるため、争う理由など何処にも無い。
しかし、裏事情はそうとも云えない。横浜も良い具合に真っ黒だが、百里も負けず劣らず腹黒い基地だ。元々日本帝国陸軍の土地に間借りしていながら、その基地運営を一手に引き受けてるのが最たる例だ。他人の軒先を奪う厚顔無知振りとも云えばいいだろうか。
他人に利用されていながら、その実それを逆手に取り無理難題を押し付けてくる。今回のも良い例だ。
今のところ、横浜基地は一方的に百里基地を利用している状態にある。これは、この横浜基地が完全に機能を取り戻していないのが最大の理由であるが、その他にも人材育成や別方面の外交手段の一つとしても使っている。特に今後のことを想定して作らせた訓練校は、百里だけでなく横浜にも大きな意味を持つ。
ここまで利用していながら、未だ―――もう過去の話だが―――こちらを利用する動きが無かった百里基地…と、云うより百里の狸。
ここでこれを断れば、訓練校で育てた人材は入手できないだけでなく、今後利用することもできないだろう。独自基準で選定されたとは言え、仮にも優秀な人材なのだ。
人材というのは、機材以上に入手が困難で、そして性能のバラツキが大きい。また、育成には莫大な費用がかかり、それに見合った性能を発揮するかどうかも、実際に使ってみないとわからない。それ故に、優秀と判っている人材を手放す愚挙は避けたいところ。
「いいわ、この程度なら私の力で何とかなるし」
内心では(してやられた…)と思いつつも、思考の結論を簡潔に述べた。
再度書類の内容を確認すると、手早く書類を仕舞い、カメラの復帰を伝える。
「それにしてもあの狸、借りを作ってまで何をしたいのやら」
貸し借りの話で言うなら、こちらが借りの山を作ってしまってるわけなのだが、そこは見栄と意地でごまかす。
「さて、私は本人ではないのでなんともお答えできかねますが。必要な物を揃えるためなら喜んで借りを作ろう、なんて殊勝な考え方なのかもしれませんな」
元課長も、それをわかっていて口裏を合わせる。それを確認できたのか、互いに微妙に口元を吊り上げる。
「そう。話が終わりなら帰って欲しいんだけど。できればMPと一緒に」
「その前に、もう一つ耳に入れてもらいたいものが」
「………なにかしら」
こういう前振りの場合はあまりよろしくない事象が近い。12・5事件の時もそうだ。
先にどうでも良い用件を伝えてから、どうでも良くない用件を伝える。この男が好む伝え方。
「最近、”共生派”の動きが活発になりつつあります。まだ初動段階なので多くは解りませんが、どうやら彼の作戦の成功が御気に召さなかった様子で」
共生派―――正しくはBETA共生派閥という、BETAを「神の御使い」と証し、彼らに取り込まれることで人類は新たなる進化の道を得られる―――と考えている連中の事だ。
一種のカルト団体であり、いつ滅びてもおかしくないこの世界で、そんな現実から一時的でも逃避したい者達が考えた妄想………それがいつしか独り歩きを始め、死に対する恐怖と化学変化を起こして出来上がった集団。それが今では世界情勢にも僅かながら影響を与える団体へと変化していた。
活動内容は実に醜悪で、BETAに取り込まれるために生まれたばかりの子供を差し出したり、若い女と性交させることだってある。これは内側に対しての話だが、外に対しては自分達の思想を受け入れられない世界に対し、武力や煽動を以って抗議するという、実に傍迷惑な話。
以前まではキリスト教恭順派に成りすまし、各地に潜伏・煽動活動を続けていたが、別派閥の恭順派と難民解放戦線が共謀して起こした事件をきっかけに、それができなくなってしまう。以降、最近までは大人しくしていたのだが、ここに来てまた何か企んでいる………
この男は、言外にそう語っていた。
「ふん、妄想家の勝手な思い込みに付き合うほど暇じゃないわよ」
「はて、私は噂話をしているだけですので」
「ったく、手間ばっかりかけてくれるわね。で、どこまで食い込んでるの?」
「先の再編入の際に紛れてるのが幾人か…と、あくまで噂ですがね」
何度も噂ウワサと連呼するが、その言葉とは裏腹に眼が真剣になっているのを、香月はとうの昔に気付いている。
先の再編入…横浜基地防衛戦で失った人員や設備を補填するために行った大規模な補充計画。即席ながら基地としての機能は復活しつつあるが、その中に共生派が幾人か紛れ込んでいるという。有り得ない話でないのが、逆に面倒さを助長してくれる。
できれば事が起きる前に対処したいのだが………それを握ってるこの男が手出ししてないという事は、すでに深い部分にまで食い込んでる可能性がある。
「来るついでにそれも片付ければ面倒が省けて良かったんだけど?」
「そうしたいのは山々なのですが…では」
渡す物を渡し、伝えるべきものも伝えたので留まる理由を失い、その場を去るために踵を返す。
と、その背に何かを思い出したかのように香月は声をかけた。
「あぁ…その前に。一つ聞きたいんだけど」
「?なんでしょう」
「シロガネタケルって覚えてるかしら?」
―――静寂が周囲を包む。
やや間を置いて、しかし何か深く考え込むような仕草を小さく取り、ゆっくりとこちらを向く。その顔には、ほとほと困り果てたなような、そんな表情が張り付いていた。
「はて………それは物ですかな?それとも者ですか?」
「あっそ。もう用は無いわ。さっさと狸の穴倉に戻りなさい」
云われるがままコートを翻し、この場を去る元課長。
その背中を一瞥し、夕呼手にしたボードに眼を落とす。
また一つ、”アレ”がいた記憶が消えていたことを確認させられた。それが少しだけ、胸の奥に”シコリ”として残る。
だが、今ではその”シコリ”こそが”アレ”を忘れないための貴重な鍵となっていた。
ガキ臭い救世主はもういない。多くの記録には残せないのに有り余る程の功績を世界に刻んだまま、眩い光と共にこの世から消えた存在。それが残した物は、思いのほか大きい。僅か3ヵ月、されど3ヵ月。たったそれだけの時間の間に刻まれたものは、果てしなく大きい。
自分を「先生」と呼び、「人類の勝利」という当たり前の願いを真正面から言い放った男は、今は何をしているだろうか。元の世界とやらでその世界にいる自分に良い様に使われているだろうか。
「………ふんっ」
らしくもない。そういうのは私のキャラではない。そんな乙女チックな考えは母親の中にいる間に捨ててしまった。
それに感傷に浸る余裕など、私にはない。あるハズもない。
オルタ4は完遂したが、今度は別の計画がある。今度の計画は、今まで以上に面倒だ。
今度も完遂しなければ、人類は永遠にこの重力の井戸から這い上がることはできないだろう。
「博士」
気付くと、横に強化服からいつもの軍服に着替えた社が立っていた。どうやら、今後の方針を聞きに来たようだ。
「そうね…今のところはデータ収集だけど、無理しちゃ駄目よ。アンタはあくまでもしもの時のスペアなんだから」
「はい」
「最近のアンタは何かに急かされてるようで危なっかしいからね。あんまりウロチョロしちゃだめよ?」
「………博士」
「………何かしら?」
ちょっといつもと様子が違う霞に、知らず真剣になる。こういう時は、何かある。そんな雰囲気。
「私………呼ばれているんです」
「…誰に?」
「純夏さんにです」
そう言い放った霞の周囲には、ほんの僅かだが白い光がチラついていた。
最終更新:2010年01月22日 18:42